音楽を聴くということ

「音楽を聴く」とは、手で触れることのできない時間軸の沿って展開された音の構造物である音楽、つまり4次元の構造物と心眼を通じて向き合うことです。その時に、音楽の聴き手内面では、いったい何が起きているのでしょう?

 

 通常の感覚では、過去/現在/未来に起こっていることを同時に知覚することは出来ませんから、4次元の建築物としての音楽は、直接的な知覚でリアルタイムに把握されるのではなく、経時的にインプットされる感覚のデータが時間の制約を超えて脳内でつなげられて、バーチャルな構造物として認識されることになります。初めて聴く曲の場合には、曲が始まった時点からインプットされる感覚情報が、脳内でバーチャルな構造物へと随時変換され、曲が演奏されるに従って全貌が少しずつ明らかになってくるという感覚です。すでに何度も聴いたことのある曲の場合は、過去にインプットされた情報によって脳内に作られている漠然とした全体像に、現在進行している演奏の音が知覚として加わることで、細部までくっきりと浮かび上がってくるという感覚を経験できます。

 

 また、音楽を聴いている時には、音の流れとともに自分に内に流れる感情や感覚、思考を観察できます。同じ音楽でも、聴いているときのコンディションや聴き手が誰であるかによって、音楽が引き金となって湧き起こる感情、感覚、思考の内容も変わって来ます。このことから、音楽が感情や感覚、思考に影響を及ぼすこと、音楽がそれらに与える作用は必ずしも音楽自体によって厳密に決定づけられるのではなく、環境や聴き手の個性、その時点での聴き手の状態など、その他の諸条件によって様々に変化するということが理解されます。

 

 演奏者の立場から見ると、楽譜を再現するクラシック音楽の場合には、これから演奏する音楽の全貌を細部に至るまで完全に把握している状態で演奏を始め、その青写真をできるだけ忠実に再現するために、現在演奏している音に集中し、その前後の音との文脈の中で的確な表現を選択することで、全体の音楽を構築してゆきます。即興演奏の場合には、これから演奏する音楽は漠然としたイメージとしてしか把握されていないのですが、今出された音が引き金となり、演奏されていない一瞬先の近未来の音が、すでにそこに存在していると言えるほどに明確に予見され、その音が実際に演奏された時には、すでにその先の音が予見されるという、少し時間軸に先行して存在しているような不思議な感覚を経験しながら、音楽を一歩一歩紡いでゆきます。

 

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