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2023-08-21T18:29:39-07:00
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tag:harpmusician.com,2005:Post/7260743
2023-08-21T18:29:39-07:00
2023-10-16T07:54:50-07:00
音楽メディテーションへのお誘い
<p><span style="font-size:1.96em;">音楽メディテーションセミナー好評開講中</span><br><br><span> 今月初頭に第一回のセミナーをご提供したところ、大変なご好評をいただいき、改めて皆様にご案内させていただくことにしました。オンラインによるズーム講義をリアルタイムで受講していただけるほか、セミナーの録画ビデオをダウンロードして、ご自分のペースで学んでいただくこともできますので、シーズン途中からでも問題なくご参加いただけます。</span><br><br><span> セミナーでは、音楽が身体と精神に与える様々な影響を学びつつ、毎回異なる目的のために製作されたオリジナルのメディテーション音楽を用いた瞑想を経験していただきます。受講者の皆さんには、<b style="font-weight:bold;">1本24分の高音質のオリジナル音源全7本を、ダウンロードにて差し上げます</b>。</span><br><br><span> 音楽メディテーションは、これまでにメディテーションをあまり経験されてこなかった方にも手軽に始められるテクニックですが、すでに長年メディテーションを続けてこられた方からもご好評いただける本格的な内容をご提供しております。精神論だけではなく、医学的な側面からのお話も充実しておりますので、理系マインドでこれまで内的ワークに懐疑的だった方にとっても、メディテーションの意義を見直すきっかけをご提供できると思います。詳細情報は本メールをスクロールダウンしていただけるとご覧いただけます。ご興味がありましたら、お気軽にご連絡ください。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">講座に関するお問い合わせ<br>山本朝子事務所まで<br>TEL.090-7962-1703 FAX.06-7878-6142 mail: grainismfood@gmail.com </b></span></p><p> </p><p><span style="font-size:1em;">ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー</span><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;"> </b></span><br><br><span>参加者の皆さんのご感想です。</span><br><br><span>⚫︎これまでに催眠術などにも全くかからないタイプで、正直なところメディテーションは自分にはよくわからないだろうと思っていましたが、数分経った時に突然涙が溢れ出てきて、自然と体が動いていました。普段、何事もカリカリ考えすぎる状態にあることが多いのですが、メディテーションが終わって数分たった今でもしゃべるスピードが遅くなってしまうほどに頭がふわっと軽い感じで、温泉に入った後のような心地よい気分です。涙が溢れ出たのに、辛くなく、なんとも不思議な感覚で、むしろ体も楽で、思っていた以上に何十倍もすごく良い体験をさせていただけました。</span><br><br><span>⚫︎これまでに誘導瞑想などにも取り組んでおります。自分自身、音楽家でもありますから、瞑想中に音楽があると、メロディーを予測したり、和音を追ったりしてしまい、瞑想から注意がそれてしまう傾向があるのですが、先生の息遣いに同調させて音楽に集中したところ、ゾーンに入って、第三チャクラがオープンになり、とにかく無になって音楽に合わせて光を感じているうちに自然に涙が止めどなく溢れ出て、すっきりとした気持ちで瞑想を終えることができました。日々瞑想に取り組んでいても、なかなかこのような状態になれることは少ないのですが、絶品のインスピレーショナルなハープ音楽で、久しぶりに自分らしい瞑想ができました。お陰様で、不眠症気味ですが、週末ゆっくりと身体を休めました。</span><br><br><span>⚫︎座禅や瞑想にはこれまでも取り組んできましたが、音楽の感動によりハートが動かされて、その後にしみじみと<自分らしさ>を感じられ、これまでの瞑想とは違った体験ができました。</span><br><br><span>⚫︎音楽メディテーションで自然と体が動きリラックスし、とても気持ちの良い状態になれました。</span><br><span> </span><br><span>⚫︎知っている音楽やパターン化された音楽だと、先を読んでしまって、現在ではなく未来に意識が行ってしまうのですが、次に来る音がわからない即興演奏ということで、ゾーンに入りやすい、あるいは別世界に入っていきやすいと感じました。</span><br><br><span>⚫︎だんだんと気が遠くなってくるような感じで、メディテーションの後は無駄な緊張感が取れた感じ、筋肉がすごく楽になって解放された感じになりました。</span><br><br><span>⚫︎仏間にロウソクの明かりだけでメディテーションすると、お盆という事もあるのでしょうか、現実は一人なのに、一人じゃない感覚になり、終盤には涙が止めどなく溢れてきました。目を閉じて深呼吸、音楽が流れ出すと、伊勢神宮のような神聖な場所にワープしているようで、体がフワリと軽くなり、幼い頃に刷り込まれた固定観念や、「こうあるべき」と教え込まれたものが断ち切られ、自由で開放的な気分になり、またご先祖様たちが、誉めてくださり、認めてくださり見守って下さっているようなあったかい気持ちになりました。</span><br><br><span>⚫︎後半になるにつれ、ハープの弦がはじかれる音が、ひとつひとつ体幹内の別なところに刺さっていき、その周囲の透明感が増し、最終的に体幹の広い範囲で冷涼になり、浄化が進んだような気がします。結果、今日も仕事と趣味を存分楽しもうという思いが高くなりました。</span><br><br><span>⚫︎マインドフルネス瞑想に数年間取り組んでおりますが、体を動かさず、じっと静かに座ってはいるけれど、果たしてこれが本当に瞑想なのかと感じることもあります。昨日の音楽メディテーションの時も、いつも通り雑念にまみれていましたが、今朝、起きた時に、ものすごく深く眠った感覚がありました。体がリラックスするってこういうことなのかもしれないと初めて思いました。いただいた音楽は倍音が心地良く、音そのものになるように身を任せていると、とても落ち着きます。普段ダラダラと長く瞑想しがちなので、音楽と共に瞑想を終えることも新鮮に感じています。いろいろと新しい体験ができて嬉しいです。</span><br><br>オンライン・クラスの日程(欠席しても、録画動画をアーカイブでご覧いただけます)<br>●8/5(土)11:00〜 ①音楽への気づき<br> 「現在に存在する」雑音/音量/音色/テンポ<br>●9/2(土)11:00〜 (90分)②自身への気づき<br> 呼吸/自身に耳を澄ます<br>●10/7(土)11:00〜 (90分)③自己への気づき<br> I am への気づき/思考と感情からの分離/自己への客観性<br>●11/3(土)11:00〜 (90分)④メディテーション・テクニック<br> 自己診断/目的に応じたメディテーション<br>●12/2(土)11:00〜 (90分)⑤質疑応答、ディスカッション<br> 体験談、経験談の共有/追加情報/交流<br>●1月 個別セッション(60分)<br> 一対一のレッスン(1月中に個別にセッション時間をスケジュールしていただきます)<br> 個別指導・相談/あなた専用のメディテーション・ミュージックの提案<br>●2/3(土)11:00〜 (90分)⑥生活行動メディテーション<br> 日常の全ての時間をメディテーションの機会にできる!<br><br>グループセッションでは、実践用のメディテーション音楽(約25分)の音源ファイルを毎回一曲分お渡しします。<br><br>グループセッション(90分)の流れ<br>講義:45分<br>休憩:5分<br>音楽メディテーション:25分<br>質疑応答/ディスカッション:15分<br><br>個別セッション(60分)<br>自己診断<br>今のあなたに合ったメディテーション音楽を一緒に考える。<br>今のあなたに合ったオリジナルなメディテーション音楽のダウンロード(後日)<br><br>参加費用 <br>グループセッション全6回参加 27,500円(税込) <br>個人セッション(お1人あたり1回)16,500円(税込)<br><br>講座に関するお問い合わせ<br>山本朝子事務所まで<br>TEL.090-7962-1703 FAX.06-7878-6142 mail: grainismfood@gmail.com </p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/07/musiclife-in-nature/ca/e7/j/o2996200014956053871.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/07/musiclife-in-nature/ca/e7/j/o2996200014956053871.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="414" width="620" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/7248053
2023-07-26T14:55:55-07:00
2023-07-26T17:45:14-07:00
ミュージック・メディテーション講座、8月5日よりスタート!参加者受付中です。
<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://youtu.be/6n7gOUXxROQ" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">2023年 『ミュージック・メディテーション』オンライン講座のご案内</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">オンライン・クラスの日程(欠席しても、録画動画をアーカイブでご覧いただけます)●8/5(土)グループセッション−1(90分)①音楽への気づき 「現在に存在する」雑音/音量/音色/テンポ●9/2(土)グループセッション−2(90分)②自身への気づき 呼吸/自身に耳を澄ます●10/7(土)グループセッション−3(90...</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">youtu.be</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://i.ytimg.com/vi/6n7gOUXxROQ/hqdefault.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p><p>オンライン・オーガニック・ミュージック講座2023 <br>「音楽メディテーション/Music Meditation」<br><br><瞑想/メディテーションとは?><br> 瞑想が心・身・魂に及ぼすポジティブな効能は、古来より広く認められており、ほぼ全てのスピリチュアルな道において、瞑想は重要な生活習慣として位置付けられています。現代科学においても、リラクゼーション効果、集中力、決断力、記憶力の強化、脳の効率性や感情の調整力の向上、身体の老化防止、脳の若返り、うつ状態の改善などの効果が示唆され、健康を増進する優れた生活習慣として注目されています。<br><br><瞑想って、難しそうだけど…><br><瞑想>という言葉からは、世を捨てた僧侶が何日も飲まず食わずで取り組む荒業というようなイメージが呼び起こされるため、瞑想には特別な場所、特別な時間、特別な準備が必要と考えてしまい、日常生活習慣に瞑想を取り入れることに対し必要以上に身構え、多くの方が始めることにすら抵抗感を抱いてしまいます。<br><br> しかし実際には、瞑想は自分の生活空間で自分のペースで行える最も手軽でコストパフォーマンスの高い健康増進/精神修養のメソッドなのです。このような身近な生活習慣として瞑想を捉えていただくために、オーガニック・ミュージック講座では、あえて<メディテーション>という外来語を使っています。<メディテーション>は、アメリカでは、誰でも自分のペースで気軽に行える生活習慣として広まっており、多くの有名な実業家やアーティストも、健康と成功に恵まれた人生を送るための鍵となる習慣として、メディテーションを日々の生活に取り入れ実践しています。<br><br><音楽メディテーションの3大メリット><br> メディテーションを始めるにあたって困難を感じる点は、①場所(空間)、②時間、③やる気の確保です。この3つを確保する上で大きな助けになるのが音楽です。音楽は雑音をカバーし、空間に新たなエネルギーを吹き込む力を持っているので、日常の空間をメディテーションにふさわしい空間に一瞬で変容することができます。また、メディテーションのために毎日20分確保しようと考えると、どうしても身構えてしまうのですが、それを一日1回20分のメディテーション音楽に耳を傾けるという目標に転換してみると、ずっと容易に実行できるようになります。しかも、音楽鑑賞はそれ自体が楽しく気持ちの良い経験をもたらしてくれますから、音楽の魅力によってメディテーションへのやる気のスイッチが入りやすい状況を作り出すことができるのです。<br><br><楽しみながら実践できる音楽メディテーション><br> メディテーションで経験する内的状態は、音楽を味わい尽くすのにふさわしい状態でもあり、また、音楽家が優れた演奏や作曲をするために必要な状態でもあります。つまり、音楽メディテーションでは、メディテーション自体からもたらされる様々な恩恵に加え、音楽を味わい尽くし、さらに音楽家の内面の世界を経験し、音楽を本当の意味で堪能する機会をも与えてくれるのです。<br><br> メディテーションは、頑張って続けなくてはならない難行苦行のような生活習慣ではありません。むしろ、それをやること自体が喜びとなる生活習慣です。そこには「〜ねばならない」という要素はなく、むしろそういうこだわりからも日常のしがらみからも自由になり、その瞬間のもたらす恩恵を楽しみながら味わい尽くすための機会なのです。<br><br><あなたにあったメディテーション音楽を見つけましょう><br> この講座では、音楽メディテーションの体験と理解を、月々のプラグラムを通じて段階的に深め、講座終了時点では、皆さんがご自分に合った音楽メディテーションのあり方を見出していただけることを目標にしています。一対一のカウンセリング形式の個別セッションでは、皆さんの好みやニーズを精査し、今のあなたに合ったメディテーション音楽を見出すプロセスをお手伝いいたします。<br> <br> 音楽メディテーションを通じての皆様との出会いを楽しみにいたしております。<br><br><br><br>オンライン・クラスの日程(欠席しても、録画動画をアーカイブでご覧いただけます)<br>●8/5(土)11:00〜 ①音楽への気づき<br> 「現在に存在する」雑音/音量/音色/テンポ<br>●9/2(土)11:00〜 (90分)②自身への気づき<br> 呼吸/自身に耳を澄ます<br>●10/7(土)11:00〜 (90分)③自己への気づき<br> I am への気づき/思考と感情からの分離/自己への客観性<br>●11/3(土)11:00〜 (90分)④メディテーション・テクニック<br> 自己診断/目的に応じたメディテーション<br>●12/2(土)11:00〜 (90分)⑤質疑応答、ディスカッション<br> 体験談、経験談の共有/追加情報/交流<br>●1月 個別セッション(60分)<br> 一対一のレッスン(1月中に個別にセッション時間をスケジュールしていただきます)<br> 個別指導・相談/あなた専用のメディテーション・ミュージックの提案<br>●2/3(土)11:00〜 (90分)⑥生活行動メディテーション<br> 日常の全ての時間をメディテーションの機会にできる!<br><br>グループセッションでは、実践用のメディテーション音楽(約25分)の音源ファイルを毎回一曲分お渡しします。<br><br><br>グループセッション(90分)の流れ<br>講義:45分<br>休憩:5分<br>音楽メディテーション:25分<br>質疑応答/ディスカッション:15分<br><br>個別セッション(60分)<br>自己診断<br>今のあなたに合ったメディテーション音楽を一緒に考える。<br>今のあなたに合ったオリジナルなメディテーション音楽のダウンロード(後日)<br><br>参加費用 <br>グループセッション全6回参加 27,500円(税込) <br>個人セッション(お1人あたり1回)16,500円(税込)<br><br>講座に関するお問い合わせ<br>山本朝子事務所まで<br>TEL.090-7962-1703 FAX.06-7878-6142 mail: grainismfood@gmail.com <br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/7231337
2023-06-23T10:13:39-07:00
2023-06-23T12:30:20-07:00
2023年8月よりミュージック・メディテーション講座を開講します!
<p style="text-align: left;"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">オンライン・オーガニック・ミュージック講座2023 <br>「音楽メディテーション/Music Meditation」</span></b><br><br><b style="font-weight:bold;"><瞑想/メディテーションとは?></b><br> 瞑想が心・身・魂に及ぼすポジティブな効能は、古来より広く認められており、ほぼ全てのスピリチュアルな道において、瞑想は重要な生活習慣として位置付けられています。現代科学においても、リラクゼーション効果、集中力、決断力、記憶力の強化、脳の効率性や感情の調整力の向上、身体の老化防止、脳の若返り、うつ状態の改善などの効果が示唆され、健康を増進する優れた生活習慣として注目されています。<br><br><b style="font-weight:bold;"><瞑想って、難しそうだけど…></b><br><瞑想>という言葉からは、世を捨てた僧侶が何日も飲まず食わずで取り組む荒業というようなイメージが呼び起こされるため、瞑想には特別な場所、特別な時間、特別な準備が必要と考えてしまい、日常生活習慣に瞑想を取り入れることに対し必要以上に身構え、多くの方が始めることにすら抵抗感を抱いてしまいます。<br><br> しかし実際には、瞑想は自分の生活空間で自分のペースで行える最も手軽でコストパフォーマンスの高い健康増進/精神修養のメソッドなのです。このような身近な生活習慣として瞑想を捉えていただくために、オーガニック・ミュージック講座では、あえて<メディテーション>という外来語を使っています。<メディテーション>は、アメリカでは、誰でも自分のペースで気軽に行える生活習慣として広まっており、多くの有名な実業家やアーティストも、健康と成功に恵まれた人生を送るための鍵となる習慣として、メディテーションを日々の生活に取り入れ実践しています。<br><br><b style="font-weight:bold;"><音楽メディテーションの3大メリット></b><br> メディテーションを始めるにあたって困難を感じる点は、①場所(空間)、②時間、③やる気の確保です。この3つを確保する上で大きな助けになるのが音楽です。音楽は雑音をカバーし、空間に新たなエネルギーを吹き込む力を持っているので、日常の空間をメディテーションにふさわしい空間に一瞬で変容することができます。また、メディテーションのために毎日20分確保しようと考えると、どうしても身構えてしまうのですが、それを一日1回20分のメディテーション音楽に耳を傾けるという目標に転換してみると、ずっと容易に実行できるようになります。しかも、音楽鑑賞はそれ自体が楽しく気持ちの良い経験をもたらしてくれますから、音楽の魅力によってメディテーションへのやる気のスイッチが入りやすい状況を作り出すことができるのです。<br><br><b style="font-weight:bold;"><楽しみながら実践できる音楽メディテーション></b><br> メディテーションで経験する内的状態は、音楽を味わい尽くすのにふさわしい状態でもあり、また、音楽家が優れた演奏や作曲をするために必要な状態でもあります。つまり、音楽メディテーションでは、メディテーション自体からもたらされる様々な恩恵に加え、音楽を味わい尽くし、さらに音楽家の内面の世界を経験し、音楽を本当の意味で堪能する機会をも与えてくれるのです。<br><br> メディテーションは、頑張って続けなくてはならない難行苦行のような生活習慣ではありません。むしろ、それをやること自体が喜びとなる生活習慣です。そこには「〜ねばならない」という要素はなく、むしろそういうこだわりからも日常のしがらみからも自由になり、その瞬間のもたらす恩恵を楽しみながら味わい尽くすための機会なのです。<br><br><b style="font-weight:bold;"><あなたにあったメディテーション音楽を見つけましょう></b><br> この講座では、音楽メディテーションの体験と理解を、月々のプラグラムを通じて段階的に深め、講座終了時点では、皆さんがご自分に合った音楽メディテーションのあり方を見出していただけることを目標にしています。一対一のカウンセリング形式の個別セッションでは、皆さんの好みやニーズを精査し、今のあなたに合ったメディテーション音楽を見出すプロセスをお手伝いいたします。 </p><p> </p><p> 音楽メディテーションを通じての皆様との出会いを楽しみにいたしております。<br><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">オンラインクラスの日程</span></b>(欠席しても、録画動画をアーカイブでご覧いただけます)<br>●8/5(土)グループセッション−1(90分)①音楽への気づき<br> 「現在に存在する」雑音/音量/音色/テンポ<br>●9/2(土)グループセッション−2(90分)②自身への気づき<br> 呼吸/自身に耳を澄ます<br>●10/7(土)グループセッション−3(90分)③自己への気づき<br> I am への気づき/思考と感情からの分離/自己への客観性<br>●11/3(土)グループセッション−4(90分)④メディテーション・テクニック<br> 自己診断/目的に応じたメディテーション<br>●12/2(土)グループセッション−5(90分)⑤質疑応答、ディスカッション<br> 体験談、経験談の共有/追加情報/交流<br>●1月 個別セッション(60分)一対一のレッスン(1月中に個別にセッション時間をスケジュールしていただきます)<br> 個別指導・相談/あなた専用のメディテーション・ミュージックの提案<br>●2/3(土)個別セッション一対一のレッスン(60分)⑥生活行動メディテーション<br> 日常の全ての時間をメディテーションの機会にできる!</p><p><br>グループセッションでは、実践用のメディテーション音楽(約25分)の音源ファイルを毎回一曲分お渡しします。</p><p>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>グループセッション(90分)の流れ<br>講義:45分<br>休憩:5分<br>音楽メディテーション:25分<br>質疑応答/ディスカッション:15分<br><br>個別セッション(60分)<br>自己診断<br>今のあなたに合ったメディテーション音楽を一緒に考える。<br>今のあなたに合ったオリジナルなメディテーション音楽のダウンロード(後日)<br><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">○参加費用 </b></span><br>グループセッション全6回参加 27,500円(税込) <br>個人セッション(お1人あたり1回)16,500円(税込)<br><br>講座に関するお問い合わせは、山本朝子事務所まで<br><b style="font-weight:bold;">TEL.090-7962-1703 FAX.06-7878-6142 mail: grainismfood@gmail.com </b></p><p> </p><div class="ogpCard_root"> </div><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230624/02/musiclife-in-nature/4b/bf/p/o1080153215303521527.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230624/02/musiclife-in-nature/4b/bf/p/o1080153215303521527.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="879" width="620" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/7154503
2022-12-15T18:17:42-08:00
2023-02-15T13:46:51-08:00
2023年1月に、無料セミナーを開講いたします。
<div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> </div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> </div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;">来年1月に、無料セミナーの機会を4回設定いたしました。</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> セミナーは、二十世期初頭に<span style="font-stretch: normal; line-height: normal;">G.I.</span>グルジェフによって提唱された「第四の道」、あるいはグルジェフ・ワークと呼ばれているシステムの概要をご紹介するものです。「第四の道」は、人間に与えられた可能性を理解し開花させるための具体的な方法論として、宗教、哲学、科学などの伝統的な道の優れた側面を統合し、そこで見過ごされている真理の側面を明確に提示するシステムで、建築家のフランクロイド・ライトやピアニストのキース・ジャレットに多大な影響を与えたことでも知られています。</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> 東京大学在学中にこのシステムと出会い、それからおよそ<span style="font-stretch: normal; line-height: normal;">30</span>年にわたる実践を通じて、生きる上での指針として「第四の道」の信頼性と汎用性を確信しています。精神生活における成果だけでなく、実践的な活動でのパフォーマンスにおいても成果を上げることで、システムの有効性を実証してきました。</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> 自分自身に関して何かを変えたいと漠然と感じているけれど何をどうやって変えれば良いのかわからないという方、あるいは、これまで一般的に言われている方法で努力を積んできたにも関わらず成果を得られない方にとって、「第四の道」のシステムは現状を変えるきっかけになると期待しています。</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> 皆様のご参加をお待ちしております。費用は一切かかりません。お申し込みは以下のリンク先からお願いいたします。</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> </div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"><span style="font-size:1.4em;"><a href="https://peatix.com/group/11928379/events">https://peatix.com/group/11928379/events</a></span></div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> </div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;">
<span style="font-size:1.96em;"><b style="font-weight:bold;">無料セミナー <Part 1> 第四の道とワークの概要</b></span><br><br>本セミナーは、グルジェフ・ワークとしても知られている「第四の道」のシステムの概要をご紹介する無料セミナーで、全12回(Part 1概要+Part2~7心理学コース+Part 8~12宇宙論・物質論コース)からなるセミナーの第1回目に位置づけられています。無料セミナーを受講し、「第四の道」のシステムを深く学びたいと感じられた皆様には、有料セミナー(心理学コース、宇宙論・物質論コース)をご案内できます。<br><br>お気軽にご参加ください。<br><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;"><i style="font-style:italic;">第四の道/グルジェフ・ワーク </i></b></span><br>〜人間に与えられた可能性の理解と実現のための方法論〜<br><br> 「私とは何か?」 <br> 「宇宙における私の存在意義はどこにあるのか?」<br> 「私はこの生で何を得ることができるのか?」<br> 「自分自身を知り、自分の可能性を最大限開花させるにはどうすれば良いのか?」<br><br> このような疑問に対し、人類は古来数多くの宗教や哲学的思想を生み出してきました。しかし残念ながら、多くの場合、宗教においては盲目的な信仰、哲学においては現実生活とはかけ離れた極度に理論的な議論に迷い込むことで、自らを真理から遠ざけてしまう結果に終わってしまいます。では、近現代に台頭した科学はどうかというと、生身の感覚と感情を退けた知性に偏った現実認識であり、真理に迫る手段としては全く不完全なものに過ぎません。<br><br> これら伝統的な道の優れた側面を統合し、そこで見過ごされている真理の側面を明確に提示した道が、二十世期初頭にG.I.グルジェフによって提唱された「第四の道」のシステム(思想体系)と言えます。建築家のフランクロイド・ライトやピアニストのキース・ジャレットに多大な影響を与えたシステムとしても知られています。<br><br> 「第四の道」は、古代からの神秘学、哲学、それに近代の科学的な視点を含む知識体系で、大きく分けると心理学、宇宙論、物質論から構成されています。システムの理解は、知識の蓄積ではなく、自己観察を基盤とする徹底的な自己研究と、生活の中で遭遇するあらゆる出来事の観察研究の中で深められます。また、日々の暮らしの中で様々なエキササイズに取り組むことで、意識、意志、為す能力などの人間としての根幹的な能力が開発され、その成果は、実際の仕事や日常の場面におけるパフォーマンスの向上として実感できることも大きな特徴です。<br><br> 筆者は東京大学在学中にこのシステムと出会い、それからおよそ30年にわたる実践を通じて、生きる上での指針として「第四の道」の信頼性と汎用性を確信しています。精神生活における成果だけでなく、実践的な活動でのパフォーマンスにおいても「第四の道」のシステムは非常に優れたメソッドであり、そのことは、ハープ奏者、作曲家、即興演奏家、看護師/保健師、公衆衛生研究家、持続可能農業実践家、父親、教育者として、これまで取り組んできた活動で成果を上げることで、実証してきました。<br><br>「第四の道」では、日常に密着した実践的なワークが不可欠です。また、他者と知識や経験を共有することによって自らの理解と実践力を高めることができるという側面もあります。そのため、書籍からの独学は非常に難しく、適切な指導のもとに組織された互助的なグループの存在がワークの成功の鍵となります。<br><br> このオンラインセミナーでは、1年間にわたる月1回の講義による知識の伝達と日常生活の中で行うエキササイズの提示に加え、隔週で開催されるミーティングで知識の再確認、経験の共有を行い、「第四の道」の概念の基盤を理解し実践しいただけることを目指しています。グルジェフ・ワーク、あるいは「第四の道」は、一般に非常に難解であるとされ、実践に移行する以前に理論の部分で諦めてしまう方が非常に多いのですが、本セミナーでは、予備知識がなくても理解できるプレゼンテーションの形で知識体系を無理のないペースでお伝えし、ミーティングによるフォローアップでワークを生活に定着させることを目指しています。<br><br> 自分自身に関して何かを変えたいと漠然と感じているけれど何をどうやって変えれば良いのかわからないという方、あるいは、これまで一般的に言われている方法で努力を積んできたにも関わらず成果を得られない方にとって、「第四の道」のシステムは現状を変えるきっかけとなると期待しています。<br><br><br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br><br><i style="font-style:italic;"><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">セミナー講師プロフィール</b></span></i><br>古佐古基史(Motoshi Kosako):ハーピスト、作曲家、即興演奏家、公衆衛生研究家<br><br> 愛媛県松山市出身。東京大学医学部保健学科卒業後、1年間の東大付属病院精神神経科に看護士として勤務を経て、1997年に渡米し、それ以来カリフォルニア州在住。近郊の都市から50キロ以上離れた山間部にある15エーカーのファームで、インフラ整備から食料生産まで、自給自足を目指した生活スタイルを実践しながら、音楽制作に取り組んでいる。<br>3歳からピアノを学び、中高生時代はロックギター、大学入学後はジャズギターでプロのジャズバンドにも参加し、スイングジャーナル誌で「最も注目すべき若手ジャズギターリスト」として評価される。<br><br> 1997年に渡米後、独学でハープに転向し、 2002年クラシックハープのCDをリリース。2006年から2010年までストックトンシンフォニー(カリフォルア) 主席ハーピストを務める。<br><br> 2007年からは、即興/オリジナル曲の演奏活動に移行し、国際ジャズ・ポップハープコンクールにおいてペダルハープ部門で入賞(準優勝)。2008年、オリジナル・ジャズアルバム “Naked Wonder”のリリースを皮切りに、作曲家、即興演奏家として世界のトッププレイヤーとの共演活動を始め、2012年までに17枚のアルバムをリリース。米国ハープ専門雑誌”Harp Column”にも特集記事が取り上げられ、国際的なハープ関連のフェスティバルやカンファレンスの常連として演奏とワークショップを提供。また故郷の愛媛では、文化活動への貢献が評価を受け、2017年にテレビ愛媛賞を受賞。<br><br> 2009年より職域・地域を対象にした予防・健康増進の統合医療的プログラムを研究するトータルヘルス研究会に参加し、医学雑誌への論文投稿、学会での発表にも取り組む。<br><br> 1994年に「第四の道」の組織的ワークに参加して以来現在に至るまで、内的な能力開発に取り組むとともに全ての外的活動においても第四の道のシステムを実践している。システムの方法論の有効性を実証するために独学でハープを学び、7年目にプロのオーケストラの主席ハープ奏者となり、8年目には国際コンクールで入賞するという実績をあげた。現代科学の知見や各種の哲学や宗教の視点も取り入れながら、第四の道のシステムの研究を続けている。<br><br>2023年プログラム概要<br>無料セミナー(約3時間のオンライン講義/質疑応答)<br>Part 1:第四の道とワークの概要<br>日程<br>●1月7日(土)10:00am〜 <U.S. 1月6日(金)5:00pm〜><br>●1月14日(土)10:00am〜 <U.S. 1月14日(金)5:00pm〜><br>●1月21日(土)10:00am〜 <U.S. 1月21日(金)5:00pm〜><br>●1月28日(土)10:00am〜 <U.S. 1月28日(金)5:00pm〜><br><br>有料セミナー1:「自己変革のための心理学コース」<br> 全6回の月1回のオンライン講義(2−3時間)と月1回のフォローアップ・ミーティングでの質疑応答と意見交換。オンライン・ライブ参加権、アーカイブ閲覧権、ラインでのグループチャット。<br>2月 Part 2:第四の道の心理学<br>3月 Part 3:自己開発と意識の進化<br>4月 Part 4:知識・存在・理解 自己想起<br>5月 Part 5:意識の進化を妨げる障害<br>6月 Part 6:センター<br>7月 Part 7:ボディータイプ<br><br>有料セミナー2:「宇宙論・物質論コース」<br>「自己変革のための心理学コース」修了者対象。<br> 全5回の月1回のオンライン講義(2−3時間)と月1回のフォローアップ・ミーティングでの質疑応答と意見交換。オンライン・ライブ参加権、アーカイブ閲覧権。<br>8月 Part 8:宇宙論概要<br>9月 Part 9:三の法則、七の法則<br>10月 Part 10:物質論<br>11月 Part 11:食物論、エニアグラム<br>12月 Part 12:スクール</div><div style="caret-color: rgb(0, 0, 0); color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; font-size: 14px; font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: normal; letter-spacing: normal; orphans: auto; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: auto; word-spacing: 0px; -webkit-text-size-adjust: auto; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration: none;"> </div>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/7094370
2022-11-02T22:50:09-07:00
2022-11-02T23:45:09-07:00
楽譜ダウンロードのサイト開設!
<div dir="auto"><div class="x1iorvi4 x1pi30zi x1l90r2v x1swvt13" data-ad-comet-preview="message" data-ad-preview="message" id="jsc_c_18p"><div class="x78zum5 xdt5ytf xz62fqu x16ldp7u"><div class="xu06os2 x1ok221b"><div class="xdj266r x11i5rnm xat24cr x1mh8g0r x1vvkbs x126k92a">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="x193iq5w xeuugli x13faqbe x1vvkbs xlh3980 xvmahel x1n0sxbx x1lliihq x1s928wv xhkezso x1gmr53x x1cpjm7i x1fgarty x1943h6x xudqn12 x3x7a5m x6prxxf xvq8zen xo1l8bm xzsf02u x1yc453h" dir="auto">オリジナル曲の楽譜ダウンロードができるウェブサイトを開設しました。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;">英語サイトですが、ご興味がありましたらどうぞ。</div>
<div dir="auto" style="text-align: start;">
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<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/product/847072" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Alcyon (solo harp) - harpmusician.com</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Original Music by Motoshi Koako. You are permitted to perform this piece for live concerts with 200 or less audiences attended. Please contact Motoshi at if you want to play this …</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/af29853d80d9182fae981405367b975553fa1c0f/original/alcyon.png/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div>
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<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/product/847073" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Bailaora (solo harp) - harpmusician.com</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Original Music by Motoshi Koako. You are permitted to perform this piece for live concerts with 200 or less audiences attended. Please contact Motoshi at if you want to play this …</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/00f233f3b9cabe4603501cbd07cdd964b2ffe902/original/bailaora.png/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div>
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<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/product/847085" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Distant Land (solo harp) - harpmusician.com</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Original Music by Motoshi Koako. You are permitted to perform this piece for live concerts with 200 or less audiences attended. Please contact Motoshi at if you want to play this …</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/d73fa8728427bf8304034d587c0f295da9efd391/original/distant-land.png/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div>
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<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/product/847083" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Foxing Hour (solo harp / chart) - harpmusician.com</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Original Music by Motoshi Koako. You are permitted to perform this piece for live concerts with 200 or less audiences attended. Please contact Motoshi at if you want to play this …</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/80ca436d24ab3779b1f8185929cab76f0a9e59ac/original/foxing-hour.png/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div>
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<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/product/847075" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">One or Eight (chart) - harpmusician.com</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Original Music by Motoshi Koako. You are permitted to perform this piece for live concerts with 200 or less audiences attended. Please contact Motoshi at if you want to play this …</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/0ff709c0240164fa2f4ccab5a2e565764197f22e/original/one-or-eight.png/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div>
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<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/product/847079" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Studio 92 (solo harp) - harpmusician.com</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Original Music by Motoshi Koako. You are permitted to perform this piece for live concerts with 200 or less audiences attended. Please contact Motoshi at if you want to play this …</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/82d822191c23c6893c3216704558e293436c8f47/original/studio-92.png/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div>
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harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/7087995
2022-10-24T21:12:40-07:00
2022-10-24T22:00:18-07:00
ソロハープによる即興演奏アルバム3連作 "Journey Within" デジタルリリース!
<p>ソロハープによる完全即興演奏を収録したアルバムを3連作をデジタルリリースいたしました!</p><p> </p><p> </p><p>Journey Within “Exploration”<br>Motoshi Kosako : Harp<br><br>1. Improvisation, March 29, 2022 (41:52)<br>2. Improvisation, April 20, 2022 -2 (24:39)<br><br>Instrument : CAMAC Atlantide Prestige tuned in A=432Hz<br>All the pieces are improvised in the moment of recording by Motoshi Kosako<br>Recorded, mixed, mastered by Motoshi Kosako<br>Produced in October 2022<br>All right reserved</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20221025/12/musiclife-in-nature/df/4a/j/o3075157915193328644.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20221025/12/musiclife-in-nature/df/4a/j/o3075157915193328644.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="318" width="620" /></a></p><p><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;"><a href="https://harpmusician.com/album/2320507/journey-within-i-exploration" rel="noopener noreferrer" target="_blank">サンプル視聴&ダウンロード</a></b></span></p><p> </p><p>Journey Within “Walk About”<br>Motoshi Kosako : Harp<br><br>1 Improvisation, April 20, 2022 -4 (15:35)<br>2. Improvisation, March 29, 2022-2 (3:04)<br>3. Improvisation, April 20, 2022 -3 (8:54)<br>4. Improvisation, March 29, 2022 -1 (2:48)<br>5. Improvisation, February 10, 2022 (8:54)<br>6. Improvisation, April 27, 2022 (11:05)<br>7. Improvisation, June 15, 2022 (7:11)<br><br>Instrument : CAMAC Atlantide Prestige tuned in A=432Hz<br>All the pieces are improvised in the moment of recording by Motoshi Kosako<br>Recorded, mixed, mastered by Motoshi Kosako<br>Produced in October 2022<br>All right reserved<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20221025/12/musiclife-in-nature/ff/a5/j/o3075157915193328597.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20221025/12/musiclife-in-nature/ff/a5/j/o3075157915193328597.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="318" width="620" /></a><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;"><a href="https://harpmusician.com/album/2320544/journey-within-ii-walk-about" rel="noopener noreferrer" target="_blank">サンプル視聴&ダウンロード</a></b></span><br><br>Journey Within “Quest”<br>Motoshi Kosako : Harp<br><br>1. Improvisation, September 24, 2022 -1 (7:52)<br>2. Improvisation, August 25, 2022 Lydian (4:52)<br>3. Improvisation, April 20, 2022 -5 (4:38)<br>4. Improvisation, August 25, 2022 Dorian (4:37)<br>5. Improvisation, March 30, 2022 -2 (3:10)<br>6. Improvisation, August 25, Phrygian (6:06)<br>7. Improvisation, March 30, 2022 -3 (2:54)<br>8. Improvisation, August 25, 2022 Mixolydian (6:21)<br>9. Improvisation, September 24, 2022 -2 (12:52)<br> <br>Instrument : CAMAC Atlantide Prestige tuned in A=432Hz<br>All the pieces are improvised in the moment of recording by Motoshi Kosako<br>Recorded, mixed, mastered by Motoshi Kosako<br>Produced in October 2022<br>All right reserved<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20221025/12/musiclife-in-nature/ce/b2/j/o3075157915193328695.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20221025/12/musiclife-in-nature/ce/b2/j/o3075157915193328695.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="318" width="620" /></a><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;"><a href="https://harpmusician.com/album/2320560/journey-within-iii-quest" rel="noopener noreferrer" target="_blank">サンプル視聴&ダウンロード</a></b></span></p><p> </p><p> </p><p><ライナーノーツ></p><p> </p><p>キース・ジャレットのソロピアノのによる即興アルバム「ケルン・コンサート」を初めて聴いたのは、今からおよそ30年前。その時の衝撃は今でも忘れられません。<br><br>「これほど美しく完成度の高い音楽を、即興で演奏できるのか!いったいどうやったらこんなことができるんだ?」<br><br>当時、有望な若手ジャズギターリストとしてプロのバンドでも活動をしていましたから、即興演奏は馴染み深いものでした。しかし、ジャズの即興は、既に作曲されている楽曲の枠組みの中で行われる即興です。それに対し、キース・ジャレット氏によるケルン・コンサートでの即興は、それとはまったく別次元のものでした。彼は新しい音楽をその場で作曲して演奏していたのです。<br><br>この衝撃的な経験により、ジャレット氏のような即興演奏家になりたいという思いに取り憑かれてしまいました。何はともあれ、まずはジャズという狭い世界に限定されている自分の音楽レパートリーを広げることが必要であると考え、8弦のクラシックギターを購入し、クラシック、バロック、ルネサンス、中世の音楽など、様々な音楽スタイルの演奏を試みると同時に、ルネサンスの対位法、バロックの通奏低音、現代の和声理論、ジャズ理論など思いつく限りの音楽理論も勉強してみました。これらの努力によって、ジャレット氏のような卓越した即興演奏家に要求される知識と技術が身につくことを期待していましたが、結果は全く期待外れでした。確かに、これらの努力によって音楽家としての技量は向上しました。それでも、自分には即興演奏家として何か決定的な要素が欠けていることには、疑う余地がありませんでした。<br><br>このような試行錯誤の中、ジャレット氏の伝記とインタビュー記事から、彼がG.I.グルジェフという秘教主義の思想家の影響を強く受けていることを知り、興味本位でグルジェフに関する本を購入して読んでみたところ、思いがけず自分に欠けている<何か>に関するかなり明確な認識を得ることができました。問題は、知識や技術にではなく、<存在>のレベル、つまり自分自身の在り方にあること。そして、音楽家としての目標を達成するためには、自分の<存在>を変えるための内的努力をしなくてはならないということを理解したのです。<br><br>当時は、音楽の道での目標を達成するためには何でもやってみる覚悟を持っていましたから、グルジェフの秘教的な道に本気で取り組んでみることを決意し、グルジェフ・ワーク、あるいは「第四の道」と呼ばれる内的な自己修練を実践しているグループに参加しました。それから数年後には、さらに本格的に「第四の道」のワークを続けるために、東京での快適な生活とジャズギターリストとしての活動、東大卒という肩書きのおかげでお声がけいただいていた看護大学教員という非常に魅力的な仕事のチャンスも全て諦め、カリフォルニアに移り住むことを決意しました。即興演奏を極める音楽探究の旅は、予期せずしてスピリチュアルな道へと導かれて行ったのです。<br><br>これらの一連の内的、外的な変化の中で、実際のところ音楽が自分にとってどれほど重要なものなのだろうと疑問を抱くようになりました。音楽を心より愛していることには確信がありました。しかし、音楽家であることに関しては、何かしっくりとこない違和感を感じていたのです。もしかしたら、自分はもうギターを弾きたくないのではないだろうか…?<br><br>実のところ、それまで音楽家であることとギターリストであることを分けて考えたことはありませんでした。これら二つのことは、常に同義だったのです。しかし、音楽に関する苦しみや悩みの大部分が、それまで自分がギターに投資してきた時間と努力への執着に起因すると気づいたことは、大きな転機となりました。ギターリストとしての成功体験に伴い形成された虚栄心やプライド、ギターリスト特有のメンタリティーによって作られた音楽的な視野による束縛など、多くのネガティブな要素をギターと共に抱え込んでいたことをはっきりと認識したのです。<br><br>「自分は音楽家でありたいけれども、このままギターリストであり続けることはできない。」それが答えでした。しかしこのことは、それまでの音楽との不健全な関係性を精算するために、ギターをやめることを意味します。しかし、ギターをやめて、一体何をすればいいのか?そんな時に新しい楽器の候補として登場したのがハープです。<br><br>このとき、既に28歳。しかも、ハープレッスンを受けるだけの経済的余裕もありませんでした。しかし、ジャレット氏のような即興演奏家になりたいという願望は色褪せておらず、ほとんど無謀なチャレンジと自覚しつつも、新たに手にとった未知の楽器ハープとともに、その目標に向かって歩み出すことを決意しました。<br><br>ハーピストとしての最初の7年間は、まず一人前のクラシック・ハーピストになることに集中し、それまでの全ての音楽の知識とグルジェフ・ワークを通じて体得した知恵を頼りに、独学しました。その際、ハープ転向の覚悟の証として、2度とギターに触れないと心に決め、さらに、クラシック音楽の習得に集中するために、その時期はクラシック以外の音楽を演奏しないばかりでなく、それらを聴くことすら自粛していました。練習時間は、週に40時間から60時間。このような常軌を逸した努力の末、6年後にストックトン・シンフォニーというプロのオーケストラの主席ハーピストのオーディションに合格し、フルタイムのプロのクラシック・ハープ奏者として、当時の婚約者と彼女の三人の子供たちを養うに十分な収入を得ることができるようになりました。こうなってしまうと、人生悪くない。いや、それどころか、即興演奏の道を極めるという目標をうっかり忘れてしまうほどに、クラシック演奏家としての成果に満足していました。<br><br>しかし、間もなくクラシック・ハーピストとしての仕事が日々の退屈なルーティーンと感じられるようなり、またしても音楽家として行き詰まってしまいました。こんなことをやっている場合ではない。自分がハーピストになったそもそもの理由は、即興演奏を極めるためじゃないか!<br><br>ということで、再び劇的なキャリア変更を余儀なくされ、クラシックハーピストからジャズハーピストへと転向することになります。この時は、過去のジャズギターリストとしての経験をクラシックハーピストとしての技術と融合させることで、比較的短期間のうちに国際コンクールのジャズハープ部門で準優勝という成果を得ることができました。この直後、それまで活動していた室内楽団、オーケストラ、コーラスグループなどにクラシックの仕事から引退する旨を正式に伝えました。またこれを機に、婚約者だったテラを正式に妻として迎え入れ、三人の子供たちの父親になりました。<br><br>ジャズハーピストとしての船出は、いきなりリーマンショックという歴史的な経済危機に見舞われるという前途多難なもので、まさにこれまでの人生の中で最も苦しい時期を経験することになります。自分の決断が間違っていたのではないかという疑念にさいなまれ、うつ状態となり、ハープに対する興味すら失いかけたほどでした。しかしこの厳しい状況が、人生の目的を沈思黙考するために必要な孤独な時間をたっぷりと与えてくれました。その結果、新しい家族の存在も励みとなり、うつ状態から立ち直り、己の才能を信じてジャズハーピストとしての道を全うする覚悟を新たなものとすることができたのです。<br><br>その後の数年間は非常にエキサイティンなものとなりました。まず、オリジナル曲を次々と作曲し、世界トップクラスのリード奏者であるポール・マキャンドレス氏をはじめとする一流のジャズミュージシャンをプロジェクトに引き込み、演奏活動を拡大することに成功しました。ポールは、学生時代から大ファンだった憧れの音楽家です。そんな彼が活動を共にする同僚として実力を認めてくれただけでなく、CD制作にも喜んで参加してくれたことは、まさに信じがたいほどの素晴らしい出来事でした。<br><br>このように、ジャズハーピストとしての活動は順調に拡大し、ハープ業界でも注目されるようになり、アメリカン・ハープ・ソサエティ、ワールド・ハープ・コングレス、リオでジャネイロ・ハープフェスティバルなど数々の国際的な舞台でも演奏を依頼され、ジャズハーピストとしての地位は確かなものになっていきました。しかし、完全に自由な即興演奏を公の場で自信を持って演奏できるようになるには、ジャズハープに転向してからさらに10年ほどの月日が必要でした。2016年頃からコンサートで即興演奏を披露するようになりますが、完全即興はコンサートの一部にすぎず、全てを即興で行うというところまでは手が届いていませんでした。<br><br>2019年には、世界トップクラスのベーシスト、マイケル・マンリング氏とパーカッション奏者、クリス・ガルシア氏を起用して新たなバンド、KoMaGa Trioを結成し、これからいよいよ本格始動というところで、Covid-19のパンデミック。それからの2年間は、全てのパフォーマンスの機会が失われてしまいました。しかしこの活動休止のおかげで、じっくりとソロの即興演奏に磨きをかける時間を得ることができました。<br><br>即興を深く追求する過程で、ハープの音色に対する違和感をこれまでになく強く感じ始めるようにもなりました。この違和感は、作曲やテクニックの未熟さから来るものではなく、何か別のことに起因するものでした。考えつく限りの様々な要因を探っても答えは見つからず、最後に残った選択肢はチューニングを変えるということでした。正直なところ、スタンダードなA=440Hz以外のチューニングを採用することには、抵抗感を持っていました。変則チューニングをすると、A=440Hzでチューニングされるマリンバなどの打楽器やピアノなどの鍵盤楽器、ほとんどの管楽器や弦楽器との合奏が不可能になるからです。しかし、このコロナのロックダウンでは、どのみち誰とも演奏できない状況ですから、そんなことを気にする必要はないと割り切って、チューニングをA=440Hz から A=432Hzに変更してみました。なんと、これが大正解だったのです。ハープの音が、これまでにないほど心と体に染み渡る感覚。これこそが求めていたものだったのです!<br><br>2022年2月、ついに完全な即興演奏のアルバム制作に向けて収録を始めました。即興演奏は、何気なく行えるものではありません。このアルバムでは最長40分以上にも及ぶ即興演奏が含まれています。そのような大規模な即興演奏においては、瞬間瞬間に今の自分にとってベストなものを創出し続けられるように、自分自身の在り方を注意深く準備する必要があります。その上で、演奏の瞬間に起こることは、それが良いものであれ悪いものであれ、全てを自己責任として受け入れなくてはなりません。このプロセスは、楽しい小旅行というよりは、多大の努力と危険を伴う長旅のようなものです。しかし、その苦労ゆえにより深遠な真理に迫る経験にもつながるのです。このようにして、30年の月日を経てようやく自分の「ケルン・コンサート」を制作する準備ができました。<br><br>この “Journey Within” 『内なる旅路』と題された3枚のアルバムシリーズは、2022年の内なる音楽の旅行記です。<br><br>“Exploration” では、長い即興演奏を2曲お聴きいただけます。これらの曲は、音楽によって内なるスピリチュアルな旅をするという意図を持って演奏いたしました。<br><br>“Walk About”は、特別な意図を持たずに即興演奏された曲を集めたものです。アボリジニーの伝統で、若い男子が大人になる過程で集落を離れてあてもなく旅をする“Walk About”のように、自分自身の精神世界を散策した結果生まれた音楽をお聴きいただけます。<br><br>“Quest”は、内省的な心理的状態を生み出し、より深い自己知に至ることを促すような内的環境を作り出す意図で演奏された即興で構成されています。<br><br>これらの音楽は、必ずしも聴き手の皆さんを気持ちよくさせたり楽しませるものではない可能性があるということをお断りしておく必要があります。むしろ、居心地の悪さや不安感を伴うある種の強烈な心理状態を経験されるかもしれません。これは、そもそもこれらの音楽を録音するにあたって、エンターテイメントという目的を持っていなかったからに他なりません。この内なる音楽の旅においては、自分自身への様々な挑戦が強いられ、喜びと苦悩が共に経験されました。それゆえに、一層実り多き旅となったと感じております。<br><br>このアルバムを通じて、2022年の心の旅にお付き合いいただければ幸いです。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6969651
2022-05-12T09:19:38-07:00
2022-05-12T11:00:12-07:00
<YouTube>本気ナチュラリストーク「アーチェリー 」
<p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/lqoKk1CjDdM" width="488"></iframe></p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6968879
2022-05-11T09:19:02-07:00
2022-05-11T12:45:04-07:00
<YouTube>本気ナチュラリストーク「本気すぎる車の修理」
<p> </p><div class="ogpCard_root"> </div><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/vO6La1_0aO8" width="488"></iframe></p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6950461
2022-04-17T14:13:51-07:00
2022-04-17T15:15:02-07:00
(連載)(10)田舎暮らしのための意識改革:雅(みやび)から雛(ひなび)風流へ
<p>雅(みやび)から雛(ひなび)風流へ<br><br> 田舎では、音楽演奏会や演劇、ダンス、絵画や写真の展覧会、講演会、洗練された飲食店での外食などの文化的なアクティビティに触れる機会は、都会に比べると非常に少なくなります。おそらく、自然に近い田舎での生活に概ね満足していても、文化活動が少ないということに関しては不足を感じる方も多いと思います。<br><br> 都会では日常的に接することのできるような文化的な経験を、田舎での生活で期待することは難しいのですが、田舎には田舎ならではの風流があります。ただ、それは、それを見出そうとする少しばかりの努力と、それを生活の中に取り入れる少しばかりの工夫が必要です。古来、日本人は、雅(みやび)と鄙び(ひなび)の両方にそれぞれの美を見出す心を持っています。田舎では、雅を期待することは難しくても、鄙びの風流を楽しむ機会は多くあります。<br><br> 例えば、ここでは美しい劇場で素晴らしい歌手とオーケストラによるオペラを観劇する機会はありませんが、馬の水桶を改造した風呂桶にお湯を張って、満点の星空を見上げながら露天の風呂に浸かり、ビールを片手に虫の鳴き声に耳を傾けることはできます。高級な花屋さんで生けてもらった見事なフラワーアレンジメントは手に入りませんが、季節に応じて咲く野花を摘んで、いつもフレッシュな切り花を楽しむことができます。世界的に有名な弦楽四重奏団の生演奏を聴く機会はないかもしれませんが、いろんな鳥の鳴き声、林を吹き抜ける風の音、恋を語りあうカエルの合唱、畑にこだまする虫の音、静けさに染み入るような雨音、遠くに響く狐やコヨーテの遠吠え、それに何よりも真の静けさを経験することができます。これら自然が与えてくれる芸術を楽しむ心があれば、あとはそれを楽しむ場面を自分で作ってやれば良いのです。<br><br> 大芸術家のレオナルド・ダ・ビンチは、自然にこそ芸術の根元を見出していました。彼曰く、<br>「理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。」<br><br>「誰も他人のやり方を真似すべきではない。<br>なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。<br>我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。」<br><br> ただぼんやりと月を眺めるのは退屈だというのであれば、うまい肴で一杯やりながら月を眺めれば良いし、朝早くから表に出て美しい朝日を見るのは億劫ということであれば、美味しいコーヒーを飲むついでに朝日を眺め、今日何をしようかなあとぼんやりと考えればいい。こういうちょっとした工夫で、無限に与えられている自然の美に触れる機会を増やし、日々の生活の中で鄙びな風流を楽しむことができるのです。<br><br> 田舎での生活では、ともすると荷重な肉体労働と、現金収入の不足から大きなストレスを感じてしまいがちです。そのストレスで疲弊して、田舎での生活の負の部分にばかり目を向けて、都会での生活を懐かしむようなことになってしまうと、田舎暮らしを続けることは難しくなります。都会で手に入っていた経験は、どれだけ望んでも田舎では手に入りません。しかし、ダヴィンチが言うように、「自然の無限の作品」はたっぷりあるのです。その作品に気がつける心にゆとりがあれば、都会では手に入らない素晴らしい経験が待っています。何気ない自然の美しさ、日々の生活の小さな幸せを、当たり前のものとして見過ごすのではなく、それを味わうことで、慎しい生活の中でも物質的豊かさに影響をされない真の心の豊かさを見出すことができるようになるでしょう。そして、このような風流の心を身につけたなら、好きな時に一流演奏家の音楽会と贅沢なレストランでの食事を楽しめる都会での生活に負けないほどに、文化的な日々を送ることができます。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6937034
2022-03-31T08:19:43-07:00
2022-03-31T10:30:22-07:00
クラシックの演奏の音源をリリースしました!
<p><br>2003年と2004年にリリースしたクラシックのアルバム。ハープを1999年から独学で始めて、4−5年経ったころの録音です。その後、クラシックの才能はないと自らに見切りをつけてやめてしまった分野なので、これまでお蔵入りしていた音源ですが、今聴いてみると、そんなに悪くないと思えるようになったので、再びダウンロードでリリースすることにしました。</p><p>ウェブサイトで、全曲サンプルが聴けます。つまり、買わなくても全曲聴くことはできます。気に入ったら買っていただきたいのは山々ですが…。</p><p>クラシック、バロック、印象派、ロマン派、日本の箏曲など幅広いセレクションで、リリース当時もクラシック音楽好きな方にはかなり気に入っていただけたアルバムです。</p><div class="ogpCard_root"> </div><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/album/2174879/celestial-harp-i" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Celestial Harp - I</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">The beautiful collections of all time popular classical works for piano and harp from Bach to Debussy. </span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/12b3eac21e3e1d2f79833366f6857dbdbec8c8ff/original/scan0001.jpg/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://harpmusician.com/album/2175012/celestial-harp-ii" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Celestial harp II</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">Beautiful classical music selections from Baroque, classical, romantic, impressionistic and Japanese traditional works.</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">harpmusician.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://d10j3mvrs1suex.cloudfront.net/u/396318/e5d33bf19a736bd917c09e22e19ed5c1d121f8ec/original/cover-motoshi-nocturne-copy.jpg/!!/meta%3AeyJzcmNCdWNrZXQiOiJiemdsZmlsZXMifQ%3D%3D.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6930534
2022-03-23T19:25:56-07:00
2022-03-23T21:45:17-07:00
PostPrimeってご存知ですか?
<p>ポストプライムというSNSでの投稿を始めました。Facebookっぽい感じですが、投資関係の仕事をされてる方が多いSNSで、音声、画像、ビデオ、文字とどんなフォーマットでも投稿できるし、無料記事、有料記事の両方を掲載できるので、汎用性は広いようです。</p><p> </p><p>どんな感じで発展するかはわかりませんが、しばらく続けてみたいと思います。</p><p> </p><p><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220324/11/musiclife-in-nature/dd/72/p/o2820133415092225440.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220324/11/musiclife-in-nature/dd/72/p/o2820133415092225440.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="199" width="420" /></a></p><p> </p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">古佐古のポストプライムページのリンクは以下に⬇️</span></span></p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://www.postprime.com/gG228KmtJUR03" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">古佐古基史 (@gG228KmtJUR03) | PostPrime | 投稿で副業しよう!</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">コサコモトシ:カリフォルニア州在住。東京大学医学部保健学科卒業の看護師・保健師の資格を持つプロのハーピスト。渡米後独学でハープを学び、 ジャズハープの先駆者として国際的に活動。自宅で自給自足ファームを営みながら統合医療的研究者としても活動。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">www.postprime.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://assets.postprime.com/images/0d62f8e5-6cc7-4dc6-a9fa-829af99207c7.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6928538
2022-03-21T16:26:28-07:00
2022-03-21T20:15:12-07:00
苗字を古佐小から『古佐古』に改名します!
<p>今日から <span style="font-size:1.4em;">古佐小基史</span>改め、<br><span style="font-size:1.96em;"><span style="font-weight:bold;">古佐古 基史 </span></span><span style="font-size:1em;">です。</span><br> </p><p><span style="font-size:1em;">約半数の方に『小佐古』と覚えられてしまっていて、何年もメールのやりとりをしていても、いつも小佐古宛にメールをくださる方が結構いらっしゃいます。名前を覚えてもらわなくてはならないパフォーマンスの活動をしている立場か</span>らすると、約半数の方に間違って覚えられてしまう名前はあまりにも不便。それに加えて、古佐小よりも古佐古の方がはるかに良い名前であるという姓名鑑定の結果をいただきましたので、この春分の日から、</p><p> </p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:2.74em;"><span style="font-weight:bold;">古佐古 基史</span></span><span style="font-size:1.96em;"><span style="font-weight:bold;"> </span></span></p><p>として公の活動をすることにいたしました。</p><p>どちらも<span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.96em;">古</span></span>なので迷わないで覚えてくださいね!変換は相変わらず面倒くさいですが…。</p><p> </p><p>よろしくお願いいたします。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220322/08/musiclife-in-nature/76/5b/j/o3949272615091247293.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220322/08/musiclife-in-nature/76/5b/j/o3949272615091247293.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="428" width="620" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6926970
2022-03-19T13:18:42-07:00
2022-03-19T14:00:31-07:00
オーガニック・ミュージック講座のご案内(3月開講〜10月閉講)
<p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220320/05/musiclife-in-nature/f3/31/j/o1200171415090186922.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220320/05/musiclife-in-nature/f3/31/j/o1200171415090186922.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="886" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220320/05/musiclife-in-nature/93/7d/j/o1200174915090186995.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220320/05/musiclife-in-nature/93/7d/j/o1200174915090186995.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="904" width="620" /></a></p><p> </p><p> </p><p>オーガニック・フードのオルターとの協賛で、オンラインによる月一回90分、全8回の講座シリーズを来週末から開講いたします。参加された皆さんには、各セミナーのたびに、観賞用のオリジナルハープ演奏のハイクオリティ音源を2曲分を配布いたします。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「オーガニック・ミュージック</span>」</span>という切り口で、人本来の音楽のあり方を追求いたします。音楽という現象を<span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;">医学、心理学、物理学、神秘思想</span></span>など様々な角度から眺め、音楽創造のプロセス、音楽が人に及ぼす影響力、音楽からエネルギーを受け取るための方法論などについて、ハープの実演を交えながら解説をいたします。</p><p> </p><p> 音楽を聴くのが好きな方、音楽についてもっと知りたい方、演奏家として音楽への哲学的、科学的理解を深めたいと思っている方、音楽によって生活を豊かにしたいと思っている方におすすめの講座です。音楽だけでなく、その他の五感を伴うすべての日常の経験に応用することができる普遍的な知恵を学べるセミナーになっておりますので、音楽とは縁の薄い皆さんにもお楽しみいただけると思います。</p><p> </p><p><span style="font-size:1.4em;">第一回 3/26 Do. 音を聴こう!<br>第二回 4/30 Re. 音楽とは?Part 1: 音から音楽への進化<br>第三回 5/28 Mi. 音楽とは?Part 2: 四次元にそびえる建築物としての音楽<br>第四回 6/18 Fa. 美とともにある生活 <br>第五回 7/30 Sol. 心の食べ物としての音楽<br>第六回 8/27 La. 七音階に隠された宇宙の神秘<br>第七回 9/24 Si. 音楽療法</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">
第八回 10/22 Do. これまでの講座を振り返って:質疑応答、意見交換</span></p><p> </p><p>講座の時間:90分(適宜休憩あり)<br>講座の内容:各回ごとのテーマに応じたプレゼンテーションと音楽演奏。<br>配布物:プロのスタジオで制作されたオリジナルハープ演奏の音源ファイル(毎回2曲ずつ)<br>参加費:全8回参加(44,000円)、1回参加(6,600円)<br>お問い合わせ/お申し込み: <br>06-7878-6600 / <span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#0000ff;">grainismfood@gmail.com </span></span>(山本朝子事務所)<br>(詳細は添付のチラシをご覧ください)</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第一回:Do. 音楽を聴こう!</span><br> ラジオ、テレビ、インターネットなどのメディア、街角のスピーカーや店舗でのBGMなど、日常的に何気なく音楽を耳にする機会はたくさんあります。しかし、静かにじっくりと音楽を聴く機会となると、さほど多くありません。よほどの音楽愛好家でない限り、長時間集中して音楽を聴くことには、居心地の悪さと退屈感を感じてしまいます。そのため、スマホをのぞいたり家事や事務作業をしながら、あるいは音楽と関わりのない空想や物思いをしながら聴いてしまうことが多くなります。しかしそのような聴き方をしていたら、音楽によってもたらされるエネルギーを十分に消化吸収することはできません。<br> 食事においては、まずは目で楽しみ、よく噛み、食材の持つ味や香り、食感という印象を感受し、体へもたらされる様々な影響を意識することで、食の経験を十分に味わい尽くし、かつ食事によってもたらされる有形無形のエネルギーを消化し心身の糧とすることができます。音においても、音色や音階、和音、音量など音の持つ様々な特性を感受し、それを聴いている自分自身が受けている影響に気づきを持つことで、音楽の経験を十分に味わい尽くし、かつ音楽によってもたらされる有形無形のエネルギーを余すことなく享受することができます。<br> オーガニック・ミュージック講座の第一回は、音楽経験の第一歩となる「音を聴く」という当たり前の行為を掘り下げ、日常での音印象との関わりを洗練させる提案をさせていただきます。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第二回:Re. 音楽とは?Part 1 「音から音楽への進化」</span><br> 目覚めている限り、常に何らかの音が聞こえています。音とは認識されない人間の可聴域の外の音も、振動として体に届いています。睡眠中ですら、音は確実に心身に影響を与え続けています。つまり、生きている限りは、常に何らかの波動を受け、そして、様々な行為、発言、身体の活動により、自らも波動を発し続けているのです。<br> 現代物理学では、音も光も原子を構成している量子も、すべて波であると言われています。つまり、世界は大小様々な波の組み合わせでできているのです。そのような世界観から見れば、音という波が心身のあり方に与える影響は、一般に考えられているよりもはるかに大きい可能性があります。<br> 人類は、自然界にすでに存在する様々な音の波を人為的に加工し、楽器による心地よい音、音階という規則的な周波数の変化を持つ音のグループ、それらを巧みに組み合わせた和音を生み出し、それに周期的な規則性を持つビートの反復である拍子を加え、音楽を進化させていきました。<br> オーガニック・ミュージック講座の第二回では、人類が自然音からどのように洗練された音楽を発展させたかという視点から、音楽の誕生の瞬間とその進化のプロセスを段階的にお話しさせていただきます。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第三回:Mi. 音楽とは?Part 2: 「4次元空間への心の旅」</span><br> エジプトのピラミッド、奈良や京都の神社仏閣、パリのノートルダム寺院など、人類の歴史に残る偉大な建造物は、三次元空間にその威風をたたえています。一方で音楽は、三次元空間には存在できません。常に時間の流れの中でのみ存在する、いわば四次元空間の建造物なのです。音楽を構成する音の波動も拍子の周期も音量も、全て時間の流れの上で生じる波であるため、音楽を聴いているときには、四次元空間での心の旅を楽しんでいるのです。<br> オーガニック・ミュージック講座の第三回では、四次元の建築物として音楽を捉え、音色、音量、拍子、メロディー、和音などの建築資材が組み合わされ、楽曲という建造物に仕上げられてゆくプロセスを実演し、音楽の存在する4次元空間への心の旅へと皆様をご案内いたします。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第四回:Fa. 美とともにある生活のために</span><br> 日本には、風流という文化があります。花鳥風月、四季折々の美を楽しみながら生きる姿勢。万葉歌人のように、ぼんやりと日常を過ごしていると見落としてしまいそうな小さな喜びや美しさに気づくことができたら、人生はどれほど豊かなものになるでしょう。日々の小さな美や喜びに気づくことのできる心の余裕を持って生きることができたら、贅沢な旅行や劇場での観劇やコンサートに行くお金がなくとも、十分に風流を楽しみ、魂の喜びを味わう人生を送ることができます。<br> オーガニック・ミュージック講座の第四回では、音に限らず、すべての五感から入ってくる印象に対しての感受性を高め、日々の暮らしを風流に心豊かに過ごすためヒントを、審美の脳科学的メカニズムとレオナルド・ダ・ビンチなどの過去の偉大な芸術家の生き方から探っていきます。 </p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第五回 Sol. 心の食べ物としての音楽</span><br> 「人はパンのみによって生きるにあらず」とは、イエスキリストの言葉。毎日口にする食べ物、飲み物以外に、人が生きていくために摂取すべきものがもう2つあります。それは、空気と印象。空気は呼吸によって体内に出入りするので、食物の一種であると感じられますが、五感を通じて入ってくる光、音、味、臭、触という印象が食物であるという考え方にはなかなか馴染めないかもしれません。しかし、印象は脳神経系に働きかけ、感覚、感情、思考という内的経験と、自己表現という外的表出を生み出します。つまり人間は、外界の印象を食べ、それを消化吸収し、様々な内的及び外的な印象を生み出しているのです。<br> オーガニック・ミュージック講座の第五回では、音楽をはじめとする様々な印象が脳の食べ物の一種であるという観点から、より品質の高い脳への栄養を与えてくれる印象とは何か、という視点から考察をしていきます。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第六回 La. 七音階に隠された神秘</span><br> ドレミファソラシの7音階。この音階は、あまりにも馴染み深いものであるため、誰もその起源、そこに隠されている宇宙の法則の神秘を考えようともしません。しかし、なぜ7でなくてはならなかったのか?なぜ6や8ではないのか?ちなみに、1週間もどういうわけか7日で分けられています。7は俗にもラッキー7とも呼ばれ、人類の歴史の中で特別な数字であることは間違いないようです。<br> オーガニック・ミュージック講座の第六回では、ちょっと不思議で神秘的な話題、7つの音からなる音階に隠された宇宙法則の神秘に迫っていきます。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第七回 Si. 音楽療法</span><br> 音楽と健康との関連においては、音楽療法という言葉が真っ先に浮かんできます。しかし、「療法」という言葉には、病である状態を病のない状態にするというイメージが強く、生活自体をより豊かなものにするというイメージが弱いため、あえてこのテーマをオーガニック・ミュージック講座の最後のテーマとさせていただきました。<br> 経験則的にも科学的にも、音楽が健康によい影響を与える可能性には、疑念を挟む余地はありません。健康に影響を与える音楽の力は、聴き手の音楽への感受性、音印象の消化吸収力、音楽の質、音楽を提供する施術者(演奏家)の意図と技術力など、実に多くの要因が関連するため、万人に適用できる音楽の処方箋なるものは存在しません。<br> オーガニック・ミュージック講座の第六回では、、皆さんが自分にあった音楽療法の処方箋を自ら作れるように、伝統的な知識と科学の両面から音楽の癒しの力について考えてみます。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">第八回 Do. これまでの講座を振り返って:質疑応答、意見交換</span><br> これまでの7回のドからシまでの講座を終え、皆さんは音楽との関わりにおいて1オクターブ上のド、つまり波動が2倍のエネルギーを持つ段階に到達しようとしています。オーガニック・ミュージック講座の第八回では、これまでの講座の内容を振り返りながら、皆さんの質問や疑問にできる限りお答えつつ、この講座がきっかけとなって始まった音楽との新たな関わりなどについて、皆さんの体験談を交換する機会にしたいと思います。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6902791
2022-02-20T14:57:13-08:00
2022-02-20T17:00:17-08:00
432Hzチューニング:YouTubeでシリーズを始めました!
<div>自然界で観察される周波数と同期しやすく、心身への癒しの効果も報告されている432Hzのチューニングを、昨年末から実験的に採用して検証を続けています。個人的な体感として、音の体・心への浸透性が高い、楽器の鳴り方がより深くて心地よい、精神状態に落ち着きと安定をもたらし演奏のテンポもややゆっくり目に設定されるなど、興味深い観察が得られています。</div><div>これから月末に向けて、432Hzのチューニングでの演奏をYouTubeで紹介していきます。</div><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/C75b2Od29Sw" width="608"></iframe></p><p></p><p>(2)</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6888333
2022-02-03T22:24:21-08:00
2022-02-04T01:30:07-08:00
社会生活での協和音、不協和音
<p> 昨年以来、COVID-19の流行とその対策、新型mRNAワクチン、ワクチン義務化、ワクチンパスポート制度、などによる接種の強制と自由の制限など、見解と立場の対立を生み出す社会事象が相次いでいます。そんな中、自ら発する音が今の社会で奏でられている音楽に協和しない状態、つまり不協和音に悩まされ続けております。しかし、それとは反対に、今の状況で経済的にも潤い、社会のあり方も自分の理想の方向に向かって進んでいると感じ、むしろ居心地の良い協和音を楽しんでいる方も大勢いらっしゃると思います。<br><br> このように、協和、不協和という概念は、絶対的なものではなく、相対的なものです。このことに関し、音楽の例を用いて考察をしてみたいと思います。<br><br> 例えば、ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソというAマイナーのスケールから作られたメロディーがあって、そこでAマイナー(ラドミ)という和音が鳴っていて、いい雰囲気の短調の曲が奏でられているとします。このときに、シのフラットという音を出すと、せっかくの雰囲気をぶち壊す不協和が生じます。しかし、この不調和の原因と思われるシのフラット自体が、不協和という要素を持っているわけではありません。AマイナースケールのメロディーとAマイナーのコードで構成されている音楽的文脈に対しては、Bフラットという音が不協和要素になるということです。Bフラットメジャースケール+Bフラットコードという文脈に対しては、Bフラットはこの上なく協和する音になるのです。<br><br> これを社会での人間関係に置き換えて考えてみます。例えば、Cさんという方と人間関係において不協和を感じているとします。その場合、Cさんか自分のどちらかに不協和の要因があるという視点で捉えてしまいがちですが、ほとんどの場合は、その人間関係という文脈において自分とCさんという組み合わせが不協話な関係にあるというだけで、そのどちらかが特に悪いというわけではないのです。<br><br> 今の妻とは協和的な関係にありますが、そこに行き着くまでには、数名のガールフレンドと離婚した前妻との関係において、一緒に奏でていた曲を途中で強制終了しなくてはならないほどの不協和を経験しました。ただし、交際の最初から不協和状態を我慢して合奏していたわけではなく、ある時までは協和状態であったのが状況が変化して不協和になり、最終的に破綻したのです。つまり、一緒に演奏を始めた時点(交際初期)では、その二音は協和関係にあったのに、曲が進むにつれて曲にそぐわない不協和な関係になってしまったわけです。もともと同じ曲を演奏しているつもりでいたけれども、もしかしたら冒頭の部分が似ているだけの全く別な曲を演奏していただけなのかもしれないし、楽譜を読み間違えたのかもしれないし、転調しなければならないタイミングでしかるべきシャープやフラットへの変化を拒んだのかもしれません。不協和が起きたメカニズムがなんであれ、個別の音自体には不協和の責任はなく、組み合わせとそのタイミングが悪かったというだけなのです。<br><br> 長い人生、いろんな文脈で様々な人物、様々な出来事と不協和を感じることはありますが、そこで不協和関係にある相手や出来事を攻撃したり自己嫌悪に陥るのではなく、「今自分が演奏したい音楽の中に身を置いているのか」「自分が本当に出すべき波動の音を出しているのか」「自分の波動が協和して曲全体に貢献できる演奏に加わるには、どこに行けばいいのか」など、広い視点から今経験している不協和を俯瞰してみることで、周囲にとっても自分自身にとっても建設的な道が見えてくるのではないでしょうか。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6882823
2022-01-28T22:34:41-08:00
2022-01-28T23:15:16-08:00
旧約聖書の出エジプト記にある神の名 “I AM”の考察
<p>あけましておめでとうございます。</p><p> </p><p>今年に入ってはじめての投稿は、聖書の文言に関する超長文の哲学的考察です。自らの頭の整理のために書いたものですので、スルー前提で投稿させていただきます。ただ、現象界が混沌としているこの時代に、大きなスケールで宇宙を考えてみることは心の安寧にもつながりますから、その刺激としてお読みいただくことには意味があるかもしれません。<br> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220129/15/musiclife-in-nature/db/e2/j/o1200069415067753344.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220129/15/musiclife-in-nature/db/e2/j/o1200069415067753344.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="359" width="620" /></a></p><p><br>旧約聖書の出エジプト記にある神の名 “I AM”の考察<br><br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>ホレブ山で神に呼びかけられ、「イズラエルの民を連れてエジプトより脱出せよ」という使命を託されたモーゼは、「そんな大役は引き受けられない」と断るが、神は常にモーゼとともにあることを約束し、彼を励ます。そこでモーゼは神に、「イスラエルの民に、誰によって遣わされたかを伝えるために、あなたの名前をお聞かせください」と頼んだ。すると神は、”I AM THAT I AM” とお答えになり、「イスラエルの民には、I AM があなたを彼らのためにお遣わしになったと伝えなさい」と告げた。<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー</p><p> </p><p>“I am that I am” は直訳すると「私は、私であるということである」となるが、これでは全く英語でのニュアンスが表現できない上に、意味不明である。事実、カトリックの幼稚園と中学、高校に通い、聖書も何度か読んだが、つい最近までこの寓話の意味はさっぱり理解できなかった。<br><br> 一般的翻訳では、“I am ◯◯” は、「私は◯◯である」とされ、be 動詞の am は、I と ◯◯をイコールで結ぶ役割を果たすニュアンスで翻訳される。しかし、be 動詞の am は、実際には「存在している」というニュアンスをも表し、しかも日本語の「存在している」という言葉の持つ積極的行為のニュアンスは有しない。つまり、受動的も積極的もなく、ただ、そこに「ある」というニュアンスである。<br><br> したがって、神の名として告げられた「 I AM」のニュアンスは、名がくるべき位置が空白のまま残された I am ◯◯の状態であり、まさに役割も肩書きも名前もない状態で、ただ「私はある」ということになる。これは、スピリチュアル系の教えでしばしば遭遇する「現在に存在する」「今という瞬間を生きる」「人が手にすることのできるものは、この瞬間だけである」「自己を思い起こす」というように表現されるニュアンスとも矛盾しない。<br><br> 自己意識を有する主体を指す I が be 動詞のこの絶妙なニュアンスを伴って “I AM” の形で用いられることで、日本語では「名のない状態の主体がそこにある」という文章になってしまう分量の情報を、わずかアルファベット3文字で表現することに成功している。さらに、オリジナルのヘブライ語では、このAMの部分にある単語は、過去、現在、未来のどの時間系でも用いることのできるものである。つまり、ヘブライ語バージョンでは、“ I was/am/wil be” の意味となり、時空を超えた存在であるというニュアンスをも含んでいる。しかも、名を尋ねられたら普通は名詞で答えるところを、あえて「 I AM」という文章で答えることで、神は自らを一つの名前で言い表せない存在であることを見事に表現した。<br><br> このように、 “I AM” は、神がどのような存在であるかを表現する言葉として、実に秀逸である。しかも、英語を使っている限り、毎日何百回も “I AM” と口にし、また周囲の人からもそれが幾度となく口にされるのを聞くのであるから、その度に神を思い起こし、全てのもの(神とその被造物)と自分が切り離されてはおらず、一つのものとして融合した存在であるということを意識するきっかけを得ることができる。つまり、神との普遍的な繋がりの悟りという覚醒のための目覚まし時計としても、実に素晴らしい働きをするのである。その意味で、神はモーゼに約束したごとく、実際に日常の営みの中で常に人に寄り添い、覚醒を助けてくれているのである。<br><br> この “I am that I am” の絶妙なニュアンスを、英語を母国語とする人はどのように受け取ってスピリチュアルな成長に結びつけるのだろう?そのプロセスを示す一例として、妻のテラの体験談を紹介する。<br><br> 精神的にも肉体的にも疲労が溜まり(原因は古佐小ではありませんよ〜。結婚前の話なので…)、非常に追い詰められた時期にあった彼女は、その状況において導きとなるインスピレーションを求め、運を天に任せ、一番近くにあった本をランダムに開けて最初に目に入った文章を読むことにした。しかし運悪く、そこにあった本はまったく彼女のお気に入りではないメハーババの本であった。そのため、あまり期待もせずに何気なくページを開いてみたのだが、意外なことに “ I am GOD” という言葉が強烈な印象を持って飛び込んできた。彼女はそれを見て、まさに “I am GOD”、 つまり「私はすべて(神と神の被造物)」である」という理解が身体中に響き渡るような感覚に襲われ、周囲にあるもの全てを自己の一部として感じるような感情的状態を数日間経験することになる。「その時の意識状態では、テラという自己が消失して別の『神』という新たな主体が登場する感覚であったか?」という問いに対し、彼女は、「テラという自己意識が、通常の自己の限界を超えて果てしなく拡張して、すべてのものと融合する感じであった」と答えた。 “I am GOD” という言葉がこのような状態に彼女を導いた連想のプロセスは、以下のようなものであった。<br><br> 「メハーババは、彼自身のことを I という自己代名詞で呼ぶ。私も自分自身を I という自己代名詞で呼ぶ。世の中のすべての人は、自己を I という自己代名詞で呼ぶ。動物や植物は言うに及ばず、言葉を発していない石ころや土塊さえ、他の全てのものとは区別されて存在している限り、彼らなりの “ I am” の感覚を持っているのだろう。では、なぜ、このよう全体から区別され切り離された状態で存在するすべてのものが、なぜこの統一自己代名詞 I で自らを名乗るのであろうか?それは、結局皆が同じものであるからではないのか? 誰かが “I am GOD” と名乗るということは、 I で自らを名乗るのすべてのものがGODであることを意味するのではないか?すべてのものがGODであるならば、自分も含めてすべてのものがモーゼに “I am that Iam”と名乗りをあげた<神>なのだ。つまり、世界には独立して存在するものなど一つもなく、全てが一つなのだ!」<br><br> 以上のテラの体験談を受けて、さらなる考察を進める。<br><br> 自己代名詞 I が規定するものは、自己意識を持つもの、あるいは自己認識を持つものである。I AM は、通常であれば主語の属性を表す名や形容詞で終わるべき文章を、あえて属性を明確にせずに尻切れトンボに終わらせた文章である。このことによって「名によって規定されない状態」が表現される。しかし、よく考えてみると、名を尋ねるモーゼに対し、神が名詞を用いずに状態を表す文章で回答したことは、非常に不自然で、一見すると全く噛み合っていない会話のようにも思える。実際、日常生活の場面で名を尋ねられ、文章を自分の名として返したなら、即ぶん殴られるか、危ないおっさんと思われるのがオチである。しかし、このチグハクなやりとりによって、神は、<名>ではなく、I AM という<状態>こそが、すべての起源であると示唆した。しかも、この名であれば、皆が納得するだろうという保証をつけて、モーゼにこの返答をしたのである。<br><br> では、ここからは、別の角度からの考察を加えてみる。<br><br> 一般に、個々の細胞よりは、数兆の細胞が集まった統一体である人体の方が存在のレベル(存在の価値や知性のレベル)が高いとされている。つまり、分割されたものよりも、統一されているものの方が高度な存在の状態にあると考えられている。<br><br> 一方で、人が自己を認識するためには、他のものと区別される自己という感覚と、身体という物理的限界が必要である。つまり、人はわざわざ自らを意識と身体に分割し、さらに細かな自己分割(古佐小基史、ハーピスト、父親、息子、看護師、保健師、ファーマー、夫など役割やアイデンティティーへの分割)をし、精神機能や特徴を心理学などでさらに分類化して、自己をできるだけ分析的に定義しようとする。言うなれば、「統一」とは真逆の方向に向かうのである。<br><br> また、全てのものの始まりである神も、その内部に様々な宇宙を作り、さらにその中に星雲、太陽系、惑星系、惑星の世界、生命体の世界、生命体内の世界、原子や素粒子の世界という具合に、無限の自己分割を行う。統一された単一体である最高の存在状態を持っている神は、なぜわざわざそのような分割により自らを切り裂きく動機はどこから来るのであろうか?<br><br> それは、人体が自らを分割することによって自己認識を得るように、自らの内部を様々な世界に分割することで、神も自己認識を得ようとしているからではないだろうか。自己と身体が別れているから、自己は身体を認識し、手と足が別れているから、それぞれの部位に対してさらに分割された自己認識が起こる。つまり、自己認識をする主体が存在するから、認識を深めるために必然的に自己分割という世界形成を生み、自己分割があるからこそ自己認識が成立する。この両者のプロセスを、この三次元界で感じられる時間の感覚で判断しようとすると、鶏が先か卵が先かというのと似た矛盾を含む。しかし、 “ I was/am/wil be” を同時に実現できる時空を超えた存在である神を話題にしているということを考えたならば、時間的にどちらが先かという議論をするのは無意味あり、そこには卵と鶏の矛盾は存在しない。つまり、自己認識をする主体が存在する」ということと「自己分割により主体が自己認識をする」という二つのことが同時並行的に存在し、そこに矛盾はないのである。<br><br> テラは、この2つの状態が並列して存在することを、「自己認識への衝動」と表現し、この「自己認識への衝動」が宇宙を貫く意志、あるいは法則ではないかという提言をした。だからこそ、神が自らを認識するために、この物質的な世界において無数の被造物が造られ、その被造物たちも神の似姿としての自らの「自己認識への衝動」ゆえに、さらに自己の中に無数の分割された要素を生み、その連鎖は全宇宙、全銀河系、全太陽系、惑星系、地球、全ての生命体による生態系、全ての細胞、原子、素粒子というように無限の分割の連鎖を生む。このように考えると、まさに、「自己認識への衝動」が世界に存在する全てのものの生因になっていると思えるのである。<br><br> しかし、このような「自己認識への衝動」の結果生み出された被造物には、「より統一された自己への帰還の衝動」も生まれざるを得ない。なぜなら、一番頂上に君臨する「神」にとっては、それよりも上位に存在する自己はもはや存在せず、自ら生み出した下位の世界が存在するだけであるから、自己分割による下向きの自己認識に徹することができる。つまり、自らを分割して様々なものを創造するのが、神の専念する仕事なのである。<br><br> しかし、被造物には、それを創造した上位の自己と、自らが分割して生み出した下位の自己があるため、被造物の自己認識においては、上下の両方向性がある。つまり、神と同じように自己分割による下向きの自己認識をすると同時に、分割されている自己を統一するという上向きの自己認識もしなくては、被造物としての「自己認識への衝動」は満足させられないのである。そのため人は、物質世界においては自己を様々な役割で切り分け、全ての物や出来事においては科学的分析により現象を切り分け、様々な名前をつけて区別し、ひたすら分割のなかで自己探究をする一方で、精神世界においては、宗教や哲学を用いて宇宙を貫く普遍的法則と全てのものの起源を探究をする。その結果、物質的価値観と精神的価値観の対立という矛盾に満ちた混沌の世界に生きることを強いられるのである。<br><br> このように見てみると、神の「自己認識への衝動」と人の「自己認識への衝動」は、その方向性において微妙に異なるものであるため、完全に神と人間を結びつける名としては役不足である。そう考えると、やはりその衝動のさらに根本にある “I AM” (ヘブライ語では“ I was/am/wil be”)という状態が両者を結び付けるものであると、改めて納得させられる。自己認識があるからこそ“I AM” の状態が可能で、“I AM”という状態が達成されているからこそ、自己認識が可能である。 “I AM” はヘブライ語では“ I was/am/wil be”を意味し、時空を超えた存在の状態を示唆することから、この二つの事象が同時に存在することにおいては、鶏と卵の矛盾は生じない。<br><br> ここから先は言葉遊びの領域になるのだか、もう少し考察にお付き合いいただきたい。<br><br> 分割による下向きの自己認識は、そもそも神から発せられた衝動であるため、人が努力しなくとも機械的に起こる。しかし、上向きの自己認識は統一に向かうため、ある意味、神の自己分割の衝動に逆らう作業であるので、確固たる目的をもち、意志の力を用いて意識的に行われる必要がある。このような、より普遍的な世界への理解や自己の統一性のための努力は、「自己修練」などと表現される。宗教的修行やスピリチュアルなトレーニングでは、戒律や修行により徹底的に意識力と意志力を鍛えることが、自己修練として要求される。<br><br> つまり、人が上向きの「自己認識への衝動」を満たすためには、確固たる目的を自覚した上での努力を積極的に行うことが前提になる。しかしながら、人生においては、なんのために生きているのかということを明確にするのは簡単ではなく、俗にも人生を「自分探しの旅」と呼ぶほどに自分自身を知ることは困難で、たとえなんらかの目的を決めたとしても、それが本当に神の意志に沿う使命であるのかどうかで悩むことになる。<br><br> 「目的」とは、英語で表記すると “AIM” である。この言葉をよくみると “I AM” で用いられているのと同じ3文字のアルファベットで構成されている。このことを詩的な情緒を持って受けとめると、モーゼに神が伝えた神の名 “I AM” がそっくりそのまま目的 “AIM” になっていることに、何か特別なメッセージを感じられる。<br> <br> この寓話的な象徴を以下のように解くとどうだろう。<br><br> 人が自ら設定する目的は、それがどんな内容であれ、「自己認識への衝動」から発せられる場合は常に神の顕現であり、そのような目的を抱きそれに向かって生きることは神の意に従う生き方であり、常に崇高な意義がある。下向きの「自己認識への衝動」も、神の衝動の顕現、あるいは神と共有する衝動であるが、そこには人の意志や意識は要求されない。つまり、人は確固たる“AIM”(目的)を設定しなくとも、神から発した強力な意志の流れに乗って、分割による下向きの自己認識は機械的に行える。それは、高地から低地に流れる川の流れに乗っていれば自動的に下流にたどり着けるようなものである。これも確かに、神の意にかなう生き方ではある。その意味では、自己分割という法則に従い、社会を階層に分断し、貧富の差や人種間の対立、政治闘争を激化させた史上最悪の独裁者であっても、神の意には反してはいないのである。<br><br> その一方で、上向の自己認識は、人が目的意識を持って意図的に遂行するものである。ところが、神は自己認識の方向性が上向であるか下向きであるかについて、関心はない。そのため、上向きの自己認識への努力の意義は、それを行う当事者にとってどのような意味を持つのかという視点から評価されなくてはならない。この視点から見ると、自己修練の努力は、人が自然に抱く上方に向かう「自己認識への衝動」を満たすという意味において、彼にとっても、神にとっても意義深い崇高な行為である。つまり、“AIM”(目的)を必要とし、それを設定することで利を受けるのは、当事者の自分自身であるから、“AIM”(目的)の設定に際しては、いちいち神の御裁可を仰ぐ必要はないのである。<br><br> 人が設定する具体的な “AIM”(目的)には無数のバリエーションがあり得る。どれが誰にとって正しい目的であるかは、目的の内容からだけでは判断できない。ある人にとってはそれをやることで上向きの自己認識の役に立つ場合でも、他の人にとっては全く逆の効果を与える場合もあるからである。では、「正しい目的」を設定するためにはどうすればよいのか?非常に不十分な表現であることを承知であえて言うならば、上向の「自己認識への衝動」を思い起こすことで自然に湧いてくる具体的な行動欲求に従うだけで十分なのではないだろうか。自己認識の段階が神に近づけば、それに応じて自ずと欲求も変わってくる。すなわち、上向の「自己認識への衝動」がある限り、あれこれと考えることなく、自然な欲求に導かれて、自分のレベルにふさわしい目的が設定されるのではないだろうか。<br><br> それゆえ、良心に従い、愛を実行し、公平無私の心の状態を目指し、自己がすべてのものとつながっているという一体感を感じようとすることを目的に設定し、そこから湧き上がる良識に従い日々の生活の中でやるべきことを誠実にコツコツと積み上げていく人には、神に導かれて正しい道を歩んでいるという確信に支えられた心の安寧と平安がもたらされるのだろう。<br><br> 以上で考察を終える。<br><br> もしかしたら、“I am that I am”の深い味わいを直感的に経験できる方にとっては、このような面倒な思考による理解のプロセスは必要ないのかもしれない。しかし、筆者のようなタイプは、直感で経験したことを思考でも検証しないことには、心の底から納得し経験し尽くしたとは感じられないのである。このことは、直感と感覚での理解を重視するあまり思考活動を障害物であるかのように位置付けてしまいがちな昨今のスピリチュアル系の教えに対する苦言でもある。その一方で、哲学系の教えでは、思考活動による理解を強調するあまり、直感による理解の重要性を軽視してしまう傾向にある。要は、両者のバランスであると思う。<br><br> 考察の出発点として聖書の文言を用いたため、この考察内容をキリスト教への冒涜とお感じになった方もあると思うが、そのような意図は全くないことをどうか信じていただきたい。あくまでも哲学的な考察の起点として偉大な聖書の文言を拝借したに過ぎず、悪意は全くないことをご理解いただけると幸いである。<br><br> 長文に最後までお付き合いいただき、感謝します。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6863989
2022-01-09T21:31:35-08:00
2022-01-09T23:00:10-08:00
コロナ禍での集団狂気、マス・フォーメーション・サイコーシス
<p>Mass Formation Psychosis マス・フォーメーション・サイコーシス<br><br> マス・フォーメーション・サイコーシスとは、コロナパンデミックとワクチンを取り巻く狂信的で排他的な集団意識形成を説明する仮説として、mRNAの開発者でもあるRobert Malone(ロバート・マローン)博士によって最近示唆された社会的病態で、一種の集団催眠状態です。ナチスドイツで見られたような、熱狂的で強迫的な観念に取り憑かれた集団がコントロールを失い、そこに同調しないものたちへ対し異常に攻撃的となり、最終的には自己破壊的な方向に向かう集団心理のプロセスです。<br><br> マローン博士とベルギーの心理学者の Mattias Desmet博士との対談で、マス・フォーメーション(サイコーシスという用語は、正式な心理学では付加されていないそうです)に関しての詳しい解説がありましたので、その内容をシェアいたします。<br>リンクはこちら:</p><p><a href="https://rumble.com/vrxr3n-tpc-653-dr.-mattias-desmet-dr.-robert-malone-dr.-peter-mccullough-mass-form.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://rumble.com/vrxr3n-tpc-653-dr.-mattias-desmet-dr.-robert-malone-dr.-peter-mccullough-mass-form.html</a><br><br> マス・フォーメーションとは、ここ200−300年の人類の歴史の中で特に顕著となっている大規模な集団的心理状態である。<br><br> マス・フォーメーションが形成される前段階には、以下の要件が社会全体で広く観察される。<br><br>1)社会的孤立感、孤独感:これは近代以降の工業化やテクノロジーの発展に伴い強まってきた感覚で、現在米国では人口の60%が孤独感、孤立感を感じているというデータもある。近年すでにSNSなどのバーチャル世界の席巻により、リアルな人間関係が希薄になりつつあったところに、コロナパンデミックによるロックダウン、ソーシャルディスタンシングなどによってさらに孤立化が促進された。<br>2)生きることの意義と希望の欠如:パンデミック以前から、アメリカでは、人口のわずか13%しか自分の仕事に意義を感じることができず、65%は仕事を無意味だと感じている状態にあった。パンデミックにより、様々な活動や人生の計画が全てキャンセルされ、生きることの意義や希望がさらに希薄化した。<br>3)漠然としたやり場のない不安感 “Free floating anxiety”:固定された貧富の格差、環境問題、生活の不安定さなど、すでに多くの国民が多くの不安を抱いて生活していたところに、コロナという正体不明の伝染病による恐怖が襲いかかった。<br>4)やり場のないフラストレーションと怒り “Free floating frustration and anger”:3)の漠然としたやり場のない不安感に対して、同じくやり場のない漠然とした怒りとフラストレーションが強く感じられるようになり、それらが行き場のないまま蓄積されてきた。<br><br> この4つの条件が揃ったところに、漠然とした不安要因を明確化し、やり場のないフラストレーションと怒りの矛先を明示するナラティブ(物語)が語られ、それらを解決する方策を提案するリーダーが現れると、そこを中心として彼らの間で急速に、しかも大規模な社会的結束が形成される(マス・フォーメーション)。それによって社会的孤立感が癒されるという報酬を味わった大衆は、取り憑かれたように現実の一側面のみに関するナラティブと解決策にさらに意識を集中し、他の意見や現実世界でのその他の問題をほとんど無視してしまうという催眠状態に陥り、リーダーに盲従するようになる。マス・フォーメーションの根元にはフラストレーションと怒りがあるため、この集団は、自分たちに賛同しない個人や集団に対しては激しい攻撃性を見せ、そうやって外敵を駆逐してしまったのちには、内部分裂による自己破壊的な方向に向かう。このような集団においては、大衆は与えられたナラティブと命令に集中して催眠状態になっているため、全体主義的リーダーは、いとも簡単に大衆の自由や権利などを彼らに知られることなく奪いとることができる。<br> マス・フォーメーションで大衆をつなぎとめておくナラティブには、論理的整合性は必要なく、集団形成が進めば進むほど、ナラティブはどんどん内容のない馬鹿げたものになっていくが、そもそもこのような集団催眠に陥る利得は、集団の一員として社会的つながりを強く感じることで孤立感から解放され、自らの存在意義を感じることであるので、実のところナラティブの内容はさほど重要ではない。ナラティブは、多くの場合大手のマスメディアを通じて行われ、政府機関の専門家などが集団にとってのリーダーの役割を演じる。意外なことに、高い教育を受けているものがマス・フォーメーションに陥りやすく、その原因は明らかではないが、おそらくすでに社会的なシステムの中にしっかり組み込まれて生きており、権威や組織の目的に従うことにより収入やステータスが安定される立場にあるため、メインストリームのナラティブに追従しやすいとも考えられる。<br> マス・フォーメーションは、非常に伝染性が強く、短期間に一気に広がる傾向が強い。マスメディアや個人間の直接的接触などがなくても、非常に短期間で大きな集団内(人口の30%くらい)でナラティブに特徴的な思想や言葉の使用が共有されるようになるという不思議な現象が確認されている。<br> マス・フォーメーションに組み込まれにくい個人の特徴は同定されていないが、自らの精神の安定性を理念と批判的論理的思考に依拠している個人の方が、メインストリームのナラティブに飲み込まれることが少ないようである。<br><br> すでに形成されてしまったマス・フォーメーションの催眠状態を脱するには、以下のことが必要であると考えられる。<br><br>1)マス・フォーメーションでナラティブとして語られ固く信じられてしまった虚偽に対し、真実をぶつけ続けること。<br>2)彼らと敵対、分断するのではなく、コミュニケーションを続けること。<br>3)彼らの信じているナラティブ以外に問題解決のオプションがあることを示すこと。<br>4)マス・フォーメーション以前の状態に戻ることをゴールにしないこと。その状態に置かれていたからこそマスフォーメーションに陥ることになったのであるから、そこに戻ることは彼らにとっての問題解決とはならない。未来の目標とすべき新しいノーマルをゴールとして提示することが重要である。<br>5)マスフォーメーションは攻撃的な集団なので、暴力的抵抗は対立と分断を悪化させる。あくまでも非暴力的な手段で彼らに抵抗する。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6852504
2021-12-26T23:54:35-08:00
2021-12-27T02:15:14-08:00
ひたすら感じれば、答えはそこにある
<p> 音楽演奏とは、「美を表現するためには、どんな音を、どんな風に出せば良いのか?」という問いに対しての一つの解答を提示することです。<br><br> クラシック演奏の場合は、「どんな音を」という部分に関しては過去の模範解答をそのまま借用することができるので、演奏者はもっぱら「どんな風に」という課題に集中します。作曲や即興を行う演奏家は、「どんな音を」という課題と、「どんな風に」という課題の両方に取り組むことになります。<br><br> この課題を解き、聴き手に披露しても恥ずかしくない程度の解答(演奏)を見出す術を習得するために、音楽教育があります。現在の音楽教育では、知識や技術の蓄積に主眼が置かれています。しかし、これらの課題を解くにあたって最も必要な素養は、知識や技術ではなく、「聴く能力」です。残念ながら、音の聴き方を体系的に指導するような教育システムはなく、「聴く能力」は、音楽と長年接するうちに自然に身に付くもの、つまり「教えられない能力」、あるいは「才能」に属すると考えられています。しかし実際には、特別の才能がなくとも、意識的に音の聴き方を訓練し「聴く能力」を高めることは可能です。その具体的な方法に関しては、後日別の論説にて改めて述べることにして、ここでは「聴く能力」がどの様に音楽演奏に決定的な影響を与えるのか、ということについて、作曲と演奏を同時進行で行う即興演奏での経験からお話しをしてみたいと思います。<br><br> 即興演奏において最も難しい瞬間は、音楽を始める最初の瞬間と、音楽の自然な流れが止まりそうになった瞬間です。これらの瞬間に「どんな音をどんな風に演奏するか」を決定する際に、知識や技術を中心に解答を見出そうとすると、小手先のオモシロさと小賢しい音楽的装飾の香りのする嘘臭い音印象を生み出してしまいます。喩えるなら、本物の薔薇のエッセンスから作った香水を思わせるような心地よさを伴う本物の音楽ではなく、化学物質の組み合わせで人工的に作った「バラの香りトイレの芳香剤」から感じる違和感と不快感を伴う音楽になってしまうのです。<br><br> 音楽の流れを起動するときにもっとも大切なことは、兎にも角にも「聴くこと」です。今自分の出している音をただひたすら聴くのです。「次に何をどうしようかな」とか、「そろそろお客さんもこの雰囲気に飽きてくる頃だから、何か新しいことをしなくちゃ」などという雑念は、聴くことを妨げてしまいます。演奏の場でこのような思惑に囚われないことは非常に困難なので、「ひたすら聴く」という行為を完遂ためには、意識と意志の力を集中することが必要です。雑念に埋没することなくひたすら聴こうと努力をすると、次にやるべきことは自ずと浮かんできます。リズムを変化させる、和音を継続させる、早いパッセージを入れるなど、そこで浮かんできた音楽的なアイデアを採用し、実行すればいいだけです。もし「次何も浮かばないから、そこで音楽を終わりにする」という決断がひたすら聴いた末の答えであるなら、それもOKなのです。<br><br> ひたすら聴けば、何をどの様に演奏すべきかが分かる?なんじゃそりゃ?それでいい演奏できるんだったら誰も苦労せんわ!<br><br> まあ、確かに無責任なスピリチュアル系のおっさんの戯言に聞こえるかもしれませんが、実は脳科学的にも納得のできる現象なのです。<br><br> 音楽における和音、メロディー、リズムなどの要素は大脳皮質によって理解され、運動を実現するための具体的な業務は小脳によって行われます。小脳は、実際には大脳よりもはるかに多くの脳細胞を有し、非常に複雑な情報処理を行い、行動のアウトプットの実行役を演じています。しかし、小脳内で様々に業務分担された各部位は、縦割り構造で別個に働き、意志や意識という高次の脳機能を生み出すことはなく、ただロボットのように与えられた仕事を淡々と実行するだけです。即興演奏では、大脳と小脳が協働して音楽を生み出しています。まず、今自分が演奏している音楽をじっくり聴かないことには、大脳への情報のインプットが不十分となり、数分〜数十分に及ぶ音楽の全体的な文脈のなかで今の瞬間の正確な意味を意識することができません。そうなると当然、次に来るべき音の選択のための情報も不足し、意志も明確にならないわけです。小脳の機能は全く無意識に発動しますから、大脳からの意識と意志のインプットが不十分だと、その限られたインプットに応じた働きしかできません。つまり、大脳からの意識と意志を実現した「本当の薔薇の香り」ではなく、小脳内のロボットによって自動的に合成された「バラの香りトイレの芳香剤」でどうにかこうにか音楽を続けることになってしまうのです。逆に言えば、小脳は情報さえ与えてやれば忠実に、しかも見事に仕事を完遂する能力を持っています。ただ、決断する力はなく、言われたことをやるだけなのです。そのため、意識の機能を持つ大脳からしっかりとビジョンを伝えてやらなければなりません。そのプロセスの鍵となる第一歩が「意識的にじっくりと音を聴く」という行為なのです。<br><br> この「じっくりと〇〇する」というメソッドは、聴覚だけでなく味覚、臭覚、視覚、触覚というすべての五感に関する行動においても有効です。<br><br> 例えば料理。レシピ通りに作っても、出来上がりはイマイチって経験はみなさんにもありますよね?食材を調理する時間と加減、食材を混ぜるタイミング、サービングする温度、食感などは、結局のところレシピでは分からない上に、用いる食材のクオリティーや味の好みに応じて調整される必要があります。このようなレシピでは教えてくれない微妙な要素を感覚的に調整できるためには、まず食材の匂いと味をじっくりと確認をして、脳にその印象をしっかりと落とし込むことが必要です。そうすれば、なんとなくどうやったら上手く行きそうか見えてきます。このように食材の匂いと味をじっくり吟味するプロセスを省略してレシピ首っ引きで料理をすると、たいていの場合は、「不味いわけではないけれども、ちょっとガッカリな結果」になることが多いですね。<br><br> アーチェリーにおいても、良い結果を得るためには、弓矢を構える前にとにかくターゲットをじっくり見ることが大切です。そのときには、あまり色々と考えない方がいいですね。英語では、 doing with presence(存在を伴って行う)という表現がありますが、まさに「存在を伴ってひたすら見る」つまり「今自分は見ている」という自覚的な意識と、見ている対象に向けられている意識を同時に感じながら見ようとします。そうすると、脳は無意識の中で距離、角度、体との位置関係などを自動計算します。こうやってターゲットへのロックオンが完了したら、いよいよ体を動かします。動作の最初期は必要最小限の力で体がニュートラルな姿勢を保っていることに意識を向け、それに徐々に力が加わり標的に向けて矢を放てるポジションへと移動するという感覚を意識することが必要です。ここで色々と小賢しく考えてしまうと、大脳から送ってもらった視覚情報を受け取って素晴らしい仕事をしようとしている小脳の自動的な働きを邪魔することになり、良い結果を生むことはできません。リーダーとしての才覚はあるけど実務経験の浅い上司が、部下のやってることに細かく口出しすると、現場が混乱して仕事がうまくいかないのと同じく、脳においても、ふさわしい仕事をふさわしい部署に任せることが大切なのです。<br><br> 何かを「為す」ことばかりが強調される現代社会ですが、「為す」ためには、まず「感じる」ことが必要です。そして、「感じる」ためには「存在すること」が必要です。存在し、感じ、そしてようやく為すことができる。存在もせず、感じもせず、ただ為していたのでは、ロボットと変わりません。成果主義、効率主義の現代社会では、「存在して感じる」ことは疎かにされがちですが、その結果世の中に生み出されているものは、浅薄な喜び、病につながる快楽、自然環境との不調和など、「バラの香りトイレの芳香剤」のような上っ面のものばかり…。<br><br>「存在し、感じ、そして為す」という人本来のあり方に立ち返ることで、幸福な生へとつながる道を見出すことができるのではないでしょうか。<br><br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6850216
2021-12-23T10:14:33-08:00
2021-12-23T11:30:09-08:00
音楽において最も大切なものは?
