ワクチン接種をしないという選択と今後の音楽活動

 ブログでも連載記事としてシェアいたしましたが、政府機関の公式発表の情報とデータから、新型コロナウイルスと新型コロナワクチンに関する考察を行い、ワクチン接種をしないという結論にいたりました。アメリカでは、すでにワクチン非接種者への差別は始まっており、秋以降に予定されていた演奏の仕事もキャンセルされました。今後は、店舗や施設への出入り、公共交通機関の利用においてワクチンパスポートなるものの提示を求められるような方向に向かうと言われている中で、大勢が集まるコンサートとツアーでの長距離移動が不可欠な演奏活動は、大きく制限を受け、ライブ活動からは、事実上の強制引退を余儀なくされる可能性も覚悟をしております。

 ライブでの演奏活動の継続を人生の最重要目的とするなら、さっさとワクチンを打てば済むことなのでしょうが、自らの意志と価値観に従って仕事をする芸術家が、これまで貫いてきた信念や価値観に逆らい、社会の同調圧力に乗って自らを欺いてしまったら、芸術家として誇りと社会的責任を捨て去ることを意味します。

 芸術活動は、価値観やライフスタイルという土壌の上に育つ作物のようなものだと考え、これまで10年以上にわたってその土壌を作るために、心身の健康の確立とバランスの取れた能力開発を目指し、人本来の暮らしとは何かを問い続け、自給自足の自然農法や持続可能なライフスタイルを実践しながら音楽活動に取り組んできました。アメリカに移住して以来23年間、医療機関を受診する経済的な余裕はありませんでしたから、基本的には、自分の健康管理は自己責任で行い、もし死病に犯された場合には潔く死を受け入れる覚悟で生きてきました。このように信念を持って耕してきた自分の身体が、新型コロナウイルス感染症に耐えられず死ぬことになっても全く悔いは残りませんが、リスクと効果の明らかでない緊急承認の新薬を予防のために注入した結果、自分の意志や努力とは全く関係のないところで身体の在り方が変化し、望ましくない健康被害を被ることになったら、悔やむに悔やみきれません。

 この後、新型コロナワクチンがFDAに正式承認されたら、ワクチン接種を義務化する動きがいよいよ本格化し、ワクチン未接種者は社会生活において様々な不便と制約を負うことになるでしょう。このような社会の流れは、パニック状態による自己破壊とも言える異常事態で、決して容認してはならないと思っています。アメリカの禁酒法のように、いずれは修正され、後で振り返ってみるとあまりのバカバカしさに呆れてしまうということになると思いますが、それでも禁酒法は10年以上施行されました。この社会パニックも禁酒法のように長期間続く可能性はありますから、これからしばらくは隠遁生活を強いられ、作品を公に発表する機会が少なくなるとしても、命ある限り真摯に芸術と真理を追求するという姿勢を変えることなく、音楽活動の重心をレコーディング、作曲、音楽の学術的研究などに移して行くつもりでおります。航空機での移動ができなくなり、故郷へも戻れず、親の死に目どころか葬式にも出れないという状況が待っているかもしれませんが、それも仕方ないと覚悟を決めています。収入が減り、生活は一層厳しくなりますが、子育ても終わっていますから、欲を出さなければなんとか生きてゆくことはできるでしょう。

 これまで演奏活動を支えてくださった皆様にしばらくはお会いできなくなるかもしれないことは、非常に残念ですが、このような決断をしたことで大きな気づきもありました。

 これまでの活動では、自作の曲を多くの即興を交えて演奏してきましから、これ以上自由な音楽活動はないと言えるほどに自由にやっている自負がありました。しかし、目の前にお客さんがいない状況で、ただひたすら自分の納得できる音楽を作り続けようと決意したことで、これまでの音楽活動では、心のどこかに「お客さんを喜ばせたい」「他者から評価されたい」という願望があって、それが自由な創作にブレーキをかけていたことがよくわかりました。

 お客を喜ばせる。他者から評価される。プロとしては当然の責務のように言われることが多いのですが、これらは目的ではなく、優れた作品を作ることの結果であるべきです。しかし実際には、作品を作る段階で無意識のうちにこれらを目的として組み込んでいて、それが自由で誠実な創作活動にブレーキをかけていることに気づいたのです。

 特定の時代、特定のお客を意識して作ると、時空を超えた普遍的価値を持つ作品にはなりにくい。一方で、不特定の時代の不特定多数の聴き手を対象にすれば、自ずと普遍的な価値観に近づくことになります。

 正直なところ、お客さんの顔の見える環境で、その場にいる人たちのために演奏するコンサートという環境は、大好きです。今後その機会が著しく減る、あるいはなくなると思うと残念ではありますが、より普遍的価値のある作品を作る音楽家へと成長を遂げるためには、一時期そのような場から距離を置くことも必要なのかもしれません。

 人生50年。一昔前には死を覚悟した年齢です。50歳となった今、演奏家としての古佐小基史はここで終わるとしても、悔いのない演奏活動はやってこれたと思っています。27歳から独学でハープを学ぶという大きなハンデを背負っての音楽家人生のスタートでしたが、ハーピストとして、世界の誰も真似のできない分野を開拓したという自負もあります。ここで演奏家として死んでも、実際にはまだしばらくは死にそうにありませんし、ハープ演奏も音楽の研究もまだまだ元気に続けられますから、これからの人生はボーナスと思い、より自由な気持ちで生きてみようと思います。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 

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