コロナ以来の世の中のあり方に対するモヤモヤ感(2)「社会での芸術の存在意義」

 2008年のリーマンショックの時もそうでした。そして、2020年に始まったコロナパンデミックでも。社会に大きな異変があると、まず消し飛んでしまうのは、音楽演奏や演劇などの舞台パフォーマンスの仕事です。そして復旧に際しては、最も後回しにされる。

 確かに、水や食料がないと数日で死ぬのに対し、音楽がなくてもすぐに死ぬことはありません。若い頃には、心ある年配の方から「芸術なんて社会のオマケみたいなものでまともな仕事じゃない」「芸術家なんて、フリータに毛が生えた程度のいい加減な連中のやることだ」「いつかはちゃんとした仕事を見つけなさい」というようなアドバイスを頂いたこともあります。確かに、芸術を単なる娯楽と捉える狭い見方しかできない方にとっては、それが真実なんだと思います。ただ、芸術に命をかけるほどの価値を見出して生きている芸術家としては、芸術は今日明日の生死を左右するような役割は担っていないけれども、人生という長い時間の中では、生きることに関わる決定的に重要な役割を果たす可能性があると信じて活動を続けています。各々の人生で、芸術との接点の多い/少ない、深い/浅いと差がありますが、おそらく、ほとんどの皆さんが、人生のどこかのポイントで生き方や価値観に影響を与える芸術との出会いを経験しているのではないでしょうか。

 今日明日の生死を左右しないけれども、豊かな人生を送るために不可欠なものに、信念や価値観というものもあります。芸術は、文学、美術、音楽、演劇、それらが統合された様々な姿で、日常生活の中に溶け込み、知らず知らずのうちに信念や価値観の形成に影響を与えています。壁紙などの内装のデザイン、何気ない洋服のデザイン、ドアチャイムの音、ドラマのセリフの一節、建物のデザインなど、五感を向ける対象のほとんどに何らかの芸術的要素が入っています。これらの芸術的要素があまりに生活に溶け込みすぎているために、芸術に興味のない方は、その存在すら気づかないほどです。

 このように考えると、芸術も水や食料と同じくらいに生活にとって不可欠なものであるとも言えるのですが、実際に芸術で生計を立てようとすると、これは大変です。芸術を作るためには、製作者の精神という元手以外にあまり物質的な元手がかからないためか、芸術の価値を認めてくださる方と、認めない方の格差は無限と無ほどに大きく、社会的に共有された芸術の金銭的価値というのは構築されにくい状況です。そういう不安定な価値設定の中では、芸術家の生活の物質的な側面は不安定にならざるを得ません。その結果、社会危機が訪れると、真っ先に切り捨てられます。

 芸術家の努力が、他の職業と同程度に物質面で安定的に報われる世の中であって欲しいと思います。本当は、精神の危機に見舞われた状況において芸術が本領を発揮できるはずなんですから、今こそ、世のために忙しく駆けずり回っているべきだとも思います。でも、そんな世の中でないことは百も承知で数十年芸術をやってきたので、今さらつべこべ言っても始まりません。芸術家は、生き方や価値観の根っことなる精神性の追求という、無限に面白く、永遠に研究テーマの尽きることのない分野の専門家になれるという稀有なチャンスを得たのですから、それが行える幸せを噛み締めながら日々を過ごせば、このコロナ禍のジリ貧もさほど惨めではありません。

 芸術を愛する同志の皆さん、今は己を磨き、再び輝きを共有できる日に備えましょう。Good Luck!


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