自然に近い生活vs都会での生活

 春分の季節です。日が長くなって春めいてくるこの季節は、北カリフォルニアで最も美しい季節ですが、個人的には日の短い真冬も大好きです。冬の日差しは、地面に近いところから差してくるので、光と影の具合がドラマティックで素敵です。雨あがりの空気の澄んだ冬の星空もまた格別です。

 北カリフォルニアでは、夏と冬の気候の差が大きく、夏(6〜9月)は何ヶ月も雨が降らない乾季、冬(11月〜3月)は、場合によっては2週間ほど雨が降り続く雨季になります。その間に、短い春と秋がはさまっています。

 田舎のファームでは、屋外で作業をすることが多いため、生活パターンが日照と天候によって大きく影響されます。一般に、雨天時や日没後にできる屋外作業は非常に限られていますから、作業の内容とペースを季節に応じて変化させ、天候と日照時間合わせて調整する必要があります。

 概して日照時間と晴天の少ない冬には、その限られた時間内に効率よくハードに働き、残りの時間は屋内でのんびりと過ごすというペースになります。また、気温が低く重労働をしても体力の消耗が少ないので、短期決戦型のハードな仕事に向いています。しかし、雨がいつ降るかわからないために、着工から完成までに何日もかかるような建築作業をすることは難しく、道具や資材なども、作業が終わったら毎回全てを濡れない場所に片付けておく必要がありますから、冬には「効率が良く最後まできっちりとした仕事をする」ことが強いられます。

 一方、日照が長く雨の降らない夏には、涼しい朝と夕方の時間帯を中心に働いて、暑い午後の時間帯は屋内や日陰でのんびり休息するパターンなります。長期を要するプロジェクトに向いていて、道具や資材をそのままにして何日間も持ち越せますし、作業可能な時間はたっぷりとあるので、ダラダラ仕事をしても大丈夫です。35〜40度の猛暑の中では、どちらにしてそれほどハードには働けないので、むしろ休みながらダラダラと働かないと、暑い夏を乗り切ることはできません。スペインや南イタリアなどでは、昼食時に飲酒をしながらランチを腹いっぱい食べて、夕方までお店や仕事を休んで「シエスタ」と呼ばれる昼寝タイムをとる習慣がありますが、北カリフォルニアの夏も、シエスタ的な長い昼休みのある生活リズムが適しています。

 このように、1年を通じて夏と冬の気候条件の差が大きな北カリフォルニアの自然環境の中で働いてみると、季節に合わせて働くペースを大きく変えることが、人体にとってごく自然な環境への適応であると感じられます。

 一般に、常夏の赤道に近い地域では、社会全体にのんびりムードが漂い、自分のペースでチンタラと働く傾向があり、高い緯度の冬が厳しい地域では、生産性効率の高い社会がきちんと組織化され、全体のペースに合わせて真面目に働く傾向が指摘されます。このような地域差は、夏と冬の差異の大きな北カリフォルニアでの生活で季節によって生活のペースが変動するのと同じく、環境への適応の結果であると思われます。

 注意深く自己観察を行うと、季節に応じた生理的な変化も感じられます。日照の長い夏には、睡眠時間が減って運動力が増えるため、体は絞られて体重は減少します。逆に、日照に短い冬には、睡眠時間が増えて運動量が減り、体重はやや増加傾向になります。

 夏は、朝5時にはすでに明るくなりつつあり、暗くなるのは夜の8時頃。朝夕は涼しくて活動に適した条件が揃っているので、早起きをし、暗くなるまで活動をするのがもっとも快適なパターンです。時計を気にしないで1日を過ごすと、だいたいこのようなパターンになっていきます。

 冬には、朝7時でもまだ暗くて寒いので、外に出て活動を開始するのは朝8時ころ。夕方4時頃にはすでに薄暗くなり始めるので、道具の片付けや作業の後始末を始めて、暗くなる5時頃には屋内に戻ります。人体は、日が暮れてからある一定時間が過ぎると眠たくなる仕組みになっているようで、9時にはかなり眠くなり、シャワーやその他の就寝準備をして、10時半ころには就寝。

 本来は、このように季節によって生活のペースを変えることが自然なのだと思います。しかし、都会の生活では、季節による日照や温度の差異は、電灯とエアコンなどのテクノロジーによって均一化され、日々の暮らしも時計を基準としてスケジュールが組み立てられているので、年間を通じて生活のペースをほとんど変えないまま、体に多少の無理をさせつつ生活しています。それが、現代人のストレスや健康不良の原因の一つになっているとも考えられます。

 さりながら、テクノロジーを活用した人工的な環境にはもちろん利点があって、寒さや暑さ、雨や風、強い日差しや日没後の真っ暗闇などの様々な自然の脅威を緩衝し、より安定した生活環境を提供してくれます。ただし、自然環境からどの程度の距離をとるかということ関しては、バランスが大切です。自然からの距離が広がれば広がるほど、自然の変動に適応する能力は低下し、生存のためにさらに自然からの距離を広げなくてはならなくというスパイラルに陥っていきます。近年のテクノロジーの目まぐるしい進歩で、このスパイラルは加速度的に進行していると感じます。

 社会全体の生産効率を考えると、全ての基準を時計に集約し、年間を通じて同じペースで働くことが合理的です。特に、農林水産業などの季節の変化とともに仕事の内容が著しく変化する第一次産業に従事する人口比率が低い先進国型の社会においては、季節による生体リズムの変動を社会全体に反映させる必要性は小さいですから、この傾向は強化されることでしょう。しかし、いくら効率を上げて物質的に豊かになったところで、そこで暮らしている人々に健康で幸せな暮らしているという強い実感が伴っていないとしたら、なんのための効率アップでしょうか。

 都会では、「夜、あまりよく眠れない」とおっしゃる方によく出会いますが、それも無理からぬことだと感じます。都会の夜は、屋外でも本が読めるほど明るく、家の中も寝る直前まで隅々まで電灯に照らされ、しかも目の前にはテレビやコンピュータ、スマホのスクリーンが光かがやき、その中では活発な世界が24時間営業で展開しています。

 自然に囲まれた田舎に住んでいても、コンピュータやスマホでの作業が多くなると、自然のペースに合わせて生活することは難しくなりますから、都会ではなおさら、電子機器で作業する時間帯には気をつけたいところです。

 しかし、ハードコアなサバイバリストのように、文明に背を向けて生きることは全くおすすめできません。自然との距離が近くなれば、それだけ豊かな自然の恵みを受けられる反面、野生動物や虫とのせめぎ合い、電力や水などライフラインの安定確保の難しさ、草木による人間の生活圏の侵食、嵐、干ばつ、寒波、山火事などの自然災害の脅威とも真っ向から付き合っていかなくてはなりません。このような中でサバイバルに明け暮れるようなライフスタイルでは、音楽などの文化的な活動をする余裕がなくなってしまうので、これではダメです。現代の都市生活とハードコアなサバイバル生活の中間点あたりに、現代人にも実践可能な「自然と人間の融合した生活スタイル」(使い古された言い回しではありますが…)はないものかと、日々模索しております。

 

Leave a comment