無責任にキレイごとを言うぞ!

 最近、過去の天才の生き方を研究する中で、彼らの残した数多くの短い格言や名言に触れ、優れた短文のもつ偉大な影響力に感銘を受け、短文作成能力の向上のため、Twitterを再開しました。 
 
 短文の美点でもあり欠点でもあるところは、読み手としては文章のインパクトによる感動が大きいため、その言葉が生み出される背景にある思想信念を深く理解することなく満足してしまうというところだと思います。また、短い言葉で多くを伝えるには、比喩や対比、語呂などの詩的な要素を盛り込まざるをえないため、読み手による解釈の余地が大きくなり、正確な情報伝達は難しくなります。

 しかし、この刹那的な感動と受け取り手の解釈の余地が大きいという点は、音楽の特徴と全く同じですから、短文は、ある種の芸術作品と考えるのが妥当です。詩や短歌、俳句などは、まさに芸術としての短文を追求した形態なのでしょう。

 手始めに、音楽芸術に関するツイートを1日一つあげていますが、短文のため言い切り表現が多くなることで、今の自分には手の届いていない理想や目標も、あたかも自分がすでに理解して実行できているかのような印象を与えてしまう文章になってしまいます。つまり、短文にすると「お前が言うか?」的なツッコミをされそうな綺麗ごとが多くなるのです。

 以前は、このような自分の背丈に合わない綺麗ごとを言うのは無責任だし、何よりもそれは自己欺瞞と虚栄の現れであると考えていました。しかし、現在の自分にできること、できていないことをある程度真摯に自覚できる五十路のおっさんとなった今、理想と現実のギャップを取り沙汰にするような野暮はやめて、綺麗ごとを言ってもいいんじゃないかなと思うようになってきました。完璧を期するあまり、かなり深く理解できていることを、誰とも分かち合わずに死んでしまう方が無責任ではないか、と。

 過去の偉人の名言も、目標とすべき理想を示唆してくれる綺麗ごとだからこそ、勇気と感動を与えてくれるのだと思います。音楽だって同じです。自分は、自分が演奏している音楽と同じ程度の調和と美を備えている存在ではないけれど、そうなりたいという理想の世界を音楽で表現するからこそ、聴くに値する作品となるのではないでしょうか。

 と言うわけで、Twitterではキレイごとを言いますヨ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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