新型コロナワクチンに関する国家としての判断 vs 個人としての判断

 COVID19のパンデミックへの対応については、大きく分けて国家としての判断と個人としての判断の2層で考えています。

 国家としてパンデミックのような社会全体を巻き込んだ大きな事象を扱う場合には、国民を「顔のない数値データ」として捉えるしかありません。もし政治家や行政官がこのようなことを言ったら、マスコミから「命をなんだと思っているんだ!」と袋叩きにされますが、実際、膨大なデータを感情や思い込みを交えず冷静に収集・分析し、その時点での知見を用いて集団にとって最も良いと思われる最大公約数の施作を案出し実行するのが政府の仕事ですから、ある種の冷徹さは避けられません。COVID19流行の状況、病による健康被害のリスクと社会的損失のリスク、対応策としての新型ワクチン大規模摂取による効果とリスクなどを、現代科学で最も合理的と考えられる見解と現時点でのデータを基に計算し、最適な対策を立案しても、リスクをゼロにする魔法のような施策はありえないため、計算の段階で顔の見えない誰かが死ぬこと、苦しむことを冷徹に織り込んでだ上で施策を実行しています。

 例えば、自動車という、使い方を間違ったら死を招く危険性のある道具の使用を国家が許可する場合、自動車が社会に与える有効性と、確率的に予見される犠牲を天秤にかけて自動車の使用を法律の規制の範囲内で許可し、実際の使用に際しての遵法精神、運転技術や注意力などは、全面的に個々の責任に託されています。 

 全体主義国家であれば、国家の方針は命令という形で発布され、国民は嫌が応もなくそれに従うことになりますが、民主主義国家では、国家の方針に対して、法律の許す範囲で個人が自己責任で下す自由が保障されています。逆にいえば、自由の行使には常に責任が伴い、時には生命と健康に関わる重要な判断を自己責任で行う必要があるということになります。そして、国家の判断が誤りである場合には、国民の意志で法律や指導者を変えることができる仕組みになっています。

 現在、COVID19の世界的パンデミックの中、国家としてその打開策として大規模な新型コロナワクチン接種を国民に推奨し、最終的な決定は個人に委ねられているという状況にあります。感染症やワクチンというかなり専門性の高い分野で、しかも日進月歩で新しい学説や発見が更新される先端分野でもあり、一般人が新型ワクチン接種に関しての意思決定を下すのは非常に難しいため、個人としての結論が、「国家の方針に従う」となっても当然といえば当然です。ただその場合、国家が方針を決めた際に、数値データとして織り込まれているワクチン接種による健康被害の犠牲者になる危険性を、自己責任で受け入れることになります。

 新型コロナワクチンは、通常の手続きを経ずに緊急使用のために特例承認医薬品として認可された薬物で、特に長期的なデータが限られているため、長期での効果と安全性に関して未知な部分が多く、そのため通常認可の医薬品に比べて予期できないリスクが大きいということが特徴です。国家として、これらのリスクよりも、COVID19ウイルスによる国民の健康リスクとそれによる社会的損失が大きいと判断し、新型コロナワクチン接種が勧められているということになります。

 厚生省のホームページでも、特例承認医薬品として認可されたファイザー社のコロナウイルス装飾ウリジンRNAワクチン・コミナティ筋注の説明書にも、以下の文言が明記されています。https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000778307.pdf

「本剤は、本邦で特例承認されたものであり、承認時において長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集中である。本剤の使用にあたっては、あらかじめ被接種者又は代諾者に、本剤に関する最新の有効性及び安全性について文書で説明した上で、予診票等で文書による同意を得た上で接種すること。また、有害事象が認められた際には、必要に応じて予防接種法に基づく副反応疑い報告制度等に基づき報告すること。なお、本剤の製造販売後に収集された情報については、最新の情報を随時参照すること。」

 また、厚生省の「接種へのお知らせ」のページでは、「接種を受ける際の同意」に関して以下のように述べられています。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00218.html

「新型コロナワクチンの接種は、国民の皆さまに受けていただくようお勧めしていますが、接種を受けることは強制ではありません。しっかり情報提供を行ったうえで、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われます。
 予防接種を受ける方には、予防接種による感染症予防の効果と副反応のリスクの双方について理解した上で、自らの意志で接種を受けていただいています。受ける方の同意なく、接種が行われることはありません。
 職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていない人に差別的な扱いをすることのないようお願いいたします。」

 また、「接種を受けた後に副反応が起きた場合の予防接種健康被害救済制度」の項では、以下の文言もあります。
「一般的に、ワクチン接種では、副反応による健康被害(病気になったり障害が残ったりすること)が、極めて稀ではあるものの、なくすことができないことから、救済制度が設けられています。
 救済制度では、予防接種によって健康被害が生じ、医療機関での治療が必要になったり、障害が残ったりした場合に、予防接種法に基づく救済(医療費・障害年金等の給付)が受けられます。 
 新型コロナワクチンの接種についても、健康被害が生じた場合には、予防接種法に基づく救済を受けることができます。」

 しかし、国家が現時点で可能な限りのリソースを基にして下した判断とは異なる判断を、同程度の合理性を持って民間/個人が導き出すことなどできないのではないか?そう考えると、国家の判断に従うのが一番良い選択肢ということになりますが、国家も判断を誤る可能性があり、施策の規模の大きさゆえに誤った場合でも急激な方向修正することが難しく、個々のニーズの全てには対応できないということは考慮に入れておく必要があると思います。

 

 国家としての判断に採用されている学説といえども、あくまで現時点までに入手されたデータから引き出された最も合理的であると思われる「仮説」であるため、別の角度からの学説やデータ解釈を採用すれば、科学的な妥当性を備えた異なる仮説も成り立つという状況にあります。過去には、DDTやサリドマイドのような薬物の危険性が当時の最も合理的な判断において見過ごされてしまった例もあるように、どれだけ慎重を期したとしても、現代の科学では人体の複雑な働きの全てを予見することは不可能であるため、国家としての判断を誤まる可能性もあります。だからこそ、学問の自由と言論の自由という権利が保障され、国家の判断に対立する学説や見解も閲覧できる環境の中で、最終的には個人の自己責任での判断に委ねられているのです。

 

 民間企業である大手マスコミやネット関連企業は、個としての立場から国家の方針に対して独自の判断をし、時には批判、時には支援という立場から様々な発信を行っています。これら大きな企業からの発信だけでなく、独立した研究機関や研究者、ジャーナリズムからの発信もあり、これらの情報を政府見解と合わせて検討し、自分なりの判断を下すには、なんとも手間と労力のかかるこことか…。しかし、全体主義で情報統制の行われている国家が多い中で、日本やアメリカでは、努力をすれば多様な情報を入手することができ、最終判断は自分で下せる自由を与えられていることには、感謝をしています。

 

 今回は命と健康に関わる問題で、しかもロックダウンでほぼ失業の身の上なので、ある程度手間を惜しまずにこの面倒な作業を行っていますが、本来は、あまり身近ではない経済や外交などの問題でも、有権者としてこれくらい真剣に情報を扱わないといけないのでしょうね。民主主義における自由と責任は表裏一体であることを、改めて感じさせられます。

 

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