<p> この問いに対しては、テクニックという方もいれば、インスピレーションという方もいると思います。皆さんはどうお考えになりますか?<br> <br> 上にあげたものももちろん大切でありますが、最も大切なものは、Intention(インテンション)、すなわち「意図」であると思っています。<br><br> では「意図する」とは、どういう作業なのでしょう?いろんな解釈がありえると思いますが、古佐小的には、「どのような結果のために、何を、どのようにしたいのかを明確にし、それを最大限の努力をもって実現する覚悟を決めること」であると理解しています。<br><br> 音楽においては、意図される内容のクオリティー、その継続時間、意図を実行する身体能力によって、表現される印象の質が変わってきます。どんな名曲をどれほど素晴らしく演奏しても、演奏者の意図に「失敗して恥をかかないように注意しよう」とか、「オレ様の凄さを見せつけてやる」などという衝動が紛れ込んでいると、音楽によって伝えられる最も高貴で精妙なエネルギー、つまり魂を揺さぶるような感動を生み出す波動は損なわれてしまいます。<br><br> 意図を持つことは、誰にでもすぐにできるのですが、それを継続させるのはなかなかに大変です。例えば、「聴き手の皆さんと平和・希望という感情を共有するために、一つ一つの音に心を込めて、自ら出している音が実際にそのような感情を呼び起こしているかを慎重に吟味しながら演奏しよう」という意図を持って演奏を始めたとします。しかし、ぼんやりしていると、演奏を始めて数小節後にはそんなことはすっかり忘れて、技術的にミスなく演奏をすることに全意識が持っていかれてしまいます。それどころか、知らない間に虚栄心が忍び込み、「お客に喜んでもらいたい」という偽善の仮面を被った「ひけらかし」が始まってしまいます。このような内面の迷走があっても、ほとんどの場合はお客は喜んでくれて、結果的には仕事としての演奏は成り立つことが多いため、このような内面的な混乱を黙認放置しても職業上の問題はありません。しかし、この内面的な迷走状態に妥協をしたら、音楽家としての成長はそこでおしまいです。<br><br> 意図の実行役、つまり実際の演奏を担当する身体の能力は、すでに確立された練習法やメソッドなどの機械的な訓練を積むことで右肩上がりに発展させることができます。しかし、そこをいくら強化しても、お客を楽しませるというレベルでのバリエーションを増やすだけで、その上に君臨する「感動を呼び起こす何か別のもの」には到達できないのです。そこに行くには、深い精神性に関わる高次元の成果を意図できる創造力と、その意図を持続できる意志力の強化が不可欠です。しかし、それらはまさに人としてのあり方そのもののに関わる根幹的な命題を含む課題であるがゆえに、機械的な訓練で強化することはできません。本当に望むことを「意識」し、それを「意志」によって実行する訓練を、無意識的、無意志的に行うことは不可能なのです。必ず、意識的、意志的に訓練が行われなければならないのですが、その意識と意志が弱いのがそもそもの問題なので、この種の訓練は、始めることすら非常に難しいのです。訓練を始めた初期には、ほぼ例外なく己の無力を思い知るだけです。しかし、忍耐強く継続すれば、ある時点から指数関数的な発達が期待できます。ガリギョロの骨皮筋夫さんであっても、忍耐強く筋トレを続ければ、少しずつマッチョになるのと同じです。<br><br> 意図される内容、つまり音楽によってどのような結果を期待するのかという点は、まさに音楽家自身の価値観や人生観が反映されます。音楽では、娯楽提供に対する報酬、自己顕示欲、他者への愛、神々への奉仕、社会への問題提起などなど、実に多様な目的が意図され得ますが、音楽家がどれだけ普遍性の高い目的を設定できるかによって、音楽によって表現される精神性の深さも決まってきます。<br><br> ただし、崇高な意図があっても、知識と技術がそれを実現するだけの能力が伴っていない音楽家もいれば、逆に、やたらと知識と技術が優れているにもかかわらず、意図が薄っぺらであるために薄っぺらい音楽しか生み出せない音楽家もいます。つまり、意図の内容、それを継続させる力、それを実行する身体能力が、それぞれバランス良く発達し協調して働くことが重要なのです。<br><br> このバランスの重要性に関しては、たとえ話を使って考察してみたいと思います。<br><br> 音楽家を馬車に喩えると、馬は感情、馬車は身体、御者は知性、中に乗っている主人が意識と意志を従えた「意図」です。町中の道に詳しい有能な御者が高性能の馬車とよく訓練された馬を運転していても、主人が「やってくれ」と言ったきり行き先については何も言ってくれないとしたらどうでしょう。御者は仕方なくランダムに街のあちこちを走り続けるしかありません。主人から気が向いた場所で「止めろ」という指示が出されるかもしれないし、この立派な馬車を街のみんなに見せびらかしたいというだけの理由で馬車を走らせ続けるかも知れない…。意図のない演奏というのは、まさにこの馬車と同じです。決まった目的地もなく、行き当たりばったりで、自己顕示欲を満たすためにただ走っているだけ。<br><br> 一方で、仮に馬車もオンボロ、馬もおいぼれ、御者もジジイで耳が遠くて主人の言っていることがよく聞き取れないとしても、主人が明確に行き先を知っていれば、多少のトラブルはあってもいつかは目的地まで馬車を走らせることが可能です。つまり、意図をしっかりと持つことのできる音楽家は、技量の良し悪しにかかわらず、目的を達成できる可能性が十分にあるのです。有能な御者、手入れされた馬車、訓練された馬、そして確固たる目的を持った主人。この組み合わせを目指すことが、芸術家としての自己修練なのでしょう。</p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6845522
2021-12-18T14:01:34-08:00
2021-12-18T16:45:05-08:00
そろそろコロナ対策の根本的見直しが必要なのでは?
<p><span style="font-size:1.4em;">「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと。それを狂気という。」</span><br><br> これはアインシュタインの有名な言葉ですが、現状においてブースターショットやワクチンパスポートの早期実現を目指す政策は、まさに「狂気」と非難されても仕方のないものではないでしょうか?<br><br> 多くの皆さんが、自分自身の身を守るだけでなく、お互いの健康を守り合いたいという崇高な思いを抱いて治験中の実験的遺伝子治療薬である新型コロナ『ワクチン』の2回接種を終えたにもかかわらず、当初期待されていた感染予防効果も集団免疫効果も得られないまま、Covid-19ウイルスはデルタ、オミクロンと新たな名を冠しては何度も蘇り、『ワクチン』接種者にも「ブレークスルー感染」を引き起こし、感染の波は第5波、第6波とぶり返しています。そして、Covid-19が現在も、これから先も、継続的に人類の生命と生活に多大な脅威を与え続けるという政府機関やメディアの認識に基づき、各国では当初の計画にはなかった3回目、4回目と定期的に追加される「ブースターショット」と呼ばれる追加接種と、ワクチン未接種に限って適用されるさらに厳しい行動制限を可能にする「ワクチンパスポート制度」が導入されています。<br><br> ある程度の行動制限や仕事上での差別を甘んじて受けるという覚悟があれば、現在のところ『ワクチン』接種するかしないかは、自由意志で選択することができます。おそらく、誰もがしっかりと情報収集をした上で接種、未接種を理性的に選択していると思いますので、ここではどちらの選択が良い、悪いという議論をするつもりはありません。ただ、『ワクチン』を主軸にした現行の公衆衛生対策が、昨年末〜今年前半に対策が施行された当初に想定されていた効果を得られなったということは事実です。その認識があるからこそ、さらなる対策として「ブースターショット」や「ワクチンパスポート」が導入されています。これらの追加策は、今までのやり方をより徹底的に押し進めるという中央一点突破作戦ですが、公衆衛生の観点から言えば、これまでのやり方が目的を達成していないという認識に至った今、未接種者の隔離、国民規模で『ワクチン』接種を徹底させることによる防疫、社会活動の制限という従来路線の方策を根本から見直す必要があると考えられます。<br><br> 生命と健康に関わる分野で、すでに莫大なお金をかけて大きな社会的リスクを対価に進めてきた政策の失敗を認め、謙虚に路線変更することは、おそらく官僚や政治家の皆さんにとってはそこでキャリアが終わってしまうほどの不祥事なのかもしれません。その苦しいお立場はお察しいたしますが、もしこのタイミングで謙虚な自戒と方向修正ができないのであれば、大東亜戦争において国家の自滅に向う惰性を止めることのできなかった当時の政府と何ら変わりません。国民は、『コロナパンデミック』を大きな社会問題と認識し、個人の自由をある程度犠牲にし、公共の利益のためにマスクを着用し、ソーシャルディスタンシング、営業時短、ロックダウンなど、これまで政府の提唱してきた方策に自らの意志で協力し、主権者たる責任を果たしてきました。今、公職にある皆さんがこれまでの失敗を謙虚に認め、真摯に国民のためになる施作を改めて提案してくださるのであれば、責任を追求されて袋叩きの目に遭うようなこともなく、引き続き国民の協力を期待できると思います。<br><br> 国民は、それぞれに悩み、苦しみ、生活にすら窮し、先の見えない日々の中、それぞれに個としてできることをやりながら必死に耐えています。子供たちは、遊びたくても遊べず、学校に行きたくても行けず、訳もわからないままに貴重な子供時代の経験のチャンスをどんどん失っています。このような皆の苦労が報われるには、個の努力をまとめるリーダーシップが必要です。それができるのは、すでに職業的にその立場にある公職者の皆さんです。国民の安全と幸せを守るという崇高な役割を買って出た政治家の皆様、自ら国民の公僕となる尊い道を選ばれた公務員の皆様、国民に真実を伝え権力のチェック機能を担う自由の守護神であるメディアの皆様。あなた方の良心と良識に期待いたします。</p><p> </p><p>追伸:新型コロナ『ワクチン』への医学的評価に関して、一般メディアでは取り上げられない専門家の見解をまとめてあるビデオリンクをこちらに掲載してあります。6000名に及ぶコロナ患者を治療した経験と、様々な医学論文からの分析で、『ワクチン』の危険性を解説しています。YouTubeでは検閲のため削除される内容ですので、Rumbleにて配信されています。何を信じるかは個人の自由ではありますが、こういうプロフェッショナルな見解もあるという参考にしていただければ幸いです。</p><p> </p><p><a href="https://rumble.com/vqknzt-44634233.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://rumble.com/vqknzt-44634233.html</a></p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211219/06/musiclife-in-nature/45/50/p/o1706126615048350933.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211219/06/musiclife-in-nature/45/50/p/o1706126615048350933.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="460" width="620" /></a></p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6843836
2021-12-16T22:51:04-08:00
2021-12-16T23:15:15-08:00
健康は人本来の状態ではないのか?
<p> 「どれだけ健康に気をつけているつもりでも、病気になることはある。」<br> 「生まれながらに障害を持つ者もある。」<br> 「誰もがいずれは健康を失い、死ぬ運命にある。」<br><br> こう考えると、健康であるか否かは自分でコントロールできない事象であり、元気に生きられるかどうかは運を天にまかすのみ、という気持ちになってしまいます。実際、生活習慣にどれだけ気を付けて節制していても病気になる時はあるし、無頓着な生活をしていてもピンピンしている奴らもいる。どちらにしても病気が避けられないなら、コツコツと節制するよりも、太く短く野放図に人生楽しんだ方がいいんじゃないかと開き直りたくもなります。今や医学も進歩して、大概の病気は治るみたいだし、病気になってから治せばそれでいいじゃん。<br><br> 太く短く。それはそれで良いのかな。でも太く長く生きられる選択肢が選べるのであれば、その方が良いに決まっています。もし、健康という状態が、実は人が本来あるべき状態であるとしたら?あるいは、それが強運者にのみ与えられる特権ではなく、人本来の生き方をしていれば当然の権利として万人に与えられている自然な状態であるとしたら、人本来の生き方を見出すことができれば、太く長く生きる道もあるのかもしれません。<br><br> このような希望を胸に、この論説ではあえて「健康は人本来の状態である」と主張してみたいと思います。<br><br> まず、現代社会では、健康とはどのように判定されているのか?健康診断の結果で見られるように、「標準値」という健康体と想定される人体のデータと比べて、皆さんのデータがそれに近ければ健康、それから外れていくに従って健康が害された状態、つまり病気と判断されています。<br><br> 一方で、心身の所有者である本人にとっての健康とは、何なのでしょう? 健康診断の結果が良いからという理由で、健康感が湧き上がってくるわけではありません。なんとなく気分が良い、体が軽い、気力があるなど、主観的、感覚的に認知される心身の統合的な状態が肯定的であれば「おー、今日も元気だ!」と感じることになります。<br><br> このように健康には、外側から計測されて数値化されるデータによって定義される側面と、当事者が主観的に認識する側面の両方があります。ところがこの両者は完全に一致することはなく、データ上は異常がないのに健康でないと感じている方もいれば、データはヤバヤバなのに、当人は案外と元気だと感じている場合もあります。<br><br> 計測データによる健康の判定と、主観による健康の判定。どちらがより本質的な健康の判定なのか?言い換えるならば、最新の医療器具や科学的検査のテクニックを用いて数値化される心身のデータが医者によって解釈された結果と、当事者の体の隅々まで張り巡らされた神経系や循環器系によって集められる情報を脳が処理することで生じる主観的感覚による判断を比べた場合、どちらがより正確に心身の健康状態を把握をすることができるでしょう?<br><br> これについて少し考察してみましょう。<br> <br> 現代の常識では、人間は自らの健康状態を自己モニターし、自動的に生活習慣や行動を最適化することができないとみなされています。その証拠に、健康であるためには定期的に健康診断や人間ドックを受け、第三者である医者によって健康状態を判断してもらうことが必要とされています。実際、少しばかりの不調で「たぶん、大したことのないだろう」と感じていても、自分の感覚を信用することは危険だと考え「念のためにお医者様に診てもらったほうが…」と病院に向かうことになります。<br><br> とすると、やはり病院で計測、認定される健康こそがより本質的な「健康」の判断ということになるのでしょう。しかし、ここで素朴な疑問が湧いてきます。この地球の自然環境の中で、他の生物と同じく環境に適応して生存を続けてきた人類が、近代科学と医学の専門家の助けがなくては自らの健康を認知することができない、などということが果たしてあり得るのか?人本来のあり方としては、他の野生動物と同様に、自己の健康モニターリングと生存の確率をより高める行動を最適化する本能を備えていると考えるのが自然ではないのか?<br><br> 「でも、現実には自分の体のことなんてわからないことが多いし、気づいた時には病が進行して手遅れということもしょっちゅうあるじゃないか。」確かに、これが現代人の姿です。でも、そもそも現代人は、人本来の機能を十分に発揮して生きているのでしょうか?ほとんどの人類がすでに数世代にわたって自然から切り離された都市環境で生活している現在、平均的な現代人が地球の自然環境に適応するための人本来の機能をフルに発現していると考えることには無理があります。本能的に備わっている自己モニターリング機構と自動最適化機構は、不自然な人工的な環境での生活により、ほぼ機能停止していても不思議ではありません。つまり、食べ物、飲み物、呼吸する空気、音などへの知覚、身体内部の感覚などが全て鈍化していて、身心のモニターリングが十分にできないために、異常を感じた時にそれを是正するために必要な反応、例えば自然な欲求によって適度な休息/運動をする、生活習慣のメニューを体調に応じて取捨選択する、ある種の食品への食欲が亢進することで体に必要な食物を摂取するなどの最適化の機能も退化しているかもしれないのです。乱暴な言い方をすれば、現代社会の病んだ環境に数世代にわたって曝されている身体は、生命維持の機能に慢性的な障害を起こしている可能性があるということです。<br><br> このことを特に強く感じた最近の経験をお話しいたします。<br><br> 古佐小ファームでは自然の方に限りなく近い形で肉、卵、ミルク、野菜を自給し、毎日屋外での肉体労働にも従事していますから、かなり健康的な生活を送っている自負はあったのですが、さらなる健康を目指し、11月に妻と一緒に食事制限を3週間の食事制限の実験をしてみました。全ての合成調味料(醤油やソース、ケチャップ、マヨネーズなど)、精製糖や甘味料、アルコール類、乳製品、穀物、豆類、糖分が濃縮された蜂蜜や乾燥果物を抜き、週に2回は動物の骨と野菜を材料にした出汁だけのミニ断食をするという食事法です。<br><br> これだけの食材を避けながら美味しいメニューを作るのは大変でしたが、かえってクリエイティビティーが開花し、料理の腕前がさらにアップしました。写真はその一例です。料理人としてのレベルアップだけでも大きな成果と言えますが、それに加えていくつか特筆すべき成果がありました。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/09/2c/j/o1536204815047614238.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/09/2c/j/o1536204815047614238.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/68/b7/j/o2048153615047614207.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/68/b7/j/o2048153615047614207.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="315" width="420" /></a></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/d4/93/j/o1536204815047614228.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/d4/93/j/o1536204815047614228.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a><br> まず、空腹という感覚が、必ずしも実際に体が食物を必要としていることのサインではないことがわかりました。実験以前の空腹感は、舌からくる空腹感、この実験で経験するようになったのは、お腹の底からくる本当の空腹感です。子供の頃を思い起こすと、腹の底から感じる空腹感が当たり前でしたが、大人になると、そういう気持ちの良い空腹感を経験することが少なくなっていました。腹の底からくる空腹感は、つまり、消化器系が「いつでも食べ物来いや!」な状態でスタンバってる感じが強いのですが、必要量を食べると「もういいよ」と満腹感が出てきて、食べ過ぎにならないのが特徴です。ちょうど腹8分目くらいで自然に止まる感じです。しかも、食欲の対象になる食品を体が欲しているものと一致している感覚を伴っているため、食べた時に一層美味しく感じられるのです。一方で、舌からくる空腹感の場合は、なんとなく「口寂しい」という感覚を伴い、実際には体が必要としていないときに必要のないものを摂取することを促す可能性が高く、そのため食べ過ぎにも繋がりやすくなります。<br><br> また今回の実験では、すぐにエネルギーになる糖質を抜いてますから、血糖値が食後すぐに上がらないため、眠くなることはなくなりました。味の濃い調味料も使わないので、自然と食材への味をよりじっくり味わうようになり、味覚が向上しました。3週間の実験期間が明けて、再びいろんな調味料や飲み物、チースなどの加工食品を試してみたんですが、以前ほど美味しく感じることはなくて、実験期間が終わった後も、以前と同じ食事には戻ることはありませんでした。<br><br> ミニ断食明けの日は、体が食べ物に対して特に繊細に反応する状態になっているため、特に意識しなくても自然と体の反応をモニターしながら注意深く食べるペース、食べるもの、食べる量などを調整するようになるのにも驚きました。体が敏感だと、よく噛んでゆっくり味わいながら食べようとする本能も働くんですね。<br><br> 具体的な体の変化としては、自分はそもそも肥満ではありませんでしたが、それでも腹筋の割れ目が見えるくらいまでにタイトになり、妻はお腹周りが10センチ痩せたと喜んでました。体調は、全般的に疲れにくくなり、便通もよく、体を軽く感じるようになりました。<br><br> このプログラムが誰にとっても良いとは思いませんし、ずっと続けるようなものでもありませんが、この種の実験の最も重要なポイントは、これまでの習慣化された食パターンから一時的に離れることによって、日々の食との関係が見直され、リセットされた感覚に導かれてより調和の取れた方向に変化する点だと思います。具体的には、新しい食パターンにより、眠っていた食に関するモニターリングと本能的な食欲を伴う摂食調整機構が呼び起こされる感じがしました。それにより、食物が、実際に自分自身の一部になるということがリアルな感覚を持って経験され、体に取り入れるものに無頓着であることがもたらす健康被害の可能性の大きさを改めて実感することができました。<br><br> ついでに、もう一つ別の体験談を。<br><br> ハープ奏者としてかなり高度な身体操作をマスターした演奏家であることに加え、武道の鍛錬や日々の様々なDIYにより、これまでも身体操作に関してはかなり研究と実践を積んでいるという自負を持っていました。しかし、昨年から始めたアーチェリーを通じて、自分の体へのモニタリングと操作がどれほど不完全なものであるかを痛感しています。アーチェリーというこれまでに馴染みのない動作パターンに関しては、いまだに幼稚園児同然に不器用なのです。生まれて数ヶ月の子猫が、上手に木に上り、しなやかにジャンプし、驚くべき俊敏さと正確さを持って動き回れるのと比べて、人間の50歳のおっさんはなんとも情けない状態にあることか…。楽器演奏という運動を職業にしているプロの運動家もこの有様ですから、おそらく多くの皆さんも、慣れ親しんだ動作の範囲内でどうにかこうにか自己モニタリングと身体操作を実行できているレベルだと思います。<br><br> マッサージセラピストの妻によると、ほとんどのクライアントは、特定の体の部位の力を抜くように指示をしても、自由に力を抜くことができないと言います。その部位を刺激し、ここの力を抜いてください、ゆっくり呼吸を吐きながら力を抜いてくださいなど、いくつか指示を出すことで、ようやく力が抜けるようになるそうです。つまり、経験したことのない動作に限らず、馴染みのある日常の動作に関しても、自己モニタリングと調整の機能が著しく鈍化していて、運動の最適化は行えていないということになります。<br><br> 健康に関しては、とかく医療行為やサプリなどの外からの働きかける手法ばかりが脚光を浴びるのですが、本当は、その前にまず眠った状態にある自己モニターリングと自己最適化の機能が本来の力を発揮できるようすることが大切だと思います。そうすれば、身体は自ずと本来あるべき健康を実現するためにふさわしい生活習慣へと導かれてゆくのではないでしょうか。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/ab/e2/j/o3088232015047607471.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/15/musiclife-in-nature/ab/e2/j/o3088232015047607471.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="316" width="420" /></a></p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6841152
2021-12-14T14:12:31-08:00
2021-12-14T16:00:05-08:00
音楽製作家と音楽演奏家の違い
<p><br> 「音楽製作家と演奏家の違い?そんなものは微々たるものでしょ?」<br><br> おそらく音楽に携わっていない方はそうお感じになると思いますが、実際には、両者の仕事の内容はかなり異なります。<br><br> 音楽制作家には、作曲家、即興演奏家などの職種があり、音楽演奏家には、クラシック演奏家、カバー曲や他者によって書かれた楽曲の演奏者などが含まれます。アレンジャーやジャズの即興演奏家は、ちょうどこの中間くらいでしょうか。<br><br> 音楽制作家と音楽演奏家の違いは、ガーデニングの専門家と切り花のフラワーアレンジメント(生花など)の専門家の違いに似ています。花を育てるガーデニングの仕事は農業そのものですから、ほとんどの時間とエネルギーは、花自体ではなく土、気候、生育条件などの環境の調整の仕事に向けられます。そのため、地味で泥臭い作業の連続で、そこでは成果がすぐに形に見えない努力が要求され、徒労に終わる努力も数知れず…。しかし、根気よく続けることで肥沃なガーデンを作ることができれば、あとはどんな種や球根を植えても花は育ち、いつもたくさんの花たちに囲まれて暮らすことができます。ただ、その花を直接ガーデンまで見に来てくれるお客は稀です。その稀なお客が、花の買い付けに来るフラワーアレンジメントの専門家です。彼らは、花が咲き誇るガーデンから気に入った花を切り取り、それを花のない場所、例えば都会の建物の中などに持ち込んで、そこで花と器、それを取り巻く空間との調和を考慮して花の美しさを演出します。彼らの仕事場は、往々にして泥臭さとは無縁の文化的でお洒落な環境で、自分の仕事を大勢の方に見てもらうことができ、仕事のほとんどの時間とエネルギーをお花自体の美しさに向けることができます。<br> <br> このように考えると、前者は農民的、後者は芸能人的といえます。農民は百姓とも言われ、文字通り100の多岐にわたる仕事をこなす必要があります。実際に農民もやってる立場から多少の自尊心も込めて「農業は脳業である」と吹聴しております。もし、お花自体の美しさを扱うことに集中し、お客の反応を身近に感じられる環境で活動したいのであれば、フラワーアレンジメントが向いているでしょう。逆に、地味な作業が好きで、生命を育てるという神秘的なプロセスに興味があるのなら、ガーデニングが向いています。<br><br> 今の自分の音楽家としての立ち位置は、お花畑のガーデニングが本業ですが、たまに切り花を売りに街に向かって軽トラックを走らせるおっさん、といったところでしょうか。お花を上手に育て、育ったお花たちに囲まれてられるということ自体が何よりの喜びなので、営業もあまりしない。ご時世柄もあり、相変わらずお花は売れてませんが、まあ、それでも幸せかな。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6839837
2021-12-13T14:34:51-08:00
2021-12-13T17:00:05-08:00
時間をお金に換算する愚かさ・子育て
<p> 時給、月給、年収。どれも時間をお金に換算する考え方です。さらにアメリカでは、所有している資産を表現するときに、「〜さんには〜ドルの価値がある」というような言い回しが使われます。つまり、その人物の価値=資産価値でズバリ言い切ってしまう表現が普通に使われています。<br><br> もちろん、少し冷静に考えてみれば、あらゆる無限の可能性を内包している時間を単純にお金に換算することなんてできないことは明らかだし、ましてや、人物の価値をお金で表現するなんて言語道断です。でも実際には、この「言語道断」な価値観が現代社会の根底にあるため、お金を持っているお客さんには平身低頭し、労働の対価も時給、月収、年収で換算されています。<br><br> 時間は、人生において自由に使える数少ない資源であります。愛するものと過ごす時間、思索にふける時間、美しい自然に触れる時間、芸術を味合う時間、辛い経験を変容して乗り越えようとしている時間、何かを生み出している時間、何気ない日常の時間などなど…。一生は、このような一瞬一瞬をどのように過ごしたかということの積み重ね以外の何物でもありません。しかも、一体どのくらいの量の時間を与えられているのかは知らされていない、つまり、いつ死ぬか分からない条件の中で生きることを強いられているため、人生における時間の価値を計算することなど到底不可能なのです。このような「時間」という特別なものを、物質の交換手段に過ぎないお金に換算するというのは、本来全く噛み合わない換算をしているのです。<br><br> 時間をお金に換算する思考回路が出来上がってしまうと、「生きるためにはある一定額のお金が必要だ。→そのためには一定の時間をお金儲けの目的に使う必要がある。→お金のためには、やりたくないことも我慢してやるのは仕方ない。」という論理になんの不思議も感じなくなります。<br><br> でも実際には、お金のためだけに時間を切り売りするのは、割りに合わない取引です。例えば、音楽的な閃きや、思索の閃きは、ほんの一瞬の出来事がきっかけになります。その一瞬が、一生を左右するほどの影響力をもち、場合によっては他者の人生にも影響を与え、ひいてはそれが仕事となり、収入にもつながる可能性があります。ところが、毎日何時間もやりたくもないことをお金のためにやってるという状態でメンタルエネルギーを浪費していると、残りの自由な時間はそこからの回復、娯楽、休息にあてられ、人生の時間のクオリティーはどんどん低下してしまいます。つまり、安く切り売りした時間の値段に合わせて、人生の時間全体のクオリティーも下がってしまうのです。そして、そんな低いクオリティーの時間からは、創造性に富んだひらめきが生まれるチャンスはますます稀になっていきます。創造性の枯渇した人生…。そんな人生に魅力を感じますか?<br><br> 「でも、子供も育てなきゃならないし、嫌でもお金を稼がないとやっていけないじゃないか!お前は好きなことを仕事にしている芸術家だからそんな理想論を言えるんだ。普通に働いているものは、もっと大変なんだ。」<br><br> 芸術家の直面している現代社会の現実の厳しさを、ナメたらいけません。音楽家という極貧の職業を維持しながらもなんとか三児を育てた経験から、子育ての大変さは理解しているつもりです。むしろ、定期的に給料をいただける仕事をしている方よりは、はるかに厳しい経済状態で子育てを完遂したと思っています。<br><br> アメリカでは、子供のいる家庭でも共稼ぎの夫婦が多く、生活費の高い都市部では、下手をすると夫婦の稼ぎの半分は託児所や家政婦さん、家事をやらないことで余分にかかる外食やその他の諸経費で消えてしまいます。つまり、お母さん(あるいはお父さん)の稼ぎは、結局他人に子供を育てさせるための費用に全て消えていくことも珍しくはありません。「子供のために自分の人生を犠牲にするなんて時代遅れだ。経済的には意味がなくとも、夫婦ともに生きがいである仕事を続けることには意味がある。」そうかもしれません。しかし、せっかく産んだ子供をわざわざ他人に、しかもランダムに選ばれる他人に育てさせ、電子レンジ食品や出来合いのものを食卓に並べ、家族団欒の時間もあまり作れないという状況の中、子供と配偶者との距離感も大きくなり、いつしか家族が同じ屋根の下で暮らす他人同士になってしまう…。それが家庭を持った時に枝いていた理想の家族像なのでしょうか?<br><br> そうなってしまわないように、妻は母親であることを最優先し、その役割の合間でできるフリーランスの仕事で少しばかり家計を助けつつ、学校でのPTAや理事会役員の仕事を引き受けて子供の養育にできるだけ関わる道を選びました。一方で、稼ぎ頭となった哀れなミュージシャンの夫は、家族に経済苦を強いながらも、その中で暖かく幸せな家庭を模索してきました。幸い、夫婦ともにお金のためにやりたくない仕事に従事するということをしなかったので、それなりに楽しくクリエイティブに子育ての困難を乗り越え、その結果、子供の成長と共に自分たちも成長し、家族としてお互いに特別な絆も築くことができました。大人となって巣立っていった子供たちは、いわゆる勝ち組の成功者となることはないかもしれませんが、自らの判断で自らの幸せを模索する一個の立派な大人として尊重しつつ、これからもずっと付き合っていけると思います。<br><br> 振り返ってみると、子育ては確かに大変でした。子育てに正解はありませんから、手探りの試行錯誤で遠回りをしながら、時間とエネルギーをかけなければなりません。良い教育も与えてやりたいし、いろんなものも買ってやりたいし、やりたいこともさせてやりたい。それにはある程度お金もかかります。でも、それが子供と過ごす貴重な時間を犠牲にして仕事を優先させることを正当化する言い訳になってしまうと、本末転倒です。<br><br> 実は、子供に幸せな時間を与えるためには、お金はかかりません。大人が心から楽しみながら一緒に時間を過ごすだけで十分です。むしろ、それ以外に本当の意味で子供を幸せにする方法はありません。大人が楽しくしていることが、子供も楽しくさせるのです。でも、いつも仕事に追われて心に余裕のない大人たちは、表面的に子供の遊びに付き合いながらも、切り上げるタイミングを窺いつつ心のどこかで白けた気持ちで仕方なくそこにいるだけだったりします。そんな嘘は、子供は敏感に感じてしまいます。 そこでなんとかご機嫌を取ろうと、おもちゃやゲームを与えて、お茶を濁してしまう。そんなことを繰り返していくうちに、子供と過ごす時間を、くだらないおもちゃやレクレーションで代用することが習慣化し、どんどん子供との心の距離は大きくなってしまいます。<br><br> 子供と一緒に心から楽しい時間を過ごすのは、実はさほど難しいことではありません。自分が子供だった頃の心を思い出して、その心で子供に接すればいいのです。言い換えれば、自分も子供になりきるということですね。大人気なく、馬鹿になって本気で遊べばいいんです。どんな大人でも子供だったことはあるので、必ず子供の自分を見つけることはできます。子供たちのエネルギーが、忘れ去られていた子供の自分を引き出してもくれます。<br><br> 小さなボロ屋暮で、子供たちは折り重なるように寝て、そこにさらに友達が泊まりにきて、もう訳がわからないカオスになる。夏休みには友人の子供も預かって、10名を超える子供が朝から夕方までウヨウヨしている。もちろん、そんな環境ではハープの練習をするのも大変です。でも、楽しかった!たとえ貧乏な生活でも、大人がそれを悲惨だと思っていなかったら、子供はボロ屋であろうが狭かろうが、全く気にしません。その瞬間に楽しみを見出し、幸せを謳歌するだけです。それを眺めていると、大人も元気になれるんです。<br><br> 子供が子供である時間は限られています。あっという間に、大人になってしまいます。親子として、今でしか経験できないこと、今でしか結ばれない絆があります。それは、どれだけお金積んでも得られないもので、時期を逃すと二度と手に入れるチャンスは無くなってしまいます。純粋な子供の心に触れることで、「この子のために、もっとまともな人間になる努力をしよう」という決意も与えられます。「もう少し仕事が落ち着いて経済的にも余裕ができたら、子供ともゆっくりすごそう。」そんなことを言っているうちに、チャンスはなくなってしまいます。<br><br> 「じゃあ、仕事を犠牲にして子供のために時間を作らないといけないのか…。」いやいや、案外とそうでもないのです。子供と幸せに過ごす時間のおかげで、仕事でも自ずと成果が上がってきますから、長期の収支で見れば何も犠牲にはなりません。何かを犠牲にして子育てをするという考えが、そもそも間違っているのです。子育てを義務、あるいは重荷と感じていると、仕事も家庭も全て歯車が合わなくなり、一緒に幸せになるチャンスを与えられた家族なのに、負のスパイラルで共に不幸に落ちてしまいます。<br><br> 子供という、無限の可能性を持った存在の成長を助けるのが子育てです。この素晴らしい創造のプロセスに比べれば、音楽家としての創作活動など色褪せて見えるほどです。子育て中の皆さんは、どうか今の特別な時間を心から楽しんでください。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211214/07/musiclife-in-nature/7c/d1/j/o1266099815046104226.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211214/07/musiclife-in-nature/7c/d1/j/o1266099815046104226.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="489" width="620" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6838115
2021-12-11T21:03:15-08:00
2021-12-11T23:45:03-08:00
人生の勝ち組って?
<p> 現代社会での「勝ち組」あるいは成功者と呼ばれる方は、ほぼ例外なくお金をたくさん持っています。<br><br> でも、お金そのものは何らの価値も持っていません。実際にはお金を通じて交換される物品やサービス、経験にこそ価値があります。そのため、お金を介した豊かさというのは、お金が通用する社会で物品とサービスが行き届いた状態においてのみ実現が可能です。<br><br> この条件の揃った社会では、お金があると、様々なサービスや物品を自ら産出しなくても良い状態になりますから、いわゆる「やりたいこと」にエネルギーと時間を集中することができます。そのため、皆が「やりたいこと」を職業として選択し、そこでの働きに応じてお金を得て、自分では生み出せない物品やサービスを買うという生活様式が成立します。つまり、個々が得意とする専門的な仕事を分業し、お金を介してお互いのサービスを交換し合うというシステムが構築され、社会全体としての効率性と安定性が確保されます。<br><br> しかし、個のレベルでは、お金儲けに失敗するとすべてに不足するような貧しい生活に陥る危険性とも隣り合わせになります。一方でお金儲けに大成功すると、召使を雇って、家庭内の日常業務すらも他者に任せてしまうことができ、やりたいことと趣味以外には文字通り何もしなくても快適に生きることができます。つまり、お金という媒体を使って、完全に他者に依存して生きるという特権を得られるわけです。ただし、そのお金が通用するシステムの内部においてのみ有効な特権ですが…。<br><br> このようなシステムで生きていると、「豊かな人生を送りたい」と言う願いは、ほぼ自動的に「お金をもっと稼ぎたい」という願望に置き換えられてしまい、現在お金を生んでいる職能にさらに時間とエネルギーを投資して、何とか収入を増やそうとします。そうすると、ますます「自分のにできること」は現在持っている職能の周辺に限られ、生活に必要な物品やサービスの他者への依存は深まり、豊かさを得るための切り札はお金しかなくなってしまいます。そうなると、何がなんでもお金を増やすことでしか豊かさを得る手段は無くなってしまいます。<br><br> 長年音楽家として生きるなかで、現代の社会システムで貧困であることの辛さは骨身に染みて味わってきました。自己探究の末に見つけた「やりたいこと」がすでに雇用先が多数存在している仕事ではなく、独自の音楽制作と演奏という特殊な仕事であったため、お金を稼ぐ道筋も独自に開拓しなくてはならず、そのために音楽以外のビジネス的な側面にも多大なエネルギーを吸い取られ、思ったほど音楽に集中できない状況にも陥りました。しかも、どれだけ頑張っても、生活に必要なものを手に入れられるに十分な収入に達することすら難しい。健康増進のために使える時間もなければ、家族に健康的な食品を供給したくても、高価なオーガニック食品には手が出ないから、どうしてもジャンクな食事が増えて体調も悪くなる。頻繁に故障する古い中古車の修理のたびに銀行口座に微々たる貯蓄も一瞬でスッカラカンに。リーマンショックの後は、クレジットカードも全て差し止められて借金もできない。そんな中、コンサートツアーを開始するための資金が不足し、子供の貯金をかき集めて航空券を買うこともしばしば。ツアー先から最初の仕送りをするまでは、家族はギリギリの生活をして耐えている。高額な民間健康保険には入れないから、病気になってもじっと自宅で療養するしかない…などなど。正直、死んだほうが楽だと思ったことが何度もありました。<br><br> おそらく、社会保障制度が充実している日本では、これほどの貧困を経験することはあまりないと思いますが、これほどのどん底を経験すると、お金以外の方法で物質的豊かさを得る手段を考えるしかありませんでした。<br><br> 収入が限られているなら、無駄な支出を抑えるしかありません。しかしこれには限界があります。これ以上節約できないところまで切り詰めると、そこから先はサービスを自ら提供するしかありません。つまり、自給自足、 DIYをベースにした生活への移行です。料理、食品加工、自動車修理、土木建築作業、農作業、家周りや道具類のメンテナンス、ウェブサイト管理、レコーディング作業、ビデオ編集、写真加工などなど、なんでもやりました。こうなると、好きも嫌いもありません。やりたいこと、やりたくないことなどと贅沢も言ってられません。やらないと生きていけないからです。<br><br> お金の量が幸せの量と比例するという常識からすると、このような生活を強いられている音楽家は、この上なく悲惨であると映るでしょう。しかし、他者への依存、すなわちお金による問題解決という手段から離れる努力をすることで、多種多様な技能が訓練され、期せずして音楽だけに従事していたら決して使わない能力を開拓する機会に恵まれました。その結果、自己開発の面で大いなる成果を得たと同時に、多岐にわたる様々な経験という、お金では手に入らないものを得ることもできました。<br><br>例えば…<br>●他者への依存が減ったことによって生存への自信と確信が増し、恐怖や不安が少なくなった<br>●様々な職能に触れることで、あらゆる職業への心からの尊敬を感じられるようになった<br>●全人間的な能力開発を強いられたおかげで、音楽の技能が向上した<br>●日常生活の中で心身の能力をバランスよく用いる習慣ができたおかげで、健康が増進した<br>●自然の厳しさと恩恵に触れる機会が増えた<br>●人間が生きるということの全貌への理解が深まった<br>●いろんなことをやればやるほど、新しいことの習得能力は加速度的に向上し、「一芸は諸芸に通づる」ということを実感しながら学びを楽しめるようになった<br>●様々な分野に触れることで、いろんなものへの目利きが効くようになった<br>●お金を介さない人間関係で仲間と助け合える喜びに恵まれた<br><br> 結論を言えば、自ら様々なことをやれる能力が向上したことで、期せずして音楽家としての能力も向上し、生きる幸せも見出すことができたのです。<br><br> 人は本来、社会的生物である以前に、自己完結的な生物でもあります。つまり、生活に必要なものは自ら調達できる基礎的能力を一通り備えて生まれています。そのため、物品やサービスの供給などの生存上の問題解決に際しては、本来「自らで解決する」か「専門家を雇って解決する」という2択から自由に選択できるようになっています。往年の名作テレビシリーズ「大草原の小さな家」のお父さん、チャールズのような立場をイメージしていただけるとわかりやすいかと思います。<br><br> とは言いながらも、何事においても得手、不得手というのはありますから、社会分業という形態の中でそれぞれが得意なことに集中することで、種全体としては生存の効率を上げることが可能となります。しかし、社会分業が行き過ぎると、個の本来持ち合わせている全般的な生存能力の開発は犠牲になります。そうなると、問題解決に際しての選択肢から「自らで解決する」という可能性はほぼ消滅し、「専門家を雇って解決する」という選択肢のみになります。その結果、豊かさを求めるためには、お金が絶対不可欠となり、ますます広範な人本来の能力開発の機会は少なくなってしまいます。その上、職業に貴賎をつけて収入やステイタスによるピラミッド階層が作られ、皆が上を目指して競争し、勝ち組、負け組が別れる仕組みになっていますから、一度貧乏に身を落とすと、豊かさを手に入れることも、そこから抜け出すことは大変難しくなってしまいます。そのため、常に不安と恐怖を抱きながら一度手にした収入源を手放したくない一心で、やりたくない仕事、良心に反する仕事であっても続けざるを得ないという心理状態に追い込まれてゆきます。つまり、ある程度安定した収入を得ていても、幸せとは程遠い状態に置かれる可能性が高いのです。<br><br> 子供の頃から、いわゆる「成功した」大人たちから、「世の中甘くない。負けた奴らは努力が足りないからだ。努力して勝ったものがいい思いをできるのは当然のことだ。そういう厳しい競争の中からこそ人類の進歩もあるんだぞ。」と聞かされてきました。なるほど。では、そうおっしゃるあなたは、安い賃金で働いている「負け組」が生み出してくれるサービスや物品がなくても生きていけるのですか?もちろん、生きていけませんよね。何しろ、お金という媒体を使って、完全に他者に依存して生きるという特権を体現しているおかげで、人本来の生存能力はまだ赤子同然に未発達でしょうから。お金という紙切れの魔法が解けたら、ただの裸の王様かもしれませんよ。人類の進歩?社会の半数以上が幸せを感じられない状況が、人類の進歩の結果ですか?<br><br> こんなことを言うと、負け組貧乏人の負け惜しみ、あるいは個人主義の偏屈オヤジの戯言と思われるかもしれません。しかし実際には、東京大学を卒業し勝ち組として生きられる可能性の高いコースにあったにも関わらず、貧乏と添い遂げるような人生を選択したことで人本来の幸せの可能性を見出してたことは事実ですし、自給自足の苦労を経験することで、むしろ社会分業のありがたさを身にしみて理解していますから、負け惜しみでも個人主義者でもありません。人間は社会の中でしか生きられないことを痛切に感じているからこそ、職業に貴賎をつけて貧富を巡って勝ち負けの競争するように仕組まれている社会が、いかに人本来のあり方から解離しているかも痛感するのです。<br><br> もし今の社会のあり方に疑問を感じているのであれば、自分なりにより良い社会のあり方を真剣に模索し、そのような社会の一員であればどのように行動するかを考え、個としてそれを実践することでしか、社会の変化を期待することはできないと思います。もし、一生懸命に誠実に生きているにも関わらず貧乏に喘いでいるなら、それは人本来の生存能力を鍛えるチャンスかもしれません。生存のために必要な能力は全て神によって与えられていることを信じ、生活の中で自らの手で行えることのレパートリーを徐々に広げて、人本来の生存に近づく努力をしてみてはいかがでしょうか。<br><br> 心身に深く根差した経験は、生きている間には本当の喜びと幸せをもたらし、肉体の死後も自己の一部として残る可能性がある。そのかけがえのないものをお金のために犠牲にするのは、あまりにも割に合わない取引である。<br><br> これが真理であるかどうかは証明できません。ただ、音楽という形のないものの神秘に人生を捧げるものとして、そう信じています。<br><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6835296
2021-12-09T10:29:21-08:00
2021-12-09T12:15:05-08:00
音楽家としての成功って何?
<p> 若い頃に抱いていた音楽家としての成功のイメージはこんな感じです。<br><br> 「好きな音楽に全身全霊で打ち込み、高い評価と大きな報酬を得て、社会に必要とされているということを感じつつ、快適で便利な生活の中で音楽に専心している自分…(遠い目)。」<br><br> 現在は、このような成功を目指しても幸せになれないということをはっきりと自覚しています。<br><br>1)まず、音楽に全身全霊に打ち込む、という点がそもそも大間違いでした。<br><br> どれだけすごい音楽であっても、たかが音楽。人生経験のごく小さな一部でしかなく、そこで得られる経験は限定的で、そこで全人間的な能力をバランス良く磨けるわけでもなく、そこで見出せる真理も広大な宇宙の真理の海に浮かぶ小島程度のものでしかありません。つまり音楽には、全身全霊をかけるほどの価値はない。音楽は、人生の主産物ではなく、副産物に過ぎないのです。音楽(おそらく芸術表現全般)は、感情、洞察、感覚、直感、創造への意欲などが調和的に発達した土壌に育つ無数の作物の一つにすぎません。素晴らしい音楽家を目指して努力すること真の価値は、音楽という果実自体ではなく、その根源となる土壌の豊かさを高めることにこそあります。土壌を豊かにするという意識を持つことができれば、人生全体を俯瞰的に眺める視点が強化され、様々な全人間的な成長のための努力をするようになり、その結果、自ずと音楽という果実も充実してきます。<br><br> 音楽で行き詰まりを感じた時に、さらに多くのエネルギーと時間を音楽に向かわせるのはナンセンスです。音楽は、全人間的成長段階を示すバロメーターに過ぎません。バロメーターが低い数値しか示さない時に、「メーターにどこかおかしなところがあるんじゃないか」と考えるのは馬鹿げでいます。実際にはバロメーターが計測しているもの、つまり人間的成長に問題があるということです。では、自分をこのような状態にとどめてている要因は一体何なのか?それを注意深く洞察し、要因とおぼしきものを発見したならば、環境や生活習慣、考え方、価値観などを変化させてみます。その結果、日常における充足感、健康感などが向上したら、土壌改善に成功しているサインです。その影響が果実(音楽)に現れてくるまでには、少し時間がかかりますから、その間は少しばかりの忍耐が必要です。ここで焦って以前のように猛練習や音楽への没頭によって成果を得ようとすると、せっかく変革した習慣や価値観が元に戻ってしまい、結局同じ苦しみの連環の中で苦しみ続けることになります。<br><br> これは、若いころに1週間に70時間以上の猛練習をして自己満足に浸っていた「大馬鹿者」からのアドバイスです。「過去にそれだけの努力をしたからこそ、今の古佐小さんがあるんですよ」と言ってくれる方もいらっしゃるのですが、実際には、愚直な根性論に呪縛された間違った努力以外の何物でもありませんでした。実際に、そのような努力にしがみついていた時代は、精神と体を病んでいましたから…。<br><br><br>2)他者からの高い評価。これも、音楽において道を誤る主要因です。<br><br> 音楽家として幸せを感じるのはどんな時ですか? この問いへの回答としては、幸せの要因として、聴衆の反応に比重を置くパターンと、演奏家として主観的に経験している内的状態に比重が置くパターンに分けられると思います。その両極の回答を一般化してみると、以下のようになります。<br><br>●聴衆の反応に比重を置くパターン:「何を演奏するか、ということにはあまりこだわりはありません。自分の演奏を聴いてくださる方が喜んでくれることが、何よりの幸せです。」<br>●演奏家として経験する内的状態に比重を置くパターン:「自分の納得した音楽を納得したクオリティーで演奏すること、また、それができる自分自身の存在に満足感を感じます。もちろん、その喜びを共有できる聴き手がいるに越したことはないですが、聴き手の有無は、満足感や演奏への意欲には直接影響を与えません。」<br><br> 古佐小は、ハープ奏者としてのキャリアの初期にクラシックを演奏していた頃は、前者に近いパターンでしたが、その後即興演奏や作曲に活動の中心を移すに従い、後者のパターンに変化していきました。<br><br> できるだけ早くプロとして収入につながる仕事を得るためには、社会で需要のある分野での演奏活動をしなくてはなりません。そこで演奏する内容は、オーケストラなら、オーケストラのために書かれたハープのパート、結婚式ならブライダル音楽、ホテルラウンジならライトクラシックやポップス、ジャズクラブならジャズ、クラシック系の室内楽なら定番の室内楽レパートリーなどなど、マーケットに合わせて自動的に決まってきます。<br><br> 「別に何の問題もないじゃない?」はい。以前はそう思っておりました。<br><br> 音楽家としての幸福の要因を聴衆の反応に求める方にとっては、確かに何の問題もありません。しかし、マーケットでの需要に従ってほとんどの意思決定をすると、演奏家として、純粋に自らの感性と意欲に従って演奏内容を決定することはできませんから、演奏時の内的状態に比重を置く音楽家は、この方向では遅かれ早かれ行き詰まってしまいます。<br><br> 「そんなことない。自分は長年室内楽をやっているけど、いつも自分で納得できるプログラムを組んで満足感を感じて演奏しているよ。」はい。自分も以前はそう感じておりました。なぜなら、歴史的に認められている音楽、大勢のお客に受け入れられる音楽には、絶対的な価値があるという前提を盲目的に信じていたので、それに違和感を覚えるのは「自分の感性が未熟であるからに違いない。もっと勉強をしなくては!」と自分に言い聞かせ、感覚的に違和感のある楽曲もそれなりに<納得して>演奏していたからです。<br><br> でも、50歳も過ぎたおっさんになり、過去の偉大な作曲家と大差のない年数の音楽経験と人生経験を積むと、この世には、万人にとって普遍的な価値を持つ客観芸術と呼ぶにふさわしい作品は、ほとんど存在しないことに気づきます。結局のところ過去の偉大な芸術家も、自らの主観的な感覚に従い、最も客観的と思われる美を追求したにすぎず、その意味では素晴らしい道案内人ではあるけれども、最終解答を示しているわけではないのです。美の追求においては、過去の偉人の足跡を参考にしながら、自らの足で歩き回り、汗をかきつつ自らの感性にとって最も普遍的で客観的と感じられる美を見出すしかない。皮肉なことに、正しい努力をすればするほど人間的な成長が加速化するので、昨日意味のあったものが明日には無意味なものになっているという目まぐるしい変化が起こります。掴んだと思ったものが、しばらくすると消えてしまう…。あたかも砂漠で蜃気楼を追いかけているかのような虚しさの連続が、美の追求、あるいは真理の追求という道にはついてまわります。その苦しさから逃れんがために、今手にしている芸術で妥協する、つまり、そこで成長をやめてしまいたいという誘惑にも駆られます。しかしながら、芸術家の喜びは、この誘惑との厳しい戦いの中でしか姿を見せてくれない美と真理に触れる瞬間にあります。<br><br>3)大きな収入。これも幸せのために絶対必要な条件ではありません。<br><br> 他者からの評価、他者から支払われる報酬は、音楽演奏の動機にいとも簡単に忍び込んでしまいます。「でもそれがないと、音楽家として食っていけないだろ?」はい。その通りではありますが、評価や報酬は副産物であり、主産物ではありません。他者からの評価や報酬に目がくらむと、芸術家にとっての生命線である「自由」を切り売りすることになります。しかし、そうしないとプロの音楽家として生計を立てることは難しいのも事実です。自由の体現者として社会に希望を与えるべき立場にある芸術家が、自由を切り売りしないと食っていけない社会…。健全な社会とは言い難いですが、社会のあり方に不平不満を言う前に、芸術家自身の妥協がそのような社会的傾向を助長している可能性も謙虚に受け止める必要があります。<br><br> 音楽家の「大きな収入」というと、マイケル・ジャクソンのような億万長者をイメージするかもしれませんが、実際には、自由を優先させて音楽活動をするプロにとっての「大きな収入」は、サラリーマンの平均収入を下回る程度が上限だと感じます。自分の場合はもっと酷くて、時間的自由を確保するために特定の生徒に定期的に教えるということはしていませんし、オーケストラなどの組織に属して演奏するという活動も避けていますから、安定した収入すら確保するのは難しく、2ヶ月後の家計すら計算できないという状況が10年以上も続いています。でも、毎日自由に音楽の探究、美と真理の探究に時間とエネルギーを好きなように使えるという報酬を得て、家族との関係も良好で、幸せに暮らしています。<br><br> 「食うためには仕方ない。」現代社会でよく使われる自己正当化のセリフです。属している企業や組織から要求される仕事が自らの良心に背くものであっても、「これが仕事ですから、家族を養うためには仕方ありません。みんなそうやって自分の意見を飲み込んで、社会の一員として我慢して生きているんですよ。」芸術家が、自らの心に背いて何かをやる場合にも、やっぱり「なんだかんだ言っても、結局は食って行かなきゃいけないからね。」と正当化します。<br><br> カトリック系の学校の倫理の授業で、神父さんから「良心の声を無視しているうちに、だんだんと良心の声が聞こえなくなる」と教わったことを思い出します。「食うためには仕方ない」というセリフが免罪符となる社会では、良心の声に上手に耳を塞ぐことができるようになることが、大人になることを意味するのでしょうか。<br><br> 「食うために、〜する。」冷静にこの言葉を眺めてみると、実はゾッとするほど動物的で本能的ではありませんか。食うことが目的で、やってることはその手段に過ぎない。「〜するために、食う。」この方がよっぽど人間的です。「食う」ということが、文字通りに「健康体を維持するために必要なものを手に入れる」ということであれば、食っていくために必要なものは、実際にはさほど多くないはずです。<br><br> 「食うこと」の奴隷にならないためには、自分にとって「食う」ということが本当には何を意味しているかを再評価する必要があります。<br>●本質的に不必要なもののために多くのお金と時間を使っていないか?<br>●やりたくもないことに従事することを「食うため」と正当化し、心と体にどれだけのストレスをかけ、そのために健康を害し、その治療や予防のためにさらにお金を稼がなくてはならない状況に自らを追い込んでいないか?<br>●どこからともなく湧いてくる恐怖心を和らげるために、過剰な物質的充足に走っていないか?その恐怖は、リアルなものなのか?幻想ではないのか?<br><br>4)音楽への専心は、不必要。<br><br> 日常すべての行動が、音楽活動の時と同じだけの注意力と意識を伴って行われるならば、生活全体が音楽となり、音楽での修練が生活全体の質の向上につながります。日常と音楽は、排他的関係にあるのではなく、むしろお互いを高め合う関係にあるべきです。平凡な日常生活も、ハープ演奏時と同等の意識と注意力を持って受け止められたなら、どれほど素晴らしい瞬間の連続になるでしょう。食事を意識的に楽しんでいる瞬間には、音という波動は発せられないかもしれませんが、喜びや幸せ、感謝というような心の波動を発することで、音楽よりももっと価値のある響きを奏でていることになるのです。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/07/musiclife-in-nature/ca/e7/j/o2996200014956053871.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/07/musiclife-in-nature/ca/e7/j/o2996200014956053871.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="414" width="620" /></a><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6763944
2021-10-01T19:01:20-07:00
2021-10-01T23:30:19-07:00
コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(5)『ワクチン以外のコロナ感染症対策』
<p>ワクチン以外にも、コロナ感染症への対策はたくさんある!<br><br>(1)打つべきか、打たざるべきか、それが問題だ。<br> 新型mRNAワクチン。すでに世界中で大規模接種され、さらなる接種率のアップ、定期的な追加接種の導入のために、各国政府は医療従事者のワクチン義務化、公務員のワクチン接種義務化、ワクチンパスポートによるワクチン未接種者への社会活動制限、様々なワクチン推進政策を行っています。カリフォルニアでも、7歳以上のすべての学童へのワクチン接種を義務化する方針が知事より発表されました。<br><br> ワクチン未接種だと仕事ができないという現実に直面しているプロの演奏家のような職業では、過去の使用実績も十分な治験もなく緊急認可された新薬であるmRNAワクチンを接種することに抵抗感を覚えながらも、これまでの生活を続けるためには、接種をしなければならないという状況に追い詰められています。新型コロナのような発症率と致死率がそれほど高くない疾患を予防を目的に健常者がワクチン接種を選択する場合には、その効果だけでなく、限りなく無害であるという安全性も担保されなくてはなりません。しかし、治験期間半ばで大規模接種が開始された新型mRNAワクチンでは、残念ながら、安全に関して実験と統計的な分析に基づいた科学的証拠は非常に限られています。また感染予防の効果も、前評判に比べてかなり限定的なものであることが明らかとなっています。<br><br> とはいえ、カリフォルニアでワクチン未接種だと、間もなくプロの演奏家としてのキャリアを諦めざるを得ません。そのため、なんとか納得した上でワクチン接種を選択できないものかと、感染症やワクチンの勉強、最新の情報収集、医療専門家との意見交換も行ってきました。現時点での結論としては、「新型mRNAワクチンのリスクはコロナ感染症のリスクを大きく上回るため、予防手段としてワクチンを選択しない。そのために音楽のプロ活動ができなくなるのであれば、それは仕方ない。」という判断です。生活はいくらでもやり直しができるし、音楽はプロでなくても引き続き求道の努力を続けることができますが、健康と生命を失ったらそれでおしまい。50年かけて築いた音楽家としての生活と、生命と健康を秤にかけるという究極の選択の中、このような苦渋の判断をしました。また、現行のワクチン政策の進められ方には、政治的にも公衆衛生的にも多くの問題があると感じていますから、新型mRNAワクチン接種をしないという選択は、保健師としての意見表明の意味もあります。<br><br><br> 「でも、コロナにかかって健康と生命を失う可能性もあるじゃないか。そっちはどうするんだ!」<br><br> それに関しては、コロナリスクとワクチンリスクを慎重に科学的な根拠に基づいて比較し、コロナにかかることでの健康リスクの方が、ワクチン副反応によるリスクよりも低いと判断しています(https://ameblo.jp/musiclife-in-nature/entry-12684375383.html)。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/02/musiclife-in-nature/ed/88/p/o2264146214966961263.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/02/musiclife-in-nature/ed/88/p/o2264146214966961263.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="400" width="620" /></a></p><p> </p><p> また、ワクチンは感染予防の手段の一つに過ぎずません。手洗いやうがい等の感染予防行為に加え、食習慣、運動習慣、メンタル習慣などの日常生活習慣の改善により心身の健康レベルを向上させ、免疫力などの病気への抵抗力を上げることも、疾病予防においては不可欠な要素であることは広く認められています。つまり、自主的な努力でコロナ感染症のリスクを下げることは可能なのですが、新型mRNAワクチンのリスクは、接種すると同時にある確率で必ず背負うことになり、それを軽減させるために自主的に行えることはありません。そもそも、ワクチンはすでに働いている体内の免疫機反応を誘発させるきっかけに過ぎないわけですから、体の免疫力が低いレベルにあったら、ワクチンの効果も低くなります。ですから、ワクチン接種云々を議論する前に、まずは自らの健康状態を省みることこそが必要なのですが、それを抜きにして「とにかくワクチン打てば大丈夫」という認識があるとしたら、それは危険です。アメリカで一緒に暮らしている義理の祖母は、白血球が減少する免疫系の疾患で治療を受けていましたが、医師の勧めで今年の春に新型mRNAワクチンを2回接種したところ、顔面半麻痺、全身の発疹、リンパ節の肥大から悪性リンパ腫への転化を経験し、現在は他州の専門病院で治験中の新薬を用いた3ヶ月間の薬物療法を受けています。これほど辛い思いをしてワクチン接種をしたにもかかわらず、肝心な抗体はできていませんでした。祖母の癌とワクチン接種に関しては、医師は関連性はないと判断し、ワクチンの有害事象として報告されないばかりか、医師の勧めで3回目のブースターショットを接種しました。<br><br>(2)現代西洋医学と伝統医学の協働の必要性<br> そもそも予防と健康増進は、現代現代西洋医学の得意とする分野ではありません。現代西洋医学は、それぞれの身体部位に現れる個別の疾患のメカニズムを解明し、その対処法を見出して問題となっている症状を取り除く、あるいは抑える医学です。つまり、病の状態を未病な状態に戻すことに特化した医学で、そのため、目の前に現れている問題解決に重点が置かれ、独立して存在するパーツの集まりという身体観に基づき、より分析的で限局的に病を扱います。大病院に行くと専門分化した診療科が数え切れないくらいに存在しているのは、このような現代西洋医療のあり方を物語っています。治療は、薬物や手術などによる外部からの積極的な働きかけが中心で、患者はその意味を理解しないままに受動的に治療を享受し、自動的に起こる生化学的な反応による治癒を期待します。いわゆる「先生にお任せする」「先生に治していただく」という態度です。そのため、当事者本人が積極的に自らの健康に関して考え、感じ、行動を起こすことはほとんど要求されません。このような治療者ー患者関係があるために、生活全般での意識的な健康習慣の構築が不可欠な予防や健康増進を、現代西洋医学的アプローチで進めることは非常に困難です。そのため予防手段は、当事者は受け身で何もしなくても即効性の成果が期待できるワクチン予防接種に絞られてしまいます。<br><br> 一方で、アユルヴェーダ、東洋医学、ハーブをベースにした西洋の伝統医学などでは、からだは一つの不可分の全体であるとする身体観に基づき、現在問題として出てきている局所的な症状だけではなく、根本原因となっているからだ全体の機能や構造上のバランスの崩れ、身体外の環境要因を探り、過去からの習慣の蓄積と未来における新しい健康習慣を見据えて長い時間の中で問題に対処します。そのため、今目に見える問題を即効的に解決しなくてはならない急性期の病や重篤な外傷などでは、現代西洋医学ほどの華々しい成果を上げられないのですが、慢性の病、予防、健康増進など、当事者の積極的な関与と長期にわたるコミットメントが必要な健康課題に関しては、非常に有効なメソッドが蓄積されています。<br><br> また、現代西洋医学では、人類に共通する人体のモデルを設定し、誰に対しても普遍的に効果のある最大公約数的な治療法を研究し、それを類型化された疾患に対して適用するのに対し、伝統医学では、個々の人体の在り方が千差万別であるという前提に立ち、生活様式や生活環境までも考慮した全人間的なアプローチにより問題を解決しようとします。<br><br> 一般には、伝統医学は現代西洋医学よりも劣った医学であるとみなされています。しかしながら、伝統医学は、経験則に基づく膨大なデータをもとに長年かかって構築されていますから、統計学的にかなり精度の高いエビデンスを備えたシステムです。つまり、現代西洋医学も東洋医学も、方法論の違いはあれ、どちらも同じく有効な医学であるということです。<br><br> 近年、現代西洋医学と伝統医学の良い点を統合した医療を目指す統合医療という分野の研究も進んでいます。新型コロナに対しては、このような統合医療的なアプローチこそが必要である思いますが、残念なことに、現実にはコロナへの対抗策はワクチンの大規模接種しかないという論調で接種率向上を上げるキャンペーンが張られる一方で、伝統医学的な予防と健康増進のアプローチを推奨する動きはほとんど見られません。<br><br>(3)現代医療システムの問題<br> 医療の目指すべきゴールは、皆が健康に暮らし、最大の生産性の中で最高の幸せを手にすることのできる社会を作り出すことです。ですから、医療がその役割を最高度に果たした社会では、誰も病気にならず、皆が本来の能力を最高に発揮してイキイキと暮らすことになります。つまり、予防と健康増進、能力開発が主な医療活動とされ、そのオマケとして病のない状態が生じるということになるはずです。ところが、現在の社会では、医療の進歩に伴って病への対処法と病の発見のテクノロジーは進歩しているのもかかわらず、病が減るという現象は起きていません。なぜなら、予防と健康増進は大きなお金を生み出しにくい仕組みになっているため、そこにエネルギーが向けられないからです。<br><br> 元医療従事者として誓って断言しますが、医療の現場で働くものは皆、心から社会の安寧と患者さんの健康を祈って、真摯に仕事をしています。ただ、その尊い意識とエネルギーという貴重なリソースは、病直しの分野に集中してしまって、病院を離れたところでの予防や健康増進の活動にはあまり向けられません。なぜなら、そこにお金が発生しにくい、つまり仕事にならないし、研究費も集められないからです。お金にならないというのは、資本主義社会では致命的です。芸術家は、その致命的な状況の中でなんとか生活を成り立たせる術を見出すのですが、それを医療従事者に期待することには無理でしょう。医療職の魅力は、なんといっても食いっぱぐれがなく収入も悪くないという点ですからね。このような現実があるため、予防の手段としては、経済活動に結びつくワクチンが推奨され、あたかもそれが唯一の手段であるかのように語られてしまうのです。<br><br>(4)新型コロナ感染症への対応策<br> 新型コロナの感染症の重症化ケースの急性期では、まずは症状を軽減させて生命を救うことが最重要課題となります。そこでは西洋医学が本領を発揮できます。治験中の新薬を緊急承認するのであれば、健常者を対象としたワクチンではなく、すでに新型コロナ感染症を発症して健康リスク負っている患者を対象とした治療薬の分野で進められるべきだったと思います。治療薬の治験の場合、対象者はすでに大きな健康リスクにさらされている状態なので、リスクの疑われる新薬の使用をある程度正当化でき、しかも対象者は入院管理を受けているため、個別のケースに応じた投薬の量とパターン、その他の薬との組み合わせなどを注意深く考慮しながら、綿密な経過観察とデータ収集も行えます。一方で、不特定多数の健常者を対象にしたワクチンの治験的大規模接種では、リスクの高い新薬の治験を正当化することは難しく、対象者の病歴、健康状態、他の薬との相互作用などを考慮して個別に対応し、フォローアップを継続することは不可能です。さらに、有害事象のデータは事後の自己申告によって収集されるため、即座に因果関係を特定することは難しく、長期にわたって膨大なデータ収集と分析をすることでようやく因果関係が明らかにされます。そのため、ワクチンに未知の中長期の深刻な有害事象が隠れている場合には、その因果関係が明らかになりリスクが正式に認識されて使用が再検討されるまでに数年が経過することが多く、その間に甚大な健康被害が起こってしまう可能性があります。<br><br> だからと言って、頭ごなしに新型mRNAワクチンに反対というわけではありません。健常者への感染拡大を防ぐ手段の一つとして、治験中の新型ワクチンという選択肢があっても良いとは思いますが、その接種への選択は完全に自由意志によってなされるべきです。現在のように、ワクチン接種が唯一の方法であるという誤った印象を国民に植え付け、皆国民接種を促すような政策を推し進め、それをメディアも後押しすることで、同調圧力を醸成するというやり方は間違っています。実際には、健康増進と予防を得意とする伝統医学の知恵を用いれば、呼吸法、食事法、運動法、その他のボディーワーク、ハーブや生薬の適宜使用などによる健康増進活動による免疫力強化をメインに、中〜長期にわたる様々な予防策を講じることが可能です。これらの行動メニューは、個のニースに応じてカスタマイズし生活に取り入れることが可能で、コストもほとんどかかりません。<br><br> 「そんなこと言ったて、そんな面倒なことは誰もやらないぞ!みんな毎日の暮らしで精一杯なんだから。」<br><br> 痛いところを突かれました。確かにそうなのです。日々の健康増進は当事者がやるべきことを理解した上で自己責任で実行しなくてはならないため、目の前に差し迫った健康問題がない方に対し、動機付けをして実行を期待するのは非常に難しいのです。しかし、新型コロナのパンデミックという差し迫った問題を鼻先に突きつけられているこの状況を逆手に取り、国民規模で自らの健康管理に責任を持つ態度を醸成することができれば、コロナ問題だけでなく、その他の感染症、生活習慣病、寝たきり老人の問題など、これまでに山積しているすべての健康問題への対策にもなります。そもそも、予防や健康増進のために、日々のわずかな時間とエネルギーを割くことができないほどに仕事に追われる現代社会のライフスタイル、何か間違っていると思いませんか?このような疑問を投げかけることができれば、世の中も大きく変わると思います。このように、新型コロナの問題を、今の社会事象として個別に対応するのではなく、これまでに過去から蓄積してきた社会全体の健康問題の一つとして捉え、大きなスケールで対応するという視点を持つことで、この危機をより良い未来への糧とすることにもなるのではないでしょうか。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6762492
2021-09-30T15:14:54-07:00
2021-09-30T16:15:17-07:00
1日ホーム・リトリートのススメ
<p> 先日、妻と日程を決めて自宅で1日ホーム・リトリートをやってみました。お金をかけず、自宅で心身をリフレッシュできたら最高じゃん!ただ、自宅にいるとついつい「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」というモードに入ってしまい、リラックスできないというデメリットがあります。ということで、このジレンマを解消すべく、今回は以下のことに留意してリトリートをやってみました。結果は、大満足。みなさんもお試しあれ!<br><br>1)事前に家の掃除をしておく:大掃除と言わないまでも、中掃除くらいの気合を入れて掃除をしておく。リトリート中に「あ、あそこが汚れてるから掃除しなきゃ」とか、「ここ片付けしないとなあ」というような雑念を起こさせないためにも、ある程度の整理整頓と掃除は必要かと思います。何よりも、きれいに整理整頓・掃除した直後の自宅は、下手なホテルよりも居心地がいいですよ。<br>2)朝、昼、夜にやりたいことを大雑把に決めておく:「大雑把に」というのが大事だと思います。スケジュールを細かく決め過ぎると、それがストレスになって本末転倒。ざっくり決めておいて、あとはその時の気分でゴロゴロするもよし、散歩や運動をするのもよし。今回のリトリートでは、朝のヨガ/瞑想、ヘリシー朝ごはん、昼に森の散歩、夜のゆったり露天風呂、風呂上りのステーキディナーは決めておきましたが、あとは割と自由にやりました。<br>3)食事の段取りは前もって決めておく:事前にメニューを決めて使う食材の準備をしておくと、当日は短時間の調理で済みます。作り置きのできるものや下ごしらえできる部分は、前日に済ませておくと良いでしょう。数日先のリトリートの日のメニューを考えながら、お買い物をするのも楽しいですよ。<br>4)極力スマホやコンピュータは見ない:自分自身の心と体に向き合う時間を楽しむのがリトリート。なので、できるだけオフラインで過ごしたいものです。<br>5)時間を気にしない:時計は、ほぼ無視して過ごす。だって、自宅でのリトリートだから、時間を気にする必要ないですからね。したい時に、したいことをやる。そうすることで、自分自身の直感や閃きと繋がれるチャンスが増えると思います。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/2e/83/j/o4032302415009113005.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/2e/83/j/o4032302415009113005.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/17/30/j/o4032302415009113133.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/17/30/j/o4032302415009113133.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/a5/9d/j/o4032302415009113266.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/a5/9d/j/o4032302415009113266.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/1f/b0/j/o4032302415009113801.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/1f/b0/j/o4032302415009113801.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/d2/64/j/o4032302415009114801.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211001/07/musiclife-in-nature/d2/64/j/o4032302415009114801.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><br> </p>
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2021-09-15T22:25:54-07:00
2021-09-16T01:15:08-07:00
コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(4)今、パンデミックの問題点はどこに?
<p> 新型コロナ(COVID-19)感染症。今や、その感染症自体の医学的問題ではなく、それに対する政府の公衆衛生対応によって引き起こされている二次的な問題の方が大きくなっているようです。<br><br> 現在各国が打ち出している公衆衛生対策は、12歳以上の国民にほぼ100%(河野太郎氏は、95%目指すとおっしゃっています)の新型mRNAワクチン接種させることにより、人工的に集団免疫を作り、コロナ感染症を抑え込むというものです。そのために、政府は先頭に立って「ワクチンは安全であるから、皆に打って欲しい」と表明し、ほとんどのメディアもそれに倣い、ワクチンの安全性と接種の必要性をプロモートする報道姿勢をとっています。その結果、治験途中で緊急承認されているファイザー社などの新型mRNAワクチンの使用への慎重論を「デマ」と断定するような報道や著名人の発言が多く紹介されるようになっています。<br><br> しかしながら、当初から厚生省は「新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。」と明言していました。それにもかかわらず、実際には政府主導でワクチンパスポートなるものを作り、事実上ワクチン未接種者を公然と差別できる仕組みを作る方向に向かっています。<br><br> 多くの国で半数以上の国民が2回の接種を終え、当初集団免疫ができるために必要とされていた60−75%の接種率にすでに到達した国もあります。しかし、相変わらず新型コロナ感染は続いており、例えば、イスラエルは2回接種率が80%に達しているにも関わらず、多くのワクチン接種者への感染(ブレークスルー感染)が起き、7−8月に患者が急増し人口あたりの感染者数は過去最高を更新し、アメリカからの渡航が制限されるほどの感染拡大が起きています。イスラエル保険局もファイザーの新型mRNAワクチン2回接種の有効率は、当初言われていた95%から39%以下に落ちていると認め、すでに3回目接種も始まっています。<br><br> おそらく、ノーベル医学賞受賞者であるフランスのモンタニエ博士など、一部の専門家にから指摘されていたように、パンデミックの最中にワクチンを使ったことで、ウイルスの突然変異が加速化され強毒性に進化し、変異したウイルスに対してのワクチンによる中和抗体の力が弱まり、抗体依存性感染増強(ADE)と呼ばれるコロナ型のウイルスに特徴的な中〜長期で現れる免疫不全が起きているものと考えられます。<br><br> もちろん、モンタニエ博士をはじめとする著名な専門家による新型mRNAワクチンに対する慎重論は、全てデマかフェイク(河野太郎さんもそう断言してましたね)と断罪されていますから、今でもメディアでまともに取り上げられる事はありません。そのため、何が起きても王様は裸ということははばかられて、「ワクチン政策はうまくいっている。もし今問題が起きているとしたら、それはまだ接種率が低いからに違いない。80%でも不十分なら100%にすればいい。ワクチンの効果が8ヶ月で低下してしまうのだったら、8ヶ月ごとに3回目、4回目、5回目とブースターショットを続ければ良い。この機器的状況でワクチンを接種をこばむ連中は、単なるわがままだ。彼らのせいで社会全体が迷惑しているんだ!」ということになっています。このように、国民がお互いに信頼し合い、助け合うことが必要なときに、「未接種者は社会に迷惑をかける厄介者」という空気を醸成し、国民の間になんとも言えない冷たい分断を生み出したことは、新型mRNAワクチン政策の失敗よりも、もっと深刻な失政だと思います。<br><br> かなりのリスクを負って始められた新型mRNAワクチンの大規模接種による新型コロナ感染症の抑え込みという政策ですが、実のところ、マスコミやワクチン推奨論の方が錦の御旗として掲げている「感染率を下げる」「集団免疫を構築する」という主張は、スタート時点では「実証が難しい」「大規模な接種後までわからない」ということでした。確実に達成できる期待されていた目標は、「感染者の重症化を低下させる」という一点のみ。確かに、ワクチン接種者が重症化率が未接種者よりも低いというデータは出ていましたが、逆に死亡率は高いというデータもあり、さらに抗体依存性感染増強(ADE)と疑われる現象が出ている現在、重症化を防ぐという効果も怪しくなっています。それに、感染率を下げるという結果は出ていませんし、集団免疫に関しても、イスラエルの例などを見れば上手くいかなかったことは明らかです。<br><br> 新型コロナへの恐怖をテコに、人類初の新型mRNAワクチンを十部な治験を待たずに緊急承認し、十分な事前情報提供も厳重なフォローアップもなく大規模接種を敢行したにも関わらず、日本に先んじて同じ政策をおこなた国家で芳しい成果が上がっていないという現実。新型mRNAワクチン導入以前から、ワクチン慎重論は巷に多くあり、実際に治験期間中にある緊急承認での導入であることを考えれば、あらゆる方向からリスクの予測と適正な接種者の注意深い事前スクリーニングと接種後のフォローアップ、継続的データの収集と分析を行える体制を整えてから、もっと慎重に進めるべきでした。<br><br>そして今は、「それならブースターショットだ!国民100%接種だ!変異株に合わせて遺伝子配列を変えた新たな新型mRNAワクチンを定期的かつ継続的に接種し続ければいい!」という段階にあるのですが、ちょいと待ってくださいよ。今は立ち止まって考えるべき時じゃないですか。このまま新型mRNAワクチンに頼った対応を推し進めるのは、「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気と呼ぶ」というアインシュタインの格言そのものではないでしょうか。<br><br> 自信満々だった先導者が道に迷ってしまった。ゴメンちゃいで済まされる問題ではありませんが、そういうこともあるでしょう。その責任問題はさておき、今はまずは立ち止まり、状況をもう一度冷静に精査し、行くべき道を再検討し、よりふさわしい先導者に案内を託する必要です。 <br><br> 今からでも遅くはないので、まずは、新型mRNAワクチン接種を停止し、できるだけ多くの接種者のフォローアップによる短期〜中期の服反応に関するデータ収集とその評価、ワクチン接種で先行する国でのワクチンの感染予防、重症化予防、集団免疫の効果と、変異による強毒化のリスク評価、8ヶ月ことにブースターショットをする場合に想定される新たなリスクと様々な医薬品との相互作用のリスクの評価などを慎重に行うべきだと考えます。<br><br> 色々と悩んだ末に、すでに接種をされた皆さんの多くは、「2回の接種でコロナを気にせずに生活できるようになって、しかもそれが社会のためになるというのであれば、我慢しよう」という気持ちだったのではないでしょうか。必ずしも致命的ではないにしろ、かなり厳しい短期の服反応が非常に高い割合で出るワクチンですから、接種後に実際に辛い思いをされた方も大勢いらっしゃると思います。それを今さら「実はワクチンを打ってもコロナにかかる危険性は無くならないし、8ヶ月でワクチンの効果も消えちゃいますから、これからずっと8ヶ月ごと打ち続けてください。」というのはあまりにも無責任です。しかし、厚生省は当初から、『本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。本剤の使用にあたっては、あらかじめ被接種者又は代諾者に、本剤に関する最新の有効性及び安全性について文書で説明した上で、予診票等で文書による同意を得た上で接種すること。』と公言していましたから、理屈の上では、国民が十分に納得して自己責任で接種を選んだことになっています。しかし、接種時の最新情報を文章で随時更新して各接種者に丁寧に説明するようなことは行われていないし、内閣府は「ワクチンは安全です!」という広報もしていたわけですから、政府の責任は問われるべきです。<br><br> 新型mRNAワクチンは、実際にはワクチンではなく遺伝子療法の新薬に分類されるべき薬物で、ある程度のリスクを伴う医療行為です。すでに何らかの疾患に悩む方の場合、病気のリスクとの兼ね合いで治療薬のリスクもある程度許容されるのですが、健常者が予防薬を使用する場合には、話が全く異なります。中長期のリスク評価に必要なデータのない治験中の薬物を、健常者に8ヶ月ごとに長期にわたって接種させるような医療方針は、常識で考えても、健常者にとってはリスクが高すぎて割りに合わない愚策です。これを、ワクチンパスポートなる圧力を用いて強制的志願(特攻隊と同じ)をさせるつもりなのでしょうか?<br><br> すでにワクチン接種されたみなさんは、今更このような論説はを目にして、不愉快にお感じになるかもしれません。しかし、自由民主主義においては、政府が誤った方向に暴走しないようにするのは主権者たる国民の責任であると心得ます。そのためには愉快/不愉快を超えて、いろんな意見をオープンに交換することで、自らの意見を整理するとともに異なる立場の意見を理解し、個ではなく集団として意見を集約し、より過ちの少ない道を選ぶことが大切だと考えます。ということで、主要メディアでの論調とは対立する視点の多い論説ではありますが、あえて発信させていただきました。<br><br> このように新型mRNAワクチン慎重論を発信しておりますが、通常の治験と認可手続きを経た従来型のワクチンを反対する立場ではありません。今回、新型mRNAワクチンが緊急承認という形で国民の選択肢としてテーブルに乗ったことには異論はありますが、すでに正式な手続きを経て国民の選択肢となっている新型mRNAワクチンを自由に選ぶ権利を否定するつもりはなく、むしろそれを尊重する立場です。しかし、それと同様に、ワクチンを選択しないという権利と自由も、尊重されてしかるべきだと思っています。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6740885
2021-09-08T22:20:08-07:00
2021-09-09T01:45:19-07:00
コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(3)「ワクチン未接種は反社会的行為なのか?」
<p>コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(3)<br>「ワクチン未接種は反社会的行為なのか?」<br><br> そもそも、ワクチンとは、接種する本人がある特定の疾患を予防するために選択する医療行為なので、その選択肢が提供された場合には、それを選択する権利が与えられています。しかし、それは義務ではありません。医療行為である以上、その対象者が治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け、十分理解した上で、対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意するインフォームド・コンセントが必要です。しかし、現在進められている大規模な遺伝子療法的なmRNAワクチンの接種キャンペーンでは、対象者/医療者のマンツーマンの事前コンサルティングは徹底されておらず、試験・治験段階の薬物にあるにもかかわらず、専門家からの公正な情報を十分に共有されることもなく、ワクチン接種があたかも義務であるかのような空気の中、社会的プレッシャーから接種を選択するケースが多く見られます。<br><br> 「パンデミックとは、伝染病が世界中で大流行している状態。こうなると、もはや個の努力でできることは何もないのだから、国家主導で的確な方策を発案・実施して社会全体を守るしかない。その選択肢としては、完全に安全性の確認されていないが最も感染予防の効果が高いと思われるmRNAワクチンに希望を託し、老若男女を問わず国民全員がすすんでワクチン接種をし、社会一丸となりパンデミックを克服することである。これに足並みを揃えないのは、わがままで反社会的な行為であるから、ワクチンパスポート義務化の法律などで取締ることが必要だ。」<br><br> このような意見を耳にすることが多くなりました。カリフォルニアのワクチン推奨コマーシャルでは、「皆でワクチンを打って、パンデミックを乗り越えよう!」と笑顔の素敵なお姉さんが語りかけてきます。しかし、不思議なことに、他の医薬品のコマーシャルでは、最後にものすごい早口で全ての副作用のリスクを読み上げることがルールになっているにもかかわらず、ワクチンに関しては副作用の情報は全くなし。ただ、「打ちましょう!」というメッセージだけです。<br><br> このような状況は、おそらく、戦時統制に近い異常事態だと思います。「何を大袈裟なことを言ってるんだ!」と嘲笑する方もいると思いますが、果たしてそうでしょうか?では、冒頭の一説を次のように言い換えてみるとどうでしょう?<br><br> 「世界大戦とは、戦争の連鎖により世界中で戦争が勃発している状態。こうなると、もはや個の努力でできることは何もないのだから、国家主導で的確な方策を発案・実施して国を守るしかない。その選択肢としては、必ず成功するという保証はないが最も効果が高いと思われる真珠湾への奇襲作戦を皮切りに対米戦争に勝利することに希望を託し、老若男女を問わず国民全員がすすんで戦争という国家大事業に協力し、社会一丸となり敵国の脅威を克服することである。これに足並みを揃えないのは、わがままで反社会的な行為であるから、国家反逆罪などの法律で取締ることが必要だ。」<br><br> このように見ると、現在の状況の異常性と戦時下の異常性には、本質的にそれほど大きな差があるようには思えません。ワクチン未接種は、戦時の徴兵拒否や戦争反対と同じく、反社会的行為であるかのようです。「いや、そんなことはない。今はネットで自由に情報を入手できるのだから、当時のような人民統制を行うことは不可能だ!」では、本当に自由に公正な情報がネットから入手できるのでしょうか?<br><br> 実際に、SNSや動画配信サイトの最大手により自主規制的な情報統制が行われ、パンデミックの被害評価、検査方法の妥当性、治療法と予防法の選択肢、ワクチンの医薬品としての安全性とパンデミック対応の手段としての妥当性に関し、幅広い議論と情報交換ができる場所が著しく制限されています。専門家による発信の場合ですら、ワクチンを「お注射」、コロナを「流行り病」と言い換えたりしないと動画が削除されかねない世の中です。GoogleやYouTubeなど、社会的影響力が大きく、これまで信用を築いてきた大企業により情報統制が実施され、政府もそれを容認している状況を見ると、彼らが正しいことをしているような印象を抱いてしまいます。そうなると、削除されるような情報を提供する連中こそが悪い奴に違いない、と判断されてしまいますから、ワクチン慎重という論調の情報の信頼性は、その内容の真偽にかかわらず失墜します。その結果、世論の大部分は、ワクチン慎重論者に対して「ワクチン接種は、世界各国で政府主導でこれだけの規模でやっていることなんだから、間違っているはずがない。おかしいのは、あんたの方でしょ。」となります。これを少し言い換えてみると、こうなります。「戦争は、世界各国で政府主導でこれだけの規模でやっていることなんだから、間違っているはずがない。おかしいのは、あんたの方でしょ。」と…。<br><br> 子供の頃「戦争は絶対悪だ」と教わりました。第二次世界大戦は、軍国主義の独裁体制の中、戦後に戦犯の罪に問われた一部の愚かな指導者(現在は名誉を回復されています)が国民を強制的に巻き込んだ結果であり、国民は被害者となったが、新しい開かれた民主主義の社会では、同じ過ちは繰り返されない、とも教わりました。しかし、現在の異常事態を見るに、国民は戦争に巻き込まれるのではなく、黙って受け入れるか積極的に支持することにより、自ら足を踏み入れると思われます。ナチスドイツが過酷な不況に苦しむ民主主義の中から生まれたことを考えると、社会には、危機的なプレッシャーを受けると全体主義へと向かうという自然な傾向があるのかもしれません。<br><br> 不思議なことに、平時には、大企業が市場を独占的に支配し消費者や労働者の生活ではなく投資家を潤わせることを優先していること、政治家が国民の利益ではなく自分たちの利害を考えて動くこと、政府機関が予算をめぐる内部闘争や産業界との癒着で腹黒いことをやっていることなどを批判し、大企業、政治家、政府を信用しないという空気が国民の間に色濃く存在しています。それが緊急時になると、掌返しでお上にすがりたくなる。普段はお上を批判しているのに、いざとなるとお上しか頼るものはない。どれだけテクノロジーが進歩しても、時代劇の世界と同じです。<br><br> 社会が危機的状況になった時、全体主義に向かうのは、生存のために必ずしも悪いことではありません。一致団結し、個を犠牲にして全体の存続を目指す。人体という細胞共同体でも、ミツバチの社会でも、危機対応はそのように行われます。全体の利益のために個を犠牲にする決意は、立場の違いからその判断プロセスに同意ができない場合でも、気高い選択だと尊敬いたします。戦争自体の善悪に関わらず、祖国のため、同胞のために命を捧げた英霊に対しては、それが日本人であろうとアメリカ人であろうと、等しく敬意を抱き、東京滞在の折には機会を見つけて靖国神社にもお参りをしております。ベトナム戦争で戦ったアメリカ人の義父の、死後はアーリントン墓地に埋葬されたいという願いも、是非とも実現させたいと思っています。<br><br> 「それならば、今まさに種の存続、国家の存続に関わるようなパンデミック状態にあるのだから、全体主義的な体制で対処することこそ必要ではないか?ワクチンパスポートのどこが悪い?」確かにその通りです。ただし、本当に「種の存続、国家の存続に関わるようなパンデミック」状態にあるのなら、という条件付きですが…。<br><br> スペイン風邪は1918年から20年に流行し、世界人口およそ20億で1700万人〜5000万人が死亡したと言われています。新型コロナ感染症では、世界人口70億で、現在のところ約430万人が亡くなっています。10万人の人口比でいえば、スペイン風邪は850〜2500名、新型コロナでは61名となり、スペイン風邪と比較するとパンデミックの規模はかなり小さいという評価も成り立ちます。<br><br> また、WHOによりPCRテスト陽性者は、死亡原因を問わずコロナ死亡と報告する方針が出されているため、様々な基礎疾患や老衰などの合併した状態でなくなる高齢者の死亡、つまり最後の一滴死が多い新型コロナの場合、実際にコロナが直接死因である死亡者数は、カウントされているよりもかなり小さくなる可能性が高いと考えられます。PCR検査も、インフルエンザとの鑑別診断ができないという理由で今年いっぱいで打ち切りという方針がCDCから出されていますから、検査の精度自体にも問題があり、そうなると感染者数として公表される数も実数と食い違っている可能性があります。<br><br> そうすると、「種の存続、国家の存続に関わるようなパンデミック」という前提が疑わしくなります。まずは、この前提の再評価から始めるべきではないでしょうか?その結果、さほど大きな危機でないと判断されても、やはり今後の危機対応のためには全体主義的な国家のあり方が良いという結論になれば、きちんと国民の間で議論のテーブルに乗せ、世論の醸成、政治的判断という民主的な手続きを経て、全体主義的な社会が実現するための法律の制定と政策を進めていけば良いと思います。いずれにしても、混乱の中で、正規の社会的手続きを経ることなくなし崩し的に全体主義的な方向に流れることは、避けるべきではないでしょうか。<br><br> 情報を制限して国民の判断となる材料を減らしたり、数や権力の圧力で物事を強引に進めるような方法では、本当の意味で力を合わせて危機に対応することはできません。もし世界が、全体のために自己犠牲を必要とするほどの危機に瀕しているのであれば、命をかけることに躊躇はありません。特に、子供たちのために命を捧げるという覚悟は、いつでもできているつもりです。ただその前に、まずは誰の自己犠牲も必要としない解決策をとことん検討させてもらいたい。そして万策尽きた時には、いつ、何の目的のために、どのような形で自己犠牲の行動を決行するのかは、自らの手で選ばせてもらいたい。<br><br> 今起こっている異常な空気感の中ではなく、お互いの意見や立場の違いを認め合いながら、開かれた情報のなかで各々が自由に意思決定をできる状況が作られ、分断ではなく協調の中で皆さんとともに困難に立ち向かえることを望んでいます。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6736318
2021-09-04T22:48:50-07:00
2021-09-04T23:30:19-07:00
コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(2)「社会での芸術の存在意義」
<p> 2008年のリーマンショックの時もそうでした。そして、2020年に始まったコロナパンデミックでも。社会に大きな異変があると、まず消し飛んでしまうのは、音楽演奏や演劇などの舞台パフォーマンスの仕事です。そして復旧に際しては、最も後回しにされる。<br><br> 確かに、水や食料がないと数日で死ぬのに対し、音楽がなくてもすぐに死ぬことはありません。若い頃には、心ある年配の方から「芸術なんて社会のオマケみたいなものでまともな仕事じゃない」「芸術家なんて、フリータに毛が生えた程度のいい加減な連中のやることだ」「いつかはちゃんとした仕事を見つけなさい」というようなアドバイスを頂いたこともあります。確かに、芸術を単なる娯楽と捉える狭い見方しかできない方にとっては、それが真実なんだと思います。ただ、芸術に命をかけるほどの価値を見出して生きている芸術家としては、芸術は今日明日の生死を左右するような役割は担っていないけれども、人生という長い時間の中では、生きることに関わる決定的に重要な役割を果たす可能性があると信じて活動を続けています。各々の人生で、芸術との接点の多い/少ない、深い/浅いと差がありますが、おそらく、ほとんどの皆さんが、人生のどこかのポイントで生き方や価値観に影響を与える芸術との出会いを経験しているのではないでしょうか。<br><br> 今日明日の生死を左右しないけれども、豊かな人生を送るために不可欠なものに、信念や価値観というものもあります。芸術は、文学、美術、音楽、演劇、それらが統合された様々な姿で、日常生活の中に溶け込み、知らず知らずのうちに信念や価値観の形成に影響を与えています。壁紙などの内装のデザイン、何気ない洋服のデザイン、ドアチャイムの音、ドラマのセリフの一節、建物のデザインなど、五感を向ける対象のほとんどに何らかの芸術的要素が入っています。これらの芸術的要素があまりに生活に溶け込みすぎているために、芸術に興味のない方は、その存在すら気づかないほどです。<br><br> このように考えると、芸術も水や食料と同じくらいに生活にとって不可欠なものであるとも言えるのですが、実際に芸術で生計を立てようとすると、これは大変です。芸術を作るためには、製作者の精神という元手以外にあまり物質的な元手がかからないためか、芸術の価値を認めてくださる方と、認めない方の格差は無限と無ほどに大きく、社会的に共有された芸術の金銭的価値というのは構築されにくい状況です。そういう不安定な価値設定の中では、芸術家の生活の物質的な側面は不安定にならざるを得ません。その結果、社会危機が訪れると、真っ先に切り捨てられます。<br><br> 芸術家の努力が、他の職業と同程度に物質面で安定的に報われる世の中であって欲しいと思います。本当は、精神の危機に見舞われた状況において芸術が本領を発揮できるはずなんですから、今こそ、世のために忙しく駆けずり回っているべきだとも思います。でも、そんな世の中でないことは百も承知で数十年芸術をやってきたので、今さらつべこべ言っても始まりません。芸術家は、生き方や価値観の根っことなる精神性の追求という、無限に面白く、永遠に研究テーマの尽きることのない分野の専門家になれるという稀有なチャンスを得たのですから、それが行える幸せを噛み締めながら日々を過ごせば、このコロナ禍のジリ貧もさほど惨めではありません。<br><br> 芸術を愛する同志の皆さん、今は己を磨き、再び輝きを共有できる日に備えましょう。Good Luck!
