コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(5)『ワクチン以外のコロナ感染症対策』

ワクチン以外にも、コロナ感染症への対策はたくさんある!

(1)打つべきか、打たざるべきか、それが問題だ。
 新型mRNAワクチン。すでに世界中で大規模接種され、さらなる接種率のアップ、定期的な追加接種の導入のために、各国政府は医療従事者のワクチン義務化、公務員のワクチン接種義務化、ワクチンパスポートによるワクチン未接種者への社会活動制限、様々なワクチン推進政策を行っています。カリフォルニアでも、7歳以上のすべての学童へのワクチン接種を義務化する方針が知事より発表されました。

 ワクチン未接種だと仕事ができないという現実に直面しているプロの演奏家のような職業では、過去の使用実績も十分な治験もなく緊急認可された新薬であるmRNAワクチンを接種することに抵抗感を覚えながらも、これまでの生活を続けるためには、接種をしなければならないという状況に追い詰められています。新型コロナのような発症率と致死率がそれほど高くない疾患を予防を目的に健常者がワクチン接種を選択する場合には、その効果だけでなく、限りなく無害であるという安全性も担保されなくてはなりません。しかし、治験期間半ばで大規模接種が開始された新型mRNAワクチンでは、残念ながら、安全に関して実験と統計的な分析に基づいた科学的証拠は非常に限られています。また感染予防の効果も、前評判に比べてかなり限定的なものであることが明らかとなっています。

 とはいえ、カリフォルニアでワクチン未接種だと、間もなくプロの演奏家としてのキャリアを諦めざるを得ません。そのため、なんとか納得した上でワクチン接種を選択できないものかと、感染症やワクチンの勉強、最新の情報収集、医療専門家との意見交換も行ってきました。現時点での結論としては、「新型mRNAワクチンのリスクはコロナ感染症のリスクを大きく上回るため、予防手段としてワクチンを選択しない。そのために音楽のプロ活動ができなくなるのであれば、それは仕方ない。」という判断です。生活はいくらでもやり直しができるし、音楽はプロでなくても引き続き求道の努力を続けることができますが、健康と生命を失ったらそれでおしまい。50年かけて築いた音楽家としての生活と、生命と健康を秤にかけるという究極の選択の中、このような苦渋の判断をしました。また、現行のワクチン政策の進められ方には、政治的にも公衆衛生的にも多くの問題があると感じていますから、新型mRNAワクチン接種をしないという選択は、保健師としての意見表明の意味もあります。


 「でも、コロナにかかって健康と生命を失う可能性もあるじゃないか。そっちはどうするんだ!」

 それに関しては、コロナリスクとワクチンリスクを慎重に科学的な根拠に基づいて比較し、コロナにかかることでの健康リスクの方が、ワクチン副反応によるリスクよりも低いと判断しています(https://ameblo.jp/musiclife-in-nature/entry-12684375383.html)。

 

 また、ワクチンは感染予防の手段の一つに過ぎずません。手洗いやうがい等の感染予防行為に加え、食習慣、運動習慣、メンタル習慣などの日常生活習慣の改善により心身の健康レベルを向上させ、免疫力などの病気への抵抗力を上げることも、疾病予防においては不可欠な要素であることは広く認められています。つまり、自主的な努力でコロナ感染症のリスクを下げることは可能なのですが、新型mRNAワクチンのリスクは、接種すると同時にある確率で必ず背負うことになり、それを軽減させるために自主的に行えることはありません。そもそも、ワクチンはすでに働いている体内の免疫機反応を誘発させるきっかけに過ぎないわけですから、体の免疫力が低いレベルにあったら、ワクチンの効果も低くなります。ですから、ワクチン接種云々を議論する前に、まずは自らの健康状態を省みることこそが必要なのですが、それを抜きにして「とにかくワクチン打てば大丈夫」という認識があるとしたら、それは危険です。アメリカで一緒に暮らしている義理の祖母は、白血球が減少する免疫系の疾患で治療を受けていましたが、医師の勧めで今年の春に新型mRNAワクチンを2回接種したところ、顔面半麻痺、全身の発疹、リンパ節の肥大から悪性リンパ腫への転化を経験し、現在は他州の専門病院で治験中の新薬を用いた3ヶ月間の薬物療法を受けています。これほど辛い思いをしてワクチン接種をしたにもかかわらず、肝心な抗体はできていませんでした。祖母の癌とワクチン接種に関しては、医師は関連性はないと判断し、ワクチンの有害事象として報告されないばかりか、医師の勧めで3回目のブースターショットを接種しました。

