山火事の恐怖 全てを失う可能性

 今週は、異常気象による落雷と暴風、それに熱波が重なり、カリフォルニアでは各所で火災が発生したため、ここにも灰がふり、煙で遮られた太陽が昼間でも夕焼けのように赤く染まっています。

 北カリフォルニアの内陸部は、夏から秋にかけて、毎日30度を超える猛暑で、しかも4−5ヶ月ほどは降水量がほぼゼロになりますので、例年山火事のリスクとは隣り合わせです。ここでも、それなりに火災予防はしていますが、6万坪の土地に毎年新しい潅木や草が生い茂ってくるので、完全に火事対策をすることは不可能ですし、東西の隣接地がジャングル状態で放置されているので、そこから火が回ってきたら、ここだけの防火対策では防ぎようがありません。

 数日前の夜中、南の窓から雨を伴わない稲妻で空がピカピカと点滅しているのが見えました。外に出てみたら、遠くでゴロゴロと地鳴りのような雷さんの太鼓の音。これは、落雷したら間違いなく火災が発生するやばいシナリオです。ヤバイとわかっていても、何もやれることはありません。ただ、「この近くに雷が落ちませんように」と祈るのみです。これだけ文明が発達した現代においても、雷に対しては完全に神頼み。地震、雷、火事、暴風、洪水、豪雨など、自然災害の前には、今も昔しも、人間は無力であることを痛感しました。

 雷に直接撃たれることはなくても、その火花でこの乾季に山火事になったら、火を消すことは難しく、消防隊は火が燃え広がる方角に先回りをして森林に防火帯を切ってそこで食い止めるという対応をせざるを得ません。特に風の強い時には、火の勢いの前に人間は無力です。

 実際に、この雷が原因で発生した火事で、親しい友人が家財を全て失いました。ここと同じく自給自足を目指す暮らしを長年かけて築いてきたご夫婦が、それを一瞬で失う恐ろしさ。全く他人事ではありません。山で自然に近い暮らしをすることで、自然の恵みに包まれていると同時に、自然の脅威という剣の切っ先が喉元に当たっている状態でもあることも、忘れてはいけません。

 都会に住んでいると、自然災害の被害をここほど直接的に受けることはないと思われますが、それでも事故、犯罪、病気の危険は、むしろ田舎よりも大きいわけですから、実は、都会・田舎に関わらず、どこに住んでいても、火事で家財を一夜にして失った友人のような状況と背中合わせで生きているのは、皆同じなのかもしれません。

 家財を失っても、命さえ助かれば、また一からやり直せる。そう自信を持って断言できるように、本当に大切なことの優先順位を間違わないように、悔いのない毎日を送りたいものです。

 

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