</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6734864
2021-09-02T22:41:25-07:00
2021-09-03T03:30:02-07:00
コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(1)「ワクチン慎重論はバカなのか?」
<p>前書き:<br> コロナ以来、言論空間のあり方、新型ワクチンの皆国民接種やワクチンパスポートなどの管理社会化の傾向などに、なんとなくモヤモヤ感を抱いているけれども、主流メディアではこのモヤモヤ感を肯定するような材料は得られないし、それを表明すると周囲から白い目で見られる空気がある。しかも、このモヤモヤ感が何なのか、実のところ自分自身でもよく分からない。こういうやり場のない苛立ちを感じている方は、案外と多いのではないでしょうか?<br><br> これまでのSNSでのコロナ関連の投稿では、コロナパンデミックのリスク評価、対応策としてのワクチン大規模接種に関して、できるだけ理知的に科学的に公開情報の数字に基づく分析を行い、新型のmRNAワクチンの使用に関しては慎重であるべきという意見を表明してきました。(詳細はブログ記事:https://ameblo.jp/musiclife-in-nature/entry-12684375383.html)しかし、これからしばらくは、数値や科学という理知的な側面から冷静にコロナパンデミックを分析するのではなく、なんとなく心の奥底のつかえているモヤモヤ感を明確にするという目的で、随筆的に自由に書いてみたいと思います。<br><br>本文:「ワクチン慎重論はバカなのか?」<br><br> つい数日前、アメリカの食品医薬品局(FDA)が、正規の2023年4月の治験終了を待たずにファイザー製のワクチンを正式認可いたしました。ニューヨークをはじめとするアメリカの大都市では、8月からすでに自治体レベルでワクチン・パスポートの導入が行われ、9月には違反者への取り締まりも含む本格施行が始まる流れになっています。これまでは、ワクチンが正式認可には至っていない緊急承認の新薬であるということで、ワクチン接種を義務化する政策に歯止めがかかっていたのですが、今後は、ワクチンの大規模接種と定期的な追加接種の継続によるCOVID-19の感染拡大封じ込めという政策がさらに強力に推し進められ、ワクチン未接種者に対する様々な社会活動での制約は厳しくなり、ワクチン慎重論は反社会的な動きとして白眼視する雰囲気が醸成され、ワクチン政策に疑義を呈する意見や態度を継続することは難しくなると予想されます。<br><br> 実のところ、FDAの正式認可を待つまでもなく、ワクチンが緊急承認され、接種が開始されると間もなく、ロサンゼルスなどの大都市の音楽業界ではすでに音楽家へのワクチン接種を演奏の条件とする自主規制が敷かれていたので、ライブでの演奏活動が難しくなることは4月の時点で覚悟をしておりました。とはいえ、FDAの正式認可が前倒しで進められたことで、思ったよりも早い展開で世の中が動いていることに驚きを感じております。<br><br> 開発から1年余りというあまりにも短い検証期間でFDAが正式認可に踏み切ったことは、非常に遺憾に思っています。本来、食品医薬品の安全性に関して、厳しいチェック機能を果たすべき機関が、ワクチン政策ありきでそれに追従するような形で認可を前倒しに進めたことは、チェック機能が正常に機能していないことの現れのように感じられます。以前から、遺伝子組み換え食品の認可に関してモンサントとの癒着などが囁かれているFDAの腐敗体質が、製薬業界との間でも存在したとしても不思議ではありませんし、業界のお金がロビー活動で政治家にも回っていることを考え合わせると、今回のワクチンの前倒し正式認可は、厳正な科学的判断ではなく、政治的判断と言えると思います。<br><br> 百歩譲って、仮にワクチンが生体内で100%予測通りの動きをし、中長期の服反応リスクやでのワクチンが全くなく安全だとしても、緊急承認の段階から十分な事前チェックやフォローアップがされることなく大規模接種が敢行され、既成事実を作った上でなし崩し的に正式承認に至ったというプロセスが一般に違和感なく受け入れられている現状にこそ、危機感を覚えています。このような緊急性ということを理由に従来の安全確保のためのチェック&バランスのプロセスを経ない医療行為の開発と導入という異常事態が常態化し、これが今後の新しい薬事や医療のスタンダートになると、医療は、ますます科学的興味と利益追求を優先させる誤った方向へと加速してしまうのではないでしょうか。<br><br> コロナ感染症に対するワクチン使用の緊急性の評価については、ワクチンの副反応のリスクとコロナ感染症自体のリスクを比較すると、一般に言われているほどには高くないと判断されます。(詳細はこちらを参照ください:https://ameblo.jp/musiclife-in-nature/entry-12684375383.html)また、コロナ感染症への対応としては、既存の医薬品の転用による治療方法開発、治療薬の開発、感染予防行動の実施、免疫力を上げるための生活習慣の改善など様々な手法がありますから、新型ワクチンの緊急性のみを強調することには違和感を覚えます。<br><br> 新型ワクチンは対象者がすべての健常者になりますから、対象者が発症者に限られる治療薬(特に特許の切れた古典的な医薬品の転用)とは、ビジネス・チャンスにおいて比較になりません。製薬会社も利益追求を目的とする民間業者ですから、治療薬の開発は後回しにし、豊富な資金でロビー活動を行い、メディアや政財界を動かしてワクチンの皆国民接種という方向性を目指すキャンペーンを張って当然です。このように、ワクチン政策には、ビジネスの要素も多分に絡んでいると想像されます。<br><br> また、コロナパンデミックの実際的な問題としては、①不適切な検査法や統計処理などにより、コロナ感染症のリスクが過大評価されている、②二類感染症という過度に厳格な法的な縛りのために現状に合った医療対応ができないことによって重症化例の増加と医療崩壊の危機を招いている行政上の問題がある、③不必要な営業規制や行動制限により経済被害を拡大させている、などの指摘があります。健常者に新型ワクチンを接種させて感染拡大を抑え込むというリスクと不確実性を伴う対策を敢行する前に、コロナパンデミックの人的・経済的被害を抑えるために政治としてやれることはたくさんあったのはないかと思われます。<br><br> 新型ワクチンのスピード開発/実用化に関しては、「人類の叡智の勝利だ。もはや、今後は何年も時間をかけるような治験は必要ない。そんなものは、科学の進歩を遅らせるだけだ。」という意見も耳にします。しかし、ワクチンの長期的影響については、2年の影響は2年の治験、3年の影響は3年の治験を経ないと判断の材料となるデータすら収集できないので、本来であれば、現段階で正式認可をして「安全」のお墨付きを出すことはできないはずです。「専門家の目から見たら、これまでのデータから、科学的に長期の影響はないと判断するのが妥当だ。」しかし、もしそうだとしたら、これまでの新薬開発において厳しい審査基準が設けられていたのはなぜでしょう?人類の叡智は、限られた期間の実験で得られたデータをもとに演繹的に導き出された仮説の検証において、実際の長期の実験や経験という帰納法的な推論を必要としないところまで、生命現象の仕組みの原理を熟知しているのでしょうか?<br><br> もしそうだとしたら、コロナ以前から現在も続いている様々な健康問題や、各地で起こっている異常気象などの環境問題、貧富の格差などに起因する様々な社会問題もまもなく解決されることでしょう。しかし、実際には、それらの問題がますます深刻になっている実感はあっても、改善を期待させるような兆候は見られません。<br><br> 科学的に考えるということは、確かに大切です。ただ、科学的推論では、これまでに分かっていることが、考察の対象となっている事柄に関する要素の全てであるという前提に立ち、そこから演繹的に結論を導き出します。そのため、前提に未知のこと、予想できない要素が含まれているかもしれない状況においては、正しい推論プロセスを経た結論が、実際に起こることと一致しないということがあります。つまり、前提となるべき事実を全て知り尽くしているという「傲慢さ」を持って科学的推論を行うと、それが理知的で説得力がある推論であるが故に、自信満々に誤った結論を導き出してしまう危険性もあります。過去の薬害事例、公害、環境破壊など、これまでに人類が己の叡智を傲慢に過信したが故に引きおこされた過ちは、数え切れません。<br><br> mRNAワクチンに関する議論においては、高学歴の方や頭の良いとされる職業についている皆さんから、「ワクチンに慎重論を唱える連中は、論理的な思考のできない教育レベルの低い連中と、極端な思想に侵されたイカれた連中だ。」というようなご批判をいただくことがあります。しかし、彼らがもしmRNAワクチンに関して現在手元にあるデータが安全を判断するための前提となるデータの全てであると判断して、そこから進めた推論によって最終結論を導き出しているとすると、その推論自体を覆す前提となるような知られざる事象があるかもしれない可能性を否定していることになります。彼らは、確かに優れた演繹的推論を構築する頭の良さは持ち合わせているかもしれませんが、その能力を奢るあまり、最も注意深く行わなければならない「前提の設定」という基本的なところで誤る可能性を見過ごしています。これがハープ奏者だったら、楽譜通りに指定された弦を完璧に演奏できるけれど、楽器のチューニングあっているかどうか全く気にしないという状況です。つまり楽器は上手に操縦しているけれども、肝心の音楽は全く演奏できていない。チューニングが狂ってるかもしれないから確認しようとするハーピストを「無能な音楽家」と非難するのが的外れであるのと同様に、mRNAワクチンのような人類にとっての新しいテクノロジーの導入に関して基本仮説の設定に慎重を期する意見を「バカな意見」と批判するのは、それこそ己の愚かさを露呈することになっていませんか?</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6712816
2021-08-10T17:10:47-07:00
2021-08-10T19:30:05-07:00
無料の音楽オンラインセミナー、今週も開催します
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<div class="kvgmc6g5 cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">明日木曜日の日中と日曜日の夜に開催の音楽サロン。「学術的な研究成果を、音楽家目線でわかりやすく役立つ形でお伝えする」をモットーに、自らの勉強のために無料で行ってます。お盆期間中のため、まだ参加希望者が少ないので、直前ではありますが告知をさせていただきます。</span></div></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">2021年8月12日 13:00−15:00</span></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">2021年8月15日 21:00−23:00</span></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">お申し込み: Eメール motoshi@harpmusician.comまで</span></span></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 音楽家として優れた演奏を実現するためには、身体能力の開発のための訓練が不可欠です。プロの演奏家を目指す若者が、長年にわたる日々の過酷な練習によって心身にストレスがかかり、職業病ともいうべき様々な疾患に悩まされ、キャリア半ばにして演奏家としての道を断念せざるを得ないという悲劇も珍しくはありません。</span></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> プロの音楽家の世界は、何よりもまず技術面での過酷な競争で生き残らなくてはなりませんから、音楽性という内面的な充実よりも演奏技術という身体能力の訓練が過度に優先され、肉体的限界を超えた無理な努力を自己に強いられることが美徳のように考えられがちです。比較的身体が頑丈である青年期には、このような無理な努力が成功に結びつくこともありますが、その成功体験が音楽家としての拠り所になってしまうと、長年にわたって無理をし続けることになります。そうなると、後年、様々な身体症状が出現し深刻な健康問題に悩まされ、とうとう演奏に支障をきたす状態に陥ってしまいます。</span></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 若い音楽家が、将来長きにわたって生産性の高い音楽活動を続けるためには、音楽を学ぶ初期段階から正しい身体使いの原理と練習方法を学ぶことが必要です。また、ベテランであっても、異常を訴える身体のサインを見逃さず、勇気を持ってそれまでの演奏法や音楽との関わり方を見直すことができれば、たとえ挫折に苦しむ時期を経験するとしても、それを乗り越え、音楽家としての人生を全うすることができるでしょう。</span></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 今回のサロンでは、演奏に関する運動科学分野の研究から、優れた演奏につながる障害を起こしにくい演奏技術の習得のヒントを探ってみました。</span></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 次回の第5回は、9月16日(木)13:00−15:00、9月19日(日)21:00−23:00で、「演奏のおける心理不安である「あがり」」というテーマを中心に講義を考えています。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> お申し込みは、出席希望の日時を明確にして、Eメールmotoshi@harpmusician.comまでお願いいたします。事前に講義内容のレジメ、参考資料、ズームのアクセス情報をお送りいたします。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 参加費は無料ですが、受講後に有志の皆さんの寄付を受け付けております。日米間で直接振り込みいただくシステムはないため、メールにて希望の寄付金額をお知らせいただき、その金額で「受講料」としてPayPalを通じて請求するという手続きをとっております。やや面倒ではありますが、クオリティーの高いプレゼンを目指し日々研鑽しておりますので、無理なきところでご協力いただけると幸いです。</span></div>
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<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">参考文献1:</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">坂本光太. 2020. “音楽家の身体の故障と 「身体の使い方」 メソッド: 音楽を学ぶ学生のためのガイド.</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">参考文献−2:</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">晋一古屋. 2019. “音楽演奏技能の洗練と失調の神経機序.” 日本神経回路学会誌 26 (1-2): 10–14.</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">参考文献ー3:</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">里果齋藤, and 純和秋山. 2006. “音楽家の身体症状とその対処法.” 理学療法科学 21 (4): 447–51.</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">参考文献4:</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">晋一古屋. 2011. “楽器演奏のパフォーマンスを阻害する筋収縮.” バイオメカニズム学会誌 35 (3): 168–75.</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210811/09/musiclife-in-nature/82/79/p/o1918090614985230695.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210811/09/musiclife-in-nature/82/79/p/o1918090614985230695.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="293" width="620" /></a></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210811/09/musiclife-in-nature/7f/b8/p/o1226103014985230993.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210811/09/musiclife-in-nature/7f/b8/p/o1226103014985230993.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="521" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210811/09/musiclife-in-nature/7f/b8/p/o1226103014985230993.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210811/09/musiclife-in-nature/7f/b8/p/o1226103014985230993.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="521" width="620" /></a></span></div>
</div>
</div></div></div></div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6686022
2021-07-12T15:45:16-07:00
2021-07-12T18:30:26-07:00
音楽を学術面から勉強するサロンを無料で開催しています!
<p>第3回 実践に活かせる音楽学術サロン<br>「芸術ジャンルの垣根をこえる審美脳〜数式の美から音楽の美まで」<br>7月15日(木)13:00−15:00<br>7月18日(日)21:00−23:00<br>参加費無料(有志の寄付は歓迎します)<br> <br> 近現代の天才的芸術家のイメージは、生活の全てを犠牲にしてでも芸術に打ち込む一点集中主義的な社会応性の低い変人です。また、現代芸術の周辺にはアルコールやドラッグによる特殊な精神状態を芸術的インスピレーションと関連づけるカルチャーも存在するため、厳格に自己完成を目指すような芸術へのアプローチは時代遅れと考えられがちです。<br><br> しかし、人類史上、最も天才的な芸術家と認められるレオナルド・ダ・ビンチやヨハン・ゲーテなどは、人間に与えられた様々な能力をバランス良く発達させた「ルネッサンス・マン」と呼ばれる万能人でした。バロック音楽の最高峰を築いたヨハン・セバスチャン・バッハも、家庭人として、キリスト教徒として、またラテン語と音楽の教師としても厳格な人格者だったと伝えられています。<br><br> 今回のサロンでは、美を判断する脳の働きの科学的研究から、優れた芸術家となるための生き方のヒントを探るという切り口で講座を準備してみました。美を判断する能力が向上するということは、より多くの美に囲まれた幸せな人生を送れる可能性が大きくなることを意味しますから、芸術家としてだけでなく、鑑賞者としても楽しんでいただける講座になると思います。<br> <br> 次回の第4回は、8月12日(木)13:00−15:00、8月15日(日)21:00−23:00で、「音楽家の健康・障害を起こさないテクニック」というテーマを中心に講義を考えています。<br><br> お申し込みは、出席希望の日時を明確にして、Eメールmotoshi@harpmusician.comまでお願いいたします。事前に講義内容のレジメ、参考資料、ズームのアクセス情報をお送りいたします。<br><br> 参加費は無料ですが、受講後に有志の皆さんの寄付を受け付けております。日米間で直接振り込みいただくシステムはないため、メールにて希望の寄付金額をお知らせいただき、その金額で「受講料」としてPayPalを通じて請求するという手続きをとっております。やや面倒ではありますが、クオリティーの高いプレゼンを目指し日々研鑽しておりますので、無理なきところでご協力いただけると幸いです。<br><br> <br>参考文献<br>智大石津. 2015. “脳活動からみる審美.” Vision Research 27 (1): 7–9.の内容要約</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210713/07/musiclife-in-nature/f3/67/p/o0850053214971332922.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210713/07/musiclife-in-nature/f3/67/p/o0850053214971332922.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="388" width="620" /></a></p>
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2021-07-03T10:29:12-07:00
2021-07-03T11:30:08-07:00
コロナウイルス感染症リスクとワクチン接種のリスク比較(7月2日更新版)
<p> 新型コロナウイルス感染による健康リスクを、その解決策であるワクチン接種による健康リスクが上回ってしまったら、ワクチン接種は全く意味をなさないどころか、本末転倒で有害になってしまいます。ワクチンは健康な方も対象として行われる医療行為ですから、すでに病を患っている方に用いる治療薬よりも、より慎重な安全評価が要求されます。そのため、新型コロナmRNAワクチンのような治験中の新しいタイプのワクチンの使用の判断においては、感染によるリスクとワクチンによる副反応リスクを比較することが重要です。<br><br> ということで、最近入手したデータからこれらのリスク比較の情報を更新いたしました。<br><br> ウイルス感染のリスクに関しては、厚生省の「新型コロナウイルスの”いま”に関する11の知識」という2021年6月付の資料にわかりやすくまとめてくれています。<br><a href="https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf</a><br><br> 感染状況の速報は、以下のサイトの情報を参照しました。<br><a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000759133.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000759133.pdf</a><br><br> ワクチン接種のリスクについては、ファイザーのワクチン「コミナティ筋注」の解説に明記されています。<br><a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf</a><br><br>「本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。本剤の使用にあたっては、あらかじめ被接種者又は代諾者に、本剤に関する最新の有効性及び安全性について文書で説明した上で、予診票等で文書による同意を得た上で接種すること。また、有害事象が認められた際には、必要に応じて予防接種法に基づく副反応疑い報告制度等に基づき報告すること。なお、本剤の製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。」<br><br> また厚生省のホームページには、このようなお知らせもあります。<br><a href="https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html</a><br><br>「接種を受ける際の同意<br><br> 新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。」<br><br>「接種を受けた後に副反応が起きた場合の予防接種健康被害救済制度<br><br> 一般的に、ワクチン接種では、副反応による健康被害(病気になったり障害が残ったりすること)が起こることがあります。極めて稀ではあるものの、なくすことができないことから、救済制度が設けられています。救済制度では、予防接種によって健康被害が生じ、医療機関での治療が必要になったり、障害が残ったりした場合に、予防接種法に基づく救済(医療費・障害年金等の給付)が受けられます。 新型コロナワクチンの接種についても、健康被害が生じた場合には、予防接種法に基づく救済を受けることができます。」<br><br> つまり、<span style="font-weight:bold;">「未知の危険性のある薬なので、自己責任で接種をする同意書にサインしてください。治験中の薬ですので、接種の判断には、最新情報を参考にしてください。万が一障害が出た場合に備えて、救済制度も準備しています。」</span>ということです。<br><br> ワクチンの説明書に「製造販売後も引き続き情報を収集中である…なお、本剤の製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。」とあり、定期的に行われている厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科副反応検討部会にて情報が開示されています。<br><a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796549.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796549.pdf</a><br><a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796552.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000796552.pdf</a><br> <br> 年齢階級別の副反応率、副反応の重篤化率の整理されたデータは、どうやっても厚生省のデータベースでは見つけられなかったので(もし見つけたら教えてください)、非常によくまとまった形で毎週更新されているカナダのデータを使いました。</p><p><a href="https://health-infobase.canada.ca/covid-19/vaccine-safety/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://health-infobase.canada.ca/covid-19/vaccine-safety/</a></p><p><br> このように集めたデータを用いて作成したのが、添付の比較表です。数値の単位は、10万名あたりの人数です。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/02/musiclife-in-nature/ed/88/p/o2264146214966961263.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/02/musiclife-in-nature/ed/88/p/o2264146214966961263.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="774" width="1200" /></a></p><p><br> 新型コロナウイルス感染での重症化のリスクとワクチン副作用の重篤化のリスク(カナダでの数値)を比べると、男性では50−59歳(ブルー)、女性では、60−69歳(ピンク)でワクチンのリスクが感染リスクとほぼ同同値か、それを下回ることが示唆されています。<br><br> 新型コロナ感染での死亡リスクとワクチン副反応による死亡リスク(日本での数値)の比較では、60−69歳(朱色)でワクチンのリスクが感染のリスクを下回ることが示唆されます。<br><br> このデータからは、<span style="font-weight:bold;">男性においては40−49歳以下、女性においては50−59歳以下では、ワクチン接種による健康被害のリスクが感染のリスクを上回ってしまう、つまり、ワクチン接種はむしろ有害であるという判断が成り立ちます。</span>実際に、新型コロナ感染症で亡くなる方の88.6%が70歳以上の高齢者で、60代も含むと96.1%になりますから、この世代をワクチンによって感染から守ることができれば、実質的なコロナ感染の被害はほとんどなくなるということになります。つまり、50歳代以下の世代によるワクチン接種の有無は、大勢にはほとんど影響を与えません。このことから、現在進められているあらゆる年齢層の国民に前のめりでワクチン接種を推奨する政策には、妥当性がないと考えられます。<br><br> この表で他に特筆すべきは、副反応の発生率が男性に比べて女性で著しく高くなっている(最大5.8倍)ことです。このデータで見る限り、女性のワクチン接種の判断は、より慎重に行われるべきと考えられます。また、コロナウイルス感染症の重症化のリスクとなる基礎疾患として、慢性腎臓病、慢性閉塞性肺疾患、糖尿病、高血圧、心血管疾患、肥満(BMI30以上)も指摘されていますから、これらの基礎疾患の有無と症状の度合いも、判断の際には考慮される必要があります。<br><a href="https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf</a><br> <br> もう少しワクチンの副反応の実態が明らかになれば、副反応のリスクを高める要因となる基礎疾患や個体属性もはっきりしてくると思われますので、今後はそれらも考慮に入れて判断をすることが可能になるでしょう。<br><br> この表でのワクチンのリスクを表す数値は、接種後0日〜約6ヶ月で集められた短〜中期の副反応の治験データですから、長期の副反応のリスクは入っていません。長期のリスクはまだ未知数のままであるため、現時点では、この未知の長期リスクをどの程度上乗せして計算すべきかは、誰にもわかりません。<br> <br> 現在指摘されている長期リスクとしては、①抗体依存性感染増強、②ワクチンにより体内に摂取されるナノ脂質カプセルとワクチンにより作られるスパイク・タンパク質の組織や臓器に対する影響、③パンデミック最中の強力なワクチンの大規模摂取によるウイルス変異の促進などがありますが、まだ長期の影響を見定めることができる時期には至っていません。自分が調べた限りでは、①に関しては、まだその兆候は見られていない、②に関しては、感染の症状とワクチン副作用の類似性を説明する仮説としてスパイク・タンパク質の有害性が検討されている段階、③については、その兆候を指摘する意見もあります。ただ、これらの長期リスクに関する見解は、「エビデンスがない」という理由で、メディアでは非科学的な噂やデマとして黙殺され、Google検索やFacebookではフェイクの烙印を押され、懸念される長期リスクなど存在しないことになっています。しかし、新型コロナワクチンが緊急使用を認められた治験期間中の実験的医薬品であり、長期データが不足していることは製薬会社も認めているところですから、そもそもエビデンスどころかその元となるデータすらないという状況であることを忘れてはなりません。このような治験段階で長期のリスクが指摘されたなら、そのリスクが単なる杞憂であり実際には安全であるということをエビデンスによって証明する責任は、製薬会社とワクチン大規模接種を進めている政府にあります。もし指摘されたリスクの可能性が示唆されるデータが出たら、直ちに公開され、何らかの対策がとられなくてはなりません。現時点では、正直に「長期のリスクはわからない」と言われるべきで、この時点で「ワクチンは安全だ」と言い切ることこそ、まさに「エビデンスがない」非科学的な意見になります。 <br><br> ワクチンによる死亡リスクとして用いた数値は、ワクチンとの関連が疑われる死亡数であり、関連が最終的に証明されている死亡数ではありません。また、ワクチン副反応の数値においても、全てのケースが報告されカウントされているわけではなく、全てのケースが実際にワクチンと関連しているという保証もありません。しかし、これらの数値を平成30年のインフルエンザワクチンの副反応報告数と比べてみると、重篤例で11.23倍、死亡例で338.6倍となっていますから、少なくとも、過去のワクチンに比べて危険性が高いものである可能性が高いと考えることはできます。また、ワクチン接種を積極的に進めている医療機関や製造販売者による負のバイアスにより、報告数が実際よりも少なくなる可能性もあり、逆に、話題性の高い新薬の治験であるという意識から正のバイアスがかかってむしろ報告数が増える可能性もあるため、正確な副反応の実態は分かりません。そのため、現時点では、不正確であることを承知の上でこの数値を使うしかありません。<br><br> また、コロナ感染者数にはPCR検査の偽陽性も多数含まれており、さらに、コロナ感染症での死亡者カウントにも基礎疾患やその他の原因で亡くなった方が含まれている可能性も指摘されているため、この表で使用された全ての数値が潜在的に不正確であることは否めません。<br><br> これらの数値は、ワクチン有効率100%(感染によるリスクが0になる)場合を想定し、コロナ感染のリスクとの比較に使用していますが、製薬会社からは有効率95%という報告が出されていますので、ワクチンのリスクの数値を0.95で割った数値を用いることでより正確な比較が可能になります。ただ、このまま比較しても、カットオフラインに変化はありませんから、問題はないと考えています。<br><br> さらに付け加えると、この表の新型コロナのリスクは、感染が流行し始めた時点からの累積で約1年半の感染リスクですが、ワクチンの効果が持続する期間は6ヶ月から12ヶ月と言われていますから、より正確を期すためには、1年間での感染リスクに換算してワクチンのリスクと比較を行う必要があります。つまり、この表では、コロナ感染のリスクが大きめに算出された状態で比較されています。<br><br> このように全ての数値があやふやなので、「こんな比較は無意味だ」「誤った情報で判断を混乱させるだけだ」とお感じになる専門家の方もいらっしゃるとは思います。しかし、ワクチン接種の判断は個人に委ねられているという現実の中、一般人にとって、このような形で数値によって比較をする以外に、限られた時間と知識で客観的に判断する方法が他にあるのでしょうか?「この方法は間違っている」「もっと良い方法がある」というのであれば、専門家として一般人にわかる形で提示していただきたく存じます。もし、「知識や判断力のない一般人は、政府や公職にあるの専門家の言うことに従っていればいい」と主張するのであれば、ワクチン接種によって今後起こるかもしれない健康被害に関して、全責任を負っていただく必要があります。しかし、誰もそんな責任を負えるはずはありませんから、結局は自己責任で、なんとか答えを出すしかないのです。<br><br> これらのあやふやな数値からぼんやりと見えてくる傾向は、現在手に入る情報から自己責任で国民一人一人がワクチン接種の判断をしなくてはならない状況の指標として十分に利用価値があると思い、シェアさせていただいております。<br><br> これらの数値に加え、コロナ感染のリスクの地域差を考慮に入れてケースバイケースに判断しなくてはなりません。その参考資料として、都道府県別のリスク比較表も作成しました。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/02/musiclife-in-nature/ce/73/p/o0722120814966962359.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/02/musiclife-in-nature/ce/73/p/o0722120814966962359.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="2009" width="1200" /></a></p><p> この数値は、以下のウェブサイトを参考にいたしました。<br><a href="https://uub.jp/cvd/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://uub.jp/cvd/</a><br><br> ブルーの地域は、比較表に示された全国平均に比べると、新型コロナのリスクが半分以下、グリーンの地域は、半分から3/4、黄色は3/4から1(全国平均)、ピンクは1−2倍、濃いピンクは2倍以上です。皆さんのお住まいの都道府県はどうでしょうか?<br><br> このように、都道府県によってコロナ感染のリスクは著しく差があります。例えば自分の故郷愛媛県は全国平均の0.5くらいということで、リスク比較表のコロナ感染によるリスクの数値を半分にして比較すると、ちょうど良いということになります。「でも、県境を超えて人の行き来があるじゃないか」と反論される方もいるかもしませんが、首都圏や中京、阪神の大都市圏ならいざ知らず、それ以外の地方ではそれほど日常的に県境を超えた移動はありませんし、特に高齢者の生活圏は自宅から数キロ〜数10キロ圏内の場合が多いので、自分のコロナ感染のリスクを都道府県で判断するのことはそれほど的外れとも思えません。もし、日常的に他県にまたがる移動をしているのであれば、ここのケースに応じて複数県の数値を平均するなどの方法で数値を調整すれば良いのではないでしょうか。<br><br> みなさまの判断の参考になれば幸いです。</p><p> </p><p> </p>
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2021-07-02T23:11:06-07:00
2021-07-03T01:45:11-07:00
YouTubeライブ、7月3日(土)9:00pmより。
<p> </p><p><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">7月3日、今夜9時から、久しぶりにぴおちゃんねるでライブ配信します!アメリカは早朝なので、ライブ演奏はできませんが、即興演奏の録画を公開します。相棒の佐藤靖朗さんからは、いよいよミュージカル俳優として舞台での活動再開の報告と、古佐小からはロックダウンが開けたカリフォルニアでの音楽活動、コロナパンデミックとワクチン関連の情報などをお届けします。コロナ感染リスクとワクチンのリスクの比較表も6月の最新情報で更新し、都道府県別のコロナリスクも個別に計算しました。</span></p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/xraGRjcT8j4" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-06-11T15:39:13-07:00
2021-06-11T20:15:06-07:00
ワクチン接種をしないという選択と今後の音楽活動
<p> ブログでも連載記事としてシェアいたしましたが、政府機関の公式発表の情報とデータから、新型コロナウイルスと新型コロナワクチンに関する考察を行い、ワクチン接種をしないという結論にいたりました。アメリカでは、すでにワクチン非接種者への差別は始まっており、秋以降に予定されていた演奏の仕事もキャンセルされました。今後は、店舗や施設への出入り、公共交通機関の利用においてワクチンパスポートなるものの提示を求められるような方向に向かうと言われている中で、大勢が集まるコンサートとツアーでの長距離移動が不可欠な演奏活動は、大きく制限を受け、ライブ活動からは、事実上の強制引退を余儀なくされる可能性も覚悟をしております。<br><br> ライブでの演奏活動の継続を人生の最重要目的とするなら、さっさとワクチンを打てば済むことなのでしょうが、自らの意志と価値観に従って仕事をする芸術家が、これまで貫いてきた信念や価値観に逆らい、社会の同調圧力に乗って自らを欺いてしまったら、芸術家として誇りと社会的責任を捨て去ることを意味します。<br><br> 芸術活動は、価値観やライフスタイルという土壌の上に育つ作物のようなものだと考え、これまで10年以上にわたってその土壌を作るために、心身の健康の確立とバランスの取れた能力開発を目指し、人本来の暮らしとは何かを問い続け、自給自足の自然農法や持続可能なライフスタイルを実践しながら音楽活動に取り組んできました。アメリカに移住して以来23年間、医療機関を受診する経済的な余裕はありませんでしたから、基本的には、自分の健康管理は自己責任で行い、もし死病に犯された場合には潔く死を受け入れる覚悟で生きてきました。このように信念を持って耕してきた自分の身体が、新型コロナウイルス感染症に耐えられず死ぬことになっても全く悔いは残りませんが、リスクと効果の明らかでない緊急承認の新薬を予防のために注入した結果、自分の意志や努力とは全く関係のないところで身体の在り方が変化し、望ましくない健康被害を被ることになったら、悔やむに悔やみきれません。<br><br> この後、新型コロナワクチンがFDAに正式承認されたら、ワクチン接種を義務化する動きがいよいよ本格化し、ワクチン未接種者は社会生活において様々な不便と制約を負うことになるでしょう。このような社会の流れは、パニック状態による自己破壊とも言える異常事態で、決して容認してはならないと思っています。アメリカの禁酒法のように、いずれは修正され、後で振り返ってみるとあまりのバカバカしさに呆れてしまうということになると思いますが、それでも禁酒法は10年以上施行されました。この社会パニックも禁酒法のように長期間続く可能性はありますから、これからしばらくは隠遁生活を強いられ、作品を公に発表する機会が少なくなるとしても、命ある限り真摯に芸術と真理を追求するという姿勢を変えることなく、音楽活動の重心をレコーディング、作曲、音楽の学術的研究などに移して行くつもりでおります。航空機での移動ができなくなり、故郷へも戻れず、親の死に目どころか葬式にも出れないという状況が待っているかもしれませんが、それも仕方ないと覚悟を決めています。収入が減り、生活は一層厳しくなりますが、子育ても終わっていますから、欲を出さなければなんとか生きてゆくことはできるでしょう。<br><br> これまで演奏活動を支えてくださった皆様にしばらくはお会いできなくなるかもしれないことは、非常に残念ですが、このような決断をしたことで大きな気づきもありました。<br><br> これまでの活動では、自作の曲を多くの即興を交えて演奏してきましから、これ以上自由な音楽活動はないと言えるほどに自由にやっている自負がありました。しかし、目の前にお客さんがいない状況で、ただひたすら自分の納得できる音楽を作り続けようと決意したことで、これまでの音楽活動では、心のどこかに「お客さんを喜ばせたい」「他者から評価されたい」という願望があって、それが自由な創作にブレーキをかけていたことがよくわかりました。<br><br> お客を喜ばせる。他者から評価される。プロとしては当然の責務のように言われることが多いのですが、これらは目的ではなく、優れた作品を作ることの結果であるべきです。しかし実際には、作品を作る段階で無意識のうちにこれらを目的として組み込んでいて、それが自由で誠実な創作活動にブレーキをかけていることに気づいたのです。<br><br> 特定の時代、特定のお客を意識して作ると、時空を超えた普遍的価値を持つ作品にはなりにくい。一方で、不特定の時代の不特定多数の聴き手を対象にすれば、自ずと普遍的な価値観に近づくことになります。<br><br> 正直なところ、お客さんの顔の見える環境で、その場にいる人たちのために演奏するコンサートという環境は、大好きです。今後その機会が著しく減る、あるいはなくなると思うと残念ではありますが、より普遍的価値のある作品を作る音楽家へと成長を遂げるためには、一時期そのような場から距離を置くことも必要なのかもしれません。<br><br> 人生50年。一昔前には死を覚悟した年齢です。50歳となった今、演奏家としての古佐小基史はここで終わるとしても、悔いのない演奏活動はやってこれたと思っています。27歳から独学でハープを学ぶという大きなハンデを背負っての音楽家人生のスタートでしたが、ハーピストとして、世界の誰も真似のできない分野を開拓したという自負もあります。ここで演奏家として死んでも、実際にはまだしばらくは死にそうにありませんし、ハープ演奏も音楽の研究もまだまだ元気に続けられますから、これからの人生はボーナスと思い、より自由な気持ちで生きてみようと思います。<br><br> 今後ともよろしくお願いいたします。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/07/musiclife-in-nature/ca/e7/j/o2996200014956053871.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210612/07/musiclife-in-nature/ca/e7/j/o2996200014956053871.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="414" width="620" /></a></p>
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2021-06-09T21:44:29-07:00
2021-06-09T23:15:22-07:00
(4)『ワクチン未接種は悪なのか?』ー社会的な圧力によりワクチン接種を迫られることの意味
<p> 通常、新しい病気への対処には、まず治療薬の開発を含む治療法の研究が行われ、新薬の試験的な使用は、何らかの治療をしないと命が危ない状況にある重症者を中心に行われます。重症者には、すでに病気によって健康が害され死亡するリスクがあるため、治療効果の期待される新薬の未知の副反応のリスクが相殺され、新薬の試験的投与が正当化されます。ところが、新型コロナ感染症に関しては、今苦しんでいる重症患者を救うための治療薬の開発と治験という段階を飛び越して、感染予防に論点が移り、健康な方に緊急承認をしたワクチンの接種を推奨しています。これには、非常な違和感を感じます。重症化を防ぎ、死亡者を少なくできる治療法を確立すれば、病気自体の脅威は低くなりますから、まずはこの方向での対処にエネルギーを注ぎ、今危機に晒されている救える命をできるだけ救うことが先決で、新薬の緊急承認のという非常手段は、そのためにこそ用いられるべきではないでしょうか?<br><br> ワクチン接種は本来、接種を受ける個人の健康に関する選択ですから、これまで社会的責任という文脈で語られることはありませんでした。しかし、この新型コロナウイルスワクチンに関しては、しばしば「他者への配慮」ということが論点になります。その背景には、ワクチンによって社会全体として集団免疫を獲得し、パンデミックを終わらせるというシナリオがあります。これまで人類が経験したパンデミックでは、自然感染が広がって集団免疫が獲得されるというプロセスを経て収束したのに対し、今回は、パンデミックの最中にワクチンという人工的な手段で集団免疫を獲得して収束させようとしています。<br><br> しかし実際には、新型コロナワクチンにどれほどの感染予防の効果があるのか、どの程度の期間効果が持続するのか、実際に集団免疫効果があるのか、何も明らかにはなっていません。厚生省は、「インフルエンザワクチンでは、一定の発症予防効果(研究により20から60%)や、重症化を予防する効果が示されているが、集団免疫効果はこれまで実証されていない」という見解を示しています。つまり、「ワクチン由来の集団免疫によるパンデミック収束」というシナリオは、やってみるまで成功するかどうか分からないということです。<br><br> アメリカでは、集団免疫に必要なワクチン接種率は60−75%と報道され、ワクチン接種が盛んに進められていますが、治験データの不足している新薬であるワクチンの接種を、国民の自由意志、自己責任のもとに選択させ、接種率を60−75%まで持ってゆくという政策は、冷静に考えてみるとかなり大胆で冒険的な社会実験です。もし、ワクチンに予測できない長期的で不可逆的な副反応があった場合、その被害のリスクが国民の半分以上、場合によってはほとんどの国民に及ぶことになります。このようなリスクが正当化されるには、その犠牲を払ってでも回避すべきさらに大きな危機が迫っていなくてはなりません。<br><br> しかし、日本のコロナウイルス感染症の危機は、実際にそれほど大きいものなのでしょうか?実は、これまでに存在していた他の病気と比較してみると、必ずしもそうとも思えないのです。<br><br> コロナウイルス感染とコロナワクチン副反応の重症化及び死亡リスク比較表の右端に、2009年(一部2019年)の肺炎による死亡率を添付しています。コロナと肺炎の死亡率を比較すると、肺炎リスクの方が若年層で数倍、高齢者では数百倍大きくなっています。このことから、新型コロナウイルス感染症は、例年多くの死者を出す様々な肺炎の一つに過ぎないという解釈も成り立ちます。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/91/7c/p/o2362155414952264339.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/91/7c/p/o2362155414952264339.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="408" width="620" /></a></p><p> また、若年層の重症化率と死亡率の著しく低い新型コロナウイルス感染症においては、ワクチンのリスクとの比較において、40歳未満の接種はむしろ有害と解釈するのが妥当だと思います。特に女性の副作用率は男性に比べて2−8倍程度高いため、特に注意が必要です。また子供のコロナ感染によるリスクは著しく低いため、子供へのワクチン接種は特に有害であると判断されます。<br><br> 緊急承認のワクチンの大規模接種が必要と認識されるほどの危機的なパンデミックの吹き荒れた2020年には、例年に比べて圧倒的に死者数が増加したに違いないと考え、人口統計を調べたのですが、予想外の驚くべき事実に遭遇しました。<br><br>https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG228660S1A220C2000000/<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210610/13/musiclife-in-nature/f3/89/p/o1508146214955239763.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210610/13/musiclife-in-nature/f3/89/p/o1508146214955239763.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="601" width="620" /></a></p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/70/f9/p/o1918108214952263333.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/70/f9/p/o1918108214952263333.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="237" width="420" /></a>(日本経済新聞2021年2月22日より)<br>「2020年の国内の死亡数は前年より約9千人減少したことが22日分かった。死亡数は高齢化で年平均2万人程度増えており、減少は11年ぶり。<br>厚生労働省が22日に発表した人口動態統計(速報)によると、20年に死亡したのは138万4544人で、前年より9373人(0.7%)減った。速報に死因別のデータはない。<br>同省が9月分まで発表している死因別の死亡数(概数)によると、前年同期より最も減少したのは呼吸器系疾患で約1万6千人減っていた。内訳は肺炎(新型コロナなどを除く)が約1万2千人、インフルエンザが約2千人減っていた。」<br><br> この報道によると、例年通常の肺炎やインフルエンザで亡くなっていた数が新型コロナウイルスでの死亡に置き換わったように見えますので、コロナが肺炎の範疇にあるという解釈もまんざら的外れではないように思われます。しかも、2020年の死者数が前年よりも減少しているので、新型コロナウイルスの登場によって国民の生命の危険が著しく高まっているという認識は成立しません。<br><br> このような状況で、緊急承認された新薬(ワクチン)の接種を国策として推奨し、それに賛同する個人や組織が同調圧力や差別を用いて押し進めることは、不条理であるばかりでなく、憲法違反とも解釈できる行為です。<br><br> 日本国憲法第十三条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と記されています。<br><br> もし、企業や団体が差別や同調圧力によって個人にワクチン接種を脅迫的に要求するというような事態が起こっているとしたらどうでしょう?、例えば、ワクチン接種をためらう医療従事者、病院の方針に逆らって患者にワクチンを積極的に勧めない医師、病院実習を控えた医学生や看護学生などに対し、「仕事/学業を諦めるか?それともワクチン接種か?」というような選択を迫る状況が作られ、それを国家として黙認するとしたら、それはワクチンを接種しないことが「公共の福祉に反する」とみなされたということになります。しかし、「ワクチン非接種=反社会的行為」などという解釈に、法的な合理性があるとはとても思えません。<br><br> ワクチン接種は、個々の生命と健康に関わる問題であり、その選択においては自由が保障されるべきです。仕事や勉学という幸福の追求に関しても、公共の福祉に反しない限り妨害されるべきではありません。カリフォルニアでは、音楽業界において、まさにこの自由の侵害が起こっています。とは言え、音楽業界や芸能界ではアーティストの立場が弱く、平常時でも「干す/干される」というハラスメントが起きやすい構造ですから、こうなっても仕方ないと諦めることもできるのですが、他業界はこのような空気に流されないことを祈っております。<br><br> また、日本国憲法の第十八条には、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」ともあります。仕事や勉学の継続、公共交通機関や施設の利用のために、否応もなくワクチン接種しなくてはならない空気は、まさに奴隷的拘束にあたるのではないでしょうか。<br><br> 厚生省のホームページには、以下のような呼びかけもあります。<br>https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/70/f9/p/o1918108214952263333.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/70/f9/p/o1918108214952263333.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="350" width="620" /></a></p><p><br>「職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。<br> ⇒職場におけるいじめ・嫌がらせなどに関する相談窓口はこちら<br> ⇒人権相談に関する窓口はこちら」<br><br> このように、政府としては憲法の遵守を大前提に接種を奨めていますから、ワクチン接種をめぐる差別的な空気があるとすると、それは国民自身が生み出していることになります。差別をすることだけでなく、差別に泣き寝入りすることも、この空気を増強する要因となります。政府もそのことを危惧しているらしく、相談窓口も設けられ、政府がこの問題に介入することができるようになっています。<br><br> 新型コロナウイルス感染と新型コロナワクチンに関する問題に真摯に向き合うことは、個人の生命と生活だけでなく、民主主義国家日本の在り方にも影響する重大な責務であると自覚した上で、意思決定をすべきだと思います。<br><br><br><span style="font-weight:bold;">後書き)</span><br> このレポートは自分自身のために行なったリサーチを整理したものですが、新型コロナワクチン接種という重大な問題をみなさんと一緒に考えるきっかけになればと思い、意思決定のプロセスを公開することにいたしました。ワクチン接種の是非に関しては、感染症という専門性の高い分野である上に、専門家の間でも賛成から反対まで説得力のある仮説が存在するため、一般人には判断が困難です。保健師の資格を持っていても、かなりの労力と時間を費やし情報収集/分析をする必要がありました。このレポートでは、厚生省の「しっかりした情報提供を行なった上で、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。」という言葉をあえて愚直に信じる立場から、誰でもアクセスできる政府機関から公式に発表されているデータと情報をもとに考察しました。実際には、民間による情報や独立した研究者からの仮説など、他にも信頼性の高い情報が多数存在するのですが、それらは大手メディアによってデマと決めつけられることが多く、実際に極端な反ワクチンの意見や言論の根拠としても用いられるため、「ウソ臭い」という第一印象を与えてしまいます。そのため、公正中立の立場を明確にするため、このレポートでは、それらはあえて考察対象には加えませんでした。<br><br> このレポートで述べられている内容は、社会的な責任を有する専門家による提案ではなく、一個人がワクチン接種という非常に専門性の高い問題に関して自己責任で判断する必要性に迫られて行った悪戦苦闘の試みですから、普遍的な結論を断定づけるものではありません。あくまでも意識決定のプロセスの一例として参考にしていただけると幸いです。<br><br> ご意見や新情報、ご感想がありましたらぜひご教示ください。今後のリサーチの参考にさせていただきます。<br><br> <br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6653893
2021-06-08T19:52:54-07:00
2021-06-08T22:30:06-07:00
(3)『ワクチン接種の他に道はないのか?』コロナ感染対策としてのワクチンの位置づけ
<p><span style="font-size:1.4em;"><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">新型コロナワクチンによって防げること</span></span></span><br> ワクチンの目的は、接種者の特定のウイルス(この場合は新型コロナウイルス)に特化した防御体制(免疫力)を強化することです。では、ワクチンを打たないと、ウイルスに対抗できないのか?実はそういうわけでもなく、常に機能している免疫系やその他の衛生行動によって、全人口の99.1%以上の方(日本では現在99.4%)は感染しません。ワクチンは、運悪くコロナに感染し発症してしまう残りの0.83~0.88%の被害者を0.04%にまで減らすというスケールで有効です。<br><br> 厚生省の見解としては、新型コロナワクチンでは、発症や重症化を抑制することはできても、「感染予防効果は実証しにくく、臨床試験で確認することは稀。発症しない感染者が多数存在する新型コロナでは、実証が難しい」とされています。</p><p> </p><p>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778309.pdf</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/14/musiclife-in-nature/20/c8/p/o2210152414953257607.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/14/musiclife-in-nature/20/c8/p/o2210152414953257607.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="428" width="620" /></a></p><p><br> このことを文字通りに解釈すると、ワクチンの大規模接種により、次の二つのシナリオが考えられるということになります。</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">(1)ワクチンによる感染の予防効果が薄く、発症と重症化の予防効果が大きな場合:</span>無症状感染者がより高い割合で出現することになります。これは、新型コロナウイルス感染症における「多数存在する無症状感染者が気づかないうちに感染を広げるリスク」という特殊性を考慮すると、マスクやソーシャルディスタンシングを行わなくなったワクチン接種者に無症状感染者が増えることで、そこから感染が広がるリスクが高まるということになります。<br><span style="font-weight:bold;">(2)感染予防と発症・重症化予防の効果が同程度である場合:</span>パンデミック収束に有効なワクチンということになります。</p><p><br><span style="font-size:1em;"> <span style="font-weight:bold;">つまり、現段階ではこのどちらに転ぶか分からない、というのが現実です。</span></span><br><br> また、よく話題になる集団免疫(人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなる状態のことー厚生省ホームページより)に関しても、ワクチンによる効果は「大規模な接種までわからない」とされています。<span style="font-size:1em;"><span style="font-weight:bold;">このことから、ワクチン接種を「人のため、社会のため」、ワクチン接種しないことを「自分勝手、社会の迷惑」とするのは、誤まった認識であると断言できます。</span></span></p><p> </p><p> ワクチンは、あくまでも接種した本人が病気になる可能性を下げる予防手段です。新型コロナワクチンでは、正確な効果や副反応も分かっていない部分が多く、大規模接種による影響が凶と出るか吉と出るかわからない現状においては、ワクチン接種が他者や社会のためになるかどうかを評価することは不可能です。ワクチン接種は、あくまでも個人の必要性から判断されるべきで、「人のため、社会のため」という目的を考慮に入れる余地はありません。<br><br> 整理すると、新型コロナワクチンは、現段階では以下のような予防策と思われます。<br> <br>○緊急時に承認手続きを簡略化した緊急承認の医薬品。<br>○長期安定性に関わる情報は、限られている。<br>○集団免疫効果は、大規模接種が終わるまでわからない。<br>○感染予防効果は、検証が困難。<br>○予防効果の持続期間は、確立していない。<br>○発症と重症化を下げることは、期待される。<br>○変異株への有効性は、わからない。<br><br> パンデミックの最中に、かなり強力な免疫反応を引き起こすmRNAワクチンの大規模接種を行うことで、接種者の体内で新型コロナウイルスが突然変異により感染力と毒性を増して生き残る危険性が高まるという仮説や、新型コロナウイルスという特定の異物への免疫性が高められることで、より守備範囲の広い自然免疫の働きが抑制されるという仮説もありますが、これらは中〜長のワクチンによる影響ですので、もう少し時期を待たないとこれらのリスクが実際にはどの程度のものなのかを判定することは難しいと思われます。これらの仮説に関しては、別の機会に内容を検討するつもりでおります。<br><br><span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;"><span style="text-decoration:underline;">ワクチン接種以外の手段</span></span></span><br> ワクチンの有効性が、ウイルスに感染する可能性のある0.83~0.88%を0.04%にまで減らすというものであるならば、より安全に同じ程度の効果、あるいはそれ以上の効果を得られるその他の手法があれば、ワクチンを使用する意義は小さくなります。<br><br><span style="font-weight:bold;">(1)新型コロナウイルスに感染する</span><br> 免疫は、実際にその病気にかかることでも獲得されます。少々乱暴に聞こえるかもしれませんが、病気にかかって重症化する危険性がさほど高くないと判断される場合には、もしかかった場合にはしっかりと養生をして、感染〜回復のプロセスを経て免疫を獲得するという選択肢もあり得ます。過去のパンデミックは、このようなプロセスで集団免疫が獲得され収束したと考えられています。「新型コロナウイルスの”いま”に関する11の知識(2021年6月版)」によると、日本では今までのところ人口の0.6%が感染しています。感染して重症化するのは30歳代以下は0.1%(99.99%は軽症)未満、50歳代以下で0.3%(99.7%は軽症)、60歳台以上でも8.5%(91.5%は軽症)です。</p><p> </p><p>https://www.mhlw.go.jp/content/000788485.pdf</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210609/11/musiclife-in-nature/0c/36/p/o2166150614954717501.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210609/11/musiclife-in-nature/0c/36/p/o2166150614954717501.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="431" width="620" /></a></p><p> 仮に感染したとしても重症化する割合は非常に小さいと判断し、感染予防行動を注意深く行い、食事、運動、サプリなどの活用などの健康増進に繋がる生活習慣を実践することで感染を予防し、ワクチンは接種しないという選択肢は、十分に合理的です。自分の属する年齢層での重症化率を参考にし、体力や病歴、現在の健康状態を考慮して、ワクチンのリスクと感染するリスクを比較検討するのが良いと思います。<br><br> 参考までに、2009年の新型インフルエンザでは、12月中旬で国民の1/8(感染率12.5%/0.6%の新型コロナの20倍以上)が医療機関を受診し、重症化するリスクは0.0006%であったのに対し、コロナの重症化リスクは50歳代以下で0.0018%、60歳代以上で0.051%です。新型コロナは、インフルエンザほどの感染の広がりはないものの、重症化するリスクは高いということになります。いずれにしても、<span style="font-weight:bold;">現時点では、統計的に99.9%以上の方は新型コロナで重症を患うことはないということになります。</span></p><p>https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/pdf/091225-01.pdf</p><p> </p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">(2)免疫力を上げる健康行動</span><br> 一般的に免疫力を上げる手法として、生活習慣の改善、食事療法(サプリなどの利用も含む)、運動療法、ストレスマネージメント、鍼灸などの代替医療など効果の実証されているものが多数あります。一般に、これらの行動は体への負担が少なく、ワクチン接種で懸念されるような健康リスクはほとんどありません。ただし、これらを日々の生活の中に取り入れて実践/継続させるには、強い目的意識と意志が要求されますから、これらの行動をこれまで全く行ってこなかった方にとってはハードルの高い選択肢かもしれません。<br><br><span style="font-weight:bold;">(3)感染リスクを下げる行動</span><br> 感染リスクを下げる行動に関しては、マスクの適切な利用や集会の制限など、厚生省からかなり細かく具体的な対策が示されています。しかし、これらの感染対策によって流行が収束していないということは、手法の有効性は実証されていないということにもなりますから、絶対的な予防法ではないという理解のもと実行することが大切です。</p><p> </p><p> https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210609/11/musiclife-in-nature/04/8e/p/o2182147214954718079.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210609/11/musiclife-in-nature/04/8e/p/o2182147214954718079.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="418" width="620" /></a></p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6651189
2021-06-06T08:07:26-07:00
2021-12-21T05:41:40-08:00
圧巻!苫米地英人氏による新型コロナワクチンのリスク解説
<p>YouTubeで、苫米地英人氏による新型コロナワクチンのリスク解説があります。とても頭の回転の速い方で話のテンポについてゆくのが難しいところもありますが、16分ほどで濃縮した重要な情報を伝えてくださっています。ワクチン接種で迷っている方にはおすすめです。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/KZTVjlUMuUc" width="608"></iframe></p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6650931
2021-06-05T23:11:58-07:00
2021-06-06T02:30:11-07:00
(2)「新型コロナワクチン打つべきか、打たざるべきか?」ーワクチンの効果と副反応
<p><span style="font-size:1.4em;"><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">厚生省の見解</span></span></span><br>まず、厚生省の「ワクチンの副反応に対する考え方及び評価について」という資料では、ワクチンの効果に関して以下の見解が伺えます。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778309.pdf</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/14/musiclife-in-nature/20/c8/p/o2210152414953257607.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/14/musiclife-in-nature/20/c8/p/o2210152414953257607.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="428" width="620" /></a><br><br>●感染予防効果(接種した人が感染しない)に関しては、「感染予防効果は実証しにくく、臨床試験で確認することは稀。稀発症しない感染者が多数存在する新型コロナでは、実証が難しい。」<br>●集団免疫効果(摂取していない人にも波及する効果)に関しては「大規模な接種後まで分からない。」<br>発症予防効果(発症者が減少)に関しては、「接種者と非接種者を比較する臨床試験等で、両群の発症者を比較することで、効果を測定できる。」<br>●重症化予防効果(死亡、入院等の重傷者が減少)に関しては、「接種者と非接種者を比較する臨床試験等で、両群の発症者を比較することで、効果を測定できる。」<br><br> このようなワクチンの効果への評価の例として、「インフルエンザワクチンでは、一定の発症予防効果(研究により20から60%)や、重症化を予防する効果が示されているが、集団免疫効果はこれまで実証されていない」と記述されています。</p><p><br> <span style="font-weight:bold;">つまり、新型コロナワクチンの効果に関しては、感染自体の予防、集団免疫効果については実証できないが、発症予防と重症化予防の効果は測定できるということです。</span></p><p> </p><p><br><span style="font-size:1.4em;"><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">ファイザー社による臨床試験</span></span></span><br> では、次にファイザーによって行われた有効性の治験結果を検討します。<br><br>ファイザー社製 コロナウイルス装飾ウリジンRNAワクチンコミナティ筋注の説明書より<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/14/musiclife-in-nature/c7/2e/p/o1298120014953258131.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/14/musiclife-in-nature/c7/2e/p/o1298120014953258131.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="573" width="620" /></a><br>12歳以上の健康な参加者を対象に、本剤30μgを19~23日間隔で2回接種したときの有効性及び安全性を検討することを目的として、プラセボ対照無作為化多施設共同試験を実施した。<br>1)感染歴がない参加者で2回目接種7日以降(追跡期間中央値57日)の感染状況<br>ワクチン接種群 18,198 / 感染者数 8 (0.044%) ー① <br>プラセボ接種群 18,235 / 感染者数 162 (0.888%)ー②<br> ①/②=0.049 およそ 0.05<br>2)感染歴の有無を問わない参加者で2回目接種7日以降(追跡期間中央値55日)の感染状況<br>ワクチン接種群 19,965 / 感染者数 9 (0.045%)ー①<br>プラセボ接種群 20,172 / 感染者数 169 (0.838%)ー②<br> ①/②=0.0537 およそ 0.05<br><br> ワクチン有効率は、ワクチンを接種しない群での感染率を1とし、ワクチン接種群の感染が0なら有効率100%、感染が起こったらそのパーセンテージを100からマイナスすることで算出されます。<br><br> この実験では、ワクチンなしの状態で起こる自然感染を1としたら、ワクチンありのグループでは約0.05の比率で感染が起こったので、この場合0.05、すなわち5%は感染予防ができなかったと解釈し、100-5=有効率95%となります。<br><br> <span style="font-weight:bold;">有効率95%と聞くと、100名が100名が必ず感染する恐ろしいコロナという病気から、95名を救ってくれる特効薬というイメージを抱いてしまいますが、それは誤った認識です。</span>実際には、ワクチンの有無にかかわらず、普通に持っている免疫系やその他の衛生行動によって99.1%以上の方は感染しません。ワクチンは、運悪くコロナに感染してしまう残りの0.83~0.88%の被害者を0.04%にまで減らすというスケールで有効です。このことは、しっかりと理解しておく必要があります。個人という観点で見ると、この数値は非常に小さな効果になりますが、億単位という大きな集団のスケールでは、無視できない効果と言えます。<br><br> これらの治験結果を受け、新型コロナワクチンの効能、効果の持続期間に関しては、以下のように記されています。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/69/4d/p/o1802039814953258681.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/69/4d/p/o1802039814953258681.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="137" width="620" /></a></p><p> </p><p>効能または効果<br> SARS-CoV-2による感染症の予防<br>効能又は効果に関連する注意<br> 本剤の予防効果の持続期間は確立していない。<br><br> これをみて、「あれ?」とお感じなる方は多いと思います。というのも、厚生省の見解では、感染の予防効果、集団免疫効果については実証できないが、発症予防と重症化予防の効果は測定できるということになっているにもかかわらず、ここでは感染の予防の有効性が証明されていることになっています。もし、この矛盾を文字通り解釈すると、<span style="font-weight:bold;">厚生省は実証できない感染予防を効能とするワクチンを緊急承認して接種を推進している</span>ということになります。これは単なる説明不足か、何か見えない合理的な判断が背後にあるのかもしれませんが、今のところは、それを示唆する資料は見つかっておりません。もしご存知の方は、ぜひご教示ください。また、「予防効果の持続期間は確立していない」ということは、未知の副反応のリスクまで負って摂取する治験中の新型ワクチンの効果が、短期間のうちになくなっているかもしれないということです。つまり、これから数ヶ月の安心を得るためだけに、新型ワクチン接種を選択することになっている可能性は忘れてはならないと思います。<br><br> </p><p><span style="font-size:1.4em;"><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">ワクチン接種による精神的効果</span></span></span><br> 公衆衛生の観点からは、伝染病のワクチン接種では身体的効果が考慮されるべきで、精神的効果は考慮されるべきではありません。ただし、個人的な選択としてワクチン接種を決断する大きな理由は、それによって病気の脅威から解放されるという点ですから、それによって得られる安心感や不安の解消という精神的効果は十分に考慮されるべきです。<br><br> 実際に、政府広報に「ワクチン確保で安心」という動画があり、ワクチンを打つことで得られる安心感を強調し、高齢者への接種を推奨しています。<br>https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg22679.html</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/a7/bb/p/o2102153214953259576.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/a7/bb/p/o2102153214953259576.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="452" width="620" /></a></p><p><br> しかしながら、安心するかどうかは、接種をする本人が感染症のリスク評価、ワクチンのリスク評価、ワクチンによる効果の評価を行い納得した上での判断ですから、権威者(施策者)はあくまでも科学的、医学的立場からの公正な情報提供を通じてリスクとベネフィットを正しく説明するべきであり、説明を省いて「安心だ」と呼びかけるのは不適切です。<br><br> 自分の場合は、ワクチンを打つ、打たないにかかわらず「覚悟」という心の安らぎ得るために、合理的に状況を把握する努力をしますが、「ともかくワクチンを信じる」という感情を高めることで心の安らぎを求める方もおられると思います。心の安らぎを求めることは、日本国憲法第十三条において「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と保証されている幸福追求の行動です。その行動が本人の健康利益と相反しても、それは個人の選択の自由です。例えば、飲酒、喫煙、ロッククライミングなどの危険なスポーツでは、幸福追求が健康リスクという代価を伴っていますから、ワクチンに未知のリスクがあってもそれを打つことで安心を得られる、あるいは、ワクチンを打たないことでコロナウイルスへの感染リスクが高まるとしてもその方が安心だという判断のどちらも、個人としては妥当な判断ということになります。<br><br> 安心感や不安感は、与えられる情報によっても大きく変化します。新型コロナ感染症という病気のリスクの適切な評価と、それに対処するための様々な手段、その一つとしてのワクチン接種という手段の有効性とリスクに関する情報が一般に理解される形で提供された上で、各人が個別に判断できることが必要です。<br><br><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">ワクチンの副反応</span></span></span><br> 副反応に関する数値は、「コロナウイルス感染とコロナワクチン副反応の重症化及び死亡リスク比較表」に示してあります。重篤副反応の数値は、副反応例の数値をもとに、カナダでの5月21日時点でのファイザー社のコミナティ筋注の副反応の重篤化率22.3%から算出しています。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/91/7c/p/o2362155414952264339.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/91/7c/p/o2362155414952264339.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="408" width="620" /></a><br> 前回の投稿で、同表においてコロナワクチンによる死亡疑い報告数をコロナ感染症での死亡数と比較するのは、ワクチンの死亡率を過大に見積もっているため成り立たないというご指摘をいただきましたので、それに関して説明を加えておきます。</p><p><br> ワクチンの副反応の報告は、国の定めた基準と医師の判断によりある程度スクリーニングを経ているため、当たらずとも遠からずといった精度で死亡のリスクを反映していると考えています。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784528.pdf</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/8a/37/p/o1960134614953260722.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/8a/37/p/o1960134614953260722.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="426" width="620" /></a><br><br> また、副反応による死亡疑いの報告が、実際にワクチン接種と関連しているか否かの判定には時間がかかるため、今すぐに個人のレベルでワクチン接種のリスク評価をしなくてはならない緊急事態では、正確な副反応死のデータが発表されるのを待つことはできません。そのため、「今」の判断をするための暫定的なデータとしては、死亡疑い報告の数値しかないというのが現実です。より正確を期すには、過去のワクチン副反応による死亡疑いの報告のうち、後の解析で何割が確定、何割が判定不能、何割が関連なしと判定されたのかを調べ、その数値でコロナワクチンでの数値の補正をかけるという手段も考えたのですが、さすがにそこまでのリサーチを一名で行うのは無理でした。<br><br> また、ワクチンのリスクの比較対象であるコロナワクチン感染症の死亡リスクとの釣り合いという観点から見ても、かなり妥当性のある数値だと思っています。公式発表されているコロナによる死亡数には、コロナ感染症が直接の死亡原因ではないケースも多く含まれている可能性があり、こちらのリスクもかなり大きく見積もられている疑いがあるため、ワクチンによる死亡リスクが大きめに見積もられたとしても、両者の比較においてはさほど影響がないとも考えられます。もちろん、コロナ感染症が直接の死亡原因であることが確認された死亡数のデータが入手できれば、それに越したことはないのですが、現在のところそのデータは公表されておらず、今すぐにワクチン接種に関する決断をしなくてはならないという切迫した状況においては、この数値をもとに判断するしかないと思われます。<br><br> ワクチンの副反応に関しては、ファイザー社の新型コロナワクチン「コミナティ筋注」の説明書には以下のような副反応への注意が喚起されています。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/ec/d3/p/o0942089214953261270.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/ec/d3/p/o0942089214953261270.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="587" width="620" /></a><br><br> これらの副反応は、接種直後の1−2日内に報告された短期の副反応であり、中〜長期の服反応は含まれていません。<br><br> 中〜長期の副反応は、現在もデータは収集/分析過程にあり、分かっていません。<br><br> 現在厚生省が副反応に関して暫定的な評価を行っているのは、死亡例とアナフィラキシーショックに関してだけのようです。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784528.pdf</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/f6/ea/p/o1566107414953261474.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210606/15/musiclife-in-nature/f6/ea/p/o1566107414953261474.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="425" width="620" /></a></p><p> その他の副反応例に関して厚生省は、現時点の段階では、ワクチン接種との因果関係は評価できないという立場のようです。その根拠となっているのが、以下のWHOの考え方です。<br><br>「ワクチン接種後に生じる有害事象の因果関係の評価について・通常、因果関係の評価は、有害事象と予防接種との関連性を証明したり否定したりするものではなく、因果関係評価は、そのような関連性の確実性のレベルを決定するためのものであり、因果関係があるかないかは、個々の事象では確定できないことが多い。<br>不十分または不完全な症例の情報により適切な因果関係の評価を行うことができず、評価を試みたとしても、情報不足のため有害事象を分類不能または評価不能と判断されることがある。一方で、充分な情報があっても、因果関係を示す明確な証拠がない、あるいは矛盾する証拠があるなどの理由で有害事象として評価困難に分類されることがある。しかし、より多くの症例が報告されることで、より強いシグナルと尤もらしい仮説、あるいは何らかの関連性に対する強い反論が得られる可能性があるため、これらの評価は記録されていくべきである。・因果関係の評価とは、有害事象の事例に関する個人及び集団のデータを系統的に検討し、有害事象とワクチンの因果関係の可能性を見極めていくものである。」<br><br> つまり、ワクチンの副反応に関しての実態を明らかにするには、時間をかけて多量のデータ収集と慎重な解析が必要であるということです。そのため、通常の新薬認可では、数年にわたる治験が要求されるわけですが、今回は緊急承認という特例により、その期間が大幅に短縮されています。これは、接種者がワクチンの副反応において明らかになっていないリスクを負うということを意味しています。このリスクは、現段階で計算することは不可能です。<br><br> 「ワクチン打ったけど、俺は大丈夫だったよ。周囲の人もなんともない。」というような個別の事例からは、ワクチンの有害性の全貌は分かりません。恐るべき副反応の例を一つ取り上げて「ワクチン接種は人類の危機だ!」という結論を導き出すこともできません。要するに、今は分からないことはわからないという謙虚な姿勢で臨むしかありません。<br><br> 分からないことを判断するための方法は、科学的推論です。新薬の開発者は、当然のことながら、認可基準をクリアするためにありとあらゆる可能性を検討し、理論的には安全で効果のある薬物を製造しています。そうでないと、膨大な研究開発費を無駄にしてしまうことになりますから、ほぼ非の打ちどころのない理論的仮説に基づいて安全性と有効性が想定されています。ですから、多くの医療専門家がワクチンの作用機序を一読したら、「おそらく大丈夫だし効果はあるだろう」と思うのは当然なのです。しかし、あくまでも現時点でわかっている科学的知見に基づく仮説として有力であるということに過ぎず、現代科学で見落とされている様々な人体のメカニズムによって予想外の反応が起きてしまう可能性は残されています。そのため、新薬の実用化においては、立場の異なる研究者による理論仮説の検証、動物を用いた長期のテスト、人間を対象にした慎重なテストが必要になっています。<br> <br> すでに大規模接種が開始されている新型コロナワクチンにおいては、立場の異なる研究者によるワクチンの安全性と有効性への疑義が出されても、「でも、実際にワクチン接種が始まってるってことは、安全で有効に決まってるじゃないか。今さらそんなこと言っても意味がない。」という雰囲気で無視される傾向にあります。しかし、緊急事態によってそういう議論すらできないまま大規模接種に至ってしまっているため、今さらながらの議論にならざるを得ないのです。彼らの見解を、反ワクチンの非科学的ヒステリーとして決めつける言論も多く見られますが、実際には、まだ専門家による見解が分かれている段階で、長期のデータが出てより客観的な判断材料が揃うまでは、引き続き科学的な議論が深められる必要がある時期なのです。すでに接種をされた方にとっては「今さら言われても困る」というのはその通りですが、このような検証が十分でないまま認可されるのが「緊急承認」であるということをしっかりと理解した上で、接種に同意することが大切だと思います。</p><p> </p><p> 次回の投稿では、「新型コロナウイルス感染対策としてのワクチンの位置づけ」に関して考察いたします。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6649234
2021-06-03T23:25:51-07:00
2021-06-04T02:15:12-07:00
(1)新型コロナウイルス感染症リスクとワクチン接種に伴うリスクの比較
<p><br>(前書き)<br> カリフォルニアでは、新型コロナワクチン接種の判断が、音楽演奏家としての仕事に影響する事態になっています。実際に、ワクチン未接種の音楽家には演奏をさせないという差別を平然と行うコンサート会場や企画会社が出てきました。ワクチン接種の有無が、30年以上かけて築いてきた音楽演奏家としてのキャリアに影響を与えるという予想外の展開となり、この重大な決定をするために、50歳の最初の1週間を費やして情報収集と分析を行いました。幸い東大医学部の保健学科で看護学、保健学を学び看護師としての臨床経験もあるというアドバンテージはあったものの、専門性の高い感染症とワクチンに関する情報収集と分析には、随分と苦労をしております。皆さんも、ワクチン接種に関してはお悩みの方が多いと思いますので、集めたデータを共有し、皆さんと一緒に考える機会にしたいと思います。ワクチン接種に関してすでに決断をされている方は、スルーしてください。<br><br> 現時点の個人的な判断を先に申すと、専門家の端くれとして様々な情報を検討した結果、古佐小基史という個人の予防手段としても公衆衛生の観点からも、今回のワクチン大規模接種の医学的妥当性を十分に納得できる段階には至っておらず、たとえ音楽活動の制約という社会制裁を受けることになったとしても、社会的プレッシャーを理由に新型コロナワクチンを接種することはいたしません。しかし、引き続き新型コロナに関してはデータ収集を続け、現時点での判断に固執することなく、できるかぎり公正な視点から考え続けるつもりでおります。<br><br> まず、自分は反ワクチン主義者ではありません。子供時代、海外渡航時、アメリカでの永住権取得時に要求されるワクチンは、全て接種してきました。おそらく、その延長線上という感覚で新型コロナワクチンを何の抵抗もなく接種される方が多いと思いますが、このワクチンは、通常の治験期間と承認プロセスを大幅に省略した形で特例承認された薬物であることから、これまでになく慎重な態度で接種の必要性を検討しています。現在日本で接種の始まっているファイザーの「コロナウイルス装飾ウリジンRNAワクチン・コミナティ筋注」は、開発国の米国のFDA (food and drug administration) 食品医薬品局から緊急使用の特別認可がされている段階で、正式認可には至っていない新薬です。しかも、RNAワクチンは実用化されて広汎に使用されたことのない新しいタイプの薬物ですから、過去のデータの積み上げが乏しく、特に長期での予測できない薬効や副反応が出る可能性が指摘されています。<br><br> しかし、なぜいまこのような特殊なワクチンの大規模な接種が、世界中で急速に進められているのか?それは、新型コロナウイルスCOVID-19によるパンデミックが人類に未曾有の危機を与えているにもかかわらず、これまで打開策が見当たらず、万策尽きてこの新しいワクチンの大規模接種という最後の手段にすがるしかない、という認識が広がっているからです。実は、この認識の是非に関しても、様々な科学的な見解があるのですが、現在のところ、この認識を各国政府とメディアが支持し、アメリカではラジオの政府広報でも「みんなでワクチンを打って、コロナパンデミックを乗り越えよう!」と呼びかけ、カリフォルニア知事は、120億円相当の予算をつけて「宝くじ付きワクチン」によってワクチン接種率を上げようとしています。<br><br> 「政府がやっていることなんだから、安全に決まっている」という主張も耳にしますが、それだったら、新薬の認可に関するややこしいルールなど最初から必要ないということになってしまいます。政府であれ最先端の研究所であれ、所詮は人間の集まりですから、魔法を使えるわけではありません。人体の働きには、最新の科学的英知を集結しても分からないことの方が圧倒的に多いため、新薬の開発には十分に時間をかけた地道な実証実験が必要になります。そのように治験を重ねて正式に認可された薬でも、臨床で使われた後に予測できなかった危険性が明るみになる場合すらあります。<br><br> 自分は、健康を害して苦しんでいた30代半ばに、医療の本道は病治しではなく健康増進と能力開発にあると考え始め、その後トータルヘルス研究会(三重県)に参加し、第27回日本環境医学会学術集会でも発表をするなど研究者としての活動も行っています。自宅ファームでは、無農薬有機農業、自然農法的な家畜の飼育、ハーブの栽培を行い、健康的な食事、睡眠、運動習慣の構築、身体操作法、民間療法の習得、それに生きがいと満足感を感じられる日々の活動など、意識的かつ戦略的な疾病予防と健康増進活動を実践してきました。そのおかげで50歳となった現在の方が30代よりも遥かに健康感、体力、生産性、幸福感ともに向上し、ここ7年ほどは日常活動に支障が出るような健康問題(軽度の風邪など)も発生せず、10年以上医療のお世話にならずに生きてきました。<br><br> ここで新型コロナワクチンという予防手段を用いるのは、言うなれば、有機農法で時間をかけて作りあげた畑に、開発実験段階の強力な農薬を試験的に使ってみるという唐突さに匹敵します。これまで長年にわたって成果をもたらしてきた方法論を覆し、非常手段を用いるには、ワクチンによる効果がもたらす利益とこれまで築いてきた健康が破壊されるかもしれないリスクの比較検討をしなくてはなりません。このように、信念に伴う過去の健康行動の成功体験が背景にある場合の判断過程では、入手可能な科学的データの分析から示唆される結論のみから白黒をはっきりつけることは難しいと感じています。これは、もともとワクチンという予防手段自体を否定する立場の方や、宗教的理由でワクチン接種を拒否する方にも当てはまります。人生には、データの収集と分析だけでは最終結論を出せない問題がたくさんあるため、人間は、常に精神論的な判断と科学的判断を並列的に用いており、そのバランスは各人の生き方や価値観を大きく反映します。新型コロナワクチンに関する問題も、そういう複雑な問題の1つであると考えます。<br><br> 個人としてのワクチン接種に関する決断をするにあたり、また、家族との間で適切な意思決定を共有するために、以下の項目での情報収集、分析、考察を試みました。アメリカのデータでも分析も進めていますが、人種によるコロナウイルス感染の傾向にも特徴が見られることから、まずは日本にいる年老いた両親や友人との情報共有も念頭に、主に日本のデータを用いて以下の項目について考察しました。これから数回に分けてこれらの項目に関する投稿をアップするつもりでおります。<br><br>(1)新型コロナウイルス感染症リスクと新型コロナワクチン接種に伴うリスクの比較<br>(2)新型コロナワクチンの効果について<br>(3)新型コロナウイルス感染対策としてのワクチンの位置づけ<br>(4)社会的な圧力によりワクチンを接種を迫られることの意味<br><br><br><span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;">(1)新型コロナウイルス感染リスクと新型コロナワクチン接種に伴うリスクの比較</span></span><br><br> 新型コロナウイルス感染による健康リスクを、その解決策であるワクチン接種による健康リスクが上回ってしまったら、本末転倒で全く意味をなさないということになりますので、まずは、現時点で明らかにされているデータからこの2つのリスクを比較します。<br><br> ウイルス感染のリスクに関しては、厚生省の「新型コロナウイルスの”いま”に関する11の知識」という2021年4月付の資料にわかりやすくまとめてくれています。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/c5/cc/p/o2164135014952262801.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/c5/cc/p/o2164135014952262801.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="387" width="620" /></a><br><br> ワクチン接種のリスクについては、ファイザーのワクチン「コミナティ筋注」の解説に明記されています。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf</p><p> </p><p><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/0a/16/p/o1710065614952262958.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/0a/16/p/o1710065614952262958.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="238" width="620" /></a><br><br><br>「本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において<span style="font-weight:bold;"><span style="text-decoration:underline;">長期安定性等に係る情報は限られている</span></span>ため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。本剤の使用にあたっては、あらかじめ被接種者又は代諾者に、本剤に関する最新の有効性及び安全性について文書で説明した上で、予診票等で<span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">文書による同意を得た上で接種すること。</span></span>また、有害事象が認められた際には、必要に応じて予防接種法に基づく副反応疑い報告制度等に基づき報告すること。なお、本剤の<span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。</span></span>」<br><br> また厚生省のホームページには、このようなお知らせもあります。<br>https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/70/f9/p/o1918108214952263333.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/70/f9/p/o1918108214952263333.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="350" width="620" /></a></p><p><br><br>「接種を受ける際の同意<br><br> 新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。
予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。
職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。」<br><br> そして、ある程度の副反応による被害が起きることを想定して、救済制度も設けられています。<br><br>「接種を受けた後に副反応が起きた場合の予防接種健康被害救済制度<br><br> 一般的に、ワクチン接種では、副反応による健康被害(病気になったり障害が残ったりすること)が起こることがあります。極めて稀ではあるものの、なくすことができないことから、救済制度が設けられています。
救済制度では、予防接種によって健康被害が生じ、医療機関での治療が必要になったり、障害が残ったりした場合に、予防接種法に基づく救済(医療費・障害年金等の給付)が受けられます。
新型コロナワクチンの接種についても、健康被害が生じた場合には、予防接種法に基づく救済を受けることができます。」<br><br> つまり、「未知の危険性のある薬なので、自己責任で接種をする同意書にサインしてください。治験中の薬ですので、接種の判断には、最新情報を参考にしてください。万が一障害が出た場合に備えて、救済制度も準備しています。」ということです。<br><br> ワクチンの説明書に「製造販売後も引き続き情報を収集中である…なお、本剤の製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。」とあり、確かに、情報は厚生労働省により開示されてますが、一般人が見つけるのは非常に困難です。<br>https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_18848.html</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/ff/44/p/o1626058014952263636.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/ff/44/p/o1626058014952263636.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="221" width="620" /></a><br><br> 年齢別の副反応率、副反応の重篤化率の整理されたデータは、どうやっても厚生省のデータベースでは見つけられなかったので(もし見つけたら教えてください)、非常によくまとまった形で毎週更新されているカナダのデータを使いました。人種のバラエティも幅広いカナダでの治験データであれば、ワクチンのリスクを算出する素材とし十分であると判断しました。<br>https://health-infobase.canada.ca/covid-19/vaccine-safety/</p><p> </p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/56/ea/p/o2590131614952263852.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/56/ea/p/o2590131614952263852.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="315" width="620" /></a><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/4c/00/p/o2306126614952264200.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/4c/00/p/o2306126614952264200.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="340" width="620" /></a><br><br> こうやって集めたデータを用いて作成したのが、以下の比較表です。数値の単位は、10万人あたりの人数です。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/91/7c/p/o2362155414952264339.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210604/15/musiclife-in-nature/91/7c/p/o2362155414952264339.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="540" width="820" /></a><br> 新型コロナウイルス感染での重症化のリスクとワクチン副作用の重篤化のリスクを比べると、男性では50−59歳(ピンク)、女性では、60−69歳(黄色)でワクチンのリスクが感染のリスクを下回ること分かりました。<br><br> 新型コロナ感染での死亡リスクとワクチン副反応による死亡リスクは、日本の1.26と米国の1.8のどちらの数値を採用しても、50−59歳(赤字)でワクチンのリスクが感染のリスクを下回ることが示唆されます。<br><br> <span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;">このデータからは、40−49歳以下の年齢層でのワクチン接種では、ワクチン接種による健康被害のリスクが感染のリスクを上回ってしまう、つまり、ワクチン接種はむしろ有害であるという判断が成り立ちます。</span></span><br><br> この表で他に特筆すべきは、<span style="font-weight:bold;">副反応の発生率が男性に比べて女性で著しく高くなっている</span>(最大7.46倍)ことです。このデータで見る限り、女性のワクチン接種の判断は、より慎重に行われるべきと考えられます。また、コロナウイルス感染症の重症化のリスクとなる基礎疾患として、慢性腎臓病、慢性閉塞性肺疾患、糖尿病、高血圧、心血管疾患、肥満(BMI30以上)も指摘されていますから、これらの基礎疾患の有無と症状の度合いも判断の際には考慮される必要があります。<br>https://www.mhlw.go.jp/content/000749530.pdf</p><p><br> もう少しワクチンの副反応の実態が明らかになれば、副反応のリスクを高める要因となる基礎疾患や個体属性もはっきりしてくると思われますので、今後はそれらも考慮に入れて判断をすることが可能になるでしょう。<br><br> この表でのワクチンのリスクを表す数値は、接種後0日〜約6ヶ月で集められた数値ですので、短〜中期の副反応の治験データと解釈できるため、長期の副反応のリスクはまだ未知数のままであると思われます。この未知の数値をどの程度上乗せして計算すべきかは、ワクチンの長期副反応に関する仮説の設定によって変化しますので、ここでの議論は控えます。<br><br> またこれらの数値は、ワクチン有効率100%(感染によるリスクが0になる)場合を想定し、コロナ感染のリスクとの比較に使用していますが、実際には有効率95%という報告が出されていますので、ワクチンのリスクの数値を0.95で割った数値を用いることでより正確な比較が可能になります。ただ、このまま比較しても、カットオフラインに変化はありませんから、問題はないと考えています。<br><br> ワクチンによる死亡リスクとして用いた数値は、ワクチンとの関連が疑われる死亡数であり、関連が最終的に証明されている死亡数ではありません。また、ワクチン副反応の数値においても、全てのケースが報告されカウントされているわけではなく、全てのケースが実際にワクチンと関連しているという保証もありません。さらに、コロナ感染者数にはPCR検査の偽陽性も多数含まれており、コロナ感染症での死亡者カウントにも基礎疾患やその他の原因で亡くなった方が含まれている可能性も指摘されているため、全ての数値が潜在的に不正確であることは否めません。<br><br> しかし、これらのあやふやな数値からぼんやりと見えてくる傾向は、現在手に入る情報から自己責任で国民一人一人がワクチン接種の判断をしなくてはならない状況の指標としては、十分に利用価値があると思います。<br><br> これらの数値に加え、居住地と日常生活圏でのコロナ感染のリスクが日本の平均的なリスクと比べてどの程度であるかを調べることも必要です。都市部と田舎部では感染率や死亡率は大きく異なりますし、都道府県によっても差異がありますから、ワクチン接種の妥当性も地域差を考慮に入れてケースバイケースに判断しなくてはなりません。次回この表を新しいデータで更新する際には、都道府県別のリスク換算表も作成するつもりです。また、職業によっても新型コロナウイルス感染のリスクは変わりますので、もし入可能であれば、職業別の感染リスクのデータも入手し分析に加えたいと思います。</p><p> </p><p> 次回は、(2)ワクチンの効果について考察をいたします。</p><p> </p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6639870
2021-05-25T10:05:01-07:00
2021-05-25T13:45:20-07:00
新型コロナワクチン接種を推奨する政府広報への苦言
<p> 日本にいる両親は、「みんなが接種するから、自分たちだけがしないわけにもいかんだろう」という理由でワクチン摂取の申し込みをしたけど、みんなより出遅れてしまったため8月まで接種が受けいられない、と心配の様子。両親はネットへのアクセスはなく、テレビ、ラジオと購読している一種類の新聞でたまたま目にした情報からこのような判断をしたようです。息子の意見などは、かかりつけの病院の先生やテレビで見聞きしたこと比べれば聞くに値しない怪しげな情報、ということなのかな…悲しいけど。自分は伝えるべきことは伝えた上で、両親の自由意志による決定を尊重するつもりですが、多くの高齢者の皆さんがこんな感じでワクチン接種の判断しているとしたら問題です。<br><br> リンクは、政府が高齢者向けに作っている広報です。30秒ほどの短いものなので、一度ご覧になっていただけると幸いです。</p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg22679.html?fbclid=IwAR3M6UvWRtd1Oq0rH61p4C_TDVu0F8jqc6zM9HmLcg_swAzuXc_7kOX6Snw" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">新型コロナウイルス対策「ワクチン確保で安心」篇(30秒)|政府インターネットテレビ</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">政府インターネットテレビの動画です。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">nettv.gov-online.go.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://dwl.gov-online.go.jp/video/cao/dl/img/J00022679.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p><p><br> 政府は厚生省のウェブサイトで、「新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。」と約束しているのだから、こういうビデオにこそ『本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。本剤の使用にあたっては、あらかじめ被接種者又は代諾者に、本剤に関する最新の有効性及び安全性について文書で説明した上で、予診票等で文書による同意を得た上で接種すること。また、有害事象が認められた際には、必要に応じて予防接種法に基づく副反応疑い報告制度等に基づき報告すること。なお、本剤の製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。(ーファイザー社製新型コロナワクチンコミナティ筋注の解説書より)」に準ずる情報をわかりやすく掲載し、「しっかりと情報提供」すべきではないでしょうか?<br><br> これだけ大規模に特例承認の薬剤投与を国民に勧める以上、政府は当然確固たる信念と科学的データから導き出される確信を持って政策に取り組んでいるはずです。だったら、堂々とワクチン接種の妥当性をリスクと利益の比較から理論的に説明し、根気よく国民を本当に納得させれば良いではありませんか!「安心、安全です」ということばかり連呼して、国民がじっくり考えないまま雰囲気に流されて接種をする空気を作って、その影でコソコソとリスクを隠すようなことをする必要は全くありません。<br><br> 政府としては「情報は一切隠しておりません。探せば見つかる場所に出してます」という言い訳は成り立つのかもしれませんが、情報の出し方を姑息に調整し印象を操作するような姿勢では、ワクチン接種も「欲しがりません、勝つまでは!」とか「一億総火の玉だ!」とか「原発は絶対安全です」と同等の自己破壊的なプロパガンダと思われても仕方ありません。もし、信念も確信もなく、「何かやらないと国民がうるさいから」というような理由でやっているとしたら、それはプロパガンダ政策よりもさらに恐ろしい。<br> <br> 施策者側にいる政治、行政、メディア、製薬、医療業界で働くみなさんも、ご自身と愛する家族、友人の幸せのために、自分に与えられた仕事を一生懸命やられているんだと思います。その上で、みなさんが信念を持って取り組んでおられる仕事の素晴らしさを国民が納得し、一致団結してより良い社会に向けて歩みを進めることができるよう、大衆という顔の見えない国民に対しても、ご自分の家族や親友に対する時の誠実さを持って接していただけることを切望いたします。 <br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6637601
2021-05-22T10:15:01-07:00
2021-05-22T14:00:06-07:00
新型コロナワクチンに関する国家としての判断 vs 個人としての判断
<p> COVID19のパンデミックへの対応については、大きく分けて国家としての判断と個人としての判断の2層で考えています。<br><br> 国家としてパンデミックのような社会全体を巻き込んだ大きな事象を扱う場合には、国民を「顔のない数値データ」として捉えるしかありません。もし政治家や行政官がこのようなことを言ったら、マスコミから「命をなんだと思っているんだ!」と袋叩きにされますが、実際、膨大なデータを感情や思い込みを交えず冷静に収集・分析し、その時点での知見を用いて集団にとって最も良いと思われる最大公約数の施作を案出し実行するのが政府の仕事ですから、ある種の冷徹さは避けられません。COVID19流行の状況、病による健康被害のリスクと社会的損失のリスク、対応策としての新型ワクチン大規模摂取による効果とリスクなどを、現代科学で最も合理的と考えられる見解と現時点でのデータを基に計算し、最適な対策を立案しても、リスクをゼロにする魔法のような施策はありえないため、計算の段階で顔の見えない誰かが死ぬこと、苦しむことを冷徹に織り込んでだ上で施策を実行しています。<br><br> 例えば、自動車という、使い方を間違ったら死を招く危険性のある道具の使用を国家が許可する場合、自動車が社会に与える有効性と、確率的に予見される犠牲を天秤にかけて自動車の使用を法律の規制の範囲内で許可し、実際の使用に際しての遵法精神、運転技術や注意力などは、全面的に個々の責任に託されています。 <br><br> 全体主義国家であれば、国家の方針は命令という形で発布され、国民は嫌が応もなくそれに従うことになりますが、民主主義国家では、国家の方針に対して、法律の許す範囲で個人が自己責任で下す自由が保障されています。逆にいえば、自由の行使には常に責任が伴い、時には生命と健康に関わる重要な判断を自己責任で行う必要があるということになります。そして、国家の判断が誤りである場合には、国民の意志で法律や指導者を変えることができる仕組みになっています。<br><br> 現在、COVID19の世界的パンデミックの中、国家としてその打開策として大規模な新型コロナワクチン接種を国民に推奨し、最終的な決定は個人に委ねられているという状況にあります。感染症やワクチンというかなり専門性の高い分野で、しかも日進月歩で新しい学説や発見が更新される先端分野でもあり、一般人が新型ワクチン接種に関しての意思決定を下すのは非常に難しいため、個人としての結論が、「国家の方針に従う」となっても当然といえば当然です。ただその場合、国家が方針を決めた際に、数値データとして織り込まれているワクチン接種による健康被害の犠牲者になる危険性を、自己責任で受け入れることになります。<br><br> 新型コロナワクチンは、通常の手続きを経ずに緊急使用のために特例承認医薬品として認可された薬物で、特に長期的なデータが限られているため、長期での効果と安全性に関して未知な部分が多く、そのため通常認可の医薬品に比べて予期できないリスクが大きいということが特徴です。国家として、これらのリスクよりも、COVID19ウイルスによる国民の健康リスクとそれによる社会的損失が大きいと判断し、新型コロナワクチン接種が勧められているということになります。<br><br> 厚生省のホームページでも、特例承認医薬品として認可されたファイザー社のコロナウイルス装飾ウリジンRNAワクチン・コミナティ筋注の説明書にも、以下の文言が明記されています。<a href="https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf</a><br><br>「本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。本剤の使用にあたっては、あらかじめ被接種者又は代諾者に、本剤に関する最新の有効性及び安全性について文書で説明した上で、予診票等で文書による同意を得た上で接種すること。また、有害事象が認められた際には、必要に応じて予防接種法に基づく副反応疑い報告制度等に基づき報告すること。なお、本剤の製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。」<br><br> また、厚生省の「接種へのお知らせ」のページでは、「接種を受ける際の同意」に関して以下のように述べられています。<a href="https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html</a><br><br>「新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。<br> 予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。<br> 職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。」<br><br> また、「接種を受けた後に副反応が起きた場合の予防接種健康被害救済制度」の項では、以下の文言もあります。<br>「一般的に、ワクチン接種では、副反応による健康被害(病気になったり障害が残ったりすること)が、極めて稀ではあるものの、なくすことができないことから、救済制度が設けられています。<br> 救済制度では、予防接種によって健康被害が生じ、医療機関での治療が必要になったり、障害が残ったりした場合に、予防接種法に基づく救済(医療費・障害年金等の給付)が受けられます。 <br> 新型コロナワクチンの接種についても、健康被害が生じた場合には、予防接種法に基づく救済を受けることができます。」<br><br> しかし、国家が現時点で可能な限りのリソースを基にして下した判断とは異なる判断を、同程度の合理性を持って民間/個人が導き出すことなどできないのではないか?そう考えると、国家の判断に従うのが一番良い選択肢ということになりますが、国家も判断を誤る可能性があり、施策の規模の大きさゆえに誤った場合でも急激な方向修正することが難しく、個々のニーズの全てには対応できないということは考慮に入れておく必要があると思います。</p><p> </p><p> 国家としての判断に採用されている学説といえども、あくまで現時点までに入手されたデータから引き出された最も合理的であると思われる「仮説」であるため、別の角度からの学説やデータ解釈を採用すれば、科学的な妥当性を備えた異なる仮説も成り立つという状況にあります。過去には、DDTやサリドマイドのような薬物の危険性が当時の最も合理的な判断において見過ごされてしまった例もあるように、どれだけ慎重を期したとしても、現代の科学では人体の複雑な働きの全てを予見することは不可能であるため、国家としての判断を誤まる可能性もあります。だからこそ、学問の自由と言論の自由という権利が保障され、国家の判断に対立する学説や見解も閲覧できる環境の中で、最終的には個人の自己責任での判断に委ねられているのです。</p><p> </p><p> 民間企業である大手マスコミやネット関連企業は、個としての立場から国家の方針に対して独自の判断をし、時には批判、時には支援という立場から様々な発信を行っています。これら大きな企業からの発信だけでなく、独立した研究機関や研究者、ジャーナリズムからの発信もあり、これらの情報を政府見解と合わせて検討し、自分なりの判断を下すには、なんとも手間と労力のかかるこことか…。しかし、全体主義で情報統制の行われている国家が多い中で、日本やアメリカでは、努力をすれば多様な情報を入手することができ、最終判断は自分で下せる自由を与えられていることには、感謝をしています。</p><p> </p><p> 今回は命と健康に関わる問題で、しかもロックダウンでほぼ失業の身の上なので、ある程度手間を惜しまずにこの面倒な作業を行っていますが、本来は、あまり身近ではない経済や外交などの問題でも、有権者としてこれくらい真剣に情報を扱わないといけないのでしょうね。民主主義における自由と責任は表裏一体であることを、改めて感じさせられます。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6632789
2021-05-17T14:02:39-07:00
2021-05-17T14:15:03-07:00
陰謀論との付き合い方
<p> 昨年末のアメリカ大統領選挙、COVID19パンデミック、そして現在進行中の新型ワクチン(新薬)の大規模接種。公正で中立な情報提供に基づく冷静な議論が必要な大きな出来事が続く中、民間会社としての利益追求が最優先する一般メディアやビッグテックを経由して見つかる情報は、ある方向性に向けて偏向/検閲されているのではないかと不信を抱く方が多くなってきました。その反動として、ネットで草の根的に広まる情報と、多くの社会的事象を少数のエリートによる計画的な陰謀に結びつけるいわゆる「陰謀論」が渦巻き、アメリカでは、政治においてもCOVID19パンデミック周辺の事象においても、世論を真っ二つにするような見解の対立が起きています。<br><br> 陰謀論に関しては、ほとんどの皆さんは「SF映画やスパイ映画じゃあるまいし、そんなことあるはずないじゃん。」ってな具合に、「子供じみた空想」「頭の悪い連中が信じるたわごと」「変な宗教」として一笑に付してしまいます。<br><br> では、古佐小の陰謀論に対するスタンスはどうかと申しますと、陰謀論は子供の頃から興味を惹かれていて、記事を目にするとついつい細部まで読むことが多く、陰謀論には案外と詳しい部類に入るのではないかと思います。<br><br> 情報混乱の時代に突入し、ますますたくさんの陰謀論が語られています。確かに、その中には実際の意思決定には使えないあやふやな情報もたくさんあります。しかし、そこで論拠とされている事実は、一般メディアではあまり表に出ない興味深いものも多く、「陰謀論」と十把一絡げにして排除してしまうにはもったいない情報も含まれています。<br><br> 陰謀論の多くは、事実の列挙とそれらを繋ぐ合理的な説明としての組織的陰謀からなっています。この視点から、自分は陰謀論を以下の3種に分けて、その情報価値を評価しています。実際には、これらの組み合わせとして陰謀論が語られることが多いため、そこに含まれる情報価値は、玉石混合となっています。<br><br>1)最初から陰謀ありきで、事象を陰謀と結びつけるもの。<br>2)通常の手法では確認のできない事実を根拠に、陰謀の存在を示唆するもの。<br>3)過去のメディア発刊物、政府や民間機関からの公開情報を根拠に、それらを結びつける金の動きや人脈から組織的陰謀を示唆するもの。<br><br> 情報としてのクオリティーは3)が最も高くなります。結論である陰謀論への賛否はともかく、そこで挙げられる情報には、ある特定の組織や団体にとって、イメージ的にもビジネス戦略的にもあまり知られたくないだろうなと思われるものもあり、一般メディアからは得られない視点からの考察の機会を与えてくれます。<br> <br> 1)と2)は、取るに足らない情報と切り捨てることもできますが、自分は2)にもある程度の価値を置いています。というのも、ベトナム戦争の特殊作戦に参加した退役軍人の義父や、以前付き合いのあったアメリカの民主党の超大物上院議員の親類/側近の弁護士、元下院議員候補の政治家との会話から、その世界にいたら普通に行われているけれど公にはならないウソのような現実が舞台裏で展開されていると確信しているからです。事実の根拠となる情報提供者の素性、情報公開の動機などを吟味することが非常に難しいため、情報の真偽を決定づけることはできないことが多いのですが、質の高い情報が含まれている可能性は大いにあると思います。<br><br> 1)は、ある種の陰謀論の可能性に納得した場合、その陰謀論ありきで物事を見たらどのような解釈ができるのかということの参考として活用できます。往々にして発信者が熱くなりすぎてウソ臭くなってしまうことが多いのですが、参考意見として距離を置いて閲覧するという態度で接すれば、新鮮な視点を与えてくれることもあります。<br><br> この非常時に陰謀論は世間を混乱させるけしからんものだ、というご意見もあるかと思います。しかし、言論の自由の表れとして、この非常時だからこそ純粋な気持ちで発信される「陰謀論」(に分類される意見)もあります。自由な言論と活発な議論と慎重な考察により意思決定をすることこそが、自由民主主義のあるべき状態です。非常時だからといって、お上の誰かが密室で決めたことに盲目的に従うことは、むしろ異常です。先入観を捨てて中立な視点から様々な意見に接し、視野を広げながらこの時代を見据えていきたいものです。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6628018
2021-05-11T16:13:23-07:00
2021-05-11T19:30:28-07:00
ワクチン摂取をめぐる意思決定
<div><div dir="auto"><div class="ecm0bbzt hv4rvrfc e5nlhep0 dati1w0a" data-ad-comet-preview="message" data-ad-preview="message" id="jsc_c_73"><div class="j83agx80 cbu4d94t ew0dbk1b irj2b8pg"><div class="qzhwtbm6 knvmm38d">
<div class="kvgmc6g5 cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align:start"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> コロナウイルスワクチン摂取については、FDAの正式認可の下りていない治験段階の薬物であるため、個人の判断で自己責任で摂取を選択することが要求されています。メディアや政府機関は、積極的にワクチン摂取を推奨していますから、おそらく多くの方が「そんなに危ないものであるはずがない」と思いつつも、「でも、もしかしたら危険かも…」という不安も抱きながら選択をしているようです。ワクチン摂取しないと仕事を失いかねない、周囲との人間関係を悪化させかねない、といった社会的理由から摂取を決意する方もいると耳にしています。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align:start"> </div>
</div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align:start"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 看護師と保健師の資格を持ち過去に医療機関で就労した経験もあり、現在も公衆衛生の研究グループで既存の医療システムの問題点を改善すべく研究をしている立場から、今回のワクチン摂取という健康と命に関する問題については「お上が偉い先生たちと相談して決めたことだから、間違はないだろう」と鵜呑みにする気にはなれず、慎重に意思決定を行っています。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align:start"> </div>
</div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 出発点としてまず、メディアや政府機関がワクチン摂取を積極的に進めるロジックを、以下のように解釈して要約してみました。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
</div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">『Covid19パンデミックのために、人類の社会活動が著しく制限され、生活と生命の存続の危機に晒されている。この危機から最も早く脱する手段は、短期間に大勢がワクチンを摂取して集団免疫を構築することである。ワクチンのリスクはあるかもしれないが、パンデミック継続による損失に比べてはるかに小さく、許容範囲である。現時点でパンデミックを終わらせる有効な対処法は、これ以外にない。』</span></span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> このロジックを納得できればワクチン摂取、できなければワクチン不摂取ということになりますが、その判断をするには何よりも情報収集が大切です。しかし、ワクチンの専門家でない限り、判断を下すために必要な一次情報も基礎的な知識も持ち合わせていませんから、もっぱら専門家が科学的見解を交えて発進する二次情報に当たることになります。しかし、これがなかなかに大変です。調べてみるとすぐに分かりますが、お偉い専門家の間でも見解が様々に割れているため、「偉い先生がおっしゃるから…」という理由からは判断を下せないのです。</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> このように、専門家の見解が割れるという状況は、政治経済や安全保障の問題に関しても同ようです。このような場合、情報の発信者はメッセージを明確にするために、白黒をはっきりと表現する傾向がありますから、両極の見解をそのまま鵜呑みにするのは危険です。情報の受信者としては、白黒の間のグレーゾーンのどこかに真実があるのだろうと予測をします。では、どの色合いのグレーが「真実」なのか?</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 専門家ですら意見を集約できない事象に関して、素人が本当の真実をピンポイントで探り当てることはできません。そのため、まずは専門家の両極端な見解を並べてみて、見解の論理的整合性、発信者の人柄や経歴なども考慮した上で、両極の間にある腑に落ちる場所を「真実」として採用し、以後の判断基準として用いることになります。正直なところ、この作業にはそれなりの時間と労力がかかります。紆余曲折の末に「お上のお達し通りでなんの問題もない」という判断にたどり着くと「なんだよ。結局時間の無駄かよ」とお感じになるかもしれませんが、自身の健康と命に関わる選択ですから、汗をかいて慎重に判断することは決して無駄ではないと思います。</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 以下に、ワクチン推進のロジックの要点に関し、一般人が理解できる範囲で両極端な対立見解を大雑把にまとめてみました。すでにこの問題に関心をお持ちの皆さんには目新しい情報はないと思いますが、これまであまり関心のなかった皆さんには、考え始める出発点として参考になればと思います。詳細はご自身で精査し、ワクチン摂取に関しては十分な検討と考察を経て決断をしていただけると幸いです。</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">1)Covid19パンデミックがどのようなものであるのか?</span></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「Covid19ウイルスは感染力と毒性の強い危険なウイルスであるため、ソーシャルディスタンシングや社会活動制限などを含む適切な対処をしても、未だにパンデミックが継続している。数値データがそれを証明している。」</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「Covid19ウイルスはタチのわるい風邪程度の感染症で、過去には同じようなウイルスを特別な対処もなくやり過ごしてきた。パンデミックは作られた幻想で、対策としてやられていることはナンセンス。確定診断のPCR検査は偽陽性が続出する不適切なもので、偽陽性を含むCovid19陽性者の死亡は実際の死因にかかわらず全てCovid19による死亡と報告されるため、数値データには信頼性がない。」</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">2)人類の社会活動が著しく制限され、生活と生命の存続の危機に晒されていることについて</span></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「社会活動の制限はパンデミックへの対処として必要で適切なものであったが、それによる社会的損失も伴った。しかし、もしこのような対処がなされなかったらもっと多くの生命が失われ、社会的損失ははるかに甚大なものとなった。」</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「社会活動の制限は、パンデミックを防ぐ上で有効性はほとんどなかった。Covid19への過剰なリスク評価と不適切な対処という人災による損失こそが問題で、病気自体の社会的損失よりもはるかに深刻だ。」</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">3)パンデミックの危機から脱する手段としての大規模なワクチン摂取</span></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「あらゆる社会的手段を講じて封じ込めを試みたが、流行が収束する気配はない。こうなったら、人口の大部分がワクチンによって免疫力を強化し、集団免疫の状態を作るしかない。社会全体のために、皆が歩調を合わせてワクチン摂取を進めることが重要。」</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「原因疾患であるCovid19感染症による健康リスクはさほど大きくないため、ワクチンによる大規模な予防措置はナンセンス。時期が来れば自然に集団免疫が形成されて流行は終わる。実際に、すでにCovid19に対する集団免疫が形成されている地域もある。不用意なワクチンの使用により変異を招き、返って流行を悪化させる可能性もある。」</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span style="font-weight:bold;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">4)ワクチンのリスク</span></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「ワクチンの有効性は確認され、安全性も従来のワクチンの基準を満たしている。ごく稀に副作用による健康被害が出る可能性があるが、ワクチンによって得られるメリットを考えるならば、そのリスクは十分に許容範囲内である。」</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa ht8s03o8 a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">「Covid19ワクチンは、従来のワクチンとは異なる新しい技術が導入されたもので、本来新薬と呼ばれるべき。治験が不十分なため、効果の継続性や安全性に関して不明な点が多い。ワクチンによって特異性免疫が過剰に刺激され自然免疫が低下することで、変異株やその他の感染症への罹患リスクが高まる可能性もある。」</span></div>
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</div></div></div></div></div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6572175
2021-03-12T08:33:44-08:00
2021-03-12T13:00:06-08:00
どんぐりパンの焼き方のビデオ、公開いたしました!
