(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(5)インフラはブラックボックスではなく知っておくべきもの

 道路、上下水道、家屋、電気、通信手段、交通手段などの様々なインフラ設備が複雑に絡み合った人工的な環境である都市。それは、大自然の前に見えない壁のように立ちはだかり、自然の脅威から人々の生活を守ってくれています。しかしこの壁は、同時に自然の恵みも遮断してしまうため、自然豊かな場所から数キロしか離れていない場所でも、街中にいると自然から遠く切り離されていると感じられます。

 田舎での生活といえど、現代文明の利器もふんだんに使いますから、かつての縄文人やアメリカ・インディアンほどには自然と密着した生活をすることはないのですが、都会での生活に比べれば、自然と人間を隔てる人工的な環境の壁が薄くなり、自然との距離感は近くなります。

 近代都市では、これらのインフラは都市生活者にとって、あって当たり前のもので、第二の自然環境と呼べるほどに生活に不可欠なものとなり、大災害などでインフラが崩壊しない限りは、普段そこに存在していることすらほとんど意識されることはありません。しかし、実際には、現代的なインフラの設置と維持/管理は、社会に蓄積された高度な知識と多大な資源、それに高度な技術を持つ労働力の投入があってはじめて可能になっています。このことは、田舎生活のなかで自らの手で身の回りのインフラ整備、例えば道路、雨水の排水路、ちょっとした雨よけの建物などを作ってみると痛感できます。インフラは、そこにあって当たり前のもの。この麻痺したような感覚は、天然資源が無尽蔵であるかのように野放図な浪費をする現代人のライフスタイルと、どこかで繋がっているように感じています。

 人里離れた田舎では、自然災害の脅威をまともに受ける危険性が高く、その度にインフラも危機にさらされます。しかし、家屋やその周辺設備の不具合に対応してすぐに飛んできてくれるサービス業者は充実していませんから、様々なインフラで起こる問題に自ら対処しなくてはならない場面が多くなります。そのため、身の回りのインフラを列挙し、どこにどのように敷設されていて、維持管理には何が必要であるかを一通り理解し、維持修繕に必要な資材をある程度蓄積しておく必要に迫られます。維持管理の作業まですべて自分でやれるようになるのは簡単ではありませんが、最低でも、インフラの概要を理解しておかないと、問題が発生した時に、その原因を診断することすら難しく、どの専門業者に何を相談すればよいのかすら分からないという、救いようのない状態に陥ってしまいます。

 必要にかられて、生活インフラの敷設、維持管理を自らの手で経験しているうちに、自分の専門分野(例えば、筆者にとっての音楽)では遭遇しないような種類のチャレンジに直面することで、幅広い問題に対応できる解決能力が鍛えられるという「ボーナス」がついてきます。これにより、専門分野だけに専念していたら見落としてしまいがちな人としての基礎的能力を向上させ、専門技術(ハープ演奏や作曲の技術)の向上にもつながりますから、音楽専門家として、大工仕事や土木工事に従事することは、非常に賢い時間と労力の投資になります。

 インフラ整備と聞くと、「自分にはムリ」と思われるかもしれませんが、自然に介入してより生存に適した環境に作り変えるという行為は、生来人間に与えられた本能的な環境適応能力の発現にすぎませんから、やり始めると自然とその本能にスイッチが入って、むしろ楽しくなってきます。

 このように、自宅での日常生活の範囲内で小さな身の回りのインフラに直接関わっていると、人間の生活に必要な物資、設備、環境とは何かを考える機会が多くなります。人間生活の基本的なニーズは、一家族が暮らすところでも、100万人が暮らす都市でも同じですから、経験を伴うこのような考察は、社会構成員として、社会の全体像を理解する上でも大いに役立ちます。政治家を目指すみなさんは、有名政治家の政治塾に入る前に、まずはこういう田舎生活を数年間経験してみるのも良いのではないでしょうか?

 

 

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