都会から田舎への移住に伴う意識改革(8)提案7:自分自身を知る

 

 都会生活に見切りをつけて田舎に移住する場合、注意しなくてはならない落とし穴は、住む場所を田舎に移すというだけでは、都会で感じていた欲求不満や憤懣が解消されないということです。おそらく、多くの方が「自分が都会の生活には合っていない」あるいは、「都会生活で経験する人間関係や生活上の制約などにうまく適応できない」という強い自己認識を経験し、田舎に住んでみようという決断に至るのだと思います。これは、自己知においては、大きな一歩ではあり、都会を離れるにあたっては非常に大きな努力をすることになりますが、これはほんの入り口にすぎません。移住すること自体に満足せずに、これまでの人生で知らず知らずに形成されてきた人格や反射的な思考パターン、これまでの生活環境で身についてしまっている行動パターンや習慣を知り、それらが自己の本質と乖離しているのか、あるいは近いものなのかを判断して、それらをできるだけ本質に沿うものへと自己改革する必要もあります。そうしないと、結局、都会でも不満を感じ、かといって田舎の生活もやっぱり物足りないということになってしまい、場所は変えてみたけれど、全く期待はずれだったということになりかねません。

 都会から田舎への移住は、「都会からの脱出」という側面と「田舎での新しい生活への挑戦」という両側面があることを覚悟することは大切です。そして、それは本当の意味で自分を深く知ろうとする努力への始まりでもあります

 「自分は一体何をしたいのか、よく分からない。」という感覚は、おそらく皆が人生のどこかのステージで経験することだと思います。仮に、人生における大きな理念と目標を見出すことができたとしても、日々の生活の中で小さな決断を下す際には、目先の利害や一時的な感情に流され、理念とは全く反する判断や言動をしてしまうことも稀ではありません。本当に自分が何をしたいのかを知り、そこからブレない確固たる自己を持つということは、それほど簡単なことではありません。

 自分自身を知るためには、自らの感覚と感性を用いて、自己観察を続けるしか方法がありません。カウンセラー的な第三者からのアドバイスや、占星術、数秘術、前世占いなどで示唆されることを参考にすることもできますが、それらはあくまでも補助的な自己知への手段にすぎません。直接に自分自身を知ることのできるチャンネルは、自分自身の内部で機能している感性と感覚しかありません。
 
 「古佐小基史」と名のついた人体と48年も一緒に暮らし、特に大きな不都合もなく毎日を生きているので、つい、「自分自身を知ってコントロールしながら、思い通りに自由に生きている」という感覚を抱いてしまいます。しかし、実際に日々の言動を決断する中では、本当の意味で、常に自己の目的意識と理念に沿った選択をできているかというと、正直なところ自信はありません。ほとんどの場合は、半分眠ったような状態で、いい加減な決断をしていて、大きく理念から外れるわけではないけれども、それに向かって最短距離を選んでいるとはとても言えないようなお粗末な状態です。車の運転に喩えるならば、左右のガードレールにガンガンぶつかりながらも、なんとか道路を外さずに走っているような状態で、決して車の能力を最大限に生かして、高速車線をぶっ飛ばしているわけではありません。

 仕事、健康、人間関係など、人生のあらゆる場面で遭遇する様々な問題は、実は、「自分自身のことをあまりよく知らない」「自分は本当には何をしたいのかよく分からない」「自分を思い通りに操ることができない」ということが根源的な要因となっていると考えています。

 現代的な社会生活をしていると、「自分自身を深く知る」ということよりも、社会に適応するために必要な情報や知識を学ぶことを優先させる傾向にあります。社会的な地位を築くためには、社会的に有利な職業や仕事の選択できるように勉強や技能習得の努力をし、それに自分を合わせていけば目標が達成されますから、自己知への努力を優先させる必要ありません。むしろ、自己知などという、その獲得にはやたらと時間と労力を要する割には成果がすぐに現れない面倒なことにかかずらわらないほうが、地位や収入などの外から見える成果を得るためには、近道です。しかし、「ステイタスの高い仕事」や「高額収入」「生活の安定」など、子供の頃から刷り込まれている社会的な成功者の立場を手に入れても、自分の本質に合わない職業や世界観を強要される社会的立場に自分を押し込めてしまっていたら、心の底からの幸せを感じることはできません。

 このように、本質と矛盾する活動に人生の時間とエネルギーの大部分を使うということは、自分という自動車を、わざわざバックで、しかもバックミラーだけを見ながら走らせているようなものです。自動車はバックでもそれなりに走行できますが、もともと、バックギアは高速で長距離を走るようには作られていないので、燃料を無駄に浪費し、ギアも遅かれ早かれ破損し、よく見えないで運転しているからあちこちぶつけて車体もボロボロ。そこで、しょっちゅう外装を綺麗にしたり、壊れた部品を取り替えるという修理をすることになります。しかし、根本的な問題は解決されませんから、心も体も疲弊し、様々な健康問題が湧いてきます。それを社会制度や高度な医療によって解決しようとしても、焼け石に水で、健康問題は少なくなるどころか新しい問題が次々に生まれて、状況はますます複雑になり、出口の見えないままトンネルは続いてゆく…。

 車後ろ向きに走らせている限り、何をやってもその車の本来の能力を引き出すことは不可能です。なんてことはない、自分自身を知り、ただ車を普通に前向きに進めれば、すべては解決するのでしょう。

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