<p>どこにでもあるどんぐり。古来、食料として活用されたこの木の実には、栄養がいっぱい。それを使わない手はないということで、どんぐりで料理を始めています。</p><p>今回は、どんぐりでパンを焼いてみました。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/Muj1Utsu-Dg" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-03-11T08:24:16-08:00
2021-03-11T08:45:22-08:00
3.11に捧ぐ朗読作品 「勇気をくれた少年」
<div dir="auto"><div class="ecm0bbzt hv4rvrfc ihqw7lf3 dati1w0a" data-ad-comet-preview="message" data-ad-preview="message" id="jsc_c_o"><div class="j83agx80 cbu4d94t ew0dbk1b irj2b8pg"><div class="qzhwtbm6 knvmm38d">
<div class="kvgmc6g5 cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">ぴおちゃんねるより、3.11 東日本大震災への思いを込めた短編作品「勇気をくれた少年」。気仙沼出身の女優、吉田葵さんによる朗読作品です。震災半年後に慰問ツアーで訪れた被災地のことを思い起こしながら、音楽を即興いたしました。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"><東日本大震災10年目特別企画></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">Reading_028「勇気をくれた少年」</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"><Cast></span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">朗読:吉田葵</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">演奏:古佐小基史</span></div>
</div>
</div></div></div></div><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/aRggDeTWoRw" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-03-06T06:19:59-08:00
2021-03-06T06:30:24-08:00
どんぐりの食べ方をビデオにしてみました!
<p><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">山野に入ればどこにでもあるどんぐり。うちの敷地内にもたくさん落ちてます。古来、アメリカインディアンの主食の一つとして活用されてきたどんぐりを自給自足の食糧の一つに加えるべく、どんぐりを使った料理を紹介するシリーズを始めました。まずは、面倒な殻剥きと、そのままだと渋くて食べられない実のアク抜きのプロセスを紹介いたします。</span></p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/Pc7m8d7kn0o" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-02-20T05:09:41-08:00
2021-02-20T07:45:15-08:00
完全な即興演奏のコンサート
<p>先ほど、完全な即興によるコンサートをYouTubeプレミアムで公開いたしました。<br>2/26までの1週間限定でご覧いただけます。</p><p> </p><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">キースジャレットが演奏活動から身を引き、チックコリアが他界され、自分も50歳を迎えるにあたって、いつまでも完全即興演奏を憧れの眼差しで遠くに眺めていてはいけないと思い、今年はコンサート全プログラムを完全即興でやれることを目指して本格的に研鑽を積むことにしました。</span></div><div dir="auto" style="text-align: start;"> </div><div dir="auto" style="text-align: start;">
<span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">ハープは転調が非常に難しい楽器なので、ともすると同じキーでウダウダと演奏をするニューエイジっぽい即興になってしまいがちです。この難しさを克服して、最近はかなり複雑な転調とアウトスケールを含む即興演奏をできるようになりました。ハープでキース・ジャレットのような即興という無茶な取り組みではありますが、</span><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">おそらくハープでこのような即興は今までほとんど試みられていないので、ご覧いただきご感想などいただけたら嬉しいです。</span>
</div><div dir="auto" style="text-align: start;"> </div><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/gQ6KOiynE6c" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-02-19T16:04:08-08:00
2021-02-19T18:00:14-08:00
田舎暮らしの必需品/チェーンソー紹介
<p>山暮らしでは必需品であるチェーンソー。身近に見ることのない道具だと思いますが、最近は電気式のものもあり、意外と気軽に使えます。この入門編では、チェーンソーの仕組みとメンテの概要をお送りします。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/eKkEfuc8v1k" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-02-05T17:37:40-08:00
2021-02-05T21:15:04-08:00
天然酵母パン作り
<p>YouTubeぴおちゃんねるで、天然酵母パン作りのビデオをアップしました。意外と簡単ですよ。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/ON7RqRDqgwQ" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-02-04T12:33:04-08:00
2021-02-04T13:15:06-08:00
アメリカの雑誌から高評価のレビューをいただきました!
<div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://bassmusicianmagazine.com/2021/02/review-komanga-trio-foxing-hour/" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Review: KoMaGa Trio, Foxing Hour</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">KoMaGa Trio, Foxing Hour… KoMaGa Trio, Foxing Hour, featuring Michael Manring on bass. I have always been blown away by Michael Manring’s solo bass playing but it is not surprising…</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">bassmusicianmagazine.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://bassmusicianmagazine.com/wp-content/uploads/2021/01/Review-Komanga-Trio-Foxing-Hour-1000x600.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p>Review: KoMaGa Trio, Foxing Hour<br>2021年2月1日 <br>筆者:ポール・アマドー (Paul Amador)<br><br>コマガ・トリオ (KomaGa Trio) の『フォクシング・アワー (Foxing Hour )』には、マイケル・マンリングがベースでフィーチャーされている。<br><br>マイケル・マンリングのソロベースの演奏には、常に圧倒されてきた。その期待感を裏切ることなく、今回の他のミュージシャンとのコラボ演奏も、やはり絶品である。コマガ・トリオは、マイケル・マンリングをベースに迎え、ハープの古佐小基史、タブラ/パーカッションのクリスガルシアから構成されるバンドだ。<br><br>このトリオは、完璧なまでにバランスのとれた演奏へのアプローチでお互いの音楽的能力を引き出し合いながら、金の線細工のごとく入り組んだ音楽の織物を創出している。<br><br>各ミュージシャンが、それぞれの曲という織物の中で十分に輝きを放つポイントを与えられている。マイケルのベース演奏は、いつものことながら、超絶的で素晴らしいの一言に尽きる。<br><br>ハーピスト古佐小によって作曲された8曲のユニークなインスト曲は、どの曲もこのトリオに完璧にフィットしている。パーカッションによってサポートされるハープとフレットレスベースのブレンドは、見事である。<br><br>彼らの音楽は「ニューエイジ」のジャンルに当てはまるかもしれないが、そのようなジャンルの分類はさして重要ではない。特筆すべきは、この音楽によってもたらされる深い情緒である。<br><br>座って目を閉じ、集中してこの音楽の旅を楽しむとしよう。気付くと、私はアルバムのテーマになっている狐 “the Fox” とその特異な視点について考えていた。また、何か仕事をしながら聴いてみると、気持ちを盛り上げインスピレーションを与えてくれることに気づいた。そうこうしているうちに、何度も繰り返しこのアルバムを楽しんでおり、聴き返すたびに新たな気づきをもたらしてくれている。<br><br>“Foxing Hour”は、ベースファンにとって文句なく楽しめる作品であるだけでなく、一般リスナーにとっても魅力に満ちたアルバムである。全ての人に、ぜひ聴いてみることをお勧めする。<br><br>(古佐小基史/訳)<br> </p>
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2021-01-27T01:23:12-08:00
2021-01-27T05:15:06-08:00
1.29.2021日本のレコード店からもCDがリリースされます!
<p><span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;">1.29.2021新アルバムが日本でリリース!</span></span><br> </p><p> 2019年に、世界トップレベルのリズムセクションを起用して結成した自分のリーダーバンド『KoMaGa Trio』で、昨年アルバムを製作いたしました。Kick Starterというアメリカのクラウド・ファンディングで世界中からファンドのご協力をいただき、昨年10月にオリジナル曲を8曲収録した自信作『Foxing Hour』をアメリカでリリースいたしました。<br><br> その後、日本のレコード会社Ratspack Record(ラッツパックレコード)より配信のご提案をいただき、2021年1月29日より、日本のレコード店とオンラインショップでもアルバムがリリースされることとなりました!<br><br> アルバム詳細にご覧いただけるように、レジェンドとも呼ばれる素晴らしいベーシストと、マスターと呼ばれるにふさわしいパーカッショニストを起用した『KoMaGa Trio』というユニットにより、ハープ音楽としても、ジャズとしても、画期的な内容の楽器編成と音楽スタイルのアルバムが生まれました。パンデミックのために、スタジオに集まってレコーディングができないという困難の中、リモートレコーディングという楽器を一つづつ重ねて録音してゆくという手法を駆使し、思い描いていた音楽を形にすることができました。<br><br> 今年50歳を迎えるにあたり、ここで人生が終わっても悔いの残らない生き方をしたいという思いも込め、これまでの音楽人生の集大成として、これが人生最後の作品となったとしても悔いの残らないアルバムに仕上がったと思います。ツアーのできないこの時代に、CDとして日本の皆様のお手元に音楽を届けられるようになったことには、天運を感じております。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210127/02/musiclife-in-nature/5c/db/j/o1278052414887325198.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210127/02/musiclife-in-nature/5c/db/j/o1278052414887325198.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="254" width="620" /></a></p><p> </p><p><span style="font-style:italic;"><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-weight:bold;">お取り扱い店舗</span></span></span><br>タワーレコード 渋谷店(7F JAZZフロア)<br>㈱蔦屋書店 代官山蔦屋書店(3号館 2F JAZZフロア)<br>山野楽器 銀座本店(4F JAZZフロア)<br>山野楽器 仙台店<br>山野楽器 そごう大宮店<br>山野楽器 丸広川越店<br>山野楽器 たまプラーザ テラス店<br>山野楽器 新百合丘エルミロード店<br>ディスクユニオン各店<br>上新電機 日本橋ディスクピア<br><br><span style="text-decoration:underline;"><span style="font-style:italic;"><span style="font-weight:bold;">オンラインショップ</span></span></span><br>アマゾン <a href="https://amzn.to/3bwJhAP" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://amzn.to/3bwJhAP</a><br>タワーレコードオンライン <a href="https://tower.jp/item/5140643/Foxing-Hour" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://tower.jp/item/5140643/Foxing-Hour</a><br>HMVオンライン <a href="https://bit.ly/35xLpEw" rel="noopener noreferrer" target="_blank">https://bit.ly/35xLpEw</a><br>配信元ラッツパックレコードのオンラインショップ<br><a href="http://www.ratspack.com/catalog/jazz/736542963120.php" rel="noopener noreferrer" target="_blank">http://www.ratspack.com/catalog/jazz/736542963120.php</a><br><br> </p>
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2021-01-26T15:31:37-08:00
2021-01-26T20:15:07-08:00
1/27(水)テレビ朝日「あいつ今何してる?」に再出演!
<p><span style="font-weight:bold;">1.27テレビ朝日「あいつ今何してる?」に再出演!</span><br> </p><p>昨年3月に引き続き、テレビ朝日の人気番組「あいつ今何してる?」に再出演することになりました。</p><p>6:45〜7:00の15分枠で、残念ながら7:00から番組放送の地域ではオンエアされません。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210127/02/musiclife-in-nature/e2/94/p/o1968070614887327699.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210127/02/musiclife-in-nature/e2/94/p/o1968070614887327699.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="222" width="620" /></a></p>
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2021-01-06T10:17:32-08:00
2021-01-06T14:30:15-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(10/最終回)雅(みやび)から雛(ひなび)風流へ
<p> 長い連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。今回で田舎暮らしのための意識改革シリーズも最終回です。</p><p> </p><p> 田舎では、音楽演奏会や演劇、ダンス、絵画や写真の展覧会、講演会、洗練された飲食店での外食などの文化的なアクティビティに触れる機会は、都会に比べると非常に少なくなります。おそらく、自然に近い田舎での生活に概ね満足していても、文化活動が少ないということに関しては不足を感じる方も多いと思います。<br><br> 都会では日常的に接することのできるような文化的な経験を、田舎での生活で期待することは難しいのですが、田舎には田舎ならではの風流があります。ただ、それは、それを見出そうとする少しばかりの努力と、それを生活の中に取り入れる少しばかりの工夫が必要です。古来、日本人は、雅(みやび)と鄙び(ひなび)の両方にそれぞれの美を見出す心を持っています。田舎では、雅を期待することは難しくても、鄙びの風流を楽しむ機会は多くあります。<br><br> 例えば、ここでは美しい劇場で素晴らしい歌手とオーケストラによるオペラを観劇する機会はありませんが、馬の水桶を改造した風呂桶にお湯を張って、満点の星空を見上げながら露天の風呂に浸かり、ビールを片手に虫の鳴き声に耳を傾けることはできます。高級な花屋さんで生けてもらった見事なフラワーアレンジメントは手に入りませんが、季節に応じて咲く野花を摘んで、いつもフレッシュな切り花を楽しむことができます。世界的に有名な弦楽四重奏団の生演奏を聴く機会はないかもしれませんが、いろんな鳥の鳴き声、林を吹き抜ける風の音、恋を語りあうカエルの合唱、畑にこだまする虫の音、静けさに染み入るような雨音、遠くに響く狐やコヨーテの遠吠え、それに何よりも真の静けさを経験することができます。これら自然が与えてくれる芸術を楽しむ心があれば、あとはそれを楽しむ場面を自分で作ってやれば良いのです。<br><br> 大芸術家のレオナルド・ダ・ビンチは、自然にこそ芸術の根元を見出していました。彼曰く、<br>「理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。」<br><br>「誰も他人のやり方を真似すべきではない。<br>なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。<br>我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。」<br><br> ただぼんやりと月を眺めるのは退屈だというのであれば、うまい肴で一杯やりながら月を眺めれば良いし、朝早くから表に出て美しい朝日を見るのは億劫ということであれば、美味しいコーヒーを飲むついでに朝日を眺め、今日何をしようかなあとぼんやりと考えればいい。こういうちょっとした工夫で、無限に与えられている自然の美に触れる機会を増やし、日々の生活の中で鄙びな風流を楽しむことができるのです。<br><br> 田舎での生活では、ともすると荷重な肉体労働と、現金収入の不足から大きなストレスを感じてしまいがちです。そのストレスで疲弊して、田舎での生活の負の部分にばかり目を向けて、都会での生活を懐かしむようなことになってしまうと、田舎暮らしを続けることは難しくなります。都会で手に入っていた経験は、どれだけ望んでも田舎では手に入りません。しかし、ダヴィンチが言うように、「自然の無限の作品」はたっぷりあるのです。その作品に気がつける心にゆとりがあれば、都会では手に入らない素晴らしい経験が待っています。何気ない自然の美しさ、日々の生活の小さな幸せを、当たり前のものとして見過ごすのではなく、それを味わうことで、慎しい生活の中でも物質的豊かさに影響をされない真の心の豊かさを見出すことができるようになるでしょう。そして、このような風流の心を身につけたなら、好きな時に一流演奏家の音楽会と贅沢なレストランでの食事を楽しめる都会での生活に負けないほどに、文化的な日々を送ることができます。<br><br> </p>
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2021-01-03T09:55:15-08:00
2021-01-03T12:45:17-08:00
田舎での自給自足ビデオー10
<p>(連載)「田舎暮らしのための意識改革」の参考ビデオとして、ぴおちゃんねるのファームVlogを天才しておきます。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/M7rNP18TRY8" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2021-01-02T11:26:41-08:00
2021-01-02T13:45:13-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(9)自然と文明の乖離ではなく健全な融合
<p> 都会から田舎への移住を選択される方は、おそらく環境問題などの現代社会の様々な問題への意識が高く、中には現代文明の否定という動機から、全てを自給自足するハードコアなサバイバルをしながら、自然への回帰を目指す方もいらっしゃいます。確かに、そのような生き方もあるとは思いますが、最初の一歩のハードルがあまりにも高く、また、それを続けるためには、非常な覚悟と並外れた体力と精神力が必要となりますので、一般人がモデルとすべきライフスタイルとはなり得ません。<br><br> 田舎での生活では、テクノロジー社会への反発を動機として行動をするのではなく、むしろ、先端的なテクノロジー、どのような物品でも宅配で手に入れることができる高度な流通システム、インターネットによる情報通信網、交通機関の発達で数時間以内には都市部に出ていけるという便利さなどを選択的に賢く活用しながら、自然と文明の健全な融合を試みることで、よりバランスのとれた生産性の高い生活を送ることができます。<br><br> そもそも、先進国に暮らしている場合、現代文明から離脱して生活することなどは、ほとんど不可能です。古佐小ファームでは、水、食料、エネルギー、インフラ整備とメンテナンスなど、多岐にわたって持続可能性の高いライフスタイルを実現するために、できる限りの自給自足を目指していますが、やればやるほど、既存の社会から離脱した形での自給自足は不可能であることを思い知らされます。例えば、自家水道設備によって井戸からポンプで水を汲み出し、タンクに貯めてそこから水道管に圧力をかけて供給することで、水を「自給」していますが、井戸、ポンプやパイプなどの設備や資材は、すべて工業製品を購入して組み立てることで作るわけですから、本当の意味では何も自給できていません。それらを供給してくれる文明社会があって、この水の「自給体制」も可能となっています。<br><br> 自動車、洋服、農具、食器、調理器具など、例をあげればきりがありません。どれだけ自給自足をしているつもりでいても、実は既存の社会の仕組みにおんぶに抱っこの状態であることは、都会で生活しているときと何ら変わりません。ただ、田舎ではそこへの依存の度合いがやや少ないだけです。<br> <br> では、田舎暮らしの本当の意義はどこにあるのか?<br><br> それは、自然との距離感が近いというところだと思います。その分、厳しい自然の脅威にも曝されるわけですが、日光、土、空、水、風、野生の動植物などの自然の恵みを活用できる立場にもあります。そこで、自然との関わりを損ねないように注意をしながら、文明の利器を生活に導入し、両者のバランスの良い融合を実践できるライフスタイルを模索できることは、田舎に暮らしているものの特権でもあり、社会的な役割でもあります。田舎で生活する者は、都市生活者も含めた大きなスケールでの人間社会の一員という立場から、自らの存在意義と責任を考え、文明からの離脱ではなく、自然と文明の健全な融合を最先端で実践する先駆者としての自覚を持つことも大切ではないでしょうか。<br><br> また、物理的に人口密集地である都会から離れて暮らしていると、他者との交流、あるいはグループや組織での活動も難しくなります。そういう世間を離れた田舎での隠遁者的な生活を好む方は別として、おそらく多くの方は、自分の仕事の実績に関し、ある程度社会的評価を得ることなしに、目標達成のために頑張り続けることは難しいと思います。田舎への移住については、人生の敗残者、都会で成功できなかったから田舎に引っ込む、というような悪いイメージを抱かれがちでもありますから、田舎での生活で孤独と挫折感に苛まれないためにも、なんらかの形で都会を中心とする外の世界とポジティブなつながりを持ち続けることは大切です。幸い、ソーシャルネットワークなどを通じて、物理的な方法ではなくバーチャルな方法で人と広くつながることのできる時代になり、フェイスブックなどで田舎での暮らしでの経験と気づきを都会で暮らす友人たちと共有したり、テーマを決めてブログやYouTubeで不特定多数に向けて発信することで、自分の選択した田舎での新しい生活について世間からのフィードバックを受けることが可能となっています。田舎での日常は、都会での非日常です。新しいライフスタイルの先駆者としての自分の存在意義も自覚しながら発信をすれば、都会で田舎への移住を夢見ている方へに夢を与え、同じようなライフスタイルに価値を見出している仲間と繋がる機会を得ることもできるでしょう。<br><br> </p>
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2020-12-28T09:00:04-08:00
2020-12-28T09:45:15-08:00
田舎での自給自足ビデオー9
<p>(連載)「田舎暮らしのための意識改革」の参考資料として、ぴおちゃんねるよりFarm Vlogを掲載しております。お楽しみください。</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/FTljKrOVMJI" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2020-12-26T11:26:07-08:00
2020-12-26T11:45:10-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(8)時計ではなく自然に沿った生活リズム
<p> 都会の生活では、季節による日照時間や温度の差異は、電灯とエアコンなどのテクノロジーによって均一化されているため、年間を通じて生活のペースをほとんど変えないまま、時計を基準として毎日のスケジュールが組み立てられています。<br><br> 社会全体の生産効率を考えると、このように、全ての基準を時計に集約し、年間を通じて同じペースで働くことが合理的です。特に、農林水産業などの季節の変化とともに仕事の内容が著しく変化する第一次産業に従事する人口比率が低い先進国型の社会においては、季節による変動を社会全体に反映させる必要性は小さいですから、この傾向は強化されることでしょう。<br> <br> しかし、普通の動物は、自然の流れの中で、それに合わせて活動リズムを変化させつつ生きていますから、人工的な時計とカレンダーに従って生きている人類は、生命体としては体に多少の無理をさせつつ生活しています。田舎で長年暮らしていると、それが現代人のストレスや健康不良の一因となっているのではないかと感じられます。<br><br> 都会では、「夜、あまりよく眠れない」とおっしゃる方によく出会いますが、それも無理からぬことだと思います。都会の夜は、屋外でも本が読めるほど明るく、家の中も寝る直前まで隅々まで電灯に照らされ、しかも目の前にはテレビやコンピュータ、スマホのスクリーンが光かがやき、その中では活発な世界が24時間休みなく展開しています。自然に囲まれた田舎に住んでいても、コンピュータやスマホでの作業が多くなると、自然のペースに合わせて生活することは難しくなりますから、都会ではなおさら、電子機器で作業する時間帯には気をつけたいところです。<br><br> 田舎のファームでは、屋外で作業をすることが多いため、生活パターンが日照と天候によって大きく影響されます。一般に、雨天時や日没後にできる屋外作業は非常に限られていますから、作業の内容とペースを季節に応じて変化させ、天候と日照時間合わせて調整する必要があります。夏と冬の気候の差が極端なカリフォルニア内陸部を例にとって、季節による生活パターンの変動を見てみましょう。<br><br> 概して晴天が少なく日照時間も短い冬には、その限られた時間内に効率よくハードに働き、残りの時間は屋内でのんびりと過ごすというペースになります。また、気温が低く、重労働をしても体力の消耗が少ないので、短期決戦型のハードな仕事に向いています。しかし、雨がいつ降るかわからないために、着工から完成までに何日もかかるような土木建築作業をすることは難しく、道具や資材なども、作業が終わったら毎回全てを濡れない場所に片付けておく必要がありますから、冬には「効率が良く最後まできっちりとした仕事をする」ことが強いられます。<br><br> 一方、日照が長く雨の降らない夏には、涼しい朝と夕方の時間帯を中心に働いて、暑い午後の時間帯は、屋内や日陰でのんびり休息するパターンなります。長期を要するプロジェクトに向いていて、道具や資材をそのままにして何日間も持ち越せますし、作業可能な時間はたっぷりとあるので、ダラダラ仕事をしても大丈夫です。35〜40度の猛暑の中では、どちらにしてそれほどハードには働けないので、むしろ休みながらダラダラと働かないと、暑い夏を乗り切ることはできません。スペインや南イタリアなどでは、昼食時に飲酒をしながらランチを腹いっぱい食べて、夕方までお店や仕事を休んで「シエスタ」と呼ばれる昼寝タイムをとる習慣がありますが、北カリフォルニアの夏も、シエスタ的な長い昼休みのある生活リズムが適しています。<br><br> このように、1年を通じて夏と冬の気候条件の差が大きな北カリフォルニアの自然環境の中で働いてみると、季節に合わせて働くペースを大きく変えることが、人体にとってごく自然な環境への適応であると感じられます。<br><br> 一般に、常夏の赤道に近い地域では、社会全体にのんびりムードが漂い、自分のペースでチンタラと働く傾向があり、高い緯度の冬が厳しい地域では、生産性効率の高い社会がきちんと組織化され、全体のペースに合わせて真面目に働く傾向が指摘されます。このような地域差は、夏と冬の差異の大きな北カリフォルニアでの生活で季節によって生活のペースが変動するのと同じく、環境への適応の結果であると思われます。<br><br> 注意深く自己観察を行うと、季節に応じた生理的な変化も感じられます。日照の長い夏には、睡眠時間が減って運動力が増えるため、体は絞られて体重は減少します。逆に、日照に短い冬には、睡眠時間が増えて運動量が減り、体重はやや増加傾向になります。<br><br> 夏は、朝5時にはすでに明るくなりつつあり、暗くなるのは夜の8時以降。朝夕は涼しくて活動に適した条件が揃っているので、早起きをし、正午からの数時間はのんびり過ごし、再び夕方から暗くなるまで活動をするのがもっとも快適なパターンです。時計を気にしないで1日を過ごすと、だいたいこのようなパターンになっていきます。<br><br> 冬には、朝7時でもまだ暗くて寒いので、外に出て活動を開始するのは朝8時ころ。夕方4時頃にはすでに薄暗くなり始めるので、道具の片付けや作業の後始末を始めて、暗くなる5時頃には屋内に戻ります。人体は、日が暮れてからある一定時間が過ぎると眠たくなる仕組みになっているようで、9時にはかなり眠くなり、シャワーやその他の就寝準備をして、10時半ころには就寝。<br><br> 本来は、このように自然の流れに従って生活のペースを変えることが良いのだと思います。さりながら、テクノロジーを活用した環境のコントロールにも利点があって、寒さや暑さ、雨や風、強い日差しや日没後の真っ暗闇などの様々な自然の脅威を緩衝し、より安定した生活環境を提供してくれます。ただし、自然環境からどの程度の距離をとるかということ関しては、バランス感覚が必要です。自然からの距離が広がれば広がるほど、自然の変動に適応する能力は低下し、生存のためにさらに自然からの距離を広げなくてはならなくというスパイラルに陥っていきます。<br><br> 田舎での生活では、このバランス感覚を養い、テクノロジーを上手に活用しながらも、人本来の生活リズムのなかで生活するように心がけたいものです。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180210/15/musiclife-in-nature/d1/15/j/o2592193614128811545.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180210/15/musiclife-in-nature/d1/15/j/o2592193614128811545.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="463" width="620" /></a><br> </p>
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2020-12-24T09:13:48-08:00
2020-12-24T13:45:03-08:00
メリークリスマス!
<div data-contents="true">
<div data-block="true" data-editor="18poc" data-offset-key="b7rs0-0-0"><div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="b7rs0-0-0"><span data-offset-key="b7rs0-1-0"><span data-text="true">近代看護の生みの親と言われているフローレンス・ナイチンゲールは、こんなことを言ったそうです。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="18poc" data-offset-key="9m216-0-0">
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="9m216-0-0"> </div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="9m216-0-0"><span data-offset-key="9m216-0-0"><span data-text="true">「今年で30歳になる。</span></span></div>
</div>
<div data-block="true" data-editor="18poc" data-offset-key="ape48-0-0"><div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="ape48-0-0"><span data-offset-key="ape48-0-0"><span data-text="true">キリストが伝道を始めた歳だ。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="18poc" data-offset-key="21jnk-0-0"><div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="21jnk-0-0"><span data-offset-key="21jnk-0-0"><span data-text="true">もはや子供っぽいことは終わり。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="18poc" data-offset-key="431d3-0-0"><div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="431d3-0-0"><span data-offset-key="431d3-0-0"><span data-text="true">無駄なことも、恋も、結婚も。」</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="18poc" data-offset-key="7bu1q-0-0">
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7bu1q-0-0"> </div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7bu1q-0-0"><span data-offset-key="7bu1q-0-0"><span data-text="true">30歳にしてキリストを目指した人生。クリスチャンとしてこの上ない高い目標を設定したからこそ、多くの偉業を成し遂げ、死後数百年にわたって人類に影響を与え続けているのでしょう。</span></span></div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7bu1q-0-0"> </div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7bu1q-0-0"><div data-contents="true">
<div data-block="true" data-editor="f5o75" data-offset-key="9t27-0-0"><div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="9t27-0-0"><span data-offset-key="9t27-0-0"><span data-text="true">コロナ、アメリカ大統領選挙、国際的な覇権争いの渦が地球規模で社会を揺れ動かしている中、ちっぽけな自分にきることなど何もないように感じられ、ともすると絶望的になりがちです。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="f5o75" data-offset-key="7ne4r-0-0">
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7ne4r-0-0"><span data-offset-key="7ne4r-0-0"><span data-text="true">しかし、ガンジーはこのように言っています。</span></span></div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7ne4r-0-0"> </div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7ne4r-0-0"><span data-offset-key="7ne4r-0-0"><span data-text="true">「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。」</span></span></div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7ne4r-0-0"> </div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7ne4r-0-0"><span data-offset-key="7ne4r-0-0"><span data-text="true">世界は一人一人の集まりですから、世界に変化を期待するのであれば、まずは自分自身が変化しなくてはならない。言われてみれば当たり前の話です。</span></span></div>
<div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="7ne4r-0-0"> </div>
</div>
<div data-block="true" data-editor="f5o75" data-offset-key="bnb82-0-0"><div class="public-DraftStyleDefault-block public-DraftStyleDefault-ltr" data-offset-key="bnb82-0-0"><span data-offset-key="bnb82-0-0"><span data-text="true">せめて今日1日は、キリストを想い、平穏な心を愛と感謝で満たして過ごしたい。</span></span></div></div>
</div></div>
</div>
</div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6505769
2020-12-22T12:51:50-08:00
2020-12-22T15:45:04-08:00
アメリカ大統領選挙で実感するネット時代の情報収集の難しさ
<div><div dir="auto"><div class="ecm0bbzt hv4rvrfc e5nlhep0 dati1w0a" data-ad-comet-preview="message" data-ad-preview="message" id="jsc_c_mm7"><div class="j83agx80 cbu4d94t ew0dbk1b irj2b8pg"><div class="qzhwtbm6 knvmm38d">
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 現在も決着のつかないまま進行中のアメリカ大統領選挙。おそらく多くの皆さんは、一体何がどうなっていて、どこに真実と正義があるのかわからないという印象を持っていらっしゃると思います。アメリカで現地の報道をフォローしていても、その感覚は同じです。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> アメリカのテレビ、新聞などの既存メディアは、堂々と民主党寄り、共和党寄りという立場を明確にした上でバイアスをかけて報道していますから、1つのチャンネルだけ見ていても真実はわかりません。しかし、一般人はお気に入りの局のニュースだけを見ることが多く、しかもテレビは受動的に情報を受け取る媒体ですので、見ているうちに何となくその放送局の意見に感化されてしまいます。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> それに対し、ネットでの情報収集は能動的に行われます。能動的であれば、もっと幅広く中立的な意見を拾えそうな気もするのですが、案外とそうでもありません。そもそも社会現象に興味を抱いて情報を能動的に探す場合には、その事案に関してそれなりに感情的になっていますから、情報に対して冷静で公正な判断をすることが難しくなっています。その上、ネットでは、アルゴリズムによって自分の好きな意見、同意している見解が見つかりやすくなっています。YouTubeなどの動画配信サイトやソーシャルネットワークで出会う情報には、それまでに抱いている自分の見解を強化する方向でのバイアスがかかっており、ますます反対意見や対立する見解から遠ざかってしまいます。そうやって同じ意見の身内で盛り上がっているうちに、対立する側との乖離はさらに進み、相互理解の可能性はますます小さくなります。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> このようなネットでの情報収集の落とし穴に陥らないためには、あえて自分の意見とは対立する側から発信される情報にも触れてみる必要があります。しかし、複数のニュースソースに触れるには時間と労力がかかりますから、一般人が忙しい生活の中で行うのは難しい。本来、メディアがそこまでお膳立てをして中立の立場から冷静かつ公平な報道するべきなのですが、今のメディアにそれを期待することはできません。今回の大統領選とコロナパンデミック報道では、それが露呈したのではないでしょうか。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> このようにメインストリームのメディア情報から真実が見えてきづらくなると、多くの論客がネットで自信満々に様々な見解を語る状態となり、噂話や陰謀論もSNSなどで拡散され、さらに混沌とした状況になってきます。そもそも、SNSはジャーナリズムではないので、そこに信頼性の高い情報を期待することはできません。ネットでは真実味を帯びた陰謀論も数多く目にしますが、状況の説明として説得力があったとしても、情報の裏が取れないからこそ「陰謀論」ですから、陰謀論を土台に現状認識をすることは危険です。こうなると、もはや、どうやって事実を認識すれば良いのかさっぱり分かりません。結局、自分の直感という原始的な手法を使って真実らしきものを探り出すしかないようです。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 情報が多すぎて真実が見えにくくなる。飽食であるがゆえに様々な健康問題が起こる。便利すぎる生活によって人間の基本的な生存能力すら退化する…。なんとも皮肉な時代です。</span></div></div>
</div></div></div></div></div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6503995
2020-12-20T07:48:39-08:00
2020-12-20T08:30:11-08:00
田舎での自給自足ビデオー8
<p>「(連載)田舎暮らしのための意識改革」シリーズの参考資料として、ぴおちゃんねるで掲載しているビデオを紹介しています。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/HnPFmPhzXJE" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6503767
2020-12-19T17:52:49-08:00
2020-12-19T18:45:16-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(7)自分自身を知る
<p> 都会生活に見切りをつけて田舎に移住する場合、注意しなくてはならない落とし穴は、住む場所を田舎に移すというだけでは、都会で感じていた欲求不満や憤懣が解消されない、ということです。おそらく、多くの方が「自分が都会の生活には合っていない」あるいは、「都会生活で経験する人間関係や生活上の制約などにうまく適応できない」という強い自己認識を経験し、田舎に住んでみようという決断に至るのだと思います。これは、自己知においては、大きな一歩ではあり、都会を離れるにあたっては非常に大きな努力をすることになりますが、これはほんの入り口にすぎません。移住すること自体に満足せずに、これまでの人生で知らず知らずに形成されてきた人格や反射的な思考パターン、これまでの生活環境で身についてしまっている行動パターンや習慣を知り、それらが自己の本質と乖離しているのか、あるいは近いものなのかを判断して、それらをできるだけ本質に沿うものへと自己改革する必要もあります。そうしないと、結局、都会でも不満を感じ、かといって田舎の生活もやっぱり物足りないということになってしまい、場所は変えてみたけれど、全く期待はずれだったということになりかねません。<br><br> 都会から田舎への移住は、「都会からの脱出」という側面と「田舎での新しい生活への挑戦」という両側面があることを覚悟することは大切です。そして、それは本当の意味で自分を深く知ろうとする努力への始まりでもあります<br><br> 「自分は一体何をしたいのか、よく分からない。」という感覚は、おそらく皆が人生のどこかのステージで経験することだと思います。仮に、人生における大きな理念と目標を見出すことができたとしても、日々の生活の中で小さな決断を下す際には、目先の利害や一時的な感情に流され、理念とは全く反する判断や言動をしてしまうことも稀ではありません。本当に自分が何をしたいのかを知り、そこからブレない確固たる自己を持つということは、それほど簡単なことではありません。<br><br> 自分自身を知るためには、自らの感覚と感性を用いて、自己観察を続けるしか方法がありません。カウンセラー的な第三者からのアドバイスや、占星術、数秘術、前世占いなどで示唆されることを参考にすることもできますが、それらはあくまでも補助的な自己知への手段にすぎません。直接に自分自身を知ることのできるチャンネルは、自分自身の内部で機能している感性と感覚しかありません。<br> <br> 筆者は「古佐小基史」と名のついた人体と48年も一緒に暮らし、特に大きな不都合もなく毎日を生きているので、つい、「自分自身を知ってコントロールしながら、思い通りに自由に生きている」という感覚を抱いてしまいます。しかし、実際に日々の言動を決断する中では、本当の意味で、常に自己の目的意識と理念に沿った選択をできているかというと、正直なところ自信はありません。ほとんどの場合は、半分眠ったような状態で、いい加減な決断をしていて、大きく理念から外れるわけではないけれども、それに向かって最短距離を選んでいるとはとても言えないようなお粗末な状態です。車の運転に喩えるならば、左右のガードレールにガンガンぶつかりながらも、なんとか道路を外さずに走っているような状態で、決して車の能力を最大限に生かして、高速車線をぶっ飛ばしているわけではありません。<br><br> 仕事、健康、人間関係など、人生のあらゆる場面で遭遇する様々な問題は、実は、「自分自身のことをあまりよく知らない」「自分は本当には何をしたいのかよく分からない」「自分を思い通りに操ることができない」ということが根源的な要因となっていると考えています。<br><br> 現代的な社会生活をしていると、「自分自身を深く知る」ということよりも、社会に適応するために必要な情報や知識を学ぶことを優先させる傾向にあります。社会的な地位を築くためには、社会的に有利な職業や仕事の選択できるように勉強や技能習得の努力をし、それに自分を合わせていけば目標が達成されますから、自己知への努力を優先させる必要ありません。むしろ、自己知などという、その獲得にはやたらと時間と労力を要する割には成果がすぐに現れない面倒なことにかかずらわらないほうが、地位や収入などの外から見える成果を得るためには、近道です。しかし、「ステイタスの高い仕事」や「高額収入」「生活の安定」など、子供の頃から刷り込まれている社会的な成功者の立場を手に入れても、自分の本質に合わない職業や世界観を強要される社会的立場に自分を押し込めてしまっていたら、心の底からの幸せを感じることはできません。<br><br> このように、本質と矛盾する活動に人生の時間とエネルギーの大部分を使うということは、自分という自動車を、わざわざバックで、しかもバックミラーだけを見ながら走らせているようなものです。自動車はバックでもそれなりに走行できますが、もともと、バックギアは高速で長距離を走るようには作られていないので、燃料を無駄に浪費し、ギアも遅かれ早かれ破損し、よく見えないで運転しているからあちこちぶつけて車体もボロボロ。そこで、しょっちゅう外装を綺麗にしたり、壊れた部品を取り替えるという修理をすることになります。しかし、根本的な問題は解決されませんから、心も体も疲弊し、様々な健康問題が湧いてきます。それを社会制度や高度な医療によって解決しようとしても、焼け石に水で、健康問題は少なくなるどころか新しい問題が次々に生まれて、状況はますます複雑になり、出口の見えないままトンネルは続いてゆく…。<br><br> 車後ろ向きに走らせている限り、何をやってもその車の本来の能力を引き出すことは不可能です。しかし、案外と解決方は単純明快で、自分自身を知り、ただ車を普通に前向きに進めれば、すべては解決するのでしょう。<br><br><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6501830
2020-12-17T09:55:46-08:00
2020-12-17T11:30:24-08:00
田舎での自給自足ビデオー7
<p>(連載)「田舎暮らしのための意識改革」の参考資料として、ぴおちゃんえるで公開しているファームVlogをご紹介しております。今回は、自宅で育てた鶏をしめて精肉する様子をご覧ください。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/dyBys2w41as" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6501003
2020-12-16T08:26:49-08:00
2020-12-16T12:30:18-08:00
12月19日(土)無料のオンライン・ライブ開催します!
<div dir="auto"><div class="ecm0bbzt hv4rvrfc ihqw7lf3 dati1w0a" data-ad-comet-preview="message" data-ad-preview="message" id="jsc_c_5ra"><div class="j83agx80 cbu4d94t ew0dbk1b irj2b8pg"><div class="qzhwtbm6 knvmm38d"><div class="kvgmc6g5 cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">今週土曜日、12/19の朝10時より、オンラインライブをぴおちゃんねるよりお届けいたします。今年最後のオンラインライブで、今回で第8回目になります。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto">クリスマス前の週末ですから、White Christmas, The Christmas song, Little Drummer Boyなどのクリスマス曲も即興演奏でお届けします。お楽しみに!</span></div>
</div></div></div></div></div><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/VZgozLmbr-M" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2020-12-15T08:07:25-08:00
2020-12-15T09:00:07-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(6)知識の蓄積でなく直感と感覚を用いる経験的学習
<p> 今の世の中、インターネットや書籍によって、新しく物事を始めるためにとりあえず必要な知識と情報は、非常に簡単に手に入るようになりました。ひと昔前の江戸時代には、貴重な外国の書物1冊(例えばオランダの医学書)から、そこに含まれている情報と知識を必死の思いで抽出して学んだわけですから、文書、写真、動画など、ありとあらゆる形態の情報がいつでもどこでも手に入る現代の状況は、その当時の学者から見ると、まさに夢のような状況です。<br><br> しかし、このように情報へのアクセスが手軽になった一方で、自らの感性と感覚を用いて直感的に物事を理解する動物的本能はあまり必要とされなくなり、徐々に退化していると感じられます。<br><br> 現代人が新しいことを始める場合には、すでに体系化された知識を学び、経験者(先生)から実践的なトレーニングを十分に受けてから、始めて一人立ちするというのが一般的なプロセスだと思います。しかし、マルチタスクをこなそうとする田舎の生活で、全てにおいてこのような緻密な学習プロセスを踏んでいたのでは、教育段階に膨大な費用と時間がかかってしまい、いつまでたっても何も実践できないという状態に陥ってしまいます。<br><br> 都会から田舎に移住すると、家周りのメンテや農作業において、それまでやったことのないことをしなくてはならない状況に遭遇します。特に緊急を要する場合、作業手順の大雑把な知識を確認したら、嫌が応もなく、とにかくやるしかないという場面が多くなります。やったことのない新しいことを、最低限の予備知識でいきなり実践する…。でも、そんなことできるのか?<br><br> そのためには、その場でその時に観察される事象、過去の類似した経験の呼び起こし、感覚を通じて直感的に感じられるものへの意識を高め、これらのリアルタイムの情報を知り得た専門知識と合わせ、冷静な知的分析をしながらノウハウを即興的に編み出し、それを実験することになります。<br><br> もちろん、失敗は起こりますが、このように知性と直感を総動員して取り組んでいる時に経験する失敗からは、実に濃厚な真理を学ぶことができ、何度か試行錯誤を繰り返しているうちに、どうにかこうにかできるようになります。そうなったら、すでにそのタスクの全貌をだいたい把握できていますから、このタイミングで先達のアドバイスを受けたり、さらなる詳細情報を入れると、飛躍的に能力が高まります。筆者が専門としているハープの技能も、この方法で独学で習得し、わずか数年でプロのレベルまで到達できましたから、この方法でかなり複雑な専門技能を学ぶことが可能だと思います。<br><br> しかし、このように新しいことを最低限の予備知識で実践する場合には、直感と感性に傾倒しすぎるのも危険です。きちんと知識を得た上で一般常識に従い、安全へは特に配慮をし、失敗時のダメージが最小限になるように計画的に実践することをお勧めします。特に、事故による怪我につながらないように、注意しましょう。<br><br> </p>
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2020-12-13T16:57:42-08:00
2020-12-13T20:00:20-08:00
アメリカの銃事情から…
<p>アメリカの銃事情から</p><p>危機対処への自己責任と自由についての一考</p><p> </p><p> 自由の国、アメリカ。銃の国、アメリカ。アメリカに暮らして20年になりますが、「銃」と「自由」は、表裏一体なものなのかもしれないと感じています。面白いことに、ひらがなで書くと「自由」も「銃」もどちらも「じゆう」になります。はたまた、これは偶然の一致なのか?</p><p> </p><p> アメリカでは、犯罪のバックグランド・チェックをクリアーすれば、スポーツ用品店でも数万円で銃が買えます。釣り具コーナーの横に銃のコーナーがあって、カウンター行くと、店員のお兄さん、お姉さんがにこやかに銃を見せてくれる、というほどの手軽さです。農村部では、害獣撃退や狩猟、家畜の屠殺などのための生活必需品のような感覚で銃を常備している家庭が多く、近所から射撃練習の銃声がパンパン聞こえてくることも日常茶飯事です。現在同居している妻の86歳の祖父にとっては、人里離れた山で銃なしで生活するなどということは「ありえない」ことです。</p><p> </p><p> 実際、田舎のファームでは、日常的に銃を使う状況が起きてきます。猛獣の撃退、肉用の家畜の屠殺や怪我や病気で苦しむ動物への安楽死などの他にも、例えば、近所の猛犬がファームの敷地内に侵入して家畜に危害を加えそうになった場合には、その犬を射殺する目的で発砲することは認められています。ちなみに、殺傷力のない空気銃などを撃って追っ払った場合には、犬の飼い主からペット虐待で治療費や慰謝料を請求されかねないという、ヘンテコリンなことになっています。殺すのはOKだけど追っ払うのはダメ、というのはおかしな話ですが...。</p><p> </p><p> このように、アメリカでは銃を持つ自由がありますから、善良な市民が自衛手段や生活の道具として銃を持てると同時に、悪党も簡単に銃を手に入れることができるわけです。そのため、銃による殺傷事件も多く発生しています。</p><p> </p><p> 人口の密集している都市部では、「みんなが安心して暮らせるように銃を全面禁止すべきだ」という意見が正論に聞こえます。確かに、数キロ以内に派出所や警察署があり、ガードマンの見回りや防犯ベルなどの備えのある建物もたくさんあり、治安のための組織立った仕組みが運営されている都市環境では、市民を守る側に立っている警察のみが銃を持っていることで、効果的な治安維持が保証されます。</p><p> </p><p> しかし、農村部や山間部では事情が全く異なります。例えば、古佐小宅に銃を持った凶悪な犯罪者が逃げ込んで来たら、外部の連絡をできる暇もなくそのまま撃たれて死に、家族は乱暴をされ、その挙げ句に犯人はゆうゆうと逃げるおおせることができるかもしれません。 もし警報装置などによって運良く外部に連絡できたとしても、警察がここに到着するにはかなりの時間がかかりますから、犯人に殺意があれば結局自分も家族も警察が来るまでに殺されてしまうことでしょう。田舎では、銃声が決して異常な物音でもありませんから、たとえ日中に銃殺されたとしても、発見されるまでに相当な時間が経過してしまう可能性もあります。人口の密集していない地域ではこのようなシナリオが考えられるために、「自衛のためには銃を持つ自由が保障されるべきだ」という考え方も、十分に説得力のある正論になります。実際、自宅周辺でも、都市部から逃げて来た犯罪者が森に逃げ込み、警察のヘリやパトカー、場合によっては騎馬警官が山狩りのような捜査をすることもありましたし、ここからほど近いノース・サン・ホワンという地域は、カリフォルニアでもマリファナや覚せい剤の密造をやっている連中が多くて有名な場所ですから、やけくそになった逃亡者や麻薬でおかしくなった連中が銃を持って敷地内に飛び込んでくることも、決してあり得ないとは言い切れません。</p><p> </p><p> そのようなことが起こり得るシナリオとして想定される地域に住んでいる場合、銃を持つ自由という権利を行使して武装することは、決して過度に暴力的でも非人道的な選択でもありません。ただし、銃を常備することで、銃による生死に関わる事故や他者の命を奪うことでしか収束できない争いに巻き込まれる危険性を受け入れる選択を迫られます。</p><p> </p><p> このような、銃器の自衛手段としての意義やファームでの銃の有用性を考慮した上で、古佐小家としては、武器を持っていることで武器による脅威を呼び込んでしまう危険性の方が銃の有用性による利益よりも大きいと判断し、銃は常備していません。その代償として、最悪のシナリオが起きた場合には、なす術もなく家族ともども死ぬことになるかもしれないという結末を受け入れる覚悟もしています。ただし、実際に銃を常備していなくても、その事を知らない他者は、当然「この家には銃があるかもしれない」と考えます。つまり、誰でも自由に銃を持てる制度があるお陰で、暗黙の抑止力も働いています。</p><p> </p><p> 合衆国憲法の2nd Amendment として知られる「市民の銃砲所持・携帯の権利」は、独立前の宗主国であったイギリスが独立戦争勃発時にアメリカ入植民の武器を没収しようとしたことへの反感が繁栄しており、この権利は、アメリカ国民が既存の政府が人権を侵害しようとした時には、それに対抗できることを保証するという意味合いも含まれています。つまりアメリカには、野生動物や犯罪者による脅威だけでなく、本来国民の幸福と自由を守るべき国家権力が脅威となった場合には、それからも身を守るという自己責任を引き受けることで、自由を実践できるという考え方が根付いているのです。</p><p> </p><p> 近年は、学校での無差別発砲などの凄惨な事件もあり、銃の携帯の権利に関しては禁止を支持する声も多くなっているように思います。対テロの目的で警察の重武装化、テロに対しての官憲による捜査権の拡大に関しても賛否両論、活発に議論されています。また、刑務所の民営化に伴い刑務所の稼働率を上げるために、軽犯罪やこれまでは取り締まられなかったような理由での逮捕なども行われているという記事も、しばしばネットで見かけるようになりました。</p><p> </p><p> アメリカのこのような現状についていろいろと考えているうちに、自己の安全保障への責任と自由は、表裏一体の関係ではないかと考えるようになりました。つまり、自己の安全保障への「責任」を引き受けることで、自由という「権利」が保証され、逆に、自己の安全保障への責任を他者に委託する割合が大きくなるに従い、権利である自由はそれに比例して制限されてゆくという関係にある、という仮説を立ててみました。</p><p> </p><p> 自由を行使するためには、自由な言動に伴うリスクを自己責任としてマネージメントする覚悟と能力が要求されます。リスク・マネージメントを権力に委託するということは、権力による規制に従う義務が生じ、生存に関しては権力への依存度が増し、その結果個人の自由は制限され、さらには社会全体への安全保障という大義名分のもとに権力による個人の自由への侵害の危険性にも曝されることを意味しています。</p><p> </p><p> 個々人が自由奔放に好き勝手なことをできるという極端に野方図な状態も、権力によってすべての安全と安心が保証されているという極端に権力に依存した状態も、人間の幸福な生存状態であるとは思えません。「危機対処への自己責任と自由の行使」とその対極にある「安全保障の権力への依存と義務の行使」がバランス良く調和されることで、国民が幸福な生活を実現されます。危機対処への自己責任を放棄してを国家権力や政治家に丸投げすることは、権力による大衆のコントロールが強化される傾向を招き、権力への依存は従属・隷属へと進み、それにともない個人の自由は縮小をしてゆくことでしょう。</p><p> </p><p> 幸いなことに、日本もアメリカも国民主権の民主主義が実践されている国家ですから、主権者である国民一人一人が真剣に考え、信念に基づいて言動することで、国家を少しずつ理想的な状態に近けることのできる人物を選び、かれらに権力を委託できる仕組みになっています。その一方で、政治や統治の専門家でない国民が、社会のあり方に関しての判断を誤り、不適切な選択をしてしまうリスクもあります。そのようなリスクを防ぐために、各個人が情報を集め思索をする努力を十分に行い、もし誤った判断をした場合には、その損失を一人一人が自己責任として受け入れるという厳しい覚悟があってこそ、国民の思想・信条の自由の認められた民主主義が成り立つのではないでしょうか。</p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6497991
2020-12-12T08:29:27-08:00
2020-12-12T12:00:06-08:00
田舎ので自給自足ービデオ6
<p>(連載)「田舎暮らしへの意識改革」の参考資料として、ぴおちゃんねるからビデオをシェアいたします。畑の開墾とスプリンクラーの設置の様子をお知らせします。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/M7rNP18TRY8" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2020-12-11T07:35:31-08:00
2020-12-11T08:30:15-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(5)インフラはブラックボックスではなく知っておくべきもの
<p> 道路、上下水道、家屋、電気、通信手段、交通手段などの様々なインフラ設備が複雑に絡み合った人工的な環境である都市。それは、大自然の前に見えない壁のように立ちはだかり、自然の脅威から人々の生活を守ってくれています。しかしこの壁は、同時に自然の恵みも遮断してしまうため、自然豊かな場所から数キロしか離れていない場所でも、街中にいると自然から遠く切り離されていると感じられます。<br><br> 田舎での生活といえど、現代文明の利器もふんだんに使いますから、かつての縄文人やアメリカ・インディアンほどには自然と密着した生活をすることはないのですが、都会での生活に比べれば、自然と人間を隔てる人工的な環境の壁が薄くなり、自然との距離感は近くなります。<br><br> 近代都市では、これらのインフラは都市生活者にとって、あって当たり前のもので、第二の自然環境と呼べるほどに生活に不可欠なものとなり、大災害などでインフラが崩壊しない限りは、普段そこに存在していることすらほとんど意識されることはありません。しかし、実際には、現代的なインフラの設置と維持/管理は、社会に蓄積された高度な知識と多大な資源、それに高度な技術を持つ労働力の投入があってはじめて可能になっています。このことは、田舎生活のなかで自らの手で身の回りのインフラ整備、例えば道路、雨水の排水路、ちょっとした雨よけの建物などを作ってみると痛感できます。インフラは、そこにあって当たり前のもの。この麻痺したような感覚は、天然資源が無尽蔵であるかのように野放図な浪費をする現代人のライフスタイルと、どこかで繋がっているように感じています。<br><br> 人里離れた田舎では、自然災害の脅威をまともに受ける危険性が高く、その度にインフラも危機にさらされます。しかし、家屋やその周辺設備の不具合に対応してすぐに飛んできてくれるサービス業者は充実していませんから、様々なインフラで起こる問題に自ら対処しなくてはならない場面が多くなります。そのため、身の回りのインフラを列挙し、どこにどのように敷設されていて、維持管理には何が必要であるかを一通り理解し、維持修繕に必要な資材をある程度蓄積しておく必要に迫られます。維持管理の作業まですべて自分でやれるようになるのは簡単ではありませんが、最低でも、インフラの概要を理解しておかないと、問題が発生した時に、その原因を診断することすら難しく、どの専門業者に何を相談すればよいのかすら分からないという、救いようのない状態に陥ってしまいます。<br><br> 必要にかられて、生活インフラの敷設、維持管理を自らの手で経験しているうちに、自分の専門分野(例えば、筆者にとっての音楽)では遭遇しないような種類のチャレンジに直面することで、幅広い問題に対応できる解決能力が鍛えられるという「ボーナス」がついてきます。これにより、専門分野だけに専念していたら見落としてしまいがちな人としての基礎的能力を向上させ、専門技術(ハープ演奏や作曲の技術)の向上にもつながりますから、音楽専門家として、大工仕事や土木工事に従事することは、非常に賢い時間と労力の投資になります。<br><br> インフラ整備と聞くと、「自分にはムリ」と思われるかもしれませんが、自然に介入してより生存に適した環境に作り変えるという行為は、生来人間に与えられた本能的な環境適応能力の発現にすぎませんから、やり始めると自然とその本能にスイッチが入って、むしろ楽しくなってきます。<br><br> このように、自宅での日常生活の範囲内で小さな身の回りのインフラに直接関わっていると、人間の生活に必要な物資、設備、環境とは何かを考える機会が多くなります。人間生活の基本的なニーズは、一家族が暮らすところでも、100万人が暮らす都市でも同じですから、経験を伴うこのような考察は、社会構成員として、社会の全体像を理解する上でも大いに役立ちます。政治家を目指すみなさんは、有名政治家の政治塾に入る前に、まずはこういう田舎生活を数年間経験してみるのも良いのではないでしょうか?</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201212/00/musiclife-in-nature/c7/77/j/o1936193614865074540.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201212/00/musiclife-in-nature/c7/77/j/o1936193614865074540.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="420" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201212/00/musiclife-in-nature/b7/4e/j/o1280096014865074928.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201212/00/musiclife-in-nature/b7/4e/j/o1280096014865074928.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="315" width="420" /></a> <br><br> </p>
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2020-12-09T15:53:34-08:00
2020-12-09T19:45:11-08:00
田舎での自給自足ービデオ5 アニマルランド
<p>(連載)田舎暮らしのための意識改革シリーズの参考資料として、ぴおちゃんねるよりファームVlogを投稿しております。動物好きの方はぜひどうぞ。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/C7JAh2RwbS8" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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2020-12-08T15:35:48-08:00
2020-12-08T16:15:39-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(4)金銭的報酬から精神的報酬へ
<p> 普通の仕事では、日給、週給、月給、時給、年収などの形で、決められた時間内の労働と引き換えにお金を得られる仕組みになっています。アーティストの場合は、制作にかけた時間によって作品の価値が決まるのではなく、出来上がった作品に独自の値打ちがつけられるので、時間をお金に換算することはありません。田舎での生活には、どちらかというとアーティスト的なお金とのつきあい方が合っていると思います。<br><br> アーティストにとっては、作品によってもたらされる金銭的収入は、報酬の一部に過ぎません。金銭的収入のほかに、創作活動を続けることでもたらされる自分自身の成長と進化、そのプロセスでの得られる様々な経験、日々の時間をアーティストとして過ごしていることへの満足感、作品に接した方々からの肯定的な評価など、「精神的報酬」も絶えず受け取っています。<br><br> 芸術製作がすぐにお金に直接結びつかないように、田舎での生活では、やっていることがすぐに金銭的収入に繋がることは稀です。むしろ、お金の姿を拝見しないまま終わってしまう活動の方が多いかもしれません。例えば、ファームのどこかで、潅木が密集して生えていて、その上に数年にわたって松の枯葉が積もっていると、これは、消防/防火の観点は、非常に危険な状態です。そのまま放っておいてもすぐに問題は起きないし、実際に火事になる可能性もさほど高くないかもしれませんが、もし火事になったら、そこから敷地内へと山火事が広がる致命的な火元となりますから、万が一に備えて撤去しなくてはなりません。<br><br> 通常、このような作業は重労働で、延べ数日間はかかります。このような場合に、働いた時間を時給に結びつけて金勘定をしてしまうなら、「一銭の金にもならないことで何日も必死で働いて、いったい何やってんだろ。」と虚しくなってしまいます。もっと現金に直接繋がる仕事に集中し、金を稼いで、人を雇ってやってもらおうという選択肢もありますが、なんでも金で解決しようとする姿勢は、都会生活での条件反射のようなもので、田舎の生活では、それがベストの選択でないこともしばしばです。そもそも、田舎に引っ越してきたのは、都会ではできない経験をするため。言い換えるならば、お金では買えない経験に満ちた生活をするためではないでしょうか?そのためには、特に田舎暮らしの初期段階においては、「田舎暮らしのおいしいところ」だけをつまみ食いするような態度ではなく、とりあえずはすべて経験してみるというオープンな態度が大切です。<br><br> このような仕事を、自然の観察、新しい道具を使いこなすための新しい体遣いの鍛錬、生活環境をより快適なものに作り変える実践研究としてとらえ、心身の能力を意識的にフルに活用する機会として取り組むなら、これまで鍛えてこなかった能力の開発と、すでに発達させてきた能力をさらに進化させることに役立つことに気づきます。そして、そうやって自分の肉体と精神に刻み込まれた新しい能力は、お金とは交換できない真の財産ですから、長時間の厳しい労働に値する報酬を受け取っていることになります。<br><br> 田舎での生活には、慣れさえすれば誰にでもできる作業が満ち満ちています。学歴もあり、専門分野ではそれなりに実績をあげてきた「オレ様」が、そんなことに時間と労力を費やしていることが、バカバカしく感じられる時もあるかもしれません。しかし、意識的に取り組めば、どんな仕事の中にも必ず何かしらの発見があり、時には、専門分野の狭い価値観に意固地になっているエゴから解放され、自分自身の新たな側面を見つめる機会にもなります。自然の営みへのより深い理解、これまで単純作業だと思っていたことの難しさ、自分自身の不完全さの認識、それを謙虚に受け入れることの大切さなど…。これらは、人間として大切な気づきであり、まさにお金とは交換できない精神的報酬となります。<br><br> 今過ごしている時間からもたらされる経験こそが、人生を直接形作る材料であり、お金は、人生を間接的に影響する要素にすぎません。いまやっていることがお金に結びつくかどうかは気にせず、今という時を色眼鏡を通さずに経験できたら、地味な田舎生活の中にも、素敵な瞬間をたくさん見出せることでしょう。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200515/01/musiclife-in-nature/12/62/j/o1809135714758861384.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200515/01/musiclife-in-nature/12/62/j/o1809135714758861384.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a></p>
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2020-12-07T10:36:21-08:00
2020-12-07T13:00:24-08:00
アメリカ大統領選挙後の混乱
<div><div dir="auto"><div class="ecm0bbzt hv4rvrfc e5nlhep0 dati1w0a" data-ad-comet-preview="message" data-ad-preview="message" id="jsc_c_2t"><div class="j83agx80 cbu4d94t ew0dbk1b irj2b8pg"><div class="qzhwtbm6 knvmm38d">
<div class="kvgmc6g5 cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 大統領選挙投票日からすでに1ヶ月以上が経過しましたが、選挙プロセスに不正の疑惑があるということで、トランプ大統領陣営や保守グループが裁判を起こし、それに並行して選挙結果の認定をめぐって公聴会の場で州議会にアピールを続けているため、12月14日の投票人による大統領選挙の投票が行われるかどうか分からないという前代未聞の状況です。</span></div></div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 大手メディアは、「トランプは司法を自分の利益のために不当に乱用し、国家を混乱させ、国益を著しく損なっている。即刻負けを認めて政権交代の手続きを進めるべき」という論調で対して、ネットを中心とする保守メディアは、「アメリカ民主主義の根幹を揺るがすような大規模な選挙不正が民主党を中心とする勢力によって行われた。トランプ陣営は、この巨悪に戦いを挑んでいる」という論調です。そして、お互いを「民主主義を蔑ろにしている」と攻撃しあっています。</span></div>
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<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> この全く相容れることのない意見の対立を軸に、国家分断の様相を呈しています。発信者であるマスコミや個人が、自信満々でこの両極に分かれる見解を出しているために、一般人は誰でも自分が信じたいニュース、信じたいもの裏付ける情報を見つけることができる状態です。そのため、情報過多で一体何が真実なのか判断するのが難しい状況となっており、この分断をさらに長引かせています。</span></div>
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</div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> ということで、できるだけ公聴会の中継や当事者のインタビューや演説などの一次情報に触れ、現状に関して個人的な見解を持つようにしております。もし、トランプ陣営が主張している規模の選挙不正が行われたのであれば、これまでの政治スキャンダルとは比べ物にならない大事件であるし、もしトランプ陣営が大統領の立場を利用して、これほどの大事件をでっち上げ、数百名の支持者に偽証までさせて司法までも巻き込んでいるとしたら、それも大スキャンダルです。いずれにしても、真実が明らかになれば大きな政変が起こることは間違いなく、1860年代の南北戦争、1960年代の公民権運動の時代のような流血も含む国家の混乱期を経験することになるかもしれません。</span></div>
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</div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q">
<div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> まず、誰が真実を訴えていて、誰が嘘を言っているのか?真実を語っている側が勝つのか、それとも嘘をついている側が力で白を黒に変えて勝利するのか?現状から将来を予測する事は難しいのですが、トランプ陣営が不正選挙があったという見解をアピールし、その検証を要求するのは合法的な権利ですし、もし民主主義国家で大規模な不正選挙がまかり通るとなると、まさに民主主義の崩壊です。最終的にどちらが勝つかは別問題として、性急に選挙結果を決定するのではなく、数ヶ月の政治的空白というリスクを負ってでも、選挙不正という犯罪が行われたのかどうか、行われたとしたらどの規模で誰によって行われたのか、それは個人的に行われたのかそれとも組織的に行われたのかということが明らかにされる必要があると思っています。</span></div>
<div dir="auto" style="text-align: start;"> </div>
</div>
<div class="o9v6fnle cxmmr5t8 oygrvhab hcukyx3x c1et5uql ii04i59q"><div dir="auto" style="text-align: start;"><span class="d2edcug0 hpfvmrgz qv66sw1b c1et5uql oi732d6d ik7dh3pa fgxwclzu a8c37x1j keod5gw0 nxhoafnm aigsh9s9 d3f4x2em fe6kdd0r mau55g9w c8b282yb iv3no6db jq4qci2q a3bd9o3v knj5qynh oo9gr5id hzawbc8m" dir="auto"> 今後の司法判断や各州での議会の対応などを見守りたいと思います。</span></div></div>
</div></div></div></div></div>
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2020-12-06T10:19:59-08:00
2020-12-06T14:30:12-08:00
田舎での自給自足ービデオ4 ファームでのDIYの様子
<p>(連載)田舎暮らしのための意識改革の参考資料として、ぴおちゃんねるのファームVlogをご紹介しています。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/DBtN9_6Mr0w" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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2020-12-05T05:33:34-08:00
2020-12-05T07:00:25-08:00
YouTubeにてオンラインライブ配信しました!
<p>先ほど、YouTubeにてオンラインライブ配信いたしました。48時間の限定公開(アクセスが多い場合は1週間に延長)ですので、ご興味があれば、月曜の夜9時までにご覧ください。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/YnAY0KcCSRc" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
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2020-12-05T04:30:33-08:00
2020-12-05T07:00:25-08:00
(連載)田舎暮らし提言のための意識改革ー(3):お金による投資から知恵と労働による投資へ
<p><br><br> 都会での生活では、生活に必要なサービスや物品は、それ相当のお金を対価として支払うことで手に入れることができます。お金があれば、ほぼ何でも手に入れることができる都会の生活環境はとても便利なのですが、その一方で、お金がないとほとんど何も手に入らないという厳しさもあります。そのため、都会で生活していると、何をするにも、まずお金が十分にあるかどうかをとっさに考えてしまいます。そして、お金がなかったら、やりたいことも欲しいものも、わりとあっさりと諦めてしまう習慣が染み付いてしまいます。つまり、お金の不足が、物質的な豊かさと人生経験の幅を制限してしまうことに直結します。<br><br> 田舎でも、生活に必要なサービスや物品をお金で購入することは必要ですが、お金を使わないでも、なんとかやりくりできる可能性は、都会に比べて大きくなります。もし、ファームの立ち上げに必要なすべてのことを、都会感覚でお金の投資で解決しようとすると、あっという間に費用が膨大に膨らんでしまいます。例えば、動物の飼育設備などは、本格的な建築資材を使って業者に敷設工事を受注したら、とんでもないコストがかかります。そんなことをしていると、出費がかさみ、その資金を得るためには「やっぱり都会で出稼ぎの仕事を探さなくっちゃ」ということにもなりかねません。そうなったら、本末転倒で、いったい何のために田舎に移住したの分からなくなってしまいます。<br><br> こうならないためには、お金の投資ではなく、知恵と労働の投資によって成果を生む工夫が必要になります。<br><br> 古佐小ファームでは、土砂や木、石などの資源は豊富にあります。まずは、それらを最大限活用することを考え、自分では作れない材木や砂利などの加工材料にのみお金を投資します。しかし、お金を払って手に入れた材木や砂利も、そのままでは、単なる「可能性」すぎません。それが建物や道路という目に見える成果に変容するには、資源という材料に、自らの知恵と労働を投資する必要があります。<br><br> ここで、古佐小ファームでのプロジェクトの中から、ぬかるみの粘土質の斜面に、120メートルほどの自動車が出入りできる道路を作る作業を例にお話しいたします。<br><br> お金に物を言わせれば、おそらく3000〜4000ドルで、業者にすべての作業を依頼することも可能です。しかし、その場合には、ブルドーザーで土をかいて平らにしたところに直接砂利を敷くだけなので、雨で土がしめった状態で道路を走行すると、車の重みで砂利が泥に飲み込まれてしまって、再び路面に泥が露出してしまい、すぐにぬかるんでしまいます。そうしたら、その上に新たに砂利を追加しなくてはならず、数年のうちにさらに1000ドル、2000ドルのお金を使うことになります。<br><br> もし、砂利を買える程度のお金(500〜600ドル)しか手元にない状況で、自動車が出入りできるような道路を作ることが必要となった場合には、どうするか?そこでは、結果を得るために知恵と労働を投資するしかありません。<br><br> 手間はかかりますが、まずはシャベルやクワ、ツルハシなどを用い、飛び出している岩があったらそれを掘り出し、くぼんでいるところは岩で埋めて、全体をある程度平らにします。次に、大小の石ころを集めて、表面の柔らかいところを中心に敷き詰めていきます。必要であれば丸太か何かで叩いて地面に十分めり込ませ、石がそれ以上めり込まなくなるところまで石を積み終えたら、一輪手押し車で砂利を運んで、その上に敷きつめます。そして、その上を何回か車で走行して固め、一雨来た後に、再びぬかるみかけている箇所を点検し、その部分を石と砂利で補修し、ぬかるみの原因となる水の動きを観察して、効果的な場所に水を逃すための水路を掘ります。これを数回繰り返していると、そのうち安定した路面が維持されるようになります。ここまでくれば、後は、ぬかるみや凸凹、水路の詰まりに応じて対処すれば良いだけです。これに必要な現金は、砂利代のみ。砂利は、大型ダンプ2杯分で550ドルくらいですから、業者に全てを任せる場合と比べると、おそらく費用は10分の1くらいで済むことになります。<br><br> ただし、かなりの重労働ですし、時間もかかります。それに、地形や水の流れをよく考えて地ならしをし、石による路面補強をし、排水路を作らなくてはなりませんから、それなりに注意深い自然観察と計算も必要です。しかし、そうやって苦労の末に整備した道路の上を自動車が問題なく通行できたときの喜びは、何物にも代えがたいものです。こういう作業を通じて培った重労働にも耐えられる体力と、道路を自分で補修できるという自信は、田舎暮らしを続ける上で、大きな財産となります。会費を払ってジムでトレーニングすることを思えば、タダで体を鍛えつつ道路も作れてしまうので、実はとてもお得なのです。<br><br> 音楽制作や演奏を専門としていると、音楽という目に見えない形のないものばかりを対象に、体の一部の小さな運動機能の鍛錬に終始することになります。人間としてのバランスのとれた発達を維持する上で、道路のような実際に使えて目に見えるものを体全体を使って作ることは、とても健全だと感じています。実際、様々な芸術的なアイデアや、このような論文の内容のひらめきが湧いてくるのは、案外とシャベルとツルハシをふるっている時だったりするのです。<br><br> 田舎では、小さなコミュニティーでお互いの顔を見合わせて生活していますから、お互いに信頼関係の中で助け合える可能性も多くなります。人手を要する作業でお互いに手をかし合う、余剰な農産物などの食料を分け合う、道具や機器を共同購入したり貸し借りをすることで初期投資を抑えるなど、コミュニティーとしての努力で現金の出費を抑えることは可能です。ただし、小さいコミュニティーであるがゆえに閉鎖的な部分もあり、そこで人間関係がこじれると非常に大きな精神てストレスを生むことにもなりますから、人付き合いということに関しても知恵を働かせ、精神的な労働を投資することは大切になります。<br><br> </p>
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2020-12-03T07:04:20-08:00
2020-12-03T09:30:10-08:00
田舎での自給自足ービデオ3
<p>連載シリーズ、田舎暮らしのための意識改革の参考資料として、ぴおちゃんねるで配信しているファームブログのビデオをご紹介しています。アメリカの片田舎での自給自足の生活の一部をご覧いただけます。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/nH8QaPrZrJY" width="608"></iframe></p><p> </p><div class="ogpCard_root"> </div><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
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2020-12-02T22:58:37-08:00
2020-12-03T00:30:02-08:00
無責任にキレイごとを言うぞ!
