貧乏はこわくない!貧乏転じて福となす(3)


 お金の有無に関わらず、幸せに関する最も大きな因子は、なんといっても良好な人間関係です。貧しくても、家族、友人、同僚などと良好な関係にあれば、暖かい心で幸せに生きてゆくことができます。逆に、家族、友人、同僚と難しい関係に陥ってしまうと、お金があっても常に心に引っかかることがあり、仕事の上で良いことがあっても、もろ手をあげて幸せを感じることは難しくなります。

 芸術のように、活動と作品の値段が決まっていない仕事をしていると、どれだけレベルの高い活動をしても、それに見合う収入を得られないことが日常茶飯事です。しかし、お金で全てが計られる資本主義の社会では、思うようにお金を稼げない状態が続くと、自分自身の人間としての価値に疑いを持ち始めます。このような自己否定に取り憑かれると、本当にやりたいことではなく、とりあえず、すぐにお金になる仕事に飛びつきたくなります。そうすることで、ある種の安心感と達成感は得られるのですが、そういう妥協をしながら本当にやりたいことを先延ばしにしているうちに、初心を忘れて中途半端に芸術を切り売りして小銭を稼ぐことが常態化します。そのままどんどん年を食ってしまうと、かなりの後悔と自己否定に襲われることになりますが、すでに手に入れた安心感を手放すのも怖い。そうなると、最悪ではないけれども、かなり居心地の悪い場所にズッポリとはまり、なかなか抜け出すのも難しい状態に陥っているといえます。

 もしお金を稼ぎたいのであれば、芸術はこれ以上ないほどに不適切な職業選択です。ですから、お金を第一義の目標にして芸術に携わると、ほとんどの場合は失敗します。

 芸術が大きな金銭的価値を生み出すためには、不特定多数の方に認められる必要があり、そのためには、ある程度有名になるか、業界で力のあるメディアやプロモーターなどの中間業者の後ろ盾を得る必要があります。しかし、おそらく90%のアーティストは、価値ある活動をしていながらも、知名度や業界でのチャンスに恵まれないまま地道に活動を続けることになります。つまり、一生懸命働いて、それなりに価値のあるものを生み出しているにも関わらず、貧乏のまま生きていくことになります。そんな中で支えになるのが、家族、友人、音楽仲間や演奏活動を通じて知り合うみなさんです。お金や社会的地位とは縁の薄い慎ましい活動を通じて自分の芸術に直接に接し、それを楽しんでくれる応援者がいるということ、自分のことを純粋に愛してくれる家族や仲間がいてくれるということは、たとえお金を稼げない社会の負け組になっているとしても、人としての本質的で普遍的な価値を高めることを目標と掲げて生きてゆくことの尊さを思い起こさせてくれます。

 有名なお金持ちでも、無名な貧乏人でも、結局は死んでこの世から消え去ります。金持ちは金持ちなりに、貧乏は貧乏なりに、天から与えられた時間の中でできる限り多くの瞬間から幸せのエッセンスを見出す努力をする生き方こそが、本当の意味での豊かな生き方と言えるのないでしょうか。

 

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