週末に49歳を迎えて

 生きてゆくのは、なかなかにしんどいものです。世の中思い通りにならないことの方が多く、明日どうなっているかもわかりません。49年生きてきましたが、まだ上手に世渡りをする術も身についていないし、知らないこと、できないことだらけ。焦っても、残り時間だけはどんどん短くなっていきます。

 

 ここまで来ると、全てをやり尽くして、なんの悔いも残さずに死ねるなどということはあり得ないだろう、と容易に想像できます。でも、「どうせやり尽くせないんだったら、適当にやっちゃえ」という風にも考えられない。敦盛で「人生五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」と謳われているように、たしかにこれまでの人生を振り替えてみると、あっという間に49年経ってしまったと感じられるし、過ぎ去った日々は記憶の中で夢幻として存在するだけで、結局手元に残っているのは今という瞬間だけ。この瞬間も、次の瞬間には過去の夢幻となっていきます。

 

 そうなると、今の瞬間にベストを尽くす努力を積み上げるしかないということになるのですが、毎瞬を全力で生きられるほどの精神力も持ち合わせていない。そうなると、せめて毎日を悔いなく過ごすということくらいしかできませんが、それもそう簡単ではありません。安易に妥協を繰り返すことで知らぬ間に目標から逸脱し、身勝手な自己正当化を重ねることで真実を見失ってしまう。まだまだ学ぶべきことはたくさんありますね。

 

 この年になると、自分のやっていることを権威筋に認めてもらい、お墨付きをもらうというようなことには、ほとんど興味がなくなりました。社会的地位や経済的な力、業界で権威を持っている方も、自分と比べて年齢も人生経験もさほど変わりませんし、自分の人生を一生懸命に生きてきた結果として、その時代のニーズや社会状況に応じてそれぞれが今の立場にあるわけですから、特に誰が偉いというようなこともなく、言うなれば、皆で一つの社会を構成する仲間のようなものです。ですから、社会での自分の役割を自覚し、お互いの生き方を尊重し、尊敬できる相手からは学び、自分の目指している生き方を貫けていれば、それをいちいち権威筋の評価や世間の評判で査定する必要はありません。自分自身の現状と目標にしているゴールとの格差を見て、冷静に自己評価をすればそれで十分です。あとは、残された時間を見ながら、ペースを考え、時間とエネルギーの投資先の優先順位を間違えないように気をつけていきたいと思っています。

 

 皆様、引き続きよろしくお願いいたします。

 

Leave a comment