(連載)田舎暮らし提言のための意識改革ー(3):お金による投資から知恵と労働による投資へ



 都会での生活では、生活に必要なサービスや物品は、それ相当のお金を対価として支払うことで手に入れることができます。お金があれば、ほぼ何でも手に入れることができる都会の生活環境はとても便利なのですが、その一方で、お金がないとほとんど何も手に入らないという厳しさもあります。そのため、都会で生活していると、何をするにも、まずお金が十分にあるかどうかをとっさに考えてしまいます。そして、お金がなかったら、やりたいことも欲しいものも、わりとあっさりと諦めてしまう習慣が染み付いてしまいます。つまり、お金の不足が、物質的な豊かさと人生経験の幅を制限してしまうことに直結します。

 田舎でも、生活に必要なサービスや物品をお金で購入することは必要ですが、お金を使わないでも、なんとかやりくりできる可能性は、都会に比べて大きくなります。もし、ファームの立ち上げに必要なすべてのことを、都会感覚でお金の投資で解決しようとすると、あっという間に費用が膨大に膨らんでしまいます。例えば、動物の飼育設備などは、本格的な建築資材を使って業者に敷設工事を受注したら、とんでもないコストがかかります。そんなことをしていると、出費がかさみ、その資金を得るためには「やっぱり都会で出稼ぎの仕事を探さなくっちゃ」ということにもなりかねません。そうなったら、本末転倒で、いったい何のために田舎に移住したの分からなくなってしまいます。

 こうならないためには、お金の投資ではなく、知恵と労働の投資によって成果を生む工夫が必要になります。

 古佐小ファームでは、土砂や木、石などの資源は豊富にあります。まずは、それらを最大限活用することを考え、自分では作れない材木や砂利などの加工材料にのみお金を投資します。しかし、お金を払って手に入れた材木や砂利も、そのままでは、単なる「可能性」すぎません。それが建物や道路という目に見える成果に変容するには、資源という材料に、自らの知恵と労働を投資する必要があります。

 ここで、古佐小ファームでのプロジェクトの中から、ぬかるみの粘土質の斜面に、120メートルほどの自動車が出入りできる道路を作る作業を例にお話しいたします。

 お金に物を言わせれば、おそらく3000〜4000ドルで、業者にすべての作業を依頼することも可能です。しかし、その場合には、ブルドーザーで土をかいて平らにしたところに直接砂利を敷くだけなので、雨で土がしめった状態で道路を走行すると、車の重みで砂利が泥に飲み込まれてしまって、再び路面に泥が露出してしまい、すぐにぬかるんでしまいます。そうしたら、その上に新たに砂利を追加しなくてはならず、数年のうちにさらに1000ドル、2000ドルのお金を使うことになります。

 もし、砂利を買える程度のお金(500〜600ドル)しか手元にない状況で、自動車が出入りできるような道路を作ることが必要となった場合には、どうするか?そこでは、結果を得るために知恵と労働を投資するしかありません。

 手間はかかりますが、まずはシャベルやクワ、ツルハシなどを用い、飛び出している岩があったらそれを掘り出し、くぼんでいるところは岩で埋めて、全体をある程度平らにします。次に、大小の石ころを集めて、表面の柔らかいところを中心に敷き詰めていきます。必要であれば丸太か何かで叩いて地面に十分めり込ませ、石がそれ以上めり込まなくなるところまで石を積み終えたら、一輪手押し車で砂利を運んで、その上に敷きつめます。そして、その上を何回か車で走行して固め、一雨来た後に、再びぬかるみかけている箇所を点検し、その部分を石と砂利で補修し、ぬかるみの原因となる水の動きを観察して、効果的な場所に水を逃すための水路を掘ります。これを数回繰り返していると、そのうち安定した路面が維持されるようになります。ここまでくれば、後は、ぬかるみや凸凹、水路の詰まりに応じて対処すれば良いだけです。これに必要な現金は、砂利代のみ。砂利は、大型ダンプ2杯分で550ドルくらいですから、業者に全てを任せる場合と比べると、おそらく費用は10分の1くらいで済むことになります。

 ただし、かなりの重労働ですし、時間もかかります。それに、地形や水の流れをよく考えて地ならしをし、石による路面補強をし、排水路を作らなくてはなりませんから、それなりに注意深い自然観察と計算も必要です。しかし、そうやって苦労の末に整備した道路の上を自動車が問題なく通行できたときの喜びは、何物にも代えがたいものです。こういう作業を通じて培った重労働にも耐えられる体力と、道路を自分で補修できるという自信は、田舎暮らしを続ける上で、大きな財産となります。会費を払ってジムでトレーニングすることを思えば、タダで体を鍛えつつ道路も作れてしまうので、実はとてもお得なのです。

 音楽制作や演奏を専門としていると、音楽という目に見えない形のないものばかりを対象に、体の一部の小さな運動機能の鍛錬に終始することになります。人間としてのバランスのとれた発達を維持する上で、道路のような実際に使えて目に見えるものを体全体を使って作ることは、とても健全だと感じています。実際、様々な芸術的なアイデアや、このような論文の内容のひらめきが湧いてくるのは、案外とシャベルとツルハシをふるっている時だったりするのです。

 田舎では、小さなコミュニティーでお互いの顔を見合わせて生活していますから、お互いに信頼関係の中で助け合える可能性も多くなります。人手を要する作業でお互いに手をかし合う、余剰な農産物などの食料を分け合う、道具や機器を共同購入したり貸し借りをすることで初期投資を抑えるなど、コミュニティーとしての努力で現金の出費を抑えることは可能です。ただし、小さいコミュニティーであるがゆえに閉鎖的な部分もあり、そこで人間関係がこじれると非常に大きな精神てストレスを生むことにもなりますから、人付き合いということに関しても知恵を働かせ、精神的な労働を投資することは大切になります。

 

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