<p> 最近、過去の天才の生き方を研究する中で、彼らの残した数多くの短い格言や名言に触れ、優れた短文のもつ偉大な影響力に感銘を受け、短文作成能力の向上のため、Twitterを再開しました。 <br> <br> 短文の美点でもあり欠点でもあるところは、読み手としては文章のインパクトによる感動が大きいため、その言葉が生み出される背景にある思想信念を深く理解することなく満足してしまうというところだと思います。また、短い言葉で多くを伝えるには、比喩や対比、語呂などの詩的な要素を盛り込まざるをえないため、読み手による解釈の余地が大きくなり、正確な情報伝達は難しくなります。<br><br> しかし、この刹那的な感動と受け取り手の解釈の余地が大きいという点は、音楽の特徴と全く同じですから、短文は、ある種の芸術作品と考えるのが妥当です。詩や短歌、俳句などは、まさに芸術としての短文を追求した形態なのでしょう。<br><br> 手始めに、音楽芸術に関するツイートを1日一つあげていますが、短文のため言い切り表現が多くなることで、今の自分には手の届いていない理想や目標も、あたかも自分がすでに理解して実行できているかのような印象を与えてしまう文章になってしまいます。つまり、短文にすると「お前が言うか?」的なツッコミをされそうな綺麗ごとが多くなるのです。<br><br> 以前は、このような自分の背丈に合わない綺麗ごとを言うのは無責任だし、何よりもそれは自己欺瞞と虚栄の現れであると考えていました。しかし、現在の自分にできること、できていないことをある程度真摯に自覚できる五十路のおっさんとなった今、理想と現実のギャップを取り沙汰にするような野暮はやめて、綺麗ごとを言ってもいいんじゃないかなと思うようになってきました。完璧を期するあまり、かなり深く理解できていることを、誰とも分かち合わずに死んでしまう方が無責任ではないか、と。<br><br> 過去の偉人の名言も、目標とすべき理想を示唆してくれる綺麗ごとだからこそ、勇気と感動を与えてくれるのだと思います。音楽だって同じです。自分は、自分が演奏している音楽と同じ程度の調和と美を備えている存在ではないけれど、そうなりたいという理想の世界を音楽で表現するからこそ、聴くに値する作品となるのではないでしょうか。<br><br> と言うわけで、Twitterではキレイごとを言いますヨ。</p><p> </p><p> </p><blockquote class="twitter-tweet" contenteditable="false">
<a href="http://twitter.com/motoshikosako" target="_blank"><span class="twitter-avatar"><img src="https://pbs.twimg.com/profile_images/2189253162/101003b_0249_2_2_normal.jpg" class="size_orig justify_inline border_" /></span><span class="twitter-name">Motoshi Kosako/古佐小基史</span><span class="twitter-nickname">@motoshikosako</span><span class="twitter-mark s s-twitter"> </span></a><p>#音楽演奏 の瞬間に、知識と技能が正しく調和のもとで作用するためには、音楽の進行とともに容赦無く押し寄せる時間の激流に翻弄されないようにどっしりと現在に腰を落ち着け、過去/未来との文脈でやるべきことを冷静に選択できる精神状態を作ることが大切です。</p>
<a href="https://twitter.com/motoshikosako/status/1333788513427288065">2020年12月01日 07:02</a>
</blockquote><p> </p><blockquote class="twitter-tweet" contenteditable="false">
<a href="http://twitter.com/motoshikosako" target="_blank"><span class="twitter-avatar"><img src="https://pbs.twimg.com/profile_images/2189253162/101003b_0249_2_2_normal.jpg" class="size_orig justify_inline border_" /></span><span class="twitter-name">Motoshi Kosako/古佐小基史</span><span class="twitter-nickname">@motoshikosako</span><span class="twitter-mark s s-twitter"> </span></a><p>どれだけ頑張っても、一人の #音楽家 が達成できることなどたかが知れています。でも、そのささやかな音楽活動を価値あるものにする秘訣は、#マザー・テレサ が教えてくれています。曰く、「私たちは、大きなことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。」</p>
<a href="https://twitter.com/motoshikosako/status/1333472289204027397">2020年11月30日 10:05</a>
</blockquote><p> </p><blockquote class="twitter-tweet" contenteditable="false">
<a href="http://twitter.com/motoshikosako" target="_blank"><span class="twitter-avatar"><img src="https://pbs.twimg.com/profile_images/2189253162/101003b_0249_2_2_normal.jpg" class="size_orig justify_inline border_" /></span><span class="twitter-name">Motoshi Kosako/古佐小基史</span><span class="twitter-nickname">@motoshikosako</span><span class="twitter-mark s s-twitter"> </span></a><p>#感動 を生む #音楽 演奏には、楽器演奏や発声の演奏技術に加え、肉体の動作機能と音印象を生み出そうという意図・意識の連携が不可欠で、武道家やスポーツ選手と同じく、演奏中の雑念を廃し、心技体の統合を深める訓練も必要です。</p>
<a href="https://twitter.com/motoshikosako/status/1333448243993141251">2020年11月30日 08:30</a>
</blockquote><p> </p><blockquote class="twitter-tweet" contenteditable="false">
<a href="http://twitter.com/motoshikosako" target="_blank"><span class="twitter-avatar"><img src="https://pbs.twimg.com/profile_images/2189253162/101003b_0249_2_2_normal.jpg" class="size_orig justify_inline border_" /></span><span class="twitter-name">Motoshi Kosako/古佐小基史</span><span class="twitter-nickname">@motoshikosako</span><span class="twitter-mark s s-twitter"> </span></a><p>#音楽家 として、音印象とそれによって呼び起こされる内的な状態の変化との関連を学ぶためには、まず自分自身が聴き手としてどのような反応をしているかを客観的に自己観察し分析できるようにならなくてはなりません。そのためには、余計な知識や先入観を捨てる必要があるのですが、それが難しい。</p>
<a href="https://twitter.com/motoshikosako/status/1333238253160329216">2020年11月29日 18:35</a>
</blockquote><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6490154
2020-12-02T08:14:14-08:00
2020-12-02T10:45:19-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(2)シングルタスク型の生活からマルチタスク型の生活へ
<p><br> 都会生活では、専門とする職業に従事することで、生活に必要な全てのサービスや資源を得るための「万能交換券」である通貨を手に入れます。そして、通貨を全く得られない活動、あるいは専門の職業と同じような効率で通貨を稼げない活動は、趣味や娯楽とされ、それらの活動には、余暇の時間をあてることになります。このように、都会生活では、基本的には、一つの専門業務を高度に遂行できれば、生活するために必要な通貨が入手できるようになっており、社会が現状どおりに機能している限りにおいては、生活は保障されます。そのため、その他の職種に属する知識や技術に関して全くの無知無経験でも、なんの不自由もなく生きていくことができます。これは、社会の一員として専門とする単一の業務にのみ従事していれば社会生活が保障される「シングルタスク」型の仕組みです。<br><br> しかし、利用できるサービスの種類が限られ、質の高いサービスを受けにくい田舎では、家屋などのインフラ整備やメンテナンスに関する大小様々な問題を、自分自身で処理しなくてはならない場面にしばしば遭遇します。実際、そうしないと田舎での生活は不便きわまりなく、結局、その不便さに嫌気がさして田舎での生活をさっさと諦めてしまうことになりかねません。<br><br> しかしながら、様々な分野で起こる全ての問題の対処法を事前に学び準備しておくことは難しいので、問題に直面するごとに、不便を感じながら実践と試行錯誤を通じてその対処法を学ぶことになります。そうしているうちに、都会ではそれぞれが専門化した一つの職業として成り立っているような様々な分野での実務の知識と技術の概要を、おぼろげながらも理解できるようになり、様々な状況への適応能力が鍛えられます。その結果、都会の「シングルタスク型」の生活に特徴的な「他者の知識と技術への高度な依存状態」から、生活の様々なニーズの多くの部分を自分自信で満たすことができる「マルチタスク型」へと転換が可能になります。これには、意識的努力、忍耐、時間と労力の投資、それに失敗の苦しみなどの精神的葛藤を伴いますが、その見返りとしては、自立した生命体として生きてゆく能力が向上し、生きることに関する深い自信を腹の底や脳髄の奥から感じられるようになります。<br><br> 都会では、本業が忙しい時に、やったこともないような水道管の修理や屋根の修理を自分でやってみようと考えることは稀です。そもそも、そんなことをする時間的ゆとりも労力もないし、普通は道具だって持っていません。本業で稼いだお金を使って、業者に依頼して問題解決をしてもらうのが最も賢い選択です。何が起きても、本業が収入をもたらしてくれている限りにおいては、それに専念していれば業者を雇える金があるので、全く問題ありません。<br><br> しかし、田舎では、サービスの提供を必要な時に受けられる保障もありませんし、そもそも、本業が大きな収入に結びついていないことも多く、業者を雇う金銭的なゆとりのない場合も多々あります。これは、とても不便な状況ではありますが、必要は発明の母とも言われるように、シングルタスク型生活からマルチタスク型へと転換するプレッシャーとしては、むしろ望ましい状況です。DIYで様々な課題を自力で解決する努力をしばらく続けていると、いろんな分野での問題解決能力が鍛えられ、対応力も作業効率も向上しますから、結果として生活での出費を節約することにもつながります。<br><br> マルチタスク型の生活で様々な仕事を経験すると、何事においても楽で簡単な職業などなく、特に一流のレベルまでマスターするとなると、その難しさを身にしみて理解できるようになりますから、分野に関わりなく顧客のために常に間違いのない仕事を提供するプロとしてビジネスを成り立たせる専門家を、心から尊敬するようになります。しかし同時に、自分自身のニーズをなんとか満たす程度のサービスを提供できるレベルに達することは、実はそれほど難しくないことも分かってきます。もし失敗したら、後から直せばいいし、不完全でも、後でフォローアップし、そういう試行錯誤をしているうちに、ある程度の仕事はできるようになってくるものです。特に、現代はネットで文書、写真、動画、イラストなど様々な形態の情報が瞬時に手に入りますから、意識的に情報収集し、それを注意深く実践に移すことで、実に多くのことを学ぶことが可能になっています。<br><br> このように、マルチタスク型の生活で、様々な仕事を少しずつでも経験してみると、「職業に貴賎はない」という真意がより深く理解されます。社会に必要なあらゆる職業の専門性の価値にランク付けをし、収入という単一の価値観で安易に人の価値を判断する現代社会の傾向は、シングルタスク型の生活をしているからこそ起きてくるのではないでしょうか。このような気づきを得ることで、田舎の移住に伴う収入減と社会的ステイタスを失うことに「都落ち」という悪いイメージを抱いてしまう都会的な価値観から解放され、田舎での生活の本当の価値を実感できるようになります。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/01/musiclife-in-nature/8b/26/j/o2116164214860685432.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/01/musiclife-in-nature/8b/26/j/o2116164214860685432.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="326" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/01/musiclife-in-nature/59/e5/j/o1691225414860685626.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201203/01/musiclife-in-nature/59/e5/j/o1691225414860685626.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6488213
2020-11-29T18:28:07-08:00
2020-11-29T19:00:11-08:00
田舎での自給自足ービデオ2
<p>連載中の田舎暮らしのための意識改革の参考資料として、ぴおちゃんねるよりビデオリンクです。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/DAnVt85qJ3s" width="608"></iframe></p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6487570
2020-11-28T09:27:28-08:00
2020-11-28T11:15:25-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革−(1)自己責任による心身の健康管理
<p> 古佐小ファームでは、農業分野での自給自足だけでなく、生活に必要な物品やサービスをできるだけ持続的に自給できる「持続可能性の高いライフスタイル」を目標にして、能力開発と環境整備を行っています。そのために、まず最も重要なことは、自分自身が持続可能であるということです。つまり、活動の主体である自分自身が、健康で高い生産性を継続的に維持できる状態にあるということです。それがないことには、持続可能性の高いライフスタイルを築くことなど不可能です。<br><br> ということで、最初の提言は健康に関するものです。<br> <br> とにかく、健康で、元気に活動することができ、日々自分が成長し続けているという実感があれば、どこでどのように暮らしていても、生きる希望と喜びを感じることができます。逆に、健康が損なわれたら、健康の回復という急務のために活動が大きく制限されてしまいます。特に肉体系の労働の多い田舎では、長期の闘病は死活問題ともなりかねません。慢性的な疾病による医療への過度の依存がある場合も、医療サービスを受けることが難しい田舎に暮らすことには、不便さとともに命のリスクも伴います。<br><br> 仕事での生産性と効率性を得るために健康をかえりみず働きまくり、その結果病気にかかり、それを医療によって後付けで解決しようとする都会型の健康維持のサイクルも、先進的な医療リソースから離れた田舎においては成り立ちません。<br><br> 田舎に暮らすにあたっては、まず、心身の健康管理の責任者は、あくまでも自分自身であるということを意識し、健康管理と健康増進の方法を積極的に学び、できるだけ医療者などの第三者に依存しないで健康を維持/増進できることを目標にすることをお勧めします。<br><br> そのような意識を明確に持っていなくても、田舎に移住することで自然と健康状態が改善することはあり得ます。例えば、都会生活から田舎での自給自足を目指すファームでの生活へのシフト段階の数年間は、普通に生活しているだけでも毎日が学びの連続で、体力、知力、感覚、感情の能力をフル活動させることになります。そのため、人の持つ能力を総合的にバランス良く向上させる生活スタイルを自動的に実践することになりますから、これだけでも十分に健康増進の効果はあると思います。できることなら、そこからさらに踏み込んで、心身の能力を最大限に引き出す効果があると思われる身体活動、精神活動、生活習慣を取り入れ、自分自身を実験材料として様々なメソッドの成果を検証し、この作業を積み重ねることで、自分にとって実践可能で健康増進と能力開発の効果の高い生活メニューをカスタムメイドで構築していくという目的意識を持ちたいものです。<br><br> 具体的には、からだ・こころに関する基礎的知識や健康的な食生活などの知識を学び、軽度の体調不良に対処できる民間療法的な診断法と治療法、ヨガや体操などのひとりで行える健康増進や能力開発のメソッドなどをいろいろと試してみて、自分の個性と目的に合うオリジナルの健康メニューを徐々に形作っていきます。内容は何であれ、健康管理と健康増進を他人任せにせず、予防と健康増進を軸に病にならない生活スタイルを見出し、日常のさまざまな活動(中には面倒でやりたくないことも多々ありますが)を能力開発の機会とポジティブに捉えて、楽しみながら実践することが大切です。<br><br> なんだか大変そうだな、とお感じになるかもしれませんが、人間以外の動物は、健康管理は自分でやってますから、人間にも本能的にそれを行う機能が備わっていると考えるのが妥当です。ただ、便利で快適な生活の中でいつでも高度な医療サービスを受けられる状況にあると、その能力をあまり使わなくても生きていけますから、その本能もかなりホコリをかぶってしまっています。意識的に自分のこころ・からだの声に耳を傾けることを習慣づけ、時間をかけて少しずつホコリを落として行く必要があります。<br> <br> 自分の心・体のことを良く知る、健康を増進する、能力を開発するということは、いわゆる「人間力」の向上を意味しますから、人生を豊かにすることにも直結します。自分の場合には、本業である音楽の探求に必要な基礎的能力は、音楽活動を通じて養われるだけでなく、何気ない日常生活の細々とした活動の中で培われています。退屈で単純な肉体労働でも、なんらかの能力開発のトレーニングとして取り組めば、退屈ではなくなります。例えば、土をシャベルで掘るという単純作業でも、できるだけ少ないエネルギーを使って体を動かす練習、効率の良い手順を見出す練習、あえて利き側ではない手足を使う練習として取り組めば、無限のチャレンジの余地のある面白い課題になります。そのようにあらゆる日常生活動作を興味深い課題として取り組んでいるうちに、より繊細な身体のコントロール力、効率の良い呼吸法、筋力と持久力の増強などによって、運動能力の向上とケガをしにくい肉体を得ることができます。 <br><br> 農業を生活の一部に取り入れると、適度の運動と知的活動を含む農作業に従事することになるので、健康増進に役立ち、新鮮で加工度の低い安全性の高い食品を自給できるので、食生活も改善できます。しかも、多くの場合農地は豊かな自然に囲まれたゆとりのある環境であることが多く、心身の健康にとっても良い条件がもたらされます。また、自然を相手にしていると、原因と結果の関係は長期的視点でしか見えないことが多く、自然への介入では思い通りにいかないことのが多いため、細々としたことで動揺しない忍耐力と寛容さという精神力も培われます。<br><br> このように、田舎の利点を生かして、自らの生活を実験フィールドとし、健康的なライフスタイルを模索するということは、現代社会の抱える健康問題を解決する道を実践研究を通じて見出すという社会的意義もあるのです。実際に筆者は、持続可能ファームでの生活から健康関連因子を抽出する研究に取り組み、学会や医学系の研究会にも参加し、新しいライフスタイルの提唱のための準備を進めております。<br><br> 田舎への移住を、先端医療リソースから離れた悲惨な場所に都落ちするというイメージではなく、自発的な健康管理と健康増進、能力開発を実践するためにより適した環境に移住するというイメージで捉え、田舎のメリットを存分に活用してもらいたいと思います。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/3a/cd/j/o1936193614744812635.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/3a/cd/j/o1936193614744812635.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="420" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/24/b5/j/o1936259214735641421.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/24/b5/j/o1936259214735641421.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6486237
2020-11-26T07:57:50-08:00
2020-11-26T09:15:42-08:00
田舎での自給自足ー1(ビデオ)
<p>連載シリーズの参考資料として、ファームでの生活を紹介するビデオリンクをどうぞ。</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/GwMsU2BEH4s" width="608"></iframe></p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6485539
2020-11-25T10:00:37-08:00
2020-11-25T10:30:20-08:00
(連載)田舎暮らしのための意識改革ー前書き
<p> COVID-19の国際的なパンデミックに伴い、人口が密集し感染のリスクが大きな都会では、大幅な生活行動の制限が強いられています。そのような中、人口密度が低く、人の移動が少なく、食料や水などを地産地消で自給できる可能性が高い田舎での生活が見直されています。しかし、都会生活しか経験していない方にとっては、田舎での生活でのメリットとデメリットを具体的にイメージすることは難しく、実際に移住ということになると、二の足を踏んでしまう方がほとんどだと思います。<br><br> アメリカのカリフォルニア州の内陸部、シエラネバダ山脈山麓の町から50キロほど離れた田舎に暮らしてみて、都会から田舎への移住を実りあるものにするためには、収入源の確保や生活環境の整備もさることながら、意識の改革が最も大切だと感じています。都会生活での価値観を田舎での生活に持ち込むなら、すぐに失望と挫折を味わうことになってしまうからです。<br><br> 本ブログでは、都会から田舎への移住を成功させるために必要な意識改革をテーマに、10回にわたって連載いたします。<br><br><span style="font-weight:bold;">本連載の概要</span><br><br> 長年都会で暮らしていると、田舎での生活に憧れを感じるものです。きれいな空気、青々とした木々、爽やかな風、満点の星、静けさ、鳥の声、風の音、美味しい水と食べ物…。しかし、現実面では不安や心配の種もたくさんあります。<br><br> 田舎には、すぐに現金収入に繋がる仕事は少ないのでは?<br><br> ちゃんと食っていけるのだろうか?<br><br> 農林水産業の仕事はあるとしても、全くの素人がこの年になってから始められるんだろうか?<br><br> 病院や学校はあるのか?<br><br> スーパーやコンビニはあるのか?<br><br> そんなことをあれこれ考え始めると、「やっぱり非現実的なことだよな」と諦めて、田舎暮らしを人生の選択肢から消去してしまう。それはそれで、一つの賢明な選択です。事実、誰もが田舎での生活に向いているとは限りません。これは同時に、誰もが都会での生活に向いているとは限らないことを示唆しています。人間は、環境に柔軟に適応できるため、都会でも田舎でも、それなりに順応して暮らせるのですが、仮に人類の半分が本質的には「都会派」、残りの半分が「田舎派」であるという大雑把な前提で考えるならば、大部分の人口が都市に集中している現状では、本来は田舎暮らしが本質に合っていながら、それに反して都会で暮らしている人口がかなり多いと推察されます。そのように考えると、流通、種々のサービス、医療のケア、娯楽などの全てが充実している都市環境で生活しているにも関わらず、都市生活者の多くが過度のストレスを感じ、不健康な生活習慣に陥り、心身の健康問題は無くなるどころか多様化しているという奇妙な状況も、説明がつきます。<br><br> 現代の都会生活を取り巻く環境は、生来の「都会派」にとってもメリットをデメリットが上回り、すでに適応の限界を超えつつあるようにも見えます。コスト高の住居、高い物価、犯罪の危機、公害、衛生の問題、子育て環境の悪化や保育所不足、物や情報は溢れかえっているのに本当の豊かさを感じられないライフスタイル、通勤ラッシュや交通渋滞、災害への脆弱性、水や食物の安全性の問題、核家族化による高齢者の孤立、高い生活費を稼ぐために過剰労働をせざるを得ない状況、人口過密している中での孤独感、それらに加え今回のCOVID-19のパンデミックで直面した感染症の危険など、枚挙にはいとまがありません。<br><br> これらの社会問題のなかでも、住宅コスト、犯罪、公害、衛生、子育て環境、渋滞やラッシュなどの人口過密に伴う問題は、生来の「田舎派」が都市から田舎へと生活の場を移し、都市部での過度の人口密集が軽減されれば、かなりの部分で解決されると考えられます。また、食品の安全性や健康問題の多くに関しても、田舎では、行政や社会全体の取り組みに期待するだけでなく、自給自足、地産地消など、個人と小規模コミュニティーの努力で問題に直接取り組むという選択肢もあります。<br><br> さりながら、都会から田舎に暮らしを移行することは、決して簡単なことではありません。<br><br> そもそも、若者が都会に出て行くのは、都会には、収入が高くてやりがいがある(かっこ良く見える)仕事がたくさんあり、かっこいい場所でオシャレな時間を過ごせる可能性が高いと思えるからです。あるいは、大都会でなくては学べない学問や芸術的技能もありますから、文化的な理由で移住をする方も多いでしょう。このことは、裏を返せば、田舎では、多くの仕事が収入の低いかっこ悪い仕事で、オシャレな場所も文化的な活動も少ないという認識が広く社会で共有されているということになります。<br><br>「かっこいい」「オシャレ」という点に関しては、本人の主観的な認識次第なので、必ずしも都会に軍配は上がりませんが、収入や文化活動に関しては、確かに都会の方が充実しています。そのため田舎では、どのように十分な現金収入と文化的な経験を充実させるかということは、大きな課題です。人口が密集していることで成り立っているサービス業に従事している場合には、田舎への移住に伴って農林水産業などの全く新しい職業に転職しなければならない可能性が高くなります。また、都会での職業を田舎で継続できる場合でも、現金の総量の小さな田舎のコミュニティーでサービスを提供するとなると、減収は覚悟しなくてはなりません。それに加え、人里離れた山奥で暮らす場合には、都会生活ではすでに存在していて当たり前の水道、ガス、道路、家屋、電気、通信などインフラの敷設と管理も自己責任で行う部分が大きくなりますから、収入に結びつく仕事以外にも、これまでやったことのないような様々な作業を自分でやらなくてはならない状況も多くなります。<br><br> そして、田舎への移住には「田舎に引っ込む」というネガティブな連想がつきまとっていて、自分の社会的存在意義が著しく失われるのではないかという恐れと不安も伴います。人生の敗残者、負け犬、厳しい社会からの逃亡者など、まさに「都落ち」の悪いイメージを自分自身に与えて、自己嫌悪、自信喪失に陥ってしまうかもしれません。これらは、当人の気持ち次第で克服できるのですが、都市生活での成功を目指して多くの時間と労力をかけて努力してきたものにとっては、気持ちを切り替えるのはなかなかに困難です。<br><br> 筆者は、四国最大の都市松山に生まれ、高校卒業後は大都会東京に移り住み、東京大学医学部保健学科に進学し卒業後は東京大学医学部附属病院で看護師として勤務をし、その後アメリカに渡って音楽家という大都会向けの職業に従事しつつ、サンフランシスコなどの大都会からはおよそ240キロ、小さな町からも50キロ以上離れている田舎で、音楽制作と並行してファームの開発と自給自足の生活スタイルを目指して実験的な生活を実践をしています。<br><br> この試論では、自らの経験から「田舎で暮らす」ということの現実を見据え、物質面と精神面の両方で豊かさを感じながら田舎で生活するために役に立つ意識改革を10の提言という形でまとめております。アメリカでの経験からの提言ですので、新規入植者と閉じられた地方の村社会での伝統や風習との対立、微妙で繊細な人間関係など、日本特有の問題に関しての提言は含まれておりません。これらのテーマに関しては、今後の研究の課題としております。この試論が都会から田舎への移住を考えているみなさんの一助になれば幸いです。<br><br><span style="font-weight:bold;">試論:田舎暮らしのための意識改革ー目次</span><br><br>提言1:他人任せではなく自己責任による心身の健康管理<br>提言2:シングルタスク型の生活からマルチタスク型の生活へ<br>提言3:お金による投資から知恵と労働による投資へ<br>提言4:金銭的報酬から精神的報酬へ<br>提言5:インフラはブラックボックスではなく知っておくべきもの<br>提言6:知識の蓄積でなく直感と感覚を用いる経験的学習<br>提言7:自分自身を知る<br>提言8:時計ではなく自然に沿った生活リズム<br>提言9:自然と文明の乖離ではなく健全な融合<br>提言10:雅(みやび)から雛(ひなび)の風流へ<br> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200522/23/musiclife-in-nature/1b/cd/j/o4032302414762724341.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200522/23/musiclife-in-nature/1b/cd/j/o4032302414762724341.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="315" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/f4/1d/j/o2592193614772023411.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/f4/1d/j/o2592193614772023411.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a></p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6482304
2020-11-20T09:39:21-08:00
2020-11-20T12:00:22-08:00
今回のアメリカ大統領選挙にみるアメリカ人の気質
<p><span style="font-weight:bold;">今回の選挙の特徴は、国を2分するような意見の対立。</span><br><br>そもそも、なんでトランプはそれほど人気があるのか?<br><br>下品で乱暴な印象が強烈なトランプ大統領は、日本人の感覚としては、国民の代表としての大統領にあるべき品格を欠いている人物と感じられ、上品で政治家としての節度が感じられるバイデン氏の方がより大統領にふさわしいと思われるが、実際には、今回の選挙で現時点の集計では47%以上の支持を得て、得票数ではバイデン氏と共にアメリカ大統領選挙の記録を塗り替える得票数を得ている。つまり、トランプ氏は、実際に人気がある。<br><br> 熱烈なトランプ支持者のメンタリティーは日本人には理解しにくいところはあるかもしれない。以下に、トランプ氏が多くのアメリカ人好かれるポイントをまとめてみた。<br><br>1)暴言、失言、事実に基づかない発言、ハッタリ、悪口など、政治家にあるまじき態度。<br> 言いにくいことをはっきりと言う小気味の良さ。元々、リアリティーショーのホストとして、歯に衣着せぬ物言いが人気だったタレントとしての側面もあるので、暴言や失言自体が売りになっている。暴言で有名だったハマコーさんが人気があったのとちょっと似ているかも。<br><br>2)「自分は政治家ではない」というスタンス<br> 政治家の長たる大統領が、政治家ではないということを豪語するのは、ほとんど能力の欠如を開き直っているような態度ではあるが、「自分は一般のあなたたちと同じである」ということ自体を売りにして、普通政治家だったら言わないような下品な表現や強引な手段を使うことで、むしろ支持者を喜ばしている。<br><br> ただその反面、実際に大統領としての手腕や実績にに関係なく、ただひたすら生理的にトランプ嫌いという負の反応も呼び起こしてしまうため、熱狂的なトランプファンと、熱狂的なアンチトランプを生み出している。このことも、今回の選挙で国を二分するような対立を生んだ要因と考えられる。<br><br>3)これまで、白黒はっきりさせてこなかったことをはっきりさせる。<br><br>4)やり方や内容はともかく、行ったことをやるない印象。<br> 無茶苦茶のように見えても、公約として約束したことはやる。イスラエルでのエルサレムの首都認定、自国に不利な貿易協定からの脱退などアメリカファーストの実践、拡張圧力を強める中国への厳しい外交姿勢などなど。中国に対しては、トランプ政権以前から、粗悪な中国製品の席巻、中国の国力拡大に関しては、危機感を抱いているアメリカ人は多かった。ビジネスパートナーとしての関係を重視し、国策として中国リスクをうやむやにしてしまっていたことに対する政治不信もあった。<br><br>5)わかりやすいメッセージ。<br> ツイッターを多用して、短くて平易な表現でメッセージを出すことで、自ずと多くの関心を惹きつけている。ただし、メッセージをわかりやすくすることで内容は雑になり、事実と反するようなことも言ってしまうことが多いが、それもトランプさんらしいキャラクターの一部として許されてしまうため、ファンを喜ばす有効な手段になっている。ただし、アンチトランプからすると、突っ込みどころは満載なので、諸刃の剣とも言える。<br><br>6)逞しくて強いイメージ<br> コロナにかかったのにすぐに元気になて出てきたこと、勢力的に国中を飛び回りラリーを行い、しょっちゅうゴルフをしている姿を見せて、強さを感じさせる。アメリカはカウボーイの国なので、強さ、たくましさというのは魅力として捉えられる。<br><br>7)オバマ政権の劇的な誕生以前から、一般国民がずっと不満に感じている社会的の構造的な問題をうまく汲み取って、それに厳しく対峙する大統領、一般民衆の味方という立ち位置で登場した。<br><br>トランプ大統領は、政治の外の世界から乱入し、偏向した報道機関(フェイクニュース)、超巨大企業のカネの力によって支配されるワシントンの政治家や官僚システム、国家間の付き合いにおいて、国家としての価値観や理念を共有するという視点ではなく、近視眼的な投資によるビジネスチャンスの有無を優先させ、国家全体としての強靭性や繁栄を軽視する姿勢、既得権益を守り自分たちの利益のために政治を行う政治家や官僚、国内での著しい貧富の差と機会の不平等(人種差別問題とも関連)などの諸悪に対決するという構図で登場し支持を得た。<br> <br> このように、既製の仕組みをぶっ壊すというスタンスで支持を得たトランプ政権だけに、その敵とみなされた勢力とは真っ向から対立する流れは避けられず、それがこの選挙でも如実に現れたと思われる。<br><br> <span style="font-weight:bold;">普段から、銃規制や同性愛結婚などに関して、世論が真っ二つに分かれることが多いアメリカ。</span></p><p> </p><p> 大都市生活者はほとんどリベラルで、田舎に行くと保守が圧倒的に強いという特徴がある。アメリカでは、同じ州であっても都市生活者と田舎生活者のライフスタイルの違い、価値観の違い、人生経験の違いが著しく、また州による違いも大きく、人種、出身の文化圏、宗教によってもさらに多くの違いがある。そのため、意見の違いは、彼らの現実に体験している世界の違い、そこから生み出される価値観の違いを反映しているため、議論をしても決して同意できない大きな溝があるように思える。<br> <br> 例えば、現代日本人、特に都市で生活する日本人は、国民が武装をする権利を頑なに主張するアメリカ人の気持ちを理解できないと思う。そこには、アメリカの開拓精神、独立精神、個人主義の側面が反映されている。<br><br> 大都市でなく、面積ではアメリカの大部分を占める農業地域や小都市周辺に暮らしていると、野生動物の脅威、警察による犯罪抑止が十分に効かない環境にあるため「自分自身と家族は、自分の手で守る。銃規制には反対。」という保守派が主流となる。その一方で、大都市周辺に生活していると、個人が武装をすることのメリットよりもデメリットの方が大きくなるため、「安全な社会を実現できる仕組みや制度を重視し、銃規制すべし」というリベラル派が主流となる。<br><br> 基本、保守派は「俺はお前の邪魔をしない。お前も俺の邪魔をするな」という価値観が根っこにあり、この自由を皆が行使できるための環境を保証するのが政府の仕事という考え方なので、いわゆる小さな政府という方向性を支持する。共同体の観念が深く根付いている日本のような社会ではこのような考え方は理解し難いが、開拓民が文字通り自力で生活を築いてきたアメリカでは、田舎で誰の手も借りずの厳しい自然環境と闘いながら開拓をしてようやく生活を立ち上げたと思ったら、政府が割り込んできて色々と難癖をつけるというような構図もあったため、このような価値観がに強く残っていると考えられる。<br><br> 今回の選挙では、ネットで情報をとることのメリットとデメリットもはっきりと顕れたように思う。<br><br> 大都市を基盤にする大手メディアがリベラルに傾倒していることにフラストレーションを感じている有権者は多く、その反動としてネットでは保守系のメディアもたくさん出てきている。しかし、左右に極端に傾いた情報、事実かどうか怪しい情報も溢れ、玉石混合で何が真実で何がウソなのか、客観的に判断することは難しい。また、ソーシャルネットワークやネット検索のアルゴリズムのために、自分の傾倒しているイデオロギーに寄った情報と遭遇する機会が多くなるため、ある意味、どんなものでも信じたいものを信じれば、それをを裏付ける情報や共感する仲間を探すことができる。こうなると、そこに偏った情報と空気感の中で自分の見解と意見を熟成させ続けることになるので、それに対立する見解をじっくり検証したり、冷静に論理的な議論から正当な解答を見出すことは難しくなる。その結果、意見の極端に対立する勢力にくっきりと分かれる可能性が大きくなる。<br><br> 若い世代に、意見の対立する相手に対し、お互いの立場を尊重しながら冷静に議論をするという辛抱強さが欠けていると感じられるのは、このようなネット空間での世論構築にも一因があるのかもしれない。<br><br> <span style="font-weight:bold;">ではこの二つに割れた国論をどうまとめて大統領を決めるのか?</span><br><br> 1860年の南北戦争、キング牧師が活躍した1960年代の公民権運動の時代の世論を二分した対立を見ると、アメリカ人の気質として、真っ向から対立する意見に分かれた場合、日本のように妥協点を見出して談合して中間点を決めるというのではなく、まずは問題意識の高い人々が敵対陣営に分かれてボコボコに殴り合いをして、お互いに傷つきあって、社会全体としても悲惨な状況になってくると、それまで無関心/中立の立場にあった多数派の国民にも問題意識が波及し、世の中が動くというケースが多いようである。<br><br> 投票はすでに締め切られて、選挙結果の出ている州もあり、バイデン氏当確としているメディアがほとんである中で、トランプ大統領が敗北宣言をせず、選挙での不正が行われたことを主張し、公正な投票のカウントを要求している。それに対して、日米の主要メディアは「往生際が悪い」「みっともない」という批判をするが、アメリカの大統領選挙の仕組みの中に、投票結果に不服がある場合には、司法によってその正当性を検証するプロセスが正当な解決策として組み込まれていて、票数カウント、選挙人投票の期限も投票日から1ヶ月以上先までの猶予が設けられているのだから、ほぼ半数に近い支持を得た大統領の支持者の多くが投票の正当性に疑問を抱いているのであれば、そのルールの範囲内でしっかりと真実を評価し、司法の場ではっきりと決着をつけた方が良いと思う。<br><br> そこをはっきりとさせないままに政権交代をしてしまうと、アメリカ人の気質からして、そのあとで暴力に訴えた争いが起こることにつながる可能性もあるのではないか。トランプ支持者の多くは、(もちろん極端なトランプ信者もいるが)、何がなんでもトランプでなければイヤだということではなく、正当な選挙の結果でトランプが負けたということであれば、それは受け入れるという姿勢を持っている。不正を検証した場合に、不正が出てくるのはバイデンサイドだけでなく、トランプサイドである場合もあり、三権分立で司法の独立性が維持されているアメリカなので、司法のプロセスを経ることは非常に理にかなった決着の方法にも思える。<br><br> 選挙で決着がつかなかったら、議会での投票という具合に、アメリカ的に対立が激化してどうにもこうにも決まらない場合の解決策も数段階準備されているので、これからどこまで行くのかはわからないが、暴力ではなく、制度の中で保守、リベラル共に納得するまでとことんやりあうのが、いかにもアメリカ的で、これがアメリカがアメリカたる所以なのかなと思う。</p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6481060
2020-11-18T20:06:11-08:00
2020-11-18T23:30:20-08:00
アメリカ大統領選挙について。
<p>時事ネタですから、書く手間を節約して動画にしてみました。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/Sihf_sIIWV4" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6473177
2020-11-08T22:07:34-08:00
2020-11-08T23:30:10-08:00
新アルバム アメリカでリリースしました。
<p> <span style="font-size:1.4em;">去る10月20日、自分のリーダーバンド, KoMaGa Trioの新作アルバム"Foxing Hour"をリリースいたしました。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">世界トップレベルのアーティストを起用した画期的なジャズハープのアルバムです。</span></p><p> </p><p> 現在、日本でのリリースに向けて準備中で、早ければ1月27日には日本国内の流通でもリリースできる予定です。</p><p>アメリカのサイトからは、視聴+ダウンロード可能です。</p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://komagatrio.bandcamp.com/album/foxing-hour" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Foxing Hour, by KoMaGa Trio</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">8 track album</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">komagatrio.bandcamp.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://f4.bcbits.com/img/a0009174046_5.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://komagatrio.com/music" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">KoMaGa Trio - Music</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">KoMaGa Trio music. Foxing Hour</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">komagatrio.com</span></span></span></a></article></div><p> </p><p> </p><p> iTuneからもダウンロードできますよ。</p><p> </p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">日本でのCDの宣伝文句はこんな感じです。</span></p><p> </p><p> 「世界のジャズハープを牽引する日本人ハーピスト、古佐小基史のリーダーバンド、KoMaGa Trioによる初アルバム。フレットレス・ベースの鬼才として80年代から活躍を続けるマイケル・マンリング、ロックドラムからインド伝統音楽のタブラまであらゆる打楽器をマスターした本格派パーカッショニスト、クリス・ガルシアを起用し、ハープ独特の幻想的な美しさと即興演奏のスリルを兼ね備えたオリジナル曲でジャズの新境地を開く話題作。」</p><p> </p><p><span style="font-weight:bold;">バンドメンバーのプロフィール</span></p><p> </p><p>古佐小基史(こさこもとし):ハーピスト、作曲家、即興演奏家<br><br> 1971年、愛媛県松山市生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州在住。東京大学医学部保健学科卒業後、同付属病院精神神経科に看護士として勤務、1997年に渡米する。<br> <br> 幼少よりピアノ、トランペット、ロックギター、ジャズギターを演奏し、渡米後は独学でハープを習得し、2006年のストックトンシンフォニー(カリフォルア) 主席ハーピストに就任から2010年の引退まで、クラシックハーピストとして活躍する。<br><br> 2007年には、国際ジャズ&ポップハープコンクールで準優勝を果たし、2008年より本格的にジャズハーピストとしての活動を開始。日米を中心に、ブラジル、オーストラリア、カナダでもコンサート、ワークショップ、講演会、テレビへの音楽提供など、幅広い音楽活動を展開。ソロ演奏に加え、グラミー賞受賞アーティスト、ポール・マキャンドレス氏(オーボエ、イングリッシュホーン、ソプラノサックス、バスクラリネット)など、トップ・アーティストを起用し、オリジナル曲を中心としたアンサンブル活動も行い、ソロ、アンサンブルで自身のリーダーアルバムを11枚リリースしている。<br><br>Michael Manring(マイケル・マンリング):エレクトリック・フレットレス・ベース<br><br> 30年にわたってベースギターの新たな可能性を追求し続けるマイケル・マンリングは、その卓越したテクニックと独自性だけでなく、深く心の琴線に触れる高い音楽性で、孤高のベーシストとして注目され続けている。バークリー音楽院在学中からプロ活動を開始し、その後ベーシスト、ジャコ・パストリアスに師事し、彼のコンセプトを引き継ぎ様々な変則チューニングと独自の演奏方法を開発し、これまでにカーネギーホールを含む世界の名だたるコンサートホールでの演奏と数百に及ぶレコーディングに参加する。アコースティックギターの天才マイケル・ヘッジズのパートナーとして、またソロベーシストとしてウインダムヒル・レーベル時代から数多くの名アルバムをリリースしている。<br><br> 2枚のゴールドレコード、グラミー賞へのノミネート、バークリー音楽院からの表彰、ベースプレイヤー誌の人気投票でも常に上位に名を連ね、1994年にはその年のベスト・ベーシストに選ばれている。YouTubeでのソロ演奏のビデオの再生回数は100万回を超え、世代を超えて多くの音楽ファンに新鮮な驚きを与え続け、2020年にも新しいソロアルバムをリリース、ベース・ミュージシャン誌の表紙を飾る。<br><br><br>Chris Garcia(クリス・ガルシア):タブラ、パーカッション<br><br> 演奏家、作曲家、教育者として活躍するクリス・ガルシアは、これまでに世界28カ国でドラムセット、古典インド音楽、メキシコを中心とする中央アメリカ伝統的打楽器の奏者として演奏活動を展開している。ドラムセット、各種パーカッション、インドのタブラを巧みに組み合わせた豊かな音色と様々なリズム様式に精通した演奏スタイルで、世界各国のクラシック、ジャズ、ロック、ワールドミュージックのアンサンブルに演奏家/作曲家として参加し、高い評価を得ている。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201109/14/musiclife-in-nature/3a/5a/j/o1727149714848426693.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201109/14/musiclife-in-nature/3a/5a/j/o1727149714848426693.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="364" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201109/14/musiclife-in-nature/e2/23/j/o1611155414848426895.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201109/14/musiclife-in-nature/e2/23/j/o1611155414848426895.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="405" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201109/14/musiclife-in-nature/a4/0f/j/o1727149714848426732.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201109/14/musiclife-in-nature/a4/0f/j/o1727149714848426732.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="364" width="420" /></a></p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6467518
2020-10-31T11:00:08-07:00
2020-10-31T12:15:12-07:00
ご無沙汰してます…(近況報告)
<p> ブログはしばらく怠けておりましたが、クリエイターとしての活動は活発に続けておりましたので、近況をご報告させていただきます。</p><p> </p><p> 5月より始めた日本向けYouTubeのチャンネル「ぴおちゃんねる」でのビデオ製作や生ライブ配信、英語で配信しているYouTubeのMotoshi Kosakoチャンネルでのコンテンツ作りで忙しくしております。</p><p> 昨年結成したバンドKoMaGa Trioのウェブサイト、CDダウンロードのサイトも開設し、10月20日より新アルバム"Foxing Hour"をリリースしました。1月下旬には日本でもレコード店、アマゾンなどのネットショップで輸入盤として発売になる予定です。</p><p> </p><p> 11月に入ったら、文章を書く時間も見つけてブログも定期的にアップしたいとおもっております。引きつd吹きよろしくお願いいたします。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/12zRPXc-3Ew" width="488"></iframe></p><p> </p><p> </p><p><a href="https://www.youtube.com/channel/UCPGwhhkigLUrCYYM2X-tyGg" target="_blank">https://www.youtube.com/channel/UCPGwhhkigLUrCYYM2X-tyGg</a></p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://www.youtube.com/channel/UCPGwhhkigLUrCYYM2X-tyGg" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Place in Our Heart Channel‐ぴおちゃんねる‐</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">2017年にハーピスト・古佐小基史と俳優・佐藤靖朗で立ち上げた朗読劇Project。 2020年5月23日。Youtube公式チャンネルを立ち上げました。是非一度お立ち寄りください。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">www.youtube.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://yt3.ggpht.com/a/AATXAJykMNYCCLY3B6ANzyqXGQPV3f1-EL9UEuOonRCaaw=s900-c-k-c0x00ffffff-no-rj" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p><p><a href="https://www.youtube.com/user/MotoshiKosako" target="_blank">https://www.youtube.com/user/MotoshiKosako</a></p><p> </p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://www.youtube.com/user/MotoshiKosako" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">Motoshi Kosako</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">YouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" class="size_orig justify_inline border_" alt="リンク" height="20" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20" /></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">www.youtube.com</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img src="https://yt3.ggpht.com/a/AATXAJzse3KTLS8S1Qq4euRU6OTbJRi0LLQIeBrbVhXyzw=s900-c-k-c0x00ffffff-no-rj" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="120" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120" /></span></a></article></div><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6420352
2020-08-29T13:40:24-07:00
2020-08-29T16:15:13-07:00
戦争の抑止における良心の役割(2)
<p>(終戦の日、原爆投下など、戦争のことを考える機会の多い8月。戦争に関する過去の投稿を加筆修正して掲載しています。)</p><p> </p><p> 人類には、「環境へ適応し生き残るために、他の個体との共存せねばならない」という、生存のためには覆せない大前提が課せられています。そのため、本能的に共同体、生態系、自然環境など人類が属する「全体」との相対的な関係の中で、調和という最も最適な選択を判断できる知性の一つとして、「良心」という機能が発達したのではないでしょうか。</p><p> </p><p> 良心が考慮できる「全体」の規模は、良心の発達状態の程度によって、自分自身に関わることのみを考慮できる段階から、属する共同体全体のことを考慮できる段階、人類全体を考慮できる段階、人類が属する生態系全体を考慮できる段階、地球を考慮できる段階、太陽系を考慮できる段階、銀河系を考慮できる段階、宇宙全体を考慮できる段階まで拡張することが可能です。言うなれば、「生物としての生存本能」から、「すべてを包み込む神のごとく思慮深い愛」に至るまで、非常に幅の広い良心のバリエーションがあります。良心の発達の度合いには個人差があり、自分のことしか考慮できない利己的な個人もいれば、一方で人類全体への博愛のために命をかける個人もいます。</p><p> </p><p> 「良心」という言葉には、どことなく宗教的な響きがあり、「うさんくさい」とお感じになる方も多いと思います。また、学問でも、商業でも、ひいては芸術においてさえも、競争に勝ち残ることで名声や富などが獲得されるという成功モデルが一般的に流布している時代に、競争相手を含む全体のことを考慮して行動することに利を認めることは難しく、「良心」を子供染みた実務の役に立たないきれい事と片付け、実利をもたらしてくれる「ずる賢さ」や「戦略」こそが大人として身につけるべき知性であると考えてしまうのは無理のないことです。</p><p> </p><p> 実際に、国家間の外交交渉は、「外交戦争」と言われるほどに相手を出し抜くための腹黒いやり取りが当然ですし、商売でも、相手にとって一方的に都合の良い条件にならないように、お互いの取り分を主張する巧みな交渉による「せめぎ合い」が当然のプロセスになります。このような取引の場で、誠実さと正直さだけで交渉に望んだ場合は、相手に「ケツの皮までむしり取られても文句は言えない」ということになっています。</p><p> </p><p> さりながら、小規模な商売や小さな企業間の関係、家族や親しい友人との間では、誠実さと正直さに立脚した信頼関係が最も尊重されますから、個人と小さな集団の関係おいては、「良心」が発動していることに疑いはありません。ただ、その良心の発達度合いが「 直接関わりのある人間のみを考慮できる段階」と「 属する共同体のことを考慮できる段階」の中間程度の段階にあって、「 人類全体を考慮できる段階」まで到達していないため、組織や共同体の間では、競争原理が支配的になり、敵対的関係や紛争が起こっていると考えられます。そうなると、その上の段階である「 人類が属する生態系全体を考慮できる段階」までの道のりは遥かに遠く、現状で人類が環境問題に対してなす術無く右往左往していることも、また当然のことであります。</p><p> </p><p> 調和のとれた生存が地球規模で進行するには、人類の大部分が良心の進化の重要性を認め、各々が個人的なレベルで良心に従った生活を営む努力をすることが必要になります。</p><p> </p><p> しかし、全体からするとほんの一部の人類が「人類全体を考慮する良心」に沿った生き方を選択することができたとしても、圧倒的な多数を誇る腹黒い連中に食い物にされ、その良心的な個人、組織、共同体は抹消されてしまうかもしれません。また、短期間の間にすべての人間、組織、国家がそのような良心に目覚め、ある日突然に誠実さと正直さをベースにした関係で世の中が廻り始めるということも、ほとんどあり得ません。</p><p> </p><p> しかし、幸いなことに、個人レベルにおいては、良心は心がけ次第でいつでもどこでも発達させることが可能です。自然の中で野生動物の気配を感じたり、天候の変化する兆候を感じる能力は、それを感じようと意識していれば自ずと研ぎすまされてきます。良心も同様に、日頃からその声に従って言動をするように心がけていれば、自然と研ぎすまされてきます。</p><p> </p><p> また、良心には、それに触れる他者の良心を目覚めさせるという不思議な力があります。命賭けで人類全体のことを考慮した活動を誠実に行っている人物と接した時に、それをせせら笑ってバカにする方(もいるとは思いますが..)は、ほとんどいないでしょう。むしろ、そのような姿に感銘を受け、それと似たような良心の働きを自分自身の中にも呼び起こされ、場合によっては自らがそれに従って行動してしまうほどの影響を受けることもあります。</p><p> </p><p> このように考えると、多くの人間が個人的なレベルで今よりもほんの少し良心に従って生きることで、それらがお互いの良心を呼び起こしあい、指数関数的に社会全体の良心が増進し、ある時点を越えると、人類全体として一気に良心が次の段階に進化することも期待できます。</p><p> </p><p> 人類は、他の個体との恊働により生存の可能性を高めるという方向で進化してきたと言われています。この仮説に従うと、良心の進化こそが、人類の進化のカギであると言っても過言ではありません。現在、人類の良心は「属する共同体のことを考慮する」レベルには到達しており、複雑な社会構造のなかで分業と協調により生き延びています。しかし、自分の所属する共同体の存続のみに固執し、それぞれの共同体が相手のことを考慮しないで富を奪い合う戦争を選択することになった場合には、敵対する共同体を殲滅させるだではなく、人類全体の存続を危ぶむに十分なほどの破壊の手段を準備しています。一歩間違えば人類の存続が危うくなるというこの状況は、人類の平均的な良心の発達段階を「 属する共同体のことを考慮できる段階」から「人類全体を考慮できる段階」に進化させることを強要する「環境負荷」とも解釈できます。その意味で、人類はまさに存亡をかけた進化の岐路に立っていると言えます。このような危険な負荷を、良心の進化への動機付けの材料として昇華できるかどうか、そこに人類の未来がかかっているのかもしれません。</p><p> </p><p> しかしながら、現実を直視してみると、普通にお店で合法的に売買されている食品の安全性すら保証されていないという悲惨な状況にあり、良心はむしろ退化の一途をたどっているという気もします。今のところは、このような絶望的な状況ではありますが、もし良心が進化の方向に転じ「人類全体を考慮できる段階」の良心が人類全体の平均的な良心として獲得されたら、「 人類が属する生態系全体を考慮できる段階」に踏み出し、環境問題を克服できる可能性も見えて来ます。</p><p> </p><p> 最後に、道徳と良心の違いに触れておきたいと思います。</p><p> </p><p> 道徳は、人種や文化、宗教の違いによりその内容が異なるのに対し、良心は道徳として多様な形態をとる前の段階にある普遍的な「善」に向かう能力です。宗教や道徳感の違いにより、多くの戦争が起こってしまうわけですから、道徳的な立場からをいくら一生懸命に反戦を徹底しても、戦争の抑止にはつながりません。 また、このような外から与えられた道徳という価値基準にのみに従って判断していると、内なる良心の声を聞く能力は、むしろ衰えてしまいます。</p><p> </p><p> 一人一人がほんの少しずつでも良心に従って行動する機会を多くすることができたなら、戦争をはじめとする人類の抱える様々な問題の本質的な解決につながると信じています。</p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6419542
2020-08-28T07:55:49-07:00
2020-08-28T12:00:18-07:00
戦争の抑止における良心の役割(1)
<p>(終戦の日や原爆投下など、戦争のことを考える機会の多い8月。過去の戦争に関する記事に加筆修正して投稿しています)</p><p> </p><p> 中東、アフリカ、ロシア、中国の国境付近、朝鮮半島など、世界各所で紛争は止むことを知らず、こうしている瞬間にも世界各地で銃弾やミサイルが飛び交い、多くの生命が失われている状況にあって、どのような国家であっても、今後武力紛争に巻き込まれない保証など全くない、という厳しい現実を認識させられる時代になっています。日本周辺でも特定アジア諸国との間にきな臭い紛争の火種がくすぶり始めています。</p><p> </p><p> このような情勢の中、先の大戦を経験した世代の方が高齢となり、戦争の悲惨さを直接次の世代に伝える人材が少なくなったこと、また戦争を知らない世代がリーダーシップをとるようなったことなどを、世界的な紛争傾向の理由とする議論を耳にすることも多くなりました。確かに、戦争の悲惨さ、虚しさの実体験は、戦争抑止に大きな影響力を持っていると思われます。特に、その世代が社会的リーダーとしての役割をになっている間には、その抑止効果は非常に大きいと考えられます。</p><p> </p><p> しかし、もし戦争を直接経験することが、その世代が戦争に再び足を踏み入れないために不可欠な要素であるとすると、一つの戦争が終結してから数十年が経過し、戦争を経験した世代がこの世を去ってしまうと、戦争の抑止力が低下し、再び戦争が起こることは避けられません。そして、戦乱がおさまった後は、新たな戦争経験者という抑止力によりしばらくは戦争が避けられるけれども、その世代が死に絶えると、また戦争が起こるという具合に、戦争は数十年の周期で繰り返されるということになります。</p><p> </p><p> 歴史を振り返ってみると、実際に世界中の多くの地域でこのようなパターンが繰り返されていますから、「戦争経験者がその悲惨さを後世に伝える」というアプローチが、短期的に平和に貢献することはあるにしても、恒常的な抑止力にはならないことは、否めない事実のようです。平和を恒久的に維持するためには、戦争体験者がいなくなった後も、戦争を体験していない人間が体験者と同じくらいに、「戦争という行為が勝者にも敗者にも悔いを生む愚かな行為である」と腹の底から感じ続ける必要があります。しかし、実際にそのようなことが可能なのでしょうか?</p><p> </p><p> 殺し合いが人間関係の問題解決の良策ではないということを学ぶために、実際に殺人に関わる必要があるとすると、世の中の善人は皆殺人前科者ということになってしまいます。しかし、実際には、ほとんどの人が殺し合いによって問題解決をするなどという愚かな選択をしませんから、戦争を体験したり戦争体験者から直接学ぶという方法以外にも、戦争を避けようとする強い動機を一人一人の心の中に形成するための有効な手段はあると考えられます。</p><p> </p><p> 教育による啓蒙や社会道徳の確立は、一見有効な手段のように思えます。しかし、「戦争は悪いことだからしてはならない」「戦争は皆を苦しめることだからやってはいけない」というような戒律や道徳律を作ってそれを教育し、権威による圧力でそれを守ることを義務づけたとしても、それらが感情的な実感を伴わない社会規範であったなら、腹が満たされている時には虫も殺さぬ博愛主義者が、腹が減ると武力を振るう略奪主義者という具合に、御都合主義で豹変してしまっても不思議ではありません。例えば、日本で現在の生活レベルを維持するために必要な物資が国内で枯渇し、通商などの尋常な手段によって外国から入手することも困難となり、国民全体が生活レベルを著しく下げなければならないような事態に陥ったとします。その時に、もし自国よりも国力の小さな隣国がそれらの資源を豊富に持っているにもかかわらず、腹黒い政治的な駆け引きの中で気前よく分けてくれないとしたら、「我が国の存亡と国民の生活のため」という正義を掲げて、その国から力ずくで資源を奪うという行為をしないでいられるでしょうか?</p><p> </p><p> 情緒的なレベルで「戦争は悪いことだ」と感じるだけでは、戦争を避けることは不可能です。そのような情緒は、状況にあわせて変わってしまうからです。例えば、他国が明らかに侵略を企てていて、実際に他国民によって自分の家族が殺される、慈しんでいる故郷の風土が破壊される、占領国によって母国語の使用が禁じられ伝統文化が破壊される、占領民族との混血が強要されるなど、民族存亡の憂き目にあう可能性がある場合、情緒的には「戦争は良くないことだが、自分の愛するべきものを守るためには命をかけて戦うことはやむをえない」と感じるようになっても当然だと思えるのです。そうなると、結局敵対する双方ともがそれぞれに「正当な」理由を持って戦争に踏み込んでしまうことになります。</p><p> </p><p> 直接の戦争体験も、教育や道徳も、戦争の恒久的な抑止力としては決定力を欠くとすると、人類がいかなる状況に置いても疑いを持たずに戦争を避けるという選択ができるようになる可能性はあるのでしょうか?</p><p> </p><p> 戦争を抑止できる決定的な要素があるとすると、それは「良心」であると考えます。</p><p> </p><p>(後半に続く)</p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6417786
2020-08-26T08:30:21-07:00
2020-08-26T13:00:09-07:00
ハープソロコンサートビデオをYouTubeにて公開しました。
<p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/SVTFLb_VQcQ" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2020-08-22T08:10:04-07:00
2020-08-22T10:45:07-07:00
山火事の恐怖 全てを失う可能性
<p> 今週は、異常気象による落雷と暴風、それに熱波が重なり、カリフォルニアでは各所で火災が発生したため、ここにも灰がふり、煙で遮られた太陽が昼間でも夕焼けのように赤く染まっています。<br><br> 北カリフォルニアの内陸部は、夏から秋にかけて、毎日30度を超える猛暑で、しかも4−5ヶ月ほどは降水量がほぼゼロになりますので、例年山火事のリスクとは隣り合わせです。ここでも、それなりに火災予防はしていますが、6万坪の土地に毎年新しい潅木や草が生い茂ってくるので、完全に火事対策をすることは不可能ですし、東西の隣接地がジャングル状態で放置されているので、そこから火が回ってきたら、ここだけの防火対策では防ぎようがありません。<br><br> 数日前の夜中、南の窓から雨を伴わない稲妻で空がピカピカと点滅しているのが見えました。外に出てみたら、遠くでゴロゴロと地鳴りのような雷さんの太鼓の音。これは、落雷したら間違いなく火災が発生するやばいシナリオです。ヤバイとわかっていても、何もやれることはありません。ただ、「この近くに雷が落ちませんように」と祈るのみです。これだけ文明が発達した現代においても、雷に対しては完全に神頼み。地震、雷、火事、暴風、洪水、豪雨など、自然災害の前には、今も昔しも、人間は無力であることを痛感しました。<br><br> 雷に直接撃たれることはなくても、その火花でこの乾季に山火事になったら、火を消すことは難しく、消防隊は火が燃え広がる方角に先回りをして森林に防火帯を切ってそこで食い止めるという対応をせざるを得ません。特に風の強い時には、火の勢いの前に人間は無力です。<br><br> 実際に、この雷が原因で発生した火事で、親しい友人が家財を全て失いました。ここと同じく自給自足を目指す暮らしを長年かけて築いてきたご夫婦が、それを一瞬で失う恐ろしさ。全く他人事ではありません。山で自然に近い暮らしをすることで、自然の恵みに包まれていると同時に、自然の脅威という剣の切っ先が喉元に当たっている状態でもあることも、忘れてはいけません。<br><br> 都会に住んでいると、自然災害の被害をここほど直接的に受けることはないと思われますが、それでも事故、犯罪、病気の危険は、むしろ田舎よりも大きいわけですから、実は、都会・田舎に関わらず、どこに住んでいても、火事で家財を一夜にして失った友人のような状況と背中合わせで生きているのは、皆同じなのかもしれません。<br><br> 家財を失っても、命さえ助かれば、また一からやり直せる。そう自信を持って断言できるように、本当に大切なことの優先順位を間違わないように、悔いのない毎日を送りたいものです。<br><br> </p>
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2020-08-16T19:16:47-07:00
2020-08-16T23:45:18-07:00
戦線の兵士の想い
<p> </p><p> <span data-offset-key="ad86t-0-0"><span data-text="true">8月15日は、終戦の日であるとともに、ベトナム戦争の退役軍人である義父の誕生日でもあります。義父のことを思いつつ、終戦に想いを馳せながら、昨年、義父を訪ねてフロリダに旅行をした時に聞いた体験談を紹介いたします。</span></span></p><p> </p><p> 義父は、仕事の引退を機にオハイオの自宅を処分し、環境の良い故郷のフロリダで引退生活を送ることとなり、この数ヶ月前に引っ越しをしたばかりでしたので、戸棚の設置やちょっとした水道工事などを手伝いながら、昼間から夜まで酒飲みの義父に付き合ってビール(以前はウイスキーだったのですが…)を飲みながら過ごしました。妻にとっても、お父さんと長い時間を一緒に過ごす機会は貴重で、久しぶりの親子水入らずの時間を楽しむことが出来たようです。</p><p> </p><p> 義父は、ベトナム戦争の退役軍人で、アメリカ陸軍の強襲ヘリコプター部隊のパイロットでした。近年、ベトナム戦争の機密作戦に関しての情報も開示され、当時の状況を伝える様々な書籍も出版されていますが、義父も、当時は政府すらその存在を否認していた機密作戦、『ブラック・オペレーション』を遂行するSOGという特殊部隊に所属していて、「アメリカ軍は展開していないと」当時のアメリカ政府が国際社会に向かって断言していた地域での作戦にも参加していたそうです。SOGは、グリーン・ベレーなどを含む先鋭を集めた部隊と伝えられていますから、義父も、ヘリコプターパイロットとしては一流だったということになります。</p><p> </p><p> フロリダの新しい住居は、アメリカ海軍の所有地内にあり、周辺には軍の施設も多く、地域全体が基地の町といった雰囲気があるところです。そういう雰囲気が好きでここを選んだのかなと思ったら、陸軍の航空部隊に所属していた義父は、「海軍には逮捕されたことがあるので、あいつらは好きじゃない。ただ、いい条件だったのでここを選んだだけだ。」と義父。え? 海軍に逮捕されたって、いったい何があったの?</p><p> </p><p> 当時、陸上では連日激しい戦闘が続いていて、その日も1週間ほどの激しい戦闘の後、疲労困憊した状態で、補給物資を海軍の艦船から輸送する任務のためにヘリコプターを操縦していました。ようやく着艦という段階になって、艦から無線で着陸地点の指示が出されましたが、海軍の専門用語だらけで、どこに降りたらよいのかさっぱりわからない。指示を言い直すように何度頼んでも、堅物の士官は同じことを繰り返すばかり。必死で戦っている陸軍の兵士からしてみると、安全な海上で後方支援をしている海軍にはただでさえムカついていたので、ヘリを艦橋の窓のすぐ前まで接近させて、その士官の顔を見ながら「何を言っているか分からないから場所を指差せ!」と伝えて、ようやく着陸地点が確認できたそうです。しかし、この態度に海軍士官は激怒。その士官は義父よりも階級が上であったため、携帯している銃が規定違反だとかなんとか、いろんな難癖をつけられ、他の乗組員が船内でのんびりとくつろいでいる間も、MPに逮捕拘束された状態で、灼熱の甲板で待機させられることになりました。敵との戦闘でクタクタの上に、友軍からもこの仕打ち。どうにも腹の虫が収まらなかった義父は、離陸すると、その船にヘリから催涙ガスをおみまいして飛び去ったそうです、もちろん、これはすぐに海軍の上層部に報告され、陸軍の司令官に抗議の連絡が入り、基地に戻るとすぐに司令官から呼び出されました。「何があったんだ?」と問われて、あったことを正直に伝えたところ、司令官は椅子から転げ落ちんばかりに大笑いして「グッド・ジョブ!」と喜んだそうです。</p><p> </p><p> 補給物資の輸送に関しては、もう一つ面白い話を聞かせてくれました。</p><p> </p><p> 暑いベトナムの戦場では、冷たいビールを飲みたくても十分な冷蔵庫もありません。そこで、補給品にビールがある時には、わざと遠回りをしてヘリのドアを開けたまま山岳地帯を飛んでビールを冷やしてから基地に戻ることもあったそうです。また、基地にあるビールを冷やす時には、「訓練」と称し、新米パイロットにビールを積んだヘリをドアを開けたまま高高度で1時間ほど飛んでこさせてたそうです。高高度で吹きっさらしで1時間も飛ぶのはかなり辛いのですが、上空に行けば長距離電話でアメリカの家族とも連絡が取れるということもあり、皆が交代でこの厳しい「訓練」にあたったそうです。</p><p> </p><p> 当時のヘリコプターには、コンピュータによる自動制御のシステムもなかったので、「今の連中に比べたら、訓練も随分大変だった」そうです。「今も軍のヘリコプターの教官をしている友人によると、今のヘリコプター乗りは、自分専用のヘリをずっと使い続けるらしいが、俺には無理だ。同じヘリにばかり乗ってたら、退屈で死んじまうよ。そもそも、戦地ではいつも同じ型のヘリに乗れるとは限らないから、どんなヘリでも操縦できるようになっていないと、いざの時に役に立たんだろうに…。」</p><p> </p><p> 「戦術や兵器も、ペンタゴンが思いついたものをすぐに実戦でやれと言われるからな。」例えば、ヘリコプターが編隊飛行する場合に、羽根が重なるくらいにお互いに接近して飛行すると、レーダーでは何機のヘリが飛行しているのか判断できなくなるそうで、「ドイツかどこかの戦術家が思いついたらしい」このアイデアを立証するために、夜間にエンジンのタービンからからわずかに漏れる炎の光を頼りに、この種の編隊飛行をやらされることになりました。夜間飛行では遠近感と平衡感覚が信頼できない状態となるため、計器を頼りに操縦する必要があり、単独飛行でも非常に危険だそうですが、7〜8機の編隊での超過密な飛行となると、どこかで接触が起きたら皆が巻き込まれて全滅ということもあり得るために、しばらくやってみたものの、このミッションは中止にしたそうです。</p><p> </p><p> 当時の最新鋭兵器の無線操縦のミサイルも、開発されてすぐにヘリに実戦配備され、ただでさえ難しいヘリの操縦をしながら、高速のミサイルを右手でジョイ・スティックのようなものを使って目視で標的に当てるという至難の技を要求されたそうです。「最初は結構失敗したよ。でも1発50万ドルのミサイルを何発も無駄にするわけにもいかないからな…。今のミサイルは標的に向かって自動的に飛んで行くし、武器担当の搭乗員が一緒に飛んでくれるんだから、昔に比べたら楽だよな。」</p><p> </p><p> 義父の所属していた第57強襲ヘリコプター部隊は、不可能なミッションを幾つもこなし、陸軍でも最も熟練したヘリコプター部隊として知られていたそうで、隊のモットーが “Try us” 「やれるもんなら、やってみろ」あるいは「俺たちを試してみろ」。こういう部隊だったから、無茶なミッションをあてがわれたのだと思いますが、隊員たちも、そういうチャレンジに」死地での生きがいを見出していたようです。もちろん、多くの搭乗員がミッションで命を落としたことはいうまでもありませんが…。</p><p> </p><p> ヘリコプターの椅子は、パイロットの命を守るために、下からの銃弾を通さない分厚い作りになっていたのですが、着弾によって命は落とすことはなくとも、椅子に当たった弾丸や椅子の破片が飛び散ってふくらはぎに刺さるそうです。戦闘中は夢中で気づかないそうですが、基地に戻ってみると足が血まみれということもあり、その場合には麻酔なしで磁石のような医療器具を直接傷にグリグリ押し当てて金属片を取り除く治療を受けることになります。</p><p>「麻酔なしで、大丈夫なんですか?」</p><p>「まあ、それまでにかなりビールも飲んでるからな。それでも、あれは痛かった。被弾することよりも、治療の方が辛かったな。」</p><p> </p><p> 一緒に海軍の特殊部隊のテレビドラマを見ていた時には、CIAがアメリカ国内で部隊に指示を出しているシーンで、「CIAは国内でのオペレーションしかやらないことになっているから、出発前に国内で部隊に接触して指示を出すことは実際にはありえないよ。」とダメ出しもありました。CIA絡みのヤバいミッションをやってきたんだろうな…。そういえば、数年前に一緒に「ボーン・アイデンティティー」(マット・デモンが洗脳された兵士の役で出演している映画)を見たときも、「こういうことは、アメリカ政府は実際にやっているよ。政府がその気になれば、国民の知らないところで何でもできるからな。」と不気味なことも言っていました。</p><p> </p><p> このように、色々と軍隊での話をしてくれた義父ですが、凄惨な戦闘の話、敵を殺すことに関しての話は一切ありませんでした。義父にとって、ベトナムでの軍人としての経験が掛け替えのない人生の一部であり、そのことに誇りを持っていることは感じられましたが、それは、仲間と一緒に過酷なミッションをこなし、不可能を可能にして生き延びたことへの誇りと自信であり、敵を打ちのめしたり殺したりした強さを自慢するような奢りでは全くありませんでした。</p><p> </p><p> 義父が、一人の戦友から当時の部隊の仲間宛に送られてきたクリスマスのメッセージを見せてくれましたが、そこにも同じような思いが汲み取れました。ミッションに向かって、生死をかけて仲間と一緒に不可能に挑戦した日々、そこで発揮された極限の能力、達成感、仲間との絆を懐かしむ内容でした。このミッションが、戦争という破壊的なものであったことは残念ですが、それは、その当時の社会情勢の結果であり、兵士たちには責任はありません。社会の期待に一生懸命答えようとするのは、健全な若者のあり方です。義父達も、徴兵によって社会から与えられた兵士という役割の中で、自分自身にチャレンジをしたにすぎないと思えるのです。</p><p> </p><p> 戦場で生き延びた義父のような退役軍人が、その経験に誇りを抱くことを肯定すると、「戦争を賛美するのか!」と非難される方もいらっしゃると思いますが、それは的外れの非難です。若者が、社会から託されたミッション、たとえそれが戦争という最善とは言い難いミッションであったとしても、それを愚直に、真摯に全うしようとするのは健全なことであるし、それを通じて自分の極限に挑戦し、それを行ったことに社会の一員として誇りを感じることも自然です。彼らが罪悪感を抱く必要はありません。また、社会として、彼らに罪悪感を抱かせるようなプレッシャーを与えることは、あってはならないと思います。</p><p> </p><p> 実際に、ベトナムから戻った軍人の多くが、社会から拒絶的な扱いを受け、心の傷を負ったまま、社会に適合できずに不遇な人生を送ったそうです。映画「ランボー」の一作目も、そういう時代背景が描かれています。義父も、今でも戦地の悪夢に悩まされていて、物音に対して過敏に反応してしまうこともあるのです。おそらく多くの退役軍人が、そのことに関して語ることはないとしても、それぞれに人道的な矛盾を抱えて生きているのだと思います。義父と接して、その部分に関しては、部外者は立ち入らないのが礼儀であると強く感じました。</p><p> </p><p> 義父は、大学在学中に手違いで徴兵を受けました。すぐに徴兵取り消しを申請したのですが、「修正は可能だが、手続きにかかる数ヶ月間は徴兵拒否と見なされるから、その間は刑務所に収監された状態で待つことになる」と言い渡され、やむなく陸軍に入隊しました。まさに、国家の不当な命令によって戦地に行くことになったのです。そこで、子供の頃から飛行機に乗っていた経験から、ヘリコプターのパイロットを志願し、与えられた仕事であるパイロットとしての自分を磨き続けることの結果として、ブラック・オペレーションに参加する先鋭の軍人となり、その任務でおそらく多くの仲間を失い、また、多くの敵国民を殺傷することになりました。20歳そこそこの若者が、国家や国際社会の大きな流れの中で、義父のような選択することに、一体どのような罪があるというのでしょう。</p><p> </p><p> 退役後は、トンネルを掘る会社の技術者として、冷戦時代のソ連や東ヨーロッパなども含む危険な地域にも長期間滞在し、地下数キロの深さでの炭鉱のトンネルやドーバー海峡のトンネル工事など、危険な現場で仕事をしてきました。東側の国では、機械の不具合があった時に、責任者として交換部品が届くまで監禁されたこともあり、シベリアでは、食料が足りなくて数ヶ月もキャベツだけを食べてしのいだこともあったとか…。おそらく、ベトナムで経験した危機に比べれば、屁でもなかったのでしょう。そこでも、仲間とミッションに向かって命がけで働くということに喜びを見出していたようです。</p><p> </p><p> ソ連や東ドイツで、敵国の退役軍人と一緒に仕事をすることもあり、お互いに軍人としての体験を共有していることで、深い友情が築かれたそうです。状況によっては戦線で銃を向けあった相手が、お互いを深く理解し合える一方で、国境越しに文明人として平和的なやりとりをしている連中が、お互いを理解できずに安全な場所から戦争を始めてしまうのは皮肉なものです。義父のような退役軍人が極限の死地で培った人としての経験力は、戦争が産み出した唯一のポジティブな産物なのかもしれません。</p><p> </p><p> 日本では、戦争の話を家族から直接聞く機会はほとんどなくなりましたが、このフロリダ訪問では、戦争に関して、また戦線の兵士たちに関して、貴重な生の話を聞くことができ、色々と考えさせられました。戦争は悪い!その通りです。しかしその主張が、義父のような退役軍人の個人としての戦場での経験をも全否定するような形で表現されるのであれば、そこには思いやりと相手の立場への配慮が欠如しています。その配慮を欠いた主張こそが、まさに戦争を引き起こす原因となるエゴイズムの現れに他ならないと思います。</p><p> </p><p> 義父は、数々の勲章を受けており、死後はアーリントン墓地への埋葬も認められていて、彼自身もそれを望んでいます。アーリントン墓地は、家族からしてみると、遠くてなかなかお墓参りにも行けない場所ですが、家族とは決して共有できない生死の狭間での経験を共有できる軍人たちが眠る場所で永眠したいという義父の想い…。それは大切にしたいと思っています。</p><p> </p>
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2020-08-12T22:31:47-07:00
2020-08-13T02:00:09-07:00
日本国憲法を考える(2) 「日本国憲法9条解釈の詭弁。真の平和国家になるには…」
<div>前掲載分では、憲法前文についての感想を書いてみました。ここからは、9条を読んでみた感想を述べてみたいと思います。</div><div> </div><div>第9条;</div><p> 『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。</p><p>○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』 </p><p> </p><p> </p><p>1.『正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』</p><p> </p><p> このような国際平和は、心より希求します。</p><p> </p><p> ここで語られている「正義と秩序を基調とする国際平和」を、憲法前文の「恒久の平和」のことと理解し、「人類が目的達成のために暴力的/破壊的で非良心的な手段を用いるという意図すらも完全に放棄し、調和と協調により物質的にも精神的にも豊かな社会が実現された状態」を指すと解釈すると、それを希求し、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という論理の展開が可能になってきます。</p><p> </p><p> この憲法が書かれた時点では、このような平和は、望みさえすればすぐに実現されると考えられていたのかも知れません。しかし、75年が経った現在でも、世界各地で紛争が絶えることはなく、日本が謳歌している平和も「場合によっては目的達成のために暴力的/破壊的などの非良心的な手段を用いる意図と可能性は残っているものの、暴力的な解決に伴うダメージが多大であり、また相互の利害関係や武力が拮抗しているために、ひとまず調和と協調を選択している状態」という一時的な不安定な平和にすぎません。このような状況にあって、完全武装解除して丸腰になり、平和を希求しながら国民の安全と生存を保持することが可能なのか?</p><p> </p><p> もちろん、現実的にはそんなことは無理だと分かっているので、自衛隊という、世界でも有数の軍隊(軍隊ではないということになっていますが…)と世界最強のアメリカ軍が、その気になればいつでも戦える状態で日本に駐留し、虎視眈々と領土拡張を狙っている隣国を威嚇をしているわけです。</p><p> </p><p>2.『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』</p><p> ここに至っては、どこをどう読んでも、自衛隊は憲法に真っ向から反してしまいます。ということで、「陸上自衛隊は、陸軍ではない。海上自衛隊は、海軍ではない。航空自衛隊は、空軍ではない。自衛官は、軍人ではない。国家には自衛権があるのだから、自衛専門の自衛隊は軍隊とは別物で、自衛のための戦闘は交戦ではない。ゆえに、自衛隊は合憲と解釈される。」というような詭弁が何十年も正当な憲法解釈としてまかり通ってきました。</p><p> </p><p> 大量の新鋭ジェット戦闘機や最新鋭のイージス艦、世界でも最高性能を誇る戦車や潜水艦を保有し運用している組織が、本質的には軍隊以外の何物でもないことは明らかで、そのような組織を軍隊と呼ばないとしたら、軍隊と定義される組織など世界のどこにも存在できません。これほどに見え透いた詭弁が、国民に黙認されています。</p><p> </p><p> このような憲法の矛盾は、この憲法がアメリカの占領下で当時のアメリカの意向を反映して作られたもので、日本国民が自ら真摯に国のあり方を自問し、知恵を絞って作り出したものではないというところに、その大きな原因があると思います。また、自衛隊の創設に関しても、アメリカの朝鮮戦争における戦略的な都合で、「警察予備隊」などという苦し紛れの詭弁を弄して再編成した「日本軍」の存在が、憲法を改正することなくアメリカの東アジアでの影響力の展開に不可欠な要素として「自衛隊」として継続発展してしまったことで、憲法9条の理念と現状との乖離が異常なまでに大きくなり、ごまかしでは済ませられない状況になっているにもかかわらず、そのまま放置され、今日に至っています。</p><p> </p><p> 個人的な意見としては、現行の日本国憲法のように、初期の成立過程と運用の歴史に多くの問題を抱えている憲法は、一度破棄をして、現代の日本人が真摯にこれからの国のあり方を考え、知恵を絞って、議論を重ねて自らの手で新しい日本国憲法を作るのが妥当だと思います。その過程を経た上で、やはり現行の日本国憲法こそが理想的であるする主張が大多数を占め、新しい憲法の内容が現行の日本国憲法と全く同じになったとしても、その手続きを踏むことは決して無駄ではないと思います。</p><p> </p><p> 例えば、国民の総意として憲法9条の条文はそのまま維持するということになったならば、ようやく文字通りに9条を遵守し、自衛隊の解体、米軍の撤退、完全な武装解除の状態で平和国家の道を模索をすることができるようになるでしょう。逆に、現在の自衛隊の規模で軍隊を維持することが世界の現状からして妥当であるという意見が多数を占め、9条が廃止になった場合には、これまで苦しい詭弁ででっち上げた法律を使ってなんとなくコソコソと運用している自衛隊を、他国の軍隊と同じく国際法に則り、堂々と平和のために運用する道を模索し始めることができます。</p><p> </p><p> 正直なところ、現状のように憲法の文言と実際の状況が火をみるより明らかに食い違っているのに、「これは憲法解釈の範囲内です」という詭弁が堂々とまかり通っていることが一番の問題だと感じます。9条を文面とは真逆に解釈できるとするなら、基本的人権に関しての条項も真逆に解釈して、言論統制などの形で国民の権利を著しく制限できる可能性もあるわけです。このように憲法を自由自在に解釈しても良いという前提で憲法を運用していることこそが、国民にとっての最も恐るべき危機だと感じられます。</p><p> </p><p> さらに、全ての法律の依拠する憲法において、白を黒と言えるような国家で、「公正」や「正義」「信義」などという徳を大切にできる国民が育まれる可能性があるのでしょうか?子供には「嘘をついちゃいかん!」としつけていながら、憲法のような大きなところで公然と嘘がまかり通っている。そんな社会で、子供達が公正、正義、信義を価値ある徳として真剣に追求するでしょうか?そんな大人の世界を見て育ったら、本音と建前、外の顔と内の顔を上手に使い分け、信念などにこだわらない「ご都合主義」で生きることこそが正しい道だと思ってしまうのではないでしょうか? </p><p> </p><p> 国際的な「恒久の平和」を口にしながら、自国内では、いろんな勢力が利権をめぐっていがみ合いが起こり、親子や兄弟の間で金銭を巡って血で血を洗う争いになることも珍しいことではなく、スポーツだけではなく芸術という文化活動においても競争によって相手に勝つことが奨励され、学問においても限られた研究者のポストや研究費獲得のために激しい競争があり、子供は受験戦争に、学生は就職戦線に、政治家は選挙戦に従軍し、ビジネスにおいても市場を奪い合う競争のなかで少しでもライバルから先んじることに血道を上げ、論客たちも思想の異なる相手にはラベル貼りをして貶めあう……。同じ日本国民として一つの共同体の中で生活をしている同朋の間ですら、これほどの分断と軋轢、競争があり、お互いに傷つけあうことが当たり前になっている状況にあって、文化の全く異なる外国との間において恒久的な世界平和が実現されるとは考えらません。</p><p> </p><p> 「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するからには、並々ならぬ信念を永きにわたって貫くことが必要です。白を黒と言いくるめてしまうようなご都合主義では、到底実現できるものではありません。まずは我が身を正し、信念を貫く意思を持つことが必要です。</p><p> </p><p> 本当に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」のであれば、とてつもない覚悟が必要です。もし、武力によって他国を蹂躙し、他国民の生存を脅かすことを全く躊躇しない国家が日本に侵略してきた場合、彼らが無抵抗を貫く崇高な日本人を非人道的に扱っていることの卑しさを自戒し、良心に目覚め、その態度を悔い改めるか、あるいは、そのような日本人の姿に心打たれて自らの命をかけて日本人を救おうとしてくれる国家や組織が現れてくるまで、自分の愛するものの生命、人間としての誇り、守り伝えてきた文化など、大切にしているものを失い続けることに耐えなくてはなりません。そのような覚悟があれば、非武装による平和を目指す理念に偽善の入り込む余地はないと考えます。しかし、その覚悟をしないで、圧倒的なアメリカの軍事力に守られている安全な日本の中で、口先だけで「武器のない平和な世界を!」と叫んでみたところで、本当の平和の実現に近づくことができるとは思えないのです。</p><p> </p><p> 理念を掲げるのであれば、それに向かって徹底的に努力する。これは、個人としては当たり前のことです。国家の理念である憲法においても、国民の共通の目的として、そのような国家になろうとする意識を共有することは大切だと思います。現状のように、書かれていることとは全く異なるように解釈できるような憲法である限り、日本国憲法は国民に共通した理念の土台とはなり得ません。このまま、現行の憲法を文字通り守るでもなく守らないでもなく、うやむやに維持し続けることの意義はどこにあるのでしょうか?</p><p> </p><p> 文章で国のあり方を規定化することが、個人の思想の自由や言動の自由を妨げるという危惧や、成文憲法律が国民の足かせになるという意見が多数を占めるのであれば、イギリスのように成文憲法を持たないという選択肢もあります。現行憲法の改正、継続、成文憲法の廃止、いずれの選択にいたるとしても、一度国民全体で憲法について考える時期に来ていると思います。</p><p> </p><p> とは言いながらも、憲法に関しての意見を構築することは、一般人には決して簡単なタスクではありません。実際、この程度の考察をするためにも、膨大な時間と労力を使っています。もし、絶対的に信頼できる政治家や行政専門家が国家を理想的な状態に維持してくれて、国民は、憲法などという面倒臭いことを考える必要もなく、日々の生活と身の回りの出来事のことだけに集中して生きるられるのであれば、それに越したことはありません。しかし、日本は現在、国民主権の民主主義を採用し、代議士の選出を一般国民の手に委ねているわけですから、お上にお任せというわけにはいきません。安倍政権は発足当時から憲法改正を政治目標として掲げていますし、そもそも自由民主党は結党時から自主憲法制定を党是としているのですから、近い将来に国会で憲法改正案が発議される可能性はあります。その時に「政府が国民を置き去りにして改憲の議論を進めるのか!」と文句を言わなくてもすむように、主権者の義務として、少しずつ憲法について勉強をして自分なりの理解を深めておくことが必要ではないでしょうか。</p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6407166
2020-08-11T04:15:49-07:00
2020-08-11T09:00:14-07:00
日本国憲法を考える(1) 「日本国憲法前文の理想と現実」
<p>(戦争について考える機会の多い8月。ブログにて、戦争に関する投稿をシリーズで挙げています。)</p><p> </p><p> 日本において戦争と平和に関しての議論が行われると、必ず日本国憲法第9条について激しい意見の対立が起こります。9条を改正すべきという主張をしたら右翼、9条こそが日本の平和の拠り所になっていると主張したら左翼という具合に、9条へに対する意見によって極端なイデオロギーのレッテル貼りをされかねない議題で、この投稿で友人を失いかねないという危険すらあります。しかし、憲法改正の論議が高まる中で、一国民として憲法全文を読んでみての感想を整理してみたいと思います。ここでの感想とは全く異なる見解の方がより一般的かもしれませんが、そうやって異なる見解を持ち、お互いの意見を表明し、いろんな考えをテーブルに出した上で、総合的に物事を判断できることこそが自由民主主義の大切なところだと思います。もし日本国憲法を読んだことのない方は、これを機会に自ら読んでみて、自分なりの考察を深めていただくきっかけにしていただければ幸いです。</p><p> </p><p> 全文を読んでみた上で、やはり普段からよく議論の的となる前文と第9条に関して考察をしてみたいと思います。</p><p> </p><p>前文より;</p><p> 『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』</p><p> </p><p>1:『日本国民は、恒久の平和を念願し』</p><p> 恒久の平和とは何か……?これだけで数冊の本が書けるほどの題材ですが、これまで何万回と「平和」という言葉を口にしながら、実のところ「平和」の定義を真剣に考えてことがなかったことに気づき、猛烈に反省をいたしました。これまでにも専門家によっていろんな平和の定義がすでに蓄積されていることとは思いますが、ここではあえて自分の頭で考え、人類として達成できる平和には、大雑把に3つのステージがあると定義してみました。</p><p> </p><p>1)人類が、目的達成のために暴力的/破壊的な手段を用いる意図すらも完全に放棄し、調和と協調により、物質的にも精神的にも豊かな社会が実現された状態。</p><p>2)人類が、目的達成のために暴力的/破壊的な手段を用いるという意図は完全に滅却できていないが、それを実行に移すことに関しては意志的に制御力を働かせることができるため、社会から暴力がなくなり、調和と協調を基調とした発展が可能になっている状態。</p><p>3)人類に、目的達成のために暴力的/破壊的な手段を用いる意図もそれを実行する可能性もあるものの、ある時点において、暴力的な解決に伴うダメージが双方に多大であり、また相互に利害関係や武力が拮抗しているために、ひとまず調和と協調を選択している状態。 </p><p> </p><p> もちろん、1)が「恒久の平和」の呼び名にふさわしい、人類として念願し、いつかは実現したい平和であります。2)の平和は、個人的な人間関係のレベルでは部分的に達成されている場合もありますが、現時点で社会や国家という大きな集合体として人類が手にできる最高の平和は、3)の範疇を超えているとは思われません。</p><p> </p><p> また、一介の庶民としての感覚としては、「生活状況が安定していて、毎日が、それなりに予想可能な範囲内で推移している状態」を漠然と「平和」と感じています。ですから、一般庶民にとっては、近くで戦争が起きていなくて、生産や流通が安定的に機能している社会が「平和」という感覚を与えてくれるように思います。その意味では、日本やアメリカは「平和」なところと言えます。</p><p> </p><p> しかし、その平和な日本社会を少し注意深く見てみると、受験戦争、選挙戦、論戦、論争、年末商戦、顧客争奪戦、就職戦線、出世競争など、様々なイベントの名前に「戦」と「争」の文字があふれかえり、日本の社会が競争原理に立脚していると考えざるをえません。競争原理が必ずしも悪であるとは思いませんが、競争の結果、負け組と勝ち組の間に社会的待遇と物質的な豊かさにおいて歴然とした格差が現れてしまうような社会において、「恒久の平和」へと繋がるような協調と調和に向かう人間的特性が、はたして育まれ得るかどうか…。疑問を感じざるを得ません。</p><p> </p><p> また、平和な日本においてすら、犯罪を抑止するためには法律と司法、警察が不可欠で、物品や情報がいつ誰かに盗まれるかもしれないことを想定し、家屋の出入り口のみならず、バーチャル空間においても鍵をかけなくてはならない状況ですから、基本的には「他人を信用しない」ことが社会において当たり前の前提となっています。ヤクザに代表される裏の世界が公然の秘密として存在し、部落差別という不可思議な同人種間での差別があり、思想信条の異なる国民同士の間で口汚い罵り合いや誹謗中傷、場合によっては暴力による衝突も起きる状態にあって、日本人が国民全体として世界平和への共通の目的意識をもつことなど可能なのでしょうか?現状の日本は、幾つものグループが敵対し、お互いに利害や勢力を競争により奪い合っている状況があると言えます。自国の中で、このような分裂があることを当然のこととして放置しておきながら、一方で国際社会での恒久的平和を語る。これは、公正な自己認識の欠如、あるいは偽善ではないでしょうか。</p><p> </p><p> このように、比較的平和とみなされている日本においてすら、恒久の平和を保証するためには不可欠である「目的達成のために暴力的/破壊的で非良心的な手段を用いる意図すらも完全に放棄されている」ということが自国民同士の間で実現されていない以上、多様な文化背景を持つ国家の付き合いからなる国際社会においても、「恒久的な平和」からかけ離れた状態であることは疑いようのないことだと思います。</p><p> </p><p> 「恒久的な平和」がまだまだ実現には程遠いので、いずれ達成したい目標ということで「念願し」という表現になっている点は評価できます。しかし、目標を掲げたにもかかわらず、それにふさわしい努力も進歩もないというのであれば、それは偽善に外なりません。この条文があるということで「日本は平和国家だ!」とドヤ顏をするならば、中身は空っぽの平和国家であることに満足し、真の平和国家となる努力を怠っていることを正当化することにもつながります。</p><p> </p><p>2:『人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって』</p><p> 「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、なんでしょう?他の動物には類を見ない人類の高度な「社会性」こそが種の存続/繁栄のカギであるとすると、協調、恊働、互譲、愛などを「人間相互の関係を支配する崇高な理想」と考えることができます。(理想というよりは、「理念」と言ったほうがしっくりくるような気がしなくもないのですが、もともとアメリカ人が作った草案から起こした憲法なので、言葉にぎこちなさがあるのはいたしかたないことなのかもしれません…。)これらを「深く自覚する」ことは、とても大切なことであります。しかし、現代の日本において、このような理念を深く自覚して、それぞれの国民が協調、恊働、互譲、愛などを日々の生活の規範として生きているかどうかというと、それは大いに疑問です。政治家や官僚ですら、このことを強く自覚して働いておられる方はさほど多くはないとおもわれます。日本においてもこのような有様であるからには、独裁国家や資本主義拝金主義の諸外国においては、このような理想を自覚するなどということは夢にも思わないことでしょう。</p><p> </p><p>3:『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』 </p><p> 「信義に」となっていますが、日本語としては「信義を」の方が妥当だと思います。それはさておき、憲法が書かれた時代背景から考えて、ここにある「平和を愛する諸国民」とは、主に当時の連合国に属する国で、現在の国連常任理事国であるアメリカ、イギリス、中華民国(現中華人民共和国)、ソビエト連邦(現ロシア)、フランスを指すと思われます。後半で考察する九条には武力放棄が名言されていますから、丸腰でこれらの国を信頼するという前提で書かれていることも明らかです。しかし、これらの国を「われらの安全と生存を保持」する拠り所として信頼できる「平和を愛する公正と信義の国」と呼ぶことができるかどうか?現在の国際情勢を概観するだけでも、これらの国がそのような呼び名にふさわしくないことは明らかです。安全だけならまだしも「生存」をかけて、つまり命がけでこれらの諸外国を信頼することができるのか?個人の意見としては、断固NOです。もちろん、外国に敵対しない道を選び、友好関係を築くための最大限の努力はすべきです。在米日本人として、日々の暮らしの中で個人のレベルでの人種や文化を超えた本質的な信頼関係の構築のために努力しているという自負もあります。そのアメリカに対してさえも、無防備に安全と生存をかけて相手を信頼することは、あまりにも暗愚な選択だと思います。</p><p> </p><p> 仮に、ここにある諸国民を諸手を上げて信頼できるとしても、やはり、ここで論ぜられているような、自らの安全と生存を「他人任せ」にするような態度には違和感を覚えます。生物の基本的なあり方として、自己責任で個人の安全と生存の多くの部分を担保することは当然でありますから、国家においても、安全と生存という部分においては、かなりの範囲で自立すべきだと思います。各自が自分の足で立ってこそ、お互いを助け合うことができるのではないでしょうか。</p><p> </p><p> 日本人が外国に「公正」と「信義」を期待するのであれば、まずは、それが日本国に見出されなくてはお話になりません。そのためには、日本国民一人一人が自分自身の中に「公正」と「信義」という徳を磨き、それを導き手として自分自身の安全と生存を確保できるようなる必要があります。個人のレベルで公正と信義が獲得されていれば、それが家族、仲間、地域、国民全体と広がり、徐々に大きなスケールの社会で共鳴し、最終的には日本国として、真の「公正」と「信義」を国際社会に広めてゆくことにつながるのではないでしょうか。もし、日本がこのようなリーダーシップを発揮できるのであれば、真の平和国家と呼ばれるにふさわしい国になると思います。しかし、今の日本国に、そのような公正と信義と呼ぶにふさわしい徳は備わっているのでしょうか?そのような徳を目指すことを奨励する空気があるでしょうか?</p><p> </p><p>4:『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ。』</p><p> ここでいう「国際社会」も、国連常任理事国を中心とする国家群のことだと思われますが、戦後75年、アメリカやロシア、中国が自国の利益のために、どれだけの紛争に介入し、どれだけの戦争を煽ってきたことか。世界に豊かさと秩序もたらすという独り善がりの崇高な目的のために、どれだけ地域の特性や民族の特性を無視した「圧迫」と「偏狭」を行ってきたかことか。また、国益のために外国の独裁者とも取引をし、そこでの「専制」と「隷従」の片棒も担いでこなかったのか…。彼らが「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」ということが真っ赤な嘘だということは、すでに明らかではないでしょうか?</p><p> </p><p> ここで描かれているような国際社会のイメージは、仮に第二次世界大戦直後の国際社会で共有された理念であったとしても、現時点ではもはや絵空事でしかありません。このような国際社会は現時点では存在していない以上、日本国民が本当にそれを望んでいるのであれば、個人としても国家としても積極的に努力を重ねて、自らの手で築いていかなくてはならないものです。その意味では、すでに存在する国際社会で「名誉ある地位を占めたいと思う」ような性質のものではありません。もちろん、そういう国際社会の構築のために貢献すれば、自動的に「名誉ある地を占める」ことになるとは思いますが、とりたててその地位を占めることを望んで理想的な国際社会の構築に尽力するわけではありません。「名誉ある地位を占めたいと思ふ」という表現には、すでに存在しているすばらしい国際社会(そんなものは存在しないのですが)に認めていただきたいという卑屈な姿勢が隠喩されているとも感じられます。</p><p> </p><p> ここまで考察を進めてみると、日本国憲法公布以来、日本人は本当に真剣に前文に掲げられているような理念の実現に向けて努力をしてきたのだろうか、と疑問を感じざるを得ません。</p><p> </p><p>5:『われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』</p><p> 「権利を有することを確認する」ことに依存はありませんが、皆が権利ばかりを主張し、国際社会でのしかるべき責任と義務を果たさないのであれば、闘争や紛争にもつながりますから、真の平和憲法を目指すのであれば、その権利に伴う責任と義務の遂行の重要性や、自他共栄を損ねることなく権利を自由に行使するために培われるべき人間としての徳についても触れるべきだと感じます。</p><p> </p><p>(後半につづく)</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6405766
2020-08-08T21:41:27-07:00
2020-08-09T00:45:16-07:00
戦争回避のためにやれることはあるのか?(後半)
<p>戦争回避のためにやれることはあるのか?(後半)</p><p>(終戦の日を迎える8月。戦争に関する文章をシリーズで掲載しています。)</p><p> </p><p> ほとんどの国民が、自国が戦争に参加することを、馬鹿げたこと、不毛なこと、非人間的なこと、どんなことをしてでも避けるべきこと、と感じるにも関わらず、国家は時として戦争へと道を進んでしまうのはなぜでしょう?</p><p> </p><p> 一般庶民としては、「バカな政治家や官僚、利己的で欲深い金持ちのせいで、自分達のような善良な庶民までも戦争に巻き込まれてしまう」という犠牲者意識を持ってしまうのですが、独裁制、民主主義、共産主義、社会主義、王制など、どのような体制の国家においても、戦争へと進んでしまった事例があることを考えると、戦争の責任を、単に国家体制、時の指導者や富裕層にのみあると考えることは、間違いだと思われます。</p><p> </p><p> プラトンの国家論は、「国家の性質というものは、それを構成する国民の性質を反映する」という前提で展開されています。国家は、それを構成する一人一人の国民があってこそ成り立つもので、人体が一つ一つの細胞があってはじめて成り立っているのと同じ状況です。細胞一つ一つに共有されている遺伝情報が、人体/人間としての性質を規定しているのと同様に、国家のあり方も、一人一人の構成員のあり方が反映された結果であるとする見方は、論理的にも納得できる見解です。特に、国民すべてに平等な権利と義務が与えられ、個人の消費行動が経済活動の方向性を大きく左右する資本主義と、国家の指導者を選挙によって選出する民主主義を併用している日本のような国家においては、一人一人の国民のあり方が、かなり明確に国家のあり方に反映される仕組みが備わっていると考えられます。</p><p> </p><p> 国家間において、もし、お互いの良心を信頼することができれば、武力で威嚇しあって争いを抑止する必要もないのですが、それは容易なことではありません。一個人としての自分自信を省みれば、他人はもちろんのこと、場合によっては肉親、配偶者にたいしても、心の底から全面的に信頼することが出来ていないことに気づきます。他者の気に喰わない態度や言動には、しょっちゅう不快感を抱きます。いちいち面と向かって悪態をついたり拳を振るったりすることはないとしても、機会があったらどこかで愚痴をこぼしたり陰口を叩いてしまいます。「人類皆兄弟」と言いながらも、もしかしたら泥棒の被害に遭うかもしれないという不信感や恐怖感を払拭できず、家や車にカギをかけ、ネットでのセキュリティーを厳重にし、警察という犯罪取り締まりと抑止のための組織を頼りに思ってしまいます。地球環境の問題や人類のあり方についていろいろと考え、現状に憤慨しながらも、見ず知らずの人の豊かさよりも、自分と直接関わりのある人の豊かさを優先したいという傾向にはあらがえず、私財をなげうってまで全人類のために尽くそうとは考えられません。衣食住に困らない程度の豊かさでは満足できず、もっといろんな経験をしたり、いろんな物品を所有したいという欲求は頭をもたげ、なかなかに「足ることを知る」には至りません。「競争により進歩が生まれる」というスローガンのもとに、政治、農林水産業、生産業、商業はもちろんのこと、学問や芸術、医療の世界においてさえも競争が繰り広げられ、そこで成功するためのあらゆる「戦略」が編み出されている中で、生活に必要な糧を得るために、生き残りをかけて奮闘しています。</p><p> </p><p> これが、戦時ではない平常時の、ごく一般的な庶民、古佐小基史の「平和な日常」の内的状態です。</p><p> </p><p> こうやって書き出してみると、自分のことながら恐ろしくなるほどに、平安とは対局的なる内的な状態です。もし多くの皆さんの内的状態も、これに近似した状態にあるとしたら、平時においても不信感、恐れ、貪欲さ、利己心、競争心を常に発動して生活している個人の集合体として、国家が存立していることになります。そのような国家が、他国への不信感と恐れ、自国の利害を中心にする利己主義、政治経済において他国より優位に立とうとする競争原理をベースに運営されることは、むしろ当然のことです。そういった国家がびっしりと隣り合って並んでいる世界において、国家間でお互いに疑心暗鬼となり、軍拡競争や軍事衝突が起きても、全く不思議ではありません。</p><p> </p><p> このように考察してみると、結局のところ、戦争の根本原因は、外ではなく自分自身の内にあるのではないかと思えてきます。</p><p> </p><p> 自国の政治や社会の仕組みを変え、軍事力や経済力を背景に外国の独裁者の言動を変えることに一生懸命に取り組み、一時的に外面的な平和を獲得することができたとしても、結局、一人一人の国民の内面で平安が得られていないとしたら、また同じ歴史の繰り返しになってしまうでしょう。</p><p> </p><p> では個人としては何ができるのか?自分なりに世界情勢を学び、平和への信念を持ってデモや言論などの啓発活動によって平和を訴えることもできますが、そのような活動が「闘争」の姿勢を帯びてくると、それで何か得た場合でも、それを闘争によって守り抜くという「平和のための闘争」という自己矛盾を生み、仮に社会の仕組みを変え、指導者を一掃することに成功しても、結果としては平和は達成されません。おそらく、人類が様々な政治形態、統治システムを変遷してきたにもかかわらず、戦争を放棄できない一つの理由は、平和のための闘争という自己矛盾をはらんだ手段での変革によって平和を得ようとしてきたからなのかもしれません。</p><p> </p><p> しかし、自分自身の中に見出される不信感、恐れ、貪欲さ、利己心、競争心を離れ、自己の内面の平安と隣人との関係においての平和を実現しようとする努力は、その気になれば、だれでも、いつでも、どこでも行うことができます。このような小さな個人的な内的努力が、ほんとうに、人類全体のあり方を変え、戦争という大きな外的な事象に何らかの影響を与えることができるのか?正直なところ、それを証明する術は知りません。しかし、内的な平安を獲得することが個人の幸福に寄与することは間違いありませんし、一人の心が平安に近づくことは、ほんのちょこっとではありますが、その分だけ確実に世界に平和を増やすことに他なりません。実は、それこそが、個人として責任を持って行える真の平和活動なのかもしれません。</p><p> </p><p> </p><p></p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6405039
2020-08-07T08:47:22-07:00
2020-08-07T20:45:30-07:00
戦争回避のためにやれることはあるのか?(前半)
<p>戦争回避のためにやれることはあるのか?(前半)</p><p>(終戦の日を迎える8月。戦争に関する文章をシリーズで掲載しています。)</p><p> </p><p> 北朝鮮情勢、米中対立、中国の国境で起こる領有権をめぐる問題など、世界各地で戦争に繋がってもおかしくない緊張が続いています。</p><p> </p><p> それにしても、戦争とは一体なんなのでしょう?</p><p> </p><p> ほとんどの人類が戦争を望んでいないにも関わらず、有史以来、人類はこれまで戦争を続けてきました。そして、文明が進歩(?)するに従い、武器の威力は強化され、戦争の規模は拡大し、ついには人類を含む地上の生命体の多くを絶滅させてしまうほどの大量の武器を抱え込み、引き金に指をかけて睨み合っているという状態になってしまいました。</p><p> </p><p> 戦争は、殺戮、暴力、資源の膨大な浪費、文化の破壊など、非人道的で野蛮な行為であるために、議論の余地もなく「戦争はダメだ!どんな理由でも戦争は絶対にいけない!」のひとことで片付けられてしまいます。そのため、戦争が起こるプロセスや根っこの原因について冷静に考える機会は、案外と少ないと感じます。</p><p> </p><p> 敗戦後の日本では特に、戦争のことを冷静に話すことは難しかったと思います。自分が生まれ育った昭和40年代以降においても、日本が当事者として戦争に巻き込まれる可能性を想定した具体的な国防の議論をすると、右翼と言われかねない空気がありました。</p><p> </p><p> しかし、実際に国際情勢が切迫している今、戦争を感情論で拒絶し、頭から布団をかぶって見て見ぬ振りをできる状況ではなくなっています。一人一人が主権者として国家のあり方に責任を負っている民主主義においては、現在の世界情勢の中で当事者として戦争に巻き込まれる可能性を認識し、それを避ける手段、巻き込まれた時にどのように対処するかなどを、冷静に考えてみることも大切だと思います。</p><p> </p><p> とは言いながらも、戦争に関しては全くの未経験者で、これまでに体系的に研究をしたこともありませんので、ここでは特殊な専門知識や理論からではなく、ファームでの日常の生活の中で経験された気づきをもとに、戦争への考察を始めたいと思います。</p><p> </p><p> ファームを始めて以来、野生動物から家畜を守るため、彼らとのせめぎ合いは続いています。まずは柵を作り、「そこからこちら側には入って欲しくない」というこちらの意志を明確にした上で、柵を越えるのを決定的ためらわせることを期待して電気柵のラインを敷設します。これだけの備えをしても、野生動物たちは生存のために必死で食べ物を狙ってやって来ますから、最初の1年半のあいだにヤギを1頭、ニワトリを5−6羽失いました。この経験から、「柵のこちら側には入ってくれるな」というこちらの切なる願いは、野生動物には聞き入れてもらえないことを理解しましたから、こちらでも積極的な攻撃力を持つ番犬を飼い、彼らが柵に近づくことすらも抑止することにしました。こうなると、場合によってはこちらの犬が野生動物に危害を加えるような状況になることもやむなし、という覚悟が必要です。</p><p> </p><p> 法的には、敷地内で家畜や作物を荒らす野生動物は、銃で撃って殺しても良いことになっていますが、さすがにそんなことはしたくないので、番犬を飼って抑止力とするわけです。もし、こちらの番犬が怪我をしたり、殺されたりするという状況になれば、さらに攻撃力の大きな番犬、堅固な柵の設置という具合に、家畜を守るための備えはどんどんと強力なものになっていきます。もし、群れで家畜を襲うコヨーテ、1頭での甚大な被害となり得るピューマやクマなどの動物の数が増え、どうやってもこちらの守りを破って襲ってくるということになれば、こちらから銃を用いて積極的に相手を狩りたてるということになり、命の失われる戦いへとエスカレートする可能性は大きくなります。</p><p> </p><p> これは、古佐小ファームと野生動物の間のせめぎ合いのストーリーですが、国家間のせめぎ合いでも、これと同じような構図があることに気づきます。</p><p> </p><p> 公の見解として国境という柵を設置し、お互いが「こちらの領域に勝手に入って、ものを持っていったり使ったりしないで来れ」というメッセージを確認します。それでも、相手がそれを破って入ってくるかもしれないという不信感はなくならないので、許可なく入って来た相手を撃退出来る防衛力を備えます。もし相手の攻撃力が自分の防衛力を上回ると判断される場合には、さらに防衛力を強化することになります。しかし、こちらでは防衛力のつもりでも、相手からすると攻撃力と見なされるので、こちらが軍事力を強化すれば、相手も強化するということで、果てしな異軍拡競争の悪循環へと陥り、やがて膨らみすぎた軍事力は、それが守るべき国家や国民の生活と財政をも圧迫し始めます。</p><p> </p><p> そうなると、お互いにこのような軍拡競争が続けることは不毛であることが認識され、交渉を通じてフェアな軍縮を目指す努力が始められるのですが、「もし条約によって同じ程度に軍縮をすることになったとしても、本当に相手はそれを守って軍縮するだろうか?」「もしかして、こちらが正直に軍縮している一方で、しっかりと軍備を保持し、時期をみはからって、こちらの領土を奪いにやってくるのではないだろうか?」というような不信感はなくならず、結局のところ軍拡競争は止りません。たいていの場合は、不幸にも戦争となり、その多大な犠牲と虚しさを経験することで、戦後しばらくは、軍事力を背景にした国家間のせめぎ合いから遠ざかろうという方向性が維持されますが、世代が変わると、また元の木阿弥。時代とともに武器の破壊力はさらに強力になり、国家が養うべき国民の数と必要とする物資の量も桁違いに大きくなり、国家間の利害がぶつかる要因も増加し、そうやって、戦争の脅威は亡くなるどころか、ますます増大してゆきます。</p><p> </p><p> ファームでの野生動物相手のせめぎ合いでは、相手の攻撃力がある一定レベルを上回ることはありませんので、ある時点で攻守のバランスに達し、お互いに争うこともなく平穏な状況に至るのですが、人間同士の場合、野生動物の殺傷力のレベルからすると天文学的に桁の違う殺傷力を持つ強力な武器を持ち、それをさらに進化させ続けることができるために、軍拡によるせめぎ合いは、果てしなく続けられてしまいます。そして、仮にどちらかの国家が理性的に振舞っていたとしても、他方の国家が侵略を始めたら、自衛のために武力衝突ということになり、お互いに「国家を発展させる」「国家を守る」という正義を掲げて殺し合いをすることになります。</p><p> </p><p> このように考察してみると、不信感を抱いたまま、軍拡競争を続けながらお互いに銃口を向け合って戦いを抑止するという、現代的な平和維持のあり方は、壊滅的な戦争へと発展する可能性と常に紙一重の状態であると思われます。これが、現時点で人類が採りうる最良の戦争回避の方法だとしたら、残念です。社会動物としての人類は、まだまだ進化の発展途上ということなのかもしれません。</p><p> </p><p> (後半につづく…)</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/14/musiclife-in-nature/fd/7f/j/o1936259214044983879.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/14/musiclife-in-nature/fd/7f/j/o1936259214044983879.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p>
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2020-08-06T06:26:21-07:00
2020-08-06T07:30:07-07:00
退役軍人の義父から聞いた話
<p>(終戦の日を迎える8月。戦争に関する文章をシリーズで掲載しています。)<br><br> かつての敵国、アメリカに暮らして23年。アメリカ人の妻の家族や親戚、友人、隣人、音楽仲間やクライアント、ファンの皆さんなどの中には、大東亜戦争で日本と戦った軍人の家族、退役軍人、在日米軍に従軍していた軍人とその家族なども少なからずおりますが、彼らとの間で75年前に終わった戦争のことがしこりとなって現在の信頼関係が悪影響を受けるという経験をしたことはありません。むしろ、カリフォルニアで出会うアメリカ人のほとんどは、日本文化と日本人に対する尊敬や好印象をもってくれているようです。<br><br> 昭和46年生まれの世代は、いわゆる自虐史観を教育されていて、周囲の大人たちやメディアからもそれを強化する方向での影響を受けて育ちましたから、アメリカに移住した初期には外人コンプレックスを持っていて、アメリカで日本人が頑張ると嫌がられるか、たとえ評価されても「日本人のくせに、なかなかやるじゃないか」と言われるものだと思っていました。しかし実際には、様々な人種の中でも日本人は勤勉で特に能力が高いと思われているようで、2007年にオーケストラのオーディションに合格した時には、ハープを独学で習得したという経歴を知っていたオーケストラの人事担当者から、「さすが日本人だなあ」と言われ、驚いたと同時に嬉しく思ったのを覚えています。<br><br> 演奏の仕事先で出会った元アメリカ海軍兵の老人から、日本の帝国海軍と戦った経験と、その時に感じた日本軍の規律と勇敢さについて聞かされた時には、子供の頃叩き込まれた「旧日本軍は無能で野蛮だった」というイメージとかけ離れていたので、非常に驚きました。実際に戦場で戦った退役軍人の皆さんは、戦友に対してだけでなく、同じ立場で同じ場所に同じ状況で居合わせた敵兵に対しても、尊敬と親近感を感じるものなのかもしれません。まさに、” the brave respects the brave.” 厳しい経験を生き抜いた兵士同士、たとえ敵であっても、同じ苦しみを経験した仲間として暗黙の了解のもとにお互いを尊重する。そんな無言の友情のようです。<br><br> 義父は、ベトナム戦争時に大学在学中であったにもかかわらず、政府の手続き上のミスで徴兵を受け、それを拒否すると手続きの修正が行われている数ヶ月間は兵役拒否者として刑務所に収監されるという無茶苦茶な選択を強いられて、やむなく学業を中断して入隊しました。子供の頃から飛行機を操縦していたという経験を生かし、当時最新兵器だったヘリコプターのパイロットとして陸軍航空隊で訓練を受け、ベトナムに送られました。従軍中は、現在も伝説として語り継がれている精鋭攻撃ヘリコプター部隊に所属し、特殊な任務や実験的なミッションに関わり、何度もヘリを撃墜されながらも生き延びました。ベトナムから帰還後もしばらくはアメリカ国内で軍のパイロットとして努め、退役後はトンネルを掘る大型重機の会社の技術者として、ドーバー海峡トンネルの工事をはじめ、ヨーロッパ各国、旧ソビエト、日本など、世界の様々な現場で仕事をしてきました。<br><br> 数年前に、オハイオに義父を訪ねた時、朝から夜までビール、スコッチ、ブランデーなどを飲みながら語り合う状況になりました。その時は、実の娘である妻ですら全く聞いたことのないベトナム従軍時代の話、トンネルの技術者として訪れたいろんな国々の話などをたくさん聞かされたましたが、冷静時代のソビエトでトンネル工事を請け負ったときのストーリーは、特に印象に残っています。<br><br> 義父は、当時技術系の責任者としてモスクワの高級なホテルに宿泊していましたが、自由勝手に出歩くことは禁じられていて、KGBの見張りいつもそばに張り付いていました。詳細はよく覚えていませんが、現場の重機に何か不具合が生じて、代わりのパーツが届いて無事に修理が完了するまで、責任者として人質にされて軟禁状態にあったというような事情だったようです。<br><br> そんな中、ちょっとした隙にKGBの監視の目を逃れ、ホテルの中を散策していたところ、軍服を着た退役軍人らしき集団が皆で大酒をかっくらって盛り上がっているところに出くわしました。<br><br> 義父は、世界各国の土木現場のあらくれ連中との酒の飲み比べでは、一度も負けたことはないと豪語するほどの酒豪ですから、なに食わぬ顔をしてパーティーに紛れ込んでタダ酒を飲んでいたそうです。もともとロシア系〜ポーランド系の移民の血筋で、見た目もレーニンによく似ていますから、ロシアで人混みに紛れてしまうと、いかなKGBといえどもなかなか彼を見つけられることができなかったようです。しばらくそうやってパーティーに溶け込んで静かに飲んでいるうちに、酔っ払った退役軍人から、「おー、お前レーニンにそっくりじゃないか!一緒に記念写真を撮ろう!」などと言われて調子に乗って写真などを撮って盛り上がっているうちに、「ところで、お前誰?」ということになったそうです。<br><br> この状況には、神経の図太い義父もさすがに「やばいかな」と思ったそうですが、袋叩きされることを覚悟で、正直に「俺は仕事でモスクワに来てこのホテルに泊まっているアメリカ人だ。」と答えたところ、やはり一瞬でその場の空気が固ったそうです。でも、すぐに誰かから「お前も退役軍人か。」と尋ねられ、「そうだ。ベトナムに従軍していた。」と答えたところ、「なんだ、じゃあ仲間じゃないか。一緒に飲もう!」ということになって、そのまま肩を組んでロシアの軍歌などを一緒に歌いながら、仲良く飲んでいるうちにKGBに発見されて、部屋に連れ戻されたそうです。KGBも、まさかソビエトの退役軍人のパーティーに、アメリカの退役軍人が紛れ込んでいるとは思いもよらなかったでしょう。<br><br> 義父と退役ロシア兵のように、命がけでギリギリのところで生き延びた人間同士には、憎しみや恨みを超越して与えられたお互いの運命を認め合って共感しあう人類愛のようなものをが芽生えるのかもしれません。このような感情を、戦争経験者にしか理解できない特別な感情とは考えたくありません。本来は、戦場などという死地を経験しなくとも、普通の日常生活の中でこのような人類愛に目覚ることができると信じたい。そうしないと、周期的に戦争と平和を繰り返すという、これまで人類が繰り返してきたパターンを打ち破ることはできません。日米関係のように、一度殺し合いをした上で友情を築くというような遠回りをすることなく、世界の様々な人々との間に、義父と退役ソビエト軍人の間に通い合ったような立場を超えた友情が築かれることを祈念しています。<br><br> </p>
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2020-08-01T17:50:11-07:00
2020-08-01T19:30:19-07:00
今日8月2日はハープの日。夜9時からYouTubeプレミアにてオンライン・コンサートします!
<p>本日日本時間の21時より、YouTubeプレミア・コンサート。録画したコンサート・プログラムを期間限定で公開します。<br>古佐小も、カリフォルニアの朝5時からライブチャットにて参加します。今回は、前回よりも1曲ふやした45分ほどのプログラムを、ライブと同じ緊張感で修正/編集なしでお届けします。お楽しみに!</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/tjDOXaWy2Ro" width="488"></iframe></p><p> </p>
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2020-07-30T06:15:15-07:00
2020-07-30T06:45:14-07:00
人生50年の終活
<p> 数年前、自分と同年代の知り合いのご夫婦が、悲惨な銃撃事件で亡くなりました。<br><br> ご家族からお葬式でのハープ演奏を頼まれ、その帰り道に、妻から「あなた、自分のお葬式では、どんなことを話してもらいたい?」と尋ねられ、とっさに「話はなくていいから、みんなをファームに招待して、そこでパーティーしてもらいたい。」と答えました。理想の環境を目指して自らの手で開拓している自宅ファームで時間を過ごしてもらえれば、自分がどのような人間であったのか、何を目指して生きていたのかは自ずと明らかになると思えたからです。しかし、よく考えてみると、みなさんにファームに来ていただくために、自分が死んでいる必要はなくて、生きている古佐小がみなさんを招待し、料理を振る舞い、生演奏を提供して、一緒に楽しんでも良いわけです。<br> <br> この何気ない妻との会話をきっかけに、ファーム体験や宿泊など、ファームでのイベントを提供できる環境整備のために、一層の時間と労力を投資してきました。今年は数え年で50歳。いつ死んでもおかしくない区切りの年齢になり、音楽家としても悔いのない活動をしていこうと決意した矢先のコロナ騒ぎで、ファーム体験宿泊も、音楽活動も凍結状態になりました。<br><br> 人生50年。現代の平均寿命からすると短すぎると思われますが、自分にとってはリアルな数字です。<br><br> 6年前に、兄が45歳で原因不明の心臓停止で路上で亡くなり、その数週間後に高校の同級生が交通事故で逝去。それから2年ほどの間に相次いで親戚や友人が亡くなりました。人は皆いつか必ず死ぬ。しかし、自分はまだ死にたくない…。でも、なぜ、まだ死にたくないのか?どうすれば、死ぬ覚悟ができるのか?日々そのようなことを考えるようになりました。<br><br> まだ死にたくないという理由は色々とありますが、その中でも、音楽家として培ったものを自分で抱えたまま誰にも渡さずに逝ってしまうこと、自分の理念を反映させたライフスタイルを実践していないことに対し、特に悔いが残ると感じました。そういう気持ちもあり、ここ6年間は過酷なコンサート・ツアー、毎年1枚のアルバム製作、様々な音楽家とのコラボレーション、ハープ・フェスティバルの企画運営、ワークショップの提供、新しいバンドの立ち上げ、ハープのメンテ技術の習得などに加え、持続可能ファームでの生活、ライフスタイル研究の学会発表など、収益を度外視して死ぬ前にやっておきたいことにかたっぱしから手をつけてきました。<br> <br> そんな中でのコロナ。<br><br> いつまで続くかわからないコロナ渦の5月末に、芸術家としての発信を続ける手段として、東京在住の俳優、佐藤靖郎さんと一緒に「ぴおちゃんねる」を立ち上げました。コンテンツの準備は4月から始めていましたので、YouTubeビデオの製作には、およそ3ヶ月関わっています。チャンネル登録者数も視聴回数もまだまだ少なく、収益化にも程遠い状態ですので、現時点ではいわゆる底辺ユーチューバーです。<br><br> それでも、週3本のコンテンツを精魂込めて作っていますから、かなり膨大な時間と労力をつぎ込んでいます。売れない芸術家の自己満足と馬鹿にされても、頑張っている割には視聴者の少ない「寒い」「イタい」チャンネルと揶揄されても、返す言葉もありませんが、1年間はこのチャンネルでの発信を続けるという佐藤さんと交わした決意に従ってビデオを作っていく中で、これは自分にとっての終活なんだと思えるようになりました。<br><br> 無名の自分には、マスメディアを通じて大勢のみなさんに音楽作品や思想を発信することはできません。しかし、YouTubeを通じて音楽作品と持続可能性を追求するライフスタイルの記録を残すことで、誰かが、どこかでいつか目にする機会があるかもしれないという希望を持つことができます。1年間頑張れば、150本のビデオを通じて知識や思想、音楽作品の多くの部分を記録に残せるので、これまでの半生の成果を整理し、死ぬ覚悟を固める絶好の機会となります。とは言いながら、たとえいつ死んでも良いと思える覚悟ができたとしても、できれば、あと20年くらいはジジイとしての挑戦をしながら生きていたいというのが正直なところです。<br><br> この1年のYouTubeでのチャレンジは、いわば人生50年の終活。これまでの半生にけじめをつけて、来年から初心に戻って老年への一歩を踏み出すことにつながることを期待しています。</p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/dyBys2w41as" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/HnPFmPhzXJE" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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2020-07-18T23:37:22-07:00
2020-07-21T16:15:12-07:00
朗読の新作、YouTubeにて。猫好きにはおすすめ!