(2)現代西洋医学と伝統医学の協働の必要性
 そもそも予防と健康増進は、現代現代西洋医学の得意とする分野ではありません。現代西洋医学は、それぞれの身体部位に現れる個別の疾患のメカニズムを解明し、その対処法を見出して問題となっている症状を取り除く、あるいは抑える医学です。つまり、病の状態を未病な状態に戻すことに特化した医学で、そのため、目の前に現れている問題解決に重点が置かれ、独立して存在するパーツの集まりという身体観に基づき、より分析的で限局的に病を扱います。大病院に行くと専門分化した診療科が数え切れないくらいに存在しているのは、このような現代西洋医療のあり方を物語っています。治療は、薬物や手術などによる外部からの積極的な働きかけが中心で、患者はその意味を理解しないままに受動的に治療を享受し、自動的に起こる生化学的な反応による治癒を期待します。いわゆる「先生にお任せする」「先生に治していただく」という態度です。そのため、当事者本人が積極的に自らの健康に関して考え、感じ、行動を起こすことはほとんど要求されません。このような治療者ー患者関係があるために、生活全般での意識的な健康習慣の構築が不可欠な予防や健康増進を、現代西洋医学的アプローチで進めることは非常に困難です。そのため予防手段は、当事者は受け身で何もしなくても即効性の成果が期待できるワクチン予防接種に絞られてしまいます。

 一方で、アユルヴェーダ、東洋医学、ハーブをベースにした西洋の伝統医学などでは、からだは一つの不可分の全体であるとする身体観に基づき、現在問題として出てきている局所的な症状だけではなく、根本原因となっているからだ全体の機能や構造上のバランスの崩れ、身体外の環境要因を探り、過去からの習慣の蓄積と未来における新しい健康習慣を見据えて長い時間の中で問題に対処します。そのため、今目に見える問題を即効的に解決しなくてはならない急性期の病や重篤な外傷などでは、現代西洋医学ほどの華々しい成果を上げられないのですが、慢性の病、予防、健康増進など、当事者の積極的な関与と長期にわたるコミットメントが必要な健康課題に関しては、非常に有効なメソッドが蓄積されています。

 また、現代西洋医学では、人類に共通する人体のモデルを設定し、誰に対しても普遍的に効果のある最大公約数的な治療法を研究し、それを類型化された疾患に対して適用するのに対し、伝統医学では、個々の人体の在り方が千差万別であるという前提に立ち、生活様式や生活環境までも考慮した全人間的なアプローチにより問題を解決しようとします。

 一般には、伝統医学は現代西洋医学よりも劣った医学であるとみなされています。しかしながら、伝統医学は、経験則に基づく膨大なデータをもとに長年かかって構築されていますから、統計学的にかなり精度の高いエビデンスを備えたシステムです。つまり、現代西洋医学も東洋医学も、方法論の違いはあれ、どちらも同じく有効な医学であるということです。

 近年、現代西洋医学と伝統医学の良い点を統合した医療を目指す統合医療という分野の研究も進んでいます。新型コロナに対しては、このような統合医療的なアプローチこそが必要である思いますが、残念なことに、現実にはコロナへの対抗策はワクチンの大規模接種しかないという論調で接種率向上を上げるキャンペーンが張られる一方で、伝統医学的な予防と健康増進のアプローチを推奨する動きはほとんど見られません。

(3)現代医療システムの問題
 医療の目指すべきゴールは、皆が健康に暮らし、最大の生産性の中で最高の幸せを手にすることのできる社会を作り出すことです。ですから、医療がその役割を最高度に果たした社会では、誰も病気にならず、皆が本来の能力を最高に発揮してイキイキと暮らすことになります。つまり、予防と健康増進、能力開発が主な医療活動とされ、そのオマケとして病のない状態が生じるということになるはずです。ところが、現在の社会では、医療の進歩に伴って病への対処法と病の発見のテクノロジーは進歩しているのもかかわらず、病が減るという現象は起きていません。なぜなら、予防と健康増進は大きなお金を生み出しにくい仕組みになっているため、そこにエネルギーが向けられないからです。

