戦争の抑止における良心の役割(1)

(終戦の日や原爆投下など、戦争のことを考える機会の多い8月。過去の戦争に関する記事に加筆修正して投稿しています)

 

 中東、アフリカ、ロシア、中国の国境付近、朝鮮半島など、世界各所で紛争は止むことを知らず、こうしている瞬間にも世界各地で銃弾やミサイルが飛び交い、多くの生命が失われている状況にあって、どのような国家であっても、今後武力紛争に巻き込まれない保証など全くない、という厳しい現実を認識させられる時代になっています。日本周辺でも特定アジア諸国との間にきな臭い紛争の火種がくすぶり始めています。

 

 このような情勢の中、先の大戦を経験した世代の方が高齢となり、戦争の悲惨さを直接次の世代に伝える人材が少なくなったこと、また戦争を知らない世代がリーダーシップをとるようなったことなどを、世界的な紛争傾向の理由とする議論を耳にすることも多くなりました。確かに、戦争の悲惨さ、虚しさの実体験は、戦争抑止に大きな影響力を持っていると思われます。特に、その世代が社会的リーダーとしての役割をになっている間には、その抑止効果は非常に大きいと考えられます。

 

 しかし、もし戦争を直接経験することが、その世代が戦争に再び足を踏み入れないために不可欠な要素であるとすると、一つの戦争が終結してから数十年が経過し、戦争を経験した世代がこの世を去ってしまうと、戦争の抑止力が低下し、再び戦争が起こることは避けられません。そして、戦乱がおさまった後は、新たな戦争経験者という抑止力によりしばらくは戦争が避けられるけれども、その世代が死に絶えると、また戦争が起こるという具合に、戦争は数十年の周期で繰り返されるということになります。

 

 歴史を振り返ってみると、実際に世界中の多くの地域でこのようなパターンが繰り返されていますから、「戦争経験者がその悲惨さを後世に伝える」というアプローチが、短期的に平和に貢献することはあるにしても、恒常的な抑止力にはならないことは、否めない事実のようです。平和を恒久的に維持するためには、戦争体験者がいなくなった後も、戦争を体験していない人間が体験者と同じくらいに、「戦争という行為が勝者にも敗者にも悔いを生む愚かな行為である」と腹の底から感じ続ける必要があります。しかし、実際にそのようなことが可能なのでしょうか?

 

 殺し合いが人間関係の問題解決の良策ではないということを学ぶために、実際に殺人に関わる必要があるとすると、世の中の善人は皆殺人前科者ということになってしまいます。しかし、実際には、ほとんどの人が殺し合いによって問題解決をするなどという愚かな選択をしませんから、戦争を体験したり戦争体験者から直接学ぶという方法以外にも、戦争を避けようとする強い動機を一人一人の心の中に形成するための有効な手段はあると考えられます。

 

 教育による啓蒙や社会道徳の確立は、一見有効な手段のように思えます。しかし、「戦争は悪いことだからしてはならない」「戦争は皆を苦しめることだからやってはいけない」というような戒律や道徳律を作ってそれを教育し、権威による圧力でそれを守ることを義務づけたとしても、それらが感情的な実感を伴わない社会規範であったなら、腹が満たされている時には虫も殺さぬ博愛主義者が、腹が減ると武力を振るう略奪主義者という具合に、御都合主義で豹変してしまっても不思議ではありません。例えば、日本で現在の生活レベルを維持するために必要な物資が国内で枯渇し、通商などの尋常な手段によって外国から入手することも困難となり、国民全体が生活レベルを著しく下げなければならないような事態に陥ったとします。その時に、もし自国よりも国力の小さな隣国がそれらの資源を豊富に持っているにもかかわらず、腹黒い政治的な駆け引きの中で気前よく分けてくれないとしたら、「我が国の存亡と国民の生活のため」という正義を掲げて、その国から力ずくで資源を奪うという行為をしないでいられるでしょうか?

 

 情緒的なレベルで「戦争は悪いことだ」と感じるだけでは、戦争を避けることは不可能です。そのような情緒は、状況にあわせて変わってしまうからです。例えば、他国が明らかに侵略を企てていて、実際に他国民によって自分の家族が殺される、慈しんでいる故郷の風土が破壊される、占領国によって母国語の使用が禁じられ伝統文化が破壊される、占領民族との混血が強要されるなど、民族存亡の憂き目にあう可能性がある場合、情緒的には「戦争は良くないことだが、自分の愛するべきものを守るためには命をかけて戦うことはやむをえない」と感じるようになっても当然だと思えるのです。そうなると、結局敵対する双方ともがそれぞれに「正当な」理由を持って戦争に踏み込んでしまうことになります。

 

 直接の戦争体験も、教育や道徳も、戦争の恒久的な抑止力としては決定力を欠くとすると、人類がいかなる状況に置いても疑いを持たずに戦争を避けるという選択ができるようになる可能性はあるのでしょうか?

 

 戦争を抑止できる決定的な要素があるとすると、それは「良心」であると考えます。

 

(後半に続く)

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