常にそこにある奇跡

常にそこにある奇跡

 

 毎日、ごく当たり前の日常の繰り返しです。

 

 宝くじに当たって一夜にして金持ちになることもなければ、神の啓示を授かるような超常体験もなく、明らかに「これは奇跡だ!」と思えるようなことは、何一つ起こりません。

 

 しかし、知性と感情を働かせて冷静に自分の存在を宇宙全体のスケールから見つめ直してみると、ここにこうやって生きていること自体が、精妙な奇跡であると感じられてきます。例えば、この瞬間、静かに椅子に座ってワープロを打っている自分が、実はどのくらいのスピードで宇宙空間を移動しているかを試算するという思考実験は、意外と新鮮な驚きと感動を与えてくれます。

 

 自分を地球の表面にへばりついている一点すると、地球の中心の周囲を1日に40,000km、1秒で460mほど動いています。さらに、その地球自体が太陽の周囲を公転していますから、地球の表面にへばりつい状態でくるくる回りながら、さらに太陽の周りを毎秒約30kmほどで移動しています。さらに、太陽も銀河系の周囲を公転しているので、太陽の周囲を螺旋状にくるくる回りながら、さらに銀河系の中心の周りを毎秒200kmほどのスピードで動いています。銀河系も宇宙の中心の周りを回っているらしいので、くるくる回る構図はさらに続くのですが、ここまで考えただけでも、座っている自分がとてつもないスピードで、複雑ならせん模様を描きながら宇宙空間を駆け抜けていることが分かります。なんだか、考えただけで乗り物酔いで気持悪くなりそうですが..。

 

 このスピードでの物理運動では、ほんの些細な「つまずき」でも起ころうものなら、急ブレーキのかかった新幹線などとは比べ物にならないくらいの惨劇に見舞われることになりますが、幸いにも、今日も地球の普通の営みが続いています。これだけのスピードで無数のものを宇宙空間で動かし続けている「宇宙の規律」の深遠さは、人智では計り知れないもので、まさにこれこそ「奇跡」と言えます。

 

 遺伝子の暗号を解読出来るようになった人類の叡智は、確かに奇跡的に素晴らしいと言えますが、実際にその暗号システムのデザイン、暗号が生命体として具現化できる化学反応の法則、ひいてはその元となっている様々な現象の原理をすべて作り上げた宇宙の叡智の見事さは、人類の「叡智」とは全く次元の違うレベルの叡智であり、それこそが「奇跡」と呼ぶにふさわしいものだと思います。 

 

 先ほどの思考実験では、我々の感覚では「止まっている」状態でも、宇宙全体の中では、実際には目にも留まらぬ速さで動いていることが分かります。逆に言うと、我々の感覚で長距離を動いている場合、例えば飛行機で旅行しているような場合でも、宇宙全体のスケールで見ると、その移動は本当にとるに足らないほど小さなもので、動いていないも同然であるということになります。このことは、我々の移動は、ほとんどすべて宇宙の運行の一部として受動的になされているもので、いわゆる自分達が「移動」と称している能動的な移動行為は、宇宙全体から見ると無に等しいほどに小さなものであることを意味しています。

 

 このように考えると、「人類こそが、宇宙進化の最先端に位置する最も高度な知性を持っている」という尊大な人類至上主義的な宇宙観が、いかにも不自然なものに思えてきます。

 

 人類は、意識や意志、知性、感情など、植物やその他の動物には見られない高次な精神機能を持っています。これらの機能の由来に関しては、「進化の最先端にある人類が、生き残りをかけた進化の結果として、他の追随を許さない高度な精神機能を獲得した」というダーウィンの進化論的な見解が一般的だと思います。しかし、宇宙空間内の移動という物理現象に関しては、地球の影響、地球を支配する太陽系の影響、太陽を支配する銀河系の影響、銀河系が属する宇宙全体の影響という具合に、自分よりもはるかに大きな存在から何重もの影響に依存していることを考慮すると、精神現象に関してだけ、人類の意識や意志が宇宙の中で最も進化した、最も能動的で独立した精神活動であるという解釈は、説得力を欠いています。むしろ、人間の意識や意志の由来は、宇宙から発している意識や意志が銀河系、太陽系、惑星に至る過程で枝分かれし、さらに生態系の中で枝分かれした意識と意志のほんの一部が人類にも配分され、精神活動として発現していると考える方が理にかなっています。ちょうど、発電所で作られた膨大な量の電力が枝分かれして支流となり、最後の末端でこの書斎の小さな電灯を灯しているように…。

 

 この地球上に存在する様々な元素は、大昔にどこかで死んだ恒星から放出されたものだと言われています。これが本当だとすると、文字通り人体は、すべて星屑を素材として作られています。人体が星の「かけら」から構成されているとしたら、精神にも偉大な宇宙の意志や意識の「かけら」を持っていると考えるのが自然です。そして、「かけら」こそが、人類の意識や意志などの精神機能ではないでしょうか。人類の意識や意志は、宇宙全体を司る意識や意志と比べると無に等しいほどちっぽけなものかもしれませんが、それでも「神の似姿」として、本体である宇宙全体の意識や意志とつながっているに違いありません。

 

 実は、このことこそが、超常現象や神秘体験にも勝る真の「奇跡」なのかもしれません。このちっぽけな自分が、実は宇宙の神秘を内包する小宇宙である。こんな風に考えると、普通に存在し、代わり映えのしない毎日を生きていること自体が、すでにありえない奇跡だと感じられます。

 

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