(連載)田舎暮らしのための意識改革ー(9)自然と文明の乖離ではなく健全な融合

 都会から田舎への移住を選択される方は、おそらく環境問題などの現代社会の様々な問題への意識が高く、中には現代文明の否定という動機から、全てを自給自足するハードコアなサバイバルをしながら、自然への回帰を目指す方もいらっしゃいます。確かに、そのような生き方もあるとは思いますが、最初の一歩のハードルがあまりにも高く、また、それを続けるためには、非常な覚悟と並外れた体力と精神力が必要となりますので、一般人がモデルとすべきライフスタイルとはなり得ません。

 田舎での生活では、テクノロジー社会への反発を動機として行動をするのではなく、むしろ、先端的なテクノロジー、どのような物品でも宅配で手に入れることができる高度な流通システム、インターネットによる情報通信網、交通機関の発達で数時間以内には都市部に出ていけるという便利さなどを選択的に賢く活用しながら、自然と文明の健全な融合を試みることで、よりバランスのとれた生産性の高い生活を送ることができます。

  そもそも、先進国に暮らしている場合、現代文明から離脱して生活することなどは、ほとんど不可能です。古佐小ファームでは、水、食料、エネルギー、インフラ整備とメンテナンスなど、多岐にわたって持続可能性の高いライフスタイルを実現するために、できる限りの自給自足を目指していますが、やればやるほど、既存の社会から離脱した形での自給自足は不可能であることを思い知らされます。例えば、自家水道設備によって井戸からポンプで水を汲み出し、タンクに貯めてそこから水道管に圧力をかけて供給することで、水を「自給」していますが、井戸、ポンプやパイプなどの設備や資材は、すべて工業製品を購入して組み立てることで作るわけですから、本当の意味では何も自給できていません。それらを供給してくれる文明社会があって、この水の「自給体制」も可能となっています。

 自動車、洋服、農具、食器、調理器具など、例をあげればきりがありません。どれだけ自給自足をしているつもりでいても、実は既存の社会の仕組みにおんぶに抱っこの状態であることは、都会で生活しているときと何ら変わりません。ただ、田舎ではそこへの依存の度合いがやや少ないだけです。
 
 では、田舎暮らしの本当の意義はどこにあるのか?

 それは、自然との距離感が近いというところだと思います。その分、厳しい自然の脅威にも曝されるわけですが、日光、土、空、水、風、野生の動植物などの自然の恵みを活用できる立場にもあります。そこで、自然との関わりを損ねないように注意をしながら、文明の利器を生活に導入し、両者のバランスの良い融合を実践できるライフスタイルを模索できることは、田舎に暮らしているものの特権でもあり、社会的な役割でもあります。田舎で生活する者は、都市生活者も含めた大きなスケールでの人間社会の一員という立場から、自らの存在意義と責任を考え、文明からの離脱ではなく、自然と文明の健全な融合を最先端で実践する先駆者としての自覚を持つことも大切ではないでしょうか。

 また、物理的に人口密集地である都会から離れて暮らしていると、他者との交流、あるいはグループや組織での活動も難しくなります。そういう世間を離れた田舎での隠遁者的な生活を好む方は別として、おそらく多くの方は、自分の仕事の実績に関し、ある程度社会的評価を得ることなしに、目標達成のために頑張り続けることは難しいと思います。田舎への移住については、人生の敗残者、都会で成功できなかったから田舎に引っ込む、というような悪いイメージを抱かれがちでもありますから、田舎での生活で孤独と挫折感に苛まれないためにも、なんらかの形で都会を中心とする外の世界とポジティブなつながりを持ち続けることは大切です。幸い、ソーシャルネットワークなどを通じて、物理的な方法ではなくバーチャルな方法で人と広くつながることのできる時代になり、フェイスブックなどで田舎での暮らしでの経験と気づきを都会で暮らす友人たちと共有したり、テーマを決めてブログやYouTubeで不特定多数に向けて発信することで、自分の選択した田舎での新しい生活について世間からのフィードバックを受けることが可能となっています。田舎での日常は、都会での非日常です。新しいライフスタイルの先駆者としての自分の存在意義も自覚しながら発信をすれば、都会で田舎への移住を夢見ている方へに夢を与え、同じようなライフスタイルに価値を見出している仲間と繋がる機会を得ることもできるでしょう。

 

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