現代生活の贅沢さ

  数年前に5年連続の干ばつを経験したお陰で、蛇口をひねるたびに、「水を無駄にしてはいけない!」という意識が、自然と起きるようになりました。干ばつの時には、水を使うペースが速すぎると、井戸から一時的に水をくみ出せなくなるという事態になるのです。下手をすると、雨季が来る前にそのシーズンの水を使いはたしてしまい井戸が枯れてしまうという恐ろしいことになりかねません。

 水の無駄を極力抑えて生活してみると、水洗トイレで流す水は恐るべき無駄であることに気づきます。1回トイレを流す水で、大人一人に必要な飲み水の2日分は楽にまかなえます。シャワーが温かくなるまで流してしまう冷たい水も、干ばつの時にはバケツに汲み置いておくのですが、それでトイレを2回流せるほどの水を節約できます。

 ちなみに、古佐小家の暖房設備は、薪ストーブのみです。冬になると、面倒な火おこしが日常です。こういう生活をしていると、薪はもちろんのこと、火を起こすときに必要な小枝や木の切れっ端も、価値ある「お宝」に見えてしまいます。慣れてしまえば、乾いた小枝と中くらいのサイズの枝を使えば、新聞紙1枚とマッチ1本で5分以内にストーブの火が起こせるのです。もっとも、電気やガスのヒーターのスイッチを指先一つでオンにすることと比べたら、かなり面倒な作業ですが…。

 考えてみるに、江戸時代には、自分が使う水は井戸からつるべで汲んでいたわけですから、現代のように水をふんだんに使うことは出来ませんでした。それができたのは、自分で水を汲まなくてもよい身分、つまり召使のいたお金持ちや支配者階級に限られていたことでしょう。しかし、どれだけお金や権力に物を言わせても、誰かが燃料を燃やして火を起こさないことには、暖房どころか炊事や風呂の準備すらできませんでしたから、熱源を手に入れることは、それほど簡単ではありませんでした。ところが、現代では普通の稼ぎがあれば、好きなだけ水、電気、ガスを使って生活を送れるますから、ほとんどの現代人は、一昔前の基準で言うなら「お大尽」にも想像できなかったような贅沢な生活をしていることになります。

 田舎暮らしの不便さが日常になると、現代生活の平均的な便利さが恐ろしいほどに贅沢に感じられます。

 

 

 

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