芸術家

 コロナ騒ぎの中、コンサートやワークショップなどの通常の音楽活動が休止状態になって、4ヶ月ほどが経過しました。まだ、活動再開の目処は全く立っておりません。

 しかしながら、芸術活動を数ヶ月間全く収入に結びつけることができないという状態は、オリジナルの作品で勝負しているアーティストなら、画家であれ作曲家であれ、誰もが経験することですから、まだ平常の範囲内とも言えます。そう考えると、さほど惨めさを感じることもなく、これまで通りに音楽の探求を続けられます。

 このような状況では何をやってもお金にはならないのだから、むしろ今はお金をことを考えずに、大手を振って純粋に興味と探究心から音楽に打ち込んむことができます。プロの音楽家をやっていると、これほど自由に音楽に向き合えるチャンスは案外と少ないですから、むしろこの時期を大切に過ごしたいところです。もし、この時期に何をやったら良いのかわからないというのであれば、おそらく、今まで仕事をこなすという形でしか音楽に関わってこなかったということだと思います。仕事がない現状では、練習や研究をする気が起こらないというのであれば、音楽家を目指したころの初心を忘れてしまっているのでしょう。

 真摯な芸術家であれば、自分を取り巻く環境がどのように変わっても、芸術家をやめてしまうことはできません。必要に応じて用いる媒体、発信の手段を変えながら、芸術への探求は続けられます。もし、このコロナ騒動のために芸術家をやめようと感じているとしたら、これまで真摯に芸術に向き合っていなかったということの証かもしれません。芸術への真摯な情熱を奮い起こせば、日常生活の時間からも芸術への深い洞察が得られますから、どんな状況に合っても芸術の探求は続けられるのです。芸術への探求を妨げる主な要因は、社会情勢や環境ではなく、自分自身の怠惰と志の低さにあります。

 芸術活動というと、なんだか大袈裟で複雑な活動のように聞こえてしまいますが、実は至極単純なことなんだと思います。一言で言えば、感じられることを表現する。で、そのためにやることは、たったの二つ。感じる能力(感性)と、表現する能力(創造力)を磨くこと。これだけです。前者は、目覚めている限りいつでもできることです。後者は、例えばハープ演奏というかなり特殊な動作を含む表現技術であっても、様々な日常生活の作業を意識的に行うことで、ハープ演奏に必要な機能も間接的にトレーニングすることができますし、平素の練習においても実際の演奏で用いるような最高の集中力を持って楽器に向かえば、短時間でも多くを学ぶことができます。

 楽器に向かっていない日常生活の時間をどのように過ごせるかということが、芸術家としての資質にもっと大きな影響を与えています。逆に言えば、芸術家であるということは、単にそれを職業としているということではなく、日常生活のあり方も含むその人の生き方そのものなのです。

 

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