新たな資源としてのサイバー空間のリスク(1)


 インターネットによるサイバー空間では、実生活では直接出会う可能性のほとんどない相手と接触でき、物理的に実際に出会ってつながることのできる限界をはるかに上回る人数と情報交換や意思疎通が可能になります。この空間で生み出される人と人とのリンクは、無限の広がりを続けています。

 外国にいながら日本の友人や知人、価値観を共有できる同胞とソーシャルネットワークを通じてつながれることで、祖国とのつながりや、同じ問題意識を持って生きている同志の存在を身近に感じることが可能になりました。また、その中で、このように自分の思想や見解などを不特定多数の方に発信することで、問題意識を深め、表現力を磨くきっかけにもなっています。

 インターネットは、発信のツールとしても、情報収集のツールとしても非常に強力です。学生時代には、図書館や本屋に足を運んで時間をかけて探していた情報が、今はインターネットのコネクションさえあれば、どこにいてもすぐに閲覧できるのですから、ほとんど無限に近い量の知識にいつでもどこでも触れることもできるようになりました(情報統制下にある国家では事情は異なりますが..)。また、コンサートなどの情報発信も、紙媒体を使わずにあっという間に世界配信できるというのは、恐るべき便利さです。

 このように、インターネットによるサイバー空間の広がりが生活を豊かにしてくれていることは疑いようもなく、社会のあり方も、そこに大きく依存するようにシフトしています。そこには、無限の可能性が期待されて当然ですが、これまでに人類が経験していない新しい「資源」としてのサイバー空間に依存することで起こり得るリスクについても、考える必要があると思います。

 歴史を振り返ると、これまで人類が文明の発達に従い活用を可能にして来た資源、例えば電気、化石燃料、化学薬品、核エネルギー、遺伝子工学、電磁波、電波、宇宙空間などは、発明・発見された時には人類にとって有益な側面が強調され、その後も際限なくその活用が拡大されてきました。しかし、それらの資源の活用が濫用に転じ、人類にとっての悪影響が看過できないほど深刻になっている現状においても、すでに人類の生存がそれらに過度に依存する形態に変化してしまったために、悪を知りつつも止められないという抜き差しならない状況に陥っています。化石燃料の燃焼による大気の汚染や、二酸化炭素やメタンなどグリーンハウス・ガスの問題、生活のあらゆるところに不用意に濫用されている化学薬品によるあらゆる生命体への健康被害、原子力発電所の事故や核兵器による大量破壊の脅威、遺伝子組み換え食物による健康被害や生態系への悪影響、電磁波の健康への影響など、例を挙げるときりがない程で、まさにこの方向で不気味な無限の広がりを見せています。

 サイバー空間という新しい資源への期待と希望を持つ一方で、人類は新しい資源の活用においては、その貪欲さからか、避け難く濫用に陥ってしまう危険性をはらんでいるということ忘れてはならないと思います。

 若い世代の皆さんと時間を過ごしていると、こちらが何か話している時にもスマートフォンでのやり取り、あるいは何らかの情報処理をしているのがとても気になります。正直に申せば、手のひらの機械とのやり取りの方が目の前の相手とのやりとりよりも大切なのかと、寂しくなります。若い友達同士で同じテーブルに座っていながら、お互いを無視しスマートフォンでのやり取りに熱中している光景にも、ごく当たり前に遭遇します。おそらく、彼らにとってのサイバー空間でのつながりの重要性は、自分の世代とは比べ物にならないくらい大きなものなんだろうと思います。
 30代後半でコンピュータ、40代でネットワーク、2年ほど前にようやくスマートフォン・デビューした自分にとっては、今後もサイバー空間が人とのつながりのメインの場になるということはあり得ないと思います。というのも、これまでの人生のほとんどがサイバー空間という資源のない生活でしたから、この新しい資源には通常の人間関係の補強という補助的役割しか与えることはできないと感じるからです。しかし、物心ついたころからインターネット、Eメール、ソーシャルネットワーク、スマートフォンが当たり前のように存在している環境で育つ若い世代では、事情が異なってくることでしょう。もしかしたら、サイバー空間でのつながりが実生活でのリアルな人間同士のつながりと同等、あるいはそれ以上に感じられるようになるのかもしれません。
 しかし、サイバー空間での付き合いに時間とエネルギーを割く一方で、両親を「うざい、ダサイ、臭い」と毛嫌いし、まともに話をするのもタルイ、洗濯物を一緒にするのもイヤ、一緒に出かけるなんてあり得ないという感覚を当たり前と感じているのであれば、それは人間関係において病的な状況に陥っていると言えるのではないでしょうか?以前、中学生を対象に講演をした時に、それとなく子供達に「お父さんのことをこんな風に毛嫌いしてるんじゃないか?」と尋ねたところ、かなりの割合の子供が否定しなかったのは、正直ショックでした。加齢臭という、昔は存在しなかったものが最近はとやかく言われるようになり、家族を毛嫌いする正当な理由として不当に利用されているようにも感じます。
 このような風潮は、子供の責任ではなく、その土壌をつくった大人の責任です。子育てに関わっている世代の皆さんには、家族同士の自然な交流がごく当たり前に行われる家庭環境を整ることを目指してもらいたいものです。しかし、一つ屋根の下に暮らす家族の中でも、それぞれが個別のサイバー空間での人間関係に割く時間はますます増加してゆくことでしょうから、家庭で現実の空間を共有していても、親密な感情の交流を維持することすら難しくなってくるのではないかと危惧しております。

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