(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(4)金銭的報酬から精神的報酬へ

 普通の仕事では、日給、週給、月給、時給、年収などの形で、決められた時間内の労働と引き換えにお金を得られる仕組みになっています。アーティストの場合は、制作にかけた時間によって作品の価値が決まるのではなく、出来上がった作品に独自の値打ちがつけられるので、時間をお金に換算することはありません。田舎での生活には、どちらかというとアーティスト的なお金とのつきあい方が合っていると思います。

 アーティストにとっては、作品によってもたらされる金銭的収入は、報酬の一部に過ぎません。金銭的収入のほかに、創作活動を続けることでもたらされる自分自身の成長と進化、そのプロセスでの得られる様々な経験、日々の時間をアーティストとして過ごしていることへの満足感、作品に接した方々からの肯定的な評価など、「精神的報酬」も絶えず受け取っています。

 芸術製作がすぐにお金に直接結びつかないように、田舎での生活では、やっていることがすぐに金銭的収入に繋がることは稀です。むしろ、お金の姿を拝見しないまま終わってしまう活動の方が多いかもしれません。例えば、ファームのどこかで、潅木が密集して生えていて、その上に数年にわたって松の枯葉が積もっていると、これは、消防/防火の観点は、非常に危険な状態です。そのまま放っておいてもすぐに問題は起きないし、実際に火事になる可能性もさほど高くないかもしれませんが、もし火事になったら、そこから敷地内へと山火事が広がる致命的な火元となりますから、万が一に備えて撤去しなくてはなりません。

 通常、このような作業は重労働で、延べ数日間はかかります。このような場合に、働いた時間を時給に結びつけて金勘定をしてしまうなら、「一銭の金にもならないことで何日も必死で働いて、いったい何やってんだろ。」と虚しくなってしまいます。もっと現金に直接繋がる仕事に集中し、金を稼いで、人を雇ってやってもらおうという選択肢もありますが、なんでも金で解決しようとする姿勢は、都会生活での条件反射のようなもので、田舎の生活では、それがベストの選択でないこともしばしばです。そもそも、田舎に引っ越してきたのは、都会ではできない経験をするため。言い換えるならば、お金では買えない経験に満ちた生活をするためではないでしょうか?そのためには、特に田舎暮らしの初期段階においては、「田舎暮らしのおいしいところ」だけをつまみ食いするような態度ではなく、とりあえずはすべて経験してみるというオープンな態度が大切です。

 このような仕事を、自然の観察、新しい道具を使いこなすための新しい体遣いの鍛錬、生活環境をより快適なものに作り変える実践研究としてとらえ、心身の能力を意識的にフルに活用する機会として取り組むなら、これまで鍛えてこなかった能力の開発と、すでに発達させてきた能力をさらに進化させることに役立つことに気づきます。そして、そうやって自分の肉体と精神に刻み込まれた新しい能力は、お金とは交換できない真の財産ですから、長時間の厳しい労働に値する報酬を受け取っていることになります。

 田舎での生活には、慣れさえすれば誰にでもできる作業が満ち満ちています。学歴もあり、専門分野ではそれなりに実績をあげてきた「オレ様」が、そんなことに時間と労力を費やしていることが、バカバカしく感じられる時もあるかもしれません。しかし、意識的に取り組めば、どんな仕事の中にも必ず何かしらの発見があり、時には、専門分野の狭い価値観に意固地になっているエゴから解放され、自分自身の新たな側面を見つめる機会にもなります。自然の営みへのより深い理解、これまで単純作業だと思っていたことの難しさ、自分自身の不完全さの認識、それを謙虚に受け入れることの大切さなど…。これらは、人間として大切な気づきであり、まさにお金とは交換できない精神的報酬となります。

 今過ごしている時間からもたらされる経験こそが、人生を直接形作る材料であり、お金は、人生を間接的に影響する要素にすぎません。いまやっていることがお金に結びつくかどうかは気にせず、今という時を色眼鏡を通さずに経験できたら、地味な田舎生活の中にも、素敵な瞬間をたくさん見出せることでしょう。

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