<p>ぴおちゃんねるより、朗読の新作です。「待ってくれていた猫」短編で、ほっこりするお話。<br>音響効果もラジオドラマっぽく凝ってみました。猫好きなので、自然と力が入った作品です。</p><p>【ぴおちゃんねる公開動画情報】<br>以前第2弾「桜と最後の嘘」で登場人物「彼女」役で出ていただいた宮松ぼたん(慣れないw)さんに今回は語りとして出演いただきました。<br><span class="text_exposed_show"> 3年間新国立研修所で修行してきた姿を何度か舞台で観てきたので、坊主頭から随分成長したなと(髪だけじゃなく)感じております。</span></p><div class="text_exposed_show">
<p>どうやら来月あたりに早速舞台をやるらしいので、彼女のページでチェックしてみてください。</p>
<p>Reading 008「待っていてくれた猫」<br><Cast><br>朗読:宮松ぼたん(島田恵莉)<br>演奏:古佐小基史<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>Readingコンテンツ第8弾<br>小学生の頃大好きで可愛がっていた猫の突然の死。<br>それから十数年、社会人になった彼女は帰り道に不思議な体験をする。</p>
<p> </p>
<p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/SD5-znfKbV8" width="608"></iframe></p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
</div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6379560
2020-07-07T23:53:59-07:00
2020-07-08T01:45:36-07:00
命をいただくこと(前半)
<div class="h_wscomep4x _5eit x_wscoma_ze clearfix"><div class="clearfix e_wscomenas"><div class="clearfix _42ef"><div class="w_wscomenar"><div><div class="_6a _5u5j"><div class="_6a _5u5j _6b"><div class="_5pcp _5lel _2jyu _232_" data-testid="story-subtitle" id="feed_subtitle_1629572738:1124191587380981215"><div class="_6a _43_1 _4f-9 _nws _21o- _fol" id="u_ps_jsonp_24_5_c"><div class="_6a uiPopover" id="u_ps_jsonp_24_5_e"> </div></div></div></div></div></div></div></div></div></div><div class="_5pbx userContent _3576" data-ft='{"tn":"K"}' data-testid="post_message" id="js_fen">
<p>ぴおちゃんねるでのファームVlogの特別版として、命をいただくことをテーマにしたビデオをリリースしました。ファームで育てたニワトリを屠殺〜精肉するプロセスを紹介します。前半では、具体的な手順を現場で撮影したビデオでご覧いただきます。来週以降にリリースされる後半は、子供に屠殺〜精肉を教える様子をご紹介します。食育にご興味のある方には、ぜひご家族でご覧いただきたいと思います。</p>
<p> </p>
<p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/dyBys2w41as" width="608"></iframe></p>
<p> </p>
</div>
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2020-07-06T06:24:51-07:00
2020-07-06T07:30:40-07:00
生まれたばかりの仔猫
<br><iframe src="http://static.blog-video.jp/?v=uOf5aAt8GgAxzfQvahYxlSDq" width="276" height="276" frameborder="0" scrolling="no" allow="fullscreen"></iframe><br><div>仔猫が4匹産まれました!</div>
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2020-06-22T19:01:39-07:00
2020-06-22T23:30:28-07:00
便利さの代償
<p> 一昔前は、「音楽を聴きたいなあ」と思ったら、アンプの入力をフォノに切り替え、LPを盤面に直接指で触れないように注意深くジャケットから出してターンテーブルに乗せて、盤面を引っ掻かないように針をそ〜と落とし、20数分ごとにA面からB面にひっくり返さなくてはいけませんでした。その上、ちょっとホコリが付くとパチパチ雑音が入るし、ひどい時には針飛びをするので、ホワイトボードのマーカー消しみたいなホコリ取りの道具で定期的に盤面を掃除する必要もありました。針の交換やクリーニングも定期的に行う必要がありましたから、何かとメンテも大変でした。カセットテープはレコードよりは手軽でしたが、それでも赤のヘッドクリーナー液と青のローラーのクリーニング液を使って定期的に掃除をする必要がありましたし、古いカセットを再生すると、せっかくきれいにしたヘッドやローラーがすぐに汚れてしまう。磁化したヘッドから磁気をとるイレーサーなるテープ型のツールもありました。テープがローラーに巻き込まれる危険もあり、巻き込まれたテープを傷めないように取り出したつもりでも、再生すると音がクショクショとなってしまうし、そういう部分は再び巻き込まれる可能性も高く、そうなると大事なテープがオシャカです。オートリバース、自動頭出し機能が実用化された時には、その便利さに文明の進歩を感じたものでしたが、キュルキュルの頭出しがテープの寿命を縮めるので、結局その機能をオフにして使わなかったり…、まあ、色々とありましたね。ウォークマンが登場し、さらに便利になりましたが、早送りと巻き戻しをするとすぐに電池がなくなるので、鉛筆をアナにさしてくるくる手動での巻き戻しをやって電気を節約したものです。あっ、そうそう、ドルビーもCで録音したのをBで再生すると音がこもったり、テープもメタル、クローム、ノーマルの設定をしっかり確かめて録音/再生をしないと、音がおかしくなってしまうということもありました。<br><br> これだけ面倒なことをやって、聴くたびに消耗するLPやテープという貴重な数少ない手持ちの音源を再生するので、自然と「よし、聴くぞ!」という気合をもって音楽を聴く姿勢になったものです。しかし今は、あまりにも簡単に音楽をかけることができるので、どこでもかしこでも「ながら」のBGMとして音楽が惜しげもなく浪費されていると感じます。<br><br> このように、音楽に限らず様々な分野において、ここ数十年で面倒な手続きが必要となくなり便利になりました。料理、買い物、洗濯、バスや電車に乗る手続き、通信と連絡、風呂沸かし…、ここ数十年で様々な生活場面でもたらされた変化を考えてみると、実に驚くべきものです。全てが簡単で便利になりました。しかし人類は、この便利さのおかげで得た自由な時間とエネルギーを、その代償として支払っている膨大な資源消費と環境変容の代価として十分な価値のある有意義なことに向けているのでしょうか?便利さを乱用して、単なる怠惰や娯楽への耽溺に陥っていはいないか…。<br><br> 田舎暮らしで不便な生活をしていると、時間とエネルギーを様々なことに向けなくてはならず、音楽家としての活動量という単一の指標で見るならば、非常に効率の悪いライフスタイルを選択していることになります。しかし、この不便さが、音楽家/芸術家としての自分の能力向上や表現活動の足を引っ張っていると感じたことはありません。むしろ、音楽以外の時間に、音楽に向き合っている時と同じ程度の意識と注意力を払いながら日常生活を送らなくてはならない不便さがあってこそ、予測不能で自分自身以外に拠り所のない孤独な演奏場面において、自分の持てる技能を総動員して音楽に取り組む統合能力が鍛錬されていると感じています。これは、適度な不便さの賜物です。<br><br> 人類は、現代の便利さとの引き換えに、精神的な怠惰さの誘惑に引き込まれて、人間の最も重要な機能である「意識」と、生きていることを実感させてくれる源泉である「現在目の前にある現実に全身全霊で向き合う時間」を失いつつあるのではないかと思います。確かに、真剣な緊張感を持って普段の生活を行うことは楽ではありませんから、日常生活の活動を楽にやれる選択肢が増えること自体は決して悪いことではありません。しかし、それが度を超えて、人生の大半の時間を、現実から半分腰が引けたような中途半端な意識の状態で漫然と過ごすようになると、「なんとなく毎日がつまらない」「生きる目的が見つからない」「生きている意味がわからない」「何をやっても面白くない」と感じるようになります。引きこもりや鬱などの心の病が増えている背景には、すべてにおいてあまりにも便利になりすぎてしまった現代の生活様式があるのかもしれません<br><br> ひと昔前は、水を汲む、火を起こす、食料を調達する、住居を整備するなど、生きてゆくための最低限のニーズを満たすのは大変で、今の時間を生きるのに精一杯だったと考えられます。現代の感覚からすると、ゆとりのないとてもみじめな状態のようにも思えてしまいますが、今を生きるのに精一杯であることは、必ずしも不幸な状態ではないと思います。生きる目的や人生の意味などという哲学めいた命題への答えを持ち合わせていなくても、現在この瞬間にそこで起こっていることに全身全霊で向き合っていれば、少なくとも退屈を感じたり、何をすべきかわからないというようなことで悩まされることはありません。むしろ、毎瞬を「生きている」というリアルな感覚が、不思議な充足感をもたらしてくれます。とにかく、できるだけ常に意識を呼び起こし、目の前にある現実とその瞬間の内なる世界で起きている出来事に真剣に向い合うことを続けていれば、それ自体が生きていることの意義と目的となり、その積み重ねの上に長期の人生の目標や生きがいなども見えてくるのではないでしょうか。</p>
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2020-06-18T22:36:51-07:00
2020-06-19T00:30:40-07:00
芸術家
<p> コロナ騒ぎの中、コンサートやワークショップなどの通常の音楽活動が休止状態になって、4ヶ月ほどが経過しました。まだ、活動再開の目処は全く立っておりません。<br><br> しかしながら、芸術活動を数ヶ月間全く収入に結びつけることができないという状態は、オリジナルの作品で勝負しているアーティストなら、画家であれ作曲家であれ、誰もが経験することですから、まだ平常の範囲内とも言えます。そう考えると、さほど惨めさを感じることもなく、これまで通りに音楽の探求を続けられます。<br><br> このような状況では何をやってもお金にはならないのだから、むしろ今はお金をことを考えずに、大手を振って純粋に興味と探究心から音楽に打ち込んむことができます。プロの音楽家をやっていると、これほど自由に音楽に向き合えるチャンスは案外と少ないですから、むしろこの時期を大切に過ごしたいところです。もし、この時期に何をやったら良いのかわからないというのであれば、おそらく、今まで仕事をこなすという形でしか音楽に関わってこなかったということだと思います。仕事がない現状では、練習や研究をする気が起こらないというのであれば、音楽家を目指したころの初心を忘れてしまっているのでしょう。<br><br> 真摯な芸術家であれば、自分を取り巻く環境がどのように変わっても、芸術家をやめてしまうことはできません。必要に応じて用いる媒体、発信の手段を変えながら、芸術への探求は続けられます。もし、このコロナ騒動のために芸術家をやめようと感じているとしたら、これまで真摯に芸術に向き合っていなかったということの証かもしれません。芸術への真摯な情熱を奮い起こせば、日常生活の時間からも芸術への深い洞察が得られますから、どんな状況に合っても芸術の探求は続けられるのです。芸術への探求を妨げる主な要因は、社会情勢や環境ではなく、自分自身の怠惰と志の低さにあります。<br><br> 芸術活動というと、なんだか大袈裟で複雑な活動のように聞こえてしまいますが、実は至極単純なことなんだと思います。一言で言えば、感じられることを表現する。で、そのためにやることは、たったの二つ。感じる能力(感性)と、表現する能力(創造力)を磨くこと。これだけです。前者は、目覚めている限りいつでもできることです。後者は、例えばハープ演奏というかなり特殊な動作を含む表現技術であっても、様々な日常生活の作業を意識的に行うことで、ハープ演奏に必要な機能も間接的にトレーニングすることができますし、平素の練習においても実際の演奏で用いるような最高の集中力を持って楽器に向かえば、短時間でも多くを学ぶことができます。<br><br> 楽器に向かっていない日常生活の時間をどのように過ごせるかということが、芸術家としての資質にもっと大きな影響を与えています。逆に言えば、芸術家であるということは、単にそれを職業としているということではなく、日常生活のあり方も含むその人の生き方そのものなのです。<br><br> </p>
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2020-06-13T09:29:37-07:00
2020-06-13T12:30:21-07:00
ハープと朗読のコラボ作品配信
<p>ぴおチャンネルより、新しい動画のアップ。</p><p>戦時中の不思議な体験談を語る朗読短編です。ハープの即興と佐藤靖朗さんの朗読で、幻想的な空間を目指してみました。</p><p>音楽と朗読の遠隔コラボで、毎週1本ずつ短編作品をあげていきます。皆さんの心に響く作品作りを目指していますので、ご興味がありましたらどうぞ!</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/NXdvxyrChs0" width="608"></iframe></p><p> </p>
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2020-06-11T21:54:54-07:00
2020-06-11T22:45:30-07:00
DIYのすすめ
<p> ファームでは、ほぼ毎日、家屋や道具のメンテやインフラ整備に関する様々な作業をやっています。</p><p> </p><p> 土木、建築、上下水道、電気、ガス、自動車、小型エンジンで動くチェーンソーや草刈機などの機械の整備など、もともと興味があってやっていたことは何一つありません。必要に迫られ、知らないことを、よくわからないまま、手に入る情報と自分の判断で失敗しながらとにかくやってみて、実地で身につけるというサイクルで学んできました。</p><p> </p><p> まだまだ知らないこと、できないこともたくさんありますが、根気よくいろんなことにチャレンジしているうちに、一般的なレベルからすると、かなりハードコアなDIYをやるおっさんなってしまいました。こんな風になんでもDIYするのは大変だし、ハーピストとしての本業に何か役立つのかというと、直接ハープ演奏には役立ちません。毎日、夜明けとともに始動して、1日中フルに頭と体を使うので、日が暮れる頃にはクタクタです。時々、なんでこんなしんどいことやってるんだろう、と思います。<br><br> ただ、人間生活の基本である衣食住の「食」(農業で実践しています)や「住」についての知識と実践能力を培うことは、生物としての深い部分での本能的な自信というか、心の安らぎのようなものをもたらしてくれています。この自信と心の安らぎは、単にハープが上手に演奏できるということからくる専門家としての自信や一芸を持っていることからくる心の安らぎとは全く異質のもので、何物にも代えがたい喜びです。また、知らないこと、できないことを頑張って学ぶというプロセスを経験し続けることで、心身を柔軟に保つことができ、このことはクリエイターである音楽家に必要な素養を間接的にサポートすることになります。<br><br> 全てのことで本職並みになる必要は全くありませんが、自分の専門分野ばかりを深く掘り下げるだけでなく、生きる上で最も基本的なニーズである「衣食住」に一歩深く関わって、そこでの理解広げていくことで、生活人としての喜びと余裕が生まれてくると思います。<br><br> DIYは、最初一歩を踏み出すのが中々におっくうなのですが、必ず結果が形となって残り、やればやるほど加速度的に理解力が高まるので、苦労は必ず報われます。<br><br> </p>
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2020-06-10T07:05:02-07:00
2020-06-10T09:00:57-07:00
ファームVlog.1 自家製イチゴミルクシェイクを作ろう!
<p>"ぴおちゃんねる"より、ファームVlogシリーズ開始しました。イチゴ畑の様子、ヤギのミルク絞りなど、自給自足ファームでの実際の生活の様子をお伝えするビデオです。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/nH8QaPrZrJY" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p><p> </p><p> </p>
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2020-06-08T22:12:36-07:00
2020-06-09T23:30:42-07:00
ファーム・コミュニティー
<p> 先週の月曜の朝、肉用に飼っていたニワトリ20羽を屠殺精肉しました。今回はお隣のご家族が手伝いに来てくれました。<br><br> このご家族は、昨年、古佐小ファームの東側に隣接する土地(といっても、歩いて7分ほどの距離にあるお隣さんですが…)に子供二人+おばあさんの5人家族で引っ越してこられたご夫婦で、新たにファームを立ち上げました。現在は、もう一組の4人家族が敷地内の別棟を借りてさらに大所帯となり、現在は子供4人、大人5人という賑やかさ。ステイ・ホームでも敷地内に森があるので、子供達は元気良く外で遊び回っていて、その声がここまで聞こえてきます。<br><br> ファームの立ち上げに関して色々とアドバイスをしたり、地元の友人を紹介したご縁で、親しくおつきあいをするようになり、この数日前にも、初めてのニワトリの屠殺・精肉をするとのことだったので、指導とお手伝いに行ってきました。さらに経験を積みたいおいうことで、今回はこちらの作業のお手伝いに子供3名、大人2名の合計5名で来てくれました。<br><br> ティーンの女の子と男の子、それに小学生の男の子にも、屠殺から精肉までの全プロセスを自分でできるように指導しました。さすがに子供は覚えが早く、この2回の経験で、ほぼマスターしたようです。途中、ニワトリが逃げ出すというハプニングもありましたが、こういう時は元気に走れる子供がいると助かります。この歳になると、傾斜地を全速力で走ってニワトリを追いかけるのは、ちとキツい。<br><br> 途中、妻のおじいちゃんも様子を見に出てきたり、南側のお隣さんも作業を見学に来たりと、賑やかな朝となりました。<br><br> 昔のファームでは、村総出でいろんな作業を一緒にやったそうですが、実際にやってみると、その理由がよくわかります。まず、大勢でやったほうが楽しい。奥様連中は、井戸端会議ならぬ鳥端会議で、ぺちゃくちゃとずーとおしゃべりしながら楽しそうにやってました。それに、人手が多いので作業が楽です。そしてなによりも、この上ない子供の教育になります。このようなコミュニティーでの協働は、何か懐かしい思いを呼び起こさせてくれ、心を温かくしてくれますね。これからもこういうつながりを広げて、街に住むご家族がファーム体験で参加できるような仕組みも作っていきたいと思います。<br><br> 同じコミュニティーに暮らす家族同士がそれぞれが助け合いながら、順番に収穫や屠殺、種まきや作付けをらるようにすれば、特殊な道具も1セットあればOKです。これまでちょっと高価で手のでなかった鳥の羽をむしる機械を、お隣さんとの共同出資することでついに買うことができました。そのおかげで、これから鶏肉の生産を拡大できます。今回は自宅での消費のために20羽でしたが、秋以降は販売を視野にまずは60羽、来年は100羽体制へと広げる予定です。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/73/80/j/o2592193614772023368.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/73/80/j/o2592193614772023368.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/37/22/j/o2592193614772023044.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/37/22/j/o2592193614772023044.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/5d/3d/j/o2592193614772023639.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/13/musiclife-in-nature/5d/3d/j/o2592193614772023639.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/14/musiclife-in-nature/84/e3/j/o2592193614772047718.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200610/14/musiclife-in-nature/84/e3/j/o2592193614772047718.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a></p><p> </p><p><br> </p>
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2020-06-08T07:49:08-07:00
2020-06-08T10:00:48-07:00
「世界平和について」中学生の頃に書いた作文を読んで…
<div> 昔の持ち物を整理してたら、中学1年時の文集が出てきました。当時書いた作文のタイトルは、「世界平和について」。中学生の分際で、まあ、ガキのくせになんと大それたテーマの作文を書いたことかと呆れながら読んでみたところ、案外と正論を書いていました。以下に本文です。</div><div>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー</div><p> </p><p>「現代は平和である」と言われるが、本当にそうなのだろうか。確かに、1900年前後や昭和初期に比べれば、平和で豊かになっているだろう。しかし、中東では戦争が続いているし、その他いろいろな国で内乱が起こっていることも確かである。また、中国や朝鮮半島の国などは戦争時のことについて、今でも日本に反感を持っている。ソ連とアメリカの間でも冷たい戦争が続いている。</p><p> </p><p> このように例を挙げればきりがないが、つまり現代にも大戦争を引き起こす引き金になることがらはいくつもあるということである。要するに、現代の平和というのは、一部の国、一部の人間にしかないということであり、ニセ物の平和・見せかけの平和でしかないということである。</p><p> </p><p> 真の世界平和というのは、地球上から人類の不平等、戦争をなくすということである。しかし人類の不平等をなくすことは難しい。けれど、戦争をなくすことは可能である。それには、まず国内の平和や民族の平和、次に人種の平和、最後に人類の平和というふうに平和の輪を広げていくことが大切だと思う。</p><p> </p><p>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー</p><p> 49歳の大人になって、結局のところ、世界平和どころか戦争と自己破壊の危機がさらに差し迫る世の中を作ってしまったな、と反省しています。子供時代に抱いていた平和への純粋な希求の気持ちを忘れてしまっているわけではないのですが、個人のレベルですらエゴを克服できていない。いかんなあ。もっと頑張るようにと、昔の自分から叱咤激励されました。</p><p> </p>
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2020-06-07T23:39:59-07:00
2020-06-08T00:30:29-07:00
消費・浪費は良いことなのか?
<p> 以前、買ったばかりのデジカメのレンズにキズがついてしまった時に、メーカーにレンズ交換の修理の問い合わせをしたところ「自社ではレンズの修理は扱っておりませんが、レンズ修理を請け負っている会社をご紹介できます」とのこと。ただし、「その場合は、カメラ自体のお値段よりも修理代の方がお高くなりますが、よろしいですか?」って.....よろしいわけないやろ!<br><br> 時代遅れの感覚なのかも知れませんが、修理したら使えるものを捨てて新しいものを買うことに、とても大きな抵抗感を感じるので、メーカーや販売店に修理の問い合わせや修理部品の取り寄せの相談をすることも多いですが、ほとんどの場合、電気製品に限らず、ちょっとした農具やクツ、カバンなどでも、「修理するより新品の方が安いでっせ(もちろん、英語で)」という回答です。そう言われて、こちらがどうするべきか悩んでいると、たいていは「同じ値段で新品が買えまっから、悩むことないでっしゃろ。(実際には英語で..)」と、買い替えを勧められます。まあ、お金のことだけ考えたらそうなのでしょうが...。確かに、このような状況であえて修理にお金を使う消費者はほとんどいないでしょうね。<br><br> それでも、金銭的には、損を覚悟でできるだけ修理をします。業者を頼む余裕がないときは、自分で修理を試みます。そうやっているうちに、自動車や家周りのインフラ設備に関しては自分で修理できることも多くなりましたが、やはり全てを修理することは無理です。自分でも修理できない、業者を雇うこともできないとなると、結局のところ、ポイ捨ての風潮に乗っかってしまっています。<br><br> 消費が増えればお金が回る、お金が回ればGDPもあがる、GDPが上がれば豊かになれる..というような資本主義的な豊かさのモデルの理屈でいえば、ポイ捨てして新しいものを買うことはむしろ良いことなのかもしれませんが、そうすることで自分の大切な部分もポイ捨てしているような気持になります。<br><br> 環境問題の根本的な原因は、資源の過度の浪費にあると思っています。消費を奨励するような社会や国家のあり方は、このまま続けられるものではなく、完全に破綻してしまう前に新たな仕組みを見出すべきだと思っています。そのために、個人としては少しでもその片棒を担がない生き方をしたいと努力しているつもりでも、今の仕組みの中で社会の一員として生活している以上は、結局のところは、しっかりとその片棒を担いでしまっています。 生きるということは、本当に矛盾に満ちています。<br><br> こんな自分の偽善に気づくと、ほとほと嫌気がさして 無力感に襲われることも多々ありますが、そこで開き直って「世の中こんなもんさ」と何もしないのは、無邪気に何も考えずただ浪費しているよりもタチが悪い。ほんの小さなことでも何かした方が善いに決まっていますから、矛盾に苦しみながらもできることを少しずつやるしかありません。<br><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6343161
2020-06-04T22:59:50-07:00
2020-06-05T02:01:51-07:00
新設YouTubeチャンネル「ぴおちゃんねる」からコンテンツ配信開始!
<p> 5月23日より、YouTubeにて開設したチャンネル、「Place in our heartチャンネル」。ただ、この正式名称では長すぎるので、頭文字のPiOH(ぴお)をとって、愛称「ぴおちゃんねる」と呼ぶことにいたしました。英語だと検索もできませんからね。<br><br> 俳優の佐藤靖朗さんとの「朗読 × Harp」の共同プロジェクトが立ち上がったのが4年前。佐藤さんとは、それからライブでのパフォーマンスを続けてまいりました。今年も秋の来日の際に朗読とハープのコラボを企画していたのですが、新型コロナウイルスの流行により、ライブでのコラボが難しい状況が長期間続く中、日米の距離を越えてより緊密なコラボを継続する手段として、共同でYouTubeのチャンネルを開設することにいたしました。<br><br> 若い世代の皆さんがやっているような刺激にみちたドタバタのYouTubeではなく、大人が楽しめるチャンネルを目指し、以下の4つのカテゴリーで番組を作ってまいります。<br><br> 朗読とハープのコラボでを中心とした「Reading」、音楽演奏や音楽に関するレクチャーをお送りする「Music」、自然を紹介する「Nature」、アーティストとしての生活やカリフォルニアでの自給自足ファームでの暮らしを紹介する「Life」の4つのコンセプトで、コンテンツを作ってまいります。<br><br> これから1年間は、毎週2本+の動画を更新し、様々なアーティスト・俳優にも出演していただきながら、「ぴおちゃんねる」をアーティストの素顔をご覧いただけるメディア、演劇や音楽のコラボレーションの新しいプラットホームとして発展させていきたいと思っております。チャンネル登録と皆様のいいね!ボタンでの応援や、コメントをお待ちしております。<br><br><br>また、月1回の24~48時間限定公開配信など、たくさんの企画を予定しています。チャンネル登録していただくことで、番組の通知が届くのようになっております。また、出演者への謝礼をお渡しできるところまで「ぴおちゃんねる」を発展させるには、皆様の応援が不可欠です。番組にご賛同いただけましたら、チャンネル登録をお願いいたします。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/GwMsU2BEH4s" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6333249
2020-05-28T08:49:28-07:00
2020-05-28T09:30:25-07:00
週末に49歳を迎えて
<p> 生きてゆくのは、なかなかにしんどいものです。世の中思い通りにならないことの方が多く、明日どうなっているかもわかりません。49年生きてきましたが、まだ上手に世渡りをする術も身についていないし、知らないこと、できないことだらけ。焦っても、残り時間だけはどんどん短くなっていきます。</p><p> </p><div class="text_exposed_show">
<p> ここまで来ると、全てをやり尽くして、なんの悔いも残さずに死ねるなどということはあり得ないだろう、と容易に想像できます。でも、「どうせやり尽くせないんだったら、適当にやっちゃえ」という風にも考えられない。敦盛で「人生五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」と謳われているように、たしかにこれまでの人生を振り替えてみると、あっという間に49年経ってしまったと感じられるし、過ぎ去った日々は記憶の中で夢幻として存在するだけで、結局手元に残っているのは今という瞬間だけ。この瞬間も、次の瞬間には過去の夢幻となっていきます。</p>
<p> </p>
<p> そうなると、今の瞬間にベストを尽くす努力を積み上げるしかないということになるのですが、毎瞬を全力で生きられるほどの精神力も持ち合わせていない。そうなると、せめて毎日を悔いなく過ごすということくらいしかできませんが、それもそう簡単ではありません。安易に妥協を繰り返すことで知らぬ間に目標から逸脱し、身勝手な自己正当化を重ねることで真実を見失ってしまう。まだまだ学ぶべきことはたくさんありますね。</p>
<p> </p>
<p> この年になると、自分のやっていることを権威筋に認めてもらい、お墨付きをもらうというようなことには、ほとんど興味がなくなりました。社会的地位や経済的な力、業界で権威を持っている方も、自分と比べて年齢も人生経験もさほど変わりませんし、自分の人生を一生懸命に生きてきた結果として、その時代のニーズや社会状況に応じてそれぞれが今の立場にあるわけですから、特に誰が偉いというようなこともなく、言うなれば、皆で一つの社会を構成する仲間のようなものです。ですから、社会での自分の役割を自覚し、お互いの生き方を尊重し、尊敬できる相手からは学び、自分の目指している生き方を貫けていれば、それをいちいち権威筋の評価や世間の評判で査定する必要はありません。自分自身の現状と目標にしているゴールとの格差を見て、冷静に自己評価をすればそれで十分です。あとは、残された時間を見ながら、ペースを考え、時間とエネルギーの投資先の優先順位を間違えないように気をつけていきたいと思っています。</p>
<p> </p>
<p> 皆様、引き続きよろしくお願いいたします。</p>
<p> </p>
<p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200529/00/musiclife-in-nature/b7/d5/p/o1550104214765757320.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200529/00/musiclife-in-nature/b7/d5/p/o1550104214765757320.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="417" width="620" /></a></p>
</div>
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2020-05-25T22:50:12-07:00
2020-05-26T00:30:34-07:00
木こり談義
<p> コロナ騒動以来、音楽の仕事がないので、時々木こりの手伝いをして小銭を稼いでいるので、木こり談義を一つ。</p><p> </p><p> 自宅で木こり作業をする目的は、主に朽木や倒木、立ち枯れの木の処理で、切り出した木はストーブ用の薪にします。ストーブの薪の調達に関する一連の作業を並べてみると、以下のようになります。</p><p> </p><p>1)木の切り出し:チェーンソーを使って森林で朽木、あるいは立木を切り倒し、人力で動かせる大きさに切る</p><p>2)ぶつ切り作業:切り出した木をチェーンソーでマキの長さにぶつ切りにする</p><p>3)運び出し:マキの備蓄場所近くまで運ぶ</p><p>4)薪割り:太い幹の部分は、斧で割って丁度良いサイズにする</p><p>5)保管:家の近くの雨のあたらない場所に保管する</p><p>6)現場の枝の片付け:切り出しで散らかった現場で使えそうな枝は着火用の薪として確保し、その他の細かなものは集めておいて後日燃やすか、堆肥の材料として活用する。</p><p> </p><p> どの作業も重労働なので、一人でこれらの作業を一気に終わらせるのは無理です。1日に3−4時間程度ずつ、3日間でだいたい2ヶ月分のマキを準備できます。これで、おそらく150ドル分程度の薪を確保できますから、時給に換算する10ドルちょっと。ジムに行かなくてもハードなトレーニングできて、しかもお金も節約できると考えると、悪くありません。</p><p> </p><p> チェーンソーに慣れるには、ちょっと時間がかかります。エンジンをスタートさせるコツやオイル混合燃料の準備、メンテなどで戸惑うことも多く、初心者の時には、木を切り始める以前にすでに面倒な気分になってしまうこともあります。また、使い方によっては刃が跳ね上がったり、チェーンのパワーに持っていかれそうになったり、チェーンが外れてしまうこともあるので、最初は緊張で体にガチガチに力が入り、数分で握力がなくなるほどに疲れてしまうのですが、忍耐強くチェーンソーと付き合っていくうちに、2−3時間は平気で作業できるようになります。</p><p> </p><p> 「チェーンソーを使うのが大変そうだ」ということで、自力での薪調達を諦める方も多いのですが、「大変だ」という先入観を取り去れば、チェーンソーは誰にでも操作できる道具で、アメリカでは女性でもへっちゃらで使う方が大勢いらっしゃいます。田舎生活では必需品ともいえるアイテムで、チェーンソーの使い方をマスターすれば、山での生活に自信が持てます。実際、立ち木が強風で倒れて道路をふさいでしまう場合や、立ち枯れした木が不意に倒れて自動車や家屋を破損するのを予防するために安全な方向に木を切り倒す必要のある場合があるので、チェーンソーが活躍する場面はたくさんあります。</p><p> </p><p> チェーンソーがなかった時代には、日常生活においてもっとたくさん薪が必要だった上に、全てを手作業で行っていたわけですから、相当に大変だったと思います。アメリカでは、その時代の木こり文化も残っていて、斧で丸太を切り倒す速さを競う選手権があります。そこには現役のプロの木こりが登場し、斧一本でとんでもない速さで木を切り倒すのです。技術もさることながら、彼らの半端ない筋肉量に圧倒されます。まるで、北斗の拳に出てくる力自慢の悪役みたいな体格です。</p><p> </p><p> 今でこそ、木の切り出しはチェーンソーを使えば普通の筋肉で事足りるし、事実、慣れてしまえばそれほど大変でもありません。しかし、森からの運び出しでは自動車が使えないので、今でも大変です。手押しの荷車か、あるいは足場が悪いところでは少しずつ担いで運び出すしかないので、ここが薪調達の正念場になります。実際、ここには運び出しをされないまま、森に放置されている薪材もたくさんあります。これらは、妻のおじいさんが数年前に切り出したものですが、80代も半ばとなると、森からの運び出しはさすがに無理。40代後半でも、登り斜面での運び出しはキツく、「うへ〜」と感じてしまうほどです。しかし、ここで諦めてしまったら、燃料は確保できません。ここは気合一発、この山を乗り越えるしかありません。</p><p> </p><p> 運び出しが終わったら、いよいよ薪割りです。薪割りは、運動好きの方には結構楽しめる作業です。薪割り専用の機械もありますが、家庭で使う程度の量なら、斧を使った手作業で間に合います。しかし、初心者のうちは、時代劇や西部劇のカッコいい薪割りシーンのようには上手くいかないものです。フシのあるもの、曲がったもの、枝分かれのあるものもあるし、直径30〜40センチのものを割る場合には、同じ所を狙って数回にわたって斧を打ち込む必要もあり、割れる筋目の見極めと斧の振り方のテクニックの習得には、なかなか奥深いものがあります。切る対象の特性を見極め、斧の重さに逆らわない程よい脱力を伴う正確な動作により狙ったとこに一気に刃を打ち込む…。そこには、精妙なハープの即興演奏や、一本をねらう柔道にも通じる心技体の修練があります。</p><p> </p><p> そして案外と大切なのが、薪の保管。資源というものは、しかるべき場所にすぐに使える状態で備蓄されていないと意味がありませんから、薪は家屋からほど近い場所に、雨に濡れない状態である程度大きさで分類され整理/保管されている必要があります。崩れないように薪を積むのにも、それなりの根気と体力が必要です。</p><p> </p><p> 最後に、現場の片付けも大切です。特に、ここカリフォルニアでは火災が最も恐ろしい天災ですので、敷地内の地面に燃えやすいものが大量に散乱しているのは、いざの時に命取りになりかねません。使えそうな資源はできるだけ薪として確保して、残りは雨季にまとめて燃やしておくのが得策になります。</p><p> </p><p> 昔は誰もがやっていた仕事ですが、やってみると大変だし、奥も深い。農業もその他のインフラ整備の仕事もそうですが、生きることの根本に関わるような仕事の場合、どんな仕事にも貴賎はなく、等しくやりがいがありますね。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/0c/e1/j/o1936259214124366381.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/0c/e1/j/o1936259214124366381.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/49/0d/j/o1936259214124368398.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/49/0d/j/o1936259214124368398.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/1e/09/j/o1936259214124366759.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/1e/09/j/o1936259214124366759.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/e4/da/j/o1936259214124367167.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/e4/da/j/o1936259214124367167.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/c2/65/j/o2592193614124367487.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180203/15/musiclife-in-nature/c2/65/j/o2592193614124367487.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a></p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6329556
2020-05-25T06:07:14-07:00
2020-05-25T10:15:44-07:00
現代生活の贅沢さ
<p> 数年前に5年連続の干ばつを経験したお陰で、蛇口をひねるたびに、「水を無駄にしてはいけない!」という意識が、自然と起きるようになりました。干ばつの時には、水を使うペースが速すぎると、井戸から一時的に水をくみ出せなくなるという事態になるのです。下手をすると、雨季が来る前にそのシーズンの水を使いはたしてしまい井戸が枯れてしまうという恐ろしいことになりかねません。<br><br> 水の無駄を極力抑えて生活してみると、水洗トイレで流す水は恐るべき無駄であることに気づきます。1回トイレを流す水で、大人一人に必要な飲み水の2日分は楽にまかなえます。シャワーが温かくなるまで流してしまう冷たい水も、干ばつの時にはバケツに汲み置いておくのですが、それでトイレを2回流せるほどの水を節約できます。<br><br> ちなみに、古佐小家の暖房設備は、薪ストーブのみです。冬になると、面倒な火おこしが日常です。こういう生活をしていると、薪はもちろんのこと、火を起こすときに必要な小枝や木の切れっ端も、価値ある「お宝」に見えてしまいます。慣れてしまえば、乾いた小枝と中くらいのサイズの枝を使えば、新聞紙1枚とマッチ1本で5分以内にストーブの火が起こせるのです。もっとも、電気やガスのヒーターのスイッチを指先一つでオンにすることと比べたら、かなり面倒な作業ですが…。<br><br> 考えてみるに、江戸時代には、自分が使う水は井戸からつるべで汲んでいたわけですから、現代のように水をふんだんに使うことは出来ませんでした。それができたのは、自分で水を汲まなくてもよい身分、つまり召使のいたお金持ちや支配者階級に限られていたことでしょう。しかし、どれだけお金や権力に物を言わせても、誰かが燃料を燃やして火を起こさないことには、暖房どころか炊事や風呂の準備すらできませんでしたから、熱源を手に入れることは、それほど簡単ではありませんでした。ところが、現代では普通の稼ぎがあれば、好きなだけ水、電気、ガスを使って生活を送れるますから、ほとんどの現代人は、一昔前の基準で言うなら「お大尽」にも想像できなかったような贅沢な生活をしていることになります。<br><br> 田舎暮らしの不便さが日常になると、現代生活の平均的な便利さが恐ろしいほどに贅沢に感じられます。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200525/22/musiclife-in-nature/40/23/j/o2592193614764247610.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200525/22/musiclife-in-nature/40/23/j/o2592193614764247610.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="463" width="620" /></a></p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6327742
2020-05-23T09:04:47-07:00
2020-05-23T11:15:24-07:00
新たなYouTubeチャンネル、開設いたしました!
<div data-contents="true">
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="9qeoi-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="9qeoi-0-0"><span data-offset-key="9qeoi-0-0"><span data-text="true">誕生日をもって、新しいYouTubeチャンネルを開設しました。俳優の佐藤靖朗さんとのコラボでコンテンツを配信するチャンネル。Reading(朗読)、Music(音楽)、Nature(自然)、Life(生活)の分野で、いろんな番組を作っていきます。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="638ke-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="638ke-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="7aufb-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7aufb-0-0"><span data-offset-key="7aufb-0-0"><span data-text="true">"Place in our heart" 心の中の場所。ここから全ては始まります。自分の心で感じられる感動や気づきは、そのまま以心伝心で、直接相手に伝えることはできません。芸術家は、その内的な経験を呼び起こせる媒体として、芸術作品を生み出し、それを鑑賞するみなさんの心の中に、自分が経験したのと同じ感動や気づきを投影しようとします。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="emmb8-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="emmb8-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="95f1-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="95f1-0-0"><span data-offset-key="95f1-0-0"><span data-text="true">このように、全ての始まりとなる心の場所が、このチャンネルのテーマです。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="e1iga-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="e1iga-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="b8nr0-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="b8nr0-0-0"><span data-offset-key="b8nr0-0-0"><span data-text="true">そのため、作品のパフォーマンスだけでなく、アーティストとしての生活の側面や、カリフォルニアの自然の中での自給自足を目指す生活の一コマなど、生活全般にまたがる内容のコンテンツを作るつもりです。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="1c6b5-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="1c6b5-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="anua1-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="anua1-0-0"><span data-offset-key="anua1-0-0"><span data-text="true">正直なところ、これからどのようなチャンネルに進化するかは、自分たちにもわかりませんが、Place in our heartに立ち返って誠実にコンテンツを作っていけば、みなさんにも共感していただける番組を提供できると信じています。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="8ap75-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="8ap75-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="opi4-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="opi4-0-0"><span data-offset-key="opi4-0-0"><span data-text="true">若い世代のユーチューバーのチャンネルのように、刺激に満ちた面白いものにはならないかもしれませんが、じわっと心にしみるようなシブい大人のチャンネルを目指したいと思います。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="e4m3c-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="e4m3c-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="f292j-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="f292j-0-0"><span data-offset-key="f292j-0-0"><span data-text="true">コロナウイルス感染の流行により舞台で生のパフォーマンスを共有できない状況が続く中、演劇と音楽の発信の新たな試みとして、まずは1年間チャレンジします。</span></span></div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="ca9dh-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="ca9dh-0-0"> </div></div>
<div data-block="true" data-editor="auh8f" data-offset-key="7aqfq-0-0">
<div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7aqfq-0-0"><span data-offset-key="7aqfq-0-0"><span data-text="true">わざわざチャンネル登録するのは煩わしとお感じになる方も多いかとも思いますが、アートの発信は、みなさんの参加があってこそ成り立つものです。その点は、生のコンサートと全く同じです。クリックを通じて応援していただければ幸いです。</span></span></div>
<div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7aqfq-0-0">
<p> </p>
<p> </p>
<p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/Ly0BwRj5Ssw" width="608"></iframe></p>
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</div>
<div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7aqfq-0-0">
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</div>
</div>
</div>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6326563
2020-05-22T07:09:51-07:00
2020-05-22T11:30:30-07:00
パーマカルチャー/持続可能な生き方
<p> 古佐小ファームで取り組んでいる試みは、パーマカルチャーに分類されます。日本ではまだあまり浸透していない用語かもしれませんが、定義は以下のとおりです。</p><p>“<b>Permaculture</b> is a system of agricultural and social design principles centered around simulating or directly utilizing the patterns and features observed in natural ecosystems.”</p><p>「パーマカルチャー(持続型農業、持続型文化)とは、自然の生態系に見られるパターンや特徴の直接活用とそれらの模倣を主軸とした農業と社会デザイン原理のシステムである。」</p><p> </p><p> 有機農法も服もより大きな概念で、パーマカルチャーでの農業は、有機肥料や有機除草剤なども使わず、その場の自然の生態系のサイクルの範囲で食料を確保する環境を整備するので、自然農法に近いものになります。ただ、パーマカルチャーでは、食料だけでなく、水、燃料などの生活に必要な様々な資源を確保できる環境を整え、その供給が半永久的に持続可能な状態を目指しますから、自然農法よりもさらに大きな概念です。</p><p> </p><p> まず、居地に選んだ場所の自然を、ただ観察する。そして、環境に介入して、それがどのようなインパクトを与えるか、自然の変化を観察する。下手に農業の知識や技術があると、やたらと介入しすぎてしまい、このただ観察するというのは案外と難しいのですが、この観察という部分がパーマカルチャーの最も重要なキモだと思います。</p><p> </p><p> 現在のファームに居を移して3年間、最小限の介入と観察に終始し、ようやく4年目にして、なんとなくこの土地の環境の概要が分かりかけてきた気がします。</p><p> </p><p> パーマカルチャーでの農業は、まさに脳業。同じ地域に属する土地でも、水利や日照、地形にそれぞれに独自の特徴があるので、現場での観察に基づくデータの蓄積とその分析が不可欠で、このデータ処理がいわゆる科学的な量的なデータだけでなく、感情や感覚による質的なデータにまで及ぶため、非常に高度な知的活動が要求されます。しかも、やったことの成果が目に見えるようになるまで、数ヶ月から数年かかるので、忍耐と持続力も必要です。</p><p> </p><p> パーマカルチャーの畑は、雑草も作物も一緒に生えているので、一見ぐちゃぐちゃですが、土中の微生物環境は良好です。カエルや鳥、捕食者のカマキリなどの昆虫も多く生息し、案外と害虫の害も少なく、作物もそこそこ収穫できます。例えばイチゴ。最初はほとんどの果実が虫にやられていましたが、コンパニオン作物として植えていたネギが育ち、いろんな雑草が茂ってくると、虫の害も拡散し、8割の果実は無傷で収穫できるようになりました。もちろん、スーパーで売ってるようなツヤツヤの大粒のイチゴというわけにはいきませんが、十分に美味しくて栄養価の高いイチゴが夫婦2名では食べきれないほど収穫できます。</p><p> </p><p> パーマカルチャーの目指している農業環境は、狩猟採取民にとっての理想のフィールドと考えるとわかりやすいと思います。イチゴを雑草を掻き分けて摘むのは面倒だし、剪定しないので果実も小粒で畑の見た目も良くありませんが、これが野生のイチゴの群生地と考えたら超ラッキースポットです。他の野菜も同じく、見た目や収穫の便は悪いですが、自然の中で食べ物を探し歩くことを考えたら、まさに楽園のような状況です。家畜の動物も然り。獲物を探して森の中を何時間も、何日もさまようことなく、常に食べられる動物がそこにいて、毎日卵を産む鳥の群生地もあるのですから、楽園そのものです。</p><p> </p><p> パーマカルチャーでは、一見無駄がたくさんあるように見えるのも面白い点だと思います。しかし、この「無駄」という認識も、人間の立場からの一元的な認識にすぎません。一つの花から何十もの種が取れる自然のデザインを考えると、むしろ人間の目には無駄と思える余剰分があってこそ、全体の生態系はバランス良く機能することができると思います。</p><p> </p><p> そして、パーマカルチャーにおいては、人間はあくまでも世話役に徹することが大切です。今暮らしている場所が豊かな生命に満ち溢れ、それがほぼ自力で持続するように環境を整える役目で、言うなれば楽園の庭師、管理人というところでしょうか。そして、そこにいる生命体すべてに恵みをもたらす環境を整えるという目的意識も大切です。人間のエゴで環境を作り変えるのではなく、人間と生態系のウィン・ウィンの関係を目指すライフスタイルが、パーマカルチャーなのかなと思います。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200522/23/musiclife-in-nature/80/8d/j/o3024403214762723865.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200522/23/musiclife-in-nature/80/8d/j/o3024403214762723865.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="827" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200522/23/musiclife-in-nature/1b/cd/j/o4032302414762724341.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200522/23/musiclife-in-nature/1b/cd/j/o4032302414762724341.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a></p><p> </p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6320839
2020-05-18T07:25:27-07:00
2020-05-18T08:30:33-07:00
なんで中年のオッサンが働き盛り?
<p>なんで中年のオッサンが働き盛り?</p><p> </p><p> もう数日で49歳になるオッサン。中年の中の中年。これが中年でなかったら、世の中に中年などという者は存在しないほどの直球ド真ん中の中年です。20代の頃は、テレビなどで「50歳といえば、ちょうど働き盛りで云々…」と言われているのを聞くたびに、「なんでそんな片足を棺桶に突っ込んだようなおっさんが働き盛りなわけ?」と不思議に感じましたが、実際にそうなってみると、その謎が解けてきました。</p><p> </p><p> アラフィフ。アメリカに移住した後に日本で発明されたナウい言葉なので「中年」よりはカッコよく響きますが、中身は一緒ですよね?一応健康でも、近くの物が見えにくくなり、髪の毛やヒゲに白い物が混じり、ちょっと油断すると太るくせに、歯茎はだんだん痩せてくる。血糖値や血圧を心配し、徹夜などしようものなら次の日はヘロヘロ。怪我をしたら回復に時間がかかり、病気になったらなかなか元どおりには戻らない。四十肩や五十肩は序の口で、無理したら腰痛や筋肉痛。何かを取りに部屋に入って「あれ、オレは何をしにここに来たんだっけ?」とボケをかまし、いびきや加齢臭で若者からも毛嫌いされる。確かに、20代の青年に比べたら、見事に片足+αを棺桶に突っ込んでいる存在です。</p><p> </p><p> 実際に、もう不眠不休のようなタフな働き方はできませんし、日頃からある程度健康に留意して生活していないと、深刻な病にも陥る可能性も大きく、腰痛や肩痛など慢性的な痛みが体のあちこちに常態化しているのも珍しいことではありませんから、肉体的なコンディションを見る限り、「働き盛り」というよりは「満身創痍」といったほうが的確です。</p><p> </p><p> しかし、メンタルの面では、20代のころと比べるとはるかにタフで安定し、賢くなっていることは確かです。このメンタルの強さが、中年をして、肉体的には昔ほど働いていないにもかかわらず、「働き盛り」ならしむる秘密だと思います。</p><p> </p><p> 経験に裏打ちされた説得力、素早い決断力、長期を見据える力、気長に結果を待つ忍耐力、無駄をしない知恵、争わない知恵、仕事の優先順位を見極める判断力、パニックに陥らない肝っ玉、過度な期待をしない現実感、自他の失敗を受け入れる謙虚さ、人間関係において信用を得る力、責任感と使命感、などなど。</p><p> </p><p> この年になっても身一つ養うのに精一杯で、まだまだ、やりたいこともできていないし、同じ働き盛り世代の皆さんほどの社会貢献もできていませんから、もうちょっと頑張って生きていないといけません。できれば、このまま最期まで働き盛りでジジイまになり、ある日コロっと元気に死ねたら本望です。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200518/23/musiclife-in-nature/4c/de/j/o0720096014760862116.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200518/23/musiclife-in-nature/4c/de/j/o0720096014760862116.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="827" width="620" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6318994
2020-05-16T08:11:52-07:00
2020-05-16T09:45:27-07:00
ファームという芸術
<p> ファームでの生活。この土地に引っ越してきて4年あまり。ここに来る前も、畑や家畜の飼育をやっていましたから、ファームの真似事を始めてから10年ほどになります<br><br> ファームと音楽活動。全く関連性のない活動のようにも見えますが、手段と規模こそ違えども、どちらも芸術であることには変わりはないという認識を持っており組んでいます。<br><br> 音楽は、その瞬間と楽曲の継続する数分間という短い時間の中で作られ、その時間が終わると速やかに姿を消してしまう芸術作品ですが、ファームは、何年、何十年という時間のなかで作られ、自然の流れともに進化し、生態系や景観として環境の中に長期間存在できる芸術作品です。<br><br> どちらも、そこに携わる芸術家の価値観と人物像が作品に強く反映される点は同じですが、音楽では、瞬間的な瞬発力のあるインスピレーションを表現でき、ファームでは、長期的な持続力を持つ価値観と生活そのものを表現できます。<br><br> 音楽では、音という宇宙の法則に支配された物理現象の法則を学び、そこでの調和を目指した音の構造物をつくりますが、ファームでは、自然の生態系と生命の法則を学び、様々な生命体との調和を保ちつつそこからの恵みを得られる仕組みをつくります。<br><br> 音楽家としてファームで暮らしていると、常にクリエイティブであることを強いられます。また、ファームでの作業の大変さや田舎暮らしに伴う不便さのおかげで、常に能力開発を迫られますから、自分自身を資本に仕事をする芸術家にとっては、ファーム+芸術のコンビネーションは、絶妙に素晴らしいと思っています。オススメです。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200517/00/musiclife-in-nature/16/44/j/o1512201614759867863.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200517/00/musiclife-in-nature/16/44/j/o1512201614759867863.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="827" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200517/00/musiclife-in-nature/18/78/j/o1280096014759868077.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200517/00/musiclife-in-nature/18/78/j/o1280096014759868077.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200517/00/musiclife-in-nature/d0/93/j/o2016151214759868265.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200517/00/musiclife-in-nature/d0/93/j/o2016151214759868265.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6316404
2020-05-14T09:31:50-07:00
2020-05-14T10:45:38-07:00
無心である喜び
<p>無心である喜び</p><p> </p><p> 生きることに真面目であればあるほど、何事においてもその意義と目的を考えてしまいます。音楽家が、何をどのように、何のために演奏するのかを明確にして楽器に向かうのことは、むしろ褒められるべき正しい心がけですが、最近は何も考えずに、ただ無心に目の前のことに向かうのも悪くないと感じています。</p><p> </p><p> 草木に目をやると、そこに存在し続けるということ以外の目的を持っていないかのように、そこで淡々と生きています。花を咲かせ、種を結び、枯れてまた新芽を吹く。もちろん、光合成によるガス交換、地中の有機生命体との関わりなど、全体の生態系の中での役割を担っているという見方も出来ますが、そんなことは、彼らが意識して作った目的ではなく、全体としての存在の関係性による相対的な目的に過ぎません。草木ですら、ただそこに存在するだけでも十分に美しく、そのことだけで十分に目的を果たしているとすると、人間が確固たる目的やゴールもないままに何かを行う時間、あるいは何もしないでぼうっとしている時間も、確固たる目的に向かって意識的に努力をしている時間と同様に、意義深いものに違いありません。</p><p> </p><p> 音楽家は、向上心を持っていればいるほどいろんなチャレンジを自分に課し、常に心を張り詰めて音楽に向き合ってしまうのですが、時折無心に音楽に向かうことで、忘れかけていた音楽に対する無邪気な喜びを思い起こすことができるように感じます。これは、どんな職業においても同じではないかと思います。コンサートの準備や製作の仕事とは関係なく、純粋な興味から楽器を使っていろんなことを実験して遊んでいると、時間を忘れて夢中になってしまいます。そんな時には「ああ、やっぱり自分は音楽好きなんだなあ。」と、今更ながらに驚きを伴う新鮮な自己認識を得ることができます。</p><p> </p><p> 何か具体的なことへの意欲も欲求も感じられないときには、しばらく無心でただ寝っ転がって空を見ていたって構わない。さっき食ったメシを消化するまでは、そうしているのが最も神の御意志にかなっていることかもしれません。そのうちに、心に何かが湧き上がってくる。それこそが、次に本当にやるべきこと、天命なのかもしれません。</p><p> </p><p> </p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200515/01/musiclife-in-nature/12/62/j/o1809135714758861384.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200515/01/musiclife-in-nature/12/62/j/o1809135714758861384.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a></p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6315755
2020-05-13T16:47:49-07:00
2020-05-13T20:45:39-07:00
音楽を聴くということ
<p>「音楽を聴く」とは、手で触れることのできない時間軸の沿って展開された音の構造物である音楽、つまり4次元の構造物と心眼を通じて向き合うことです。その時に、音楽の聴き手内面では、いったい何が起きているのでしょう?</p><p> </p><p> 通常の感覚では、過去/現在/未来に起こっていることを同時に知覚することは出来ませんから、4次元の建築物としての音楽は、直接的な知覚でリアルタイムに把握されるのではなく、経時的にインプットされる感覚のデータが時間の制約を超えて脳内でつなげられて、バーチャルな構造物として認識されることになります。初めて聴く曲の場合には、曲が始まった時点からインプットされる感覚情報が、脳内でバーチャルな構造物へと随時変換され、曲が演奏されるに従って全貌が少しずつ明らかになってくるという感覚です。すでに何度も聴いたことのある曲の場合は、過去にインプットされた情報によって脳内に作られている漠然とした全体像に、現在進行している演奏の音が知覚として加わることで、細部までくっきりと浮かび上がってくるという感覚を経験できます。</p><p> </p><p> また、音楽を聴いている時には、音の流れとともに自分に内に流れる感情や感覚、思考を観察できます。同じ音楽でも、聴いているときのコンディションや聴き手が誰であるかによって、音楽が引き金となって湧き起こる感情、感覚、思考の内容も変わって来ます。このことから、音楽が感情や感覚、思考に影響を及ぼすこと、音楽がそれらに与える作用は必ずしも音楽自体によって厳密に決定づけられるのではなく、環境や聴き手の個性、その時点での聴き手の状態など、その他の諸条件によって様々に変化するということが理解されます。</p><p> </p><p> 演奏者の立場から見ると、楽譜を再現するクラシック音楽の場合には、これから演奏する音楽の全貌を細部に至るまで完全に把握している状態で演奏を始め、その青写真をできるだけ忠実に再現するために、現在演奏している音に集中し、その前後の音との文脈の中で的確な表現を選択することで、全体の音楽を構築してゆきます。即興演奏の場合には、これから演奏する音楽は漠然としたイメージとしてしか把握されていないのですが、今出された音が引き金となり、演奏されていない一瞬先の近未来の音が、すでにそこに存在していると言えるほどに明確に予見され、その音が実際に演奏された時には、すでにその先の音が予見されるという、少し時間軸に先行して存在しているような不思議な感覚を経験しながら、音楽を一歩一歩紡いでゆきます。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200514/08/musiclife-in-nature/9a/e8/j/o0665100014758412232.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200514/08/musiclife-in-nature/9a/e8/j/o0665100014758412232.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="932" width="620" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6313629
2020-05-12T08:52:33-07:00
2020-05-12T12:01:03-07:00
音楽における間(ま)の重要性
<p> 音楽の道に入ると、まずは「音を出す」ことに関する技術や知識を身につけることに一生懸命になります。どうやったらいい音を出せるのか?どうやったら美しく豊かな表現でメロディーを演奏できるのか?どうやったら気持の良いリズムを産み出せるのか?このような課題に取り組みながら、努力を続けていきます。</p><p> </p><p> 音がなければ、音楽は成り立ちませんから、音楽家が音を出すということを極めようと努力をすることは、ごく自然な成り行きです。しかし、長年音楽と関わっているうちに、音楽の最も大切な要素は、音自体ではなく、むしろ音と音との間に存在する時間的な空白と、複数の音の間の音程の間隔、すなわち間(ま)の部分ではないかと考えるようになりました。</p><p> </p><p> そもそも、音楽とはいったいなんなのか?この問いに対しては、それぞれの音楽家が独自の検証と理解によっていろんな視点から語ることができますが、個人的には、「音楽とは、4次元空間に建てられる音を素材にした建築物である」という認識を採用しています。時間というX軸に「長さ」、周波数というY軸に「高さ」、音量の大きさというZ軸に「大きさ/幅」という奥行きを持った構築物で、その表面の色や手触りが「音色」といわれる要素で彩られているというイメージです。実際、目に見える形のない音の特徴を、「長い音」、「高い音」、「大きな音」といた具合に、三次元の建物の特徴を表現するのと同じ形容詞を用いて表現しますから、誰もが無意識のうちに、音楽を4次元空間の構造物と認識しているものと考えられます。では、音楽という4次元の構造物とは、どのようなものなのでしょうか。</p><p> </p><p> 通常の生活は3次元の世界で経験されます。そのため、言語体系も3次元の世界を描写する用語を中心に構築されていますから、4次元の構造物である音楽自体の姿を細かく描写することは困難です。しかし、4次元の世界を描写するために新しい用語を創案するのは膨大な時間がかかりますので、ここでは、実際に五感を用いて見て触れることもできる3次元の構造物である家やビルなどの特徴を観察し、それを元に、そこよりも一段階高い4次元に存在する音楽という構造物の特徴を類推するという方法で考察を進めたいと思います。</p><p> </p><p> 通常の3次元の世界の建物は、土台、柱、壁、屋根、窓、塗料、家具などの要素が組み合わされて作られます。ではこれらの要素のなかで、建物として最も大切な要素は何でしょうか? </p><p> </p><p> 建物は、人が中に入って活動できなければ意味がありませんから、建物に本質的な価値を与えているものは、先に挙げた柱や床、屋根など、建材を用いて作られたもの自体ではなく、それらに囲まれた何もない「空間」ということになります。建物と定義付けられる物が存在するためには、建材が組み合わされ、壁や屋根などが作られなくてはなりませんが、建物の存在意義は、実際に専門的な技術と知識を駆使して建材を使って作られた部分そのものにではなく、その副次的な産物としてその中に生じる空間にあるということになります。</p><p> </p><p> 空間を仕切る壁や床、屋根や柱の位置関係は、紙面に設計図として書き出され、知性でも把握することができますが、建物の中の空間の心地よさは、実際に感覚と感情で経験されるよりほか、把握の方法はありません。つまり、建物を建てるために必要な物理的な知識と技術は、情報として伝えることができますが、空間の心地よさは実際に体験される必要があります。長年の意識的な努力と経験により培われた感性を持つ建築家であれば、図面を眺めるだけでそこに産み出される空間の印象を内面的に経験できるのだと思いますが、一般人の場合、やはり実体験を通じてそれを感じるほか、それを理解することは出来ないでしょう。</p><p> </p><p> ここまでに通常の3次元の建物について考察されたことを、音楽という4次元の世界の建築物に当てはめてみると、非常に興味深い考察が得られます。</p><p> </p><p> 音楽の最も大切な要素は何でしょう?旋律、和音、リズム、それとも音色でしょうか?音楽というものは、音と音の間に「音のない部分」がなくてはリズムも産まれず、同時に出される和音においてもそこに「音程の間隔」がなくては和音にならず、時間軸に沿って並べられる音の音程に差による間(ま)がなくては旋律にもなりません。とにかく、間(ま)がなくては、音楽ではなく単なる音になります。すなわち、音によって句切られた間(ま)が、音楽に本質的な意義を与えている要素であるということが推察されます。</p><p> </p><p> 楽曲で使われる複数の音同士の音程軸と時間軸での関係は、和音と旋律として垂直/水平方向のグラフとして紙面に楽譜として書き落とすことができ、情報として伝達することが可能ですが、実際に音楽として演奏された時に創出される印象を総体的に把握するためには、実際に音楽を聴く必要があります。長年の経験と意図的努力により培われた感性を持つ音楽家であれば、楽譜から音楽を頭の中で構築し、音と音の間(間)の産み出す印象をシミュレーションすることができますが、一般的には、実際に聴いてみるまで音楽の印象を理解することは出来ません。</p><p> </p><p> 「感動を生む素晴らしい演奏」と、「特に間違ったところやおかしなところがないにも関わらず感動を生まないつまらない演奏」の差異がどこから来るのか?音楽を真剣に志すようになって以来、常にこの解き難い疑問を脳裏にかかえてきました。演奏技術の向上、演奏への感情移入の努力、演奏中に雑念から遠ざかる努力、音楽の理論的研究など、思い付く方法でいろんなことを試した結果、この方向性では、本当の感動を生むための決定的な要素にはたどり着けないという気がしておりました。</p><p> </p><p> しかし、音楽の間(ま)について真剣に考察をし、そこに強く意識を向けて演奏する試みを始めて以来、感動を生み出す決定的な要素が、実は音の出ていない間(ま)部分にあると確信するようになりました。</p><p> </p><p> 音自体は、聴覚で知覚されるもので、演奏家の肉体の活動により物理的に産み出すことができますが、音と音の間(ま)はいったい何によって知覚され、何によって生み出されるされるのでしょうか?その答えは、「意識」だと思います。肉体の知覚機能と運動機能で到達できる産物、つまり音自体が獲得できるものは、せいぜい物理法則に支配された世界の範囲に限られているので、ある一定のレベルに到達した後は、どれほど努力を重ねても頭打ちになります。しかし、意識の世界は、物質的な世界に比べると無限と言えるほどに広大な時空を超える世界で、通常の覚醒状態を越えて内的な修養により獲得される客観意識/悟り/ニルヴァーナ/宇宙意識などの様々な名で呼ばれる高次の意識状態まで、意識の高みは広がっています。 音は、その瞬間における一つ可能性の実現ですが、その前後の間(ま)は無限の実現されていない可能性を内包する場であり、 意識との相互作用が起こりうる間(ま)という場にこそ、無限の可能性、すなわち音楽の生命の源が秘められています。そのような間(ま)こそが、音楽に音響学的な物理現象では語りきることのできない神秘的な特性、つまり感動という要素を与えているのではないでしょうか。音楽において、時間や音程の間隔が「能動的」かつ「意識的」に認識されると、そこに時間や音程の間隔という物理現象として認識されるもの以上の、形而上学的な存在意義が生じ、音と音の間に魂が入り、音楽が音響学的な現象から生きた精神的な現象に昇華すると表現できます。</p><p> </p><p> 即興演奏をしていると、音楽が産まれてくるプロセスについて多くの観察をすることができます。即興によって音楽が流れる場合、先の音から次の音が半自動的に、無意識につながって流れる場合と、音と音の間に音が出ていない間(ま)を意識的に経験することで、そこから新たに音楽の息吹が流れ出てくる場合があり、その両方が絡み合って音楽が産み出されます。前者の場合でも、生み出される音楽に時間や音程の間(ま)があるのですが、それは物理現象の域を出ない「死んだ間」あるいは「受動的な間」であり、後者は魂のが吹き込まれる余地のある「生きた間」あるいは「能動的な間」のように感じられます。</p><p> </p><p> 「死んだ間」というと悪い印象を与えてしまいますが、すべての物事は、陰陽の両方が混ざりあうことで全体として調和的な働きをするので、どちらも等しく必要です。物理的で自動的な働きの結果である「死んだ間(ま)」と、精神的で意識的な働きの結果である「生きた間(ま)」とが自然に絡み合いながら音楽が流れることは、自然の理にかなっているのだと思います。</p><p> </p><p> 一日の演奏が終ると、そこから次の演奏の機会が来るまで、数時間、あるいは数日間に及ぶ長い間(ま)が生じます。その間(ま)では、いわゆる日常の生活が流れています。そのため、音楽に関わっていない日常の時間をどのような意識の状態で過ごすかということこそが、音楽の質に決定的な影響を与えることになります。この新型コロナウイルスのパンデミックによって経験している今までにないほどの大きな間(ま)。この間を意識的に過ごすことができれば、音楽家としてのこれまでのあり方を本質的に変えるほどの影響を経験できるのではないでしょうか。</p><p> </p><p> 演奏をするために必要な身体能力と、繰り返し同じことを練習できる根気さえあれば、誰でも譜面に書かれてある音を間違いなく演奏することは出来るようになります。実際、才能のある10代の子供が、クラシックの難曲を完璧に弾きこなすことは、決して珍しいことではありません。しかし、音符だけではなく、間(ま)も演奏出来るようになるには、身体能力の他に意識の力が必要ですから、かなりの期間の意識的な修練がなければ間を演奏することは困難です。そのため、いわゆる天才少年少女たちが、演奏を感動の領域まで極めるケースは非常に稀です。</p><p> </p><p> 偉大な作曲家は、音符だけではなく、間(ま)にも意識を向けて作曲していますから、間(ま)に意識を向けられる演奏家による演奏を聴くと、音符の組み合わせの見事さだけでなく、作曲家が音楽を作るプロセスの息づかいまで感じられます。余談になりますが、クラシックの演奏家としての道を究めるということは、独自の解釈をガツガツと演奏に組み入れて他の演奏家との違いを明確にするということではなく、演奏家としての存在を限りなく透明にし、作曲家の姿が純粋な形で浮かび上がってくるように演奏できるようになるということだと思います。まさに、「上善は水の如し」というという言葉がぴったり当てはまるプロセスです。</p><p> </p><p> クラシックの演奏家であっても即興演奏家であっても、音自体の追求は、どこまでやっても終わりはありません。しかし、あるレベルに達した後は、技術的練習や音楽の理論的研究など、感覚と知性の世界での努力を続けても、結局同じものを別の角度から眺めるという程度の変化しか経験できなくなり、ある種の行き詰まりを感じ始めます。このような、「努力をしても根本的なものは変わらないジレンマ」は、自動車でどれだけ速く走ってみても、運転手は地面からの目線でしか世界を眺めることが出来ないということと類似していると思います。もし、普通の自動車ではなく、翼の付いた飛行機のような機体であれば、自動車が出せる最高速度よりも遥かに遅い速度で空に浮かびはじめ、空の高みから全く違った視点で世界を眺めることができるようになります。音楽家が目指すべきところは、地面をどれだけ速く走るかということに一生を費やすことではなく、離陸可能な速度まで到達したら、出来るだけ早く翼を生やして別次元の世界に踏み入れることではないかと思っています。正確なテクニックを身につけ、多くの楽曲を暗譜し、様々な作曲技法を学ぶことも大切ですが、そこに停まらず、音と音の間(ま)にある別次元のものへの意識を高める努力をし、物質世界と精神世界の中間に存在する音楽の神秘を経験できるようになることで、本当に感動を生む音楽を作り出せるようになるのではないでしょうか。<br> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200511/12/musiclife-in-nature/eb/94/j/o1936259214757073505.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200511/12/musiclife-in-nature/eb/94/j/o1936259214757073505.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="830" width="620" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6311132
2020-05-10T05:30:44-07:00
2020-05-10T08:30:22-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革(10)文明からの離脱ではなく、自然と文明の健全な融合を
<p>提案9)文明からの離脱ではなく、自然と文明の健全な融合を<br><br> 都会から田舎への移住を選択される方は、おそらく環境問題などの現代に特有な様々な社会問題への意識が高く、中には現代文明の否定という動機から、全てを自給自足するハードコアなサバイバルをしながら、自然への回帰を目指す方もいらっしゃいます。確かに、そのような生き方もあるとは思いますが、最初の一歩のハードルがあまりにも高く、また、それを続けるためには、非常な覚悟と並外れた体力と精神力が必要となりますので、一般人がモデルとすべきライフスタイルとはなり得ません。<br><br> 田舎での生活では、テクノロジー社会への反発を動機として行動をするのではなく、むしろ、先端的なテクノロジー、どのような物品でも宅配で手に入れることができる高度な流通システム、インターネットによる情報通信網、交通機関の発達で数時間以内には都市部に出ていけるという便利さを選択的に賢く活用することで、自然と文明の健全な融合の中で生産性の高い生活を送ることができます。<br><br> そもそも、先進国に暮らしている場合、現代文明から離脱して生活することなどは、ほとんど不可能です。古佐小ファームでは、水、食料、エネルギー、インフラ整備とメンテナンスなど、多岐にわたって持続可能性の高いライフスタイルを実現するために、できる限りの自給自足を目指していますが、やればやるほど、既存の社会から離脱した形での自給自足は不可能であることを思い知らされます。例えば、自家水道設備によって井戸からポンプで水を汲み出し、タンクに貯めてそこから水道管に圧力をかけて供給することで、水を「自給」していますが、井戸、ポンプやパイプなどの設備や資材は、すべて工業製品を購入して組み立てることで作るわけですから、本当の意味では何も自給できていません。それらを供給してくれる文明社会があって、この水の「自給体制」も可能となっています。<br><br> 自動車、洋服、農具、食器、調理器具など、例をあげればきりがありません。どれだけ自給自足をしているつもりでいても、実は既存の社会の仕組みにおんぶに抱っこの状態であることは、都会で生活しているときと何ら変わりません。ただ、田舎ではそこへの依存の度合いがやや少ないだけです。<br> <br> では、田舎暮らしの本当の意義はどこにあるのか?<br><br> それは、自然との距離感が近いというところだと思います。その分、厳しい自然の脅威にも曝されるわけですが、日光、土、空、水、風、野生の動植物などの自然の恵みを活用できる立場にもあります。そこで、自然との関わりを損ねないように注意をしながら、文明の利器を生活に導入し、両者のバランスの良い融合を実践できるライフスタイルを模索できることは、田舎に暮らしているものの特権でもあり、社会的な役割でもあります。田舎で生活する者は、都市生活者も含めた大きなスケールでの人間社会の一員という立場から、自らの存在意義と責任を考え、文明からの離脱ではなく、自然と文明の健全な融合を最先端で実践する先駆者としての自覚を持つことも大切ではないでしょうか。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200510/21/musiclife-in-nature/d6/00/j/o1627235314756805315.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200510/21/musiclife-in-nature/d6/00/j/o1627235314756805315.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="897" width="620" /></a></p><p><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6308736
2020-05-07T23:54:54-07:00
2020-05-08T00:17:20-07:00
音楽活動休止期をどう生き延びるか?
<p> この時期、音楽以外の仕事をせずに収入を確保できている音楽家の皆さんは、こうなる以前から、オンライン収入、物販収入、貯金、配偶者の安定収入、その他不労所得など、いろんなルートで収入が現金の供給が途切れないようにちゃんと準備されてきたのだと思います。しかし、配偶者がクライアントとの濃厚接触が避けられないマッサージ・セラピストで、夫婦揃ってフリーランスのために失業保険も手当てもなく、常に手元にあるものをすべて注ぎ込んで明日への投資をする生活をしてきた古佐小家では、音楽以外の何か別のことを始めないと、この先食っていけません。<br><br> ということで、新しいYouTubeチャンネルの準備、CD制作など、ライブ演奏活動以外の配信方法を模索していますが、これが収入に繋がるまでにはまだ長い時間がかかりますので、とりあえず、週に2−3日、木こり/樹医の友人の仕事を手伝うバイトをしています。先週からは、森林で木の間引きと倒木や灌木の伐採、それらを後で燃やせるように集めて山積みにするという作業をやってますが、これはかなりキツい。土木建築や農業での肉体労働は、キツい瞬間とそうでもない瞬間が大体半々くらいですから、8時間くらいは無理なく働けるものですが、この仕事は1日6時間が限界。休むのは昼食の30分だけで、後はずっとチェーンソーと伐採した木や灌木を運んで集めるという作業をやることになるので、キツい瞬間が延々と続くのです。仕事が終わると、高校の柔道部の夏合宿での稽古が終わった後のような燃え尽き感を味わえます。<br><br> 自分は、音楽の腕前には自信と誇りを持っていますから、たとえ収入につながる音楽の仕事のオファーがあっても、納得できる内容でないかぎり、不本意な形で音楽を切り売りすることはしません。武士は喰わねど高楊枝。コロナ以前からそうでしたから、そもそもギリギリの仕事量でなんとかやっていたところに、今回のコロナ騒動のあおりですべての仕事がなくなり、その結果が木こり。アラフィフにして惨めな貧乏音楽家丸出しで、「それ見たことか!」と笑われても仕方ないところです。<br><br> ただ、ものは考えようで、苦境に直面した時に、こんな重労働もこなせるのも、健康と体力、気力という、金では絶対に得ることのできない貴重な財産を持っているおかげと考えると、そんなに惨めでもありません。雇ってくれている相棒からは、「あんた程の働き手は、なかなか見つからない」と頼りにされて、時給を5ドル上げてくれることになりました。といっても、20ドルの時給が25ドルになっただけのことですから、ちっちゃい話ですけどね。この気力と体力、それにチェーンソーなどの機械の操作技術は、本来賢い大人として不労所得の確保や貯金などに使うべき時間とエネルギーを、ファーム生活と心身の訓練に投資した結果として得られた能力です。それが、今の苦境を生き延びるための手段として役に立っているということは、これまでの投資先も、まんざら間違いではなかったようです。<br><br> 自宅ファームでも普段からかなり肉体労働をしていますが、この究極の肉体労働のバイトで、さらに筋肉がムキムキついてます。コロナの自宅待機で皆さん運動不足でお悩みと耳にしますが、こっちは過剰運動が悩みの種。どんだけ食べても、太るどころか絞られて行くばかり。ライザップにお金を払うことを考えたら、木こりバイトのおかげで数十万円の節約をしていることになりますね。もし、このバイトをやっているせいで、音楽家としての進歩が阻害されて腕前が落ちるようなら、惨めな音楽家の末路と揶揄されても仕方のないところですが、そういうことにはなっていないので、不本意な音楽の仕事で信念を切り売りして食いつなぐよりは良いの選択なのかな、と思っています。<br><br> これほどの重労働を6時間ずつ週5日、それで2週間かけて稼ぐ金額を、大きなコンサート1本で稼げますから、音楽家がわずか2時間ほどの演奏時間で背負う責任というのは、それだけ重いということです。だからこそ、音楽家はそれに価する音楽の追求に人生を賭けて取り組み、何があっても信念を曲げて音楽を切り売りするような真似はしてはいかん!そう思うのです。<br><br> このバイトでは、自宅の森林管理に役立つノウハウも学びつつ仕事してますから、お金以上に得るところはありますが、それでも続けられるのはせいぜいあと1−2ヶ月ですね。それ以上やると、惰性でこなせるようになります。そうなると、本当にお金のために時間を切り売りしているだけになってしまうので、それもよろしくない。それまでに音楽活動が再開できる世の中になっていれば良いのですが、そうでない場合には、次の働き口を探さないといけませんね。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/16/88/j/o0960072014737459384.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/16/88/j/o0960072014737459384.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6307571
2020-05-06T23:49:16-07:00
2020-05-07T00:45:46-07:00
こんな時だからこそファーム
<p> 音楽業界は、このコロナ騒動で真っ先に全面停止してしまったため、今は収入に結びつく演奏の仕事はありません。それでも、外出規制や物品の買占め、医療崩壊の危機の渦中にある大都市から遠く離れたファームに暮らしていると、ある意味、暮らしは安定しています。ニワトリはいつも通りに地面をつつき、ヤギものんびり草を食み、野菜もすくすくと育っています。食料もまあまあ自給できるし、普段から気楽に買い物に行ける場所ではないので、生活必要物資は常時ある程度備蓄してあり、水も井戸、下水も敷地内で独立処理しているので、7日〜10日に一度買いものに行けば、それほど急に暮らしに困ることもない。<br><br> 平時には、何の社会的価値もない自給自足田舎ファームですが、こうなってみると、ファームは社会的な要因での危機には強い。そう実感しています。この自給自足ファームの強靭性が、アメリカ人のこだわる自由と個人主義の根源にあるのかもしれません。開拓時代の政府は、広大な国土に散らばる個人を手厚くケアすることができなかったため、皆が各所で自衛も含めて自給自足をすることで、それに対応していたと考えられます。そのような状況下で、個人の自己責任による判断と行動が尊重される国民性が養われ、それが自由精神と個人主義を形作ったのではないでしょうか。<br> <br> パンデミックが終わっても、これから訪れる経済危機により、アメリカでは食うや食わずで家を失いホームレスになる家族も続出することでしょう。そういうときに、「困った時には、うちのファームに来てください。ファームを手伝ってくれるのであれば、仮の住まいと日々の食事を提供します。」と胸を張って言えるようになりたい。そういうファームがたくさんあれば、緊急事態の社会のセーフティーネットとして、立派に社会的な役割を担うこともできます。すぐには無理ですが、いつの日か、このファームをそんな場所に発展させたいと心から思うようになりました。</p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6305642
2020-05-05T07:29:38-07:00
2020-05-05T11:30:22-07:00
"Amazing Grace"自宅待機が続いているので、自宅でいろいろビデオ撮ってます。
<p>夏までコンサートはキャンセル/未定の状態で、しばらくコンサートで生演奏をする機会がないのですが、自宅で録画しながら演奏すると、むしろコンサートよりも高い緊張感を持って演奏することができます。この演奏は、アメージンググレースのテーマに沿って、全てを即興演奏しています。一刻も早いコロナの収束を願って…。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/lkLcnbsGhjM" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p><p> </p>
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2020-05-03T20:12:04-07:00
2020-05-03T22:02:39-07:00
生きる覚悟とは?
<p> 新型コロナウイルスの流行によって、少なくとも一時的には世界恐慌の可能性が濃厚となり、音楽家としての活動のあり方も、根本的に見直す必要に迫られています。戦争や災害で全てを一瞬で失うことを想像すれば、今経験している変化は緩やかなものですから、これまで本当に命がけで日々生きてきたのであれば、屁でもひるように楽々と対応できてしかるべきものです。しかし、この程度の変化を迫られただけでも、焦ってオロオロと取り乱し、ともすると落ち込んでしまう自分を見ると、つくづく命がけの覚悟を持って生きていなかったことを思い知らされます。<br><br> 2005年のハリケーン・カトリーナ、2011年の東日本大震災、2016年の熊本大地震、2018年に故郷愛媛を襲った大豪雨災害など、身近に感じていたつもりだたのですが、やはり対岸の火事としてしか見えていなかったのかもしれません。<br><br> ここ北カリフォルニアの内陸山間部も、災害の多い地域です。1997年にこちらに移住して以来、この近所でも、大小合わせると3年に一度くらいの頻度で火事が起きていて、1998年と2018年の山火事では、道路封鎖で立ち入り禁止の措置が取られ、3日間ほどこの地域が孤立しました。特に1998年の火事の被害は甚大で、妻は前の結婚相手が出張中に家財を全て焼かれ、赤ちゃん二人を抱えて身一つで避難したそうです。2017年の豪雨によるオロビル・ダムの決壊の危機に際しては、ここは高地のため避難をせずに済みましたが、下流住民18万人に強制避難命令が出る非常事態でした。大雪、嵐の脅威なども、ここで暮らすものの覚悟としてすでに織り込み済みで、1週間以上電気が止まったり、雪に閉じ込められて孤立しても、その間生きていけるだけの準備はしています。<br><br> このような天災によってもたらされる苦難だけでも精一杯なのに、テロや戦争、競争相手を破綻させて自殺や失望に追い込む資本主義的サバイバルゲームなど、罪に問われない人災はもっと大きな規模で繰り広げられていて、いつその脅威に巻き込まれるか分かりません。それらに加え、遺伝子組み換えや農薬、化学肥料による食品の安全性の問題、現代的なライフスタイルによる生活習慣病、医療の進化に伴い耐性を増し進化するウイルスやバクテリア、環境破壊による環境毒性の上昇、気候変動など、個人の生命と社会の存続を危ぶませかねない要因はたくさんあります。<br><br> このような状況では、現在当たり前に皆が依存している社会システムが機能麻痺となるシナリオは無数にあるため、どれだけ対応を準備をしても、完璧を期することは不可能です。たとえ社会全体が問題なく機能し続けていても、個人の身に降りかかる災厄というのもあります。たとえば、何かの事故で手の機能を失う、指を欠損するなどの事態が起こると、命を失うことはないとしても、ハープ演奏家としての生命はほぼ断たれてしまいます。病気、不慮の事故など、気をつけていてもそれらが起こる可能性を0にすることは不可能です。<br><br> それらに対して完全に準備ができないとしたら、そのリスクの中で生きていく覚悟を決めるしかありません。自分としては、音楽家として生きてゆくことができなくなる状況になった場合に、一人の人間としても生きる望みを放棄してしまわないように、人生の目的や価値をハープ演奏家としての活動の周辺に集約させないように心がけています。<br><br> 自給自足ファームでいろんな分野のことを満遍なくやるライフスタイルを選択している一つの理由は、自分のアイデンティティーを特定の肩書き「ハーピスト」に集約させないためです。そうすることで、音楽に関わる枝葉末節の技能だけでなく、様々な活動の大元にある内的な能力、つまり感情の感受性、知性の考える力、肉体の適応力と強度、そしてそれらを統合する意思や意識、良心などの霊的な機能という、脳が破壊されない限り外的要因によっては奪われないもの、つまり、より本質的な人間としての資質の開発という目的を軸に、どのような状況にあっても生きる意義を見出すことができます。<br><br> 自分の意思ではどうすることもできない災害などの外的な要因によって失われてしまうものは、結局のところ、本当の意味では自分の所有しているものではない。そう考えれば、何かを失うことへの恐怖は随分と小さくなります。最後まで残るものは、自分自身の心のあり方。生きる覚悟とは、死ぬことを覚悟するのではなく、最後まで自分自身のあり方を護り抜く覚悟なのかなと思っています。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200504/12/musiclife-in-nature/2f/78/j/o2592193614753371131.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200504/12/musiclife-in-nature/2f/78/j/o2592193614753371131.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="463" width="620" /></a> </p>
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2020-05-03T09:01:39-07:00
2020-05-03T12:30:43-07:00
KoMaGa TrioでのCD制作に向けたクラウド・ファンディングも残すところあと1週間!
<p>KoMaGa trioのクラウド・ファンディングのキャンペーンもあと6日を残すこととなりました。目標の9000ドルに達成し、ファンドは獲得することができましたが、音楽活動が制限されているこの時期、皆さんからのファンドは大きな助けとなります。クラウドファンディングは寄付ではなく、先行オーダーでサービスや物品を購入するという形に近いですので、損はさせません!このバンドに興味のある方は是非ご参加下さい。</p><p>古佐小基史:ハープ/作曲</p><p>マイケル・マンリング:エレクトリック・フレットレス・ベース</p><p>クリス・ガルシア:タブラ、パーカッション</p><p>現在、各メンバーがバラバラに録音をして、あとでそれをミックスするという手法のリモート・レコーディングを行い、コロナ騒動の中でも着々と制作を進めております。この手法だと、田舎に住んでいてもレコーディングに参加できるので、田舎暮らしの音楽家の方、海外のアーティストとのコラボをしてみたい方にはオススメの方法です。</p><p> </p><p><br><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/Q0I8jUQUuHo" width="488"></iframe></p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200504/00/musiclife-in-nature/b1/f1/j/o1818181814753206661.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200504/00/musiclife-in-nature/b1/f1/j/o1818181814753206661.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="420" width="420" /></a></p><p> </p>
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2020-05-01T21:49:33-07:00
2020-05-01T23:01:05-07:00
今、凡人にできることは?
<p> 大量破壊兵器を世界中の大小様々な国が持ちたがり、環境問題は人類のコントロールできない様相を見せ、生きてゆく上で最もベーシックな水や食料の安全性を犠牲にしてまで経済性が優先され、物は捨てるほど有り余っているにも関わらず、世界のいたるところで貧しさが蔓延し、知識と情報が際限なく氾濫する中で、人にとって本当に大切なことに関しては無知が進んでいます。それに、今回のCovid-19のパンデミックで露呈した現代社会の構造的な脆弱性。そんな中で、「なんだか、世の中けっこうヤバいよなあ」という漠然とした危機感を抱いている方も大勢いるのではないでしょうか?</p><p> </p><p> しかし、その危機感もそれほど切羽詰まったものではなく、「なんだかんだと言いながらも、今日も旨い物食えたし、それなりに楽しいこともあったし、まあ、それほど大袈裟に考えなくても大丈夫なんだろうよ」という風に、「ヤバい」感じを黙殺し、何を変えるということもなく、日々過ごしてしまいます。まれに、身の回りで起きたことや話題のニュースがきっかけとなり、「ヤバい」という感覚がひときわ強く感じられることもありますが、それでも、「騒いだところで、自分のような凡人にできることは何もない。きっと、素晴らしい思想や政治力で世の中を変えてくれるようなリーダーが現れて、そのうちになんとかしてくれるだろう。」と自分では何もやらないことを正当化しつつ、来たるべき救世主にすべてを押し付け、尻をまくって責任放棄をしてしまいます。結局のところは、現在の生活習慣や人生観、価値観を見直して、世の中の改善に貢献できる新たな生き方を模索するのは、非常に骨が折れることなので、できれば自分では何もしたくないのです。そのかわり、平凡な自分とは違う素晴らしい能力を備えた少数の選ばれた救世主が、世界を大改革をしてくれることを期待しています。</p><p> </p><p> このような当事者意識の欠如した立ち位置は、一見すると自分を平凡と認めていることで謙虚さを装っていますが、実際のところは、謙虚さを隠れ蓑にした怠慢です。平凡だろうが非凡だろうが、それぞれが進めるだけ進まなくては、何も変わりません。天才一人が1000歩進めるよりも、凡人1000人が一歩ずつ進める方がずっと効率的です。エイブラハム・リンカーンは、「神は凡人を最も愛されているに違いない。そうでなかったらこれほどたくさん凡人をお作りにならなかっただろう。」というようなことを言ったそうですが、まさに凡人は数の上では天才を遥かにしのいでいるので、凡人たる個人が、自分の環境と能力の許す範囲でできることをすることによってこそ、世の中全体が大きく変わるのだと思います。</p><p> 多くの人類が「ヤバい」という感覚を覚えるということは、大勢の優れたリーダー的立場の人物がその危機感を積極的に発信し始めているからであるとも考えられます。身体の不快症状が、体が疾患による異常を警告してくれているサインであるように、多くの人類が世の中のあり方に不安という「不快症状」を抱き始めたということは、そこに対処すべき何らかの疾患があるからに他ありません。</p><p> </p><p> 人体の場合、具合が悪くなるとまず働くのは病巣部の細胞や免疫機能です。そして、脳が不快感や具合の悪さを認識すると、脳が身体全体としての対応策を考え、必要な治療行為を施したり生活習慣を改善したりして、具合の悪い部位が自らを修復しやすい体内外の環境を整えようとします。それでも、最終的に自らを修復するのは、病巣部にいる当事者の細胞達です。世の中も同じように、優れたリーダー達は、社会構成員が自らのあり方を改善するために必要な社会環境を整えてくれるかもしれませんが、実際に変わらなければならないのは社会構成員自身、つまり我々凡人達です。</p><p> </p><p> では、個々がどう変われば良いのか?</p><p> </p><p> それは、おそらく外から明確な答えを与えられることはなく、一人一人が当事者として問題と向き合い、皆がそれぞれに自らの手で答えを見出してゆくものだと思います。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200502/13/musiclife-in-nature/47/b6/j/o2072368214752338227.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200502/13/musiclife-in-nature/47/b6/j/o2072368214752338227.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="1102" width="620" /></a></p><p> </p>
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2020-04-30T22:52:17-07:00
2020-04-30T23:15:42-07:00
コロナの自宅待機で、ハープのYouTubeビデオシリーズを始めました.