 元医療従事者として誓って断言しますが、医療の現場で働くものは皆、心から社会の安寧と患者さんの健康を祈って、真摯に仕事をしています。ただ、その尊い意識とエネルギーという貴重なリソースは、病直しの分野に集中してしまって、病院を離れたところでの予防や健康増進の活動にはあまり向けられません。なぜなら、そこにお金が発生しにくい、つまり仕事にならないし、研究費も集められないからです。お金にならないというのは、資本主義社会では致命的です。芸術家は、その致命的な状況の中でなんとか生活を成り立たせる術を見出すのですが、それを医療従事者に期待することには無理でしょう。医療職の魅力は、なんといっても食いっぱぐれがなく収入も悪くないという点ですからね。このような現実があるため、予防の手段としては、経済活動に結びつくワクチンが推奨され、あたかもそれが唯一の手段であるかのように語られてしまうのです。

(4)新型コロナ感染症への対応策
 新型コロナの感染症の重症化ケースの急性期では、まずは症状を軽減させて生命を救うことが最重要課題となります。そこでは西洋医学が本領を発揮できます。治験中の新薬を緊急承認するのであれば、健常者を対象としたワクチンではなく、すでに新型コロナ感染症を発症して健康リスク負っている患者を対象とした治療薬の分野で進められるべきだったと思います。治療薬の治験の場合、対象者はすでに大きな健康リスクにさらされている状態なので、リスクの疑われる新薬の使用をある程度正当化でき、しかも対象者は入院管理を受けているため、個別のケースに応じた投薬の量とパターン、その他の薬との組み合わせなどを注意深く考慮しながら、綿密な経過観察とデータ収集も行えます。一方で、不特定多数の健常者を対象にしたワクチンの治験的大規模接種では、リスクの高い新薬の治験を正当化することは難しく、対象者の病歴、健康状態、他の薬との相互作用などを考慮して個別に対応し、フォローアップを継続することは不可能です。さらに、有害事象のデータは事後の自己申告によって収集されるため、即座に因果関係を特定することは難しく、長期にわたって膨大なデータ収集と分析をすることでようやく因果関係が明らかにされます。そのため、ワクチンに未知の中長期の深刻な有害事象が隠れている場合には、その因果関係が明らかになりリスクが正式に認識されて使用が再検討されるまでに数年が経過することが多く、その間に甚大な健康被害が起こってしまう可能性があります。

 だからと言って、頭ごなしに新型mRNAワクチンに反対というわけではありません。健常者への感染拡大を防ぐ手段の一つとして、治験中の新型ワクチンという選択肢があっても良いとは思いますが、その接種への選択は完全に自由意志によってなされるべきです。現在のように、ワクチン接種が唯一の方法であるという誤った印象を国民に植え付け、皆国民接種を促すような政策を推し進め、それをメディアも後押しすることで、同調圧力を醸成するというやり方は間違っています。実際には、健康増進と予防を得意とする伝統医学の知恵を用いれば、呼吸法、食事法、運動法、その他のボディーワーク、ハーブや生薬の適宜使用などによる健康増進活動による免疫力強化をメインに、中〜長期にわたる様々な予防策を講じることが可能です。これらの行動メニューは、個のニースに応じてカスタマイズし生活に取り入れることが可能で、コストもほとんどかかりません。

 「そんなこと言ったて、そんな面倒なことは誰もやらないぞ!みんな毎日の暮らしで精一杯なんだから。」

 痛いところを突かれました。確かにそうなのです。日々の健康増進は当事者がやるべきことを理解した上で自己責任で実行しなくてはならないため、目の前に差し迫った健康問題がない方に対し、動機付けをして実行を期待するのは非常に難しいのです。しかし、新型コロナのパンデミックという差し迫った問題を鼻先に突きつけられているこの状況を逆手に取り、国民規模で自らの健康管理に責任を持つ態度を醸成することができれば、コロナ問題だけでなく、その他の感染症、生活習慣病、寝たきり老人の問題など、これまでに山積しているすべての健康問題への対策にもなります。そもそも、予防や健康増進のために、日々のわずかな時間とエネルギーを割くことができないほどに仕事に追われる現代社会のライフスタイル、何か間違っていると思いませんか?このような疑問を投げかけることができれば、世の中も大きく変わると思います。このように、新型コロナの問題を、今の社会事象として個別に対応するのではなく、これまでに過去から蓄積してきた社会全体の健康問題の一つとして捉え、大きなスケールで対応するという視点を持つことで、この危機をより良い未来への糧とすることにもなるのではないでしょうか。

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