<p>コロナで演奏活動も休止中ですので、ハープの最先端の技術と演奏スタイルを紹介するHarp Explorerシリーズを週一回でアップし始めて、今回で7回目。ハープ人口の少ない日本向けに日本語で発信してもあまり見てもらえないと思いますので、英語での配信をしています。クラシックでは見ることのないハープのテクニックの解説と、実際の曲の演奏のセットで10〜15分くらいのビデオです。</p><p>撮影も自給自足。田舎に住んでいながらでもネット配信はできますからね。</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/q7e3Pq8laJk" width="608"><br></iframe></p>
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2020-04-30T21:21:39-07:00
2020-04-30T23:15:42-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革(9)提案8:時計の時間でなく自然の流れに沿って生活する
<p>都会から田舎への移住に伴う意識改革(9)<br>提案8:時計の時間でなく自然の流れに沿って生活する<br><br> 都会の生活では、季節による日照時間や温度の差異は、電灯とエアコンなどのテクノロジーによって均一化されているため、年間を通じて生活のペースをほとんど変えないまま、時計を基準として毎日のスケジュールが組み立てられています。<br><br> 社会全体の生産効率を考えると、このように、全ての基準を時計に集約し、年間を通じて同じペースで働くことが合理的です。特に、農林水産業などの季節の変化とともに仕事の内容が著しく変化する第一次産業に従事する人口比率が低い先進国型の社会においては、季節による変動を社会全体に反映させる必要性は小さいですから、この傾向は強化されることでしょう。<br> <br> しかし、普通の動物は、自然の流れの中で、それに合わせて活動リズムを変化させつつ生きていますから、人工的な時計とカレンダーに従って生きている人類は、体に多少の無理をさせつつ生活しています。田舎で長年暮らしていると、それが現代人のストレスや健康不良の一因となっているのではないかと感じられます。<br><br> 都会では、「夜、あまりよく眠れない」とおっしゃる方によく出会いますが、それも無理からぬことだと思います。都会の夜は、屋外でも本が読めるほど明るく、家の中も寝る直前まで隅々まで電灯に照らされ、しかも目の前にはテレビやコンピュータ、スマホのスクリーンが光かがやき、その中では活発な世界が24時間休みなく展開しています。自然に囲まれた田舎に住んでいても、コンピュータやスマホでの作業が多くなると、自然のペースに合わせて生活することは難しくなりますから、都会ではなおさら、電子機器で作業する時間帯には気をつけたいところです。<br><br> 田舎のファームでは、屋外で作業をすることが多いため、生活パターンが日照と天候によって大きく影響されます。一般に、雨天時や日没後にできる屋外作業は非常に限られていますから、作業の内容とペースを季節に応じて変化させ、天候と日照時間合わせて調整する必要があります。夏と冬の気候の差が極端なカリフォルニア内陸部を例にとって、季節による生活パターンの変動を見てみましょう。<br><br> 概して晴天が少なく日照時間も短い冬には、その限られた時間内に効率よくハードに働き、残りの時間は屋内でのんびりと過ごすというペースになります。また、気温が低く、重労働をしても体力の消耗が少ないので、短期決戦型のハードな仕事に向いています。しかし、雨がいつ降るかわからないために、着工から完成までに何日もかかるような土木建築作業をすることは難しく、道具や資材なども、作業が終わったら毎回全てを濡れない場所に片付けておく必要がありますから、冬には「効率が良く最後まできっちりとした仕事をする」ことが強いられます。<br><br> 一方、日照が長く雨の降らない夏には、涼しい朝と夕方の時間帯を中心に働いて、暑い午後の時間帯は、屋内や日陰でのんびり休息するパターンなります。長期を要するプロジェクトに向いていて、道具や資材をそのままにして何日間も持ち越せますし、作業可能な時間はたっぷりとあるので、ダラダラ仕事をしても大丈夫です。35〜40度の猛暑の中では、どちらにしてそれほどハードには働けないので、むしろ休みながらダラダラと働かないと、暑い夏を乗り切ることはできません。スペインや南イタリアなどでは、昼食時に飲酒をしながらランチを腹いっぱい食べて、夕方までお店や仕事を休んで「シエスタ」と呼ばれる昼寝タイムをとる習慣がありますが、北カリフォルニアの夏も、シエスタ的な長い昼休みのある生活リズムが適しています。<br><br> このように、1年を通じて夏と冬の気候条件の差が大きな北カリフォルニアの自然環境の中で働いてみると、季節に合わせて働くペースを大きく変えることが、人体にとってごく自然な環境への適応であると感じられます。<br><br> 一般に、常夏の赤道に近い地域では、社会全体にのんびりムードが漂い、自分のペースでチンタラと働く傾向があり、高い緯度の冬が厳しい地域では、生産性効率の高い社会がきちんと組織化され、全体のペースに合わせて真面目に働く傾向が指摘されます。このような地域差は、夏と冬の差異の大きな北カリフォルニアでの生活で季節によって生活のペースが変動するのと同じく、環境への適応の結果であると思われます。<br><br> 注意深く自己観察を行うと、季節に応じた生理的な変化も感じられます。日照の長い夏には、睡眠時間が減って運動力が増えるため、体は絞られて体重は減少します。逆に、日照に短い冬には、睡眠時間が増えて運動量が減り、体重はやや増加傾向になります。<br><br> 夏は、朝5時にはすでに明るくなりつつあり、暗くなるのは夜の8時以降。朝夕は涼しくて活動に適した条件が揃っているので、早起きをし、正午からの数時間はのんびり過ごし、再び夕方から暗くなるまで活動をするのがもっとも快適なパターンです。時計を気にしないで1日を過ごすと、だいたいこのようなパターンになっていきます。<br><br> 冬には、朝7時でもまだ暗くて寒いので、外に出て活動を開始するのは朝8時ころ。夕方4時頃にはすでに薄暗くなり始めるので、道具の片付けや作業の後始末を始めて、暗くなる5時頃には屋内に戻ります。人体は、日が暮れてからある一定時間が過ぎると眠たくなる仕組みになっているようで、9時にはかなり眠くなり、シャワーやその他の就寝準備をして、10時半ころには就寝。<br><br> 本来は、このように自然の流れに従って生活のペースを変えることが良いのだと思います。さりながら、テクノロジーを活用した環境のコントロールにも利点があって、寒さや暑さ、雨や風、強い日差しや日没後の真っ暗闇などの様々な自然の脅威を緩衝し、より安定した生活環境を提供してくれます。ただし、自然環境からどの程度の距離をとるかということ関しては、バランス感覚が必要です。自然からの距離が広がれば広がるほど、自然の変動に適応する能力は低下し、生存のためにさらに自然からの距離を広げなくてはならなくというスパイラルに陥っていきます。<br><br> 田舎での生活では、このバランス感覚を養い、テクノロジーを上手に活用しながらも、人本来の生活リズムのなかで生活するように心がけたいものです。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200405/08/musiclife-in-nature/f3/91/j/o1936259214738857844.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200405/08/musiclife-in-nature/f3/91/j/o1936259214738857844.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="830" width="620" /></a></p><p> </p>
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2020-04-28T16:42:39-07:00
2020-04-28T18:45:45-07:00
音楽の探求とそこで出会う奇跡
<p> 科学的探求は、主に外界を感知する機能と思考機能を用い、観察と論理的な思考に基づいて現象を理解しようとする試みです。一方、哲学的・宗教的探求は、主に内面を感知する機能と感情機能を用いて、直感的に現象を理解しようとする試みです。音楽の探求には、この両方のアプローチが必要です。</p><p> </p><p> 音楽の探求の対象は、美と感動です。作曲理論の研究やすでに名曲として評価されている作品の分析で、それなりに美しい音楽を作るために必要な知識と技術は手に入ります。しかし、この方法のみでは、「感動」を生む力を手に入れることは出来ません。</p><p> </p><p> ある程度音楽家として研鑽を積み、鑑賞者としても音楽の美と感動を味わい、優れた印象を嗅ぎ分けることができるようになったら、他人がどう思うか、一般的な音楽理論と照らし合わせて自分のやっていることが正しいかどうかなどの外に基準を置いた評価とらわれることなく、自らの直感に従って今の瞬間に出すべき音を見出す努力をすることが大切になります。このような努力の結果、自分自身が感動できるような音楽が自らの内から生み出された瞬間には、喜びと同時に、驚きを覚えます。そこでは、音楽を生み出した源泉は、実は自分自身ではないのではないかという奇妙な感覚を伴っています。むしろ、実際には何も生み出されていなくて、何かの拍子にでそこにすでにあったものにアクセスできたという感覚で、必然に導かれた偶然予想外の出来事に驚いてしまうのです。</p><p> </p><p> まるで、自分自身の意識と意志が、宇宙全体を司る大きな意識と意志(神と呼んでも良いのかもしれませんが..)につながっていて、そこにアクセスすることで自動的に何かが生み出されるかのようです。例えるならば、自分はちっぽけなコンピュータの端末にすぎず、そこからアクセスできる情報の大元は別にあり、方法さえ知っていれば、無限といえるほどの膨大な量の情報に自由にアクセスすることができます。</p><p> </p><p> これは、ナルシスト的に自分の主観的なものの見方に陶酔する、いわゆる「[芸術家肌」のアプローチとは真逆で、思い込みやこだわり、権威や知識から自由になり、できるだけ無垢な内的状態で芸術に向かい合うという努力です。このような努力を続ける結果、まれに、レオナルド・ダ・ビンチの絵画やバッハの音楽で経験されるのと同様な感動を生む表現を見出し、驚きを感じることもありますが、そのような時でも、「どうだ、オレ様はすごいだろう」とエゴを膨らませて傲慢になることもなく、むしろ、客観的な美が顕現するための媒体となれた幸運に感謝する気持ちが湧いてきます。</p><p> </p><p> 毎日代わり映えしない、しがないおっさん芸術家の地味な日常です。朝から晩まで働き詰めで、貧乏暇なし。もう50歳になろうかという歳でも、有名でもなく、大きな演奏の機会もほとんどなく、レコードが飛ぶように売れるわけでもない。このまま、芸術家としては地味な人生を送り、最後は人知れずこの世を去ることになるのでしょう。</p><p> </p><p> しかし、このちっぽけな自分が、実は宇宙全体とつながっている小宇宙である。そして、この小宇宙を通じて大宇宙の神秘的な創造のプロセスを経験することができる。このことを思い起こしてみると、こうして普通に存在していること自体が、すでにありえない奇跡だと感じられます。実生活の様々な問題に振り回されて文句や愚痴ばっかり言っている時には、この大切なことを忘れてしまっています。そんなことではいかんと思っても、実生活の荒波の中では、奇跡への感謝と新鮮な驚きを保つことは、本当に難しい…。そんな時に、優れた芸術作品や思想に接すると、人が宇宙と繋がっていることを思い起こさせてもらえます。それゆえに、芸術が、人間生活にとって掛け替えのない存在となっているのだと思います。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200420/02/musiclife-in-nature/8c/a2/j/o1067160014746245062.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200420/02/musiclife-in-nature/8c/a2/j/o1067160014746245062.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="930" width="620" /></a></p>
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2020-04-27T23:38:14-07:00
2020-04-28T00:15:37-07:00
音楽における明暗
<p> 人間は、オクターブ、ドからソ、ドからファ、ドからミ、ミからソなど、振動数の比率がより単純な整数の比になっている二つの音からなる和音を、「澄んだ音」と感じる一方で、ドからレ、ドからシ、ミからファなど、約分して小さな整数比にならないような二つの音からなる和音を「濁った音」と感じる聴覚を与えられています。「澄んだ音」「濁った音」を区別する能力は、視覚に喩えると光と影のコントラストを捉える能力に似ていると思います。優れた絵画は、色彩と明度のコントラストの調和によって視覚印象を造形しますが、音楽では音色と和音のコントラストにより音印象の構造物を構築します。<br><br> <br><br> 大自然の中でも、生と死、成長と衰退、進展と停滞のような相反する力が、調和のもとに運行することにより、今目の前に広がっている自然の美しさが体現されているのです。きれいな、澄んだ音だけでは、音楽の美は生み出すことができません。明と暗、澄んだ音と濁った音が、調和の中で共存することで、音楽の美も生み出されるのです。<br><br> </p>
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2020-04-25T14:41:08-07:00
2020-04-25T16:30:26-07:00
健康とは?主観的で非科学的な健康論:音楽家の視点からの提言
<p> </p><p> 国家から保健師/看護師の免許をいただいている身としては、「客観的」で「科学的」な健康論を語るべき立場にあるのですが、今日はあえて音楽家の立場から「主観的」で「非科学的」な健康論を述べてみたいと思います。</p><p> </p><p> 近代以降、音楽理論なるものが確立され、音楽が学問としても扱われるようになりました。大学で音楽を専攻し、学位を取得することも可能な時代となり、楽器の演奏に加え、読譜法、音楽理論、オーケストレーションなどを体系的に習得することが、もっとも正当でアカデミックな音楽との関わりとされています。しかし、アカデミックな理論に照らし合わせて「正しい」と定義される音楽であっても、それが必ずしも「良い音楽」とはなりません。音楽を聴いて「いいなあ〜!」と感じられるためには、それを生み出している聴き手に「感動」という主観的な現象が起きていなければなりません。作り手の立場においては、音楽を単なる音の組み合わせを超えて芸術へと昇華させるためには、自分の内的な世界と音楽として表出された音の世界を統合的に意識し、主観的な「感動」という「感じ」を経験しながら音楽を生み出していることが必要になります。</p><p> </p><p> 長年音楽と関わるうちに、音楽が芸術に昇華するプロセスと、人体が健康体に昇華するプロセスには共通点があると感じるようになりました。音楽や人体自体は、科学的な立場から、物理/化学現象として客観的に把握することができますが、それだけでは把握できない「何か」が加わって、芸術や健康体への昇華が起こっていると思えるのです。そもそも、芸術性や健康というものは、自然界全体にとってさほどの意義はなく、人間にとってのみ意義のある特性です。とすると、科学で把握されない「何か」とは、人間自身の主観的な意志と意識ではないのか?そんな思いつきから、一つ文章を編んでみます。</p><p> </p><p> 本来、健康とは、検査データや第三者であるドクターの所見で「客観的」に健康と判断されることにより定義されるようなものではなく、当の本人が、体内感覚、自己意識を通じて自らの感情機能、生命維持機能、思考機能、動作機能の全てが自分の意志と連動して十全に働いていることを自覚し、「あ〜、今日も元気だ!」という「主観的な感じ」により捉えられる心身全体の総合的な状態だと思えるのです。つまり、健康の本筋は、第三者によって科学的な手段を用いて客観的に描写される部分的な心身の状態に関するデータではなく、自己意識や体内感覚などのモニタリング機能により全体像として把握された複合的で主観的な「感じ」にあると考えています。</p><p> </p><p> 自己の状態をモニタリングする機能は、身体中に張り巡らされた神経系と血管系によってネットワークされ、脳という中枢により統合され、それは、いかなる検査機器よりも高い精度で、自分のこころ、からだの状態を身体感覚や感情を通じてリアルタイムで自己(脳、意識の統合機能)にフィードバックしてくれています。これほどの精度で自分のこころ、からだを常時モニターリングできる機能が備わっているということは、不調や異常を察知した時には、それを改善するためになすべきことを本能的に判断できる能力、すなわちある種の自己調整/治癒機能も備わっていると考えるのが自然ではないでしょうか。そして、そのモニターリング機能と自己調整/治癒機能の精度が、肉体の老化とともに減退し、ある時点で生命維持ができなくなり死を迎える…。</p><p> </p><p> もしこの仮説が正しいとすると、ほとんどの病は、生活に大きな影響を及ぼし始める前に自己調整機能によって自然治癒できてしまうことになりますが、実際には、これだけ科学が発展して生活が豊かで便利になったにも関わらず、医療費で国庫が破綻寸前の状態になるほど病が蔓延しているわけですから、この仮説は誤りであるという論理も成り立ちます。しかし、もしこの仮説が正しいという前提から考察を出発すると、現代人の生存のあり方自体が人類としての自然な生存のあり方から逸脱しているために、モニターリング機能と自己調整/治癒機能が機能不全に陥り、そのために病が蔓延しているという論理も成り立ちます。</p><p> </p><p> ここでは後者の論理に立ち、考察してみたいと思います。</p><p> </p><p> 個人的かつ主観的な経験として、意図的に自己意識を高めようとする内的努力をしながら、できるだけ自然に近い生活環境に身を置くことで、自己モニター能力が向上し、心身の異常のサインを早期に捕捉し、的確な予防と治癒のための行動を選択できる能力が高まるという実感を持っています。例えば、体が欲している食品への食欲を感じる、心身の状態に応じて姿勢の調整、体遣いの調整、呼吸の調整などが的確に選択できる能力が高まる、など…。おそらく、ヨガや気功などを実践している方は、これに似たような自己検証をお持ちでないかと思います。</p><p> </p><p> ほとんどの現代人が人生のほとんどの時間を過ごしている都市環境では、外からの刺激への反応と外向きの活動に注意力が向けられる状況が多く、自己の心身をじっくりと感じる時間が著しく少なくなる傾向にあると感じています。このような自然から乖離し、自己と向き合う時間の少ない環境では、自己モニタリング能力と自己調整/治癒能力は、本来あるべきレベルよりもかなり低いレベルで機能していると考えています。</p><p> </p><p> また、現代生活では、様々な科学的な検査、診断、治療など、第三者である医療者による客観的知見と介入が、健康的な生活を保障する上で「不可欠な要素」とされていて、社会全体での健康を考える場合には、真っ先に医療の発展と医療サービスの充実が議論されます。しかし、健康を維持するために第三者による介入が不可欠であるというような状態が、果たして人類のあるべき姿なのでしょうか?</p><p> </p><p> 生命体として、自己の健康管理に第三者の介入を必要とする度合いが高くなれば、それだけ独立した個体としての生存力は低くなるわけですから、高度な医療にこれほどまでに依存している現代人の人体が、これまで生命体として地球環境で生き抜き、ここまでの発展を遂げた人類の本来あるべき機能を十分に発揮している状態にあるとは、とても考えられません。</p><p> </p><p> 作曲や即興演奏の創造的力の源泉は、音楽家が抱く主観的な「感じ」そのもので、理論や知識はそれを形にする上での便利な道具にすぎません。ある仕事のために特別に誂えた便利な道具がなくても、その代用になる何かを使ってそのことをやるのが可能であるように、楽譜が読めなくても、音楽理論を知らなくても、それらの技術は単なる道具であるがゆえに、良い音楽を作る上で致命的な欠陥になることはなく、的確に働く音楽的な感覚とそれと連動する運動機能と、それをサポートする自分なりの方法論さえあれば、良い音楽を作ることは可能なのです。もちろん、そこに読譜能力や音楽理論などの一般化された「より客観的な知識」が加われば、「鬼に金棒」となるわけです。</p><p> </p><p> 健康という状態に到達しようとする動機の源泉も、やはり自分自信をモニターすることで得ている「感じ」にあるのではないでしょうか。その健康な「感じ」から逸脱しないように、食習慣、行動習慣、精神活動のあり方、感情生活のあり方などを、自分なりの方法で本能的に的確に選択しているからこそ、健康な状態で生存できると思えるのです。そこに、第三者による客観的な所見や治療が「金棒」として加わることで、自己治癒力の範疇を超えた重篤な病、外傷、有害物質への被曝、伝染病など、健康を害する様々な外的要因にも対応できるようになり、より完全な健康を維持できる可能性が高まります。ここでは、あくまでも自己自身の「感じ」が健康生活のための主役、つまり「鬼」となり、第三者の客観的知見や介入は脇役、つまり「金棒」にすぎません。</p><p> </p><p> しかしながら、平均的な現代人の健康との位置関係は、この主客が入れ替わっています。つまり、金棒が鬼よりも重要視されているために、「自分では自分の健康状態を知ることはできない」「病になってしまったら、自分では治すことはできない」という前提で自分の健康と関わっているために、自己の感覚を導き手として自発的に生活習慣の改善や予防、早期対応に取り組むことないまま、生活に支障をきたすまで疾患を悪化させてしまい、そこからの治療は第三者任せ、つまり「先生にすべてお任せします」「とにかく治してください」という受け身の態度で医療機関にかかってしまいます。</p><p> </p><p> 農家では、果樹に病気が出た場合などに、アドバイザーに相談することがあります。アドバイザーは農場に常駐しているわけではありませんから、自分が関わるワンポイントの短期間でその問題を解決できる方法を選択します。その場合、例えば、罹患した木をすべて伐採してそれ以上の拡散を防ぐ、化学薬品を散布するなど、短期間で根治的に問題を取り除く方法を提案せざるを得ません。この場合、農場主はせっかく育てた木を根こそぎ失うリスク、化学薬品による土壌の汚染などの副作用も覚悟しなくてはなりません。しかし、そこに長期間関わることにできないアドバイザーとしては、自分が責任を持てる範囲で問題を解決するための最善の選択をしたことになります。</p><p> </p><p> 一方で、農場主自身がじっくりと腰を据えてある程度の長期的ビジョンで問題を解決しようとする場合には、自己責任で試行錯誤を覚悟した上で、こまめに罹患した部位を切除する、果樹の抵抗力を高めるために土壌の栄養状態を改善させる、微生物環境を整えるなど、短期で劇的な効果は期待できないけれでも、継続的に続けることで緩やかな改善が期待できる方法を選択することもができます。あるいは、そこにいて毎日しっかり果樹を観察し世話をできる立場であれば、病が病として顕現する前に予防や早期治療の対応が可能となり、そもそも病に至る以前に問題を解消できるかもしれません。</p><p> </p><p> 健康との関わりにおいても、自分が「人体」という農場の農場主であるという自覚を持ち、家畜や作物の健康を維持するためには何が必要であるかを日々研究し、長期的なビジョンで家畜や作物が健康で育つ農場を運営したいものです。そして、問題が発生した時には、アドバイザー(医師)は立場上短期的に確実に問題を解決できる方法を提案する立場にあることを認識して、アドバイザーに治療を丸投げすることなく、健康を取り戻すための意思決定と行動に対しては、しっかりと自己責任を持つことが大切ではないでしょうか。 </p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171030/09/musiclife-in-nature/a4/31/j/o1627235314059218683.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171030/09/musiclife-in-nature/a4/31/j/o1627235314059218683.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="607" width="420" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6291442
2020-04-22T23:05:23-07:00
2020-04-22T23:45:34-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革(8)提案7:自分自身を知る
<p> <a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/2c/4b/j/o1936259214740885335.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/2c/4b/j/o1936259214740885335.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p><p> 都会生活に見切りをつけて田舎に移住する場合、注意しなくてはならない落とし穴は、住む場所を田舎に移すというだけでは、都会で感じていた欲求不満や憤懣が解消されないということです。おそらく、多くの方が「自分が都会の生活には合っていない」あるいは、「都会生活で経験する人間関係や生活上の制約などにうまく適応できない」という強い自己認識を経験し、田舎に住んでみようという決断に至るのだと思います。これは、自己知においては、大きな一歩ではあり、都会を離れるにあたっては非常に大きな努力をすることになりますが、これはほんの入り口にすぎません。移住すること自体に満足せずに、これまでの人生で知らず知らずに形成されてきた人格や反射的な思考パターン、これまでの生活環境で身についてしまっている行動パターンや習慣を知り、それらが自己の本質と乖離しているのか、あるいは近いものなのかを判断して、それらをできるだけ本質に沿うものへと自己改革する必要もあります。そうしないと、結局、都会でも不満を感じ、かといって田舎の生活もやっぱり物足りないということになってしまい、場所は変えてみたけれど、全く期待はずれだったということになりかねません。<br><br> 都会から田舎への移住は、「都会からの脱出」という側面と「田舎での新しい生活への挑戦」という両側面があることを覚悟することは大切です。そして、それは本当の意味で自分を深く知ろうとする努力への始まりでもあります<br><br> 「自分は一体何をしたいのか、よく分からない。」という感覚は、おそらく皆が人生のどこかのステージで経験することだと思います。仮に、人生における大きな理念と目標を見出すことができたとしても、日々の生活の中で小さな決断を下す際には、目先の利害や一時的な感情に流され、理念とは全く反する判断や言動をしてしまうことも稀ではありません。本当に自分が何をしたいのかを知り、そこからブレない確固たる自己を持つということは、それほど簡単なことではありません。<br><br> 自分自身を知るためには、自らの感覚と感性を用いて、自己観察を続けるしか方法がありません。カウンセラー的な第三者からのアドバイスや、占星術、数秘術、前世占いなどで示唆されることを参考にすることもできますが、それらはあくまでも補助的な自己知への手段にすぎません。直接に自分自身を知ることのできるチャンネルは、自分自身の内部で機能している感性と感覚しかありません。<br> <br> 「古佐小基史」と名のついた人体と48年も一緒に暮らし、特に大きな不都合もなく毎日を生きているので、つい、「自分自身を知ってコントロールしながら、思い通りに自由に生きている」という感覚を抱いてしまいます。しかし、実際に日々の言動を決断する中では、本当の意味で、常に自己の目的意識と理念に沿った選択をできているかというと、正直なところ自信はありません。ほとんどの場合は、半分眠ったような状態で、いい加減な決断をしていて、大きく理念から外れるわけではないけれども、それに向かって最短距離を選んでいるとはとても言えないようなお粗末な状態です。車の運転に喩えるならば、左右のガードレールにガンガンぶつかりながらも、なんとか道路を外さずに走っているような状態で、決して車の能力を最大限に生かして、高速車線をぶっ飛ばしているわけではありません。<br><br> 仕事、健康、人間関係など、人生のあらゆる場面で遭遇する様々な問題は、実は、「自分自身のことをあまりよく知らない」「自分は本当には何をしたいのかよく分からない」「自分を思い通りに操ることができない」ということが根源的な要因となっていると考えています。<br><br> 現代的な社会生活をしていると、「自分自身を深く知る」ということよりも、社会に適応するために必要な情報や知識を学ぶことを優先させる傾向にあります。社会的な地位を築くためには、社会的に有利な職業や仕事の選択できるように勉強や技能習得の努力をし、それに自分を合わせていけば目標が達成されますから、自己知への努力を優先させる必要ありません。むしろ、自己知などという、その獲得にはやたらと時間と労力を要する割には成果がすぐに現れない面倒なことにかかずらわらないほうが、地位や収入などの外から見える成果を得るためには、近道です。しかし、「ステイタスの高い仕事」や「高額収入」「生活の安定」など、子供の頃から刷り込まれている社会的な成功者の立場を手に入れても、自分の本質に合わない職業や世界観を強要される社会的立場に自分を押し込めてしまっていたら、心の底からの幸せを感じることはできません。<br><br> このように、本質と矛盾する活動に人生の時間とエネルギーの大部分を使うということは、自分という自動車を、わざわざバックで、しかもバックミラーだけを見ながら走らせているようなものです。自動車はバックでもそれなりに走行できますが、もともと、バックギアは高速で長距離を走るようには作られていないので、燃料を無駄に浪費し、ギアも遅かれ早かれ破損し、よく見えないで運転しているからあちこちぶつけて車体もボロボロ。そこで、しょっちゅう外装を綺麗にしたり、壊れた部品を取り替えるという修理をすることになります。しかし、根本的な問題は解決されませんから、心も体も疲弊し、様々な健康問題が湧いてきます。それを社会制度や高度な医療によって解決しようとしても、焼け石に水で、健康問題は少なくなるどころか新しい問題が次々に生まれて、状況はますます複雑になり、出口の見えないままトンネルは続いてゆく…。<br><br> 車後ろ向きに走らせている限り、何をやってもその車の本来の能力を引き出すことは不可能です。なんてことはない、自分自身を知り、ただ車を普通に前向きに進めれば、すべては解決するのでしょう。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200423/15/musiclife-in-nature/2c/c5/j/o1440144014747838900.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200423/15/musiclife-in-nature/2c/c5/j/o1440144014747838900.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="420" width="420" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6287632
2020-04-19T18:44:11-07:00
2020-04-19T22:30:36-07:00
音楽づくりとは?
<p> </p><p> 世の中にはいろんな音楽制作のあり方がありますが、古佐小流には、音楽制作を以下のように定義しています。</p><p> </p><p> 「音楽制作とは、日常生活の中で自然の創造の営みの仕組みを広く学びながら、音色、旋律、和声、リズムなどの音の印象の特性を学び、音とそれを聴いた時に呼び起こされる感情的な反応、思考、生理的な反応などの関連を学び、さらに実際に楽器や声を用いて意図した通りの音印象を生み出す技術を学び、それらの学びから得られた統合的な知識と*ビーイングにより、聴き手に望ましい反応を呼び起こす音印象を造り出す一連の活動である。」(*注;Being:ぴったり来る訳語がないのでカタカナ表記にしますが、英語の哲学的論文で見られる用語で、直訳的には「存在のレベル」。知識ではなく、極意や奥義などの深遠な智恵を理解できる能力。)</p><p> </p><p> 音楽制作の努力は、製作者の思考力、感受性、運動能力、直観力など、内的な能力の拡張に非常に大きな影響を与えます。また、その音楽家により生み出される音印象は、人間の内的機能によって加工されている音印象なので、大自然のそのままの音印象に比べて、より人間に受け取り入れやすい形になっています。言い換えると、自然に存在する音エネルギーという生の素材が、音楽家により噛み砕いて消化され、創造的プロセスを経て、人間同士で交換できる音エネルギーに変換されて、芸術作品として提示されます。この意味では、音楽家の役割は、自然の生の素材を料理して、誰にでも食べやすい形に仕上げる料理人のようなイメージとも言えるかもしれません。</p><p> </p><div> このプロセスをもう少し噛み砕いて論述してみましょう。</div><p></p><p> </p><p> 自然の創造の営みの仕組みを学ぶためには、人間社会も含む自然環境全体の営みに敏感であることが必要で、そのためには、五感とそれをどう感じているかをモニターできる感性を研ぎすます必要があります。また、音印象とそれによって呼び起こされる聴き手の内的な状態の変化の関連を学ぶためには、まず自分自身が聴き手として、音に対してどのような反応をしているかを自己観察し分析することが必要で、そのためには、自己に対して客観的になる努力が必要です。また、実際に楽器や声を用いて意図した通りの音印象を生み出す技術を学ぶためには、楽器演奏や発声の技術の習得に加え、肉体の動作機能と音印象を生み出そうとする意図・意識の連結を、より完全な状態に近づける努力も必要ですから、武道家やスポーツ選手と同じく、心技体の連携を深める訓練も必要です。さらに、それらの学びから得られた知識とビーイングが、演奏の瞬間に正しく調和のもとで作用するためには、時間とともに流れてゆく音楽とともに「今、この瞬間、ここに存在している」ことを継続的に意識できる内的な状態も必要です。そして、聴き手に望ましい反応を呼び起こす音印象を造り出すためには、音印象を受け取る聴き手への「愛」を感じる努力も必要になります。</p><p> </p><p> 実のところ、このようなプロセスを経て生み出される音楽作品は、単なる副産物であって、このプロセスにより絶えず鍛えら開発されている音楽家の内的な能力こそが、音楽制作によってもたらされる主産物なのだと思っています。</p><p> </p><p> このような音楽制作の境地は、一生かけて取り組む音楽家としてのライフワークです。しかし、「それが完全できるようになってから音楽を制作するべきだ」というような潔癖を貫くと、古佐小ごときのレベルでは、死ぬまでに1音だって音を鳴らすことは許されませんから、音楽家としては、今現在の知識とビーイングを駆使して、現状でのベストの音楽を制作することになります。それを奢りや妥協から行うのではなく、自分のありのままの姿を謙虚に受け入れ、不完全な作品と自覚しながらも批判を覚悟で発表し続けるには、勇気と忍耐が必要です。この勇気と忍耐こそが、表現者であるために最も必要とされる素質なのかもしれません。</p><p> </p><p> 一口に音楽と言っても、同一の聴き手が異なる音楽から受ける影響には「なんとなく気分が変わる程度の影響」から「人生観が変わってしまうほどの影響」まで大きな幅かあります。また、同一の音楽が異なる聴き手に与える影響の幅も、同様に「なんとなく心地よい」という程度のものから「魂が揺さぶられる感動」まで大きな幅があります。例えば、ティーンエイジャーにとっては気持のよいヒップ・ホップの音楽が、この中年のおっさんにとっては苦痛でもあるわけですから、実際には、この幅はプラスの側での変動にとどまらず、マイナスからプラスまで振れる非常に大きなものです。</p><p> </p><p> このような幅が存在することは、音楽制作に携わる音楽家の知識とビーイングには大きな幅があること、また、聴き手の音楽印象への感受性と印象の消化能力にも大きな個人差があることを物語っています。言い換えると、音楽を生み出す手段と目的、それを受け取る能力と音楽の使用目的に大きな幅があるので、音楽〜聴き手の反応系には、大きなバリエーションがあり得るのです。</p><p> </p><p> つまり、音楽家が現在の自分のビーイングと知識を駆使して誠実に音楽に取り組むならば、それに価値を見出してくれる聴き手はいるということになります。そのことを信じ、試行錯誤の中で音楽作りの経験を積むことで、ビーイングと知識が増し、より完全な音楽家へと近づいていけるのだと思います。また、それにより、より善き人への道も歩むことになるのでしょう。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200420/02/musiclife-in-nature/8c/a2/j/o1067160014746245062.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200420/02/musiclife-in-nature/8c/a2/j/o1067160014746245062.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="930" width="620" /></a></p><p> </p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6286072
2020-04-17T19:37:39-07:00
2020-04-17T20:30:31-07:00
常にそこにある奇跡
<p>常にそこにある奇跡</p><p> </p><p> 毎日、ごく当たり前の日常の繰り返しです。</p><p> </p><p> 宝くじに当たって一夜にして金持ちになることもなければ、神の啓示を授かるような超常体験もなく、明らかに「これは奇跡だ!」と思えるようなことは、何一つ起こりません。</p><p> </p><p> しかし、知性と感情を働かせて冷静に自分の存在を宇宙全体のスケールから見つめ直してみると、ここにこうやって生きていること自体が、精妙な奇跡であると感じられてきます。例えば、この瞬間、静かに椅子に座ってワープロを打っている自分が、実はどのくらいのスピードで宇宙空間を移動しているかを試算するという思考実験は、意外と新鮮な驚きと感動を与えてくれます。</p><p> </p><p> 自分を地球の表面にへばりついている一点すると、地球の中心の周囲を1日に40,000km、1秒で460mほど動いています。さらに、その地球自体が太陽の周囲を公転していますから、地球の表面にへばりつい状態でくるくる回りながら、さらに太陽の周りを毎秒約30kmほどで移動しています。さらに、太陽も銀河系の周囲を公転しているので、太陽の周囲を螺旋状にくるくる回りながら、さらに銀河系の中心の周りを毎秒200kmほどのスピードで動いています。銀河系も宇宙の中心の周りを回っているらしいので、くるくる回る構図はさらに続くのですが、ここまで考えただけでも、座っている自分がとてつもないスピードで、複雑ならせん模様を描きながら宇宙空間を駆け抜けていることが分かります。なんだか、考えただけで乗り物酔いで気持悪くなりそうですが..。</p><p> </p><p> このスピードでの物理運動では、ほんの些細な「つまずき」でも起ころうものなら、急ブレーキのかかった新幹線などとは比べ物にならないくらいの惨劇に見舞われることになりますが、幸いにも、今日も地球の普通の営みが続いています。これだけのスピードで無数のものを宇宙空間で動かし続けている「宇宙の規律」の深遠さは、人智では計り知れないもので、まさにこれこそ「奇跡」と言えます。</p><p> </p><p> 遺伝子の暗号を解読出来るようになった人類の叡智は、確かに奇跡的に素晴らしいと言えますが、実際にその暗号システムのデザイン、暗号が生命体として具現化できる化学反応の法則、ひいてはその元となっている様々な現象の原理をすべて作り上げた宇宙の叡智の見事さは、人類の「叡智」とは全く次元の違うレベルの叡智であり、それこそが「奇跡」と呼ぶにふさわしいものだと思います。 </p><p> </p><p> 先ほどの思考実験では、我々の感覚では「止まっている」状態でも、宇宙全体の中では、実際には目にも留まらぬ速さで動いていることが分かります。逆に言うと、我々の感覚で長距離を動いている場合、例えば飛行機で旅行しているような場合でも、宇宙全体のスケールで見ると、その移動は本当にとるに足らないほど小さなもので、動いていないも同然であるということになります。このことは、我々の移動は、ほとんどすべて宇宙の運行の一部として受動的になされているもので、いわゆる自分達が「移動」と称している能動的な移動行為は、宇宙全体から見ると無に等しいほどに小さなものであることを意味しています。</p><p> </p><p> このように考えると、「人類こそが、宇宙進化の最先端に位置する最も高度な知性を持っている」という尊大な人類至上主義的な宇宙観が、いかにも不自然なものに思えてきます。</p><p> </p><p> 人類は、意識や意志、知性、感情など、植物やその他の動物には見られない高次な精神機能を持っています。これらの機能の由来に関しては、「進化の最先端にある人類が、生き残りをかけた進化の結果として、他の追随を許さない高度な精神機能を獲得した」というダーウィンの進化論的な見解が一般的だと思います。しかし、宇宙空間内の移動という物理現象に関しては、地球の影響、地球を支配する太陽系の影響、太陽を支配する銀河系の影響、銀河系が属する宇宙全体の影響という具合に、自分よりもはるかに大きな存在から何重もの影響に依存していることを考慮すると、精神現象に関してだけ、人類の意識や意志が宇宙の中で最も進化した、最も能動的で独立した精神活動であるという解釈は、説得力を欠いています。むしろ、人間の意識や意志の由来は、宇宙から発している意識や意志が銀河系、太陽系、惑星に至る過程で枝分かれし、さらに生態系の中で枝分かれした意識と意志のほんの一部が人類にも配分され、精神活動として発現していると考える方が理にかなっています。ちょうど、発電所で作られた膨大な量の電力が枝分かれして支流となり、最後の末端でこの書斎の小さな電灯を灯しているように…。</p><p> </p><p> この地球上に存在する様々な元素は、大昔にどこかで死んだ恒星から放出されたものだと言われています。これが本当だとすると、文字通り人体は、すべて星屑を素材として作られています。人体が星の「かけら」から構成されているとしたら、精神にも偉大な宇宙の意志や意識の「かけら」を持っていると考えるのが自然です。そして、「かけら」こそが、人類の意識や意志などの精神機能ではないでしょうか。人類の意識や意志は、宇宙全体を司る意識や意志と比べると無に等しいほどちっぽけなものかもしれませんが、それでも「神の似姿」として、本体である宇宙全体の意識や意志とつながっているに違いありません。</p><p> </p><p> 実は、このことこそが、超常現象や神秘体験にも勝る真の「奇跡」なのかもしれません。このちっぽけな自分が、実は宇宙の神秘を内包する小宇宙である。こんな風に考えると、普通に存在し、代わり映えのしない毎日を生きていること自体が、すでにありえない奇跡だと感じられます。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171214/11/musiclife-in-nature/72/af/j/o1936259214090705672.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171214/11/musiclife-in-nature/72/af/j/o1936259214090705672.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6284987
2020-04-16T18:49:27-07:00
2020-04-16T21:45:31-07:00
7)都会から田舎への移住に伴う意識改革 第七部 提案6:直感と感覚を用いる経験的学習
<p> 今の世の中、インターネットや書籍によって、新しく物事を始めるためにとりあえず必要な知識と情報は、非常に簡単に手に入るようになりました。ひと昔前の江戸時代には、貴重な外国の書物1冊(例えばオランダの医学書)から、そこに含まれている情報と知識を必死の思いで抽出して学んだわけですから、文書、写真、動画など、ありとあらゆる形態の情報がいつでもどこでも手に入る現代の状況は、その当時の学者から見ると、まさに夢のような状況です。<br><br> しかし、このように情報へのアクセスが手軽になった一方で、自らの感性と感覚を用いて直感的に物事を理解する動物的本能はあまり必要とされなくなり、徐々に退化していると感じられます。<br><br> 現代人が新しいことを始める場合には、すでに体系化された知識を学び、経験者(先生)から実践的なトレーニングを十分に受けてから、始めて一人立ちするというのが一般的なプロセスだと思います。しかし、マルチタスクをこなそうとする田舎の生活で、全てにおいてこのような緻密な学習プロセスを踏んでいたのでは、教育段階に膨大な費用と時間がかかってしまい、いつまでたっても何も実践できないという状態に陥ってしまいます。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/2f/8c/j/o2592193614744811265.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/2f/8c/j/o2592193614744811265.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a></p><p><br> 都会から田舎に移住すると、家周りのメンテや農作業において、それまでやったことのないことをしなくてはならない状況に遭遇します。特に緊急を要する場合、作業手順の大雑把な知識を確認したら、嫌が応もなく、とにかくやるしかないという場面が多くなります。やったことのない新しいことを、最低限の予備知識でいきなり実践する…。でも、そんなことできるのか?</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/5b/a4/j/o2116164214744811715.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/5b/a4/j/o2116164214744811715.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="326" width="420" /></a></p><p> </p><p> そのためには、その場でその時に観察される事象、過去の類似した経験の呼び起こし、感覚を通じて直感的に感じられるものへの意識を高め、これらのリアルタイムの情報を知り得た専門知識と合わせ、冷静な知的分析をしながらノウハウを即興的に編み出し、それを実験することになります。<br><br> もちろん、失敗は起こりますが、このように知性と直感を総動員して取り組んでいる時に経験する失敗からは、実に濃厚な真理を学ぶことができますから、何度か試行錯誤を繰り返しているうちに、どうにかこうにかできるようになります。そうなったら、すでにそのタスクの全貌をだいたい把握できていると言えます。このタイミングで先達のアドバイスを受けたり、さらなる詳細情報を入れると、飛躍的に能力が高まります。自分が専門としているハープの技能も、この方法で独学で習得し、わずか数年でプロのレベルまで到達できましたから、この方法でかなり複雑な専門技能を学ぶことが可能だと思います。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/09/43/j/o0665100014744813040.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/09/43/j/o0665100014744813040.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="632" width="420" /></a></p><p> </p><p><br> しかし、このように新しいことを最低限の予備知識で実践する場合には、直感と感性に傾倒しすぎるのも危険です。きちんと知識を得た上で一般常識に従い、安全へは特に配慮をし、失敗時のダメージが最小限になるように計画的に実践することをお勧めします。特に、事故による怪我につながらないように、注意しましょう。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/3a/cd/j/o1936193614744812635.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200417/10/musiclife-in-nature/3a/cd/j/o1936193614744812635.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="420" width="420" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6280705
2020-04-12T20:30:02-07:00
2020-04-12T22:16:08-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革(6)提案5:シングルタスク型からマルチタスク型の生活への移行
<p> 都会生活では、専門とする職業に従事することで、生活に必要な全てのサービスや資源を得るための「万能交換券」である通貨を手に入れます。そして、通貨を全く得られない活動、あるいは専門の職業と同じような効率で通貨を稼げない活動は、趣味や娯楽とされ、それらの活動には、余暇の時間をあてることになります。このように、都会生活では、基本的には、一つの専門業務を高度に遂行できれば、生活するために必要な通貨が入手できるようになっており、社会が現状どおりに機能している限りにおいては、生活は保障されます。そのため、その他の職種に属する知識や技術に関して全くの無知無経験でも、なんの不自由もなく生きていくことができます。これは、社会の一員として専門とする単一の業務にのみ従事していれば社会生活が保障される「シングルタスク」型の仕組みです。<br><br> しかし、利用できるサービスの種類が限られ、質の高いサービスを受けにくい田舎では、家屋などのインフラ整備やメンテナンスに関する大小様々な問題を、自分自身で処理しなくてはならない場面にしばしば遭遇します。実際、そうしないと田舎での生活は不便きわまりなく、結局、その不便さに嫌気がさして田舎での生活をさっさと諦めてしまうことになりかねません。</p><p><br> しかしながら、様々な分野で起こる全ての問題の対処法を事前に学び準備しておくことは難しいので、問題に直面するごとに、不便を感じながら実践と試行錯誤を通じてその対処法を学ぶことになります。そうしているうちに、都会ではそれぞれが専門化した一つの職業として成り立っているような様々な分野での実務の知識と技術の概要を、おぼろげながらも理解できるようになり、様々な状況への適応能力が鍛えられます。その結果、都会の「シングルタスク型」の生活に特徴的な「他者の知識と技術への高度な依存状態」から、生活の様々なニーズの多くの部分を自分自信で満たすことができる「マルチタスク型」へと転換が可能になります。これには、意識的努力、忍耐、時間と労力の投資、それに失敗の苦しみなどの精神的葛藤を伴いますが、その見返りとしては、自立した生命体として生きてゆく能力が向上し、生きることに関する深い自信を腹の底や脳髄の奥から感じられるようになります。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200413/12/musiclife-in-nature/f1/e7/j/o1936259214742943938.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200413/12/musiclife-in-nature/f1/e7/j/o1936259214742943938.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><br> 都会では、本業が忙しい時に、やったこともないような水道管の修理や屋根の修理を自分でやってみようと考えるることは稀です。そもそも、そんなことをする時間的ゆとりも労力もないし、普通は道具だって持っていません。本業で稼いだお金を使って、業者に依頼して問題解決をしてもらうのが最も賢い選択です。何が起きても、本業が収入をもたらしてくれている限りにおいては、それに専念していれば業者を雇える金があるので、全く問題無しです。<br><br> しかし、田舎では、サービスの提供を必要な時に受けられる保障もありませんし、そもそも、本業が大きな収入に結びついていないことも多く、業者を雇う金銭的なゆとりのない場合も多々あります。これは、とても不便な状況ではありますが、必要は発明の母とも言われるように、シングルタスク型生活からマルチタスク型へと転換するプレッシャーとしては、むしろ望ましい状況です。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200413/12/musiclife-in-nature/b7/b1/j/o1936259214742941324.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200413/12/musiclife-in-nature/b7/b1/j/o1936259214742941324.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p><p><br> マルチタスク型の生活で様々な仕事を経験すると、何事においても楽で簡単な職業などなく、特に一流のレベルまでマスターするとなると、その難しさを身にしみて理解できるようになりますから、分野に関わりなく顧客のために常に間違いのない仕事を提供するプロとしてビジネスを成り立たせる専門家を、心から尊敬するようになります。しかし同時に、自分自身のニーズをなんとか満たす程度のサービスを提供できるレベルに達することは、実はそれほど難しくないことも分かってきます。もし失敗したら、後から直せばいいし、不完全でも、後でフォローアップし、そういう試行錯誤をしているうちに、ある程度の仕事はできるようになってくるものです。特に、現代はネットで文書、写真、動画、イラストなど様々な形態の情報が瞬時に手に入りますから、意識的に情報収集し、それを注意深く実践に移すことで、実に多くのことを学ぶことが可能になっています。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200413/12/musiclife-in-nature/47/ac/j/o3024403214742942065.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200413/12/musiclife-in-nature/47/ac/j/o3024403214742942065.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a></p><p> </p><p> このように、マルチタスク型の生活で、様々な仕事を少しずつでも経験してみると、「職業に貴賎はない」という真意がより深く理解されます。社会に必要なあらゆる職業の専門性の価値にランク付けをし、収入という単一の価値観で安易に人の価値を判断する現代社会の傾向は、シングルタスク型の生活をしているからこそ起きてくるのではないでしょうか。特に、土木建築関係の仕事、農林水産業などに対しての偏見。「あの手の仕事は、学のない頭の悪い人間のやる仕事だ。」「あんな誰にでもできる仕事、収入が低くても当然さ。」しかし、これらの仕事が高度な技術と責任感をもって遂行されないと、高額収入を得ている方々の生活も成り立たないのです。<br><br> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6279576
2020-04-11T08:13:42-07:00
2020-04-11T09:45:31-07:00
ヒトはなぜペットを飼うのか?
<p>動物との交流、人間同士の異文化交流</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171018/01/musiclife-in-nature/3d/15/j/o1936193614051076908.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171018/01/musiclife-in-nature/3d/15/j/o1936193614051076908.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="420" width="420" /></a></p><p> </p><p> 人間は、なぜペットを飼うのでしょう?人間嫌いを自負していても、動物は好き、という方も結構いらっしゃいますし、トカゲやヘビ、カエルなど、ほとんど感情的な交流は不可能と思われる爬虫類〜両性類系を好む方もいますから、人間の動物への興味と愛着には、かなり根深いものがあると考えられます。</p><p> </p><p> 現在、古佐小ファームには、猫8匹、犬9頭、鶏60余羽、ヤギ9頭がおります。フェイスブックでお友達の皆様は、おそらく「古佐小=超動物好き」のようなイメージをお持ちかもしれませんが、実のところ、ファームを始めるまでは、自分は動物嫌いだと思っていたんですよ。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171018/01/musiclife-in-nature/c4/aa/j/o3414291514051077073.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171018/01/musiclife-in-nature/c4/aa/j/o3414291514051077073.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="359" width="420" /></a></p><p> </p><p> 振り返ってみると、子供の頃は動物が大好きだったのですが、飼っていた動物がことごとく死んでゆくのが辛くて、ある時点で動物好きのスイッチを切ってしまい、その後は、自称「動物嫌い」になってしまったようです。</p><p> </p><p> 小学生の頃は、いつも亀や魚、カタツムリやコオロギなどを飼っていました。ただ、母が大の動物嫌いで、家の中では飼わせてもらえなかったので、雨の日に水槽があふれて逃げ出した亀が自宅の目の前でひかれてぺちゃんこになって死んだり、夏の日差しで水槽が熱くなりすぎて魚が全滅したりと、いつも悲しい結末ばかりでした。</p><p> </p><p> 捨てられていた雑種の仔犬を拾ってっきて2度飼ったことがありますが、最初の子犬は1年も経たないうちにてんかんが発症し、安楽死させなくてはならず、2匹目の子犬も、飼い始めてから1年で目の前で道路に飛び出し、車にはねられて死んでしまいました。</p><p> </p><p> その後、家の裏庭に野良猫が2匹ほど住みつき、餌をやって可愛がっているうちにペットのようになっていたのですが、猫の毛のアレルギーが発症し、大家さんからも猫はやめてくれと言われ、両親が保健所に処分を頼み、連れ去られていきました。</p><p> </p><p> 小学生の時代に、このような動物との離別のトラウマを経験するうちに、「動物が好きだから別れが辛いんだ。動物を嫌いになれば、こんな辛い思いをしなくてもすむようになる。」と思うようになり、自称「動物嫌い」へと変わってしまいました。</p><p> </p><p> もともと母が動物嫌いだったので、子供ながらに動物嫌いを正当化する理由はいくらでも見いだすことはできました。毛が抜けて家が汚れる、アレルギーの原因になる、不潔、本能に任せて生きる下等な生き物、世話が大変、そして、いつかは死んでしまう。</p><p> </p><p> でも、やはり動物好きの本性には逆らえず、ファームを始めて一度動物を飼い始めたら、あっとという間に大所帯になってしまいました。それでも、いまだに自分の飼った動物はすぐに死んでしまうというカルマを背負っているような気がして、動物たちとの不慮の別れを恐れている自分もあります。</p><p> </p><p> それにしても、なぜ人間は、これほどまでに動物との交流を欲するのでしょう?</p><p> </p><p> 動物との交流では、初期段階においては、全くお互いを理解できず、警戒心と不信感が前面に出ている状態ですが、一緒に時間を過ごしてゆくうちに、だんだんと意志の疎通ができるようになり、信頼感が目覚め、一緒にいることが喜びへと変わっていきます。</p><p> </p><p> このような相互理解が難しい異種との信頼関係を築く喜びは、社会的な生物としての人間には、生存のために絶対不可欠な本能的傾向として備わっているのではないでしょうか。</p><p> </p><p> 動物との交流では、信頼関係が自然と熟成してゆくプロセスを気長に進める辛抱が必要で、焦って結果を得ようとすると失敗してしまいますから、動物との信頼関係を求めること自体は本能的な欲求であるにもかかわらず、それを実行するのは、それほど簡単ではありません。</p><p> </p><p> 人間同士の交流でも、新しい友人や恋人との関係が深まり、信頼関係が築かれてゆくプロセスで経験される喜びは、人間に与えられた喜びの中でも非常に特別なものです。また、異文化に接し、外国人と交流することも、大きな喜びをもたらしてくれます。外国人と身振り手振り混じりで交流し、心を通い合わせる瞬間に喜びを感じない人はいないでしょう。</p><p> </p><p> それなのに、国家レベルでは、世界中で国粋主義、民族主義が存在し、地球のどこかで常に紛争が起きています。歴史を振り返ってみても戦争の無かった時代はなく、戦争することが人間の本能のように定義される方もいます。しかし、個人レベルで経験される動物や外国人との関わりを観察する限り、人間の本能は、相互不信と競争ではなく、むしろ相互理解と調和に向かうようにデザインされているとしか思えないのです。</p><p> </p><p> 国粋主義や民族主義、外国人嫌いの傾向は、もしかしたら古佐小の自称「動物嫌い」の仮面と同じく、後付けの教育や情報によって形成された信念なのかもしれません。異文化を理解するためには、長い年月をかけてじっくりと交流を積み少しずつ信頼関係を成熟させることが必要です。しかし、そのプロセス自体を楽しむのではなく、すぐに結果を求める姿勢で取り組むと、困難に直面した途端にすぐに逆上して、それ以上の相互理解のための努力を投げ出してしまことになります。そうなると「どうせ理解できない奴らなんだから、信頼関係を築くことも無理だ。だったら、場合によっては邪魔な敵として殺したっていい。きっと相手だって同じように考えているにちがいない。こうなったらやるかやられるかだ!」つまり、戦争という短絡的な結論に行き着いてしまいます。</p><p> </p><p> 「グローバル市民」「世界は一つ」「国境なき経済圏」というような理想はすばらしく、人類が目指すべき方向であるとは思いますが、そういう大きな結果にとらわれて性急に物事を進めようとすると、なかなか相互理解が進まないフラストレーションの反動で相手を憎むようになり、反対の結果を招いてしまうことになっているように思えます。</p><p> </p><p> 国連の形骸化、EU崩壊の危機、各国でのナショナリズムの台頭などの動きは、これまで性急に進めてきた経済重視の外見だけのグローバリズムへの反動のような気がします。このような時には、焦らず、自然なペースで時間をかけて、国家としてだけではなく個人としても実際に直接肌身で異文化と接し、相互理解を深めようとするプロセスを重視し、その困難さへの反動に任せて戦争や他民族排除の方向に流れてしまわないように注意することが大切だと思います。</p><p> </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6278218
2020-04-09T22:39:18-07:00
2020-04-10T01:45:49-07:00
子供の夢と職業選択
<p> 子供のときに「考古学者になりたい」「音楽家になりたい」というような夢を大人に打ち明けると、「考古学者なんかになったら、汚い格好で毎日土を掘るばっかりで全然お金にならないから、やめておきなさい」とか「なにを夢みたいなことをいってるの!プロの音楽家になれるんは、ほんの一握りの特別な人だけなんだから、あなたがなれるわけないでしょ。そんな夢みたいなことを言ってないで、ちゃんと勉強しなさい。」などと言われ、中学生、高校生と少しずつ大人に近づくにつれて、考古学者や音楽家というような「非現実的」な夢は忘れ、いつしか、将来の職業選択で有利になる学歴評価の高い大学への進学を目標に受験準備をする少年になってしまいました。</p><p> </p><p> その結果、現役で東京大学に入学できましたが、結局、手に入れた学歴を就職活動や出世で活用できる職業は選ばず、普通の看護士として病院に就職しました。しかし、それも長続きせず、1年間臨床で働いたのちに、それまでの人生をリセットするためにアメリカに渡り、そこでハープと出会い、27歳から独学でハープ奏者となり、現在は、子供の頃の夢の一つであった音楽家として生計を立てています。</p><p> </p><p> 子供の頃から音楽への興味は強かったのですが、実のところ、プロの音楽家になるという具体的かつ戦略的なビジョンは持っていませんでしたし、音楽学校に行くという選択肢を考えたことも、ほとんどありませんでした。ピアノの先生からは「あまり才能がない」と言われたし、絶対音感もなく、楽譜読みは遅く、どちらか言えば雑で不器用なタイプで、演奏技術に関しても、努力せずして手に入ったものは何一つなく、いわゆる「音楽の天賦の才能」と呼べる資質はほとんど持ち合わせていませんでした。ただ、天賦の才がなかったお陰で、音楽をより神秘的なものと感じ、それへの興味もいっそうかき立てられ、その結果として、音楽家を志す道を選ぶこととなり、それをしつこく続けているうちに、それなりのレベルの音楽家になることができたのです。</p><p> </p><p> 大人は、子供のために良かれと思って、実現が難しく安定性を欠いた「子供じみた夢」を打ち砕き、安定した社会的地位と収入を得られる「現実的な道」へと導こうとするのですが、人生経験も判断力も未熟な高校受験前の15歳そこそこの少年少女たちが、なんとなく大人の言葉に従って進路を決めてしまうことで、将来の職業選択で多くのミスマッチが起きてしまう危険性もあります。</p><p> </p><p> 実際に、多くの若者が、本当に望んでいる生き方を実現できる仕事に就くことを目指すのではなく、高収入で安定性に恵まれた職業を目指して大学や職業訓練校に入学します。数年間の努力の末、期待した通りの生活を手に入れることができる方も大勢いらっしゃると思いますが、実際に働き始めてみると、仕事には生き甲斐も強い興味も感じられないことに気づくというケースも、決して稀ではないと思います。そうなってしまうと、結構大変です。日本では、社会人になった後で再教育を受けることが難しい教育システムである上に、一度やり始めた職業を辞めることを「挫折」として否定的に評価する空気が強いために、30代〜40代になってから職種を変更するという決断を下すには、かなりの勇気が必要です。</p><p> </p><p> また、長年の教育と努力によって手に入れた仕事をやめることは、もったいなく感じますし、安定した収入を失うことは非常に恐ろしく、そこから踏み出すことは躊躇してしまいます。それに、高収入で安定性に恵まれた仕事に不平不満を感じることには「身勝手で贅沢な悩みだ」と罪悪感を感じてしまうので、我慢をしながらやりたくない仕事に従事することを「正義」と判断してしまいがちです。しかし、無理をしてやりたくないことに従事していると、心身への負担も大きくなり、仕事の能率も上がらず、そのため仕事に余計な時間とエネルギーがかかってしまいます。そうなると、家族や友人との心和む時間や趣味を十分に楽しむ時間もなくなり、手軽なうさばらしとして過度の飲酒、喫煙などが習慣化します。そんな生活をしていると元気出ることは難しくなりますが、多少の体調不良はサプリや一般薬でごまかしながら働き続けることで、休息と労働のバランスが慢性的に崩れ、行き着くところ病気になるリスクが大きくなります。</p><p> </p><p> そうやって病気になったとしても、その仕事に就いていることからもたらされる福利厚生のおかげで保険にも加入でき、安く治療を受けられますから「ああ、やっぱり我慢して仕事を続けてきて良かった!」と思うかも知れませんが、やりたくない仕事のストレスが原因で病気になったのであれば、本末転倒です。</p><p> </p><p> そうならないためにも、折に触れて「今、自分は幸福だろうか?」と自問し、もしその答えが力強いイエスでなかったら、生き方の変更を考えるべきではないでしょうか?もし、自分に取って幸福とは何なのか、それすら明確に回答できないとしたら、幸福になれる可能などあるはずがありません。</p><p> </p><p> 幸福を感じるためには、それなりに望ましい外的状況が整うことも必要ですが、むしろ、どのような外的状況に接したときにでも、幸福を見出せる内的状況が整う必要性の方が大きいと言えます。幸福感を感じられる内的条件として、心身の健康がなくてはなりませんが、現代の生活では、社会的地位や収入などの外的な条件を整えることが重要視されるあまり、その大元である心・体の状態を考慮することが軽視されてしまっているように感じます。</p><p> </p><p> 「何を職業とするか」、あるいは「社会でどのような功績を上げるか」ということが幸せを規定する最も大きな要因のように考えがちですが、実は、「どのような人物であるか」「どのようなライフスタイルで生きたいか」ということの方が、人間にとってはより本質的で重要なことだと思えるのです。しかし、学校教育や子育てに関わる大人達が、子供にこれらのことを考えさせる機会を十分に与えているかどうかは疑問です。</p><p> </p><p> 学校では、教科をきちんとこなせること、先生の言いつけ(権威からの命令)を素直に守れるということによる評価で生徒としての優秀さの順位がつけられます。親としても子供が学校で良い成績をおさめていると、なんとなく安心してしまいます。そして、将来の夢を子供に語らせる場合に、「将来は何になりたい?」と既存の職業名で大人になったときのイメージを答えさせるように習慣づけています。そのため、子供が、徳性や人となりという内的な資質の重要性を学ぶ機会は少なくなり、それらを組み合わせた「理想的な人物像」を具体的にイメージし、それに向かって人間形成をする都いうことは人生の目標都することはなくなってしまいました。</p><p> </p><p> 子供の対しては、まず「将来どんな人になりたいですか?」と尋ねることで、優しさ、我慢強さ、正義感、強さ、賢さなどの人間的な資質について考えさせるべきだと思えるのです。そして、もし、「優しくて、強くて、人から好かれる人になりたい」と思うのであれば、その資質を必要とし、それらを育む活動としての職業、例えば警察官や消防士などの具体的な職業選択肢を提示し、その上でそこに至るために必要な経験や教育を与えるという手順を踏むべきではないでしょうか。</p><p> </p><p> しかしながら、現代の日本社会では、学歴により職業の選択肢が規定されてしまう現実もありますから、親としても、子供としても、「どんな人物になりたいのか?」というような抽象的なことはさておき、「まずはランクの高い学校へ行くために、受験で勝ち残れる学力をつけなくては…」と考えるのが当然です。そして、学力の高い子供には、「せっかく勉強できるんだから、医者や弁護士、国家公務員など、高学歴で資格の取得の難しく、社会的地位と収入の高い仕事を目指しなさい」と勧めるのも親心です。子供としても、世の中でのお金の力、社会的地位の意義などを理解するようになると、親の勧める道もそれなりに悪くないと思えて、それに従って進路を決めることも親孝行と思い、頑張ってしまうものです。その結果、皆が幸せな人生を送っているのであれば、何の問題もないのですが、実際には、傍目には何不自由もない立場にあっても、自分の人生の選択に疑問を抱き、自分自身と折り合いの付かない居心地の悪い精神状態にあって、幸せを感じられない方も多勢います。</p><p> </p><p> 彼らは、長年一生懸命に仕事に取り組み、世の中をより深く知り、自分自身の特性も理解できるようになった結果として、職業との不適合を感じるわけですから、その時にこそ本当に自分に合った職業を再選択できる可能性は大きくなります。しかし、ほとんどの場合は、中年での職業変更は社会的なリスクが大きすぎると判断され、職業との不適合を感じながらも、結局20代前半で選択した職業にとどまることとなり、自分を押し殺し職業に合わせる努力を続けることになります。</p><p> </p><p> 職業を、自己の価値を規定する評価基準ではなく、自分の目指す人物像に近づくのを助けてくれる外的な活動の一つ、あるいは、自分に備わった内的な資質を社会で発揮するための機会と考えると、社会についても自分自身についてもまだ知見の浅い青年期には、自分にぴったりと合う職業を選択できなくて当然です。社会において、職業を変えることを挫折ではなく改善と捉え、職業選択において試行錯誤の中でいろいろな経験を積むことがもう少し許容されれば、当事者にとっても社会にとっても健全な職業選択がなされる可能性が大きくなるのではないでしょうか。</p><p> </p><p>写真:ギター小僧だった高校時代の古佐小</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171206/08/musiclife-in-nature/7c/0f/j/o0917064614085384000.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171206/08/musiclife-in-nature/7c/0f/j/o0917064614085384000.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="296" width="420" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6276707
2020-04-08T17:44:51-07:00
2020-04-08T17:45:39-07:00
家畜の “Quality of Life”
<p>家畜の “Quality of Life”<br><br> 月曜の早朝、電気柵の不具合で、ヤギが一頭死にました。<br><br> 敷地内に同居している妻の祖父の飼っている7頭のピレネー犬の群れは、番犬として非常に優れているの家畜を守るということを子犬のときからトレーニングされていないために、家畜が電気柵外に迷い出ると外敵とみなして殺してしまうのです。<br><br> 今朝、うちの牧羊犬のボーダーコリーのただならぬ鳴き声で外に飛び出したときには、ヤギが5−6頭の犬になぶりものにされていて、助け出したときにはすでに虫の息でした。<br><br> 噛み傷がひどくて到底助けられるとは思えなかったので、そのまま自分の手で屠殺し精肉をすることにしました もともと肉用に飼っていたヤギで、5月中には屠殺する予定だったのですが、こういう形で苦しませて死なせてしまい、本当にかわいそうでした。<br><br> かわいそうと思いながらも、心臓が動いている間に血抜きをしないといけないので、屠殺準備ができるまで虫の息のまま放っておかなくてはならず、いよいよ屠殺のときがやってきても、いつもかわいがって餌をもらっているので、全くこちらを警戒する様子もなく、むしろ安心した様子です。<br><br> なかなか殺す決心ができず、しばらく顔を撫でていたのですが、気持ち良さそうに目をつむって落ち着いた様子になったので、その時点で決意をしてナイフで頚動脈を切って死なせました。<br> <br> 肉用の家畜でも、赤ちゃんの時からかわいがって育てた動物を屠殺するのは辛いものです。彼らとの間に築いた信頼関係を、最後の最後で裏切って屠殺するのですから、これが生きるということの冷徹な現実であると頭ではわかっていても、感情的には平気で割り切れるものではありません。この文章を書きながらも、やはり涙が溢れそうになります。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/2c/4b/j/o1936259214740885335.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/2c/4b/j/o1936259214740885335.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><br> 「なら、家畜など飼わずに、お店で肉を買えばいいじゃないか!」<br> 「飼ってる動物を殺すなんて信じらんない!そんな残酷なこと、自分には絶対ムリ。」<br> こういう声も聞こえてきそうですが、この土地で持続可能な生活を目指す限り、気候や植生の条件を計算すると、食肉用の動物を飼うことは必須になります。お店で買う肉も、どこかで誰かがこの辛い仕事をやってくれているから、綺麗なパック詰めになって店頭に並んでいることを忘れてはいけません。<br><br> 「じゃあ、肉はやめてミルクと卵だけ食べればいいんじゃないの?」<br><br> そうすると、雄鶏とオスの動物はどうするのでしょう?50%の確率で生まれてくるオスは、無駄飯を食い続ける動物なので、ファームで自然死するまで飼い続けることはできません。そのために、オスは食用にするしかないのです。つまり、肉食を避けても、ミルクや卵を食べているかぎり、間接的に家畜の命もいただいていることになります。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/fa/52/j/o3024403214740884379.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/fa/52/j/o3024403214740884379.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a><br> ファームの生活をしていると、動物性のタンパク質を摂取するということは、単に「肉を喰う」ということではなく、「命を頂く」ことだと痛感させられます。命 “LIfe” を頂くために飼っている動物にしてやれる唯一のことは、生きている間の “Quality of Life”を保証してやることくらいです。このヤギは、最後は事故で辛い目にあわせてしまったものの、それまではひもじい思いもせず、元気に仲間のヤギたちと広いスペースでのびのびと幸せに暮らしていたと信じています。<br><br> 屠殺は、誰にとってもやりたくない仕事です。それを他人任せにした結果、アメリカの市場で手に入る肉のほとんどは、工場のような環境に閉じ込められ、肉を得るという目的のためだけに飼い殺しにされている家畜の肉で、そこでは “Quality of Life” は全く考慮されていません。そのような悲惨な場所で肉にされる動物を増やさないためにも、ここで自らの手で育てた家畜を屠殺し肉を調達することには、意義があると感じています。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/0d/e7/j/o3024403214740884833.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200409/09/musiclife-in-nature/0d/e7/j/o3024403214740884833.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a></p><p> </p><p><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6274050
2020-04-06T18:39:11-07:00
2020-04-06T20:15:44-07:00
クラウドファンディングのお願い:世界的アーティストを起用したトリオによるアルバム製作
<p> クラウドファンディングのリンクはこちら</p><p><a href="http://kck.st/2IylMYv" target="_blank">http://kck.st/2IylMYv </a></p><p> </p><div class="youtube_iframe"><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/Q0I8jUQUuHo" width="608"></iframe></div><p> 現在、このトリオでの新しいCD製作に向けて、クラウドファンディングを実施しております。日本語字幕付きのバンド紹介ビデオはここに。</p><p> キャンペーン半ばまで来て、目標額9,000ドルの81%を超えております。コロナ騒動で音楽活動が数ヶ月停止している中、このようにみなさんにサポートしていただけるのは嬉しいかぎりです。</p><p> 一部で製作経費を自腹で出すつもりで設定した目標額なのですが、演奏活動の再開の見通しが立たない現状では、正直なところ、目標額+αまでファンドを集め、自腹での出費を抑えたいと思っております。</p><p> みなさんも大変な時期なので、お願いするのが心苦しいのですが、ファンドご協力への見返りは、普通にCDやグッズを購入するよりはお得な内容担っておりますので、アートをサポートする余裕がありましたらよろしくお願いいたします。</p><p> </p><p> クラウドファンディングのリンクはこちら</p><p><a href="http://kck.st/2IylMYv" target="_blank">http://kck.st/2IylMYv </a></p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6273113
2020-04-05T22:30:42-07:00
2020-04-06T02:00:59-07:00
5)都会から田舎への移住に伴う意識改革 第五部 提案4:時間をお金に換算しない
<p> 普通の仕事では、日給、週給、月給、時給、年収などの形で、決められた時間内の労働と引き換えにお金を得られる仕組みになっています。アーティストの場合は、制作にかけた時間によって作品の価値が決まるのではなく、出来上がった作品に独自の値打ちがつけられるので、時間をお金に換算することはありません。田舎での生活には、どちらかというとアーティスト的なお金とのつきあい方が合っていると思います。<br><br> アーティストにとっては、作品によってもたらされる金銭的収入は、報酬の一部に過ぎません。金銭的収入のほかに、創作活動を続けることでもたらされる自分自身の成長と進化、そのプロセスでの得られる様々な経験、日々の時間をアーティストとして過ごしていることへの満足感、作品に接した方々からの肯定的な評価など、「精神的報酬」も絶えず受け取っています。<br><br> 芸術製作がすぐにお金に直接結びつかないように、田舎での生活では、やっていることがすぐに金銭的収入に繋がることは稀です。むしろ、お金の姿を拝見しないまま終わってしまう活動の方が多いかもしれません。例えば、ファームのどこかで、潅木が密集して生えていて、その上に数年にわたって松の枯葉が積もっている場合。これは、消防/防火の観点は、非常に危険な状態です。そのまま放っておいてもすぐに問題は起きないし、実際に火事になる可能性もさほど高くないかもしれませんが、もし火事になったら、そこから敷地内へと山火事が広がる致命的な火元となりますから、万が一に備えて撤去しなくてはなりません。</p><p><br> 通常、このような作業は重労働で、延べ日数で数日間はかかります。このような場合に、働いた時間を反射的に時給に結びつけて金勘定をしてしまうなら、「一銭の金にもならないことで何日も必死で働いて、いったい何やってんだろ。」と虚しくなってしまいます。もっと現金に直接繋がる仕事に集中し、金を稼いで、人を雇ってやってもらおうという選択肢もありますが、なんでも金で解決しようとする姿勢は、都会生活での条件反射のようなもので、田舎の生活では、それがベストの選択でないこともしばしばです。そもそも、田舎に引っ越してきたのは、都会ではできない経験をするため。言い換えるならば、お金では買えない経験に満ちた生活をするためではないでしょうか?そのためには、特に田舎暮らしの初期段階においては、「田舎暮らしのおいしいところ」だけをつまみ食いするような態度ではなく、とりあえずはすべて経験してみるというオープンな態度が大切です。<br><br> このような仕事を、自然の観察、新しい道具を使いこなすための新しい体遣いの鍛錬、生活環境をより快適なものに作り変える実践研究としてとらえ、心身の能力を意識的にフルに活用する機会として取り組むなら、これまで鍛えてこなかった能力の開発と、すでに発達させてきた能力をさらに進化させることに役立つことに気づきます。そして、そうやって自分の肉体と精神に刻み込まれた新しい能力は、お金とは交換できない真の財産ですから、長時間の厳しい労働に値する報酬を受け取っていることになります。</p><p> </p><p><br> 田舎での生活には、慣れさえすれば誰にでもできる作業が満ち満ちています。学歴もあり、専門分野ではそれなりに実績をあげてきた「オレ様」が、そんなことに時間と労力を費やしていることが、バカバカしく感じられる時もあるかもしれません。しかし、意識的に取り組めば、どんな仕事の中にも必ず何かしらの発見があり、時には、専門分野の狭い価値観に意固地になっているエゴから解放され、自分自身の新たな側面を見つめる機会にもなります。自然の営みへのより深い理解、これまで単純作業だと思っていたことの難しさ、自分自身の不完全さの認識、それを謙虚に受け入れることの大切さなど…。これらは、人間として大切な気づきであり、まさにお金とは交換できない精神的報酬となります。<br><br> 今過ごしている時間からもたらされる経験こそが、人生を直接形作る材料であり、お金は、人生を間接的に影響する要素にすぎません。いまやっていることがお金に結びつくかどうかは気にせず、今という時を色眼鏡を通さずに経験できたら、地味な田舎生活の中にも、素敵な瞬間をたくさん見出せることでしょう。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200406/14/musiclife-in-nature/8c/83/j/o2690358614739565638.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200406/14/musiclife-in-nature/8c/83/j/o2690358614739565638.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a></p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6272122
2020-04-04T16:39:32-07:00
2020-04-04T17:45:37-07:00
芸術の社会での役割
<p> 経済が停滞して真っ先に切られるのが芸術です。このコロナ騒動では、集団感染のリスクマネージメントも必要なために、人が集まって成り立っているパフォーミング・アートの活動は、真っ先に全面停止してしまいました。平時でも「わしゃ、芸術なんかいうもんは、よう分からんのよ」という方がかなり多い中、パフォーミング・アートの業界はすでに経済的にはギリギリのところでやってきていたので、このショックを機に芸術から身を引こうと考える方も出てくるのではないかと危惧しています。</p><p> </p><p> しかし、芸術は、一般的に社会で必要とされる生産業や商業などと同様に、重要な役割をになっています。何があっても犠牲にされるべきではなく、絶対に守っていかなくてはならないものなのです。以前に書いた芸術論から、その役割の一つをご紹介いたします。</p><p> </p><p> 自然の音やそのゆらぎの要素には、癒しの力があると言われています。</p><p> </p><p> 自然に近い環境で暮らしていると、風の音、雨の音、遠くに響く動物の声、鳥の声などを心地よく感じる機会も多く、元々そういう音に囲まれて生活していた生物である人間にとって、これらの音によって自己治癒したり生体防衛をしたりする本能的な力を呼び起こされるとしても、不思議ではないように思います。</p><p> </p><p> そもそも、一般的に「自然」と呼ばれるものは、それを構成するすべての無機物、有機物、生命体が、精妙な調和のもとで相互に作用することで、一つの大きな生命体のような存在になっている状態を指しますから、そこから発せられる音が、調和を備えた普遍的な美を備えていると感じられることも、道理にかなっていると言えます。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200405/08/musiclife-in-nature/e6/b4/j/o1936259214738859226.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200405/08/musiclife-in-nature/e6/b4/j/o1936259214738859226.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p><p> </p><p> 日常的に自然の音を美しいと感じる機会に恵まれている音楽家としては、素晴らしい自然の音に囲まれて暮らしていた人類が、わざわざ音楽という人工的な音印象を生み出した理由は一体なんだったのかを考えます。山奥で自然に近い生活をしていると、音楽CDを聴きたいという衝動にかられることもあまり多くはなく、録音音源はもっぱら音楽的なインスピレーションを得たいときにのみ活用し、「ながら」でBGMとして聴く音楽は、夕食を料理しながら楽しむカントリー・ミュージックだけです。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200405/08/musiclife-in-nature/f3/91/j/o1936259214738857844.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200405/08/musiclife-in-nature/f3/91/j/o1936259214738857844.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p><p> おそらく、毎日何時間も自分のハープ生演奏を聴いているので、それ以上に音楽を聴きたいという衝動が起こらないのかもしれません。実際、自然の音、あるいは自然の中の「静けさ」という音印象だけでも、かなり音楽的な満足感を得ることができます。音楽を無性に聴きたくなるのは、むしろ演奏旅行のために自然環境から離れ、都市環境にある時や、空港などの機能的で人工的な空間にいる時です。そういう場所では、音楽印象がそこにあることで、無味乾燥で機能的な場に、詩的で感情的な雰囲気が付加されます。このような、場に詩的で感情的な雰囲気を生み出す力は、音楽だけでなく、建築、美術などのビジュアル・アートからも感じられます。</p><p> </p><p> 都市環境で芸術の影響力に接すると、自然から遠く離れた人工的な都市空間に、再び自然の息吹が蘇るような感覚を覚えます。なぜでしょう?</p><p> </p><p> 便利で安定した生活のためにデザインされた都市空間は、自然の脅威から守られていると同時に、自然の恵みからも遮断されています。そこに、自然の一部である人類によって意図的に生み出される印象、すなわち芸術的印象が加えられることで、遮断されている自然からの恵みが補填されるからではないでしょうか。このような芸術の力のおかげで、人工的な都市空間でも人間らしい生活が可能になっているのではないかと思えるのです。</p><p> </p><p> 芸術が環境に及ぼすこのような効力を念頭において、芸術の社会での役割を考えると、「芸術には、人類が生活環境の機能性を追求するために犠牲にしている大自然の恵みを、代替して補完する役割がある」と言えるかもしれません。</p><p> </p><p> </p><p> </p>
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2020-04-03T00:07:27-07:00
2020-04-03T00:17:11-07:00
芸術家とは? 職業音楽家と真の芸術家の違いについて
<p> </p><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="7i6l7-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7i6l7-0-0"><span data-offset-key="7i6l7-0-0"><span data-text="true"> 長年芸術やってますけど、初心貫徹でブレずに芸術家を続けるのは本当に大変です。特に、今回のコロナ騒動のような異常事態ではなおさらに…。でも、芸術家であることには、その苦労と困難に見合うだけの意義と喜びがあります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="av8ia-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="av8ia-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="6ccil-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="6ccil-0-0"><span data-offset-key="6ccil-0-0"><span data-text="true"> この時期、芸術活動の再開の見通しも立たず、くじけそうになる自分を励ますためにも、以前書いた芸術論を改定する形で芸術家のあり方について考察をしたいと思います。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="5t2t4-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="5t2t4-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="cgine-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="cgine-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="d7dt2-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="d7dt2-0-0"><span data-offset-key="d7dt2-0-0"><span data-text="true"> 近年の音楽業界では、ロック歌手も、ポップ歌手も、アイドル歌手も、だれもかれもが「アーティスト」と呼ばれるために、アーティスト(芸術家)を定義することが難しくなっています。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="2e7d0-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="2e7d0-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="3jsbj-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="3jsbj-0-0"><span data-offset-key="3jsbj-0-0"><span data-text="true"> 一般的には、大手レコード会社とメディアからサポートされ、大きなコンサートやテレビで音楽活動をしていると、ステイタスが高い「アーティスト」と認識されます。メディアに出ない無名のアーティストの場合には、親戚のおばちゃんやおじちゃんからも、「プロいうても、素人に毛の生えたようなもんじゃろが。お前、それで食えよんか?(訳:プロと言っても、素人よりちょっとマシな程度でしょう。あなた、それで生活できてるんですか?)」」とバカにされてしまいます。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="duk4f-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="duk4f-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="f3tpd-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="f3tpd-0-0"><span data-offset-key="f3tpd-0-0"><span data-text="true"> こういう空気の中で、メディアや音楽業界から認められない無名の状態で活動していると、自分の追求している芸術の方向性に疑いを持ち始めます。その空気に飲み込まれ、自分の音楽家としての客観的価値を、ギャラの金額とコンサートの動員規模で計ってしまう習慣ができてしまうと、遅かれ早かれ自信もやる気も失われてしまい、芸術の道を諦めてしまうことにもなりかねません。また、貧困に疲れたり、家族ができて食い扶持が増えたりすると、「まずは自分の本当にやりたいことにこだわらず、ある程度お金を稼げる仕事をこなし、それなりに食ってけるようになってから、本格的に自分の目指す芸術活動をやろう」という「大人の割り切り」をせざるを得ないこともあります。しかし、そこに一旦足を踏み込んでささやかな安定の味を覚えてしまうと、自分の芸術的な目標を最優先させる生き方に戻ることは難しくなります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="5tog3-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="5tog3-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="4o7pj-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="4o7pj-0-0"><span data-offset-key="4o7pj-0-0"><span data-text="true"> 音楽で食っていくためには、音楽をサービスや商品として値段を付けて売り、お金を手に入れる必要があります。このように音楽サービスによりお金を得る職業をひっくるめて「音楽家」と呼びます。しかしながら、「お金を稼ぐために音楽をする」ということと、「真摯な音楽活動の結果として報酬を得る」ということは、自分の生み出した音楽がお金になるという点では同じですが、音楽家のあり方としては、全く異なります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="d9q21-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="d9q21-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="32cj1-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="32cj1-0-0"><span data-offset-key="32cj1-0-0"><span data-text="true"> この違いを明確にするために、この考察では「職業音楽家」と「芸術家としての音楽家」を使い分けています。一般的ではないかもしれませんが、自分なりの「職業音楽家」と「芸術家としての音楽家」の活動の定義は、以下の通りです。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="dspsg-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="dspsg-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="6eb14-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="6eb14-0-0"><span data-offset-key="6eb14-0-0"><span data-text="true"> 職業音楽家:音楽で生計を立てることを第一の目標に、自分の音楽技能に値段を付け、マーケットで需要に合わせてサービスや商品として売ることによりお金を得る。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="4eger-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="4eger-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="dlme1-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="dlme1-0-0"><span data-offset-key="dlme1-0-0"><span data-text="true"> このような「職業音楽家」の立場は、職人やモノ作りに携わる職種に近いとものとなります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="ban3u-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="ban3u-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="3kgv9-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="3kgv9-0-0"><span data-offset-key="3kgv9-0-0"><span data-text="true"> 芸術家としての音楽家:音楽によりお金を稼げるかどうか、音楽で生計が立つかどうかに関わりなく、自分自身と世の中にとって益となるものを生み出すという目的意識に基づいて、音楽家としての技能と人間性の向上のため日々精進し、その結実としての作品を世の中に発表する。その結果、その価値を認め、そのような作品をこれからも社会に供給してもらいたいと望む人々からご報謝を受け、音楽活動を継続させるための糧を得る。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="703qk-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="703qk-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="8r0aq-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="8r0aq-0-0"><span data-offset-key="8r0aq-0-0"><span data-text="true"> ここで定義された「芸術家としての音楽家」の社会的立場は、宗教家、思想家に近いものです。なぜなら、彼らの音楽家としての能力は、個人としての人間性の向上と、社会的な文化貢献という目的のために行使され、また提供した作品への報酬は保証されておらず、受取手の善意に依存しているからです。そのため、ここでは「報酬」をあえて「ご報謝」と表現しています。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="brsh8-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="brsh8-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="tdqt-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="tdqt-0-0"><span data-offset-key="tdqt-0-0"><span data-text="true"> 芸術家として自分で納得した作品を社会に提供し、その活動を継続させるために必要な糧をすべて得られる音楽家は、本当に祝福されていると思います。また、「どんな形でもいいから、音楽に関わる仕事ができればそれで幸せだ」という音楽家が、職業音楽家として生計を立てることができれば、それも十分に幸福な人生といえるでしょう。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="6cb53-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="6cb53-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="88gfr-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="88gfr-0-0"><span data-offset-key="88gfr-0-0"><span data-text="true"> しかしほとんどの音楽家は、この両極の間で、時には芸術的な妥協に悩み、時には収入の不足に伴う貧困に苦しみながら活動を続けています。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="10mjh-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="10mjh-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="b4601-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="b4601-0-0"><span data-offset-key="b4601-0-0"><span data-text="true"> ある程度の楽器演奏能力と音楽の知識を身につければ、消費者の性向や市場の需要を分析して、できるだけ確実に消費されるサービスを提供するという通常のビジネスモデルに従い、音楽によって生計を立てることは可能です。例えば、音楽教師、レッスンプロ、カバー曲などすでにヒットした作品の演奏、結婚式などのお決まりの曲が必要になるイベントでの演奏、企業組織化されたオーケストラの一員となる、などなど。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="8n961-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="8n961-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="916n9-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="916n9-0-0"><span data-offset-key="916n9-0-0"><span data-text="true"> ところが、芸術家として生きることを決断すると、このような通常のビジネスモデルは使えなくなります。理念を抱き、それに従って生きることを志し、音楽技能の精進を重ねる過程で産まれてくる作品の中から、芸術としても普遍的な価値があると思われるものを、値札をつけずに世間に公表することで、なんらかの報酬を期待する。信じられないかもしれませんが、こんな雲をつかむような曖昧なビジネスモデルで生計を立てるという、とんでもないリスクを負うことになります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="1h2fr-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="1h2fr-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="e7q1u-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="e7q1u-0-0"><span data-offset-key="e7q1u-0-0"><span data-text="true"> 真摯な芸術活動では、日々の精進が人間的成長の機会となることへの保証はあるのですが、作品が何らかの形で他者の役に立つこと、作品の受取手から十分な金銭的収入が得られることへの保障はありませんので、孤独と経済苦でくじけそうになることもあります。しかし、そこで折れてしまうことなく、「高い志で生み出す芸術は、必ずどこかで誰かの役に立つにちがいない!」という信念を抱いて音楽活動を継続しなくてはなりません。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="cmkdr-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="cmkdr-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="5pv5u-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="5pv5u-0-0"><span data-offset-key="5pv5u-0-0"><span data-text="true"> 非現実的だと笑われるかもしれませんが、これまで芸術家としての生き方を模索するなかで、真剣に人間としての徳を積む生き方の結実として生み出される芸術には、人類にとっての普遍的な価値があり、そのようなものを生み出す努力を積んでいる芸術家には、その仕事が続けられるように、社会からの援助と神々の「ご加護」があると確信しています。もし、援助や「ご加護」がないと感じられる場合には、自分の提供しているものが未だに人類普遍的な価値を有するレベルに達していないからに他ならず、その場合には、更なる真摯な修行と取り組みによって改善するしかありません。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="7lvlm-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7lvlm-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="d3h88-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="d3h88-0-0"><span data-offset-key="d3h88-0-0"><span data-text="true"> 芸術活動を通じて一人の人間として徳を積むための努力には、それだけで普遍的な価値がありますから、作品が広く愛されるか否かに関わらず、本人にとっては意味のある生き方をしていることには違いありません。もし、芸術的な活動を通じて生活に必要な糧を得られないならば、人間的な徳を積むことに役立つ別の仕事をすることで収入を得ながら、音楽の精進を続けるという選択肢もあります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="9s077-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="9s077-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="d8v15-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="d8v15-0-0"><span data-offset-key="d8v15-0-0"><span data-text="true"> このように考えてみると、「芸術家である」ということと、生計のすべてを音楽で立てている「プロの音楽家である」ということとは、必ずしも同義ではなく、プロの音楽家でありながら芸術家ではないケース、芸術家でありながらプロの音楽家ではないというケースもあり得ることになります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="1is9h-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="1is9h-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="9odg0-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="9odg0-0-0"><span data-offset-key="9odg0-0-0"><span data-text="true"> プロの音楽家...なんとなくカッコイイ響きがあり、多くの若者はプロというステイタスに憧れます。しかしながら、芸術家にとって「プロである」ということは、真摯に生み出した芸術がもたらす結果であり、目的ではありません。音楽に専念できるプロという立場が、音楽探究においてはより有利な条件であることは言うまでもありませんが、プロであるがゆえに、お金のために音楽を切り売りしているとしたらどうでしょう?もし芸術を目指しているという自覚があるのなら、大切なものを切り売りすることで精神的に失うものと、その結果得られるお金などの物質的なものとの収支が釣り合っているかどうか、注意する必要があります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="bevoh-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="bevoh-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="6j5c-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="6j5c-0-0"><span data-offset-key="6j5c-0-0"><span data-text="true"> オリジナル曲での即興演奏を中心としたレパートリーで演奏活動をしていると、お客さんから、音楽の方向性に関して説教をされることもあります。例えばこんな感じ…。「オレは以前音楽の仕事にも関わったことがある(アメリカでは、どういうわけか元音楽業界関係者と自称するおっさんによくお目にかかります)からよく知ってるんだが、プロの音楽家の成功は、お客さんが求めているものをどれだけ提供できるかにかかっているんだ。君のように自分の芸術を追求するのは結構だが、一流のエンターテイナーになりたかったら、まずお客の聴きたいものを提供しなくてはならない。ハープは珍しい楽器だし、君には技量もあるんだから、正しいプロ意識を持ってお客さんの気持になって音楽を作れるようになれば、こんなチンケな場所(クラブやライブハウス)ではなく、何千員も入るホールでコンサートもできるようになるよ。そうだ、かわいい女性シンガーと組んで一緒にやったらどうだ?いいシンガーを知ってるから、紹介してやってもいいぞ。」 実際には、これと似たような内容の説教を、音楽とは縁のない普通の年配の方から受けたこともあります。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="33aen-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="33aen-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="5haaf-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="5haaf-0-0"><span data-offset-key="5haaf-0-0"><span data-text="true"> もし音楽家の職能(プロフェッショナリズム)を稼げるお金の額で評価する価値観に従うならば、彼らのアドバイスに従って正しい「プロ意識」を持った音楽家が、よりレベルの高いプロということになるでしょう。しかし、こういう説教をして下さる方は、普通のビジネスモデルで作品を商品として売ることを想定し、音楽家=エンターテイナー(娯楽提供師)という前提でしか考えられないので、芸術家としての音楽家は、必ずしもエンターテイナーと同義ではなく、神の「ご加護」と信念にもとづく特殊なビジネスモデルを想定して活動していることを理解できないのです。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="566kb-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="566kb-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="amt62-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="amt62-0-0"><span data-offset-key="amt62-0-0"><span data-text="true"> 確かに、皆さんがすでに知っていて人気が確立しているジャンルの曲をそれなりの演奏技術をもって演奏すれば、聴き手を喜ばせることのできる確率は非常に高くなります。一方で、オリジナルの音楽を即興で演奏するパフォーマンスでは、その真逆をやることになりますから、聴き手を喜ばせられる可能性は著しく低くなります。しかし、可能性はゼロではありません。始めて古佐小オリジナルを聴くお客がほとんどのコンサートでも、いつも必ずスタンディングオベーションで終わり、2割から3割のお客がCDを買ってくださることを考えると、新しい音楽も求めている市場があることは間違いありません。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="bkfme-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="bkfme-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="8ftb9-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="8ftb9-0-0"><span data-offset-key="8ftb9-0-0"><span data-text="true"> 自分の信念に従い真摯に芸術を追求し、その結果として生み出される作品にこだわって活動をしていると、「独り善がりだ」「自己満足だ」という批判を受けることもあります。しかし、そもそもやっている本人がそれを「善い」と感じ、それをやることに「満足」できないとしたら、そんな作品を他人と共有したいと思うでしょうか?それを「独り善がりだ」「自己満足だ」と呼ぶなら、一体それの何が悪いというのでしょうか。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="c903o-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="c903o-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="9tv5g-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="9tv5g-0-0"><span data-offset-key="9tv5g-0-0"><span data-text="true"> 腕の良いシェフは、納得ゆく食材を自慢の調理法で準備をし、味見をして「うまい!」と思った料理だけをお客に提供します。それを「独り善がり」「自己満足」と批判することは断じてありません。逆に、時流に乗って人気の食材と人気の調理法作ってみたものの「あんまり旨くないな」と思う料理を、お金にはなるという理由だけでお客に出す料理人を、「彼こそ正しいプロ意識を持った料理人だ!」評価することもあり得ません。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="ecds2-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="ecds2-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="456t1-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="456t1-0-0"><span data-offset-key="456t1-0-0"><span data-text="true"> 同様に芸術家も、まずは「独り善がり」で「自己満足」の状態で作品を発表し続ける必要があります。そのような努力を続ける中で、芸術的資質と人間性が向上し、作品の客観的な価値が高まってきます。それに伴い、作品に共感する受取手も多くなりますから、「独り善がり」がより客観的な善となり、「自己満足」がより多くの人に共有され客観的な満足感となり、もしかしたら、やがて「独創的な天才」などと呼ばれる日が来るかもしれません。芸術家の「独り善がり」で「自己満足」に見える生き方は、単なるわがままや頑固さではなく、周囲からの嘲笑や貧困というリスクを引き受けながらもブレずに芸術活動をつづけるという覚悟があっての選択なのです。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="5j0n9-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="5j0n9-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="b089b" data-offset-key="5543e-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="5543e-0-0"><span data-offset-key="5543e-0-0"><span data-text="true"> 多くの無名な真摯な芸術家が、そのような覚悟を持って、社会の片隅で存在していることは、数名の天才的芸術家が歴史に華々しく名前を残すことと同じくらいに、人類の芸術文化にとっては意義深いことだと思います。後世に名を残す偉大な芸術家は、真摯な芸術者の群れの氷山の一角に過ぎず、水面下でそれを支える無数の無名な芸術探求者の群れこそが、世代を超えて綿々と芸術を受け継ぐ母体だと考えています。</span></span></div></div><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171028/05/musiclife-in-nature/d0/c8/j/o2832425614057715657.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171028/05/musiclife-in-nature/d0/c8/j/o2832425614057715657.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="631" width="420" /></a></p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6269072
2020-04-01T20:11:50-07:00
2020-04-01T20:30:26-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革 第四部 提案3:お金の投資ではなく、知恵と労働の投資
<p>都会から田舎への移住に伴う意識改革(長文シリーズ) <br>第四部 提案3:お金の投資ではなく、知恵と労働の投資によって成果を生む<br><br> 都会での生活では、生活に必要なサービスや物品は、それ相当のお金を対価として支払うことで手に入れることができます。お金があれば、ほぼ何でも手に入れることができる都会の生活環境はとても便利なのですが、その一方で、お金がないとほとんど何も手に入らないという厳しさもあります。そのため、都会で生活していると、何をするにも、まずお金が十分にあるかどうかをとっさに考えてしまいます。そして、お金がなかったら、やりたいことも欲しいものも、わりとあっさりと諦めてしまう習慣が染み付いてしまいます。つまり、お金がないことが、物質的な豊かさと人生経験の幅を制限してしまうことに直結します。<br><br> 田舎でも、必要なサービスや物品をお金で購入することは必要ですが、お金を使わないでも、なんとかやりくりできる可能性は、都会に比べて大きくなります。もし、ファームの立ち上げに必要なすべてのことを、都会感覚でお金の投資で解決しようとすると、あっという間に費用が膨大に膨らんでしまいます。例えば、動物の飼育設備などは、本格的な建築資材を使って業者に敷設工事を受注したら、とんでもないコストがかかります。そんなことをしていると、出費がかさみ、その資金を得るためには「やっぱり都会で出稼ぎの仕事を探さなくっちゃ」ということにもなりかねません。そうなったら、本末転倒で、いったい何のために田舎に移住したの分からなくなってしまいます。<br><br> こうならないためには、お金の投資ではなく、知恵と労働の投資によって成果を生む工夫が必要になります。<br><br> 古佐小ファームでは、土砂や木、石などの資源は豊富にあります。まずは、それらを最大限活用することを考え、自分では作れない材木や砂利などの加工材料にのみお金を投資します。しかし、お金を払って手に入れた材木や砂利も、そのままでは、単なる「可能性」すぎません。それが建物や道路という目に見える成果に変容するには、資源という材料に、自らの知恵と労働を投資する必要があります。<br><br> ここで、古佐小ファームでのプロジェクトの中から、ぬかるみの粘土質の斜面に、120メートルほどの自動車が出入りできる道路を作る作業を例にお話しいたします。<br><br> お金に物を言わせれば、おそらく3000〜4000ドルで、業者にすべての作業を依頼することも可能です。しかし、その場合には、ブルドーザーで土をかいて平らにしたところに直接砂利を敷くだけなので、雨で土がしめった状態で道路を走行すると、車の重みで砂利が泥に飲み込まれてしまって、再び路面に泥が露出してしまい、すぐにぬかるんでしまいます。そうしたら、その上に新たに砂利を追加しなくてはならず、数年のうちにさらに1000ドル、2000ドルのお金を使うことになります。<br><br> もし、砂利を買える程度のお金(500〜600ドル)しか手元にない状況で、自動車が出入りできるような道路を作ることが必要となった場合には、どうするか?そこでは、結果を得るために知恵と労働を投資するしかありません。<br><br> 手間はかかりますが、まずはシャベルやクワ、ツルハシなどを用い、飛び出している岩があったらそれを掘り出し、くぼんでいるところは岩で埋めて、全体をある程度平らにします。幸いなことに、うちには自家用重機とそれを操るスーパーじいちゃんがいるので、2割程度は機械でやれました。次に、大小の石ころを集めて、表面の柔らかいところを中心に敷き詰めていきます。必要であれば丸太か何かで叩いて地面に十分めり込ませ、石がそれ以上めり込まなくなるところまで石を積み終えたら、一輪手押し車で砂利を運んで、その上に敷きつめます。そして、その上を何回か車で走行して固め、一雨来た後に、再びぬかるみかけている箇所を点検し、その部分を石と砂利で補修し、ぬかるみの原因となる水の動きを観察して、効果的な場所に水を逃すための水路を掘ります。これを数回繰り返していると、そのうち安定した路面が維持されるようになります。ここまでくれば、後は、ぬかるみや凸凹、水路の詰まりに応じて対処すれば良いだけです。これに必要な現金は、砂利代のみ。砂利は、大型ダンプ2杯分で550ドルくらいですから、業者に全てを任せる場合と比べると、おそらく費用は10分の1くらいで済むことになります。<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/52/5b/j/o0960128014737457581.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/52/5b/j/o0960128014737457581.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/0c/4e/j/o2592193614737457854.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/0c/4e/j/o2592193614737457854.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a><br><br> ただし、かなりの重労働ですし、時間もかかります。それに、地形や水の流れをよく考えて地ならしをし、石による路面補強をし、水路を作らなくてはなりませんから、それなりに注意深い自然観察と計算も必要です。しかし、そうやって苦労の末に整備した道路の上を自動車が問題なく通行できたときの喜びは、何物にも代えがたいものです。こういう作業を通じて培った重労働にも耐えられる体力と、道路を自分で補修できるという自信は、田舎暮らしを続ける上で、大きな財産となります。会費を払ってジムでトレーニングすることを思えば、タダで体を鍛えつつ道路も作れてしまうので、実はとてもお得なのです。<br><br> 音楽制作や演奏を専門としていると、音楽という目に見えない形のないものばかりを対象に、体の一部の小さな運動機能の鍛錬に終始することになります。人間としてのバランスのとれた発達を維持する上で、道路のような実際に使えて目に見えるものを体全体を使って作ることは、とても健全だと感じています。実際、様々な芸術的なアイデアや、このような論文の内容のひらめきが湧いてくるのは、案外とシャベルとツルハシをふるっている時だったりするのです。<br><br> もう一つの事例として、暖房燃料の確保のお話をいたします。<br><br> 古佐小家のメインの暖房設備は槇ストーブ。ただ、マキの準備はなかなかの重労働をなので、山に住んでいてもお金に余裕のある方は、業者から買うことが普通になっています。だいたい、普通トラック1杯分で200ドル前後。寒さが厳しい冬は、おそらく2−3杯分、400〜600ドル分くらいは必要になります。これを自分で調達すれば、その分のお金は節約でき、しかも、山火事が起こった時に燃えやすい朽木や立ち枯れた木を家の周辺から撤去することにもなりますから、防火にも役立つのです。<br><br> マキの自給のためには、とりあえず、チェーンソーの操作とメンテを学び(1時間もあればマスターできます)、薪割りのためのオノの扱いに慣れる必要はありますが、道具の初期投資200〜300ドルは、最初の1年で回収できます。放っておくと家屋や柵に向かって倒れてきそうな木や、暴風雨の時に道路に倒れてきた木を切るためには、チェーンソーは必需品ですから、チェーンソーの扱いに慣れると、山での生活への自信がつきます。 <a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/16/88/j/o0960072014737459384.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/12/musiclife-in-nature/16/88/j/o0960072014737459384.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="315" width="420" /></a><br><br> また火を起こす最初の段階では、よく乾燥した小枝があえるとても重宝するので、大きなマキだけでなく、小さめのマキも集めておくことは大切です。そのつもりであたりを見渡すと、以前はゴミ同然に見えていたものが、全てお宝に見えてきます。<br><br> このように、道路の整備やマキの調達が日常になると、どこにどのくらいのサイズの石があるのか、どこに小枝が沢山落ちているのか、切り倒して使えそうな木はどこにあって、槇に使えそうな倒れた木はどこにあるのかなど、身の回りで資源として使えるものを見つけてインプットするようになります。手ごろな石ころがたくさん見つかる場所は金鉱のように思え、現金を投じて購入した砂利の山などは、黄金の山に見えてきます。<br><br> 木を単なる木、石を単に石として捉えるのではなく、知恵と労力を加えてやることで立派な「資源」となるという視点で物事を捉える習慣が身につくと、お金を介さない方法で、物質的な豊かさを見出すことができるようになります。そして、この視点を精神的な経験にも適用すると、平凡な日常の時間の中でも、たくさんの素晴らしい瞬間が見出せるようになります。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6266823
2020-03-30T17:40:11-07:00
2020-03-30T17:45:28-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革 第三部 提言2:身の回りのインフラを理解する努力
<p>都会から田舎への移住に伴う意識改革 <br>第三部 提言2:身の回りのインフラを理解する努力<br><br> 都市では、道路、上下水道、家屋、電気、通信手段、交通手段などの様々なインフラ設備が複雑に絡み合った人工的な環境が形作られ、大自然との間に見えない壁のように立ちはだかり、自然の脅威への障壁となって人の生活を守ってくれています。しかしこの壁は、同時に自然の恵みも遮断してしまうため、自然豊かな場所から数キロしか離れていない場所でも、街の中にいると自然から遠く切り離れていると感じられます。<br><br> 田舎での生活といえど、現代文明の利器もふんだんに使いますから、かつての縄文人やアメリカ・インディアンほどには自然と密着した生活をすることはないのですが、人工的な環境の見えない壁が少ない分、都会での生活に比べれば、自然との距離感は近くなります。<br><br> 近代都市では、これらのインフラは、都市生活者にとってはあって当たり前のもので、第二の自然環境と呼べるほどに生活に不可欠なものとなり、大災害などでインフラが崩壊しない限りは、普段そこに存在していることすらほとんど意識されることはありません。しかし、実際には、現代的なインフラの設置と維持/管理は、社会に蓄積された高度な知識と多大な資源、それに高度な技術を持つ労働力の投入があってはじめて可能になっています。このことは、田舎生活のなかで自らの手で身の回りのインフラ整備、例えば道路、雨水の排水路、ちょっとした雨よけの建物などを作ってみると痛感できます。インフラは、そこにあって当たり前のもの。この麻痺したような感覚は、天然資源が無尽蔵であるかのように野放図な浪費をする現代人のライフスタイルと、どこかで繋がっているように感じています。<br><br> 人里離れた田舎では、自然災害の脅威をまともに受ける危険性が高く、その度もインフラも危機にさらされます。しかし、家屋やその周辺設備の不具合に対応してすぐに飛んできてくれるサービス業者は充実していませんから、様々なインフラで起こる問題に自ら対処しなくてはならない場面が多くなります。そのため、身の回りのインフラを列挙し、どこにどのように敷設されていて、維持管理には何が必要であるかを一通り理解し、維持修繕に必要な資材を蓄積しておく必要に迫られます。維持管理の作業まですべて自分でやることは簡単ではないのですが、最低でも、インフラの概要を理解しておかないと、問題が発生した時に、その原因を診断することすら難しく、どの専門業者に何を相談すればよいのかすら分からないという、救いようのない状態に陥ってしまいます。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/09/musiclife-in-nature/14/88/j/o1936259214736479196.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/09/musiclife-in-nature/14/88/j/o1936259214736479196.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><br> ちなみに、必要にかられて、生活インフラの敷設、維持管理を自らの手で経験しているうちに、自分の専門分野(例えば、古佐小にとっての音楽)では遭遇しないような種類のチャレンジに直面することで、幅広い問題に対応できる解決能力が鍛えられるという「ボーナス」がついてきます。これにより、専門分野だけに専念していたら見落としてしまいがちな人としての基礎的能力を向上させ、専門技術(ハープ演奏の技術)の向上にもつながりますから、音楽専門家が大工仕事や土木工事をすることは、非常に賢い時間と労力の投資だと思っています。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/09/musiclife-in-nature/29/11/j/o3024403214736478017.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/09/musiclife-in-nature/29/11/j/o3024403214736478017.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="560" width="420" /></a><br> インフラ整備と聞くと、「うわー、大変そうだな!」と思われるかもしれませんが、自然に介入してより生存に適した環境に作り変えるという行為は、生来人間に与えられた本能的な環境適応能力の発現にすぎませんから、やり始めると自然とスイッチが入ってきて、むしろ楽しくなってきます。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/09/musiclife-in-nature/9b/9b/j/o1936259214736479465.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200331/09/musiclife-in-nature/9b/9b/j/o1936259214736479465.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p><p> このように、自宅での日常生活の範囲内で小さな身の回りのインフラに関わっているうちに、人間の生活に必要な物資、設備、環境とは何かを考える機会が多くなります。人間生活の基本的なニーズは、一家族が暮らすところでも、100万人が暮らす都市でも同じですから、このような考察は、社会構成員として、社会の全体像を理解する上でも大いに役立ちます。政治家を目指すみなさんは、有名政治家の政治塾に入る前に、まずはこういう田舎生活を数年間経験してみるのも良いのではないでしょうか? </p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6265411
2020-03-28T23:30:29-07:00
2020-03-29T00:15:28-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革 第二部:心身の健康の管理者は、あくまでも自分自身
<div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="astff-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="astff-0-0"><span data-offset-key="astff-0-0"><span data-text="true">都会から田舎への移住に伴う意識改革 第二部</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="af8qb-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="af8qb-0-0"><span data-offset-key="af8qb-0-0"><span data-text="true">提言その1:心身の健康の管理者は、あくまでも自分自身であるということを意識する。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="4o848-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="4o848-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="487mq-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="487mq-0-0"><span data-offset-key="487mq-0-0"><span data-text="true"> 古佐小ファームでは、農業分野での自給自足だけでなく、生活に必要な物品やサービスをできるだけ持続的に自給できる「持続可能性の高いライフスタイル」を目標にして、能力開発と環境整備を行っています。そのために、まず最も重要なことは、自分自身が持続可能であるということ、つまり、活動の主体である自分自身が、健康で高い生産性を継続的に維持できる状態にあるということです。それがないことには、環境との相互関係のなかでの持続可能性の高いライフスタイルを築くことなど不可能です。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="3n384-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="3n384-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="3tsg0-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="3tsg0-0-0"><span data-offset-key="3tsg0-0-0"><span data-text="true"> ということで、最初の提言は、健康に関するものです。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="fbj4j-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="fbj4j-0-0"><span data-offset-key="fbj4j-0-0"><span data-text="true"> </span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="2kktf-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="2kktf-0-0"><span data-offset-key="2kktf-0-0"><span data-text="true"> とにかく、健康で、元気に活動することができ、日々自分が成長し続けているという実感があれば、どこでどのように暮らしていても、生きる希望と喜びを感じることができます。逆に、健康が損なわれたら、健康の回復という急務のために活動が大きく制限されてしまいます。特に肉体系の労働の多い田舎では、長期の闘病は死活問題ともなりかねません。慢性的な疾病による医療への過度の依存がある場合も、医療サービスを受けることが難しい田舎に暮らすことには、不便さとともにリスクも伴います。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="bh6u-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="bh6u-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="1gutu-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="1gutu-0-0"><span data-offset-key="1gutu-0-0"><span data-text="true"> 仕事での生産性と効率性を得るために健康をかえりみず働きまくり、その結果病気にかかり、それを医療によって後付けで解決しようとするサイクルも、先進的な医療リソースから離れた田舎においては成り立ちません。本当は、こういうサイクルは都会でもダメなんですけどね…。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="mo3k-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="mo3k-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="cpcd-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="cpcd-0-0"><span data-offset-key="cpcd-0-0"><span data-text="true"> 田舎に暮らすにあたっては、まず、心身の健康管理の責任者は、あくまでも自分自身であるということを意識し、健康管理と健康増進の方法を積極的に学び、できるだけ医療者などの第三者に依存しないで健康を維持/増進できることを目標にすることをお勧めします。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="d57gd-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="d57gd-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="e1lub-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="e1lub-0-0"><span data-offset-key="e1lub-0-0"><span data-text="true"> 都会生活から田舎での自給自足を目指すファームでの生活へのシフト段階の数年間は、普通に生活しているだけでも毎日が学びの連続で、体力、知力、感覚、感情の能力をフル活動させることになります。そのため、人の持つ能力を総合的にバランス良く向上させる生活スタイルを自動的に実践することになりますから、これだけでも十分に健康増進の効果はあると思います。できることなら、そこからさらに踏み込んで、心身の能力を最大限に引き出す効果があると思われる身体活動、精神活動、生活習慣を取り入れ、自分自身を実験材料として実験し、自己観察によって成果を検証し、この作業を積み重ねることで、自分にとって実践可能で健康増進と能力開発の効果の高い生活メニューをカスタムメイドで構築していくという目的意識を持ちたいものです。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="baef2-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="baef2-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="bvo7q-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="bvo7q-0-0"><span data-offset-key="bvo7q-0-0"><span data-text="true"> 具体的には、からだ・こころに関する基礎的知識や健康的な食生活に関する知識を学び、軽度の体調不良に対処できる民間療法的な診断法と治療法、ヨガや体操などのひとりで行える健康増進や能力開発のメソッドなどをいろいろと試してみて、自分の個性と目的に合うオリジナルの健康メニューを徐々に形作っていきます。内容は何であれ、健康管理と健康増進を他人任せにせず、予防と健康増進を軸に病にならない生活スタイルを見出し、能力開発という一貫した目的意識を持って日常の作務に取り組むという姿勢が大切です。</span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="9japl-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="9japl-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="7924t-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7924t-0-0">
<span data-offset-key="7924t-0-0"><span data-text="true"> 「うわー、なんだか大変そうだな」とお感じになるかもしれませんが、人間以外の動物は、健康管理は自分でやってますから、人間にも本能的にそれをやれる機能が備わっていると考えるのが妥当です。ただ、便利で快適な現代生活では、その能力をあまり使わなくてもとりあえずは生きていけるので、かなりホコリをかぶってしまっていますから、自分のこころ・からだの声に耳を傾けることを習慣づけ、時間をかけて少しずつホコリを落として行く必要があります。</span></span><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/24/b5/j/o1936259214735641421.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/24/b5/j/o1936259214735641421.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a>
</div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="f815l-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="f815l-0-0"><span data-offset-key="f815l-0-0"><span data-text="true"> </span></span></div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="7pfqi-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="7pfqi-0-0">
<span data-offset-key="7pfqi-0-0"><span data-text="true"> 自分の心・体のことを良く知る、健康を増進する、能力を開発するということは、いわゆる「人間力」の向上を意味しますから、人生を豊かにすることにも直結します。自分の場合には、本業である音楽の探求に必要な基礎的能力は、音楽からではなく日常生活の中で培われています。退屈で単純な肉体労働でも、なんらかの能力開発のトレーニングとして取り組めば、退屈ではなくなります。例えば、土をシャベルで掘るという単純作業でも、できるだけ少ないエネルギーを使って体を動かす練習、効率の良い手順を見出す練習、あえて利き側ではない手足を使う練習として取り組めば、無限のチャレンジの余地のある面白い課題になります。結果としては、より繊細な身体のコントロール力、効率の良い呼吸法、筋力と持久力の増強などによって、運動能力の向上とケガをしにくい肉体を得ることができます。 </span></span><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/f0/88/j/o2592193614735640184.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/f0/88/j/o2592193614735640184.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="314" width="420" /></a>
</div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="bauts-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="bauts-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="9f65p-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="9f65p-0-0">
<span data-offset-key="9f65p-0-0"><span data-text="true"> 農業を生活の一部に取り入れると、適度の運動と知的活動を含む農作業に従事することになるので、健康増進と能力開発に役立ち、新鮮で加工度の低い安全性の高い食品を自給できるので、食生活も改善できます。しかも豊かな自然に囲まれたゆとりのある住環境が確保できるので、心身の健康にとっても良い条件がもたらされます。また、自然を相手にしていると、原因と結果の関係は長期的視点でしか見えないことが多く、自然への介入では思い通りにいかないことも多いため、忍耐力と寛容さという徳も培われます。これら田舎の利点を生かして、自らの生活を実験フィールドとし、健康的なライフスタイルを模索するということは、現代社会の抱える健康問題を解決する道を実践研究を通じて見出すという社会的意義もあるのです。実際に、自分は持続可能ファームでの生活から健康関連因子を抽出する研究に取り組んでいて、学会や医学系の研究会にも参加し、新しいライフスタイルの提唱のための準備を進めております。</span></span><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/d6/62/j/o1936259214735639171.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/15/musiclife-in-nature/d6/62/j/o1936259214735639171.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a>
</div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="907c1-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="907c1-0-0"> </div></div><div data-block="true" data-editor="d46bi" data-offset-key="6budn-0-0"><div class="_1mf _1mj" data-offset-key="6budn-0-0"><span data-offset-key="6budn-0-0"><span data-text="true"> 田舎への移住を、先端医療リソースから離れた悲惨な場所に都落ちするというイメージではなく、自発的な健康管理と健康増進、能力開発を実践するためにより適した環境を求めて移住するというイメージで捉え、田舎のメリットを存分に活用してもらいたいと思います。</span></span></div></div>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6264932
2020-03-28T08:45:33-07:00
2020-03-28T10:15:38-07:00
CD製作に向けたクラウド・ファンディング、目標の64%に到達しました!
<div class="_5pbx userContent _3576" data-ft='{"tn":"K"}' data-testid="post_message" id="js_800"><div class="text_exposed_root text_exposed" id="id_5e7f6df4bff515a69284159">
<p> </p>
<p><span style="font-size:1.96em;">KoMaGa TrioのCD製作に向けたクラウド・ファンディング、目標の64%に到達しました!</span></p>
<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/00/musiclife-in-nature/6f/2a/j/o1800103614735366972.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200329/00/musiclife-in-nature/6f/2a/j/o1800103614735366972.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="357" width="620" /></a><div class="text_exposed_show">
<p>このバンドのデモビデオはこちら:</p>
<p><a href="https://youtu.be/Q0I8jUQUuHo" target="_blank">https://youtu.be/Q0I8jUQUuHo</a></p>
<p> </p>
<p>皆様のご支援のおかげで、ファンドも折り返し地点を越えました。すごい!</p>
<p> </p>
<p>コロナウイルスの蔓延により、音楽家は演奏活動を全面的に休止せざるを得ない状態で、経済的にも非常な困難に直面しております。そんな中、このクラウドファンディングを通じて、このような地球規模の非常事態の最中においてすら、創作活動を支援しようと思ってくださる方がいかに多いかを知ることができました。皆さんからは、資金だけでなく、人類に対する希望も頂いております。</p>
<p> </p>
<p>お知り合いにこのプロジェクトへの参加に興味をお持ちになりそうな方がいらっしゃったら、ぜひ情報のシェアをお願いいたします。クラウドファンディングのサイトへのリンクは下に。</p>
<p><a data-ft='{"tn":"-U"}' data-lynx-mode="async" href="https://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fkck.st%2F2IylMYv%3Ffbclid%3DIwAR1DJDZKh_0aLnEbGBFOd4FLJtzYxAGql0VM7C-YHw3gIVDdGJov5e6B6co&h=AT2eTkDKpqp79_NcES8PPLPExaW5gKHong8VTZD2uFCW6k5BG16V3_b_nJoWK2NMKUL7YP05tcwyVMfpF8uEBBsSoPoK18oMq8FFz-Wzey1XwJpJXpHZaqH0yHMCaZ-ahbMKFXiO1odSrljlIQLYg374iaDpLrvIWx_Wpdf0wOfpmS0YBQkMno8ALhZZWro1RgO12kFaFC-48d8KTJDEOTaoCg6VP5xL9spuWOlYH_03wsDT8g-smF_k58LXMpHXCYRBPUqsJJxvm5WdwAhKJIeZ_xBvlO-CcRWDNJcyi7QGNfCODB8lNmqCJMp6Xmv00qcEU2t1scWCB9eN7IpJitO0s5mn8LKSBiPVmpUUzV0oya7q2zBlqdgWVpecm46oY9NAGv3Bm_upJKeQcDoJuvYHj2GnjwUkZx7jqNTVjYttYeT-ot1H-hiirHzW09wUaABxm6vclHdMsXdokKiEOeTeRGBNBiJARcJOe5dSI-4vA6DayMSwDkI0Wnt6tAXDGs9ULZ9D2rI5tcdPbc6mOUrh0JOG2UhVV3DV__DylhWbgiXV5XszAC3DjHYlXoXb56L6Ya_tXVN_spOqeFUCuujolQE3syC_v1qqYhkKsQ" rel="noopener nofollow" target="_blank">http://kck.st/2IylMYv</a></p>
<p> </p>
<p>最後に、バンドのロゴが出来上がりました!このロゴがTシャツの正面にプリントされます。</p>
</div>
</div></div><div class="_3x-2" data-ft='{"tn":"H"}'><div data-ft='{"tn":"H"}'><div class="mtm"><div style="position:relative"><div class="_1ktf" data-ft='{"tn":"E"}'><a ajaxify="/KOsaskoMAnringGArcia/photos/a.146432643518263/146432233518304/?type=3&av=106903867471141&eav=AfauYogmxd-tm5V_E3t8p_i9W8NBiDEzxGLG-TheXFm9_GNNmJp_Tltp6AB6_zvNeBo&eid=ARDwGzcAAzKFIspZkRJgVGxTFVk7je7FO7IrTR7cc6dHZ0qXxXTZwHrItJx01czpx2NpOn1q3RrtXU01&size=1818%2C1818&fbid=146432233518304&source=13&player_origin=unknown&__xts__%5B0%5D=68.ARAORiLnZ3wdSphxcJhSRUse3HoOwaTnVHpd4ukiaEpe0L4kpEEsr7zanfrJZErEodj6NYF7L8ZUj9Kr2ICr3Y4RV4R69nSk1UZgkO5LB-qjOqFU7y25u4FD73h3Q7xREn8U_UgBoKHfk6iUeUIxR_E54UVWrnoZPhNsu3UhEZdJMyyV0NXa9JYWAcHknmVwK8Zt9fL6X8tOnMjXb_PC0jrHciX-c-mdoXmCzhJttuZZxvTrkqlZHSld7nH7mu3R26cNWwQGSe7hoxo_0IOLzGa5h1SnqIdIJt9SdIOe4mq-gFkm2LAGUmq8teEmd6w0xNk&__tn__=EEHH-R-R" class="_4-eo _2t9n _50z9" data-ft='{"tn":"E"}' data-ploi="https://scontent.fsac1-1.fna.fbcdn.net/v/t1.0-9/91162751_146432240184970_6484617683076644864_o.jpg?_nc_cat=104&_nc_sid=8024bb&_nc_ohc=b4zGYpHHlrgAX-a2Y52&_nc_ht=scontent.fsac1-1.fna&oh=0449986c49810554131979236055f7ed&oe=5EA4F1DA" data-plsi="https://scontent.fsac1-1.fna.fbcdn.net/v/t1.0-9/p960x960/91162751_146432240184970_6484617683076644864_o.jpg?_nc_cat=104&_nc_sid=8024bb&_nc_ohc=b4zGYpHHlrgAX-a2Y52&_nc_ht=scontent.fsac1-1.fna&_nc_tp=6&oh=f4b8222f89668d725df7195b20afe19d&oe=5EA6478A" data-render-location="homepage_stream" href="https://www.facebook.com/KOsaskoMAnringGArcia/photos/a.146432643518263/146432233518304/?type=3&av=106903867471141&eav=AfauYogmxd-tm5V_E3t8p_i9W8NBiDEzxGLG-TheXFm9_GNNmJp_Tltp6AB6_zvNeBo&eid=ARDwGzcAAzKFIspZkRJgVGxTFVk7je7FO7IrTR7cc6dHZ0qXxXTZwHrItJx01czpx2NpOn1q3RrtXU01&__xts__%5B0%5D=68.ARAORiLnZ3wdSphxcJhSRUse3HoOwaTnVHpd4ukiaEpe0L4kpEEsr7zanfrJZErEodj6NYF7L8ZUj9Kr2ICr3Y4RV4R69nSk1UZgkO5LB-qjOqFU7y25u4FD73h3Q7xREn8U_UgBoKHfk6iUeUIxR_E54UVWrnoZPhNsu3UhEZdJMyyV0NXa9JYWAcHknmVwK8Zt9fL6X8tOnMjXb_PC0jrHciX-c-mdoXmCzhJttuZZxvTrkqlZHSld7nH7mu3R26cNWwQGSe7hoxo_0IOLzGa5h1SnqIdIJt9SdIOe4mq-gFkm2LAGUmq8teEmd6w0xNk&__tn__=EEHH-R-R" rel="theater" style="width:474px;"><div class="uiScaledImageContainer _517g" style="width:474px;height:474px;"><img src="https://scontent.fsac1-1.fna.fbcdn.net/v/t1.0-0/p480x480/91162751_146432240184970_6484617683076644864_o.jpg?_nc_cat=104&_nc_sid=8024bb&_nc_ohc=b4zGYpHHlrgAX-a2Y52&_nc_ht=scontent.fsac1-1.fna&_nc_tp=6&oh=5e7d406d22a8b52e0dd74164693ee92e&oe=5EA6F563" class="size_orig justify_inline border_" alt="Image may contain: text" height="474" width="474" /></div></a></div></div></div></div></div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6262784
2020-03-26T09:57:56-07:00
2020-03-26T12:01:52-07:00
都会から田舎への移住に伴う意識改革 第一部:前書き
<p>都会から田舎への移住に伴う意識改革</p><p>第一部:前書き</p><p> </p><p> コロナウイルス騒動の中、人口が密集し感染のリスクが大きな都会では、大幅な生活行動の制限が強いられています。そのような中、人口密度が低く、生活圏が限られ、人の移動が少なく、食料や水などを地産地消で自給できる可能性が高い田舎での生活が見直されています。田舎暮らしに関しては、それなりにエキスパートでもありますので、2017年より書き始めたにもかかわらず未だに1/3しか投稿できていないシリーズ「都会から田舎への移住に伴う意識改革」を、これを機会に一気に最後まで連続投稿してみようと思います。コロナ騒動で音楽の仕事も凍結状態だから、時間はたっぷりありますしね。<img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png" class="size_orig justify_inline border_" alt="爆 笑" height="24" width="24" /></p><p> </p><p> 長年都会で暮らしていると、田舎での生活に憧れを感じるものです。きれいな空気、青々とした木々、爽やかな風、満点の星、静けさ、鳥の声、風の音、美味しい水と食べ物…。しかし、現実面では不安や心配の種もたくさんあります。</p><p> </p><p> 田舎には、すぐに現金収入に繋がる仕事は少ないのでは?</p><p> ちゃんと食っていけるのだろうか?</p><p> 農林水産業の仕事はあるとしても、全くの素人がこの年になってから始められるんだろうか?</p><p> 病院や学校はあるのか?</p><p> スーパーやコンビニはあるのか?</p><p> </p><p> そんなことをあれこれ考え始めると、「やっぱり非現実的なことだよな」と諦めて、田舎暮らしを人生の選択肢から消去してしまう。それはそれで、一つの賢明な選択です。事実、誰もが田舎の生活に向いているとは限りません。これは同時に、誰もが都会での生活に向いているとは限らないことを示しています。人間は、環境に柔軟に適応できるため、都会でも田舎でも、それなりに順応して暮らせるのですが、仮に人類の半分が本質的には「都会派」、残りの半分が「田舎派」という大雑把な前提で考えるならば、都市に大部分の人口が集中している現状では、本来は田舎暮らしが本質に合っていながら、それに反して都会で暮らしている人口がかなり多いという結論になります。そのように考えると、流通、種々のサービス、医療のケア、娯楽などの全てが充実している都市環境で生活しているにも関わらず、都市生活者の多くが過度のストレスを感じ、不健康な生活習慣に陥り、心身の健康問題は無くなるどころか多様化しているという奇妙な状況も、説明がつきます。</p><p> </p><p> 現代の都会生活を取り巻く環境は、生来の「都会派」にとってもメリットをデメリットが上回り、すでに適応の限界を超えつつあるようにも見えます。狭くコスト高の住居、高い交通費、犯罪の危機、公害、衛生の問題、子育て環境の悪化や保育所不足、物や情報は溢れかえっているのに本当の豊かさを感じられない生活、通勤ラッシュや交通渋滞、災害への脆弱性、水や食物の安全性の問題、核家族化による高齢者の孤立、高い生活費を稼ぐために過剰労働をせざるを得ない状況、人口過密している中での孤独感などなど、枚挙にはいとまがありません。</p><p> </p><p> これらの社会問題のなかでも、住宅コスト、犯罪、公害、衛生、子育て環境、渋滞やラッシュなどの人口過密に伴う問題は、生来の「田舎派」が都市から田舎へと生活の場を移し、都市部の人口密集が軽減されれば、かなりの部分で解決されると考えられます。また、食品の安全性や健康問題の多くに関しても、田舎で住んでいると、行政や社会全体の取り組みを待つのではなく、自給自足、地産地消など、個人と小規模コミュニティーの努力で対応するという選択肢もあります。</p><p> </p><p> さりながら、都会から田舎に暮らしを移行することは、決して簡単なことではありません。</p><p> </p><p> そもそも、若者が都会に出て行くのは、都会には、収入が高くてやりがいがある(かっこ良く見える)仕事がたくさんあり、かっこいい場所でオシャレな時間を過ごせる可能性が高いと思えるからです。あるいは、大都会でなくては学べない学問や芸術的技能もありますから、文化的な理由で移住をする方も多いでしょう。このことは、裏を返せば、田舎では、多くの仕事が収入の低いかっこ悪い仕事で、オシャレな場所も文化的な活動も少ないという認識が広く社会で共有されているということになります。</p><p> </p><p>「かっこいい」「オシャレ」という点に関しては、本人の主観的な認識次第なので、必ずしも都会に軍配は上がりませんが、収入や文化活動に関しては、確かに都会の方が充実しています。そのため田舎では、どのように十分な現金収入と文化的な経験を充実させるかということは、大きな課題です。人口が密集していることで成り立っているサービス業に従事している場合には、田舎への移住にともなって農林水産業などの全く新しい職業に転職しなければならない可能性が高くなります。また、都会での職業を田舎で継続できる場合でも、現金の総量の小さな田舎のコミュニティーで働くとなると、減収は覚悟しなくてはなりません。それに加え、人里離れた山奥で暮らす場合には、都会生活ではすでに存在していて当たり前の水道、ガス、道路、家屋、電気、通信などインフラの敷設と管理も自己責任で行う部分が大きくなりますから、収入に結びつく仕事以外にも、これまでやったことのないような様々な作業を自分でやらなくてはならない状況も多くなります。</p><p> </p><p> そして、田舎への移住には「田舎に引っ込む」というネガティブな連想がつきまとっていて、自分の社会的存在意義が著しく失われるのではないかという恐れと不安も伴います。人生の敗残者、負け犬、厳しい社会からの逃亡者など、まさに「都落ち」の悪いイメージを自分自身に与えて、自己嫌悪、自信喪失に陥ってしまうかもしれません。これらは、当人の気持ち次第で克服できるのですが、都市環境での成功者を目指して多くの時間と労力をかけて努力してきたものにとっては、気持ちを切り替えるのはなかなかに困難です。</p><p> </p><p> この試論では、四国の大都市(?)松山で生まれ、青年期に大都会東京に住んだ経験と、その後アメリカに渡って音楽家という大都会向けの職業に従事しつつ、サンフランシスコなどの大都会からはおよそ240キロ、小さな町からも50キロ以上離れている田舎で、音楽制作と並行してファームの開発と自給自足の生活スタイルを目指して実験的な生活を実践をしている立場から、「田舎で暮らす」ということの現実を見据え、物質面と精神面の両方で豊かさを感じながら田舎で生活するために役に立つ指針を、提言してみたいと思います。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171016/15/musiclife-in-nature/aa/32/j/o1589212714050051854.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171016/15/musiclife-in-nature/aa/32/j/o1589212714050051854.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20171016/15/musiclife-in-nature/7c/1d/j/o1936259214050050170.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20171016/15/musiclife-in-nature/7c/1d/j/o1936259214050050170.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="562" width="420" /></a></p>
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2020-03-25T21:48:50-07:00
2020-03-26T02:15:37-07:00
テレビ朝日の番組「あいつ今なにしてる?」に取り上げていただきました!
<p>昨日、テレビ朝日の「あいつ今何してる?」という番組で取り上げていただきました。名門校出身の天才のその後、みたいなテーマのコーナーで、ずいぶん盛って紹介してくださとのこと。「神」はいくらなんでも言い過ぎですよ。</p><p>アメリカにいるため、自分はまだ観れていないのですが、皆さんには楽しんでいただけたようです。</p><p> </p><p>コロナ騒動の中、ゆる〜いバラエティー。タイミング的にどうかなとも思ったのですが、逆によかったというお声もいただき、ほっとしています。</p><p> </p><p> </p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200326/13/musiclife-in-nature/3f/81/j/o1440084414734060594.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200326/13/musiclife-in-nature/3f/81/j/o1440084414734060594.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="363" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200326/13/musiclife-in-nature/37/3d/j/o2048153614734060700.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200326/13/musiclife-in-nature/37/3d/j/o2048153614734060700.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200326/13/musiclife-in-nature/21/52/j/o0960066814734060774.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200326/13/musiclife-in-nature/21/52/j/o0960066814734060774.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="431" width="620" /></a></p>
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2020-03-24T23:51:30-07:00
2020-03-25T02:45:38-07:00
火のある生活
<p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/15/musiclife-in-nature/11/c8/j/o1936259214733628081.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/15/musiclife-in-nature/11/c8/j/o1936259214733628081.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="830" width="620" /></a><br> 暦の上ではもう春なのに、まだ朝晩は冷え込むため、ほぼ毎日薪ストーブに火を入れてます。その度に、祖父の家で五右衛門風呂を湧かすという大人公認の「火遊び」を楽しんだ子供時代を思い出します。手早く安定した火をおこすには、薪の組み方、火の勢いを落とさない薪をくべるペース、空気を送るタイミングなど、色々とコツがあるのですが、これら基本的なことが子供の頃に自然と身に付いていたお陰で、薪ストーブの火おこしの日課にもすぐに慣れることができました。<br><br> 手早く火をおこすには、よく乾いた薪と、着火時にすぐに火が燃え移るサイズの小枝や細い薪を準備しておくことが大切です。森の中に住んでいるので、小枝集めに苦労することはありませんが、前もってこまめに乾燥した枝を集めておかないと、雨の日に泣くことになりますから、夏場から枝を集めて濡れないところに保管しておくようにしています。薪割りは楽ではありませんが、慣れてくると時代劇の剣客のようにかっこ良く一振りで割れるようになり、結構楽しいものです。<br><br> もしかしたら、子供のときに日常生活で火を使わなくてはならないという状況(例えば五右衛門風呂やマキストーブなど)を体験をすることができた最後の世代は、我々昭和40年代生まれの世代なのかもしれません。考えてみるに、火をコントロールできる能力は、人類を他の動物とは異なる存在にしている決定的な要素ですが、実際に火をおこしそれを使って何かをするというような日課が生活から消え失せたことは、現在の先進国での生活が、人類の根源的な生活状況から遠く離れてしまったことを象徴しています。<br><br> もちろん、人口の密集している都市でそれぞれの家庭が薪を使って火をおこしたら、煙でとんでもないことになってしまいますから、都市生活が基盤となっている現在の社会では、日常生活で火を使うことは非現実的です。それは分かっているのですが、子供達がスマホのアプリやコンピュータを驚くべき能力で使いこなせても、小さな焚き火ひとつおこすことができないというのは、いかがなものかと。このような社会の仕組みがずっと続くのであれば、火など扱えなくても何の不自由もなく生きていけるのだから、田舎のおっさんが心配するようなことでもないのかも知れませんが、でも、やっぱり何か大切な経験を欠いているような気がするのです…。</p><p> </p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/15/musiclife-in-nature/e1/c7/j/o1936259214733628669.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/15/musiclife-in-nature/e1/c7/j/o1936259214733628669.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="830" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/15/musiclife-in-nature/3f/7c/j/o2592193614733628928.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/15/musiclife-in-nature/3f/7c/j/o2592193614733628928.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="463" width="620" /></a></p>
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2020-03-24T08:28:56-07:00
2020-03-24T12:45:28-07:00
皆さんに先駆けて古佐小家はすでに大恐慌
<p> コロナ騒動のため、3〜4月の音楽活動は全てキャンセル、そしてついに5月終盤のコンサートまでキャンセルが出ました。タイ式マッサージのセラピストの妻も、ウイルス騒動が続く限りはマッサージの仕事も全てキャンセル。夫婦揃ってその日暮らしのフリーランスで社会保障も蓄えもなし。アメリカ政府の災害保証も、自営業者は対象外になる可能性が大。というわけで、古佐小家は皆さんに先駆けて、すでに大恐慌の真っ只中です。</p><p> </p><p> 2008年のリーマン・ショックの時には、音楽の仕事がほぼゼロまで落ち込み、それから10年ほどかかってようやく社会全体に音楽にお金を使う空気が戻ってきて、これから活動を拡大しようとトリオでのレコーディング、弦楽四重奏との共演などのプロジェウトを立ち上げた矢先に、このリセッション。12年前と同様に、再びジリ貧からやり直すことになるかと思うと、ため息もつきたくなります。</p><p> </p><div class="text_exposed_show">
<p> しかし、子供時代の憧れの人物像は、「桃太郎侍」「喧嘩屋右近」など、裏店に住む凄腕剣客の正義の味方。貧しい暮らしぶりとは関係なく、剣の腕と人徳を磨き続ける彼らの生き方と、今の自分を重ね合わせれば、子供の夢が叶ってしまったとしか言いようがなく、天に向かって愚痴をいうことはできません。</p>
<p> </p>
<p> 幸い借金はなく、3名の子供はすでに巣立ってますし、食料もある程度自給できるし、家や車のメンテも自分でやれるので、日常生活の最低経費とハープを維持する現金収入さえ得られれば、なんとか生きていけます。音楽の仕事がこのまましばらく消滅してしまうのなら、他所のファームの手伝いなどのバイトをしながら、自宅ファームの農業収入を増やすなどの方策を考えないといけません。</p>
<p> </p>
<p> 食料に関しては、卵は毎日1ダース、ミルクが2リットル、豚1頭とヤギ2頭はいつでも潰して食料にできるし、2ヶ月もすれば24羽の肉用鶏が食べごろになります。5月からは野菜もぼちぼちできてくるので、餓死することはないですね。むしろ、食うよりも出す方が問題で、尻を拭く紙が不足気味。でもまあ、それで死ぬことはない。</p>
<p> </p>
<p> 実は、すでに直近のバイトは見つけました!</p>
<p> </p>
<p> 週末に自宅ファームの木の手入れにきてもらった樹医/庭師をやっている友人の作業を手伝ったところ、気に入ってもらえて、これから入る幾つかの仕事の助手をやって欲しいと頼まれました。どのみち、2万坪の自宅ファームにある無数の樹木をこれからも自分で手入れしなくてはならないので、樹木のプロの仕事を学ぶ良い機会かな、と。</p>
<p> </p>
<p> 音楽の仕事が無くなってしまったことは残念ですが、大災害で全てを失うこと、大病をして働けなくなることを考えたら、しばらくのリセッションなんて屁のカッパ。12年前と比べると、農作業、大工仕事、動物の屠殺解体、土木作業などの経験を積んでいますから、おそらくファーム関連のバイトはほかにも見つかると期待してます。</p>
<p> </p>
<p> 他所でお金のために働く分、自宅ファームに使えるエネルギーは減りますが、音楽は今までと変わらず続けられます。宇宙戦艦ヤマトの徳川機関長の最期の言葉「波動エンジン出力低下すれど航行に支障なし」になぞらえて言えば、「演奏出力低下すれど、日々の音楽の精進に支障なし」。そもそも、しばらくハープを弾かないくらいで腕が落ちるようなヤワなハープでは、桃太郎侍を名乗る資格はない!</p>
<p> </p>
<p> 皆さんもこれからしばらくは、やりたいことをできなくなったり、仕事の上での大きな方向転換を強いられたりと、いろんなご苦労を経験されると思いますが、むしろ、予測不能な新しい経験を楽しんでやろうというくらいの心持ちで元気に乗り越えていきましょう!波動エンジン出力低下すれど航行に支障なし!昭和ネタばかりで申し訳ない…。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/00/musiclife-in-nature/fd/28/j/o1936193614733390341.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/00/musiclife-in-nature/fd/28/j/o1936193614733390341.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="620" width="620" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/00/musiclife-in-nature/55/65/j/o0720096014733390075.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200325/00/musiclife-in-nature/55/65/j/o0720096014733390075.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="827" width="620" /></a></p>
</div>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6259877
2020-03-23T18:10:43-07:00
2020-03-23T22:30:37-07:00
自然に近い生活vs都会での生活
<p> 春分の季節です。日が長くなって春めいてくるこの季節は、北カリフォルニアで最も美しい季節ですが、個人的には日の短い真冬も大好きです。冬の日差しは、地面に近いところから差してくるので、光と影の具合がドラマティックで素敵です。雨あがりの空気の澄んだ冬の星空もまた格別です。<br><br> 北カリフォルニアでは、夏と冬の気候の差が大きく、夏(6〜9月)は何ヶ月も雨が降らない乾季、冬(11月〜3月)は、場合によっては2週間ほど雨が降り続く雨季になります。その間に、短い春と秋がはさまっています。<br><br> 田舎のファームでは、屋外で作業をすることが多いため、生活パターンが日照と天候によって大きく影響されます。一般に、雨天時や日没後にできる屋外作業は非常に限られていますから、作業の内容とペースを季節に応じて変化させ、天候と日照時間合わせて調整する必要があります。<br><br> 概して日照時間と晴天の少ない冬には、その限られた時間内に効率よくハードに働き、残りの時間は屋内でのんびりと過ごすというペースになります。また、気温が低く重労働をしても体力の消耗が少ないので、短期決戦型のハードな仕事に向いています。しかし、雨がいつ降るかわからないために、着工から完成までに何日もかかるような建築作業をすることは難しく、道具や資材なども、作業が終わったら毎回全てを濡れない場所に片付けておく必要がありますから、冬には「効率が良く最後まできっちりとした仕事をする」ことが強いられます。<br><br> 一方、日照が長く雨の降らない夏には、涼しい朝と夕方の時間帯を中心に働いて、暑い午後の時間帯は屋内や日陰でのんびり休息するパターンなります。長期を要するプロジェクトに向いていて、道具や資材をそのままにして何日間も持ち越せますし、作業可能な時間はたっぷりとあるので、ダラダラ仕事をしても大丈夫です。35〜40度の猛暑の中では、どちらにしてそれほどハードには働けないので、むしろ休みながらダラダラと働かないと、暑い夏を乗り切ることはできません。スペインや南イタリアなどでは、昼食時に飲酒をしながらランチを腹いっぱい食べて、夕方までお店や仕事を休んで「シエスタ」と呼ばれる昼寝タイムをとる習慣がありますが、北カリフォルニアの夏も、シエスタ的な長い昼休みのある生活リズムが適しています。<br><br> このように、1年を通じて夏と冬の気候条件の差が大きな北カリフォルニアの自然環境の中で働いてみると、季節に合わせて働くペースを大きく変えることが、人体にとってごく自然な環境への適応であると感じられます。<br><br> 一般に、常夏の赤道に近い地域では、社会全体にのんびりムードが漂い、自分のペースでチンタラと働く傾向があり、高い緯度の冬が厳しい地域では、生産性効率の高い社会がきちんと組織化され、全体のペースに合わせて真面目に働く傾向が指摘されます。このような地域差は、夏と冬の差異の大きな北カリフォルニアでの生活で季節によって生活のペースが変動するのと同じく、環境への適応の結果であると思われます。<br><br> 注意深く自己観察を行うと、季節に応じた生理的な変化も感じられます。日照の長い夏には、睡眠時間が減って運動力が増えるため、体は絞られて体重は減少します。逆に、日照に短い冬には、睡眠時間が増えて運動量が減り、体重はやや増加傾向になります。<br><br> 夏は、朝5時にはすでに明るくなりつつあり、暗くなるのは夜の8時頃。朝夕は涼しくて活動に適した条件が揃っているので、早起きをし、暗くなるまで活動をするのがもっとも快適なパターンです。時計を気にしないで1日を過ごすと、だいたいこのようなパターンになっていきます。<br><br> 冬には、朝7時でもまだ暗くて寒いので、外に出て活動を開始するのは朝8時ころ。夕方4時頃にはすでに薄暗くなり始めるので、道具の片付けや作業の後始末を始めて、暗くなる5時頃には屋内に戻ります。人体は、日が暮れてからある一定時間が過ぎると眠たくなる仕組みになっているようで、9時にはかなり眠くなり、シャワーやその他の就寝準備をして、10時半ころには就寝。<br><br> 本来は、このように季節によって生活のペースを変えることが自然なのだと思います。しかし、都会の生活では、季節による日照や温度の差異は、電灯とエアコンなどのテクノロジーによって均一化され、日々の暮らしも時計を基準としてスケジュールが組み立てられているので、年間を通じて生活のペースをほとんど変えないまま、体に多少の無理をさせつつ生活しています。それが、現代人のストレスや健康不良の原因の一つになっているとも考えられます。<br><br> さりながら、テクノロジーを活用した人工的な環境にはもちろん利点があって、寒さや暑さ、雨や風、強い日差しや日没後の真っ暗闇などの様々な自然の脅威を緩衝し、より安定した生活環境を提供してくれます。ただし、自然環境からどの程度の距離をとるかということ関しては、バランスが大切です。自然からの距離が広がれば広がるほど、自然の変動に適応する能力は低下し、生存のためにさらに自然からの距離を広げなくてはならなくというスパイラルに陥っていきます。近年のテクノロジーの目まぐるしい進歩で、このスパイラルは加速度的に進行していると感じます。<br><br> 社会全体の生産効率を考えると、全ての基準を時計に集約し、年間を通じて同じペースで働くことが合理的です。特に、農林水産業などの季節の変化とともに仕事の内容が著しく変化する第一次産業に従事する人口比率が低い先進国型の社会においては、季節による生体リズムの変動を社会全体に反映させる必要性は小さいですから、この傾向は強化されることでしょう。しかし、いくら効率を上げて物質的に豊かになったところで、そこで暮らしている人々に健康で幸せな暮らしているという強い実感が伴っていないとしたら、なんのための効率アップでしょうか。<br><br> 都会では、「夜、あまりよく眠れない」とおっしゃる方によく出会いますが、それも無理からぬことだと感じます。都会の夜は、屋外でも本が読めるほど明るく、家の中も寝る直前まで隅々まで電灯に照らされ、しかも目の前にはテレビやコンピュータ、スマホのスクリーンが光かがやき、その中では活発な世界が24時間営業で展開しています。<br><br> 自然に囲まれた田舎に住んでいても、コンピュータやスマホでの作業が多くなると、自然のペースに合わせて生活することは難しくなりますから、都会ではなおさら、電子機器で作業する時間帯には気をつけたいところです。<br><br> しかし、ハードコアなサバイバリストのように、文明に背を向けて生きることは全くおすすめできません。自然との距離が近くなれば、それだけ豊かな自然の恵みを受けられる反面、野生動物や虫とのせめぎ合い、電力や水などライフラインの安定確保の難しさ、草木による人間の生活圏の侵食、嵐、干ばつ、寒波、山火事などの自然災害の脅威とも真っ向から付き合っていかなくてはなりません。このような中でサバイバルに明け暮れるようなライフスタイルでは、音楽などの文化的な活動をする余裕がなくなってしまうので、これではダメです。現代の都市生活とハードコアなサバイバル生活の中間点あたりに、現代人にも実践可能な「自然と人間の融合した生活スタイル」(使い古された言い回しではありますが…)はないものかと、日々模索しております。<br><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6252598
2020-03-17T09:48:42-07:00
2020-03-17T13:15:22-07:00
生き物を飼うことに伴う死の受容
<p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200318/01/musiclife-in-nature/2f/c0/j/o0960075114729706297.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200318/01/musiclife-in-nature/2f/c0/j/o0960075114729706297.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="329" width="420" /></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200318/01/musiclife-in-nature/99/f9/j/o0960072014729706538.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200318/01/musiclife-in-nature/99/f9/j/o0960072014729706538.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="315" width="420" /></a><br> 現在、このファームにはヤギが10頭、豚1頭、ニワトリ60羽、犬8頭、猫5匹+生まれたての子猫4匹、人間2頭が暮らしています。<br><br> これだけ生き物を飼っていると、動物の死に直面する機会も多くなります。先日も、急に寒さがぶり返した夜に、雨に濡れた子ヤギが低体温で具合を悪くするというアクシデントがあり、危うく幼い命を失うところでした。こういうトラブルに加え、食肉用に飼っている動物は屠殺によって命を奪うことになるので、ファームでは日常的に生死を直視することになります。<br><br> ペットは言うに及ばず、肉用の動物であっても、飼っている動物を事故や病気で死なせると、なんとも言えない罪悪感と後味の悪さを経験します。命にはかならず終わりがあるという大前提を理解しているつもりでも、これを自然体で受け入れるのは容易ではありません。命との関わりにおいては、冷徹な割り切りか、あるいは、センチメンタルな過剰な反応のどちらかの極に触れてしまいがちで、両極に触れることなく血の通った感情を保ちつつ冷静に受けとめるというのは、なかなかに難しいものです。<br><br> ファームを続ける限りは、自然死する動物、変死する動物、自らの手で命を絶って食料とする動物の命と向き合うことになりますから、これからも、この割り切れない気持ちとつきあうことになります。<br><br> 直接生き物の生死と関わっていなくても、食べ物が全て動植物の屍体であること、その屍の山の上に自分の命が成り立っていることを想起しすれば、食事という毎日のルーティーンのなかで生死に関して想いを致すことができます。「いただきます」「ごちそうさまでした」という習慣は、このことを忘れないようにさせるための先人の知恵なのかもしれません。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6243532
2020-03-09T22:37:02-07:00
2020-03-10T00:11:07-07:00
環境問題の根っこにあるものとは?
<p> 人間が自然と中で生存しているという認識は、近代文明以前、特に古代文明では社会の基盤にあったものですが、ここ数百年、人類は科学技術やテクノロジーの進歩に陶酔するあまり、自然を思い通りコントロールできるという奢りのなかで、このことをすっかり忘れかけていたようです。しかし近年、その自慢のテクノロジーの濫用により、公害や、環境への介入が原因と思われる気候パターンの変化など、より自らの生存を危うくするような予期せぬ現象が起きて来たため、自分達と周囲の自然環境との相互関係の重要性が見直されるようになりました。<br><br> 「環境汚染」「自然破壊」「自然にやさしく」などの標語とともに、環境問題への意識が高まっているのは悪くないことだと思いますが、これらの標語には、「人類=加害者」「自然環境=被害者」という構図が隠喩されており、人類と自然を対立関係のなかでとらえる考え方がベースになっています。このような認識には、未だ人類が自然をコントロールできる立場にあることを想定した高慢さが反映していますから、おそらくは問題の根本的な解決に人類を導いてくれることはないと考えています。<br><br> 人類は、正真正銘、自然により生み出された有機生命体に他ならず、有機生命体の生存条件の整っているこの惑星の地表面に広がる自然環境の中でしか生きられない存在ですから、他のどの場所にも属することはできません。つまり、自然と対立する存在ではなく、自然の一部として、そこに属する全てのものとの巨大なネットワークの中で存在している「自然」そのものです。<br><br> 人類とその他の生態系に存在する有機体、無機体との相互作用は恐ろしく複雑で、おそらく現在科学で「解明された」とされている側面は、その一部のごく一側面に過ぎず、全貌の甚大さからすると、人類はまだ何も知らないに等しいのかもしれません。そんな中途半端な知識で全体をコントロールしようとしたら、望ましい結果よりも、予測できない不都合な結果がたくさん生じてしまっても、何の不思議もありません。<br><br> では、人類が自然の中で調和的に暮らすことは、それほどに難しいことなのでしょうか?現在人類が直面している環境問題の解決のためには、さらなる科学の進歩に伴う新たな知識と叡智の発見が必要なのでしょうか?<br><br> 自分はそうは思いません。<br><br> 周囲の環境と調和して暮らすために必要な智恵は、自然の一部として生み出された人間の本能の中に備わっていると考えるのが妥当です。ただ、自然から隔離された人工的環境でほとんどの時間を過ごす現代の文明生活においては、人類に生来備わっている周囲の自然環境をモニターする能力が使われないままに退化し、自身の生存のために必要な調和を得るためには何が必要であるのかを自分で判断する能力が機能不全に陥っているのではないかと思えるのです。現代人の医療との関わり方には、そのことが顕著に現れています。こころ・からだの調和が崩れている状態が病ですが、病にかかったと感じた時に、当事者である自分自身の感覚や直感よりも、第3者である医療者の観察や診察の結果に判断を委ね、治療も外からの働きかけに任せっきりというのは、冷静に考えて見ると非常に奇妙なことです。<br><br> 自身のこころ・からだの状態、周囲の環境との関わりを科学的測定による分析と考察から理解しようとする以前に、まずは当事者として、生まれながらに備わった地球上生命体としての直感、感覚、感情で感じることが大切だと思います。このような「非科学的」なプローチが大手を振って用いられる数少ない分野の一つが、芸術です。たとえば、音楽の精妙な美しさとその力は、普通に機能している人体なら当たり前のように感じることができますが、科学的な装置を使ってその無限にある美しさのバリエーションや、それにより呼び起こされる様々な精神的なエネルギーを測定することは不可能です。それほどまでに奇跡的な精度を持つ感受性を備えているのが人体であり、誰もがこの精巧な天然の装置を持って生まれています。<br><br> しかし、現代社会では、この素晴らしく精妙な天然の装置を「主観的で不確かなもの」として低い地位に追いやり、言葉と数字でしか物事を把握できない非常に大雑把で不完全な「科学的」データやその分析から導き出された知識に「人類の叡智」という不当に高い地位を与えています。 現代社会で成功するためには、この科学的データや知識にしたがった認識を行える能力が非常に重要であるため、自然の被造物としての直感的な感受性による認識を優先させた生き方を選択するのが難しい時代になっています。実際には、直感に基づく認識も、データと知識を用いた分析的な思考も、ともに高度な知性であります。ただ、認識の対象と情報処理のプロセスに差異があるに過ぎません。<br><br> 環境問題の本質は、人類が本来当たり前に感じるべきことを感じられない状況で生を営んでいることにあると思えるのです。自然への畏怖、人類や他の生物への同胞愛、生存に伴う生と死への洞察、万物の生起と消滅への洞察、宇宙というとてつもなく大きな全体の小さな一部として存在しているということの意味を理解することで得られる脱私の安らぎなど、宗教では悟りの心境として叙述される「特別」な内的状態は、自然の一部であり当事者である人類ならだれでも自然に感じられるものであってしかるべきです。しかし現代では、生活様式、教育、社会で共有されている価値観など、人工的なものの影響が余りにも大きくなっているために、個人としても、人類全体としても、そのような内的状態とのアクセスはますます稀なものになっているように見受けられます。<br><br> 芸術と宗教は、科学的証明や理論的正当性を無視して、大手を振って内なる自然との対話の中で真理を追究することができる分野です。自然科学の探求に終わりがないのと同様に、内なる世界の探求もまた無限であり、そこにはワクワクするような無数の真理との出会いがあります。生存に直接必要な物品やサービスを提供しない立場にある芸術家や宗教家が、社会で細々と存在することが許されてきたのは、彼らが宗教的教義や芸術作品を通じて、物質的なものに耽溺する日常生活の中で失ってしまいがちな「人類本来の感受性」を思い起こさせるために必要な刺激を提供する役割を担っているからだと思えるのです。<br><br> 近現代の人類の活動に対し、自然環境のネットワークがバランスを保つために大きくシフトしようとしている気配は、自然の一部である人類にも本能的に察知され、その危機感から近年の環境問題への意識の高まりなども起きて来ているのかもしれません。もしそうだとしたら、これからまだ方向転換が可能な段階であるということになります。<br><br> 少し皮肉な見方になりますが、自然を破壊している人類のテクノロジーも、拝金主義による頽廃も、自然が人類に与えてくれた精神活動から生まれていることを考えると、人類による環境破壊も、自然にとっては最初から予定されていたことなのかもしれないとも考えられます。自然によって書かれたプランの全貌は知るよしもありませんが、例えば「化石となって地中に固定された二酸化炭素をそろそろ大気中に戻さないことには、植物が光合成に使える二酸化炭素が足りなくなってしまうので、その解決策として人類に化石燃料をせっせと燃やさせ、十分燃やしたところで勝手に自滅するような社会を作らせよう」というようなプランがあるのかもしれません。化石燃料を燃やすついでに核爆発なども起こし、自らを滅ぼした後も影響を残す放射性物質もまき散らしてしまうけど、100万年もすればそれも無毒化するから、惑星としてはその程度の時間のロスは痛くも痒くもない。<br><br> じゃあ、もうどうあがいてもしょうがない!そう思って放埓に生きる道もあるでしょう。しかし、種の存続のためにベストを尽くすということも、自然から与えられた本能的な使命でもありますから、人類も自らの破滅への歩みを食い止め、なんとか自然との共存共栄に立ち返る道を見出していきたいものです。<br><br> </p>
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2020-03-07T10:43:14-08:00
2020-03-07T11:30:39-08:00
3.11に捧げるハープ即興組曲
<p> 3月8日に東京で開催される予定だった「3.11を風化させないプロジェクト」のために準備していた即興組曲の演奏ビデオをYouTubeで公開しました。<br> <br> 2011年3月11日、東日本大震災。新型コロナウイルスが様々な形で生活に影響を及ぼしている現在、3.11のような自然災害は、過去のものでも、他人事でもなく、いつ誰にでも起こり得るリアルな危機であることを痛感させられます。このような時にこそ、東日本大震災によってもたらされた衝撃の大きさに思いを馳せ、そこから復興へと立ち上がった被災者の皆さんの勇気を賞賛し、そこから元気と希望を頂くことが大切だと感じています。</p><div class="text_exposed_show">
<p> この組曲には、楽譜はありません。3.11の災害をテーマに、平安〜衝撃〜災害〜嘆き〜受容〜希望と復興〜平安という流れの中で、即興演奏を展開しています。演奏のテーマを明確にするため、「いわて震災津波アーカイブ・希望」よりダウンロードさせていただいた写真資料を挿入してあります。全体で18分の長い即興組曲となっておりますが、このビデオが、東日本大震災を思い起こし、祈りや希望、勇気などの様々な思いを呼び起こすきっかけとなれば幸いです。</p>
<p> </p>
<iframe allowfullscreen frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/5eq2MQvMueI" width="608"></iframe><p> </p>
</div>
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2020-03-06T19:03:34-08:00
2020-03-06T21:15:28-08:00
五輪書の教え「諸芸にさはる所」の意義
<p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200307/11/musiclife-in-nature/e2/de/j/o4032302414724250558.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200307/11/musiclife-in-nature/e2/de/j/o4032302414724250558.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="465" width="620" /></a></p><p> </p><p> ここ数年遠ざかっていましたが、ようやく柔道の稽古を再開しました。大学1年の時に、腰痛が悪化したこと、音楽との両立が難しいこと、生活費を稼ぐためにバイトをしなくてはならない等の理由で、柔道部を退部して競技者としては引退しました。その後、30代後半で体力作りも兼ねて稽古を再開し、子供を連れて道場に通い、そこで指導を手伝いながら稽古をしておりました。しかし、アメリカでは柔道の人気が低く、近場の道場がことごとく潰れ、ここ4−5年は、もっぱら基礎的な体捌きと体力作りのトレーニングのみ続けておりました。<br><br> 人生のメインの活動として音楽を選んだことに、後悔の念は全くないのですが、柔道に関しては、もう少し深めてみたいという思いをずっと持っていましたから、山奥の自宅から道場のある市街まで遠くて通うのが大変なのですが、まだ体が動く年齢のうちに稽古を再開することにしました。<br><br> 現在は、腰痛も完治していて、日頃のファームでの肉体労働のおかげで体もさほどなまっていませんが、柔道では全身を普段とは全く違う方法で動かすため、しばらくは稽古のたびに筋肉痛になることは避けられません。この時期を過ぎたら、徐々に乱取りなども含めた本格的な稽古をしたいと思っています。<br><br> しかし、子供時代から刷り込まれてきた「常識」は、以下のようなささやきで柔道の再開をやめさせようとします。<br><br> 「音楽を極めたいのであれば、すべての時間とエネルギーを音楽に集中すべし。」<br> 「プロの音楽家として、怪我の危険性のある活動はすべきではない。」<br> <br> 柔道と音楽。確かに一見全く異質で共通点のない活動で、怪我のリスクを負ってまで再開することに合理性は見いだせないかもしれません。しかし、両者を深く学ぼうとすればするほど、柔道と音楽には共通点が多いのです。<br><br> 柔道において、動きの中で流れを読む、相手に合わせるという感覚は、音楽演奏の上で、特に合奏においては不可欠な感覚です。また、型として稽古した技を実践では変幻自在に応用させる点も、音楽における即興演奏と酷似しています。つまり、メンタル面では、柔道と音楽(特に今自分が専門としている即興音楽)においては、ほぼ同様の素養が必要とされるのです。<br> <br> 実際にハープを独学するにあたっては、柔道で経験した学びのプロセスを応用し、独学で現在のレベルに到達することができましたから、柔道を深めることは音楽を深めることにもなることは、身をもって証明しています。また、これまで音楽を深めてきたことにより、心身の制御に関しての経験が蓄積し、柔道への理解も深まっています。例えば、ハープで左右の体側を同じ程度に器用に使えるようにトレーニングしてきたおかげで、柔道においても、得意な右組みからの左回りの体捌きだけでなく、右回りの体捌きも左の80%くらいの精度でできるようになりました。<br><br> 音楽は素晴らしいものですが、所詮は心身の能力の一部分を用いる技能ですから、それだけやっていれば人としてのすべての資質を訓練できるというわけではありません。心身の働きをより深く理解し、生きるということの原理に迫るためには、古人の教えに従い「文武両道」を心がけるのが一番だと思います。<br><br> しかし、「一芸は多芸に通ずる」という古来からの教えもあります。これに従えば、まずは一心不乱に一芸に集中してそれを極めるべきなのかもしれません。しかし、その逆もまた真なり。宮本武蔵は五輪書の中で「諸芸にさはる所(いろんな芸に触れなさい)」)「諸職の道を知る事(いろんな職能の道を学びなさい)」と説いています。<br><br> <br> 実のところ、クラシック奏者を目指していた若い時には、生活のすべてをかけて毎日平均8時間もハープを弾くような数年間を過ごしました。確かに、このような極端な努力によって、比較的短期間で技術的には多くのことを学ぶことができましたが、その代償として、体はボロボロ、心も常に追い詰められたような緊張感でストレス満載で、ハープを弾くのが辛いと感じられる日々。でも、練習量を減らすと一気に下手クソになるのではないかという恐怖もあって、ペースを落とすこともできず、とうとう体を壊してしばらくハープを弾けない状態となり、ようやくこのような一点集中の生き方が間違っていることに気づきました。<br><br> それから徐々にハープ演奏一点主義から、作曲、即興演奏、畑仕事、畜産、大工仕事、自動車修理、保健分野での研究など、できる限り活動の幅を広げる方向でライフスタイルを転換し、今や何が本業なのか、自分でもよく分からない状態になっています。このような生活をしていると、音楽に使う時間とエネルギーは昔に比べたら圧倒的に少なくなりましたが、不思議なことに、音楽家としての進歩はスローダウンすることはなく、演奏能力、作曲能力、即興能力ともに、過去には想像できなったレベルまで引き上げることができました。<br><br> 月並みな言い方になりますが、結局のところ、全てが芸の肥やしになるということだと思います。あるいは、人生という土壌がしっかりとしていないと、芸という作物は育たない、もし育ったとしてもすぐに枯れてしまうということかもしれません。<br><br> 一見回り道のように見えるけれども、短期間での成果を求めて一点集中するのではなく、時間をかけていろんな経験と知見を積み、諸般に普遍的に応用できる深い知恵としての「道」を修めるという目的意識を明確にすることで、曲がりくねった長い人生の旅路においても、筋のとおったブレない生き方を貫けるのではないでしょうか。</p><p style="text-align: left;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200307/12/musiclife-in-nature/43/43/j/o1800103614724253540.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200307/12/musiclife-in-nature/43/43/j/o1800103614724253540.jpg" class="size_orig justify_inline border_" alt="" height="357" width="620" /></a></p>
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2020-03-04T14:00:00-08:00
2020-03-04T16:15:24-08:00
貧乏はこわくない!貧乏転じて福となす(3)
<p><br> お金の有無に関わらず、幸せに関する最も大きな因子は、なんといっても良好な人間関係です。貧しくても、家族、友人、同僚などと良好な関係にあれば、暖かい心で幸せに生きてゆくことができます。逆に、家族、友人、同僚と難しい関係に陥ってしまうと、お金があっても常に心に引っかかることがあり、仕事の上で良いことがあっても、もろ手をあげて幸せを感じることは難しくなります。<br><br> 芸術のように、活動と作品の値段が決まっていない仕事をしていると、どれだけレベルの高い活動をしても、それに見合う収入を得られないことが日常茶飯事です。しかし、お金で全てが計られる資本主義の社会では、思うようにお金を稼げない状態が続くと、自分自身の人間としての価値に疑いを持ち始めます。このような自己否定に取り憑かれると、本当にやりたいことではなく、とりあえず、すぐにお金になる仕事に飛びつきたくなります。そうすることで、ある種の安心感と達成感は得られるのですが、そういう妥協をしながら本当にやりたいことを先延ばしにしているうちに、初心を忘れて中途半端に芸術を切り売りして小銭を稼ぐことが常態化します。そのままどんどん年を食ってしまうと、かなりの後悔と自己否定に襲われることになりますが、すでに手に入れた安心感を手放すのも怖い。そうなると、最悪ではないけれども、かなり居心地の悪い場所にズッポリとはまり、なかなか抜け出すのも難しい状態に陥っているといえます。<br><br> もしお金を稼ぎたいのであれば、芸術はこれ以上ないほどに不適切な職業選択です。ですから、お金を第一義の目標にして芸術に携わると、ほとんどの場合は失敗します。<br><br> 芸術が大きな金銭的価値を生み出すためには、不特定多数の方に認められる必要があり、そのためには、ある程度有名になるか、業界で力のあるメディアやプロモーターなどの中間業者の後ろ盾を得る必要があります。しかし、おそらく90%のアーティストは、価値ある活動をしていながらも、知名度や業界でのチャンスに恵まれないまま地道に活動を続けることになります。つまり、一生懸命働いて、それなりに価値のあるものを生み出しているにも関わらず、貧乏のまま生きていくことになります。そんな中で支えになるのが、家族、友人、音楽仲間や演奏活動を通じて知り合うみなさんです。お金や社会的地位とは縁の薄い慎ましい活動を通じて自分の芸術に直接に接し、それを楽しんでくれる応援者がいるということ、自分のことを純粋に愛してくれる家族や仲間がいてくれるということは、たとえお金を稼げない社会の負け組になっているとしても、人としての本質的で普遍的な価値を高めることを目標と掲げて生きてゆくことの尊さを思い起こさせてくれます。<br><br> 有名なお金持ちでも、無名な貧乏人でも、結局は死んでこの世から消え去ります。金持ちは金持ちなりに、貧乏は貧乏なりに、天から与えられた時間の中でできる限り多くの瞬間から幸せのエッセンスを見出す努力をする生き方こそが、本当の意味での豊かな生き方と言えるのないでしょうか。<br><br> </p>
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2020-02-23T08:24:42-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
貧乏は怖くない!貧乏転じて福となす(2)
<p> フリーランスで音楽の仕事をしていると、固定収入はなく、社会情勢によって音楽イベントの需要は激しく上下しますから、計画的に収入を増すことは非常に困難です。それに加え、景気が悪化すると真っ先に切られる業界ですから、一気に収入が減る危険性と常に背中合わせです。<br><br> このような状況で、貧乏による困窮を確実に軽減する方法は、まず支出を抑えることです。そのためには、まず、できるだけ家賃がかからない生活費の低い地域に住むのが得策です。<br><br> 一番手っ取り早い方法は、都会ではなく田舎に住むこと。まずは家賃が半分以下になり、生活環境は格段に良くなります。これだけでもかなり貧乏による困窮度合を減らすことができます。でも、不便なのでは?確かに、一見不便そうに思えますが、ネットの発達のおかげで、情報と物品はかなりの田舎でも都会と同じくらいに入手できますから、さほど不便でもありません。音楽家のように都会に出向いて仕事をしなくてはならない場合、交通費や移動にかかる時間が膨大になるように思えるかもしれませんが、渋滞の大都市の中を移動する効率の悪さを考えると、思ったほどには移動に余分な時間がかかるわけでもなく、自動車での移動の場合にかかる高速道路代やガソリンの費用は、家賃やその他の生活費が安くなったおかげで浮いたお金の一部で十分に補填できます。<br><br> ただ、家賃の安い古い家に住むと、色々と修理しなくてはならない箇所も多くあります。そこでいちいち業者を雇っていたのでは、結局高くついてしまうので、DIYで自分でやるのが得策です。道具を揃えるための初期投資をすれば、自分のスケジュールで必要に応じて作業をできるし、資材や部品の代金しか費用がかかりませんから、かなりのお金を節約できます。そして、何よりも、家周りの修理や整備を自分でやることで、生活インフラに関しての理解が深まり、生きるということに自信が持てるようになります。そうなると、貧乏への恐怖はますます小さくなります。ちょっとした家具なども自作できるようになると、お金をかけなくても、まあまあ快適な生活環境を整えることができるようになります。<br><br> 自動車も、エンジンやトランスミッションなどに致命的なダメージがなくちゃんと走るのであれば、安い中古車で十分です。ただ、修理やメンテの必要性は大きくなります。そこで自動車屋に持ち込んでいたのでは、あまり節約になりませんから、自分で基本的な修理とメンテをする覚悟が必要です。毎日足のように使っている乗り物の仕組みについて何も知らないという方がよっぽど異常な状態ですから、自動車を多少いじれる程度の知識は持っておいても損はありません。頑張ってチャレンジしてみましょう。現代は、知識と情報はネットを通じていくらでも無料で手に入りますから、学ぶ気さえあれば、ほとんどどんなことでもお金をかけずに学ぶことができます。あとは、実際に自分でやってみる行動力があれば、誰にでも始められます。行動力のない方でも、貧乏のおかげで必要に迫られ、嫌が応もなく自分でやる状況に追い込まれますから、思いもしなかったことを新たに学ぶ機会に多く恵まれるのです。<br><br> 食費を節約するには、まずは不必要な外食を減らすことが一番です。自炊をするためには、食材や調理法に関する知識と技術を学ぶことになるので、自然と料理が上手になります。健康を考えると、食材も有機食品や遺伝子組み換えのないものを選びたくなりますが、そういう素材は、いかんせん値段も高い。それを買う金がないとなると、自分で育ててみるという選択肢を選ばざるを得なくなり、農業や畜産業にも手を出さざるを得ません。一見大変そうにも思えるのですが、150年ほど前には、皆が普通にやっていたことですから、家庭で消費する程度の食料を生産するのは、やってできないことではありません。自宅で食料を生産すると、有機栽培を選択することもできるし、何よりも新鮮なものが手に入るので、お金の節約以上に多くの利点があります。田舎に暮らすことので、家賃と食費の節約が可能になるわけです。<br> <br> 次に、健康。<br><br> 貧乏をしていても、心身が元気なら、日々小さな喜びもあって幸せに生きられるのですが、健康を損なうと、出費が大きくなると同時に収入のための労働は停止してしまい、かなり生活が困窮します。アメリカでは、貧乏だと高額な医療保険には加入できないため、ややこしい病気になって病院にかかると、破産に直結します。つまり、医療の最先端のアメリカにいながら、発展途上国の国民よりも医療を受けられるチャンスは少ないわけです。こんな状況で健康を維持するには、自力で予防と健康増進に勤めるしか手段はありません。そのためには、健康に関する知識や情報を収集し、健康管理は完全に自己責任で行う覚悟をしなくてはなりません。<br><br> そうなると、自ずと食生活、運動と休息のバランス、ストレスのマネージメント、飲酒や喫煙などの健康リスクの高い生活習慣のコントロールなども自分で行うこととなります。貧乏のおかげで医療を使えないという崖っぷちに立たされるため、自己管理能力が著しく高まるというわけです。自己管理能力。これは、なかなか一朝一夕で身につくものではなく、お金では手に入らない能力ですから、貧乏のおかげで貴重な財産を手に入れることになるわけです。外傷の応急処置の方法、薬草の活用、基本的なマッサージや整体なども度家庭でできるように、少しずつ知識と技術を蓄積することになるので、治療もある程度まで自給自足できるようになります。<br><br> 医療にかかれないような状況は、悲惨とお感じになるかも知れませんが、150年ほど前には、ほとんどみんなが健康管理は自己責任で行っていたわけです。おそらく当時は、怪我をしたり病気になったら死ぬかも知れないという覚悟をして、日々生きていたと思われます。いつか必ずやってくる死を意識しながら、今日の生のありがたさを感じ、日々を大切に生きることは、決して惨めな状態ではありません。むしろ、そのような覚悟があってこそ、本当の意味で日々の経験を楽しみながら、今生きている幸せを感じることができるのではないでしょうか。<br><br> </p>
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2020-02-21T23:38:28-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
貧乏は怖くない!貧乏転じて福となす(1)
<p><br> 学生時代は、家賃と学費以外の生活費は全てバイトで稼がないと食っていけないというド貧乏。 物価の高い東京で、風呂なしトイレ共同の6畳一間のアパートを借り、風呂賃のない時には、外の水撒き用のホースで行水をし、食費が足りない時は、学食で「今日の定食」のサンプルを盗み食いしたりしていました。<br><br> アメリカに来てからも貧乏は続き、今年で貧乏歴30年。大学卒業以来、月々の収支を心配しないで生活できたのは、公務員待遇で大学病院の看護師として働いていた1年間のみ。今思えば、夢のように恵まれた生活でした。あとは文字通り「明日をも知れぬ」日雇いのような仕事と、ハープ奏者となってからも、やはり「明日をも知れぬ」フリーランスの音楽収入でなんとか生活をしてきました。そんな綱渡りしながら、3人の子供を育て、末っ子もめでたく就職し、ファーム暮らしをしながら、やりたい音楽をやりたいようにやり、こうやって30年も生き抜くことができたのは、奇跡のように感じます。<br><br> おそらく、アラフィフ同世代の平均収入からすれば、かなりの低所得者だとおもいますが、日々の人生経験という視点から見れば、豊かな生活をさせてもらっています。幸せかどうかと尋ねられれば、不平不満を言い始めたらキリはないけれど、幸せだと言えます。<br><br> 貧乏を経験したことのない方は、貧乏に恐怖を感じます。大都会での生活では、生活費が膨大で、お金がないと何も手に入りませんから、貧乏だけはしたくないと思うのは当然のことです。しかし、貧乏を恐れると、思い切った人生の転換も出来ないので、安定した収入のためにやりたくもない仕事を続けたり、好きでもない相手のご機嫌を伺ったり、信念にそぐわない仕事を引き受けたりすることになります。そういうストレスを日々抱えていると、なかなか幸せを感じることはできないし、それが蓄積すると心身を病んでしまい、ますます幸せから遠ざかってしまいます。<br><br> しかし、大人になってから30年も貧乏を通常運転として経験すると、貧乏を恐れるということはなくなります。経済的に多少の不便さを感じることはあるものの、ちょっとしたまとまった収入があった時などには、普段とのギャップでむしろ無邪気に喜べるので、それなりの幸せもあります。<br><br> 一度どん底を経験すると、それより少しでもマシな状態であれば、それをありがたいと感じられますから、貧乏でも感謝の念を忘れないで生きられます。もちろん、どん底には戻りたくないという思いはありますが、そこに落ちてもなんとか生きていけるという自信があるので、人生においてリスクを伴う冒険もできるのです。「若い時の苦労は買ってでもしろ」とよく言われますが、まさにその通り。20代〜30代の皆さんには、貧乏覚悟で夢を追ってもらいたいと思います。若い時には無茶できる体力もありますから、貧乏生活のチャレンジも、案外と楽しめるものです。<br><br> 厳しい自然環境の中で生活するのも、貧乏への耐性を鍛えるには良い経験です。そこでは、雨風をしのげる家屋、蛇口をひねるとでてくる水とお湯、柔らかい布団、電気やインターネットなどが普通に使える状況など、現代生活では最低限のものが揃っているだけでも、結構幸せを感じられるます。しかも、お金なしで手に入る豊かな自然の恵みに囲まれていますから、こういう環境で生活していると、物欲が少なくなって、金をかけない幸せを見出す機会が多くなります。<br><br> とは言いながらも、貧乏をお勧めする気はありません。貧乏と金持ちのどちらがいいかといえば、もちろん、金持ちの方が良いに決まっています。金があれば、何をするにもたくさんの選択肢がありますから、賢いお金の使い方ができれば、それだけ豊かな人生を送ることができます。しかし、貧乏だと、数少ない選択肢の中で創意工夫をして望むものを手に入れなくてはなりませんから、何をするにも苦労が伴う上に、必ず望みのものが手に入るとも限りません。この貧乏の大変さに押し潰されてしまうと、不安と自己否定で鬱になります。そうならないためには、貧乏の大変さの中で得られるものに喜びを見出さなくてはなりません。<br><br> この記事では、貧乏エキスパートとしての視点から、貧乏であることを転じて福となす生き方を考えたいと思います。<br><br> まずは、貧乏であることの何が問題なのかを考えてみます。<br><br> お金がないと、社会で流通している物品やサービスを受け取ることができなくなります。つまり、貧乏であれば、それだけ手に入る物品や利用できるサービスが少なくなり、生活に困窮することになります。<br><br> こう考えると、実は、お金がないこと自体が問題ではなく、社会生活のなかで物品やサービスに支払う手段がないことが問題となって、困窮するわけです。ここに、貧乏でありながらも豊かに生きられる可能性の糸口があります。つまり、物品やサービスをお金を介さない方法で入手できれば、大部分の困窮からは免れることが可能になります。<br><br> では、お金なしで物品やサービスを手にいれる具体的な方法を考えていきましょう。<br><br> (次回につづく)</p>
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2020-02-16T09:18:57-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
新型コロナウイルス感染症への対応ガイド
<p>感染症研究の専門家のドクターをされている先輩から、新型コロナウイルス感染症への対応ガイドのリンクを教えていただきました。日本環境感染学会から出された院内感染予防のためのガイドラインですので、現時点のデータから出されうるものとしては最も信頼性の高い情報ソースだと思います。</p><p>専門用語もあり、少し読みにくいかもしれませんが、一般の方にもある程度理解できる内容だと思いますので、印象論に基づく不必要な不安や風評に惑わされないためにも、ご一読いただく価値はあるかと思い、シェアさせていただきました。</p><p> </p><p><a href="http://www.kankyokansen.org/uploads/uploads/files/jsipc/COVID-19_taioguide1.pdf" target="_blank">http://www.kankyokansen.org/uploads/uploads/files/jsipc/COVID-19_taioguide1.pdf</a></p><p> </p>
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2020-02-15T19:33:11-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
新たな資源としてのサイバー空間のリスク(2)
<p> </p><p> 生身の生き物としての人間には、動物としての体臭もあれば、それぞれに話し方、振る舞い、表情、顔つき、体つきなどに個性があり、そういう肉体からにじみ出る印象全体によって全人間的なコミュニケーションが成立しています。アメリアのような多種多様な人種、文化、思想、信条のが混じり合っている環境で生活していると、顔つきが気に入らない、わきが臭い、口が臭い、話し方が鼻につく、立ち居振る舞いが好きじゃないといったような表面的な好き/嫌いの反応を乗り越え、本質的な深い部分での人間関係を結ぼうとする相互努力が、人種や文化、生育環境などの表面的な違いを越えた真の意味での同胞愛や信頼関係を産むためには不可欠であることを痛感させられます。</p><p> しかし、サイバー空間でのつきあいでは、顔つき、体つき、話し方、声、立ち居振る舞い、表情、体臭、その人から漂う雰囲気などは排除されていますから、ある意味、より純粋な心の交流を妨げる要素は少ないと言えるかもしれません。しかし、遺伝的につながっている最も近い個体同士であるお父さんを「加齢臭」で毛嫌いをしたり、親子間でのを日常のやりとりをうっとうしいと感じる状態がさほど異常とも感じられないような社会状況にあって、サイバー空間で人種や文化の異なる数多くの人間とのグローバルなつながりが広がったとしても、それを本当のつながりと呼べるのでしょうか?</p><p> 家族同士では、始終お互いに動物的な部分から知性的な部分までをさらけ出して一緒に暮らしているため、その中でお互いを尊重できる関係を築くことは、決して簡単ではありません。イタリア人との最初の結婚では、考え方の違い、文化の違いの壁を乗り越えることができず、結局離婚することになってしまいましたから、この難しさは身を持って経験しております。このように、努力が実らず結果として失敗に終わったとしても、そのような生身の人間同士のつきあいの中で快・不快の両方を経験しながら人間関係のスキルを磨くことは、社会的動物である人間が生き抜くために課せられた必須課題であり、試行錯誤から学ぶことで少しずつ人間としての器量が上がってきます。</p><p> 生活スペースを共有していると、朝起きたばかりの息や汗をかいたあとのワキの臭さは我慢がならないかもしれないし、トイレの使い方が気に入らない、態度が気に食わない、立ち居振る舞いがいちいち鼻につく、イビキがうるさいなど、お互いに不快に感じることは際限なくはあるでしょう。家庭という場は、そのような生身の人間としての有様を拒絶することなく、人間の自然なあり方のバリエーションとしてお互いを受け入れ、そのような表面的な違いを超えてお互いへの愛を実践する努力を学ぶ場であります。子供達が家族に対してそのような愛を自然と実践することができるようになるには、両親の結婚関係においても、そのような努力がなくては話になりません。自分の離婚の経験を正当化するわけではありませんが、夫婦間でお互いを尊重する方向で努力するという目的を共有できない場合には、家庭を継続することは非常に難しいと思います。キリストが「まず隣人を愛しなさい」と説かれたように、同じ家に暮らす血の繋がった家族こそが、最も自然に愛を実践しやすい対象なはずです。しかし、親子や家族同士の間ですらお互いへの愛情を育めないとしたら、どれだけサイバー空間でグローバルなつながりが広がったとしても、他の民族や他の生き物達と調和のもとに暮らせる望みなどは、全くないと思えるのです。</p><p> サイバー空間という資源によってもたらされた便利さによって、仕事の効率が圧倒的に上がり、家族や友人とのリアルな人間同士の付き合いのために使える時間が増加したのであれば、人類はこの新しい資源を上手に活用していると言えるでしょう。しかし、現状では、リアルな人間同士の付き合いの機会にも、スマートフォンでメールや意思疎通のやり取りをしなくてはならない状況が多くなり、全体としてはサイバー空間でのつながりを広げるためにリアルなつながりが犠牲にされているように感じられます。家族間での人間関係などには目もくれず、友人やサイバー空間上でのつながりに多くのエネルギーを割く子供達が増え、もしかしたらその親たちも、そうなってきているのかもしれません。携帯電話やスマートフォンの普及で、オフィスや自宅にいなくてもコミュニケーションが可能となり、便利さが増した一方で、町を歩いているとき、電車に乗っている時、買い物をしているときなどに経験できる一期一会の不特定多数の人間同士のつながりは、むしろ稀薄になっているように感じます。このような日常生活で偶発的に出会う相手との短いやり取りや人間同士のふれあいも、社会にとっては不可欠な大切な要素だと思うのですが…。</p><p> たとえ、サイバー空間でグローバルなつながりが無限に広がったとしても、それが生身の人間同士での「愛」を実践するために必要な人的資質に取って代わり、世界に調和と平和を生み出していく原動力となるとは到底考えられません。サイバー空間での世界で活発に世界平和を唱えながら、日常生活で空間と時間を共有する隣人との人間関係を大切に感じることできないのであれば、それは偽善的、独善的な自己満足にすぎません。</p><p> 今後、ますますサイバー空間の活用が広がってゆく中、少し立ち止まり、この新しい資源とどのように付き合ってゆくかを考える必要があると思います。</p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6235093
2020-02-12T07:27:39-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
新たな資源としてのサイバー空間のリスク(1)
<p><br> インターネットによるサイバー空間では、実生活では直接出会う可能性のほとんどない相手と接触でき、物理的に実際に出会ってつながることのできる限界をはるかに上回る人数と情報交換や意思疎通が可能になります。この空間で生み出される人と人とのリンクは、無限の広がりを続けています。<br><br> 外国にいながら日本の友人や知人、価値観を共有できる同胞とソーシャルネットワークを通じてつながれることで、祖国とのつながりや、同じ問題意識を持って生きている同志の存在を身近に感じることが可能になりました。また、その中で、このように自分の思想や見解などを不特定多数の方に発信することで、問題意識を深め、表現力を磨くきっかけにもなっています。<br><br> インターネットは、発信のツールとしても、情報収集のツールとしても非常に強力です。学生時代には、図書館や本屋に足を運んで時間をかけて探していた情報が、今はインターネットのコネクションさえあれば、どこにいてもすぐに閲覧できるのですから、ほとんど無限に近い量の知識にいつでもどこでも触れることもできるようになりました(情報統制下にある国家では事情は異なりますが..)。また、コンサートなどの情報発信も、紙媒体を使わずにあっという間に世界配信できるというのは、恐るべき便利さです。<br><br> このように、インターネットによるサイバー空間の広がりが生活を豊かにしてくれていることは疑いようもなく、社会のあり方も、そこに大きく依存するようにシフトしています。そこには、無限の可能性が期待されて当然ですが、これまでに人類が経験していない新しい「資源」としてのサイバー空間に依存することで起こり得るリスクについても、考える必要があると思います。<br><br> 歴史を振り返ると、これまで人類が文明の発達に従い活用を可能にして来た資源、例えば電気、化石燃料、化学薬品、核エネルギー、遺伝子工学、電磁波、電波、宇宙空間などは、発明・発見された時には人類にとって有益な側面が強調され、その後も際限なくその活用が拡大されてきました。しかし、それらの資源の活用が濫用に転じ、人類にとっての悪影響が看過できないほど深刻になっている現状においても、すでに人類の生存がそれらに過度に依存する形態に変化してしまったために、悪を知りつつも止められないという抜き差しならない状況に陥っています。化石燃料の燃焼による大気の汚染や、二酸化炭素やメタンなどグリーンハウス・ガスの問題、生活のあらゆるところに不用意に濫用されている化学薬品によるあらゆる生命体への健康被害、原子力発電所の事故や核兵器による大量破壊の脅威、遺伝子組み換え食物による健康被害や生態系への悪影響、電磁波の健康への影響など、例を挙げるときりがない程で、まさにこの方向で不気味な無限の広がりを見せています。<br><br> サイバー空間という新しい資源への期待と希望を持つ一方で、人類は新しい資源の活用においては、その貪欲さからか、避け難く濫用に陥ってしまう危険性をはらんでいるということ忘れてはならないと思います。<br><br> 若い世代の皆さんと時間を過ごしていると、こちらが何か話している時にもスマートフォンでのやり取り、あるいは何らかの情報処理をしているのがとても気になります。正直に申せば、手のひらの機械とのやり取りの方が目の前の相手とのやりとりよりも大切なのかと、寂しくなります。若い友達同士で同じテーブルに座っていながら、お互いを無視しスマートフォンでのやり取りに熱中している光景にも、ごく当たり前に遭遇します。おそらく、彼らにとってのサイバー空間でのつながりの重要性は、自分の世代とは比べ物にならないくらい大きなものなんだろうと思います。<br> 30代後半でコンピュータ、40代でネットワーク、2年ほど前にようやくスマートフォン・デビューした自分にとっては、今後もサイバー空間が人とのつながりのメインの場になるということはあり得ないと思います。というのも、これまでの人生のほとんどがサイバー空間という資源のない生活でしたから、この新しい資源には通常の人間関係の補強という補助的役割しか与えることはできないと感じるからです。しかし、物心ついたころからインターネット、Eメール、ソーシャルネットワーク、スマートフォンが当たり前のように存在している環境で育つ若い世代では、事情が異なってくることでしょう。もしかしたら、サイバー空間でのつながりが実生活でのリアルな人間同士のつながりと同等、あるいはそれ以上に感じられるようになるのかもしれません。<br> しかし、サイバー空間での付き合いに時間とエネルギーを割く一方で、両親を「うざい、ダサイ、臭い」と毛嫌いし、まともに話をするのもタルイ、洗濯物を一緒にするのもイヤ、一緒に出かけるなんてあり得ないという感覚を当たり前と感じているのであれば、それは人間関係において病的な状況に陥っていると言えるのではないでしょうか?以前、中学生を対象に講演をした時に、それとなく子供達に「お父さんのことをこんな風に毛嫌いしてるんじゃないか?」と尋ねたところ、かなりの割合の子供が否定しなかったのは、正直ショックでした。加齢臭という、昔は存在しなかったものが最近はとやかく言われるようになり、家族を毛嫌いする正当な理由として不当に利用されているようにも感じます。<br> このような風潮は、子供の責任ではなく、その土壌をつくった大人の責任です。子育てに関わっている世代の皆さんには、家族同士の自然な交流がごく当たり前に行われる家庭環境を整ることを目指してもらいたいものです。しかし、一つ屋根の下に暮らす家族の中でも、それぞれが個別のサイバー空間での人間関係に割く時間はますます増加してゆくことでしょうから、家庭で現実の空間を共有していても、親密な感情の交流を維持することすら難しくなってくるのではないかと危惧しております。</p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6235094
2020-02-06T09:23:05-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
世界の大きな流れの中での個人のありかた
<p><br> ニュースを見れば、環境破壊、資源の浪費、貧富の格差、食品安全性の問題、医療の進歩にも関わらず次々と現れてくる新手の健康問題、世界各地での独裁的な指導者の横暴、紛争、戦闘、民族弾圧、テロ、大小様々な犯罪などなど、毎日、気持ちを暗くさせられる記事が溢れています。政治においては、金と経済が至上の価値観であるかのごとくに崇められ、精神性や人徳、正義は軽視され、ジャーナリズムにおいては「言論の自由」の名の下に玉石混合の様々な思想や見解、真偽がごちゃまぜとなって説得力を持って語られ、情報は氾濫し、人類の置かれた現状を公正に判断しようにも、一体何が正しいことなのかがさっぱりわからない。<br><br> こういう苛立ちを感じることはありませんか? <br><br> そんな中でも、個人としてできることを真剣に考え、博愛と慈愛の理念を大切にし、お金よりも精神性を優先させ、自己にとって環境にとっても健康的なライフスタイルを実践しながら日々一生懸命に生きようとしている方は少なくありません。それにも関わらず、世界全体を見ると、ますます望ましくない方向への流れが強まっているようです。<br><br> 様々な社会問題を深く考えれば、そこでその時代に生きている自分にも責任の一端があることは明白で、当事者として行動を起こさなくてはならないと思うのですが、怒涛のごとく流れる大河のような世界において、個人などというちっぽけな存在は、一粒の水滴にすぎません。自分にできることなど、全体には何も影響を与えないという絶望感。どのように生きてみたところで、結局のところ、最悪の独裁者や利己主義者の連中と同じところに流れ着く運命なのではないか?それだったら、ストイックに良心に従って善を目指して生きるよりは、問題には目をつぶり、目先の快楽を求めて放埓に面白おかしく生きる方が得なのではないか?<br><br> 実際には、独裁者ほどの悪徳に染まることはないとしても、「まあ、今日明日は急にどうということもないだろう。そのうち誰かがなんとかしてくれるんじゃないかな」という怠惰な希望を胸に、自分は何もしないままに無責任に日々を過ごしてしまっているうちに老齢となり、「自分はもうすぐ死ぬから関係ないや」と結局最後まで何もしないままに死んでしまうという消極的な悪を犯す可能性は大いにあります。<br><br> このような状況の中では、世の中の劇的な変化を期待してしまいます。例えば、圧倒的なカリスマ性を備えた天才的なリーダーの出現、自然災害や宇宙人来襲などの外圧によって人類全体が生存をかけて団結しなくてはならない状況、あるいは、戦争によって現在の社会の仕組みが全てがぶち壊され、人類が新たな出発をするという自虐的なリセットのシナリオなどなど…。実際に、このような他力本願のシナリオを強化してしまうストーリーの小説や映画もたくさんあります。<br><br> このように、破壊的で劇的な手段でも構わないから、とにかくこの逼塞感を打破してもらいたいと望む空気が強くなっている結果として、世界各地でトランプ氏、ドゥテルテ氏、プーチン氏、周氏のような従来のルール無視で独善的に物事を推し進めるリーダーが出現しているのかもしれません。もし、世界的にこの空気が強まっているとしたら、この流れはこのままどんどんと進み、やがては紛争や戦争の時代へと突入して行くことも考えられます。<br><br> しかし、たとえ人類の大きな流れが自己破壊に向かっているとしても、やはり、個人としてできる範囲でいろんな経験を積み、知り、感じ、考え、自らの良心に従って正しいと思える行動をすることをやめてしまったら、生きている意味がなくなってしまうと思えるのです。<br><br> 皮肉なことに、全体を考えて努力をすればするほど、大きな世界の流れに対する個人の無力を痛感させられます。しかし、その一方で、直接関わっている仕事や人間関係などの小さな世界では、個の存在が何らかの形で意義を生み出していることは疑いようもなく、一滴の水滴も小さなスケールでは決して無力ではないことを実感できます。一生懸命に自己を磨き、高い理念を実行し、自分の関わる小さな「世界」をより良い場所へと作り変える努力をすることで、隣人や家族との間に同じような意思が共有されるようになり、それがより大きな世界へと広がってゆく。そして、この連鎖の中で、知らず知らずのうちに、世界全体でも変化が顕れてくるかもしれません。芸術家ならではの「お花畑」の甘っちょろい考え方かもしれませんが、このような希望の力を信じる能天気さがなかったら、芸術などとういう抽象的なものに人生をかけて取り組むことなどできません。<br><br> 多くの人類が平和を実現するための生き方を実践したとしても、人類が世界大戦に突入し、核兵器や化学兵器を含む恐ろしい破壊兵器で無惨に殺し合い、多くの人々(もちろん、そこには自分も含まれているかもしれません)が死に、多くの都市が壊滅することになるかもしれません。そうなったとしても、やはり、その時に悔いなく死ねるためには、全体がどこに流れていようとも一粒の水滴として自己の信念にもとづいて生きつづけることが大切だと考えています。仮に、戦争という狂気が、種としての人類の個体数の増減の周期で起きるように設定されている不可避の本能的な自己破壊行動なら、それもまた自然の摂理。そこで起こる苦悩は、受け入れるより仕方がありません。<br><br> 仮に戦争によって人類が壊滅の危機に襲われたとしても、まだ希望は残っていると思います。数年前、アメリカ人の妻と広島を訪れた時に、原爆による焼け野原から見事に蘇った近代都市広島の姿を見て、原爆を落とした側の国民、落とされた側の国民というの立場の違いを超えて、人類と地球の生物たちの力強い生命力に深い感動を覚えました。もし、人類が自己破壊的なプロセスを選択し、世界中の多くの都市がかつての広島のような姿になってしまうとしても、人類は力強く生存を続け、新しい道で進歩を遂げて再び繁栄することでしょう。</p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6235095
2020-02-04T09:32:33-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
ハイテク時代に生きる未開人
<p>ハイテク時代に生きる未開人<br><br> アメリカでファームを始めて以来、布、糸、針、材木、ねじや釘、金づち、ノコギリ、シャベル、鍋釜、刃物、物差し、マッチなどのちょっとした道具や資材の有り難さを身にしみて感じるようになりました。これらのものが製品として売られていなかったら、ファームはおろか、最低限のサバイバルもお手上げです。それほどに有益で重要なものであるなら、本来非常に高価であってしかるべきだと思えるのですが、ありがたいことに、実際には非常に安く売られています。そのおかげで、これらの資材や道具を使っていろいろな物を作ることで、お金を節約しながらDIY能力を向上させていただいております。<br><br> ハイテク時代に生きる文明人は、文明化する前の祖先や自然に近い生活をしている少数民族などを「未開人」と見下す傾向があります。しかし、彼らは、自然の中で生存のために必要な物を手に入れる術を知っていて、 布や針、糸、木材や建築素材、調理用の道具などを自分で作り、マッチを使わず火を起こすことができ、食料やその他生存に必要な物資を自分で調達することができます。それでは、「文明人」の自分はどうかと言うと、その無能さたるや、お恥ずかしい限りです。道具と素材が与えられれば、それなりに何かをしたり作ったりすることができますが、道具や素材を自分で作ることが出来ないばかりか、どうやってそれらが作られているのかさえも知りません。もし、突然「未開人」の部族の中で生活することになったら、あまりの無知ぶりに、彼らは「あんた、本当に何も知らないんだなあ!どんだけ未開なところに住んでたの?」と驚くに違いありません。<br><br> 生存する上で必要な資源や道具に関してここまで無知でいられるのは、現代社会では、どこかで誰かがそれらを作ってくれていて、お金さえ払えば、それらを手に入れられることが保証されているからです。このような共同体での分業は、社会全体の生産性を高めるため、種の生存にとって非常に効果的な手段なのですが、現代社会では、業務分業が極度に細分化/複雑化されているために、多くの社会構成員が、自分の職業に関わること以外はほとんど何も知らないという有様になってしまいました。<br><br> このことは、人類が複雑な仕組みで膨大な数の個体を一つの有機体のように統合し、非常に強力な相互依存の状態を維持しながら生存していることを意味しています。そのため、それぞれの個体が社会から独立し、「未開人」のように逞しく生存する能力はかなり退化してしまいました。<br> <br> 現代の人類のように社会のなかでの相互依存度の大きな種は、多くの野生動物のように個体の独立した生存能力が高い種に比べて、社会の存続を脅かすような環境の変化(例えば大規模な気候変動など)への適応力が低くなっています。皮肉なことに、人類は、自分達の生存をより堅固にするために形成した社会とテクノロジーを過剰に発達させることで、それなくしては個々が生きていけないという、生物の個としての生存という観点からみると、非常に危なっかしい状態に自らを追い込んでしまったようです。<br><br> 自分の関わっていないことに関して無知であると、自分の関わっていることが社会全体のなかでどのような相互作用を生み出しているかに関しても無頓着になります。また、流通によって必要な物品やサービスを手に入れる方法を知ってさえいれば、それらに関して深く知る必要もありませんから、それらの元となっている資源の消費やそれらが生み出されるプロセスが、社会全体や環境にどのような影響を与えているかを意識することもありません。そうなると、「物品やサービスはいつでもどこでも安く簡単に手に入ることが一番良い」という消費者目線の価値観に支配されることになり、環境破壊や資源の浪費、人権を無視した覇権による安い労働力の調達などが横行する一方で、社会全体には過剰供給と過剰の便利さが蔓延し、ますます無知が進行することになります。<br><br> 人類が高度な文明を謳歌する時代ですが、日々の生活のなかで当たり前のことを当たり前だと思わず、少し立ち止まって、その本当の価値を問い直してみることは大切だと思います。現代の価値感を冷静に見つめ直し、大切な物の優先順位をつけ間違ってはいないかどうか自分なりに検証し、個人としての生き方を、できるところから少しずつ修正してゆくことで、人類全体としてもこの危なっかしい状態から少しずつ脱却できることを期待しています。<br><br> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6235096
2020-01-29T17:41:48-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
KoMaGa Trio Live - 1 "Foxing Hour"
<p>現在、このトリオでCDを製作中です。フレットレスベースのレジェンド、マイケル・マンリングと、タブラ&パーカッションのエキスパートで、フランク・ザッパ・バンドのメンバーとザッパの音楽を演奏するグループでもドラムを担当するクリス・ガルシア。このユニークなメンバーで繰り出すトリオの世界観は、他のバンドでは表現不可能だと自負しています。</p><p>Foxing Hourは、古佐小のオリジナル曲で、森で狐が姿を見せる早朝と夕方の時間帯の神秘的な雰囲気と、狐の持つ独特な浮世離れした雰囲気を意識して作曲されました。</p><p>この演奏は、バンドのデビューコンサートの第1曲目。マイケル・マンリングの生み出す不思議なベースのサウンドをお楽しみください。</p><p> </p><p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="342" src="https://www.youtube.com/embed/LPkj_0do9Ok" width="608"></iframe></p><p> </p><p> </p>
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tag:harpmusician.com,2005:Post/6235097
2020-01-28T13:09:58-08:00
2020-03-02T17:06:58-08:00
貧困と恥じ:音楽家の目から見たアメリカ社会の富の配分についての一考
<p>貧困と恥じ:音楽家の目から見たアメリカ社会の富の配分についての一考<br><br> 毎日の生活に追われていると、時折、貧困を恥ずべきことだと思ってしまいます。しかし、本当に、貧困は恥ずべきことなのでしょうか?<br><br> 音楽家として生きて行く道を選択した初期には、音楽をビジネスと考え、自己啓発やマーケティング、ミュージック・ビジネスなどの方法論を学んで実践した時期もありました。アメリカで開発された自己啓発的なメソッドでは、「自分が本当にやりたいと望むことをやれば、お金は後からついてくる」とか、「収入は自分が社会に提供しているものの価値に比例する」というようなフレーズを耳にします。自分も、このことをある程度このことを信じて、一生懸命いろんな形で音楽サービスを提供することを試みたのですが、結局のところ、お金を目的にするとマーケットに寄り添う形となりやりたいことが出来ず、逆にやりたいことを優先させるとなかなかお金にならないという矛盾に苦しむことになりました。<br><br> 例えば、大きな企業や政治団体などのパーティーで演奏すると、かなりのギャラがもらえます。そのかわり、ほとんど誰も演奏を聴いていませんから、やりがいは全くない。以前、某リベラル政党のパーティーで2時間ほどバンドで演奏したことがありました。規定の演奏時間が終わりイベント担当者に「約束の時間が来たので、ギャラを下さい」と言ったところ、彼はバンドが演奏していた2時間の間すっとおしゃべりに夢中だったらしく、「お前ら、本当に演奏してたのか?気がつかなかったけど..」と言われ、半ばいぶかしげにギャラを渡されたことがありました。その反対に、ほとんどチップだけしか収入が見込めないようなライブでは、本当に一生懸命に演奏を聴いて感動してくれる方にたくさん巡り会えます。しかし、このようなライブをたくさんこなしていては、経済的に疲弊してしまいます。<br><br> この種の話は日常茶飯事で、音楽家仲間の間では、音楽を聴く気がないクライエントほど、高いギャラをくれるという経験則を皮肉って「ミュージシャンの方程式」と呼ばれています。このように、しばらく音楽家をやっていると、提供している音楽の芸術としての有用性と、それによって稼げる金額は連動していないことが経験的に明らかになってきます。<br><br> なぜ、芸術家として質の高いサービスを提供しても、自分のところにお金が来ないのか?<br><br> なぜ、一所懸命働いているのに、必要な時に必要なものが買えないほどの貧困を味わうことになるのか?<br><br> 自己啓発のメソッドに従えば、自分のサービスにそれだけの社会的価値しかないからだということにもなります。医療保険もない、壊れた車修理に出せない、次の家賃もままならない、電話も止められるというような経済的に切迫した状態で、貧困=社会的に役に立っていない=自分には存在意義がない、という一見合理的に見えなくもない考えにはまってしまうと、自殺などという考えまでが頭をよぎるようになります。<br><br> しかし、「収入は自分が社会に提供しているものの価値に比例する」という考え自体が間違っているとしたらどうでしょう。<br><br> 世の中には、収入につながらないけれども価値のあるものがたくさんあり、むしろ、本当に人間を幸せにするもののほとんどは、値段のつけられないものであることに改めて気づく必要があります。例えば、友情や隣人同士の思いやり、家族愛、自然や芸術の美しさへの感動、正しい行いをする喜び、真理の探究など、お金がある無しに関わらず万人に平等に開かれている幸せがあり、お金を介さずにそれらに直接歩み寄ることで、貧困の中にも幸せを感じられます。貧困であっても、幸せを実感できるのであれば、多少のお金を稼ぐために不本意な競争をしたり、自分を大きく見せる努力をしたりすることでストレスや不安を抱え、不幸せになっているよりは良いのではないでしょうか。<br><br> そもそも、現代のアメリカ社会において、提供したサービスに対して正統な対価が支払われる仕組みが機能しているのかということにも、疑問を持つべきです。自分だけでなく、ほとんどみんなが生活に困っていて、生活必需品を得ることに精一杯で、芸術に使えるお金などないのではないか、と。<br><br> アメリカは、国民が平等の権利を持つ自由の国というイメージがありますが、少し調べてみると、富の分配に関しては、近年貧富の差がものすごいことになっていることが分かります。<br><br> ここで少し具体的な数字を紹介します。<br><br> アメリカ全体の富の40%を、人口の1%=最富裕層が所有しています。残りの60%の富を仲良く残りの99%の人達で分け合えているかと言うと、全くそんなことはなくて、上から2割の富裕層で、全体の93%の富を所有しています。つまり、自分も含めた残りの80%の人々で、全体の富の7%を自由競争により奪い合っている状況になっているのです。アメリカという国自体が裕福な国なので、わずか7%の富を8割の国民で分け合っていても、なんとか庶民の生活は回っていますが、国富がもっと小さな普通の国なら、このような富の再分配の不平等があると、餓死者が出て暴動が起こるような事態になっても不思議はないでしょう。世界第一の先進国を誇っているアメリカですが、この貧富の差は、発展途上国的並みのひどい状況といっても過言ではありません。<br><br> 人口の1/6が貧困層としてフード・スタンプと言われる食料の補助を行政(税金!)から受けています。失業者と普通に仕事をしていても貧困に苦しむ人が6人に1人の割合でいるのです!なるほど、生活必需品でないサービスを提供している芸術家が生活に苦しんでいることには、何の不思議もないわけです。<br><br> 経済学は専門ではないので、自分の解釈には間違いがあるかもしれませんが、もともとは、トリクルダウンという理論により、富裕層から富が貧乏人にまで行き渡ることを期待して、レーガン政権下において富裕層の減税や金融経済の自由化が行われたそうです。しかし、その期待とは裏腹に、貧富の格差が拡大し、トップ1%の富裕層がすべての株式やファンドの50%を所有する状態にまでなり、投資も国内ではなく新興国に流れ、お金は上に吸い上げられたまま下に落ちてこなくなり、政府財政も悪化しさらにFRBから借金をすることでますます金持ちを富ませ、国民の税金はFRBへの借金返済に吸い込まれ、貧富の差はますます広がりつづけているようです。<br><br> プライベートイベントでの演奏の仕事を受けて、医師や政治家、実業家など、お金持ちのお宅に出入りする機会があると、その度に、彼らと自分の物質的な生活レベルの違いに驚かされます。日本で見られる貧富の差とは比べ物になりません。一番凄いお宅には、自宅に30人くらい座れる映写室(ミニ映画館)がありました。以前は、そうやって、破格のお金持ちが音楽家を雇ってお金を使い、トリクルダウンで音楽家に富を分配してくれていた富裕層がいたことも確かですが、2008年のリーマンショック以降、コーポレートイベントやプライベートイベントの仕事が激減し、富のしずくが下の方まで降りてこなくなったという印象を持っています。現在、アメリカ経済は好調と言われていますが、音楽ビジネスにおいては以前ほどの賑わいを感じませんから、この傾向は継続しているのかもしれません。<br><br> 国の富の7%を人口の80%の間で競争によって分配する社会に暮らしていて、貧困を恥と感じることはナンセンスだと理解していますが、習慣とは恐ろしもので、冷静さを失って自分の経済状態を眺めたときに恥の気持を感じることもあります。<br><br> アメリカでは、ある人物に200億円の収入がある場合に、しばしば「彼には200億円の価値がある/He is worth 200 million dollars.」という表現が用いられます。この感覚で言うならば、多くの未だ無名の真摯な芸術家には、数万円の価値しかないことになります。このような、字義的に「人間の価値=収入額」ということを連想させる表現が普通に使われる社会においては、貧困を恥じと感じてしまうのも無理のないことかもしれません。このような表現が用いられる背景には、「人間の価値=収入を生む能力」という行き過ぎた資本主義的な人間観があるのでしょう。<br><br> これだけ大勢の国民が貧困であるということは、物質的に見ると悲惨なことなのですが、このような状況で、多くの国民が物質的なものに依存することなく本当の幸せを感じられるライフスタイルを見出すことができたら、多量消費による環境問題などの危機が叫ばれている現代社会にとっては、そこから脱却するための新しい方向性を見出せるきっかけとなるかもしれません<br><br> 戦後、日本では何でもかんでもアメリカの方が優れているという前提で、アメリカの方法論を学ぶという空気が支配的だったと思います。 アメリカの音楽に憧れ、現在もアメリカでジャズミュージシャンとして暮らしている立場としては、この点に関しては偉そうなことは言えないのですが...。しかし、納税者としてアメリカ社会で暮らし、子育ても含めいろんな形で社会に関わってみると、明らかにすべての側面で歪みと無理が生じ、理想的な共同体ではなく、かなり病的な共同体になっていることが分かります。アメリカ人の70%が他人を信用していないという統計も目にしたことがあります。過度の競争社会の結果、社会構成員がお互いに対し疑心暗鬼になる傾向が強まったのでしょうか。<br><br> 日本人としては、アメリカに追従するのではなく、アメリカの失敗に学び、 共同体として2680年の実績を持つ日本流の社会のあり方の価値を再認識し、健全な発展を目指したいものです。</p>
harpmusician.com
tag:harpmusician.com,2005:Post/6235098
2020-01-05T12:37:10-08:00
2020-03-02T17:06:59-08:00
あけましておめでとうございます!
<p><span style="font-size:1em;">あけましておめでとうございます。</span></p><p> </p><div style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;"> 昨年も皆様のご支援に支えられ、これまでに取り組んできたソロ活動と様々な楽器とのデュオ・プロジェクトに加え、弦楽四重奏との共演、ハープ教育用のビデオコンテンツ制作、新しいトリオの結成など、新たな取り組みを実現させることができました。心より、御礼を申し上げます。<br><br> 音楽家は、聴き手の皆さんと音楽を共有する数分間を特別な時間とするために、その何千倍もの時間を孤独で地べたを這いずるような地味な作業に向けなくてはなりません。しかし、この一見労苦とも見える日々の作業の積み重ねも、作りあげた音楽が皆様の心に届き、そこで様々な内的体験へと開花する素晴らしさを考えると、報われて余りある喜びとなります。この喜びを与えてくれる聴き手の皆さんがいてくださるからこそ、音楽家は創作の厳しい道に向かい続けることができるのだと思っています。<br><br> 世界情勢は何かと剣呑な雰囲気となっておりますが、そんな状況でこそ、人にとって本当に大切なものに静かに気づかせてくれる印象を生み出せる芸術の力を信じ、これからも真摯に創作活動を続けていく所存でおります。</span></div><p><span style="font-size:1em;"> </span></p><div style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;"> 2020年は、9月中旬から11月中旬までの期間で全国各地で皆様にお会いできるよう、日本ツアーの準備を進めております。ツアーに関してのお問い合わせは、<a href="mailto:motoshi@harpmusician.com" style="color: #6DC6DD;font-weight: normal;text-decoration: underline;word-wrap: break-word !important;" target="_blank">motoshi@harpmusician.com</a>までご連絡ください。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。</span></div><div style="text-align: left;"> </div><div style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;"> 昨年より活動を開始したトリオ、KoMaGa Trioのビデオを新年のご挨拶代わりに掲載いたします。お楽しみいただけたら幸いです。</span></div><div style="text-align: left;">
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